はてなキーワード: カップラーメンとは
ここ数日増田に趣味の一環としての翻訳の話を書いているうちに、いいニュースが飛び込んできた。
昨年現地で公開され、昨年の現地映画売上No.1になった「ฉลาดเกมส์โกง」こと「Bad Genius」が「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」という邦題で9月から映画館公開されることが発表されたのだ。しかも日本語版を作っているのがDVD販売に実績のあるマクザムなので、おそらくDVD販売もされるだろう。それなりに話題になる割にはさっぱり日本語版DVDが発売されないこの国の日本語版映画ラインナップへの小さな積み重ねだ。
もちろん現地DVDは公開の半年後くらいに発売されたので自分も発売とほぼ同時に早速海外通販で個人輸入し、2ヶ月ほどかけて翻訳した。そのときの留意点を元に、9月に公開される映画の字幕チェックポイントを挙げておこうと思う。なお、以下の内容に予告編の内容を超える致命的なネタバレはいれていないつもりだ。
日本だと6・3・3制と言われて中等教育は中学と高校の2つに別れているのだけれど、向こうの中等教育は6年制だ。中高一貫教育をやっている学校も多く1年生から6年生までが同じ学び舎にいることもしばしばある。もちろん進学率が上がったとは言え義務教育は中学3年までなのは日本と一緒なので全てが中高一貫教育校ばかりではないけれど、高校の学年が中学からの通しで数えられるのは同じだ。「バッド・ジーニアス」は高校3年間(+入学時の中学3年のエピソードが少し)の話なので、場面紹介字幕には「4年生」「5年生」等出るし本人自身がそう話す場面もある。それを日本語でどう表現するかはとても興味深い。
主人公は高1に進級する際に転入試験を受ける。成績的には合格なのだが本人が入学を渋るという不思議なシーンが登場する。入学を渋るのは決して裕福ではない家庭の事情を心配してのことなのだが、ここに通学手段と昼食内容の見積もりが登場する。映画館で読みきれない内容なのでこれはぜひDVDを入手してゆっくり眺めてもいいシーンだが字幕でフォローするか迷うセリフとして「バイクタクシー」と「カレーがけご飯2色がけ」が出る。どちらも主人公の几帳面さというか細かさを表現するセリフで、前者は最寄り駅から自宅まで歩いて通うことはないという現地事情も含まれているし、後者は現地で屋台メシを食べたことがあるならピンとくる定番メニューでもある。おそらく商業字幕ではどちらも簡略化もしくは省略されると思う。
日本だと大体のところは5段階評価だろうか。最高が5、最低が1。評定平均はこれを平均する。向こうでは5段階かどうかはわからないが最高点は4だ。だから評定平均4.0は日本語で言うところのオール5にあたる。学校の成績が主な話題になる映画のため評定平均の話は頻発する。自分の野良字幕では4.0(最高得点)とカッコ書きしたが、商業字幕ではおそらくオール5、のような表現になるのではと思う。そこで気になるのは最高点ではなく中途半端な生徒の中途半端な点数だ。1点下駄を履かせて表現するのか、そのままの点数にするのか。ここは個人的に注目したい。
サスペンス色あふれるサウンドトラックの中に1曲、フォークギターで伴奏されたナツメロっぽい曲が流れる。特に字幕でも歌詞を紹介されなかったしここの歌詞まで字幕化はされないのだろうけど、本家映画制作会社が歌詞を全てTweetしているのを読んだら、架空の学校校歌だったらしい。個人的に訳してみたい。
http://twitter.com/gdh559/status/865161419796299776
ครู(クルー)は「先生」、พี่(ピー)はこの間も書いたが「先輩」、ลิน(リン)は主人公の名だ。後置修飾なので直訳すれば「リン先輩先生」となるのだが字面で見てもバランスが悪い。自分の字幕では「リン大先生」と訳したが、もっといい意訳があるような気がする。この言葉、主人公が連呼されて気分がよくなる言葉なのだ。男性だったら「リン老師」とでもするんだけど女子高校生に老師は似合わなそうだし。
