はてなキーワード: ぼくらのとは
昔々のことだが中学生くらいになんとなく樋口有介の小説を読んで好きになった。
しかし本屋でも古本屋でも同じ「ひ」の並びにある東野圭吾とはスペースも注目度も違う
ある時、本屋のPOP商法で樋口作品の一つ「ピース」が飾ってあった割と広い範囲で同様に
展示されてたらしいPOPにはありがちな読んだ後、驚愕の真実に驚くみたいな感じだった
一応ミステリー作家でミステリー小説ではあるが、POPを読んだ時、嘘だと思った。
現に期待はずれだった、大したことないってレビューをよく見たものだ
樋口作品のミステリーでミステリー的なおもしろさなどない、ファンも期待していない(多分本当にそう)
ファンが好きな樋口作品の2作も読めばトリックはともかく犯人は解るくらいテンプレとなっているからだ。
そうじゃなく中々犯人がわからない変化球作品の感想は余計な事をするな、奇をてらうなだ。
樋口作品のテンプレは学生の主人公が殺人事件に関わり、美少女と仲良くなるor
読み返すと恥ずかしくなる事もあるが当時は気障っぽくて好きだった
この2パターンどころか1パターンを会話文のテンポの良さとおもしろさと
風景描写の見事さでどうにかしている、主人公像はいわゆるやれやれ系だ
若い子は興味があれば暇なら読んでみて欲しい。
ぼくらは動物で、身体を重ね合わせたら気持ちよくって楽しいのに、ぼくらの文明はそれを否定していく道を選んだんだね。
このまま行くと男女がプライベートなことを話すのは非常識ってなるんだろうな。
付き合ってもいないのに食事に誘うなんてふざけるな。
効率化とポリティカル・コレクトネスで動物としての接触を捨てて、考えるだけのAIに近づいていくんだね。
ああ、楽しかったな。
飲み会にいた初対面のアラサーちゃんにヨネスケして毛布に包まりながらエッチしたこと。
もうできないんだな。思い出してオナニーするしかできないんだな。
これから生まれてくる子どもたちは性愛の楽しみをまったく知らずに、区役所みたいなセックスしかできないんだな。
マーヴィン・ゲイが歌った性愛の輝きは、静かに消えていくんだな。
あの初対面の女のコと見つめ合ってこれからエッチするかもしれないという火花みたいな日々。
それは過去のものになって、「昔は東京でも天の川が見えたんだよ」というようなセピア色の幻想になっていくんだろう。
【期間限定無料公開】超進化魂ディアボロモン発売記念!「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」(https://youtu.be/DOCXY6PsCVY)
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流れてきたので初めて見た…初視聴の感激(と改めて感じたサマウォへの戸惑い)の感想をあげたい(無料公開:4/16までだってさ)
なんなら、「ほぼほぼ完璧」にまで下げてもいいけどこれにアニメ知ってての思い入れとか時代性への共感とか加えたらもうたまんないんじゃなかろうか
※なお、私は世代的には実はかぶらなくてシリーズも数回しか見たことないんだけれど、基礎知識は知ってます。
※「元はゲーム(およびアニメシリーズ)」「ひとりひとりにパートナーデジモンがいて”進化”で能力アップ」「8人の選ばれし子供が八犬伝みたく象徴を持ってる」「無印アニメシリーズでは子供だけで異世界転生冒険/長々と旅するが現実世界ではひと夏の思い出」…が概要(のはず)
以下所感。
・音楽の演出。クラシックもそうだけど、2戦目で気持ちを入れなおす際の歌入るアレ。2戦目にしてきちんと進化のバンク入れて気持ちのあがる歌を入れて「今回こそは…!」と思わせ…た後で歌がとぎれたり、かと思えばコウシロウ君の行動でいきなり音自体が遠ざかるとこ、好き。そしてすごく自然だと思う。クライマックス以上に演出としては好きな部分かもしれない。もともと細田監督作品の好きな部分としては「見ている瞬間はとても気持ちが持っていかれるし楽しい」って思ってたので改めて納得した。集中力の上げ下げが上手いんだろうなぁ…。
・デジモンって確か対大人・対家族との関係もテーマの中に入ってたと思うんだけど、とりあえずこの映画では「子供の世界」の話なわけで。
それが冒頭から何度も日常に邪魔されること自体も、めちゃくちゃ好きです
これさー、ゲームやっててこれからボス戦!ってところなのにお母さんにごはんよーって呼ばれるアレよアレ…!!!あの温度差!
