はてなキーワード: 楽天的とは
最近母によく言われるようになった。大学生活も半分を切って、色々考えることも増えてきて将来はどうしていこうかなんてよく考える。
あんた就職どうするの?水商売でもやる気?今のバイト先でフリーターとかやめてよね。あんたの歳にはもう結婚してたよ。
それって私に言うべき言葉なの?私の将来なんだよね?
両親が共働きで近くに祖父母がいたから食事は土日だけ家で食べる。平日の洗濯物を畳んだりするのは小学校の時から家にいる人の仕事だった。弟はまだ小さかったし、必然的に私がやることになる。中学上がる前から洗濯物を取り込んで、教えてもらった畳み方をその通りにするだけ。
家族の中で私だけが目に見えてわかるくらい大雑把な性格で楽天的だと思われてるから、部活で遅くなって晩ご飯に間に合わないから取り込んで終わりなんてこともよくあった。その度にぐちぐち言われる。そんな中途半端で終わらせるならやらなくていいからとかお前は本当に何にも出来ないんだなとか。
うちの家族はみんな片付けるのが下手なんだけど(これは私以外も気付いてると思う)、お姉さんな私が体操服やワイシャツを綺麗に仕舞うことができなくて分かりやすく怒鳴られ叩かれ一回だけ蹴られたこともある。母がいつもそういう役回りで「お姉ちゃんがしっかりしなきゃ弟が真似するでしょ!何が悪いか言ってごらん!なんで黙るの!」と言われて母の言ってることは違うんじゃないかと言えばすぐに手が返ってくる。そんなこと繰り返させれれば何にも言えなくなるのは当たり前だと思う。2、3回だけ顔を叩こうとした腕を掴んだけどそれで更にヒートアップしたこともあった。母が私の部屋(弟と共同部屋)で私を叱れば頃合いを見計らって父が少し含んだ表情で「今度は何をしたの?」と割り込むのはお決まりの流れだった。私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。そんなに気になるなら自分で言ってこいよ。自分たちを棚に上げて、明らかに馬鹿にしたように叱られるのが悲しくてつらくてどうしようもなかった。
母は「私がこう言わないとお父さんはもっとひどく怒られるんだよ」と言ってくるし、おばや祖母もお母さんが「盾になってくれてるんだよ」なんて言われたけど盾になってくれてる人が叩いたり、蹴ったりしてくるのかと思った。私がきちんとしないから怒られるのもわかってるし、自分が一番悪いとも思うからマイナスなことはあまり口に出さないけど、次の日に普通に接するとあんたは本当に反省するとかしないんだねと言われた時は流石に傷付くし、挙句の果てには何にも考えてなくて楽でいいねなんて言われる。
中学2年のとき成績や生活態度みたいなことで怒られた時、父が本気で怒ってバリカンを持ち出して頭に当ててきたことがあった。刃はついてなかったけど機械の音が聞こえて来たときにパニックになって刈られるくらいなら自分で切ってやると思って、耳と肩の間にハサミを入れて自分の髪をきったことがあった。父は私がロングヘアに憧れていたことも知っていたと思う。小さい頃からぶーちゃんとかブタみたいなんて面白半分で言われて男の子みたいな服ばかり選ばされていたわたしからしてみれば、長い髪は女の子として見てもらえるんじゃないか、可愛くなれるんじゃないかとかそういう憧れみたいなもので悔しくて大泣きしたのを覚えている。私の理想像として好きで好きでたまらない人たちは小さい頃に私がなりたかった憧れそのものなんだと20歳過ぎてからようやく気づいた。
