はてなキーワード: 命題とは
思い切って、リベラルアーツでいうところの、文法学・修辞学・論理学をやったらどうだろうか。
まず、文法学。
一応、中学で現代文の文法を、高校で古典の文法をならったけど、あれ意味がないように思う。
辞書と文法書さえ手にすれば、ドイツ語だってフランス語だって、素人でもなんとか作文はできるけど、その逆にアメリカ人に中学日本語の文法書と日本語の辞書を与えて作文が出来るとは思えない。
江戸時代の学者が、平安時代の文章を解釈するために成立させた学問がベースになっているためだろうけど。
思いっきり刷新したほうがいいと思う。
言語学的な内容も盛り込みつつ、日本語学校で教えるような実際に即した日本語教育というのが着地点かと。
というか、なんで義務教育で今までなかったのか。
国語教育に「論理的に考える能力を身につける」とかいう目標があるなら、論理学の基礎を省くわけにいかないだろう。
集合、命題に触れるのが数学で、国語ではノータッチという有様で、論理的に考える能力を身につけるとか無理だろJK
この世にマニュアル本は数えきれないくらいあって、使い勝手もジャンルによってピンキリと来ている。
その中で最も使えないジャンルは、間違いなく恋愛マニュアルだろう。
あれはもう情弱コミュ障から小銭を巻き上げる以外の存在価値はないと思う。
もちろんamazonの書評とかでたまに見かける「自分はこれで○人落としました」みたいなレビューは、言うまでもなくステマと。
だって考えてもみて欲しい。
生身の人間と向き合うのに、マニュアルを読んでその通りにすれば万事うまく行くのか?
人間ってそんなに単純だったんだ?
というわけで、あの程度の薄っぺらい本に書かれている内容程度で、色んな異性と上手く行くようになるわけがない。
そもそも恋愛までマニュアルに頼るとか、その感覚が非常にキモい。
頭大丈夫?てかそんなんだからモテないんじゃね?とツッコみたくなる。
結局、「どんな恋愛マニュアル本を読めばいいか」という命題に対しては、
という答えになると。
思い浮かんだのは父親だったので電話して助けになってほしいと思ったが、
返ってきたのは人の話も聴かず分かろうとせず、スパルタ一点張りだった。
だから分かったのは、
だから心身ともに鍛えることにしたし、引き受ける負担を減らすようにした。
自分の生命維持という命題について他人の力をなるべく借りないようにした。
100%にはできないけどね。
死にそうだから助けて!と叫んでも助けてくれる人なんて居ないかも知れない。
まあ、今思えば、もっと適切な相手に助けを求めればよかったんだと思うが、
それだけ信じていたからこそ、辛かった。
かかわるのをやめた。
Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。
(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)
AKB48メンバーの恋愛・丸刈り問題、フランスの新聞「リベラシオン」にも掲載されました。
タイトルは「日本のダンサー少女の丸刈りに衝撃」で、事実を淡々と伝えています。You Tubeの画像が24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦後ナチの将校と寝たフランス女性の懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本の懺悔の伝統に少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています!
私は、You Tubeは世界中から見られるので、日本の恥を世界にさらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485
どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。
Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスはAKBのような存在そのものが成り立たない成熟社会です。
商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。
AKBのような存在そのものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。
Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。
Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ
端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?
ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。は結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?
私の考える「成熟社会」とは、自由、平等、法の支配がより行きわたる社会です。子ども、女性、障がい者等、弱者の権利がより守られる社会です。
もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランスが成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本の新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスにももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童・暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っています。モーニング娘やコスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています。
Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドルが存在しえないことは「自由、平等、法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います。
児童ポルノ問題については、日本はアメリカやヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります。
今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランスの新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。
Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理のプロとかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性の商品化(差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています。
へジャブ禁止令もそもそもイスラムの女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています。
察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います。朝日新聞は、「アイドルの恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度からの意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。
今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性の商品化→即差別と考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性問わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。
ヒジャブ禁止は、フランスの差別解消についての独善性が出たものと思っています。ムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います。
それはともかく、AKBが存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性の商品化は差別である」→「AKBは女性を商品とするものである」→「AKBの存在は差別である」→「差別のある社会は成熟していない」→「AKBの存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?
