はてなキーワード: カウンセラーとは
普通に報道された事件なので知ってる人は知っていると思うけど、私の母校では(自分が入学する前に)ストーカー事件が起きたことがある。その事件を受けて新入生向けのセミナーで「もしストーカー被害にあったら?」というコーナーがあった。
前半の内容自体はごく常識的なもので、それだけなら特に印象に残ることもなかったと思うのだけれど、後半、カウンセラーの女性講師が持論を述べ始めると、そのあまりに想定外の内容に当時の私は強い衝撃を覚えた。
その講師いわく、ストーカーになる危険性が一番高いのは、見知らぬ他人ではなく、あなたに片思いしている身近な人物だという。そもそも、恋愛における「片思い」というのは、精神が未熟な人物に特徴的な行動で、それ自体がストーカー予備軍の兆候と言える、と。
「皆さんはもう大学生です。中高生のときのように片思いを募らせるような子どもっぽい恋愛はやめましょうね。好きになったら即アプローチ。もちろんしつこいのはNG。相手がNoならすぐに引きましょう。別れ際も仲良く後腐れなく。楽しく軽やかに恋してくださいね」
そんなことを言っていたと思う。女性はあくまで爽やかな口調で話していたし、適度なジョークも踏まえて会場は表面的には和やかだったものの、私個人は唖然とした表情を隠し切れなかったし、周囲にも同じような顔をした人がいた気がする。
片思いは精神が未熟な証拠。ストーカー予備軍の兆候。そんなことを考えもしていなかった高校卒業したての自分は、これから先に出会う異性との付き合い方をどうすれば良いのだろうと強い不安を感じた。
でも、今となっては「片思いは精神が未熟な証拠」と言い切ってもらえたおかげで、辛い思い出も含めて良い恋愛に恵まれたし、自分もいい方向に変われたんじゃないかと感謝している。
テレビやネットでストーカー事件の被害を目にするたび、私は加害者が被害者に「片思い」していたんだろうなと感じる。その「片思い」が未熟で不適切で危険な感情であるということを知ってさえいれば、多くの事件は加害者側の自省で押しとどめることができたのではないか。フィクションで描かれるように片思いを美化していたからこそ、加害者は自分の感情を抑えきれなかったのではないか。本気でそう思う。
極論かもしれないけど、学校教育ですべての学生、遅くとも高校生くらい(できれば中学校)までには「片思いから早く卒業しよう! ストーカー予備軍にならないために!」と教えてあげるべきではないかと考えている。性教育と同じ感覚で。望まない妊娠を避けるのと同じくらい、片思いは避けるべきものなんです。なぜなら相手や自分が傷つくから。
片思いしているあなたは、自分自身は心がワクワクしているかもしれないけど、相手からみたら気持ち悪いよ、カッコわるいよ、それは心がおかしいんだよ、そんなの恋愛じゃないよ、マンガと現実はぜんぜん違うんだよ、って。想いを募らせるのは、殺意を募らせるのと紙一重なんだよ、って。
わたくし、恥ずかしながら「ましゃロス」だったんだよね
福山雅治が結婚したことでなんていうか抑うつ状態になってたワケ
芸能人の結婚でうつとかwwwねーよwwwアホかwwwって感じで認めてなかったんだけどね?
福山氏の結婚ってよりはどうも吹石さんに嫉妬してたという方が正しいんだけどね?
