はてなキーワード: あがり症とは
鬱やって復職してから、仕事の会議がしんどすぎる。あがって全部終わる。
人が何喋っているかを理解するのが間に合わない、そのまましゃべらないといけなくなった結果、自分が何を喋ってるか分からないまま口だけ動く感じ。
変な汗も止まらなくなって、明らかに異常なのが周囲にバレて、結局だれかにフォローされてしまう始末。
もともとあがり症の自覚があったが、それを事前準備でカバーしていたので対応できていた。
が、鬱で終わった後は、なぜか知らないけど、事前準備が効かなくなった。
何を喋るかが頭にあったとしても、場が始まった途端に頭が真っ白になって何もできなくなる。
鬱やって復職してから、仕事の会議がしんどすぎる。あがって全部終わる。
人が何喋っているかを理解するのが間に合わない、そのまましゃべらないといけなくなった結果、自分が何を喋ってるか分からないまま口だけ動く感じ。
変な汗も止まらなくなって、明らかに異常なのが周囲にバレて、結局だれかにフォローされてしまう始末。
もともとあがり症の自覚があったが、それを事前準備でカバーしていたので対応できていた。
が、鬱で終わった後は、なぜか知らないけど、事前準備が効かなくなった。
何を喋るかが頭にあったとしても、場が始まった途端に頭が真っ白になって何もできなくなる。
上手く話しをしろ発表しろ意見を言えという風潮の中、ストレスで吃音が出てきてしまった。
思い起こせば3年入院した後に大学出てすぐも環境の変化で吃音が出ていた。
私の吃音はストレス下で発動するものだから大学生活も1年経つ頃にはすっかり収まっていた。
あがり症で人前が苦手なことは相変わらずだったが何とか過ごしていた。
でも、また人と話すことにストレスを感じ始めているのか
上手く言葉が出てこず変な汗が出るようになり自分の発言の正しさばかりが気になるようになってしまっている。
良くないかもしれない、でもせっかく中小企業から大手メーカーに転職したんだからという思いも消えない。
以前のように慣れたらいけるのか、なまじ中途社員なせいでここまで能力が低いだろうとあきれられてるだろうという
感覚もこうきついんだろうな。
コミュ障であがり症だからすごい緊張しちゃってもう最初の自己紹介から全然話せなかったんだけど
俺がえー、とかえっと、とか言って黙ってるときにすごい真面目に画面見て「うんうん、それで?」みたいな顔してくれる人がいてさ
何言うか思いついて話し始めたら今度はちょっとオーバー気味にうんうん頷いてくれてさ 俺が喋ってる間ずっと
その人は他の学生が話しているときも同じようにリアクションしてたんだけど
面接官が反応薄めの人だったから、その人が反応してくれるとすごい安心してさ 途中からは話しやすかったな
まあ勿論そういう人って頭もいいから俺の10倍、いや100倍ぐらい上手に受け答えしてたんだけどな
あー絶対この人は通過するじゃんって思った
で、どうせ俺は落ちてるだろうなって思ってたら夜に通過連絡来てさ
あの人のおかげだなーって思ったよ、いやマジで
人前で発表するときなど,過緊張(あがり症)で声の震えや,楽器の演奏がうまくできないことがあります。抗不安薬ではパフォーマンスが落ちるので過緊張の原因となる交感神経を抑えるβ遮断薬(プロプラノロールなど)を使うのは効果的でしょうか。
臨床場面では,人前で発表するときなどの過緊張(あがり症)に対してβ遮断薬が使用されていることがあると思われます。
(中略)
残念ながら社交不安症に対するβ遮断薬のエビデンスは乏しいのが現状です。
【回答者】
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=13169
社交不安症であれば、まずはメンタルクリニックでエビデンスに基づいた治療を受けるべきで、オンライン診療でエビデンスに基づかない薬物療法を行うのはお勧めしない。
大勢の前で話す時に緊張して声が震えてしまうという悩みがある。これのせいでたくさん恥ずかしい思いをしてきたし、パフォーマンスが出せず評価を失ってきたし、最近はこれのせいでこの先のキャリアを諦めようとも考えだしていた。
それを最近インデラルという薬で克服することができた。
本当に感動したし今後の人生プランが明るい方に行きそうな気がしている。本当に助かった。。。。。!!!!
