はてなキーワード: 街路樹とは
最近は横暴な自転車に対する風当たりも強いし、生真面目な性格なのもあって、わたしはなるべく道交法や市の道路交通規則を守るように意識しています。
ただ、ちゃんとしたルールがまぁ一般にことごとく浸透してなかったり、守らない人が多数派になっているのが現状で、法律上正しい運転をしていると却って危ない目にあったりすることも多いです。
なので法律上正しい動きをしている「まともな自転車の動き」の中でも、特に知られていなさそうなことをざっくりとまとめてみました。
少しでも多くのドライバーさんが「そういう動きをする自転車がいる(本当はそれが多数派になるべきなのでしょうが…)」ということを気にかけてもらえたらと願っています。
※「信号を守る」とか「一時停止で止まる」とか見て当然、当たり前に分かるのようなものは省きます。
信号のない横断歩道についての停車条件は自動車と同じで、明らかに人がいない限りは減速しますし、横断しようとする人がいる場合は停止します。
わたしはふだん車道の左端を走っているので、自転車が変なところで急に止まったと思ってクラクション鳴らしながら右脇を追い抜いていく車が多いですが、
安心して渡ろうとした歩行者と接触する可能性がありますし、そもそも横断歩道前で停止している車両(自転車含む)を抜く際は一時停止する必要があります。
これはちょくちょくネットでも話題になっているのでご存知の方も多いと思います。
二段階右折するような自転車乗りは大体ちゃんと手信号を出すので、右折指示を出していたら「渡った先で止まるんだな」くらいで考えてもらえば大丈夫だと思います。
よく危険を感じるのは丁字路で「丁」の横線部から縦線部に曲がるときでしょうか。
十字路と違って待機時に退避する先がないので、後続車両との間隔と速度、手信号を理解していそうかを加味して、危険そうであれば丁字路に入る前くらいから十分に時間をかけて減速するようにしています。
また、道路の左端は信号待ちの間に自動車をすり抜けで追い抜こうとするバイクに突っ込んでくる場所でもあります。
(実際に何度か突っ込まれかけた)
横断歩道とよく一緒に設置されている自転車横断帯が交差点の付近にある場合は、そこを通るようにして交差点を直進します。
大概の自転車横断帯は少し交差点を曲がった部分に設置されているので、自動車から見れば「自転車が一瞬左に曲がったかと思ったら急に道路を横断しだした」ように見える動きになります。
わたし自身は左折する際は左折の手信号を出すようにして、なるべく直進なのか左折なのかを区別できるようにはしていますが、それでも自分が(横断帯に向かうため)左折しているところを後続の自動車が交差点内で追い越そうとしてきて、横断時に横から接触されたことが何度かあります。
そしていずれのドライバーの方も、「左折だと思っていて、急に直進するとは思わなかった」と仰っていました。
自転車は原則として最も左端のレーンを走る規定があり、レーンごとの進行表示(左折、直進など)の影響を受けません。
そのため、左折する場合、直進する場合、(二段階)右折のために直進する場合、すべて左端のレーンを走ります。
組み合わさると厄介なのが、歩道橋のある大型交差点に見られる「左折のみ信号なし交差点」や、赤信号の左折青矢印です。
自転車が走っている左端のレーンはおおむね自動車の左折レーンであることが多く、「直進したいが赤信号に従って停止する自転車」と「停止せずそのまま交差点を左折したい自動車」が同じレーンに同時に存在することになります。
わたしはなるべく路肩に寄って、後続の左折車が通れるスペースを空けるようにして停車しますが、そもそも自転車が停止することを予期していない自動車も多く、クラクションを鳴らされたり、怒ったように急加速していくのをよく見かけます。
車道を走っている自転車は基本的には車道の信号に従いますが、歩道に設置された信号に「歩行者自転車専用」の表示があるときだけ歩道のほうの信号に従います。
歩車分離信号だったり、歩道と車道の青→赤のタイムラグが大きいと、こちらも交差点で停止する自転車と、交差点を通過したい自動車の衝突するリスクがあります。
ただ、このルールはそれだけではなく「歩行者自転車専用」の表示が見にくいという致命的な欠陥があります。
多くの交差点の歩行者信号は交差点の奥まったところに配置されていて、見通しの悪い交差点は停止線近くまで来てはじめて「歩行者自転車専用」の表示が見えるようなケース、交差点の手前側角の街路樹で表示が死角になるケースなども頻繁にありますし、そもそも夜間はほぼ見えないことも多いです。
