「白内障」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 白内障とは

2018-08-24

還暦過ぎて数年たつ父

最近つづけざまに車で事故った

1個メは当てられ逃げ

交差点で右折待ちしてるところに右折する対向車のトラックが荷台をひっかけて、

左側のミラーがふっとばされた

クソむかつくけどまあこれはこっち側はどうしようもない

2個めは自損

何もない道で車の左がわをもろに電柱にぶつけた

車幅感覚っていうの?が、全然働かなかったらしくて、危ない意識全然なかったらしい

なんか白内障防止の目薬してるけど、車幅って視野だけの問題でもないしなあ

もともと足が悪くて遠出するには車必須から、車運転できなくなったら本人大ダメージだけど、

あんまり事故続くようだったらちょっとどうにかせんといかんよなあ

2018-08-08

anond:20180808190447

眼科コンタクト健診医は余ってるし、白内障の手術やるのも足りてるけど

もっと高度な手術出来る医者は足りないとどっかで聞いたな。

どんな分野だって全部が全部楽じゃないよね。

2018-07-07

anond:20180706181935

私は人の日傘がジャマだと思った事無いし雨傘みたいに濡れてる傘を混雑電車に持ち込む人や横に持ってる人もあんまり見ないか危険だとか迷惑だと感じた事が無い

白内障皮膚癌熱中症老化その他諸々のリスクをおってまで避けなければならない迷惑とは感じない

暑さは我慢できるから人の迷惑にならんように我慢するなら当然クーラーつけてないよな?

あれはご近所や地球を暑くして自分の家だけ涼しくする確実に迷惑アイテムだし

2018-07-01

今年外科には誰も入局者がいなかった

嘘のような本当の話だ。

俺は呼吸器外科を専門にしていて今年で医者19年目になる。

昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人意見から外科先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。

俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科グルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。

でさ、悩んだ挙句俺は呼吸器外科に入ったよ。入った理由はさ、バスケ部の先輩にグイグイ引っ張られてっていうただそれだけ。2個上の可愛がってくれた先輩が「外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ」って飲み会の席で肩に手を回してきて「外科はいいぞ、毎日楽しい」って言うもんだから酒の力もあって俺は入局宣言した。でも別にこれは今でいうパワハラなんかじゃなかった。嫌ですって断ったらきっとすぐ解放してくれたろうし、何よりその外科を語る先輩がすごく楽しげだったんだよ。

入局してからはさ、毎日しかったよ。でも楽しかった。最初のころは丁稚奉公みたいな感じで上の先生アシスタントとしてちょこちょこ術野を動き回ってた。外科系は体育会系の熱いやつらが多くていっぱい叱られたよ。でも仕事が終わった後医局でたまに開かれる飲み会はいつもベロンベロンになっていた。みんな外科が好きで、いつもこの前ああ切った、あの時もっとああすればってのを酔っぱらいながら話すんだ。うちのとこは教授ガンガン術野に入った。雲の上の存在だと思ってた教授だったけど術野で隣にいると不思議距離が近いように感じたよ。教授大事にしている日本酒をこっそり講師先生が出してきて飲んだのもいい思い出だ。

外科のいいところは昨日出来なかったことが努力次第でできるようになるところだ。最初は教えられた外科結びを先輩に遅せぇなぁとからかわれながらやっていた。でもやればやるだけ少しずつ速くなる。今ではすっかり俺も教える側でからかう側だ。

術式もどんどん新しくなっていく。より侵襲が少なく、より速くに進化していくんだ。今は開胸よりも今は胸腔鏡手術が主要になってきた。胸腔鏡手術…VATSっていうのは胸に2,3cmくらいの穴あけてそこから細長い鉗子やカメラを突っ込んで、画面見ながら手術するんだよ。すげぇよな、胸開かなくていいんだぜ?俺も初めてやった時、すげぇな、本当に面白れぇなって思った。群馬大の腹腔鏡手術の件は医局でも結構話題になった。やっぱり腹腔鏡とか胸腔鏡ってのはすごく難しい。一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。俺のいる大学病院は週3回、大体一日2件手術があるけど、自分が入る手術はその半分くらいだ。それだけの手術じゃ上手くなりようがないか時間外にトレーニングルームに籠って練習する。でも努力した分今日やったことが明日もっと速く、正確に、できるようになる。だから俺は結構好きだし他のやつらも結構好きなんじゃないかと思う。

たださ、若いやつらはどうなんだろうな。外科系は肉体的にキツいってのは本当だからさ。俺の所属する呼吸器外科はまだ手術時間は短い方だと思う。大体3~4時間だ。胸膜癒着とかあれば6時間かになることもあるけれどそんなのはしたことじゃないさ。心臓血管外科脳神経外科なんて1日術野に籠りっぱなしだ。中には椅子がなくて座らずにサポートする先生もいる。昼食休憩や交代はあるところはある、ないところはない。だから外科先生基本的に痩せているよ、食う暇がないから。

実習生研修医はそれを見て外科に入りたいって思うのか、心配だった。俺のころとは随分違って彼ら彼女らは吟味する時間が十分に与えられている。外科を選ばなくていい理由なんか山ほどあるんだ。眼科耳鼻科皮膚科泌尿器科のようなマイナー科の誘い文句は「内科系の管理外科系の手術もうちの科は出来ますよ」だ。内科業務の合間にちょっとした手術もなんてまさにいいとこどりで魅力的な話だと俺も思う。眼科白内障の手術なんて30分ごとに患者交代で1日10件もやれる。