日本の試験の選択肢がア、イ、ウ、エになるように、向こうの国のマークシートはก ข ค งが使われる。予告編を見ればわかるが、この部分はしれっとA B C Dに読み替えられているし、自分もここはそうしたのだけれど、これカタカナ書きすると、コー、コー、コー、ンゴーなのだ。現地のアルファベット最初から4つ分とはいえ、これを採用した当時の教育関係者の勇気に感動した。ちなみに他の映画でもよく試験のシーンは出てくるのだけど、学校の普通の定期試験でもマークシートは当たり前らしい。だからカンニングしやすいとも言えるのだろうけど。
緊張で昼食のラーメンを吐いてしまった男の子が「サーモン食べ放題に行こうか」と誘われて「僕は外食は嫌いだ」と返すシーンがある。カップラーメンでもなければラーメンは外食のような気がするが、もしかしたら家の近所で食べるものに関しては外食に分類されないのかもしれない。自分の誤訳の可能性も含めてここは自分でも見てどう訳するのか興味がある。
金持ちの息子パットが誘った「家」は、PATTON HOTEL。貧乏な優等生バンクが帰宅したのは「น้องแบงค์(ノーン・バンク)ランドリー」ノーンは「後輩」を意味する敬称だというのは以前書いたとおり。もちろんこれは舞台となった国の貧富の差を如実に現したシーンなのだけど、特に前者が「息子の名前をつけた」ということを字幕で示せるかどうか。示さなくても話の筋は通るし、アルファベットで書かれているから無視してもいいんだけど。
映画の中ではほとんどชื่อเล่น(チューレン)で会話がなされる。チューレンとはニックネームのことで、今回の場合主人公の本名はリンラダー、チューレンはリン、と名前の一部を使ったチューレンなので訳してもそれほど違和感はないのだが、劇中で1人チョイ役なのに名前が2通り出てくる人が出てくる。違っていても話の筋はわかるからと言っているとおりに訳すのか、話がわかりやすいよう同じ訳語に統一するのか、興味深い。
途中でうさぎのコニーのスタンプが露出することからも分かる通り、オンラインコミュニケーションの手段はLINEである。集団不正を募るのに既存のLINEグループに話を持ちかけるのだが、こういう場面で「LINE」という言葉が出てくるのかどうか非常に興味深い。もともとのセリフでもLINEとは言っていないので無理にLINEと言う必要はないのだ。そのまま「受験友達は30人いるよ」で問題ないしね。ただ、LINEはLINEでもおま国動画アプリ「LINE TV」はスポンサードか何かでスタッフロールに出現する。通信手段がLINEなのはそのせいかもしれない。
日本で言うセンター試験。アルファベットだからと言って、これをそのままGAT/PATと書かれてもほとんどの人はわからない。何か別の言葉に意訳する必要があるのだけど、そのまま「センター試験」になるだろうか、「大学入試共通テスト」のような一般的な名称になるだろうか。
別に字幕とは関係ないのだけれど、4902778999042というJANコード(いわゆるバーコード)が出てくるシーンがある。この番号を調べると上記の鉛筆がヒットする。直前にペプシコーラの缶がプロダクトプレイスメントされているのだけど、たぶん三菱鉛筆はプロダクトプレイスメントではないと思う。ついでに言うとペプシは撤退したのでペプシコーラもプロダクトプレイスメントではない可能性が高い。
โรงพิมพ์(ローンピム、印刷所)ซื่อตรง(スートロン、正直)พานิช(パーニット、人名)。つまり「パーニットの正直印刷所」という施設が出てくる。何に使われる施設かと言うと、カンニングアイテムの印刷に使われる施設なのだ。あまりの皮肉にTwitterでも少し話題になった。โรงพิมพ์ซื่อตรงพานิชで検索してみるとそれがわかるかもしれない。別にその皮肉がわからなくてもストーリー把握に問題はないため字幕では無視されるかもしれない。
謎の電話番号(0840126470)から電話がかかってくるのだが、この電話番号が誰の電話番号であるかは事前に写り込んでいるシーンがある。そこに電話番号を書いている理由を訳さないと、携帯電話番号の形式も違うわけで何の数字だかわからないのだけど、そこまで訳すだろうか。それとも前後のシーンから誰が電話しているかはわかるだろうと訳さないだろうか。