そのため普段走りなれている道ならともかく、知らない道では青信号であっても交差点手前で減速せざるを得ませんし、そのうえで停止することもあります。
代表的な「自転車の分かりにくい/ドライバーに勘違いされやすそうな動き」を紹介してみました。
ただ、だからといって「ドライバーは全員自転車に気を遣え」というつもりは毛頭ありません。
こういったイレギュラーな判断も正確に迅速に行えるような自動運転が普及してくれるのが一番の理想ではありますが、さすがにそれが実現するのはまだまだ先の話として、どちらかというと、正しい動きをする自転車乗りが増え、自然とドライバーがそれを目にして、「自転車はああいう動きをするのだな」と普通に判断できるようになるのが順序としては正しいのでしょう。
なんかこの時期になると
街路樹を剪定するチェーンソーの音がなんとも田舎を思い出すわ。
干し草と言ったら上等すぎるけど
あのさ、
旅先で出会った行きずりの人と
連絡先交換しても
結局何したら良いのか分からないまま連絡しないのよね。
私のワールドは広がらないわ。
どうりで。
たまに観光客道に迷った人案内するんだけど、
ぜんぜんしゃべれないけど何とか案内できたわ。
うまくホテルに着いたと思う。
で5分ぐらい歩いてたから
意気投合して話したのね。
連絡先交換したけどそれっきりよ。
そんなもんよ。
まあ雪釣りの人だもんね。
うふふ。
少しでも柑橘成分を混ぜたら
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
その日も脳内の海で女は揺れていた。
女の相手があの軽薄そうな老人だと知った折には面食らっていた。
まるで概念が弄ばれているようだ。松明の火だけの薄明かりのさなか、老人は女を自在に操りつづけるがごとく…
ビューーーンっ!
大の字で自分の部屋のベッドに仰向いていた。
きらびやかな光たちが象る星々の海の下、彫りの深い男たちも彫りの浅い女たちも変わることなく営んでいる。
私が白雪に護られた宮に休んでいるといつのまにか彼は来ていた。
逃げても逃げても松明は私を追って来た。
私の部屋にあぶり巻かれ、またあぶり巻かれ、いつのまにか背をとられ2つの物を鷲掴まれていた。
そうやって僕はまるでー彼女の店に来ていた。犯してしまった罪の赦しを得るためのようにして。
\
女はカーテンを開ける。森林のような街路樹たちの群れ。踵をかえす。なごり惜しげに揺れる髪ー伏し目がちの瞳、せみの鳴き声を意識することはなかった。
街路樹を歩いてふと気が付いた。あれ、俺このままヤれないんじゃね?この疑問はもうどうしようもなかった。なにぶん顔は斜めにひん曲がっており、とてもじゃないが女性とは付き合っても願ってはいけないような顔だったからである。家に帰ってやることは、いささか不気味だったため人には言えないがこのままでは、とふと思った。この世は最初に配られた手札で勝負事をしなければいけなのだがあまりにも窮屈だった。だが一見何もないようなものに見えてかすかに透けて見えるものがある。俺はそのままほおっておくものなのかなと世間の意味のない愚問に問いかけなかった。これがいけなかった。どうやらここはそういう世界だったんだ。俺はひとまず様子を見ることにした。
コン、コンコン
コロコロ…
コンッ
コロコロコロ…
久しぶりに、「石を蹴りながら家まで帰れるか」という挑戦を、23歳の男が挑戦していた。彼はそこそこ貧乏な地方で、生まれ、東京の院に出て、バイトの帰りだった。
研究ばかりで滅多に着ないスーツに袖を通し、ネクタイが首元を締め付ける。
少し気持ちがこそばゆい。まるでコスプレをしているかのような、そんな恥ずかしさ。
ちょっと格好をつけたくて2年前に買った、15万円の高級ブランドのバッグを振り回す。
価値を振り回す。
なんとなく、高い服を持っていると、少し強くなれた気がして、高い物を良く買った。
けれど、そんなカバンの値段も、もうとっくにどうても良くなってしまっていて。
生活からは、逃げられない。愛用していたリュックがほつれてから、あたらしいリュックを買うのが面倒になって、業務スーパーで買った87円のカップラーメンが、高級ブランドに詰め込まれていた。
夏休み前の終業式の日と同じように。
コンッ
コロコロコロ…
コンッ
コロコロコロ…
大きく石を蹴り上げる。
ガッ
ザザザーッ!