次に俺たちは思っている以上に開業が難しいってことだ。体力が落ちてきたら町医者開業って未来がない。いくらVATSが出来るようになっても医局や大病院を出てしまえばそんな手術できない、器具設備もオペ看もないからな。その点内科マイナー科は忙しい業務が辛くなれば辞めて開業して悠然と働けるじゃないか。賢いというか自分の将来を見据えている学生研修医ほど外科を選ばない時代がきているのだと思う。

俺の奥さんは専業主婦で家のことは全部やってくれている。俺はひたすら手術に打ち込んでて家事育児をそこまで手伝ってあげられなかった。それでもうちの奥さんは優しくて毎日アイロンの効いたシャツを渡してくれるし、息子は息子で部活のことをそこそこ話してくれる。家族に恵まれたと思う。本当に感謝しているよ。だから、もし俺がもう少し忙しくなかったら家族もっとしてあげられることがあったんじゃないか、と考えることがないわけじゃない。

成績順で上から決まってくアメリカと違って日本医師自分希望する診療科に就くことが出来る。だから一回「辛い、キツイ」って印象がついた科は敬遠される。敬遠された科は残された人の業務が増えますます「辛い、キツイ」の印象が強くなる。このまま外科に入局する研修医がいなかったら、外科世界はどんどん高齢化していく。農業伝統工業のように継承していく若者がいなかったらきっと衰退していく。内科が行う内視鏡カテーテルで診断はつきました、ただ切って治す人はいませんの時代が来るのかもしれないな。

「これ、いくらだと思う?」

術野に入る学生にはこうしてVATSの自動縫合器を見せるようにしている。一緒に入るオペ看や助手にはまたその話かって目で見られるけれど、この機械カートリッジだけでなく本体すら使い捨てで数万円~数十万だと言うと彼らは驚いた顔をする。その顔を見るのが好きだ。そうだ。俺たちはここで、最新式の機械で最新式の術式で最高の医療を届けているんだよ。こんな些細な会話が彼らの胸のどこかに刺さって、外科に興味を持ってくれたらいいと思う。俺も教授や先輩から教えられた技術経験もお前に教える、何よりさ

外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ

2018-06-30

白内障の眼内レンズ挿入手術ってどうなの

保険がきく単焦点レンズ保険がきかないけど性能が高い多焦点レンズがあるけど、

多焦点レンズにそこまでお金をかけるほどの性能は本当にあるの?

anond:20180630184537

単純に白内障手術を教えたら独立していなくなると邪推して教えないからでしょう

高齢者ノウハウを秘匿化して自分らの権力を維持している

絶対数を増やして発言力を逆転させねばなりません

2018-06-15

anond:20170712213159

誰かが書いて消してるけど白内障だよな

爺さんが店員普通に説明して聞こえないのをお前の話し方が悪いからだと切れるのと根っこの部分が同じだと思う

2018-03-31

多焦点レンズってどうなんだ

母が軽度の白内障と診断された。

母は先進医療対応保険に入っていたから、多焦点レンズ(遠近両用眼鏡みたいなヤツ)を安く入れられるみたいなんだけど、ネットを見ると良い評判も悪い評判もあってよく分からん。眼は一生付き合っていくモノだしどうしても疑り深くなってしまって、褒めてる奴は銭ゲバ眼科ステマかと疑ってしまうし、貶してるヤツも生存者バイアスの逆みたいなヤツがかかってそうだなと疑ってしまう。