女性の商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。
なので、上記の「女性の商品化は差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年を商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います。
このAKBの構成員たる若い女子の丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか、秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからきます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。
法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性、若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます。
Aさんの仰ること、私には大変よく理解できます。ロースクールも法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。
そうそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります。人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間がいるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。
謝罪って・・・誰に対して?写真集の犯罪については責任者=男性・権力者の落とし前は社会的にも不問で、労働者=女子は人権も人格も否定される不平等が搾取だし、キモい。日本はジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である。
AKBの女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子の丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います。
この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチスの収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。
こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界にさらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。
私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。
テレビのニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感の本質をついてくれない。
Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。
>Aさん
女性の商品化というよりは、子供の商品化が問題であり、また、それとは別に、処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしかに女性差別の意識の発現と言えるでしょうから、処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。
ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。
少数派の意見を正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈付けが必要です。もちろん、問題発見のプロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化のプロセスにおける理屈付けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。
>Cさん
「嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化のプロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分を安全地帯において評論する、というところからですかね。
Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性の意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代脳である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。
意訳できてないよ、元増田だけど
ただ、本質の一部を欠落させ色づけ・脚色された真実は時として人を動かすことがある
たとえば、「名誉だ!世界のためだ!」という言葉は承認欲求や生物の生存欲求が本質であるかもしれない
だから、承認欲求や生存欲求という本質を色づけしたものにすぎず、適用範囲や正確性には問題があるだろう
けど、「生存欲求のために頑張ろう」と激励するよりは「お国のために頑張ろう」と言った方が効果はあるだろう
いくら尊い精神論を振りかざしても自己犠牲で自殺することが難しいように
そこには限界があり、そういう場合には本質を踏まえた具体的な対応(医学や物理学、俺で言うなら行動分析学)が必要になる
人は人の殻を破れないので、「思えば叶う」というのは妄言に過ぎない
それは精神論・根性論に帰結するのであって、現実的には何の影響力も持たない
しかし、その正反対にある工夫や英知、努力や健全さなどもお飾りに過ぎないのですよ
そこに「人はより良いものになる」などという金メッキを貼りつけたところで、何も表せてはいないのですよ
同時に「人は堕落するものである」などと泥を被せたところで、やはり人の本質は捉え切れていないのですよ
そうして色づけされた真実は、その側面のどこかを欠落させるだろう
「しかし君ね、それではおかしいではないかと。真実に貼られたメッキや泥に過ぎない思想の価値を、君自身が認めているではないか」と
「思想によって人が救われないというのならば、君の言う行動分析学とやらは今まで以上に人を救うのかね」と
この時、「思想で救われるものなど一つもないのですよ」という命題自体が思想であることになり、形骸化すると同時にその有用性を主張するようになる
以上でオチが付いたということで、あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
一連の議論に非常に釈然としないモノを感じたが
冬コミ同人原稿入稿を控えた今の自分にそれを言葉にして残しておく時間が
まだ捻出できないので
その対象の要旨だけメモ置き
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1352018734/
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538 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 11:19:13.92 ID:7om9UDEV0
昔にくらべてどんどん露出凄くなってるしやっぱ全体的に売り上げ下がってるんだろうと思うよ
539 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 11:27:01.22 ID:DZVR6ULp0
まあ、そうだよね・・・
540 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 11:35:56.73 ID:Yz/kzP+I0
商業サブカルもシュリンクするから食い詰めた絵描きだの物書きだのがこっちに落ちてきて、もしくは商業に上がれないまま留まって、
同人の足切りラインの上昇が加速して作家側は年中競争ストレスに晒されるようになる
耐えられなかった奴、能力が及ばなかった奴から退場させられていく
エロパロをコミケで売るのは、経済的なメリットよりも「同好の士による交換会」という建前の維持の面が大きいんじゃない?