茂みに、石が迷い込む。
どこだどこだ。と、必死に石を探す。
一瞬頭によぎるが、どうでもいい。
また汚れる。せっかく昨日洗濯したのに。
また、別の石をみつけて、蹴って帰ればいい。
でも、「あの石」じゃなきゃ、だめなんだ。
「あの石」じゃ、なきゃ。だめなんだ。
「ワンッ!」
後ろで犬が吼えた。
振り返ると、やけに足の長い犬。ドーベルマンか何かだろうか。
犬を連れている、品の良さそうな婦人が怪訝な目をして俺を見る。
地方都市の自分の家のまわりでは、当時ダックスフンドが流行っていたこともあり、足の短い犬が多かった。
高級住宅街に住んでいるマダムがつれている犬は大体3匹くらいいる。
高級住宅街に住んでいるマダムのかけているサングラスは大体でかい。
このことから推察するに、ドバイの石油王は足の長さが2mくらいの犬を複数連れ、やたらデカいサングラスをかけてると思われる。
「ワンッワンッ」
足の長い犬が俺を更に威嚇する。
マダムも怪訝な顔で俺を見る。
当然だ。大男が草むらを必死に漁っているのを見れば、マリファナでもやってんじゃないかと思うだろう。
俺は少し恥ずかしくなって、それでも、あの石を探すことはやめられなくて、ガサガサと茂みを漁った。
似たような形の石が何個か落ちてる。見る。違う。見る。違う。
あっ…
「あった。」
声に出す必要のないことを声に出す。
少し赤みがかかった、ゴツゴツとした5cmくらいの石。
蹴っていくにつれて角が丸くなっていったから間違いない。
これが、俺の「あの石」だ。
道路に戻して、もう一度石を蹴りながら帰り道を歩く。
鈍くひかる黒の革靴に、少し傷がついていくのがわかった。
意味がない。
不審者だ。
何の生産性もない。
けど、やめられない。
コンッ
コロコロコロ…
コンッ
コロコロコロ…
石が転がることで刻む一定のリズムが、何かの鼓動音みたいだな。とか、そんな妄想をする。
あの頃と同じように、あの頃と同じように振舞おうとする自分が、
すっかり大人になってしまって、それでも大人に染まりたくないと思う自分が、
それでもやめられなくて
流れていく時間や、義務や、役割。の、何かに抵抗するかのように、
石を蹴り続ける。
荒々しかった石の角は、少し丸くなっていた。
「ワンッ」
遠くでまた、あの足の長い犬の鳴き声が聞こえた。
高級住宅街に住む犬の足は、長い。
駅前にはチェーンのスーパーマーケットだったり、チェーンの牛丼屋だったりがポツポツと点在している。
中規模な車通りのある大通りに面していて、ちょっと道に入れば、住宅街。
気づけば、もう、20年ぐらい住んでることになる。
駅まで、徒歩15分。地上から地下に入って、改札前までが異常に長い。
地下鉄の駅っていうのは、日常的に使うには、なかなか向いていない。
そんな生活を続けて、もう嫌になった。
正直、通勤時間なんてどうでもいい。
車窓なんてない。常にコンクリートの壁が至近距離で高速に過ぎ去っていく。
過ぎ去っても過ぎ去っても、コンクリート。
朝、駅に向かう。
駅が近づくと、遠くから駅舎が見えて。
列車の姿も見える。
周辺には街路樹が、花壇が、並べられていて。
駅舎に入るとすぐに改札で。
そんな毎朝を過ごしたい。
2017年に飯田産業から家と土地を買いましたが、いろいろと後悔する結果になりました。材料がローコストなだけでなく、人材もローコストなんですかね。契約を結ぶまでは愛想が良いですが、売ってしまえば後は知らないという態度が感じられました。自分が甘かったのでしょうか。とにかく、これ以上の犠牲者を出さないために、恥をしのんで事実を公開します。飯田産業などのローコスト住宅を購入されようという方はよくお考えください。以下、飯田産業に送った内容証明です。かれこれ一ヶ月経っても何も応答がないというのが、また驚きです。
以下、内容証明
私と株式会社飯田産業は平成29年3月13日に建築工事請負契約を結び、平成29年8月29日に引き渡しを完了しました。3月7日付けの不動産購入申込書において「和室部分のタタミをビニールタタミに変更」として、飯田ホームトレードセンターのO氏およびH氏と内容を合意していましたが、いまだに間違った畳が入っています。以下に問題点を上げます。