結局眼科先生と直接話して信頼できそうか確かめていく他無いんだろうけど、やっぱ色々な人の意見を参考にしたいから、身の回り経験者がいる人教えてくれ

2018-01-11

白内障レンズ

人間の目は可変・単焦点なのだから単焦点レンズでも多焦点レンズでも変わらない気がするのだが

眼科手術で入れるレンズは固定・単焦点 固定・多焦点だから多焦点の方が望ましい、という言われ方でいいんだろうか

2017-12-12

犬の余命

確定じゃないんだけど、リンパ腫で何もしないとあと2ヶ月。

柴系雑種でもう17歳だし、白内障全然見えてなくて、影が動くだけですっごいビビるし。ボケたり歩けなくなったりしたら大変だとは思ってたけど。

元々すごいビビりな犬で、誰が来ても吠えまくってて、閉所恐怖症犬小屋買ったのに一度も入らなくて。

そんなでも大人になってちょっとは落ち着いて、愛想は悪いけどいつもそこにいて、ずっといることを疑うことなんて無かったのに、やっぱり死ぬんだよね。

いくら犬の時間が人の5倍で進むって言っても癌も5倍速なのかよ。

抗がん剤治療は歳の事とビビりな所でやめといた方がいいだろうって事になってるんだけど、本犬的にはどう思ってるんだろうなって。

こんな閉じ込められてる様な生活ならすぐに死んでもいいって思ってるのか、もう少しでも長く一緒にいたいって思ってくれてるのか。

もう17年も日本語の中で生活してるんだから、ちゃんと喋って意思を伝えてくれても良いと思うんだけど。ねえ犬さん。

2017-10-17

会社に行けなくなった

会社に行けなくなった。

特養に勤める介護職、2年目。

専門学校を出てちゃんと介護福祉士資格もとった。

就職先は実習でお世話になった施設介護長の方針に感銘を受けて、この人の下で働きたいと思った。

働き始めて1年目は今になって思い返せばがむしゃらに働いた。

必死に一日の流れと仕事を覚えて、新人なりに頑張った。

でも二年目になって、行きたくないなぁと思う日が多くなった。

仕事が多い事と、年上ばかりの職場で気が張っていたからか、

ついに家から出られなくなった。

ああー、駄目だ。

そう思ったら行けなくなっていた。

迷惑がかかることは分かっていた、でも小心者の私は怒られる事が怖くて会社電話連絡さえ入れられなかった。

心配してくれた上司が、かけてくれた電話にすら出られなかった。

分かってる、分かっているんだ、

無闇に怒るような人達では無いということは分かっていた、

職場関係はとてもよかった、

個性はあれど、

いい人たちばかりだった。

から、尚更その人たちに迷惑をかけてしまうことに罪悪感が募った。

ただでさえ人手不足介護現場

1人でも休むと大きな影響が出るということは、自分も働いていたから重々理解していた。

職員さんが困るということは

利用者さんたちの生活にも影響が出るという事だ。

職員さん達にも、更には利用者さん達にもご迷惑をかけてしまう。

その罪悪感が更に自分を追い詰めた。

休みの間、気を抜いていると自分の部屋にこもってしまう、

それでも社会的に死んでしまう事が人並みに怖かったから、

復帰しようと自分なりに頑張った。

いつもより家事を頑張ってみたり、気分転換にとお菓子作ってみたり、上司と直接話しをしたり、

法人の偉い人とお話をしたり。

それで、復帰のプランをたてて、復帰する予定になっていたのが今日

行けると思った、行かないといけないと分かってる、

社会的に死んでしまう、

会社の人からもっともっと嫌われてしまう、

利用者さん達が待ってる、

行事担当は来月だから行事報告書も考えないと、

担当居室のアセスメント今月だったっけ、

あの利用者さん来月誕生日から個別レク考えなきゃ、

風呂のセットをしておかないと、

医療勉強会っていつだろう、

夜勤いつから入るのかな、

新しく入った利用者さんの情報読まなきゃ、

ショートステイ利用者さん新規の人増えたかな、

妊婦さんがいるから動ける私がもっと頑張らないと、

膝痛めてる人がいるか若い私が頑張らないと、

白内障職員さんがいるか夜勤頑張らないと、

お薬のチェックと目薬のチェックしないと、

経管栄養の準備と喀痰吸引の手順もまた確認しとかないと、

残業は1時間までしかつけちゃいけないかもっともっと速く終わらせないと、

子持ちの人が頑張ってるんだから独身の私が頑張らないでどうするの、

利用者さんみんなが好き、元気にしてるかな、

看取りプランになった人いるかな、

また笑顔で頑張らないと。

心療内科先生から

何で休んでるの?って言いたいくらいだよ、

って半笑いで言われた、

うつ病でもない、

性根が腐ってるだけ、

周りに甘えてるだけ、

状況に甘えてるだけ、

から私は行かなくちゃ。

あー、駄目だ。

2017-04-08

日焼け止めを塗っている船乗りはいるか

いるかいないかで言えばいるだろう。

個人レベルで塗ってる者もいるだろう。

そういうことではなく。

文化の話だ。

船乗りは船に乗る。

船の上では日焼けする。

過度な日焼けはガンの元となる。

らしい。皮膚がんとか。具体的には有棘細胞ガンや基底細胞ガンを起こしやすくする。らしい。

船乗りは過度な日焼けをしていると言っていいだろう。

ならば皮膚ガンになりやす職業トップに来ていてもおかしくはない。

から彼らが日々日焼け止めを塗っていてもおかしくない。

しろ間内奨励しあっているかもしれない。

どこの船にも日焼け止めクリームがあり船内や港の掲示板には啓蒙のためのビラが貼ってあるのかもしれない。

とは言え、そのような健康を気にする風潮が船乗りにあるのかも疑問である

たとえば彼ら船乗り自分たちを世の誰よりも男らしいと誇っていれば、日焼け止めは女が使うものとみなしていても不思議ではない。

白内障対策サングラスをかける者をもキザったらしいと馬鹿にする風潮さえあるかもしれない。

どうでもいいね

2017-03-28

実家の犬が亡くなった

会社を出たところで、母から電話があった。

何年か前から白内障子宮病気を患っていたけれど、心臓が弱ってしまったことが一番の原因だということだった。

ここ二週間で経口で食事がとれなくなり、栄養剤を投与してなんとかやっていたということで、亡くなるころにはあばら骨が見えるようになっていたという。

からメールが行っているはずだと伝えてもらった。

駅に着いたところでメールを見たら、ぽっかりと穴が空いたようだと短い文章で書かれていた。

堪えていた涙が、ぽろっと頬を伝った。

 

会社の後輩も、私と同じように遠く離れた実家で飼っている犬を亡くしたということを先週聞いたばかりだった。

後輩が年末年始帰省すると、犬がいない現実がそこにあることが何より悲しかったという。

お母さんも、時間が経ってもぼうっとしていて、それを見てまた悲しくなったと言っていた。

 

後輩の話を聞いて、犬を亡くすことがどんなにつらいものか、よりわかった気がする。

どうか、のこされた私の家族が気落ちしすぎないように、とても愛されていた飼い犬が幸せなまま送ってもらえることを祈っている。

みんな幸せなままいられたらいいと、心から思っている。

2016-12-31

動脈瘤治療をした

私は26歳男性である

1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった.

医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった.

結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った.

ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MR検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ.

そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった.

未破裂動脈瘤という病気がある.未破裂動脈瘤動脈血管の何らかの理由で薄くなった部分が風船の様に膨れる病気で,それが破裂すると大量の出血が起こる.この未破裂動脈瘤が脳の動脈に起こるのが未破裂脳動脈瘤である

逆に,破裂さえしなければ,瘤が相当大きくない限り(そもそも瘤が破裂せずにそこまで大きくなることは稀)何らかの症状が出ることはまったくない.また破裂するタイミング予測ができない.