この建前とその意味を忘れているか、下手すると意味が分からない人もいるかもしれないけど
委託でも結構微妙なラインだし、無限の在庫と無期限の販売期間を持つDL販売に至っては最早商行為以外の何物でもない
543 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 12:25:16.22 ID:DZVR6ULp0
>>540
ああ、いや、そういう意味じゃなくて
どう頑張っても飽きられるもんだしね
露骨なエロで小金稼ぎたいだけなら、オリジナルをDL販売で十分と言うか
547 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 20:45:23.59 ID:Yz/kzP+I0
>>543
>>539が言っているけど、売れる人売れない人の二極化が激しくなっている
より正確にいえば、足切りラインがどんどん上がってきて脱落者の増加が加速度を増している
競争を勝ちい抜いて売れる側に立てる人間はいつだってほんの一握り
残り大多数は下卑た手段でも何でも使って底辺を這いずり回る他に生きる手段が無い
上昇志向を持ちながらエロ同人やエロゲ作り続けている奴は、嘗てのピンク映画や日活ロマンポルノの制作陣みたいなものだよ
素の実力では見向きもされないから、表現したいものガーだの何だの自己弁護をこねくり回してエロを混ぜる
だが結局ピンク映画やロマンポルノはAVに負けて滅んだ、一般とエロどちらにも特化出来ないジャンルに市場は背を向けた
エロゲが負けている相手がラノベかどうかは分からないが、エロゲが衰退の一途なのは確か
上記の前例から考えれば、将来のエロ同人も恐らく今よりずっと衰退する
最終的に残るのは、実力のある一握りは早々に一般に逃げ残り多数はエロ特化でジリ貧でも業界にしがみつく、そういう世界
548 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 21:23:50.48 ID:9I9yGD0a0
ピンク映画が負けたのはAVを家庭で、それも早送りで見れたからだろうな
映画だと早送りできないので、最初から最後まで見るしかないが、
AVは肝心なシーンまで飛ばせば良い
とすると、より過激な部分だけあればよいし、ストーリー部分は値段を上げる要素でしかない
凌辱ゲーは最初から最後までエロなので、時間が無い社会人向きだと
以前から言われていた
手っ取り早く抜ける凌辱ゲーに移行する
同人誌も同じような感じになってきてるのかな?
552 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 23:01:57.57 ID:nLP7+3im0
>>547
露骨なエロっていうのがどの程度の事を言ってるか分からないけど、書店売り商業誌くらいのエロさがないなら、もともとそう売れるものじゃなくね?
うーん
ちょっと議論しよう
前にも書いたような気がするけど、ユーザ人口自体は少子化だろうが減ってないよな?
だってコミケ3日目の参加者はいまだ右肩だぜ。消防法がどうたらの大本営発表20万の壁を乗り越えて、21万なんて数字も出てきた
書店だってメジャーサンプルたるコミケがこんなんだから状況は似たりと俺は分析する
その上で売上落ちてね?と思うようなら、他にも可能性は考えられるで
まず、そう感じるヤツとその周りのサークルが軒並み売上落ちてるから周りもそうなはずだ、という誤謬
次に、大半の大手はいつか下に抜かれて凋落するもの、という前提の見失い
後は、一般買い手の全体的な財布の紐の縛り具合。
特に最後に関しては、第二候補までは買うか、から第一候補が買えればいいや、という優先順位に従った足切りが各人において行われるわけだから、「みんなにとっての第二候補」的立ち位置のサークルは、そりゃあもうひどく落ちるだろうし、
それが誰かの言っていた二極化の遠因たりえるとも思う
それならば、我々(売れ線追いたい、売れたい組)の考えるべきことはなんだろう?