問題点1:8月11日の建物のチェックの際に私がO氏に指摘するまで、畳が間違っていることを何も説明されなかったこと
問題点2:8月11日の建物のチェックの際の畳に関する私からの指摘にO氏が「すぐに是正します」と言ったのに対して、はじめて具体的な対応策が示されたのが、引き渡し予定日の僅か2日前の8月27日であったこと
問題点3:8月27日にO氏から提示された問題対応において、新しい畳の購入設置代金に加えて、本来、私が負担するものではない、元の畳の撤去費用が含まれていたこと
問題点4:8月27日にO氏から提示された問題対応において、新しい畳の購入設置代金に加えて、本来、私が負担するものではない、元の畳の設置費用が請負代金に内包されていたまま是正されてなかったこと
問題点5:8月27日にO氏から提示された問題対応において、本来発生しなかったはずの、畳設置時の立会いの作業が内包されていたこと
問題点6:問題4に対して8月28日にO氏から電話で提示された対応内容において、一旦新しい畳を私が全額払う形で申し込み、その後にO氏がが元の畳に相当する代金を持参して返却するという不可解な内容であったこと
問題点7:問題4に対して8月28日にO氏から電話で提示された対応内容において、O氏が持参し返却するという金額の根拠が不明で、受け入れがたいものであったこと
問題点8:8月29日にH氏に以上の問題を説明したところ、これらの問題を改善せずにそのまま引き渡しを完了することをH氏が容認したこと
上記の問題とは別に下記の問題もありましたが、これらは全て解決済みです。
問題点9:建築途中の段階で、隣接する遊歩道の街路樹の枝が足場に当たったままの状態で建築工事が進められていた
→私がO氏に連絡したところ、O氏が三鷹市に依頼して、数日後に三鷹市によって枝が伐採されました。
問題点10:建築途中の段階で、ポストの色が指定したものと違っていた
→私がO氏に連絡したところ、数日後に正しい色に是正されました。
問題点11:建物が完成した後、引渡しが行われる前に、建物の一階の窓が開けたまま中に人がおらず夜まで放置されていた時があったこと
→私がOしに連絡したところ、O氏によりすぐに戸締りが行われました。
問題点12:建物が完成した後、引渡しが行われる前に、フロアコーティングのために私がO氏に床材を問い合わせたところサンロードアートとの回答があったが、フロアコーティングの業者が実物を見たところサンロードアートは間違いで、実際はルームアートであったこと
→急遽フロアコーティングの施工業者に施工方法と代金を修正してもらい解決しました。
眠ってしまいたくないな、とか、眠ってそのまま目覚めなければいいのにな、とか。
そんなことをとりとめもなく考えてしまう。
社内環境は、有給とかが取りやすいから福利厚生的には良いのかもしれない。
呼吸するように人のことを悪く言える人の方が、人生を謳歌し、社会に馴染んでいるのだからやるせない。
いろんな悪意に日々怯えながら生きていくのは、なんだか疲れてしまった。
決定打、になるようなものがあれば自ら楽になれるのに。
真綿で首を絞められるような、細やかな悪意の張り巡らされ方をすると何を例にあげていいのかわからなくて、具体例の挙げにくい漠然とした不安感だけが残る。
綺麗なものだけ見て生きて行けたらいいのに。
紺の混じる東の空と、燃えるように赤い西の空。
どうしようもなく美しく力強く生きるものに心惹かれるのに、どうしようもなく自分がこんな風に、しなやかに、したたかに生きて行けない。
私もそちら側に行けたらいいのに。
目が覚めたら、私もあの燃える夕空のように力強く、限りあるエネルギーの全てを注ぎ込むように生きていけるようになれるだろうか。
目が覚めたら、私は、あの冷笑と皮肉を使いこなす職場の人たちのように軽やかに会話ができるようになるだろうか。
目が覚めたら、私が私で無くなっていたらいいのに。
本当は、私が私でなくなればなんて考えたくない。
目が覚めたら、世界の全てが優しい言葉と理知的な窘め方で回っていたらいいと思う。
目を、覚ますのが怖い。
まさか自分がやってしまうとは思わなかった。齢26にして漏らしてしまった。今日。しかも彼女の家で。