脳と言っても,瘤が脳を覆っているくも膜の内側にあるか外側にあるかで破裂した場合の結果が変わってくる.

動脈瘤がくも膜の内側で破裂した場合くも膜下出血となり,1/3の患者が死亡,1/3の患者が重篤な障害,1/3の患者特に何もなく日常生活に復帰できるという話だった.外の場合は硬膜外出血という別の病気となる.

私の場合は左目の奥,くも膜の内側にあるためくも膜下出血の恐れがあるということだった.

聞かされたときはなんだか現実感がなかった.「この一年で破裂しなくてよかったですね」「そうですね.ははは」という会話をして再度MRを撮るということになった.

動脈瘤の原因について尋ねたが,未だによく分かっていないらしく,先天的に血管の壁が薄いところがあって,そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった.

タバコアルコール後天的な原因と考えられているらしいが,私はタバコも吸わないし,アルコールも一滴も飲まない.なりやすさは遺伝するらしいが,くも膜下出血で亡くなった近しい親族はいない.男性より女性の方が若干なりやすいということだったが,私は男性である.なぜ動脈瘤が発生したのかはよく分からなかった.

再度撮ったMRの結果としては,瘤の大きさは1年前と変わっていなかった.未破裂動脈瘤は破裂する前に大きくなることが多いため,期せずして1年間観察することになったが,とりあえずは安定しているように見えるということだった.

動脈瘤の手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらい,今度からはその別の病院に通うことになった.

新しい病院で脳血管造影を受けた.これは造影剤を流すためのカテーテルを腕から脳まで入れてCTで血管の三次元構造撮影するもので,血管の様子を3Dモデルとして見ることができるという優れものである

造影剤が流された瞬間,血管がカッと熱くなるのが分かり,普段意識することのない自分脳内動脈がどこを走っているのかが体感として分かるという斬新な経験をした.

理由はよく分からないが,CTを撮っている時に,閉じている目の裏に飛蚊症のようなつぶつぶが動くのが見えた.

検査の結果,私の動脈瘤は細長い形をしており,長径が4mm,短径が2mmほど,先端に乳房に対する乳首のようにぽっちりと膨れている部分があることが分かった.

「通常5mm以下で形が均一なものは様子を見るということが多いが,君の場合は5mm以下だが形が不均一で,daughter sac(ぽっち)があり,かつ平均余命から考えて君はまだあと30年は生きてもらう必要がある.手術したほうがいい」医者が言った.「普通,君の年齢でこうした未破裂の脳動脈瘤が見つかることは珍しい.ほとんどが破裂してから病院に運び込まれて緊急手術して死んだり障害が残る」「破裂する前に見つかってよかったね」

破裂する確率はどれくらいか尋ねると,形や大きさにも依るが君の場合はだいたい1年で1%から2%くらいじゃないかなということだった.「君が80歳のお爺さんなら様子見するところなんだが」長く生きるならその間に破裂する確率は累積してやはり高くなる.

「そんなベルヌー試行みたいなことを言われても」と私は思ったが,実際そんなもんなのかもしれなかった.要は不発弾がいつの間にか脳内に埋まっていたということなのだ.

からある偏頭痛はこの動脈瘤と何か関係あるのか問うと,「全く関係ない」ということだった.「偏頭痛は生まれつきのもので,治るということはなく,それぞれの患者さんが偏頭痛の起こるきっかけを把握して予防するしか無い.ちなみに60を過ぎると起こらなくなることが多い.今は良い頓服薬があるから出しておこう」というので偏頭痛用にマクサルトという頓服薬を貰った.「頭痛があったからこそ今回動脈瘤が破裂する前に見つかったわけで,何がどう転ぶか分からんね」

私は病院からの帰り道に死ぬまでに破裂する確率計算してみた.医者が言うように1年で破裂する確率が2%とすると,98%の確率来年も破裂しないまま今と同じように生きているということだ.2年後も破裂しないままでいる確率は0.98*0.98でだいたい96%すなわちこの2年間の内に破裂する確率は100-96で4%ということだ.同様に平均寿命である80歳まで生きるとすると,残りの寿命は54年,0.98^54は0.34.34%の確率で破裂しない.逆に言えば,80歳までに66%の確率で破裂するということだ.

実際のところは破裂しても1/3の患者日常生活に復帰できるので,80までにくも膜下出血死ぬか重篤な障害によって死んだ感じになる確率は0.66*(2/3)で44%ほどと言える.

手術せず破裂しないのを祈るのは分の良い賭けとは言えなかった.

同様に,今から24時間で破裂する確率はどれくらいだろうと考えてみた.1年で破裂する確率を同様に2%とし,1年を365日とする.1日24時間で破裂する確率をxとすると,(1-x)^365=1-0.02であり,これを解くとxはだいたい0.000055となる.

すなわち0.0055%で24時間以内に破裂するということだ.後で調べて分かったが,これはだいたいスマホガチャゲーで一回の試行トップレアを引くのと同じくらいの確率である.私はとりあえず安心した.

同時に,自分って死ぬんだなと思った.幼い頃に死んだ祖父の冷たくなったゴムのような手を思い出し,それから交通事故で亡くなった小学生の時の親友を思い出した.

思い返すと,私は日々を死んだように生きてきたなあと思った.そしてこのまま突然死ぬのは嫌だなあと思った.死んだら何もかもどうでもよくなるので,生き残った場合に備えるべきだと思った.今まで研究にも就活にも後ろ向きな態度だったのを恥じた.

出すつもりのなかった研究予算に無理やり応募し,興味のある企業インターンに応募した.