インデラルは単純に言えば血圧を下げる薬だけど、血圧つまりドキドキを抑える薬なのであがり症にも効く。
なぜインデラルを処方してもらうになったかは、数ヶ月前に「結局脳も臓器だから気持ちや性格なども薬でどうにかできる」みたいな内容の増田を読んでからだ。
その増田ではいままで自分の性格だと割り切ってた良くないところが薬でよくなったという内容だったはず(探してみたけどもう見つけられなかった…)
若い頃は大勢の前で話す機会は多くなかったのでなんとかなったが、最近はもうだいぶ管理職みたいな感じにもなり、大勢の前で代表して話すみたいな機会が多くなった。
しかも話す相手は数十人だったり、その日初めて会うお客さんだったりと、緊張しやすいシチュエーションばかり。
声が震えてしまったその瞬間もそうだけど、後からもその時のことを思い出して苦しむ。いい年なのに恥ずかしい。みんな笑えるとかよりも可哀想と思ったんだろうなとか。
シャワー中とか寝る前にフラッシュバックしては死にたい気持ちになった。
これはしかも準備ができてないから緊張するのではなく、私の場合は準備すればするほど「準備したのに」というプレッシャーを感じで緊張してしまう。
カンペを用意してそれを一字一句読むだけならいけるのでは、と思ったけどダメだった。
コロナ後テレワークできるようになってからはオンライン会議が主流になったので、酔った状態でやれば緊張しないのではと会議の前に強いお酒を一気に飲んだりもした。だめだった。普通に緊張したし、会議後に気持ち悪くなって最悪だった。
もうこの仕事辞めようかな。みんなの前でスラスラ話せたら可能性は無限に広がる。けどそれができない。頑張ってるのに。むしろ頑張りに比例して緊張は膨らみ声は震える。
そして数ヶ月前、件の増田を読んで本当にハッとした。
自分のこれもれっきとした「症状」であり、であればこれを治す薬があるのでは。
なぜ今まで薬に頼らなかったのかとも思った。
呼吸法とか話し方によっては改善できるみたいなのは「声が震える 対処法」みたいな検索でたどり着いたけど、薬で解決するは考えたことも検索結果に出てきたこともなかった。
増田を読んでから「声が震える 薬」みたいな感じで検索して、インデラルという薬があがり症の対処に使われていることを知った。
薬の口コミをみると(昔は個人輸入で簡単に手に入ったけど、いまは病院でしか処方してもらえない)自分と同じような人たちが同じ症状を克服していた。
早速オンライン診察してくれるところでインデラルを処方してもらった。
オンラインで診察してくれた先生にインデラルを飲みたい理由を話すときに「これのせいでキャリアも諦めようと思ってた」と話したら自然に涙が出てきた。
諦める必要はないですよ、って先生が言ってくれてさらに涙がでた。
つらかったんだなー。
会議が始まると、緊張してる感覚はあるけど、心拍数はあがらない(Apple Watchで都度確認してた)。そして緊張なく声は震えることなく上手く話せた…!
心臓がドキドキしないと緊張は薄れていくことが体感でわかった。
緊張のスタートは気持ち(脳?精神?)だけど、それによって心拍が早くなって、緊張が加速•持続するんだね。
結局緊張も身体の反射なんだなーと。
なのでそこの心拍数があがるのを薬で止めると緊張がなくなると。
同じこと悩んでる人、思い詰めてる人がいたら薬でどうにかできることを知って欲しい。
処方してくれた先生が言うには、薬で成功体験をたくさん作れば、そのうち薬がなくても緊張しなくなる、とのことだったので、自分もそこを目指してる。
パニック障害というのは強いストレスにさらされた時に激しい動悸、息切れでうずくまってしまうとかであって
ワーッ!!とパニックを起こすことではないんだよな?