悩みすぎてる自分にドン引きして恥を忍んで大学のカウンセラーに相談するなどもしたよ
あの…福山雅治が結婚したのが辛くて抑うつ状態で…って告白する体験にまさる恥もないよね
ぶっちゃけカウンセラーさんもこりゃまたやべえメンヘラが来ちまったって思ったとおもう
信じられないんだけど巨乳って知った瞬間、鉛のように心臓にのしかかってた怨念がフッと消えたんだよね
マジで。
巨乳なら仕方ないわ、って思ったんだよね
アドバイスありがとう。医師は「はっきり発達障害とは言えないのだけれども、ADHDとアスペルガーの合併症の恐れがある。スペクトラムと呼ばれるところに位置するけれど、きっぱりと断言はできないはっきりしない状況」とは言われた。その一方で、キャリアカウンセラーは「大変申し上げにくい事だけれども、症状を聞く限り「発達障害じゃないか」と思う節は多々思いましたし、やはり正常では無いと思います。」と言われてしまった事があります。ご意見を聞いて、「クラスターB」「パーソナリティ障害」と言うのをちょっとググってみようかな、と思います。あと、白黒両極端(0か100かみたいな状況に陥ってしまう)なのも、こういったスペクトラムや発達障害の節がある人達の特徴だと医師から聞きました。私自身、なんで他人の事は色々言うのに自分の事は分析できないんだろう(客観視)と思って。自分の事を振り返ったりするのですが自虐で終わって、建設的な解決に至らず、結局グチの様になってしまったり、或は見当違いな見立てになってしまったり。他人の事を言うよりも的中率が急激に下がると言うか…。キャリアカウンセラーの方は、「ご自身の事をこれほど深く鋭く分析出来ているのも珍しい」と言う一方で「どうしてもご自身の症状を認めたくないのか、ちょっと違うんじゃないか、と思う所もある」と言われた事がありました。色々と自分自身の目指す方向性が解らず、こちらで書き込みをした次第です。取り敢えずクラスターBとパーソナリティ障害について、調べて見ます。どうもありがとう!
うっひゃああwFラン辛れーwwww
もう通い始めて二年も経つのに、辛すぎわろたwww
(俺からみて)すさまじく要領悪いし、日本語が通じない人ばかりだからグループワークは地獄すなぁw
普通だったら30分くらいで終わりそうな作業に2時間くらいかけてるしwwwwwwwwww
その要領の悪さを指摘しようにも、ちょっと難しい話は全然通じないし地獄www指摘無理www
ちょっと難しい話を噛み砕いて易しく話すつっても限度があるわww
そんな話し方をするのも毎回毎回となると流石に無理wwww俺のキャパ考えろっつーのwwwwww
ははwwwww、はははっ……。
試験前にノートやレジュメを借りようとしても、周りは授業は真面目に出ても教員の話は全く聞いてない奴ばっかww
だから真面目に授業に出るしかないwwwたまにサボるけどwwww
たまにしか板書されない授業なのに、板書されたことしかノートに書かない奴多すぎwwww
ちゃんと授業を聞いてる奴もいるにはいるんだろうけど、俺の周りにはいないwwwコミュ障辛いwww
授業の話やちょっと抽象的な話をすると、すぐに難しそうな顔されるのも辛すぎwww
別にレポートに書くようなことを話したいってわけじゃないのにwww
辛い。
踏ん切りがつかない。
昔「電話男」という小説を読んだ時にこんなことを思った。そして今も切実に思っている。
オチはすっかり忘れ、話も設定もうろ覚えだから間違っている所があるかもしれない。「電話男」の特徴はこんな感じだった筈。
・「電話男」の元には番号さえ知っていれば好きな時にかけてもいいし、どんな話でも聞いてもらえる
・「電話男」という名前だが、男も女もいる。四六時中電話を取っているので部屋にこもりっきりで太ってる人が多いって設定だった様な
・「電話男」はアドバイスはしない。話をゆっくりと聞いてくれるだけの存在
どうしようもない不安や苛立ちに襲われた時にふと電話男がいたらなぁと思う。そういう時はとにかく誰かに不安を吐露したいのだ。
友達や家族などに愚痴れば心配をかけてしまったりそれか疎まれてしまう。SNSも同様だ。かといって鍵付きの誰にも見てもらえないところで吐き出しても心は満たされない。あくまで誰かに聞いて欲しいのだ。掲示板だと罵詈雑言はまだいい、反応して貰えなかったりすると心のモヤモヤは収まらないどころか大きくなるばかりだ。カウンセラーのトコに直接相談しに行くのも敷居が高い。その点電話男は気軽だ。リアルの繋がりもないから何を話してもしがらみは出来ないし。しかも電話男はボランティアでなく、確かそれが仕事だからボランティアにかけるよりは気が楽だ。
ええと。カウンセラーか何かに掛かってみたほうがいいかも。君の精神状態が心配だ。少し切り口を変えてみようか。
安倍総理がTWITTERやFACEBOOKを把握してないだけならなぜ、「twitterやfacebookに手数料払ってます。」と言ったのか。
君はなぜだと推測しているの? そして、それを元にどういう風に安倍氏や安倍政権を批判しようとしているの?