動脈瘤の手術のやり方は2種類ある.ひとつは頭を割り開き外からクリップで瘤を留める方法,もうひとつカテーテルで血管の内側からプラチナ製のコイルを瘤内に詰める方法である.私の場合は瘤の位置がかなり脳の奥にあり,クリップで留めるのは難しいということだったので,カテーテルコイルを詰めることになった.SFが好きなのでいつか身体機械インプラントしたいと思っていたが,まさか治療のためにこうして脳内物体インプラントすることになるとは.

コイルが詰められた瘤は血が血栓として固まって破裂しなくなり,二週間程度で膜ができて固まった血栓が飛ぶ心配が無くなるということだった.ただし,術後二週間は血栓ができにくくなる薬を飲む必要がある.

治療過程カテーテルの様子をCT観測する必要があり,そのため長時間放射線被爆することになるが,最近機械は少ない放射線でかなり見えるようになっているので,そこまで気にする必要はないらしかった.昔は皮膚が放射線でやけどして赤くなったり,まれ白内障になったりということもあったらしいが,今はそんなことはまったくないとのこと.実際に放射線で皮膚や目に異常が起こることはなかった.

手術の成功率はだいたい97%程度ということだった.単純に考えて2年様子を見るくらいなら手術したほうが良いということだ.私は手術を受けることにした.

結論から言うと手術はうまくいった.関東では全身麻酔でやることが多いらしいが,関西ではカテーテルを入れる入り口であるもも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく,関西病院だったので局所麻酔だけだった.

なので手術中は自分脳内カテーテルが動いているのが分かった.血管自体に痛覚を感じる神経は無いらしく,違和感だけで痛みはなかった.術中はバルーンで血流を一部止めるということだったが,脳というのはよくできていて,一箇所を堰き止めても全体の血流が滞らないように根本の血管が輪になっているので大丈夫だという話だった.後で医者曰く,「いつもは破裂してくも膜下出血を起こして運ばれてきた高齢者動脈硬化した動脈瘤ばっかり手術してるんだけど,未破裂だし動脈硬化も無いし手術はやりやすかったよ.血栓による脳梗塞も見たところ起こってない」とのこと.

結局のところ手術のための入院で最も辛かったのは尿道カテーテルだった.脳に異物を入れるのよりも尿道に管を入れるほうが痛いというのも妙な話だが,入れるのも痛かったし,抜くのも痛かったし,抜いてから排尿するのも勇気を振り絞る必要があった(痛いが思い切って出すのがコツ).抜いた後排尿しようとして時折尿道から空気が出てくるのは奇妙な感覚だった.

手術直後は凄まじい頭痛が起こった.偏頭痛とよく似た慣れた痛みで,今までの偏頭痛では見たことのなかった歯車のようなギザギザしたものが空中に見えた.朦朧とした意識の中でこれが閃輝暗点というやつかと思った.気分も最悪で手術後にコイルの様子を見るためのMRを撮っている途中で我慢しきれず吐いてしまった(大変申し訳なかった).

翌日になるとだいぶ頭痛は収まったが,それでも一ヶ月ほど偏頭痛のような頭痛は続いた.最初の一週間は眠れないくらい痛い時もあった.他の脳動脈瘤治療をした人の話を調べると術後にこうした頭痛を起こしている人はいなかったので個人差があるようだ.

1日経って,シャワーを浴びるために頭に湯をかぶった時に,左目に奇妙な筋が走った.明るいものを見て目が部分的に眩んだような感じだ.初めは何か明るいものを見て焼き付いているのだろうと思ったが,いつまで経っても消えなかった.閃輝暗点一種だろうかと思い,しばらく様子を見ることにしたが,一向に消える気配が無い.翌朝眼科を受けたところ,左目の網膜の一部に浮腫ができているということが検査で分かった.原因は不明で,考えにくいが詰めた動脈瘤から血栓網膜の血管に飛んだ恐れがあるということだった.通常,血管にはそうした血栓を通さないための仕組みがあり,そうした血栓が目に行くことはあまりないことらしい.

私としては熱いシャワーを頭に浴びたのがよくなかったのではないかと思う.それで血管が広がり血栓が通過してしまったのではないか眼科医は「時間がかかるだろうが,浮腫は軽度のもので年齢的に若いから治る可能性が高い」と話した.神経の修復を促進するためのビタミン剤と血行を良くする薬を処方された.もしかしたら左目はずっと一部が見えないままなのかとウンザリしたが,見えていなかった左目の奥の動脈瘤という危険な穴が,命を脅かさない代償として目に見える位置に移動したのだと考えることにした.

退院後は血栓を作りにくくする薬を二週間飲んだ.応募していた企業インターンが受かったため,それから二ヶ月の間インターンに参加して企業結構忙しく働いたが,最初の方は頭痛が残っていた以外に動脈瘤治療が何かの問題になることは無かった(目も実際のところそんなに気にならなかった).痛みや症状がある内は不安で頭が一杯になるかもしれないが,少なくともそうした不安がずっと続くことは決してないということが分かった.人間適応するのだ.

それから数カ月が経ち,今現在は左目の網膜上の浮腫もほぼ無くなった.目が暗順応する過程もやもやとした揺らめきが時折視界の外側に見えることがあるが,ほとんど日常生活する上では気にならなくなっている.

また,あれだけ頻発していた偏頭痛ほとんど起こらなくなり,起こっても以前ほどの痛みを伴わなくなった.思えば偏頭痛で毎回痛かった部分が動脈瘤のある場所だったのでやはり何か関係があったのではないかと思う.

