「命題」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 命題とは

2013-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20131026202757

実例が出されました。ではこれによって何が否定されるのか、元の命題を確かめてみましょう。

「群れの雄ボスalpha male)」の用法でもalpha malebeta maleまでは熟語として一般的だがgamma以降はほとんど見かけない

はい復唱

alpha malebeta maleまでは熟語として一般的だがgamma以降はほとんど見かけない」

 

maleはどこに消えたの?

馬鹿なの?

二枚目三枚目一般的だけど四枚目という表現はあまり見かけない」「いくらでもあるから探してこいよ」「えっじゃあお前が実例出せよ」

という流れでドヤ顔で「国道四号線」を出すレベルの恥ずかしさ

2013-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20131010133958

から心がゴミじゃない奴なんていねーよ。

いたとしても、ハイパー恵まれた奴か妄想トリップしてる奴かだけ。

心をゴミじゃなくするために生きるのやめて妄想トリップするのは本末転倒

単にクスリやればいいものを合法の範囲でなんとかしてるってだけ。

クスリやめます人間やめますか」という命題については何も変わりない。

2013-09-27

今以上に科学技術を発展させたいか?という質問にはYesだし。寿命の延長、病気の克服なんかは必要だと思うが

普通人間的な生活に、科学技術の発展が必要か?という質問はNoだよな。

科学技術の発展より、普及の方がはるか重要命題だ。

科学技術を使った製品を使うのは簡単だろうが、一人ひとりが科学技術を使えるか?

国民一人ひとりがあまめく長期的な計画をしたり演繹をしたりという質問の答はNoだろう。

 

でも、どっちみっち幸せには生きられる。愚痴や文句をいいながら幸せに生きて死んでいく。

死にたくないなって思う。

2013-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20130915235336

あくまでも命題は「(素性がよくわからん元増田の)就活に対する現状を確認し、あわよくば不安を拭う方法は何ぞ」な訳で、

んなバカな不安抱えてて、それで潰れちゃうようなら大学なんて行ってもいずれ潰れちゃうからさっさと専門学校でも行って就職スべきだろ?

そうじゃなくて大学で何か学びたいならそれで選ぶべきだろ?何いってんの?

文学部工学部就職率が違うって?で?就職率っていうか就職先が違うよね?根本的に?それで選ぶんじゃないの?その上で、レベルの高いとこ目指すんじゃないの?

偏差値が高いほうが「必ずしも」楽ではないが、一般的には楽なのは周知の事実だろ。

勿論、偏差値5上げた所で別に大したこと無いが、んなことごちゃごちゃ言ってる前に勉強しろよ、って話だ。

主観主観をぶつけても、解が出なくて不毛なだけだよ。

不毛だろ、こんな悩みでグズグズ言ってるほうが不毛だろ。さらに言えば、お前が言ってるみたいにオープンキャンパスに行った所で何が分かる?就職先のリストなら別途手に入るだろうし、

そもそもオープンキャンパスでそんなこと普通宣伝しない。

就職先を熱心に宣伝するような大学は、中身の無いFランだけだろうが。中身がある大学はまず中身の説明だろうが

ディスるより、若いのが切磋琢磨するよう導く方が良いと思うがね。

お前は一体どういう立場なんだよ?大学で何学んだんだよ?ただただ就職資格としてしか使ってないのか?なんで大学行ったんだ?

税収増やナマポ減とか、そういう部分から回りに回って、自分親族還元されるんだから

なんで急に話し飛んでんの?

2013-08-28

あなたを救ってくれるような"魔法論理言葉"は存在するか?