逆にゲーム側での破壊性が、学校へ通えなくなるぐらい日常側を侵食するわけでもない/しかし世界の危機ではある、というアンバランスなコンパクトさも子供に受け入れやすそうで良い。
・ただし仲間全員の話ではない。なんならデジモンたちの話でもないと思う。
ちょっと寂しく思った部分。ただ「まとまりない」の台詞どおり、例えばミミちゃんとかいたら赤ちゃん敵を攻撃するの阻止されそうな気はするのでまあ尺的に仕方ない。
離れているとはいえ、それぞれの話の進行が時間経過(ミミちゃんは位置感覚)を見せていて不必要とも思わなかったし。
・…「ぼくらの話」ではある。
ずっと他国の子供映してるの好き。画面の前の応援してくれてるキミ!的な感じで。叩きだけでなく応援すらも、時に邪魔になってしまうのも面白い。
…見た直後、「こんな完璧なのに何で焼き直しでサマウォ作ったの?むしろ話破綻したよ?」という疑問と「あーこんな完璧なら”一般”に落とし込みたくなるよね、見てもらいたいよコレわかるわかるー」という共感が同時に沸いた。そしてサマウォでいろいろ腑に落ちなかった部分が解決した。
数字解析ターン(カチャカチャカチャ ッターン! を再びやりたかったんですね分かります)とか
周知の話なのに国単位での大人が描写されない理由(おかげで大学通う他国の小学生やコウシロウ君より、数学天才な高校生主人公の方が無理やりに感じる)とか……
割とショックだったのが、散々言われてた「美談のように描かれてるおばあちゃんの応援は害悪」説が「いやでも作中的には美談だし…」と擁護したい気持ちだったのが揺り動かされたこと。だってこれ描けるなら、応援の声も間違えれば害悪になるって知ってますよね…なにその劣化…。
ウォーゲーム自体にではないけど、細田監督作品の嫌いな部分「見た後に思い返すと何だか引っ掛かりがある」も改めて感じてしまった。
交際3年目。お互い順調で、意思疎通も良好。喧嘩も少なく、妥協ではなく和解ができる関係。婚約もしてるし、結婚に向けての準備も互いに協力できている。
なぜなら、わたしが彼に魅力を見出した部分は、世間ではあまり評価されない部分だからだ。
わたしが良いと思う部分を説明しようにも、うまく説明することができない。もしもうまく説明できたとしても、聞き手がそれに価値があると判断することは少ない。仮にわかりやすく説明できたとしても、そんな関係が愛情や信頼に基づいて成立しうるということを「ありえない」と思い込んでる人からは、愛や信頼以外の要素(詐欺や嘘やお金や寄生など)があると誹られる。
このことについて幾度か彼にも相談したけれど、「ぼくらの関係や僕のことを他の誰かから信じてもらうには、これから20年かけてこの関係を維持しつづけるしかないよ。きっと壊れるという予想を裏切ることでしか、最終的な証明はできない」と諭された。言われてみれば、もっともなことだ。
彼の良いところを知っていてくれる人が20年もの間ずっといない、というのは、あまりに心細い。
例えば綺麗な虹を見ても、月を見ても、花を見ても、それを分かち合いたいと思う人はいるし、分かち合う時、それを良いと受け止めてくれる人と一緒に分かち合うことができれば、その瞬間はとても楽しいものになる。
わたしはそれらを彼と分かち合う瞬間が一番楽しい。だけど、彼とともに彼そのものを分かち合うのは、むずかしい。
彼の良いところや、素敵なところ、思い出に残したいようなエピソード。それらを全て彼とだけ分かち合うには、限界がある。
だけど、彼以外の人は、きっと、そういう良さをわかってくれない。というより、彼の良さはわかりにくく伝わりにくい。伝わりにくいものを解れと願ったって、それは難しいことだ。聞き手は、わたしよりも彼と接した量があまりに少ないのだから。
素敵だと思ったものを分かち合い半分こする相手がみつからないさびしさ。
自分がいいと思ったものを、同じように良いと感じてくれる人が見つからない寂しさ。
野原で摘んだ花を手渡す相手のいない寂しさ。
そう思ったら、泣けてきてしまった。彼の前でわたしは一日じゅう泣いてしまった。
長らく、飢餓感のような「のろけたい」という思いを抱えながらも、無力感や罪悪感からうまくのろけられずにいた自分だけれど、やっと点と点が線で繋がった気分だった。彼はとなりにいたけれど、でも、わたしはきっと寂しかったのだ。彼という素敵なものを一緒に素敵と思ってくれる人を見つけられなくて、心細かったのだ。
それから、ふと、「わかりやすい長所をもつものを好きな人たちはいいな」と、うらやましくなった。