TwitterやFacebookのサービスについて間違ったことを述べた、ということから、どのような理路をたどれば何か有効な政治的批判が導けるのか想像が付かないので示して欲しい。
職場のカウンセラーは労働状況に関わるものが担当だと思うので、増田の相談は若干ずれてる気がしないでもないけど相談してみる分にはいいのではないかと
家族の都合で働けないというなら、それはそれで担当内なのかもしれないし
臨床心理士も含め カウンセラーが怪しいというのにわたしも1票
カウンセリングとはこういうもの!という考えが強いのでチームで連携しづらい 患者さんよりもカウンセリング方法論が先行
カウンセリングは長期的かかる8年ぐらいとか 一生涯カウンセリングは必要ですとか
俺の弟の奥さんが、詐欺まがいのカウンセラーに引っかかっている。しかも本人はそのカウンセラーをおかしいなどとは露ほども思っておらず、周囲の人間の助言を一切聞かないのだ。
ここで重要なのは、このカウンセラーのやっていることが明らかな詐欺ではなく『詐欺まがい』であることだ。明らかな詐欺であればさっさとやめさせることが出来るが、詐欺まがいなので余計にこじれている。
奥さんは数年前から職場の人間関係で非常に悩んでいた。そんなときそのカウンセラーを知り「君に決めた!」と言わんばかりの勢いで傾倒していった。
そのカウンセラーの本などの関連グッズを買いあさり、それらがいかに素晴らしいかをハイテンションで語った。また、カウンセリングで「◯◯という呪文を唱えると幸せになれる」と言われたらしくその呪文を暇さえあれば唱えている。
収入に見合わないほどの莫大なお金をつぎ込んでいるのだ。もちろんお金だけではなく多大な時間も費やしている。カウンセリングだけでなくセミナーにも通いつめ、そこで仲間を作った。
奥さんが言うには「救われたいし、幸せになりたいから通っているの。そして誰かを救ってあげたい。自分の道をやっと歩めている気がする」である。
家族に「やめてくれ」と言われてもやめなかった。しかも家族の知らぬ間に知人から金を借り数十万もする『カウンセラー育成コース』にも申し込んだのだ。このコースを受講すればカウンセラーになれるのであり、また、さらに極めればセミナーの開講もできるというもの。ネズミ講と言えなくもない。
本人は「ようやく自分の道を歩めている気がする」と言っているわけだが、何か勘違いをしているのかもしれない。『身近な人に歯向かい、今までの安定した生活から脱却することこそが自分の道を歩むことだ』と勘違いしているのかもしれない。
夫(俺の弟)が「うちは子供が2人いるんだから、現実を見て。自由なお金はそんなにないんだ。スピリチュアルな世界に行ったら一瞬は救われるだろうが、最終的に残るものは更なる絶望的な現実だよ」と言っても聞かなかった。
奥さんは「こうやってあなたに反対されるのも必然。私は乗りこえる」とさえ言った。
知的(っぽく見える)カウンセラーに耽溺することは心踊ることであろう。確かに、巧みな話術でグイグイやってこられたら心が弱った者は引き込まれる。
俺の弟は一度偵察のためにそのセミナーに行ったことがある。弟の話によるとそのカウンセラーはとても強い口調(ほとんど脅すような口調)で語りかけてくるのだという。そして強い口調によって相手を泣かせたら、優しい口調で諭し、道を示すということであった。足を引っ掛けて転ばせてから手を差し伸べる系の、一人二役カウンセラーなのだ。
その巧みな話術は本物であるが、一方で、ある意味では偽物である…ということに奥さんは気づかない。
何かを盲信しすぎて現実が見えなくなった者の目を覚まさせることは不可能なのだろうか。もちろん、どんな宗教やカウンセラーを心の拠り所にしても構わないわけだが、それによって生活に支障をきたし始めたら問題なのだ。
本人が救われるならそれが一番だよね!では済まなくなる。詐欺まがいのカウンセラーから救ってくれるカウンセラーはいないのだろうか。いや、いたとしても、何かに依存し続ける心の癖が本人にあり続ける限り脱却は難しいのかもしれない。
※全てのカウンセラーを否定しているわけではない。まともなカウンセラーだって沢山いる。いや、そもそも『まとも』の定義が曖昧であるが…
当時自分はぼっちだった。いじめではなくただ単にコミュ障極まってどのグループにも入れなかったのが原因だ。
事件は個人面談で起きた。毎学期一回は担任と生徒が一対一で面談をするというものである。