人は苦しむ

そして、その解決策を探す

どこかに自分を納得させる魔法のようなセオリーがあって、それを見つけて理解する事で自分自身が救われるのだと

そして、今は自分の怠慢や能力不足のためにそれが見つけられていないから辛いのだと信じている

しかし、"本当にそのような魔法セオリー存在するのか?"という問いには答えられない

むろん、それは"カラスはすべて黒いのか?"という命題に等しく、証明困難な悪魔の証明

しかし、直感としてそれをどこまで信じられるか、主観的な視座において論拠があるように感じられるかについては別であろう

すなわち、可能性として"世界のどこにも、自分を納得させる様な魔法セオリーなど存在しない"という命題が成り立つ可能性について想定できているかという事だ

坂口安吾の「余はベンメイす」という作品を引用しよう

「 私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ。

 然し、真理といふもの実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。 私は日本伝統精神をヤッツケ、もののあはれさび幽玄の精神などを否定した。然し、私の言つてゐることは、真理でも何でもない。たゞ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、偽瞞を見破られ、論破される。私の否定の上に於て、再び、もののあはれは成り立つものです。ベンショウホウなどと言ふ必要はない。たゞ、あたりまへの話だ。人は死ぬ。物はこはれる。方丈記先生の仰有る通り、こはれない物はない。 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。」

坂口安吾のこの節における真理を、"自分を納得させる魔法セオリー"として置き換えて考える事が出来る

人間はどこまでも自分を救う究極の理論や答え、真理というもの存在すると信じている

そして、それを得る事で自分は納得し、辛さや苦しみにに一定の決着がつき、心持が安らかになると信じている

しかし、その実存について(何度も繰り返すが、それが存在するかどうか)は真剣に議論されないように思う

現実的に考えれば、たか理論事実などで苦しさや辛さが綺麗さっぱり無くなるとは考えがたい

人は論理思想思念だけで生きているのではないので、理屈真実を突き付けられただけで楽にはならないのだ

事実真実が、必ずしも人を幸福にするとは限らないのと同様に

しかし、人は真理を探そうとする

そして、時にそれはある種の成功を収め、人生観世界観哲学としてその人の認知的な枠組みとして機能し始める

まり、ある一定の(その人固有の)論理構成や理屈付けの仕方が、その人自身の救いになる、指針になる

そして、それはその人自身には壊せない程度に堅牢であるだろう、思考錯誤の結果だから

しかし、やはりそれは部分的なものであって、生物的・生理社会的な制約(例えば神経伝達物質の異常や個人が変容不可能な環境の要因など)をうけるので、"すべてを救い、納得と平穏をもたらす様な魔法セオリー"足り得ない

その事に気づかなければ、人は真理を求めて彷徨う盲いた愚者に成り果ててしまうだろう

2013-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20130809174720

本能が無条件に是となるならば、本能でないものは無条件には是とはならないだろ。

是非にこだわるねぇ。

誰も是とも非とも言ってませんって言ってるんだけど。

そこ論点じゃないし、論じる気もないよ。


すべての動機を帰着させるものとして本能という言葉を使用しているのに、「ある欲求が本能からくるものか否か」という命題が成立するわけがないだろ。

「すべての動機を帰着させるもの」という定義が開陳される前にそういう話をしてましたって言ってるんだけど。

「すべての動機を帰着させるもの」という定義一般的定義でないということはすでに同意されているよね?

本能マジックワードであるという点も異論は出てないし。

2013-07-27

正論を言う人間になったらおしまいだ!

これから社会渡り歩く上で、是非とも知っておきたいこととして、世の中始末に負えない乱痴気野郎は数有れど、正論人間ほどタチの悪い、人生の詰んでいる人間は居ない。これは知っておいても損はないだろう。

これから社会へ羽ばたき偉業を成し遂げんとする君たちも、薄々感づいてはいるはずだ。学級委員長生徒会長のような正論マンの不甲斐なさ、そして冬の碧空にも似た慟哭に。

世の中に蔓延正論をなんとかして駆逐せねばならぬ、とまで考える人もいるだろう。また、正論どや顔で言うような族(やから)にだけは俺様はならん!と固く誓っている人もいるだろう。

しかちょっと待ってほしい。ここで大切なのは感情論の排除である。何事も感情的になっては琴をし損じる。感情的と言ってもヤキモキしたキモチを適切な形でストレートに吐き出すのはむしろ良いことである