携帯電話の電波の規格。日本ではLTE(4G)の前は3G、その前はPDCとかcdmaOneとかだった。彼の国ではEDGEだった。そんなに日本で有名な話ではないので、トラブルで3G電波が入らなくなるシーンをそのまま「エッジ」と訳しても伝わらないだろう。ここはどう訳すだろうか。
主人公がシドニーから帰ってきた空港はLCC専用空港だったりする。劇中で航空機が出てくるシーンはないのだが、なぜか自分の頭にはエアアジアが思い浮かんだ。調べてみると当該の空港からシドニーに行くにはエアアジアが一番安いらしい。とは言え直行便はエアアジアを含めて1つもない。別にどうでもいいのだが細かいところが気になってしまうのは良くない性格だ。勘弁していただきたい。
生来、不特定多数の人間とコミュニケーションを取ることが難しく、自分を良い部分を理解して悪い部分をフォローしてくれるような人としかコミュニケーションが取れていませんでした。
もう少し正確な表現を使うと、優しい方々にコミュニケーションを取ってもらえていたというのが正しいのではないかと思います。
それでもその優しさに甘えてはいけないと、自分から積極的に外部のコミュニティへ関わろうと努め、自主退社や解雇となっても転職を繰り返していました。
そんな日々を送る中、最後に務めた会社の上司から「傷付く物言いかも知れないが精神鑑定を受けてみてはどうか?」というアドバイスを貰って実際に受けてみると、どうやら重度の発達障害及びADHDである事がわかりました。
その事実を知って今までの人生が走馬灯のように蘇り、とうとう会社務めに心が折れてしまいました。
驚くかもしれませんが、こんな自分でも結婚しており子供が1人居ます。
妻は優しい人です。ダメな夫を持っていても日々応援してくれて転職を繰り返しても「次は上手く行くよ」と優しい言葉をかけてくれていました。
そして「専業主夫になろうと思う」と打ち明けると妻は「じゃあ交代だね」と快諾してくれたのでした。
妻は子供が生まれた以降は専業主婦として家事育児を行っていたのです。
妻から家事育児の引き継ぎを受けつつ、妻の就職活動を必死に手伝いました。
様々な環境でダメ人間の烙印を捺されているので恥も何もあるものでなく、自分の電話帳の上から、どうにか妻に斡旋できる仕事はないかと連絡を取りました。
すると「仏具神具屋の事務員が空いていたはず」と快く斡旋して頂けました。更には「これからの時代、男の専業主夫なんて増えてくんだから時代を先取りだよ」という言葉までかけて貰えました。
子供はもう普通に大人と同じ食事がとれる程度には大きくなっており、育児の最低限として食事を与えなければなりません。これは絶対に忘れてはならない事項なのです。
独身時代、忘れていて気付けば1週間食事をとっていなかった経験がある身としては、それが非常に恐ろしかったのです。
結局、忘れてはいけない日々の日課習慣関連は自作のカレンダーへチェックマークを入れていくというタスクリスト方式に落ち着きました。
頻繁にカレンダーを見るということさえ忘れなければ日課習慣が抜けてしまうことを防げます。カレンダーを確実に見るように1時間に1回携帯電話のアラームが鳴るようにもしてあります。
具体的には「子供に美味しいものを食べさせたい」という欲です。
多くの親御さんに叱られそうですが、最初の2週間はほぼカップラーメンや電子レンジで作れる冷凍食品を与えていました。
もう少し手の込んだ美味しい料理を出したいと考えたのですが、既存のレシピは料理が既にできる人用のもので、栄養失調にならないため食べるとしてきた自分のような人間には理解が難しいものでした。
妻にそのことを相談すると「即席調味料を使った料理や時短料理なら手順が少なくてアナタにも出来るのでは?」とアドバイスしてくれました。
このアドバイスは最高のもので、特にシーズニングミックスと称される即席調味料は簡単でかつ美味しく、子供にカップラーメンや冷凍食品よりはまともな食事を与えられるようになりました。