私は英語がクッソ苦手で、その担任も英語の先生だったのでその辺のことが注意されるんだろうなーと思っていた。
めっちゃ焦った。ぼっちが寝てる理由なんて勿論お察しの通りである。しかし先生にそれを説明するのはちょっと…何も言えずに黙っていると先生はどんどん話し続けてきた。「大丈夫?体の具合が悪いの?それとも生活習慣が乱れてるんじゃない?」「ちゃんと起きていないとダメよ」
この台詞から先生はどうやら「ぼっちで気まずいから寝ている」いう理由に気付いていないと分かった。しかし何時その理由に気付いて、そして言及してくるか分かったもんじゃない。そんなことされたら恥ずかしさと情けなさで死ぬ。私は生返事しながら「頼む早くこの面談終わってくれ…」と必死に願い続けていた。もうやめて。自分のライフは0よ。
結局先生の中では「生活習慣が乱れてるから」という理由で完結して気まずい面談は終わった…。
面談終了後、先生は自分がぼっちであることに気付いていない、先生にはぼっちであるから寝ているなんて概念が微塵もない、いやそもそも、いじめもない平和な環境で人間が孤立する状況なんてありえないと思っている…そんなことを思った。
先生にぼっちであることがバレなくて良かったとは心底思っている。しかし当時は心のどこかで、担任の先生にぼっちの心理を理解して貰えない寂しさも感じていた…。自分は先生に何を求めていたのだろうか。
その後自分は先生のいる休み時間は読書して時間を潰すという形で問題解決を図ったのであったー。
因みにそんなぼっちは大学進学後、バイトやサークルでなんとか小さな人間関係をなんとか作れました。
追記 反応ありがとうございます。
Q先生に何を求めていたんですか?
A多分当時は自分がぼっちなことを理解しつつ察してほっといて欲しいという無茶なことを求めていた。…んだとブコメ見て思い返しました。
後ブコメにもあったように確かに教師って大変だから、教師の他にカウンセラーとかいたらいいのかもとも思った。
教師は授業とか学校行事に集中してさ。個人面談なんかも、特に高校のなんか学業部活のことだけ聞いてくれればいいよ。寝てる理由なんて聞かない方がお互い幸せねん。
私が精神状態やばくなって心療内科に予約の伺い電話をしたときは、症状(精神状態含め)を事細かに聞かれて、即予約入れてくれたんだけど・・・。たいていは1ヶ月以上待つのも普通みたいだね。今、患者さんもすごく多いからね・・・。
私のときは、夜はまったく眠れない、食事をすると必ず嘔吐、体重が前1ヶ月で5キロ落ちた、外に出ると動悸・冷や汗・嘔吐、そして希死念慮が強かった。
このくらいひどければ、とりあえず診てくれると思うけど・・・。
ただ、電話で「いっぱいなので予約できません」って言うだけで症状も聞いてくれない医者だったら・・・行かなくて正解かも。
誰しも、そういう気分になるんだろうな。
人に自分の気持ちを話しても否定される感が強くて、何も言えなくなってしまっている。
「人と人とは助け合っている」って言われても、助けられるほどの価値が自分にはあると、思えない。
自分の感情については、傷ついていると言うことを抑圧されて余計に自分でも抑圧するクセが付いている。
心理的な面だけでなくて、スキル的に上手に甘えるというのか、人の同情を誘うような話し方も下手で、
『そういう言い方では、増田さんの気持ちは、相手に(私にも)伝わりませんよ』みたいなことを言われちゃう。
その数ヶ月後のカウンセリングにて『増田さんは、深く傷ついている』とも、言われたりした。
進歩は少しは、しているんだよな。
若い間は、力押しというのか『自分は出来る』とか、言い聞かせてなんとかしたが、
多くの失敗体験や家族の自死によって、それでは、自分を保つことが出来ない感覚だ。
心も身体も、自分のメーターのリミットを超えていたみたいな感覚だ。
メーター自体がないことにして、すり切れた状態で走りきってきた。
根性だけでは、乗り切れないから工夫をする、別の視点を取り入れる
ということに気がつきつつはあるが、何から始めたら良いのか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ、忘れている人もいるが要はシャンプーって頭用の洗剤だからな。
洗剤を使わなくても汚れを落とすことが可能ならば、理屈の上では湯シャンでいいってことになるかもしれないな。