ってところを命題として。
流行ジャンルそのものよりも、ジャンルに追うニーズを把握することを提案したいのね
セオリーってのはまぁ今更こんなところで言うのも馬鹿馬鹿しいけど
完品提供・参加頻度・描く内容の属性、方向性の統一 この3点で大体言い尽くせる
それに加えてニーズって話で
たとえば、陵辱求められないメジャージャンルで陵辱描くよりも、陵辱求められる弱ニッチジャンルで陵辱描いたほうが売れるんじゃね、って話
印刷部数のオーダーにもよるけど、でも壁だって突っ込むジャンルの種類で大怪我する話を割と聞くようになったんだから
下手に牛後を追うよりも鶏口となった方が知名度やら売上やらに跳ね返る気がするんだよなぁ
(ある程度以下の規模のサークルならば、ネットに原稿流されるのも「知名度あげるメリット」>「機会損失のデメリット」になるわけで)
ちなみにうちは、いつネットにさらされても少しでも誰かの印象に残せるように
知り合いのデザイナーに頼んで分かりやすいロゴとか装丁を作ってもらってる
たとえ割った本人が買わなくても、そいつの話を聞いた友人なりが買ってくれる可能性もあるんで
一応そういう意味でのフォローも求められてるんじゃないかと思う
割れを嘆くための気力を、割れを前提にしたプランニング設計に注げたらなぁ、って思う
555 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 23:34:18.40 ID:Yz/kzP+I0
現段階でユーザー人口が減っている様には見えないのは確かにその通りかな
ただ、ニーズについては陵辱求められないメジャーなら和姦描いて、陵辱求められるニッチなら陵辱描いてと描き分ければ良いのでは?
鶏口といってもパイ自体が小さければ低空安定飛行にしかならないし、
陵辱好きだからといってそうそう好きな物だけ描いて食っていけるわけではないし
将来は年金なんて掛け金未満か下手すると貰えないかもしれないんだから、今食うだけではなく貯蓄に回すだけの収入も必要
それに作家としての寿命は生物としての寿命よりずっと短いんだから、賞味期限が切れる前に必死で稼げるだけ稼がないといけない
サークルの立ち位置がぶれると感じるなら、サークル自体を和姦系と陵辱系で分けてしまえばいい
女性作家だと腐向けと男性向けでサークル名やPN・サイトも別にしているとこもたまにある
556 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 00:56:37.04 ID:Mcf6GJ3J0
>ちょっと議論しよう
夜中に笑わせんな
557 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 01:21:04.61 ID:zRiZ/zQb0
562 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 03:02:36.81 ID:Z/pV2G7i0
>>555
和姦サークルがジャンルに合わせて陵辱描いたら、サークル買いが一斉に離れるだろうなって思う
あいつらはまず「このサークル」を目当てに来てるんではなく「この方向性でこの絵でやってくれるこのサークル」を目当てに来てるだろうから
とはいえ、この考えはあくまで「自分の絵柄」でやってるヤツにはあてはまるかもしれんが
「原作に似せた絵柄」でやってるヤツには当てはまらんのかも知れん
後者のタイプは委託やDLが主力になると思われるので、サークルの方向性をわざわざ安定させる必要もないかもしれんな
しかし、毎度原作に似せて毎度求められる方向性で描くのって、サークルとして憶えてくれるのか?って思うんだけど
だとするなら、方向性を固定した上で、ジャンル方を限定して合わせていく方がよろしくないか
たとえば俺みたいなアンチ陵辱派とか、同じスペに陵辱と和姦が一緒に並んでたら、多分和姦も買わんぞ
もちろん、2サークル分安定して供給できる手の早さは必須スキルだろうけども
564 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 07:24:33.58 ID:qbRhyBjq0
つかお前ら同人活動なんぞでどれだけ深刻やねんと。
567 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 12:40:49.78 ID:+RzO/LEm0
作品ファンの傾向にあわせるべきと思ってるだけで
したかったんだ。誤解させてごめん。中身はがっつりエロくてもちろんおk
気取ってるのは書き手じゃなくて読み手なのよ
下品な表紙の人はあんまりいないだろ?