じゃあセルフレジや券売機の使い方が分からなくてどうしよう!どうしよう!って大慌てでキャンセルして
店の隅っこに移動してスマホで入念に調べてからもう一回並んだり
店員に話しかけられても「え、え、えっ、わ、わ、わっ、わからなっ、わからなくてっ!」「も、も、も、もういいのでっ!」って精算前の商品を押し付けて泣きながら走って帰るとか
そういう風にパニックを起こしてしまうことって名称化されてるんだろうか
「癇癪」だと怒りの感情がメインでなんか違うんだよな
(追記)
あがり症、近いけど例えば全校生徒の前で国語の教科書を朗読するとかは逆に平気なんだよなー
社交不安障害とは、人に注目されることや人前で恥ずかしい思いをすることが怖くなって、人との会話や大勢の人が集まる場に強い苦痛を感じる不安障害の一種です。
人前で緊張しやすい性格の方は多くいますが、その苦痛が強く生活にも支障が及んでいる場合は、社交不安障害の症状の可能性が考えられます。
社交不安障害の方は、自分でも「そこまで恐怖を感じるのはおかしい」と思っていても、その気持ちを抑えることが難しくなります。そして、恐怖や不安を避けたいという動機から、外出や人と会うことを避けるようになったりします。
「あがり症」や「赤面症」「対人恐怖症」などの言葉は聞きなじみがあるかと思いますが、これらも、場合によっては社交不安障害の症状に含まれることがあります。
学生の頃は人前で話すことが死ぬほど苦手だった。手は震える、吃る、頭が真っ白になる。完全にあがり症の人間だったし、日常でも人が大勢いるような場所は緊張して近づけなかった。たぶん、軽く社交不安障害の傾向があったんだと思う。
そんで、社会人になって当然人前に出るようなことはあまり上手くはできないだろうなと自分で思ってたけど、これが全く違った。どんなに大勢が出席する会議だろうが、まったく緊張せずに話せる。電話対応やら顧客対応はめちゃくちゃ得意で、いくらでもスラスラと談笑できる。上司からも肝が据わってると褒められる。自分でも俺こんなにできる人間だったのかと驚いた。
多分だけど、俺は仕事という役割を与えられることで普段の自分とは別の人間として振る舞うことができてるんじゃないのかと思う。そして、悲しいかなプライベートでは相変わらず引っ込み思案のままだ。普段の生活でも、何かしらの役割を演じてると思えば良いのかもしれんけど、そうそう上手くはいかないわなあ。
極度のあがり症で人見知り、重度の妄想癖をもつ、リアルでは陰キャだけどネットではそこそこフォロワーいる内弁慶で承認欲求強めな女の物語って、今まで作品化されてなかったのが不思議なくらいリアリティのある世界観なわけで。
男の趣味を女にやらせるタイプのアニメとは似てるようでちょっと違うんよね。
ストーリーや設定が時流に乗っててリアリティ高めなのが面白さの主要因ではあるんだが、他にも作画が安定して綺麗だったり、演奏シーンに力入ってたり、かなり自由度の高いギャグ演出だったり、基本プロットが王道の成長物語だったりと、基本を抑えつつ斬新さもあったりして、絶賛されても不思議じゃないアニメだとは思うよ。
http://zip2000.server-shared.com/mahatma-gandhi.htm
「インド南西部の大都市ボンベイで弁護士事務所を開設した彼は、さっそく法廷での弁護依頼を受けます。ところが、法廷に立ってすぐに彼にはこの仕事がむいていないことが明らかになりました。性格的に優しすぎて他人を傷つけることができない彼は、もともとあがり症も手伝って、法廷で相手を非難したり、攻撃したりすることができなかったのです。なんと彼は依頼者に代わりの弁護士を紹介してその場を逃げ出してしまいました。(イギリスで勉強中に、自分に適していないと気づく機会がなかったのでしょうか?不思議です)」