しかも、このシーズニングミックスは調理の訓練にもなるようで、料理にだんだんと馴れてきてチャーハンや厚焼き玉子くらいなら作れるようになりました。
世間体がどうなのか?と気になる人も居るかも知れませんが、その答えは「よくわからない」です。
前述した通り、外部とのコミュニケーションが苦手なので頻繁に自宅の周囲で目撃されるようになった自分を世間がどういう目で見ているのかはわかりません。
近所の人とは会釈する程度の仲なので会話もなく全く評価がわからないですが、実害もないので専業主夫であることを自分自身は特に気にしてません。
そのことによって日々のストレスの大半が外部とのコミュニケーションであったことがわかりました。
吹田市民です。
私のスペック。30代男性。大阪市内の会社に勤務。妻、30代、専業主婦。
自宅。築40年のマンション。古い。6階。
朝、いつもアラームは8時20分に設定している。(始業は10時なので、ゆっくりめ起床)
妻も既に起きていて、本能的に体を寄せ合う。
阪神大震災の時は、目覚めた時、既に揺れており、部屋が平行四辺形にグラグラ揺れていたのを覚えている。
違ったのは、振動の長さ。阪神大震災の時は1分ぐらい続いたと思うが、今回は15秒ぐらいで済んだ記憶がある。
震源に近かったせいか、緊急地震速報は、揺れの最中から鳴り出した。
玄関にいき、下履きを持ってきて、泥を払った上で、室内用として使用する。(ガラスや陶器が割れて散乱しているので)
ダイニングの食器棚が倒壊し、食器は約半分が使い物にならない。
書斎のPCモニター(24インチ液晶)が机から落ちていた。正常に動作するかどうかは、未検証。
書斎の本棚が倒壊し、再起不能なほどに壊れた。当然、中の本はすべて書斎内に散乱。
寝室は、引き出し式のクローゼットが私の寝床に倒れていた。すぐに飛び起きていなければ、頭直撃コースだったに違いない。
それ以外は深刻な被害はなかった。
続いて、風呂に水を貯める。ガスの元栓を閉じる。ベランダなど、すべての扉が開くかどうかをチェック→正常に開いたので、問題なし。
自分と妻のワイモバイル回線→音声通話は不可だったが、4Gは通信できた。
我が家は、基本的に必要なものしかストックしないという妻の方針のため、非常食になるようなものがない。
会社の上司に連絡。電車がいつ動くかわからないこと、部屋の中に割れた食器と家財道具が散乱していることを伝えると、出社しなくて良いとの連絡。
(家の惨状を写真に撮って送ったら、たいそう驚かれた。上司は京都に住んでいるので、ここまでひどくなかったのかもしれない)
確認したところ、こういうときに必要なものとしては、2リットルのミネラルウォーターが2本と、昨晩沸かしたお茶約1リットル弱しかない。
そこで、コンビニへ買い出しに行くことにした。
買ったものは、昼食の弁当×2、非常食相当のカップラーメン×2、朝食相当のカロリーメイト×1、紙パックのお茶1リットル とりあえず、夕方まではしのげる量の食料を確保。
自宅に戻り、午前中の間はテレビとネットで情報収集しつつ、下手に動いて余震にやられないよう、寝室で待機。
正午過ぎにお昼を食べて、そこから部屋の片付けを開始。
下履きを履きながら、室内の割れ物を回収していく。みかんのダンボール箱相当で、3箱分ぐらいの、ガラス・陶器の割れ物が発生。
細かい割れ物は新聞に包んで、特に営利で凶器になってしまいそうなものは、ガムテープとラップで養生してから、マンションのゴミ捨て場に捨てに行く。
同じような割れ物が、たくさん捨てられていた。
片付け作業中、1時間に1回ぐらいの割合で、テレビをつけて情報収集。私はずっとつけっぱなしにしたかったが、妻はこういう状況で災害の放送をずっとつけていると、精神的にもよくないと反対。
私も納得して、必要以上に情報に接しないよう心がけた。単純に、片付けにも集中できるという意味で、効果は高かったと思う。(私はテレビ見ながらの作業は、ついつい手がお留守になりがちなので)
5時になり、ライフラインの疑問が解決しないかと思い、マンションの管理室に行ってみる。
水道水がにごっていること、ガスを使っていいのか、この2点を尋ねに行った。