高校も同じような感じだった。中学に上がった弟は私が小学校、中学校で出来ていたことよりも下でも許されていた。今もそう。例えば夕飯後の食器の洗い物も女のやること。私に手伝えといっても弟にはやらせない。お姉ちゃんがやれば弟もやるんだよなんてしょっちゅう言われるけどいやいやいやお前ら強制的にもやらせないくせに何言ってるんだよ。弟にも手伝わせようとするといいから早くやってと私に言ってくる。女だから家事をやれたいうんじゃないんだよなんて言うけど弟にも同じようにやらせない時点で女で嫁にいかせるからやらせるんだろ?馬鹿馬鹿しい。家事を出来る範囲でやるのは当然のことだと思うけど、弟の方が余裕ある時でも私がやらなかったのが悪いなんて言われることはざらにある。私が全て悪いのですね、はいはい。
大学は押し切る形で決めた。両親は高卒で働かせようとして最後の最後まで(なんなら未だに)学校に行く意味あるのかなんて言ってくる。母には入学金だけ払って頂いて就職したら返して行くつもり。学費は全部自分で払ってて奨学金も借りてる。毎月決めた金額を祖母に渡して管理してもらってるけど、バイトにあんまり入れない月もあるわけで、学費の納入を送らせてもらうための判子を押してもらうために書類を見せたらこれでもかというくらいに怒られた。どうせ遊んでて少なくしたんでしょとかなんでもっと計画的にバイト入れないのとか色々言われた。一番笑いそうになったのは足りなくてどうしようもなかったらお金貸すからって言われたこと。一ヶ月ほど納入を遅らせることが出来て自分で払えるなら一々馬鹿みたいに怒鳴られるより判子を押してもらった方がまだ精神的に楽だ。貸してあげるからなんて言って怒鳴れるなんて勘弁したい。バイトもそう。大学入ってから24時近くのシフトまで入れるようになればもうちょっと時間を早く出来ないの?とか土日どっちか休んだらなんて言うけど、土日に給料が上がる飲食店勤務のアルバイターにそんなことを言えるなと思う。なんでもっと入らないのとか言われることもたまにあって本当に勘弁してもらいたい。
一番キッツイのは弟が高校に上がってから。家から大学まで1時間以上かかるから弟の方が家にいる時間は長くてそれなりに家事もできる。流石に洗濯物を畳めるようになったし、米を研ぐことも出来るようになった。私も家に帰るのは遅くなったりするから弟が私がやってた役割をするのは必然だと思う。そうすると今度はあんたは何もしてない、何も出来ないになってしまった。
母が遅くなったり自分のものが多ければ洗濯機回して干すこともできるし、家の掃除も一人でしたことも当たり前にある。風呂掃除も米研ぎも私がずっとやってきたことだった。家の家事の大部分をしている母からすればやったことにはならないかもしれないけど、最近そう言われる度に自分の中の何かが崩れそうになる。結婚するときにどうするの?なんて言ってくるけどなんで私が結婚する前提なの?父は料理はするけど他は何もやらない。父の部屋は漫画で埋め尽くされてる。父は私の全てを馬鹿にしたいらしくて何かとつけて馬鹿にしてくる。声優が好きと知れば、あんななのどこがいいの?とか、BLが好きだと知れば、ホモじゃんとか、太ってるからな〜とかお前のその出てる腹をなんとかしてから言ってくれ。父のことは顔を見れば殺意が沸くほど嫌いというわけではない。小学生の頃から好きなアニメの映画がやれば2人で観に行くことはあるし普通に会話もする。けどある瞬間に投げかけられるそれらが嫌で嫌で仕方ない。母、おば、祖母は「お父さんはなによりも貴方を理解してくれてるし、誰よりも貴方の好きなものを理解してる」と言ってくる。私の趣味を理解してくれてるのはわかるけど、それでも嫌な部分はある。小学生のとき、擽りを家族三人がかりくらいでされたことがある。苦しくてやめて欲しくて泣いたけど結局私が胃の中にあった夕飯を全て吐き出そうとするまでは止めてくれなかった。音や接触を過敏に感じてしまうことがあるので何よりも辛かったし、それをコミュニケーションとして使って私に対してつまらないみたいな対応をされたのも凄くショックだった。自分の好きなものを否定されることの辛さを知ってるはずなのにそういうことを平気でしてくる。私が好きなアニメをみてくるとすぐBLか?ホモか?とか言ってくる差別意識とか本当無理。