このように、ガンディーは相当な陰キャで人前で話す事が苦手だったらしい
だから子供の性格が十中八九親からの遺伝で決まり、陰キャになるのが事実だったとしても
と言っても1つのグループしか推したことはなく、それも片手で数えられる程の年数だ。
その約半分はコロナでイベントはあまり開催されず、配信やSNSで繋がりを持つくらいだった。
地域の発展や情報発信をメインに活動してはいるが、メジャーデビューもしていて全国各地にライブをしに行くこともあった。
グループの活動拠点と私の住んでいる地域は少し距離があったが、それなりに赴いてくれていたしこちらが遠征することももちろんあった。
グループとの出会いは元々そのグループのオタクだった友人に影響されてのものだ。
大きめのライブハウスでライブがあり、チケットが余っているから来ないかと誘われた。
その随分前から友人には散々グループの話を聞かされていて、一度だけなら行ってみてもいいかとこちらが折れた形だ。
あの時の衝撃は忘れられない。あんなにキラキラ輝く空間がこの世界に存在するのだと、しかしそんな空間は何故これほど小さな場所にしか広がっていないのだと、大きなギャップを感じたことを鮮明に覚えている。
コロナが流行し始めてすぐ、2020年中頃。メンバーが1人脱退した。
オタクたちは納得していた。そのメンバーはコンセプトのはっきりとしたグループでははみ出るほどの個性を持っていた。
その年の瀬、また1人メンバーが脱退した。“体調不良”になる前のメンバーは歌唱中も暗い表情で、明らかに今までの精神状態ではなかった。オタクはあの時も納得していたと思う。
人生で様々な変化が起こるはずの年頃であるメンバーたちと、コロナで空いたスケジュール。ニュースでも頻繁に人々の慢性的なストレスが取り上げられていた頃。
辞めた理由とされる“不祥事”は、正直一般人ならば何も問題にならないものだった。
私がアイドルオタクになったきっかけの友人の推しと、私の推しは未だ精力的に活動していた。
新曲も出た。イベントも制限がある中ではあるが出来るようになった。個人の大きな仕事も決まった。
私は納得していた。むしろ1人抜けた瞬間からそれを願っていたように思う。
解散が発表されてから、推しを好きだった気持ちをひたすら振り返る。
そもそも発表される3ヶ月ほど前に、推しのある発言が受け入れられず完全に距離を置いていた。
降りる理由としては小さいがどうしても譲れないものがあり、然して以前から心は離れかけていて、その発言がトドメとなった。
ただ1つの発言は受け入れられなかったが、それまで好きだった気持ちだけは今でも大切にしている。
私は推しの痛ましいほど真面目なところが好きだった。グループでは年が上なこともあり、リーダーではないが責任感は強い方だったように見えた。
そんな真面目で頑固なところが時に仇になることもある。そんなところも好きだった。まるで自分を見ているみたいだと思っていた。
他人を律するということは、自分自身の首を絞めることになる。真面目で何事にも手が抜けない、息苦しさと共に生きているところに共感のようなものをしていた。
このグループにはメンバーと接触できる機会があり、ツーショットが撮れたり会話したりすることが出来た。
私はその瞬間の推しだけは苦手だった。こんな人間に嘘でも好きなんて言うのはやめてほしかった。
私は人に好意を向けられるのが苦手だ。
人と会話するのも苦手で緊張する。ほとんどあがり症に近い人間だ。それで人自体を嫌いになれればよかったのだが、どうしても人を嫌いになれない。
誰かに好意を向けられていると知ったとき、背筋が凍って、消えてしまいたくなる。やめてくれと思う。好意に応えろと脅されている気がして怖くなる。