568 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 18:00:00.33 ID:ZotGtHNU0
もう作品多すぎて飽和状態で何描いてもいっしょな気がしてきた
ゲーム脳概念を信じる馬鹿が存在すると言われることがあるが、その実例があった。
「ゲームをする人の中にはある数の馬鹿がいる。その馬鹿のうち一部は(あくまでも)ゲームをしたことで馬鹿になったのだ」
元増田は、これをなんら示せていない。
元増田がいうように「ザ・ボスという特異な女性キャラを女性全体の傾向と思い込む」ことは明らかに間違いである。
男女に身体能力の差があることは数々の研究から明らかにされている。
しかし、「ゲームをすれば馬鹿になると言われる」こと証明することはこれとは別である。
それを証明するためには、
「ゲームをする以前はある特異な固有性を全体の傾向と思い込むようなことは無かった。にも関わらず、ゲームをすることでそう思い込むようになった」
ことを説明しなくてはいけない。
つまり、「最初から馬鹿だったやつがゲームをやって、馬鹿にありがちな勘違いをしたわけじゃない」ことを説明しなくちゃいけない。
が、元エントリではそれができていない。にも関わらず、自分の説がまっとうであるかのように振る舞う元増田は馬鹿である。
それどころか、元増田は自分が軽蔑する(元増田が)ゲーム脳患者認定した人間と全く同じ勘違いをしている。
女子レスリングの伊調馨は、言っていた。男子レスリングの合宿に参加して分かったと。男のレスリングと比べたら、女のレスリングは子供だと言っていた。女子レスリングの頂点まで行った伊調馨が、男子と女子では、大人と子供の差があると言っていた。これが頂点を極めた女性が言ったこと。素人がグタグタ言うのではなく。
女性と男性に見られる肉体の傾向があるかどうかを決めるのは再現可能な筋力テスト(統計的に有為なサンプル数をもつ)である。
あるゲーマー個人が「感じた」ことが全体の傾向として当てはめられるわけが無いのと同様に、
ある特定の女性個人が「感じた」ことが全体の傾向として当てはめられるわけがない。
まずは身体能力を能力毎に個別化して定義し、大人の平均と子供の平均の差を出し、それが男女の差と同一であることを示す必要がある。
ゲーム脳患者の愚かな点を指摘するなかで、自分も同様の過ちを侵す元増田はつまり馬鹿である。
「男でも弱いものもいるし、女でも強いものもいる」ことを元増田は馬鹿にしているが、これは元増田が馬鹿であることを証明するのに非常に重要である。
これを元増田は「ありえない」としているが、普通にありえることだ。
つまり「身体能力において男の方が女の方よりも圧倒的に勝っているという傾向が存在する世界」であっても、
どのような傾向があるにせよ、確率が非常に低いというだけで、「圧倒的な外れ値」というのはどこにでも存在する。
たまたま、その時代、その地域、兵士という職業の集合において、「最強の身体能力保持者が女性である」ことは当然ありうる。
世界はそのようにできている。
メタルギア3のように「本当は無いんだけど、ありそうなSF世界」においてそのように「輝ける外れ値」をボスにするのは、
ゲームの設計、ストーリー構成の視点からみても妥当な線であるといえる。
繰り返すが、
「身体能力において男の方が女の方よりも圧倒的に勝っているという傾向が存在する世界であっても、最強の身体能力保持者が女性である」確率はゼロではない。
これ男の方にも言えることで、女が男の義務に付き合わされているのと同時に、男も女の義務に付き合わされているわけ。
言ってしまえば妥協なので「お前の見栄のために結婚してやろうなんて慈母のような相手はまず居ないよ。」みたいな話ではないのですよ。
女にとっての方がより重い義務なんでしょ? だったらよりデカイ妥協を強いられるのは女ってことだ。
つまり、女が男の(自分は義務を果たせる人間だと証明したいという)見栄に付き合わされているのさ。
女側にも義務以上に見栄が出てきて結婚したいっていうパターンがまったくないとは言えないが、今の時代田舎においてはすごく少ないだろ。
つまり、まだ義務の時点で義務にうんざりきた女は田舎から逃げ出し、逃げなかった/逃げられなかった女が若い間にそれなりに好いた相手と結婚してしまうので、妥協して女と付き合おうとする男に合わせる見栄っ張り女ってのはほぼいなくなるわけだ。
未婚がハンデである地域だと、「好きな相手と結婚する」ってことは絵空事に近づくかもしれないけど、
いや、だからそういう逃げを打つと、
「あ、無策なんだな、口だけ出したいバカな人か」って言われちゃうんだって。
高齢化対策と少子化対策に切り分けが要らないって話なんだから。現象じゃなくて対策、アプローチに。
具体的にどういう策だと切り分けが要らないのかを語れなきゃ、完全に机上の空論未満の「ぼくのかんがえた少子高齢化」妄想に過ぎないんだよ。
「少子化と高齢化は表裏一体だからこそ、これこれこういう策で行けば高齢化と少子化は一気に解決できる!」みたいな具体策が必要なんですよ。
あと、天秤の例えを出したのは俺だけど、俺は一貫して「で、具体策は?」としか聞いてないよ。
削れとか乗せろとか言ってない。
そしてその前の増田はそもそも「『高齢化が原因』=『少子化が原因』」という命題について「こじつけすぎて笑った」って言ってる。
「共有」の意味が分からん。まさか合意が得られてると思ってたとか?ツッコミから始まったやりとりなのに?