私が大学生になった今でも4人で出かけることはあるしディズニー行くのも家族で行くのは普通だし、周囲にも仲が良いねなんて言われる。たしかに普通に仲が良い。けどそれぞれ微妙に壁を感じるし、弟が生まれるまで私は両親と過ごす期間があまりなかったから未だに遠慮してるのかも。
大人になっていけばこれって理不尽なことじゃない?なんで私は駄目で弟は許されるのなんて思うことは増えてくし、反抗期なんてなかったような私は高圧的に当たられれば何も言えなくなる人間になってしまった。母に何にも出来ないなんて言われても反論なんてする気が湧かない。そうだよねそんなもんですよね。
母はやたらと大学に通う私を馬鹿にしたがる。レポートが重なることなんて当たり前にあるのにあんたが何もやってなかったんでしょとか言われるし、家にある父のPCは使わせてもらったことがないのでおばに借りてやるしかない。リビングにある荷物も半分は両親のものなのに何冊か置いてある私の本を見れば、溢れかえってるかのような叱り方。大学生の姉と高校生の弟が同室でタンスを半分ずつ使う、二段ベットなんてかなりきつい。私の給料のうち手元には三万くらいしか残られないのに一人暮らししろなんて言ってくる。
大学生のバイトの給料で一人暮らしするなんてだけできついのにそれを出来るでしょなんて言われるとは思いもしなかった。私はあんまり友達と飲んだりしないから趣味に使ったりするだけなのにそれさえ否定されるなんてどう対応すればいいのかな。
母の結婚した年齢は今の私の歳。その私が馬鹿みたいにしか見えないのか。血の繋がりは感じるけどなんでも共有しあえるわけではないし、考えを全て知ることなんて出来ないのに色んなことを言われると気持ちが萎んでしまう。
今さっき母に言われたことがきつくて吐き出せる場所が欲しかった。もし読んでくれてる人がいたら長文読んでくれてありがとう。すこし落ち着いた。
芸能人が関東圏の放送状態が楽天的だ、不適切だのようだということ言ってるけど、
(その場にいないので断言はできない)
見ているだけで無力感を覚えたり、過去のトラウマを思い出す人、PTSDを発症してしまう人もいるので、
でも何より不自然なのはその不適切だという発言がすでに他人事のようになっていることだと。
「見ているなら助けろ」というのもメディアの人に物理的に助ける力があるというとそうでもない気もする。
ネットワーク的に人や交通網があるってだけで救助できる能力があるかは別。
災害を受けていない圏は経済を回したり、いつもどおり過ごすということも大事だし、
小さな日本では西と東でできているということじゃん。それは凄いことでしょ。
候補の中から挙げてくださってありがとうございます。
そうなんですね、それはもうただただつらいですよね……。
だからまだ運営から絶望させられたことがなくて、アニメ二期は遠くないうちに始まるし、3rdアニバのCDは遅れてはいるけどすぐ出るし、そうなれば足並みも揃うしグッズも増えるな!とバカみたいに信じてるんです。
だからPさんのお気持ちは正確にはわからないのですが、それでもめちゃくちゃにやるせないのは伝わってきました。
多分、私と同じような気持ちだったのに何度も裏切られたんだろうなと……。
4thをやるころには格差?そんな時代もあったな〜とここで書けるくらいになるといいなと思います。
意見を出すことは続けないとですね。