ガスは、一定の震度に達すると自動的にストップするので、再始動の手順がガスメーターに記載されていることを教えてもらった。
昨晩の残り物、白ごはん、ねぎ焼きが残っていたのでそれを電子レンジで温めて、惣菜といっしょに食べた。
室内の掃除はあらかた終わり、あとは細かい破片を取るために粘着ローラーをかけるだけとなった。
夜は、寝室とは別の、一番家具の少ない部屋で寝ることにした。
念の為、天吊の灯具は外した。寝るにしか使わない部屋なので、当面困ることもない。
翌日は普通に出勤するも、一部でJRが動いていないため、阪急で出社。30分の遅刻。
妻は、最後の片付けをしていたようだ。
一部の交通機関を除き、平常運転だったようだが、街の中には様々な傷跡がのこっていた。
マンションや駅のエレベーターは、軒並みストップ。点検して安全が確認されるまで封鎖。
公共施設の多くで、天井や壁に亀裂(クラック)が入っており、これも点検修理が終わるまでは近づかないよう、カラーコーンなどで規制線がはられている。
街ゆく車の中には、工事関係の車が目立った。かんでん○○とか、ガスサービスセンター○○といった、インフラ系関連会社や、
○○ビルテクノ・サービスといった、ビル管理系の車がよく目につく。
自分の会社の自席は奇跡的になにも倒壊していなかったが、いくつかのモニターは倒れていたようだ。
あと、うちの会社の部屋だけエアコンがついておらず、昨日今日と暑い中、汗をふきふき仕事をしている。
マスコミの報道内容とか、ヤフーニュースのトピックを見ていると、地震の扱いは過去の地震と比べて小さいように思う。
死者の数は1桁、翌日から通常営業できるようになったせいか、さほど深刻に受け止められていないように思うが、
実際に震源の近くで暮らしているものからすると、余震に怯えたり、想定外の後片づけに悩まされたりと、色々苦労をしている。
ただ、これだけの震度でありながら、犠牲者の数が少なく済んだのは、阪神大震災の経験が大きいと思う。
私は小学生の時に自宅で震度7を経験したが、揺れ方だけ見れば、あの時の悪夢と全く同じだった。
それにもかかわらず、倒壊損壊した建物、火災になった建物がわずかばかりであったのは、過去の教訓が行きていると思う。
当時幼いながらも、そのことで、人の生死なんて、いつどうなるかわかったもんじゃない、と感じた。
改めて今回思うのは、儚さだ。人の命もそうだし、割れた食器たちを拾い集めている時も、同じ気持ちを抱いた。
しかし、22年前と比べると、確実に社会は変わったと思う。もちろん、前向きな意味で。
マグニチュードや震度だけ見れば、当時より少し小規模だが、被害の規模は明らかに小さい。
建築物は、確実にあの時よりも丈夫になっている。
情報インフラも発達し、被害状況がほぼリアルタイムで分かるようになった。
色んな課題を抱えているこの社会だけど、耐震性というか、カウンターディザスタネスとでも言えばいいのか、
亡くなったクラスメイトの命も含め、過去震災や災害で命を落とした人々の尊い犠牲の上で、私達は日々暮らしているのだと実感した出来事だった。
そういう事するやつの性根疑うよね。
性根も何も、パートや一般職が正社員総合職より楽で責任の軽い仕事しかしなくて良いのは当たり前だよ。
パートや一般職に正社員総合職と同等の責任負わせてる方がブラック企業だ。その代わり前者は給料が少ないわけだし。
ホワイト企業なら更に子持ち女社員は「配慮」して楽な仕事しか回さない所も多い。
でもやってるのが楽な仕事だろうが、大変な仕事だろうが、使える保育園サービスは同じ。
後者は子供を保育園に預けてる間も気が抜けないだろうが、前者は「仕事の時間は子供から離れられる癒しの時間♪」とか言える余裕がある人が沢山いる。
先日両親が誕生日で、妹からこの店に連れて行ってあげなと言われ、渋々その料理店を予約した。
美味かった。
いや、脳内で中華一番のようなリアクションを取る位美味かった。
こんなに美味けりゃそりゃ8000円払うわと素直に思った。
一番悔しかった?のが、夏野菜にフルーツが混ざったオシャレで自分にとってはゲテモノにしか見えないサラダが最高においしかったことだ。
なんでだよ!なんで野菜とフルーツがあんなに合うんだよ!超美味い!