そうではなく本当の感情は棚にあげて都合のいい別の感情正当化しようと論をひねりだすのが駄目なのだ。結局それは言い訳であり捏造にすぎない。自分にも他人にも嘘をつき、感情的になればなるほどその嘘の対立構造エスカレーションする。

から冷静に思考しなければならないよ。学生時代にロクに人と向き合うことなく2chなどをやり過ぎてきた人は特に注意。面接で俺は友達いるしサークル入ってたしバイトもしてた、なんて人がよくいるけど、

そんなのも名札(title)にすぎないのだよ。中身が肝心。素直な気持ち・意見をどれだけ適応的にやりとり出来たかどうか。その意味正論を文字通り「正しい」と思えるような人は危ないと言ってよい。

結局のところ正論というのも名札にすぎない。正しいと名札がついたことを言えば、一応は一定の力をもつ。絶対無敵とまではいかないが、たいていの場面で有利な形勢に持っていくことが可能であるという意味おいて。

ところがね、第1にそもそもにおいて「勝つ」必要などないのだよ。狡黠な人間になんてなる必要ないとも言い換えられる。ずるい人間って世の中いるよね。それは一種の適応とも言えるが。

よく考えてほしいのは、適応というのは常に不適応の可能性をはらんでいるのだよ。ある方向に適応したということは、他の方向に適応できなかったからかもしれない。ズルいってのはそういうことなんだ。

あらゆるファクターがありうるので一面的に決めつけることはできないけどな。けれどもそれがもし不適応からきた果実だとしたらそんなに哀しい色の果実はない、そう思わないかいということなんだ。

第2に正論はあくまで論の正しさに過ぎない。論とは前提たる命題に推論規則を用いて演繹していくプロセスなのだがな。ともかく論の正しさはあくまで推論の正しさであり前提の正しさではないという中学校から教わってきた当たり前のことなんだ。

当たり前だがみんなすぐ忘れてしまうから常に確認しながら進んでいかないと行けないんだ論者たちは。でないと、、中学生が見てもバカじゃんこの大人たちはって言うようなことが頻発するのだ。

人間は多くの人間自身が考えているよりもスキが多い、不注意が多い、手抜かりが多い生き物なんだ。だから当たり前のことを当たり前にやれる大人になること、これが何よりも大切で、難しいことなんだ。

岡目八目と言ってハタからみて批判するのは簡単だけど実際にそういう立場になったとき自分自身しっかりやることが肝胆だよ。だから正論を畳みかけるように言われてもジト目で疑うことを怠たらない誠実さを忘れてはならない。

そういったことを抜かりなく積み重ねていく先に成長がある。正論を疑うにあたっては、繰り返すが感情的になってはいけない。感情を包み隠さず適切な形で表現するのは良いことではあるが、感情に論がくっつくと

途端に一気にタチの悪い一揆を巻き起こして塗炭の苦しみに見舞われてしまう、と述べたね。ここで1つ感情的にならないコツを教えよう。こと人間関係になると多くの負の感情は恐れからやって来る。

怒りも恐れ、恥ずかしさも恐れ、不安も恐れ、いろんなことが恐れから来ている。そしてそのことをみんな自認したがらない。だからビビり先輩ちーっすwな煽りが万国共通に通用すると。

から恐れを常に認めないといけない。認めるためには心の余裕が必要なの。心に空きスペースがないと駄目なの。ワーキングメモリが一杯になると他の事考えられなくなるでしょう。

実は人間は生きる心構え次第で必要な余裕が雲泥の差なんです。一般には精子いや生死をかけた闘いを日々繰り広げる人ほど沢山の余裕が必要と考えられている。しかし実際は彼らの95%は忙しいの字は心を亡くすと

書くとの格言どおり忙しさのあまり心が狭くなっていますから、それでもなんとかやっていけてるということは実は大して彼らのような生き方のためには別に特段余裕が必要なわけではないんですよ。

ただしそれは「毎日をなんとかやり過ごす上では」不必要ということであり、「日々をよりよく生きるためには」あるいは「今後の人生のためには」もっと余裕が必要ですよ。狭い心のままではいつかSAN値ピンチになります