手術前に応募した研究予算はやはり燦々(*1)惨憺たる結果だったが,インターンさせてもらった企業から内定を貰ったので,来年から務める予定である

動脈瘤は年齢に関係なく成人の5%程度が持っていると言われている.ほとんどの人にとって知り合いの内の数人は持っているということだ.ほとんどの脳動脈瘤は小さく,破裂することは稀だが,それでも全ての脳動脈瘤は破裂してくも膜下出血を起こす恐れがある(というかほとんど全てのくも膜下出血発見されていなかった未破裂動脈瘤が破裂することで起こる.逆に未破裂脳動脈瘤が無い人はくも膜下出血を起こすことはほぼ無い).

くも膜下出血を起こしてからでは遅い.MRを撮ったことがない人特に偏頭痛に悩んでいる人(*2)は一度MRを撮ってもらうことをおすすめする.

たとえ,未破裂脳動脈瘤があったとしても,パニックになる必要は無い.5%は引くかもしれないが,スーパーレアを引くのは難しい.

(*1) 20170108修正コメントで多数指摘があった通り「燦々」は誤字.燦々たる結果だったらよかったのだけれど.指摘ありがとうございます

(*2) 20170108修正偏頭痛と脳動脈瘤無関係なのでこういった提案おかしいという指摘があったが,その通りである医者の言によれば,脳動脈瘤を持っている人の中には偏頭痛持ちの人もいればそうでない人も脳動脈瘤が無い場合と同じようにいるということだった.ただ,私の実体験として,脳動脈瘤治療後に偏頭痛の発生する頻度が激減したことと発生しても以前と比べて痛みが軽くなったことから,私の場合は両者には何らかの関係があるのではないかと考えている.しかしながら,これはたかだか個人体験から来た本人の推量であるので,一般的な話と考えるのは無理があった.指摘ありがとうございます

2016-05-23

つり革のダイレクトアタック危険

父親の話

スペック 50後半、過去白内障手術で眼内レンズ?を右眼だけに入れている

父親電車に乗っていた時のことだ。父はリュックを網棚に置くというご普通の行動をしていた。しかしその時、運悪くつり革がリュックに巻き込まれて網棚に乗ってしまったらしい。そして降りる駅に着き、リュックを網棚から取った時、そのつり革が反動で、更に運悪く父親の右瞼にダイレクトに当たったのだ。(振り子の要領?)その結果、眼内レンズというものがその衝撃でズレてしまったらしいのだ。

それ以来視界が二重になってしまったらしく、そして今度手術するまでの事態になってしまったらしい。無事治るといいんだが。

日常些細なところにも危険があるということを再認識させられた話だった。後つり革怖い。

2016-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20160427143543

ステロイド白内障になるの

内服の副作用だろ

外側に塗った程度で白内障ならんわw

特にローションなんて強度低い奴だろうが

http://anond.hatelabo.jp/20160427131244

皮膚科に行ったらステロイドローションもらったけど

白内障こわくて使わずにいた

頭の水虫白癬菌が原因だと個人的には思ってるが医者agaといいました

2016-02-24

自動車依存し続けると失明し、足が腐り(壊疽)、致死率の高い心筋梗塞脳梗塞リスクも。

http://anond.hatelabo.jp/20160222235701

すし詰め状態でも車よりはマシ。車通勤電車通勤よりも健康に悪い:英研究

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1253314?news_ref=top_latest_net

「はじめよう!エコ通勤」(PDF:1544KB) - 栃木県

http://www.pref.tochigi.lg.jp/h03/eco-tsukin/documents/ecotsukin-leaflet.pdf

自家用車通勤すると高血圧糖尿病肥満リスクが増加

http://kenkounews.rotala-wallichii.com/car_commuting_impacts_health/

自家用車使用を控えるだけでダイエット効果

http://kenkounews.rotala-wallichii.com/reduce_car_travel_cut_calories/

徒歩や自転車通勤すると糖尿病と高血圧リスクが減少

http://kenkounews.rotala-wallichii.com/walking_cycling_commuting_diabetes_hypertension/

日常的に運動をしていてもマイカー通勤だと太る

http://kenkounews.rotala-wallichii.com/car_commuters_inevitably_obese

自動車依存から運動不足誘引する、世にも恐ろしい『糖尿病合併症

1.細小血管障害  1)糖尿病網膜症 2)糖尿病性腎症 3)糖尿病性神障害

2.大血管障害 1)脳血管障害 2)虚血性心疾患 3)糖尿病性壊疽

3.その他 高脂血症・慢性感染症 胆石症、白内障、他多数

また、自動車依存度の高い人が多い地域ほど、例外なく肥満糖尿病、高血圧等による

・身体、特に指等の末端が腐る『壊疽』 ・目においては『白内障』 『失明』に至るケースも

免疫力低下による『急性感染症』『慢性感染症

・致死性の強い『脳梗塞』『脳溢血』『心臓病』『腎不全』…他多数

生活習慣病メタボリック症候群……合併症、長い闘病生活必要な病、致死率の高い病魔が蔓延している。

これらほとんどは、自転車や徒歩などの移動を心がけることにより、予防改善できる。自転車はヒザへの負担が軽い。

運動がてらの移動は、身体への健康効果のみならず、気分転換ストレス解消にもなり、精神面の健康にも貢献する。

下記は自動車依存による疾病リスクのほんの一部

糖尿病 合併症 - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85+%E5%90%88%E4%BD%B5%E7%97%87

肥満 合併症 - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E8%82%A5%E6%BA%80+%E5%90%88%E4%BD%B5%E7%97%87

血圧 合併症 - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E9%AB%98%E8%A1%80%E5%9C%A7+%E5%90%88%E4%BD%B5%E7%97%87