私だって、食器などを洗う時は油汚れがしつこくない限り、台所洗剤はほとんど使わないし。
けれど髪も同じく汚れがきつい場合は、湯だけで洗う場合はかなり念入りに、かつ長時間かけないと綺麗にするのは大変だと思うぞ。
洗剤を使うのがダメなよほどの理由があるならともかく、君個人にとって問題が起きていないなら使えばいいんじゃないか。
シャンプーが何であれ、(髪の量が多い人を除けば)髪を洗う時間は一日にせいぜい数分程度だろ?
まさか、洗い流すのをゾンザイにして、洗剤が頭に残っているとかでもあるまいに。
そりゃあ個人差はあるだろうけれど、しっかり洗い流せばそこまで酷いことになるとは思えないんだが。
当たり前だとしてスルーされているが、頭の洗い方の共通項部分を復習してからでもいいんじゃないだろうか。
シャンプーを何にするかも大事だろうけれど、“画竜点睛”ってやつさ。
……私か?
有り体にいえば君の頭がそれだけ汚れている、或いは髪を洗うときに使っているものが汚れているかだ。
この場合は君の手が汚いってことだな。
......まさか手の洗い方まで教えなきゃいけないのか?
ああ?……さっきの奴か。
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
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同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
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それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
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受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
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高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
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思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
*
その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
*
今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。
以上である。
ちなみに平日10:00-12:40、14:00-16:00まで電話が繋がる。
有給を使って新宿御苑にあるカウンセリングセンターに行くのがいいだろう。
多重債務状態にある人は、この記事を読んだその日か次の日にでも連絡を入れよう。
ざっくり言うと、「任意整理(債権整理)のお手伝いをしますよ」という場所である。
任意整理が可能か判断し、可能であれば実際に交渉のテーブルに付く「弁護士」。
この両名と共にカウンセリングルームで相談し、借金をどうにかしようという場所だ。
多重債務などで任意整理を検討した事がある人なら、これだけで目を疑うだろう。
ピンと来ない人向けに、まずは任意整理の流れについて説明する。
任意整理は、弁護士が各クレジット・ローン会社に「交渉」を提案する。
「必ずこの人に毎月これだけ返済させるので、利息はまけてもらえませんか」と頼み込むのだ。
それをカットしろというのだから、交渉は3ヶ月~6ヶ月にも及ぶことになる。
ポイントとして、この間依頼者は「支払い義務が発生しなくなる」。
借りている身にも関わらず、しばらくの間借金返済を行わなくてよくなるのだ。
で、この間にどこの事務所も「依頼金」「成功報酬金」を積み立て支払いするように言ってくる。
用は、借金を払わないでいい間に弁護士費用を分割支払いするシステムなのだ。
その頃には弁護士費用も支払い終わってるので、あとは自分で頑張って借金返してね。
……というのが通例のシステム。
この、分割で支払う「依頼金」「成功報酬金」を、紹介した協会は「 い り ま せ ん 」と断ってくる。