自分も全く同じ感性なので、全国に1000人くらい(厳密な)同志はいるでしょう。
FGOに27祖が無いと今回知ってショックだったけど、FGO側を独立させて今後の物語の陳腐化(放っておいてもカルデアが解決してくれる)を防いでいると考えるのは楽天的すぎるのだろうか。
ガラケーコンテンツのシナリオブックも出てたし、今EXTRAだかのシナリオブックも出てるので、あと20年もすればFGOのシナリオブックも出てるのでは。
HFの映画をやってくれるだけで僥倖なので、それ以上は望みすぎと思っています。
私は、月リメよりは2(the dark six)の方が楽しみです。
"I feel Coke"は1987年から89年にかけて展開されたコカコーラ社のキャンペーンで、CMにはたくさんのバリエーションがある。映像はYouTubeにまとめて上がっている。
1つ目は、松本孝美、ケン・ブレニスらのモデルが出演する20代後半くらいの、都会の会社員の男女の生活を書いたもの。
2つ目は、一般人が登場し、日本らしい日常生活の風景を描いたもの。
とくに1つ目の系統の映像は、何度見ても目が離せない。これは日本が舞台なのだろうかと、いぶかしく思ってしまうほど、垢ぬけている。
出演しているのが美男美女のモデルだということもあるのだけれど、描かれている日本の会社の風景が、あまりにもパワフルで、アメリカンで、楽天的なのだ。
今から30年前、日本がもっとも経済的に自信にあふれていた時代につくられた映像であるせいか、東京にある日本の会社はこのようにとにかくカッコいいものというイメージで徹底して作り込まれていることが、衝撃的ですらある。
こんなふうに楽天的に青春を謳歌できる時代に生まれたかった、と氷河期世代の自分は思う。
I feel Cokeで検索してネットサーフィンしているうちに、このCMを作っていたらしい人のブログを見つけてしまった。
その人によれば、「このキャンペーンは、日本人の普通の暮らしの中に入り込んだコカコーラの世界を描こうという企画だった。だから、今までのような美しいモデルは使わず、できるだけ素人っぽい人をキャスティングした。全員素人だと緊張してしまうので、ところどころにモデルを配して撮影する。モデルの演技や笑顔に、いつのまにか素人の人たちも撮影の雰囲気をつかんでいく。キャメラは、モデルを撮影していると思わせて実際は素人の表情を狙うという作戦」だったそうだ。
函館で1か月間のロケが行われ、運動会のシーンは、実際に、このCMの撮影のためだけに本物の運動会を開催したらしい。
このCMの世界観が普通にあったらしい時代と同じような日本を、自分は生きたいが、生きることができるのだろうかと思う。
訂正:88年→89年
「この手の人ってワンパターンしかないけど、どっかにマニュアルがあるの?」→煽り
「安倍ちゃん信者ってこんなのばっかだって思われるよ。」→煽り
「すごく特殊な日本語の使い方だね。特殊すぎて読解できなかったわ。」→煽りの上に勘違い
「いいんじゃね?精神病者だろうが、実感してるのは本当だし。君の中では自分と違う感覚の人を異常者扱いするのが安心なんでしょ?
じゃ、いいんじゃないの?ミサイル落ちてきても「これは異常だ!おかしい!」と思ってそのまま死ねたら幸せだね。」→煽り
「それが実感できないならよほど鈍感か楽天的なんでしょうね。いいんじゃね、自分のおきゅうりょうたんまりでうれちいでちゅねー」→煽り
煽りばっかじゃねーか
先日、沖縄にあるチビチリガマ内で遺品が壊されたり千羽鶴が千切られてたりしたらしい。
やはり事が事だけに、政治的な背景があって犯行に及んだのではないか、というものが多かった。
バッッッッッッカじゃねーの???