という価値観の崩壊がありまして、これからもカップラーメンと牛丼を愛でますが、美味しい料理も食べたいので色々探してみようかな。
ちなみに高めの料理店に1人で行ってコース料理頼むのってアリなの?
追記
ブコメで安食の呪縛から逃げられないとあったけど、もし外の店だったらそう思っていたのかもしれない……。
ただ先日食べた店は感動的だった!
まるでライブに来ているようだった!
次は?次は何が来るんだ?!という楽しみに溢れていて楽しかった。
こんなにもしあわせな気分になるんだなって。
・飲みかけのい・ろ・は・す。
天然水と味つきを取り違えて買ったのだろうか。
千切りキャベツ等洗わずそのまま食べられるサラダ。袋入りで170g位入ってるやつ。袋を開けて直接そこにドレッシングを投入して食べたらしく、よく袋にお箸を突っ込んだ状態で捨てられている。
この間なんだかちょっと恐そうなお兄さんが千切りキャベツとカップラーメンを買いに来たんだけど、よく見たらその人副店長だった。非番かと思ったらバックヤードで夕飯にそれら買ったものを食べてからシフトに就いてたんでちょっと驚いた。
収入比は7.5:2.5といったところ。
妻である私は前に勤務していた会社でストレスが重なり自律神経を壊して半年程専業主婦というものをしていたが、少し前から再び働き始めた。
定時上がり、デスクワークで程よい緊張感に晒されながら日々を過ごしている中で、ふと、専業の時と何も変わらない点があることに気付いてしまった。
フローリングを掃いたり風呂掃除したり買い物に料理、ゴミ捨て。いわゆる『名前のない家事』も私がすることが多い。それが平日毎日日替わりですることを考えてこなす。
その前に働いていた時はそこまで感じなかったにもかかわらずだ。結婚ボケでもしてたのか、愛情フィルタで平気だったのかはわからないけど、不満になってしまったものはしょうがない。
掃除は少々しなくたっていいとしても、食事は省けない。残り物を自分のお弁当にしたいという事情もある。
買い物はなるべくまとめ買いするようにしてても、細々したものも発生する。帰宅してからの1〜2時間、それをするのだ。無償で。
数週間であっけなく不満がピークになった。
確かに収入格差はあるが、手間と時間と思考の一部をそこに掛けているのは事実だ。
夫に訴えると『じゃあ俺が作るから帰ってくるまで待ってられる?』と問われ、『それは現実的ではないだろう』となった。
まず帰宅時間。私より遅く20時くらいだ。加えて彼は料理ができない。ついでに言えば、そういう解決策を求めているのでもなかった。
それらを『不満に感じてること』も不満なんだ。
どうしようかーと具体的に何もないまま困り果てた。
そうして一日経って、思いついた解決策は、自分の食事を多めに作ってると考えることにする、だった。
夫にもそういう心持ちで作ることを宣言した。家に帰ってきて夕飯が用意されてるのは、ただのラッキーだと思ってほしい、と。
馬鹿みたいだと思う。だけどこれが意外と効果的だった。何せ自分のための食事だ。何を買おうが何を作ろうが自由な上、知らずに夫に対して抱いていた『期待』がなくなる。
手伝ってもらえなくても平気だったし、むしろしてもらえると「ありがとう」という言葉が自然に出た。
更にもうひとつ条件をつけた。
週に一度、個食の日を作ること。
それぞれ一人で飲みに行っても家でカップラーメン啜ってもいい。日付が変わる頃までファミレスにいたっていい。
これも驚くほど効果的だった。気も楽だし友人にも会いやすいし気兼ねなく趣味に勤しむことも出来る。自分だけ喰わせればいいというのも楽だ。
もうすぐその個食の日がくる。