2015-07-20

おばあちゃんが亡くなった

最愛のおばあちゃんがお昼頃亡くなった。


朝、妹にたたき起こされた。「おばあちゃんが救急車で運ばれたって!」母親から電話をとった妹も目を丸くしていて、なんだか現実味がなかった。


おばあちゃんは高血圧持ちで、3年前の夏もそれで倒れていた。そのときも体の衰えに「しぬしぬ…」とこぼしていたが、高血圧以外の異常はなく、薬を飲むことで持ち直していた。

今年の6月ぐらいからか、おばあちゃんは自己判断で高血圧の薬を飲むのをやめた。薬を飲むのをやめて、少し経ったごろから気温がばかみたいにぐんぐんあがった。

むしむしした空気はおばあちゃんからあっという間に覇気という覇気を奪った。おばあちゃんはまた「もうだめかもしれない」と口にするようになった。


わたしは、家族のだれよりもおばあちゃんにかわいがられていた。一人娘である母が少しやきもちを焼くほどである

おばあちゃんは少女時代ほとんどを戦争と共に過ごした。とはいいつつおばあちゃんの実家田舎お金持ちでだった。家にはお手伝いさんがいるような、当時にしては裕福な家庭だったと話してくれたのを覚えている。

子供の頃は足が速くて、トロフィーもいくつか持っているのよ、と嬉しそうにしていた。


おばあちゃんはお見合い結婚だった。成人したら家を出るのが普通だったのよ、と言っていた。

おばあちゃんは愉快な人で、少しわがままなところもあった。

おばあちゃんはすっとした切れ長の目の持ち主で顔は小さく、いわゆる美人の部類だ。そのためたくさんのお見合いの申し込みがあったそうだ。

その中からおじいちゃんを選んで結婚した。おじいちゃんはぱっちりとした二重まぶたを持ったハンサムなひとだ。

数ある中から気にいって選んだおじいちゃんも、結婚後に借金が発覚して、おばあちゃんは物心ついたときから私にその話をよくした。

お母さんがいうには、小さいこから二人は口げんかばかりだったという。それでも、わたしはおじいちゃんと口げんかをする元気なおばあちゃんだ大好きだった。


おばあちゃんの口癖は「借金のあるひと、田舎長男とは結婚しちゃだめよ」だった。

これは、さっきも話したおじいちゃんの借金の件と、母の結婚相手が北海道から出稼ぎに来ていた長男坊だったことに由来する。

お母さんは、高卒事務員として働いていた。その先輩社員が私のお父さんだった。お父さんはお母さんの8つ年上で、就職したばかりのお母さんとすぐに付き合い始めたのを快くは思っていなかったそうだ。

おばあちゃんは、私のお父さんのことを自分の息子としてそれなりにかわいがっていたし受け入れてはいたが、娘をたぶらかした男として、私だけに、内緒の話として、お父さんの悪口を教えてくれた。

わたしは、これがうれしかった。父親の悪口を受け入れる娘など、世間的には非常識かもしれないが、おばあちゃんとする秘密の共有がくすぐったくて仕方がなかった。

関東まれのお母さんはもちろん生まれ時代土地も違うお父さんの実家では苦労した。これがおばあちゃんがお父さんを少しいじわるな気持ちで見てしま理由だった。


おばあちゃんは少女漫画のような人で、フリルレースリボンが大好きなひとだった。会いに行く度に満面の笑みで向かい入れてくれて、家族で一番の私の理解者だった。

おばあちゃんは、お父さんとお母さんが妹に甘いことを知っていた。だから、わたしをその分飛び切り甘やかしているのだ、と言っていた。おばあちゃんのそういうところがだいすきだった。


おじいちゃんに「おばあちゃんが元気がないから、会いに来てくれ」と言われた。わたしはいくら元気がなくとも私に会えば元気になるだろう、と能天気にも高をくくっていた。

ところが、玄関を開けてくれたおばあちゃんの声はか細く、首筋には骨と血管が浮かんでいた。おばあちゃんは笑ってくれなかった。

わたしはなんとかおばあちゃんを元気づけようとした。なかなか彼氏ができないこと、就活がままならないこと、妹の高校の話、昔飼っていた柴犬の話、お母さんの話……。

おばあちゃんは少しだけ笑ってくれた。だぁら、きっと元気になるだろう、そう思っていた。またね、とあのとき確かに、言ったのに。おばあちゃん。


そのあともおばあちゃんの具合はすぐれなかった、いろんな病院に行った。胃カメラもしたし、レントゲンも撮ったし、脳もスキャンした。以上はどこにもなくて、高血圧気候所為だと、安心していた。

そのうち、実は目が見えないと訴えたので、眼科へ行くと白内障だったことが分かった。すぐに手術が決まって、目がゴロゴロする、と言いつつ手術は成功した。先週の木曜日のことだった。おばあちゃんは、まだまだ生きると思っていた。

でも、全然そんなことなかった。おばあちゃんは突然倒れて、突然死んでしまった。おばあちゃん、わたし、就職結婚子供もまだだよ、ねえ、おばあちゃん。


おばあちゃんは藤とか、スミレのような淡い紫色がよく似合う品のあるかわいいおばあちゃんだった。わたしは、こんなにかわいくて、すこしわがままで、でもなんだか許してしま女性を知らない。