こんな内容はもちろん自分のブログに書けないので、脱糞にふさわしいこの場所で書き出したいと思う。不思議とつらい気持ちはなく、清々しい気分である。
以下、うんこというのは忍びないので、ブラウニーで統一させてもらう。
その日の東京は朝から薄べったい雲が空に延びていた。6時起床。思えばこの時から腸の状態が悪かった。
朝食を食べ、彼女は仕事の身支度、僕は休みなのでだらだらしていた。この間もずっと腹痛があって、なんだか危ないなという予感はしていた。
事態が変わったのは、彼女が家を出る9時ごろ。突然、僕の腸が、というか、僕の中のブラウニーが主張し始める。
出たい。ここから出して欲しい。
唐突なブラウニーの訴えに僕は焦った。普通ならば即トイレに駆け込むところだが、僕と彼女はまだ付き合って間もない。
熟年夫婦のような間柄ではないから、ブラウニーしてくる、と言ってトイレに行くわけにはいかないのだ。しかも腹を壊している時のブラウニーだ。
きっと強烈なサウンドを伴うだろう。壁の薄いアパートでは、破裂音が伝わってしまう。
僕は、自分を取り繕うよりかは恥を曝け出すことを選ぶ人間であるため、この時も、今の状態を素直に彼女に伝えた。
恥をしのんで言う、ブラウニーを出したいんだけれど、君がいるから恥ずかしくてトイレに行けないんだ。
そう伝えると、彼女は「わかった!じゃもう家でるね!!」と言って身支度を早々に終わらせてくれた。
彼女が急いでバッグを持ち、玄関へ走る。靴を履こうとしている。
本来なら玄関で見送るところ、この日は本当に限界だった。僕は「あかん!!」となぜか普段使うことのない関西弁を叫びながらトイレへ滑り込んだ。
彼女はもう靴を履いて出るはずだ、ズボンを脱いで早くすっきりしよう、と思ったその刹那、「しまった靴下忘れた!」という声と共に、騒がしい足音が近づいてきた。
彼女が部屋に戻ってきたのだ。
ここで僕はパニックになってしまった。僕の計画では、彼女が家の外に出た瞬間にズボンを脱ぎ、ブラウニーを射出する予定だった。
だがもう肛門は限界である。出さなければ。この時の僕はパニックになっていた。
ズボンを脱ぎ→座って→ブラウニーを出すという、人生で数千数万と行ってきたルーチンワークが脆く崩れ去った。僕はなぜかズボンを脱がずに便器に座ってしまった。そして出した。ズボンの中にブラウニーが溢れ出す。
さっきまで体の一部であった半固体の物質が、行き場を求め、狭いズボンの中でせいいっぱいの伸びをした。
彼女の「行ってくるね!」という声と、走る音。
古いアパートのドアが閉まる、がちゃんという軽い金属音が鳴り響くと、部屋は静寂に包まれた。
僕はその間も、依然として便器に座って動けないでいた。遠くから蝉の声がする。世界がやけに静かだ。後に残るのはただただ悪臭だけである。
冷静になった僕は、淡々と処理を行った。ズボン、パンツ、そしてブラウニーのついた便座、我が愛しの臀部。
優れたスポーツ選手は"ゾーン"に入ることができるというが、あの時の僕はまさしくその状態だった。
今自分がすべきこと、すべきでないこと、洗うべきもの、捨てるべきものが、まるで一流の軍師のように、頭の中に整然と並べられ、滞りなく処理されていった。
一通り清掃を終えると、僕は最後に、ブラウニー付きのパンツを成城石井のビニール袋に入れ、コンビニのゴミ箱に捨てにいくため外へ出た。
成城石井の袋は不透明のダークグレーだから、こういうときに役に立つ。いつ脱糞の当事者になるか分からないこの現代では、重要なライフハックだ。
コンビニでは、心の中で何べんも謝罪をしながら、高い商品を必要以上に買って、せめてもの罪滅ぼしにさせてもらった。本当にごめんなさい。
帰り道、どっさり買い込んだコンビニ袋の重さを感じながら、ゆったりと歩道を歩く。時刻はまだ9時半。
ふと、漏らしたことで、普通に用を足す時以上に、清々しく、爽やかな気分になっていることに気がついた。
平日の街は普段通りで、人が行き交い、車が走り、鳥が歌っている。
空はまだ曇っているが、気持ちのいい風が吹いていて、思ったよりも暑くない。
分かる。自分もそういう気持ちを持っている。でもそういう嫌いと思う気持ちが救われることは自分が生きている間は来ないとも思っている。生まれてくる時代が300年早かったか、生まれてくる星を間違えた。