そんなことあるわけないじゃん?笑
ヤンキーがやったに決まっているだろ笑
まあ、直感的にこう感じた。
政治的背景が絡んでいるとするなら、バレたの時のめちゃくちゃリスクが高いだろう。
まあ、犯行に及んだとされる団体や所属を晒されて、一括りにされて叩かれたりすることは自明だろうな〜(それ以上は過激派ではないので想像がつかない)
案の定、その後の報道で少年4人が「肝試し」という動機で犯行に及んだということが分かった。
まあ逮捕された方々は、無職とか型枠工だったりしたので、やはりそれなりにヤンキーだったりDQNであったことほぼ間違いないだろう。
自称知識人の方々は、沖縄という地域が、どれだけ底辺を産みやすい環境であるかを知らない。
まあ成人式の様子であったり、離婚率は軒並み全国1位、そのくせ出生率も高いという統計をみたりすると、何となく「あっ…(察し」と大方の想像はつくかもしれないが。
俺の中学校では、昼休みにクラスの男子ほぼ全員を巻き込んで、取っ組み合いをする「戦争」という遊びが流行ってた。
「えー(方言で「おい」の意味)、戦争しよーぜ!!はい、ピー(開始の笛)」
とか言って。
暗黙のルールはやりすぎないこと(極端な多対1の取っ組み合いなど)、殴るのは禁止など。バレると続かなくなっちゃうからね。
なので大体は羽交い締めにするような形になって、相手がそれに屈したら負け、みたいな感じだった。
そして、また次の相手と取っ組み合う。
書いてみて思ったが、これの何が「戦争」なのかワケわからなさ過ぎて笑う。
ちなみにこれでも沖縄戦で最も激しい戦闘があり、集団自決を数多く生み出した地域の中学校での話です。慰霊碑だって数多く建立されている。
まあ、沖縄ってこんなもんです。
もちろん優秀な人もたくさんいるよ!!(申し訳程度にもならない沖縄擁護)
ナイチャー差別が根強い地域もあり、閉鎖的なイメージもあるかもしれないが、基本的には県民の気質は楽天的かつ享楽的。
まあ皆さんどう思うかは自由です。
まもなく2歳。
以前は自分の感情が抑えきれず、感情的に叱り、怒鳴り、時には手をあげることもあった。
子供が言葉を話すようになりコミニュケーションが取りやすくなったのが大きいように思う。
怒鳴り散らす事は減り、きちんと言い聞かせてあげられるようになった。
どんなに抵抗されても、感情的にならず冷静に対応出来るようになった。
今もまだ解消された訳ではないが、1人でもほとんどの不安は無くなった。
子が必ず言うことを聞くように仕向けてしまう所は、またまだ未熟なんだろうなと思うけれど。
こうでなければという理想を追い求めるのではなく、我が子が求める母親になろうと努力している。
以前より、たくさん抱きしめて、日に何度も可愛いねとつぶやいて、どこでもキスをしてしまう姿は端から見ればただの親バカなのかもしれない。
でもそれは私にとっての成長である。
どこかで見かけてもバカにしないで欲しい。
出来れば素敵な親子だね、と微笑んで欲しい。
ビジョンミッションが大切ですとどこぞの戦略コンサルタントがしたり顔してありがたいお言葉をくれるたびに、んなものどーでもいいじゃないかと本気で取り合ってこなかったけれど、いま目の前に広がる組織を構成する人の繋がりのこんがらがった状態を見てはじめてビジョンミッションは意味があるモノなんだなと納得してきた。いや、正しくは今じゃないな。少しずつもう以前から分かっていたのだけれども、何とかなるだろう的な超楽天的な考え方にぶらさがり見ないようにしていたかも知れない。