アイドルとは商売で、金銭のやり取りがなければ関係は成り立たない。
それが、私には大層心地よかった。アイドルとオタクという距離に安心感を覚えていた。
推しを好きだという気持ちは私だけのものだという強い意思もあり、好きなときに好きなようにイベントへ行った。
1人また1人と辞めていったとき、推しを愛する人が消えてしまったと感じた。
私は人を愛し愛される推しが好きだった。グループ自体が大好きだった。
ライブの高揚感が忘れられない。
屋外で悪天候の中でも、ハードなスケジュールの中でも、どれだけステージが簡素な作りでも、どんな時でも楽しいライブだった。
雨も雪も風も何もかもライブを盛り上げる1つの要素に過ぎなかった。輝いていた。奇跡だった。
楽しかった。ただただそれがいけなかった。
楽しすぎることは危険だった。それを失って空いた穴を、私はどう塞げばいいのかわからない。
私は自己肯定感が低い自覚がある。飽き性でもあるし、すぐ何かを嫌いになるまで好きになってしまう。
だから好きになりすぎないよう自制しているところもあった。
けれど、失われると確定した途端、自制なんてもの出来ていなかったんだと気付いた。自分の意識の外で依存心は音もなく膨れ上がっていた。
たくさん考えた。自分がグループ、推しのどんなところが好きで、どうして好きでいられなくなってしまったか。
先に退いたのは自分で、私の心が離れてから解散は発表されたのに、どうしてこんなにも喪失感に苛まれるのか。
自分を好きでいられない時、推しの姿を見ることでまだ自分自身も好きでいられるのだと錯覚出来た。
結局は自分も愛されたかったのかもしれない。少なくとも、人の温もりを感じていたかったのかもしれない。
何かに依存するのは恐ろしい。その対象が人間であればなお恐ろしい。
グループが解散し推しが表舞台から消え、私の視界にアイドルとしての推しがいなくなったら、上辺の私もいなくなってしまうんだろうか。
また何かに愛されたいのか愛したいのかわからない日常を、たぶん平気で生きていくんだろう。
もう少し距離の近い形式で、ネット上で、はたまた“救い”を伝導するか。そういう世界だ。
推しは「これ以上グループが変わっていくなら今のままで終わらせたい」と言った。私もそう思っていた。
推しを鏡として見ていた私は、もう二度と推しは表舞台に帰ってこないんじゃないかと感じてしまった。
私は推しを鏡として見るのを辞める。
そもそも今も昔も推しは鏡なんかではなく人間だった、きっと。もしくはこれから人間になるのだろう。
感情を強く揺さぶられた瞬間たちと、それさえ無下にしてしまう自分の愚かさが、あの日々を青春だったと証明している。
オタクとして生活している中で、口にすることが出来ない言葉があった。
終わるとわかっている今だから言える。
グループが解散しても、私の中で彼らは永遠に、ずっと、私が死ぬまで1番であり続ける。
思わず推しのメンバーカラーの物を手に取ってしまうだろうし、数年前の今日は楽しかったと懐古してしまう。
眠れない布団の中に入ったら、またあの高揚感を思い出す。
もう二度と彼らが全員揃い歌って踊る姿が見られないことが悔やまれる。
彼らにしか出来ないパフォーマンスがあった。彼らと私たちにしか生み出せない空間があった。
参戦したライブすべてが楽しかったこと、推しを好きだと思ったときに好きだと伝えてきたこと、それらが心底憎くてそれだけが救いだ。
整理番号を取るために始発で現場に向かい何時間も列をなしたことも、両手にいっぱいのCDを提げ電車で帰ったことも、緊張して推しと上手く話せなかったことも、すべてつらかったけれどそれ以上に楽しかった。幸せだった。生きててよかったとすら思えた。