あと、元増田は違うかもしれないけど、自分の場合は自分の現状が酷いので、何も考えてなさそうな人たちは何も考えていなくても自分より恵まれた人生をのほほんと送っているんだろうな羨ましいなみたいな嫉妬の感情も持っている。
また同時に、中学生だった頃スーパーファミコンでドラクエ3のリメイクが出て最初の勇者の性格が頭脳明晰になった時に言われた内容が脳裏をよぎったりもする。⇒http://anond.hatelabo.jp/20080926094443
神経質な自分を改善できるなら、そっちの方が手っ取り早い。その余地は自分の場合は、まだある。
など。こんな現状に陥っているのは自業自得なところも多分にある。沢山ある中から一つ挙げると、去年まで酒飲みの誘いにはなるべく断らないでいたから貯金はできなかった。他は惨めすぎてここにすら書けない。
去年の10月から500円玉貯金を始めたり、会社に弁当を持参するようになったり(これは今はサボってるけど)、今年は一年禁酒を宣言したりして、たぶん来月末には500円玉が10万円貯まる貯金箱を満たしそうである。一時期は年金も滞納しがちで郵便受けにピンクの紙で警告が来たりしていた。その頃よりはだいぶ回復した。
10万円貯まったら寝具を一式新調する。敷布団?にも穴が開いて綿が露出していたり酷い。その後は歯医者に通う。16年使っている冷蔵庫が壊れなければいいのだが。
その後はこれを書いているPC(Windows XP)を買い換える。普通にインターネット使うのも罪悪感あるし、一応会社ではWeb制作をやるので、色々試してみたいことがある。自分含め、会社の技術レベルが低い。バージョン管理をファイル名でやって全部FTPでやるし。レビューとかテストとか何それ?みたいな。元々趣味でWeb制作やってたけど、4年以上やってる仕事を通して趣味以上にレベルが上がったみたいなのが、期待していたのと比べると遥かに少ない。レベルが低すぎて恥ずかしくて転職活動もできない。
実家にいる両親のことも気がかり。親戚関係が全く無ければ貧乏でも不健康でもレベルが低くても困るのは自分だけだから、もうちょっと気楽に生きれるのに。両親がいるうちは間違っても自殺だけはしないとは思っているので、仕送りもせず帰省した時に逆に小遣い貰うダメな息子だけどそれでなんとか許してほしい。
あとこれも自分の改善の余地かもしれないけど、怒りを感じたときに、自分の歩く姿勢や自分の呼吸に意識を持っていくようにしている。猫背になっていたり口呼吸になっていたりする。天気が良いときは空の青さに注目するのもいい。オカルトめいているけど、街路樹にテレパシーで愚痴ってみるのも最近試している。万が一植物に意識があってフィンドホーンみたいな奇跡があるなら助けてもらえるかもみたいな妄想をしつつ。植物的には自分みたいな腹黒い人間は嫌いなのかもしれないが。
世の人にとってはどうでもいいことだけど、どこにも吐き出すところがないので書くだけ書いて吐き出そう。
楽しみにしていた企画が前日の晩にぶっ潰れたその日、意気揚々と散髪して友達と会ってどこでご飯を食べればいいだろうかどこのスポットがオススメ?等と宣い、実に嬉しそうに前日を満喫していたのである。
体調不良が原因だなんて、何も言えるわけないよ。それは大変だ、気にせずゆっくり休んで!以外何が言えようか。
ごめん…機会があったらまた誘ってだなんて、デスコンボですよお兄さん。勿論!以外何が言えるんですか。
家族には予定を聞かれた時にニヤけてたせいでバレていた上でこのザマだ、ホラと追い打ちをかけられる。
社交辞令だと分かっていても信じたい、そんなことをする子じゃないと信じたい、きっともう一度誘ったら前のように良いですね!と言ってくれるのだ。
先月初めて仕掛けた時は当たって砕けろ砕けりゃ4月からの新生活に没頭よとポジティブに猛進したのだ。
今日、祖母の御見舞の道すがら街路樹の桜が咲いているのを見た。
お花見に行こうという口実で一緒に手を繋いであーでもないこーでもないと喋りながらただ歩けるだけで良かったのにもうお終いなのか。
いつもそうだ、追われてる気がして追おうと心を奮い立たせたものの見事に玉砕、そして自信喪失、人間不信の再来。