その間、浮いたお金を貯蓄に回したり、滞納していた公共料金の支払いに使ったり、
家賃の高すぎる家に住んでた人は引越し費用に当てることもできるのだ。
これだけでも、とんでもないメリットと居える。
物凄く乱暴に、ざっくりと言うと、「ヤミ金に手を出して欲しくないから」。
ヤミ金からお金を借りればどうなるかは言うまでもないし、法外な利息が所謂「ヤ」の付く人たちの資金になってしまう。
それを防ぐために、というか防げるというのなら無料で任意整理してやんよ!という趣旨である。
勿論完全なボランティアではなく、きちんと賛助会員が存在する。
そこから援助資金を預かり、そのお金で任意整理の依頼金だとか成功報酬金だとかの分を賄っているのだ。
これはどういうことか。
カンセリングに訪れ、話がまとまり任意整理を行う方針が固まると、協会独自の「家計簿」が渡される。
そしてこれを次回までにしっかり埋めて提出するよう求められるのだ。
これができないと、任意整理は行えない。
これはどうしてか。
任意整理は通常、3~5年かけて返済を行う。
この3~5年の間に「2回」滞納を行うと、どうなるか。
一括請求される。
もう一度言う。
一括請求される。
返済残額が100万だろうが500万だろうが残っていようが、2回滞納した時点で問答無用で一括請求される。
何故そうなるのか。
先ほど弁護士が「交渉」したと言ったが、この「交渉」のルールによるものだ。
「利息をまけて欲しい。3~5年で必ず返済させる。2回滞納したらもう一括請求しちゃっていいよ」
こういう交渉が基本なのだ。
この条件でようやく、「まあ毎月キッチリ払ってくれるのなら…」と交渉に応じてくれる。
ここまでに長くて半年かかるのだから、弁護士さんには頭が上がらない。
さて話を戻そう。
本来であれば、「そもそも何故こんな借金地獄になったのか?」という所から改善していかねばならない。
次のカウンセリング時に、家計簿を見せ、「削れる所」「増やせる所」を見極めていく。
無理のない、かつ質素な生活ができる絶妙な家計簿バランスに修正したあと、また同じように家計簿を渡される。
次回カウンセリング時に改善できているか確認し、出来ていれば更なる改善、そうでなければまた原因追及。
この流れを繰り返して、「毎月確実に返済できる額はいくらか」「そもそも任意整理したとして返済できるのか」
この二つを確認していくのだ。
ペースにして2ヶ月に一度、これが半年ほど続く。
なので、有給を取得しなければならない。2月に1度のペースでだ。
これは結構大きい。会社の人間からも不信がられるだろうし、出世にも影響するかもしれない。
それが嫌なら家計簿管理を自分でなんとかして、有料のア○ィーレ事務所とかに行くといいだろう。
家計簿に直接意見してくれるアドバイザーまで無料で相談にのってくれる。
これほどにない機会をタダで提供してくれている。
有給の取り辛い会社だと厳しいかもしれないが、なんとか頑張って欲しい。
借金の相談はし辛いし、情報が少ない。だからこそ。一人で抱え込むな。
……この協会の存在、初めて知った人も多いのではないだろうか?
それもそのはず、この協会を知ったきっかけの約半数が「消費者金融センターに勧められて」というものだ。
その位この協会の知名度は低い。
というか○○事務所とか○○相談室とかがでしゃばって隠れてしまってる状態だ。
ここに「多重債務者のためのクレジットカウンセリングこの一年間」というPDFがあるが、
4ページ目曰く、この協会の存在をググって見つけ出したのは3割にも満たない。
(http://www.jcco.or.jp/business/publications.html)
これだけで警戒心を抱く人も多いだろう。
が、本当に恐ろしく知名度が低いだけで、昭和62年から存続する組織なので安心して連絡して欲しい。
(私自身、偶然ここを知るまでは遺書の用意をしていた程に追い詰められていた。
こちらで貯金計画も兼ねた「ライフプラン表」というものを頂けるのだが、この時涙腺が緩んでしまった。
「子供」「マイホーム」「老後」。そういう言葉にいちいち涙腺がくすぐられた。
「不思議な感じです、明日のことしか考えられなかったのに」とごまかして笑ってると、
カウンセラーさんも笑って「これからの人生のこと、一緒に考えていきましょうね」と答えてくれた。
泣いた。わんわんと泣いた。