つーか命題自体が破綻してるのに(「ほぼ同義」って同義じゃねーだろ)、いかにも前提とするに耐え得るみたいに扱うのってどうなの?
えっ、そこから説明しなきゃなんないの?
っていうのは、
>「高齢化が原因」ということは「少子化が原因」ということと、ほぼ同義
であるがゆえに、
「ほぼ同義」というくだりの命題を前提すると、その次のやつが
「高齢化の対策が根本的に高齢化対策しかない」「少子化の対策が根本的に少子化対策しかない」って具合に循環論法に陥る。
その理屈じゃ何も表現してないだろってこと。つうかそんな小難しい事抜きにそもそも同義どころか現象として別モノだろって意味でもあるが。
それが「『天秤が傾いてるので削るか乗せるかしましょう』としか言ってない」という風に揶揄られているのだよ。
そしてそれ以外になんらツッコんだこと考えてなくてオウムか阿呆の一つ覚えのようなこと繰り返してるから、「回答がおかしい」と言われてしまう。
簡単に言うとそれは言葉を用いるからに他ならない。「ある場合にはAでありほかの場合にはAでない」という何ら実質的に矛盾の起きていない状況においても、「ある場合」と「ほかの場合」の違いを言語で記述できない(単なる個人の日本語能力の問題とは限らない)と言語上は「AかつAではない」という矛盾した命題が導かれてしまう。他のケースに、1つの言葉が複数の意味を持ちうるため「AかつAではない」という矛盾が生じることもある。この複数の意味が人々に共有されているならば良いが
微妙なニュアンスの違いが共有されていなかったりすると、実際は矛盾していなくとも矛盾としか思えないという状況に陥るのである。
「お前前と言ってること違うじゃねーか」「言ってることコロコロ変わってるぞ」というツッコミを入れる前にそこの点検は二重三重に行っておいたほうが実のためだ。澤口さんという人がいるんだけど、その人が寺田さんって頭いいよねって言ったのに、なぜか佐山さんが「T田さん頭よくないよーナイナイ」みたいな話をしてて、面白い話題で盛り上がるんだなと思いながらボクは横で拝聴していたのだが、そこにT田さんが忘れ物を取りに戻ってきて。それを見たS山さんが忘れものする人間が賢いわけないよと。ここで「賢い」の定義の違いがおわかりだと思う。S口さんとS山さんは両方イニシャルがSだが、賢いの定義がフタリの間で異なっている。だから片方は賢いと言い張りもう片方は賢くないと言い張る事態が起きる。
この種の茶番劇は人々の間で見解や定義のことなるデリケートな議論において頻繁に起きる現象であるが、しかしそもそも言葉を用いている限りいとも簡単にはまり込んでしまう可能性に晒された罠であると言えよう。
おそらく同一の言葉ならば同一のものを指しているはずだという予測あるいは気の緩みがあるのだろう。そこを逆手にとって定義をずらして相手を言い負かす輩もいる。定義ずらしは詭弁術や煽りの常套手段である。「T田さん頭いいよね」に対して「忘れ物するヤシが頭いいとかないわーw」と煽るような形の煽りはインターネットではしばしば散見される。まあ定義を明示せずに語るほうも場合によっちゃ幾分かの責任はあるが、定義の明示にはキリがないから少しでも明示を怠ったところにいとも簡単に煽りの入る余地が出来てしまうのはあまり公正とは言えまい。