次行け次等と皆は宣うが、良くも無責任にそのような発言ができるものである。
まるで我々に車を買わない若者共と言う烙印を勝手に押す唾棄すべきご老人方のようだ。皆本当は欲しいのである。
昨日の帰り道、誰かが落としたであろうパスケースが”落とし物です”と書かれた紙と一緒に電信柱に貼られていた。
先日にも、子供のものと思われる手提げ袋が立て看板に吊るされていた。
こういうことをする人たちは自分が落とし物をしたことがあるのだろうか。
落とし物をした人が血眼になって探しているのは足元だ。
以前に家の鍵を落とした時、3時間以上探し回って見つけられず途方に暮れた帰り道に街路樹の枝にぶら下げられている鍵を見つけたときは安堵感よりも怒りのほうが大きかった。
その街路樹の前なら少なくとも3回は往復している。それなのに気づかなかったのは、落としたのだから足元にあると思い込んでいたからだ。
それを吊るした人はそれで親切心が満たされたのだろうか。
本当に親切をしたいなら少なくとも交番までは届けて欲しい。
むしろ何の気なしに歩く人の目に止まりやすくなっていることで、悪意にさらされる危険性が増しているということがどうしてわからなかったのだろうか。
最近のネットを眺めていると、これと似たようなことばかりだということに気付いた。
彼らは問題を解決したいのでも困っている人を助けたいのでもない。
自分の自己肯定感を満たしたいがために、問題や困っている人を探しているのだ。
そこには解決も救済もない。
これからの世の中は、そうした消費のされ方がより一層進んでいくだろう。
SNSの普及によって世界中が即座につながることができるようになったことで、今や彼らの自慰行為は世界規模にまで展開が可能になったのだから。
お互いがお互いの人生の物語をお互いの自慰行為のために消費し合う世界がすでに始まっているのだ。
薄汚い欺瞞という手垢に塗れたパスケースを電信柱から引き剥がして地面に叩きつけると、高らかに響いたその音が、新たな戦いの始まりを告げるファンファーレに聞こえた気がした。
大きな川に掛る橋を渡って隣の町へ自転車に乗って出掛けた
団地の中に自転車で乗り入れてみると建物は老朽化しており陰鬱な場所だった
棟と棟の間の小路も手入れが行き届かないのか雑草と樹木が生い茂っており森の中にいるようだった
ふと足元に倒れている子犬を見つける
喉のあたりが血で赤くなっているので近くの水道で洗ってやった
だが子犬はぐったりしたままだ
すると子犬は胃の中のものを吐き出し吐しゃ物でまた汚れてしまった
可哀想に思い近くの樹の根元に穴を掘って埋めてやろうとした
だが俺が穴を掘っているのを木陰からずっと見ている女がいる
この状況では俺が子犬を殺して証拠隠滅の為に埋めようとしているみたいではないか
子犬は埋めてやった
しかしあの女に見られた
なんとか口をふさぐしかない
団地の棟と棟の間、街路樹で暗くなった小路を行く女を捕まえて傍にあった水路に突き落とした
首がもげて顔だけが流れて行った
これで大丈夫だ
自転車に乗って家に帰る
自転車のタイヤ痕を辿れば警察は容易に俺を特定するのではないだろうか
いやタイヤ痕など残っているはずはない
だが、団地の小路のぬかるんだ泥の中を通った際にタイヤ痕を残してしまったのではないか
きっと警察はここにやってくる
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/151486
はてブの意見(の大勢)、多くのトピックは同意できることが多いけど、
こういう景観・建築保存のネタになると「老朽化が」「時代に合わない」「非合理的だ」という意見が多くなって、
(具体例としては、ゴールデン街、田舎の駅舎、街路樹伐採あたりのニュースが今年あったと思うけどそのあたり)
なんというか経済的・実用的・機能的価値に重きを置きすぎているというか。
はてなってコミュニティの割合的に、IT系の人が多く占めるイメージなんで、
そこに通底する価値観として「新しいものは、古いものに常に優越する」ってのがあるのかなと思う。
建築物や景観なんかに関しては、観光的価値やそれに対する経済的な利益だって大きいわけだし(保存する合理的な理由があるってことね)