世界で一番かわいいおばあちゃんが今日亡くなった。願うように、かみさまにすがるように叫んだ「またね」の約束はもう永遠に果たせない。

けれど、いつまでも悲しむことをおばあちゃんはよく思わないだろう。だから、わたしは世界で一番大好きなおばあちゃんへの愛のしるしとしてこの文章を残そう。



おばあちゃんの孫になれて、こんなに幸せなことはなかった。きっと、またどこかで会えると願っている。

おばあちゃん、このさきもずっとずっと大好きだよ。

2015-07-02

まだ死んでほしくない

実家帰省するたびに、父親のパーキンソン病悪化している

白内障も併発しているからだろうが、暗くなってからの運転でカーブの曲がり方など、

昔はあんなにスムーズだったのに今では大きくブレてしまうようになったし、

なかなか車線の真ん中に戻れなくなった。車の少ない時間帯だから良いものの、

次の免許更新はもう無理かもしれないと思っている

すくなくとも数年前はまだそこまでではなかったのに

 

話していることも、忘れやすくなった。もともと話を半分しか聞いていない人だったが

今では前の日に言ったこともよく覚えておらず、母親がよく愚痴っている

明日には帰ると私が言っておいても、次の日にはいつ帰るんだったっけ?と聞いてくる

私は言わないが、母親はそういうことになるとお父さんまた忘れてる、と本人に言ってしまうので

私のいない間おそらく毎日のようにずけずけ言われているのだろうと思うと可哀想にも思うが

そういう人の相手を24時間している母親気持ちも分かってやらないといけない

 

まだ、65歳にもなっていない。そして私も、まだ就職もしていない。

幼い頃、よくある話のように私が就職して初任給プレゼントをして、私がいずれ結婚するまで

両親が元気なことは当たり前なのだと思っていたし、すくなくとも高校まではそれを信じていた

いまでは、就職したところで父親がそれを理解できなくなるかもしれないという恐れのほうが強い

手が震えて食べ物をこぼしやすくなったので、今年から前掛けをつけて食事をするようになったのだが

こうなるともはや旅行どころか外食すら、お金を出して行かせてあげるということもできない

(なによりそういうことを本人が一番嫌がって出かけたがらない)

 

親孝行らしいことなどできないままに、ただ弱っていく父親を見ているのはつらい。

私自身はあまり長生きすることに頓着がなく、むしろ30ぐらいでさっくり人生が終わって欲しいのだが

両親には一日でも長生きして欲しいと思っている。自分寿命を半分にして渡せたらいいのに

2015-05-14

50%確率って高いですか?

2011年にこの増田を書いた。姉が出産したが、娘は生後1ヶ月で亡くなり、翌年生まれ長男も生まれて一週間で亡くなったって話。

http://anond.hatelabo.jp/20111005234524

この話はいまも続きがあって今は私の話にもなってる。

姉はその後、大きな病院で先天性ミオパチーという病気を疑われ遺伝子検査をした。このとき、いつか子供を生むかもしれない私には、遺伝病気じゃないから大丈夫だよと説明をしてくれた。

それから4年が経っても姉は病気について調べたり、東京の大きな病院検査をしたりしていたが詳しいことは聞いてなかった。問題ない遺伝子だったらお腹に戻して妊娠出産するための審査に通ったとか順番待ちだとかを軽く耳にしていた。

私は私で結婚が決まり、30歳までに子供も産みたいなぁとキャリアの計画を立てはじめていた。そんなときからきたラインは、お祝いの言葉と念のため遺伝子検査を受けてほしいというものだった。あれ?たしか遺伝関係ないっていってたのに、、?と思ってすぐさま詳しく聞くと、何年も前に疑いがあった先天性ミオパチーではなかったとのこと。遺伝子検査血液検査とは違い一つの病気に絞って検査して、違ったらまた何かの病気に絞って検査しかできないらしい。当時はまた一から調べ直しになり、原因不明のまま数年が過ぎていた。

その後母がたまたま大腸ガンになって入院していた病院遺伝子外来をみつけ、再度カウンセリングを受けた。そこの先生が筋緊張性ジストロフィーという病気を疑い、再度遺伝子検査をしたところ確定したそうだ。姉から子供遺伝していたのか、姉の旦那から遺伝しているのかは医師アドバイスもあって今は明らかにしなかったらしい。(あとあとお前のせいだ!とかでもめがちらしい)

でも姉は私だと思うと話していた。母の白内障と、女から遺伝した方が子に遺伝するにつれ重症化するという話からでた姉の予想。ちなみに私や姉には一切症状はない。

私に遺伝している確率50%

まず最初にもった感想は、でき婚とか狙ってなくて本当によかった。

こどもができてから子供筋ジストロフィー遺伝してるかもなんてなったら耐えられない。

いまは姉と姉の息子の遺伝子検査結果を持って都内病院に通い出した。

遺伝子検査をするにはいろいろな条件が必要で、道のりは長い。実費で一回1時間2万円のカウンセリングを最低二回以上受けた上で初めて検査できるかどうか決めてもらえるらしい。

検査の前に保険に入らないといけないだとか、もし遺伝していた場合未来予想図を提出するだとか、いろんなことがたくさんある。

カウンセラーは、知らなかっただけで遺伝してることは他にもあるかもしれないし、全てを知ることはないんだから調べないという手もあるのよ。と話してくれたが、そんなの考えられない。

遺伝してたらどうしよう、という考えても結果が変わらないことを考えるのは一番嫌いだ。

はっきりさせたい。姉の辛い姿を見たうえで、遺伝してるかわかんないけどこどもつくろっかな!なんてのも絶対無理。生まれてすぐこどもが死ぬなんてあんな悲しいことはない。生きていたとしても障害を持っていたら養う甲斐性も覚悟もない。遺伝していたら子供はつくらないと、夫になる人とは決めている。

50%って高いよね?

はやく、結果を知りたい。

そして、できれば私もお母さんになってみたい。

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