「縦スクロール漫画が世界標準だ」とか「日本は世界の潮流に乗り遅れている」とか、ワーワー言ってる奴がいるけど、一言いいたいことがあるんだよね。
それは……
「まんがタイムきららでも読みな。飛ぶぞ。」
きららには、紙の本もあるし、電子で読めるサイトはいくらでもあるけど、ニコニコ漫画の『きららベース』だと4コマを1列で縦読みができるから一番おすすめできる。
まんがタイムきららに限らず、4コマ漫画専門誌の掲載漫画は縦読みである。扉絵以外のページでは2列の4コマが縦に並ぶ。これは基礎知識だ。
今季で話題になっているアニメといえば『まちカドまぞく』を思い浮かべる人がたくさんいると思う。
あの作品は濃厚な設定と印象深いキャッチーな台詞が多いだけでなく、伏線の管理もしっかりしている。まさに4コマの限界に挑んだ意欲作と言える。
それに対して、ここ3、4年のきららは4コマ漫画の限界を認めているような作品が見られる。
というのも、タテに4コマ並ぶ4コマ漫画の体裁をあえて破っているのだ。4コマの枠から飛び出しているのはもちろん、ストーリー漫画のコマ割りのようになっているものもある。
これからアニメが放送される『ぼっち・ざ・ろっく』がいちばん有名な該当作品だ。
他にも『しあわせ鳥見んぐ』『妖こそ怪異戸籍課へ』『それでは、ステキなセッションを。』が挙げられるけど、個人的に最もおすすめできる漫画は『星屑テレパス』だ。
『星屑テレパス』はまんがタイムきらら(本誌)で掲載されている4コマ漫画だ。
簡単なあらすじを言うと、極度のあがり症で地球で友達をつくることを諦めた女の子の海果が、自称宇宙人の少女・ユウに出会う話。
ユウはおでこをくっつけてテレパシーが意思疎通をする「おでこぱしー」という能力がある。
きららといえば、ほのぼのとした日常系を思い浮かべるが、この作品はそうではない。
基本的にかわいくてほのぼのしているけど、シリアスな一面も強い作風だ。
そんな『星屑テレパス』は、将来的にあらゆる縦読み漫画の基礎になりうる存在だと思う。
なぜなら、縦読みから逃げてないからだ。横に広げたり、ストーリー漫画のコマ割りに変わったりするものがあるが、この作品にはそれがない。
この作品を丁寧に読んで、コマ割りを考察していけば、縦読み漫画や縦スクロール漫画の作り方が分かるはずだ。
実際にコマ割りについて語る記事もあるぐらいだし。「星屑テレパス コマ割り」とGoogle検索すれば1番目に出てくる。
個人的に感想を端的言うと、「まんがタイムきららにシリアスは邪道」と思っていた自分を変えてくれた作品。
単行本2巻の中盤で深刻なシリアスがあるけど、それをどうやって解決するのかが気になった。それぐらい海果たちに対する信頼があった。
3巻が発売される頃にはどうなるか楽しみだ。
今のまんがタイムきららは4コマ漫画の限界を認めた上で何かを模索しようと感じている。
それに対する答えは、ウェブトゥーンのような縦スクロール漫画ではないかと思う。
しかも、ウェブトゥーンや『タテの国』は単行本化でマネタイズが困難だと言われているが、まんがタイムきららは縦読み漫画のままで単行本化されている。そもそも、きららの漫画は雑誌で掲載されることが前提条件だ。
俺は昔すごく滑舌が悪かった。
あがり症、早口、小声、発声方法が良くない、吃り、と滑舌悪いやつの特徴コンプリートみたいな話し方だった。
発声方法の悪さだけは今でも残っているが、それ以外は矯正出来た。
そして人付き合いにおいて、昔に比べて聞き返されることはまずなくなったし、接客業につけている。
最近はYouTubeで実況とかをやっている。自分で見直してもまぁ特別聞き取りにくいとかもない。