あなたは人を殺せと言われて、殺すことができるだろうか?そんなことを実際にいう組織はそうそうないと思うけれど、要は自分が今まで培ってきたいまさら変えられようもない価値観を壊すことができますか?という話。組織が崩壊するのは決定的に価値観が合わない人同士が同じ組織の中に存在する場合に起こりやすいのではないかと最近考えるようになってきた。価値観が根本的に合わない組織に人が投げ込まれてしまった場合どうなるか。その人はほぼほぼ間違いなく鬱状態に陥る。考えてみて欲しい。人を殺したくないのに周りからは人を殺してこい簡単だやってみろ人殺すことにより人が評価される社会ではそれが当たり前のように話されているのだ。思えば、前の会社はそれに近い状態だった(決して人殺しを強要した会社ではなかった。比喩だ)。恐ろしいのはひな鳥のうちから企業としては一般的でなく平均的にもならないほどのあり得ない価値観をすり込んでいるので「会社とはそうゆうものなのだ」と納得して仕事をしている歯車が大量生産されている会社だった。ひな鳥たちはその会社をブラック企業とは思わずに自ら進んで喜んで残業をする。もちろんサービスだ。社員の平均給与は募集時の提示金額は嘘っぱちで実際は業界平均よりも低かった。自我があり、自ら考えておかしいのではないか?と疑問を持つモノほど心がやられて病気になり会社を去って行った。心がやられないのは疑問を持たずに目の前に提示されたことを黙々とこなす社員のみ。社長はそれを望み社員もそれを望むというお互いの利害関係が一致する関係が築かれていた。表面上は平和だ。表面的には。そんな会社にも「世のため人のため」を謳ったビジョンミッションは提示されていた(そのためにはお前ら馬車馬のように働けと圧力がかかっていた状態だったためか、そのビジョンミッションを空で暗唱できる人はだれもいなかったが)。だからビジョンミッションなんてものは何一つ有用じゃないんじゃないかと考えていた。ビジョンミッションで価値観の共有なんてできやしないんだと。でもそれは今所属している企業を見ていると間違っていたのかもしれないと考えるようになった。いまの会社は人を殺してこい!なんて酷いことは言わない。むしろ隣人を愛しなさいと説く。価値観は合っていると思っていたのだったが、なにぶん困っているのは「隣人を愛しなさい」というビジョンミッションに対してとりうる手段が個々人で異なりすぎるのだ。人を愛すためにという大命題のもと私は1日6時間だけ働きますという人。1日8時間は働きますという人。7日で25時間だけ働きますという人。すべて人を愛すためなのですと理由をつける。うちの会社が隣人を愛し続けるために、競合の会社を破壊してきますという人もいるのを見るにつけ、それでいいのだろうか?と旗と考える事態になった。やっかいなことに、その行動がもたらす影響を横に置いて考えてしまうと、その行動を引き起こしている動機は皆善意なのだ。人を愛したい。隣人を愛すために愛すために愛すためになのだ。そう、ばっちりとビジョンミッションが効果的に効いているわけなのだ。ということで、改めてビジョンミッションは、達成に向けた手段の粒度も併せてすりあわせをしておくことの大切さを最近実感している。何より、組織の途中からビジョンミッションを作るのではなく、一番最初に作っておかないと行けないのではないかと思うに至った。ある程度人が集まった状態でビジョンミッションとその達成手段の手段の方向性までを再構築すると確実に組織がいったんは崩壊する。いまの組織ではこれから改めてビジョンミッションを提示することになるので、どんなにお互いに対話を重ねても重ねても価値観が合わない人は離脱するだろう。いやすべきだ。その人が鬱病になってしまっては不幸なのでしかるべきところで離脱してもらわないといけないのだ。
正直、契約終わるの見えてたし、年齢も高いから苦戦も見えていたので、ここ2年ほど下準備をすることを勧めていたが、何を根拠にかはわからないが、なんの支度もせず、なぜか自信満々だった。
そんなこんなでいよいよ契約を切られて転職活動をするが、上手くいかない。なんの支度もせず、対策もせず。行き当たりばったり。完全に就活舐めてる。
それでいて、「あれは条件悪いから嫌だ」とか「こんなんでは仕事のために仕事をするようなものだ」とか煩い。
選り好みできるような努力も投資もしてこなかったでしょうよ。なんでまだ余裕がコケるのか、意味不明だ。側から見たら、明らかにあなたは「選別される側」で、「選別する側」じゃない。