たとえばパートナーの見目かたちの良さや、収入や職業や家柄。たとえば世間で広く知られて高く評価されやすい性質。説明して理解されやすい定型の交流エピソード。
もちろん、パートナーだけじゃない。好きになるコンテンツもそう。アイドルとか、漫画とか、映画とか。
そういうわかりやすいコンテンツ力があれば、同じようにそれを「素敵」と感じる人にも出会えるだろうし、同じように感じる人と、「素敵だよね」と分かち合うこともできる。それはきっと楽しいし、寂しくない。
わたしは彼の素敵なところが好きで一緒にいるから、きっとファンなのだ。だけど、彼のファンはわたしの他に誰もいない。
わかりやすいコンテンツ力は、他者から「いいなあ」って羨ましがられるためのマウンティングとして使われる場合も多々あるかもしれないけれど。でも、「いいなあ」って言ってもらえるってことは、それだけ、他の人にも通じやすい魅力ってことだ。
「それのどこがいいの」と吐き捨てられるより、きっとずっと、心強い。
「のろけたい」という思いは、ひとからもらった素敵な部分を、誰かと分かち合いたいという動機でも発生するんだね。
ずっとずっと、マウンティング目的とか、自分が受けている愛情のアピールとかだと思っていたけれど。そればかりが動機ではないのだね。誰かに肯定してもらうまで、自分が幸せだと認識できない人たちがする行為というわけでもない。
綺麗な虹を見たら、写真におさめて、虹を見て喜んでくれる誰かにおくるみたいに、彼との思い出を語りたくなる。
つまりわたしに必要なのろけの聞き手は、彼とのエピソードを聞いて、彼を良い存在と判断してくれる価値観の持ち主で、そして、彼との幸福なエピソードを聞いて、一緒に喜んで、幸せになってくれるひと、ということかな。
それって、わたししか居ないや。親ですらむり。やっぱりわたしの求めているのはもう一人のわたしでしかない。自分のコピーを求めるなんて、叶わない願いだ。
わたしが抱えるこの方面での寂しさが消えるのが、もう一人のわたしに出会えることならば、それはきっと、今後一生、(もしくは20年後に私たちの関係と幸福を信じてくれる人に巡り合うまで)、きっと解消されることはない。
ながいなあ。20年。
しあわせをのろけたい。とても。のろけたいです。
どうしたらいいんだろう。
面白かったので
自分のkindleライブラリに入ってた3巻以内の漫画を書くよ!
「汚い戦争」の落とし物である「フカシ(不可視)」に汚染された国
を舞台に、
クシナダヒメである咲がヤマタノオロチ相手にやけに観念的に戦うSFアクション?
設定がぶっ飛んでるし絵もすごい。
「蟲師」的な感じ。
近未来を舞台に、小学生たちと宇宙から来た知的生命体がコンタクトして別れるまでを描く。
狭いフレームでごちゃごちゃやってるのがとても小学生っぽくて悲しくもないのに涙がでる。
と見せかけて「黎明」も立派に主要人物だったのでやっぱこのタイトルで正解。
小原愼司が初めてバイオレンスものに取り組んだということだが全然違和感がない。
戦後の雑然とした社会を背景に、日本刀使いの少女のヤクザへの復讐譚。
ネタの転がし具合とうまいオチのつけかた、表情の変化含む漫画のうまさ、などは健在。
高い能力を持つがゆえに気弱になってしまった主人公のラブコメ。
ラブコメにするには題材がヘビーだろと思うが、
意外とするする読める。
難しい題材をポップかつ配慮された上質さに仕上げる手腕は
うまく浄化するには虫の習性を踏まえて自殺志願者の魂を捕まえなければならない。
とひねくれた設定をなんとなくゲーム感覚で描く。
たぶんゲームで言うところのレベルデザイン的な作り方をしているのではないかと思う。
性欲を過度に嫌うhこと針辻がA子の呪いによってみだらな幻覚? を見るようになってしまう。
自己否定で混乱に陥った針辻を秘書(ヒロイン)は待つことにする。
ヒロインの妹の女子高生の霊能力者(盛った設定)と針辻が旅をするのがだいたいの筋。
この作品は感性一発、ついてこれるやつだけついてこいって感じでそれもまたよかった。
落としどころも含めうまいんだよなあ…
絵はそうでもないけど最低限あるし、あだち充の正統後継者と言える。
片田舎の町を舞台に小学生と中学生と大学生と宇宙人がいろいろやる。
ページを上下に分けて同時進行など、漫画技法的な実験をいろいろやっている。
コマ割り、会話の間などには相当なこだわりがあると思われる。
そして連載する力で惨敗する…