だが、滑舌の悪い自分がいつまでも自己評価としてあり続ける。たまに聞き返されたり聞き違いが起きたりすると「俺滑舌悪いからごめんね」と反射的に言ってしまう。昔からの知り合いはまだしも、最近知り合った人からは「どこがだよ!」とツッコミを受ける。
そして、ネットやってても「早口で喋ってそう」という書き込みが効く。リアルではむしろ「ゆっくり丁寧に話す」と褒められるのに。
タイトル通り。別に連絡取り合う友達もいないし、しがらみもないので特定覚悟で語る。もし同級生がこれ見て「あいつか」ってなったら笑ってくれ。
まあ親ガチャは良かった。祖父は東大卒の医学者で都内や千葉の独法系病院で勤務していた。父は東大経済卒で日銀の職員。母は西宮の女子大を出てお見合いで父と結婚した薬剤師。ただ学歴とかそれ以上に家族はみんな優しかった。てか今も優しい。きっと父が普通のサラリーマンでも幸せだったと思う。あと妹が一人いる。
目白台にある女子大附属の幼稚園、川崎にある私立小学校、西日暮里の男子中高一貫校を経て東大に入った。ここまで苦労はない。勉強は塾や親の言うことを程々に聞いておけば間に合った。部活も楽しかったし友達もたくさんいた。男子校出身だったが、中3から幼稚園のときの幼馴染と付き合い始めていた。
ただ高校から予兆はあった。高入生で学年人数が増えたあたりから人前でスピーチをしたり移動教室の時、動悸がやばかった。緊張とかあがり症のレベルではなかったと思う。友達から顔青いけど大丈夫か、とか言われてたし。それでも中高は乗り切り、大学に行った頃からおかしくなった。まず階段教室の授業が怖い。うちの高校からは大量に東大に進んだため友人はたくさんいたが、毎回常に友人とかたまって授業に行くわけじゃない。授業が始まれば怖くなくなるんだけど、授業前や授業後のザワザワとした空間が怖くて、そこに一人でいることがパニックになる。だんだんひどくなり、ついに門をくぐるどころか電車も無理になった。それで大学2年にして子ども部屋で引きこもりスタート。単位など取れるはずなく進振りの希望すら出してなかった。両親や妹はガミガミと怒るでもなく、極度に不安視するわけでもなくそっとしておいてくれていたしそれがありがたかった。同級生は心配して連絡をくれたが、無視するうちに来なくなった。彼女にはスマホで一方的に別れたいと言った。親同士も知り合いなので、幼馴染とそのお母さんがとても心配してくれたが顔を合わせたくなかった。
それから一年間引きこもって、コンビニとかは行けるようになった。大学に連絡を取り事務所で今後のことを話し合った。話し合ったというか、ほとんど大学に出てなかった俺がこれから授業や単位をどのように取得していくかというシステムの淡々とした説明。恥ずかしながらこの頃はまだ一人では行けず母に着いてきてもらった。そこからゆっくりではあるが、ようやく大学に復帰し単位をスローペースで取った。一人で電車通学も可能になった。倍率が低く小人数の駒場の学科に進んだため本郷に行くことはなかった。てか行けなかっただろうし。研究室の教授や年下の同期は本当にいい人たちだった。そのおかげで同級生より3年遅れで卒業することができた。
大学を卒業するのが精一杯で働ける気もしなかったため就活はしなかった。大学を卒業後は小さな頃から顔見知りの近所のおばさんが自宅でやってる公文教室で採点、小学生高学年や中学生に英語や算数を教えたりというバイトしている。おばさんの人柄のおかげで居心地が良い。給料は月4万円。半分は親に渡し、もう半分は使うわけでもないため通帳に入れている。
20代の期間も残す所わずかだが、この生活が変わる様子はないし、正直変える気もない。世間一般から見たら失敗人生だろう。最近親ガチャだの反出生だのとよく聞くので、親ガチャで当たりを引いた人間でもこうなるという例を紹介しようと思い自分語りをさせてもらった。