挙句、進展しない愚痴と、選り好みの結果逃した獲物の愚痴を延々と垂れ流してくる。垂れ流される未来も予想できてたから、早く準備しろといったのに。聞いてるこっちは怒りどころか呆れるばかりだよ。他人に呆れるってなかなかないよ?他人を貶める系の嫌な感情が湧いてきて自己嫌悪するからやめて欲しい。
しかし先日、とうとう「なんでもお見通しみたいでウザい」とキレられた。
でも、多分世の中の大多数の人が予測可能だと思うよ。誰もがなんの考えもなく、日々楽天的に享楽的に刹那的に生きてるわけじゃない。
いつもしたり顔で上から目線で高説垂れてたけどね、ニートが部屋の中で背中丸めて掲示板にヘイトな文章をドヤ顔で書き込むのに似てるんだよ、痛々しい。
2017.4.28
探しても出てくるはずの無い答えを探し続けている。将来のことだ。絶対に失いたく無いものは何か。何も持っていないはずなのに、踏み切れず、勉学に励めば何とかなるだろうという安定的・楽天的思考の現実。それに対し非営利法人で働き、国連という最高峰に登り詰める偶像が時を経る毎に乖離していく。現実を見つめれば見つめる程、答えのない解が遠ざかっていく、答えなどないのに。自分の主義が徐々に侵食されるのが分かる。枠の中でもがけばもがくほど、その早さは増す。後戻りはできない。明日という積み重ねが恐怖になる。考えない事が唯一の解なのであろうか。踏み出すしか希望の路は無い。私は非確定的な将来を極度に恐れ、安定的思考に走る典型的な人間であるから迷う。自分は俗世に塗れた汚い人間という事が今証明された。主義が曖昧な人間にとって挑戦とは恐怖であり、安定的思考に走るという”慣れ”が人を幸せにするのであろう。永遠に自分には分からないであろう不幸という慣れを幸せに感じて生きる。人生とは妥協であろうか。真の幸福な人生とは成功者の特権であろうか。あゝ結果論哉。迷いが決断を鈍らせる。永遠のジレンマの深淵を覗き続ける。未来が絶望的だ。
会員に書かせたりWikipediaコピペしたりして作成した内容の薄いキーワードページを大量のダイアリーにリンクさせてSEO対策した結果、
検索すると必ず出てくるけど見に行ってもメリットのないあのサイトなんなの?変な会社じゃない?お茶も出してくれ無さそう。ぶぶ漬けは出そう。
と噂されていた会社がかつてあったことを歴史から消し去るつもりですか!
Wikipediaコピペで水増しって楽天的な会社の電子書籍と似てますね。変な会社のブログでも批判記事上がっていたのは同族嫌悪だったのかしら?
内容が薄いだけならまだしもWikipediaのコピペをやめた後は未作成キーワードページに誘導して編集しませんか?と言われるガチスパム状態。
調べたいワードで検索してその情報があるんだろうなあと思ってクリックしたら白紙原稿わたされて「お前が筆者になるんだよ」って言われるんだぞ。
本当にひどい会社だと思いました。だが、はてなあ名前が思い出せない。
とにかくそんな会社のサービスで書かれていることは信用してはあきまへんえ。
http://anond.hatelabo.jp/20161129225450
追記
ほんと人間性を疑うよねー
楽天的な性格と自認しているんだけど、このひと月くらい、いろいろ思い通りにいかなかったり先行きが不透明だったり無能さを思い知らされるような出来事があったりで、普段それほど感じることがない(感じても なんとかなるさ で済ませてきた)いろいろな負の感情が同時に襲ってきて、上手く対処できずにいる。
冷静に考えればどれもそんなに大したことじゃないのはわかるんだけど、それでも不安だし怖いし悔しい。
何もする気力が起きないし、腹は減るけど飯を食っても味がしない。一日中猛烈な眠気に襲われるのにいざ布団に入っても熟睡できない。
「公園でひなたぼっこでもしたら少しは気が晴れるんじゃない」とか言われるし、自分なりのストレス発散のしかたもあるんだけれど、それすらする気力がない。歩いて5分の公園に行く気力もない。