そう、「よりよく生きるためには」もっともっと余裕が必要なんだよそこの君。倫理(ethics)とは本来は儒教的な処世術ではなく日々をよりよく生きる方法を追求する学問であった。

自分のことばっかり考えてガンガン心を狭めていては結局のところ苦しい境遇に追い込まれていくようにうまく世の中はできている。天網恢々疎にして漏らさずとは至言なり。

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情』の紹介文を見てごらんなさい。「感情はなぜ存在するのか。感情がその場限りの自己利益を越えてより合理的に行動を方向づける働きがあることに着目し、

今まで十分に理解されていなかった利他行動など、一見非合理的にも見える行動のメカニズムを鮮やかに解き明かす」。この問題意識と解決の試みに非常に高い知性を感じざるを得ません。

実は感情は我ら人間の誇る高級な機構であったという発見が続々と為されている。そういった感情を捨象してロボットのように正論を言ったり感情捏造して論理で塗り固めたりするのはもう今年で卒業しよう。

来年からはきっぱりケジメをつけて全く新しい人間に生まれ変わるつもりでいこう。ただしだイチローの「変わらなきゃも変わらなきゃ」の精神は忘れちゃならんぞ。必死に変わろうとする人間がよく陥る罠。

変わろうと歯を食いしばることは現状を強く否定することになるが、実は否定すればするほど暗に弥が上にも強く肯定してしまう結果になるのだから、決して無理に変わろうとしてはいけない。

これも人間関係と同じで根底には恐怖がある。忙しさを好む精神の奥底にはしばしば恐怖があるのだ。一般に強くコミットしようとする性向の背後には恐怖があるということ。

から強くコミットしようとするのではなく、ソフトアプローチ。これが大原なのだが、そのためには実はたくさんの余裕が必要なんです。だから言ったとおりでしょう心構え次第で雲泥の差。

余裕といってもロマンティック・アイロニーのやうな嘲笑や放蕩ではなく、きちんと自分の行い、思考を決める規律を自分で定めないといけない。

クラピカも制約を自ら誓約して力を手にしたのだからこの支配から卒業して賜杯を手にするには規律を自らに課すことが必要不可欠といっても過言ではなかろう。

ぱっと見なめし革のような硬質な立派さを漂わせてはいもののそれはあくまで虚構で、その内に秘めたる醜さは計り知れない。だから俺はブランドもののバッグが大嫌いなんだ。

ともあれ人の心にハリボテエレジーのような哀愁があり、それを我々は他者や社会との関係の中で再現しているに過ぎない。しあわせに小石をなげて。

その修正を試みるのがサイコドラマの主旨である。ともあれ正論という古い規律を捨てて感性的であろうとすると俺たちはいとも簡単に自己否定ワナにかかってしまう。だから新しいマイルール必要なのだ

マイルーラ見かけなくなったなと思ってたら2001年3月製造中止。 テレビCM大学文化祭宣伝しだしてから若者の間で非常に人気が出て世論の批判を浴びたことが原因とな。

2013-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20130706175213

断言できないことを「真だ」と断言することこそ雑音ではないかと思うのですが……。

 

世の中の大抵の主張は、否定命題証明されるのでなくて、

「それは証明になっていない」「それは根拠にならない」と、証明瑕疵があることが指摘されるのが普通ですよ。

あくまで真だと断言していることが否定されます。元の命題の否定まで証明するのは稀です。

そもそも否定命題証明現実的に不可能であることも多いですし。

http://anond.hatelabo.jp/20130706174209

命題ではなく、断言していることのほうを否定しようとする行為。これを揚げ足取りと言っています

であると断言できないのに「真だ」と断言している人に、「そんなことわからないじゃないか」と言うのが「揚げ足取り」とは、

ずいぶん変わった日本語の使い方をされるのですね。

http://anond.hatelabo.jp/20130706173632

常識的に判断して、「無限大に発散しないと断言できる」ときだけ、「無限大に発散する」という断言を否定できるわけで、

命題の否定と、命題が真であると断言することの否定を取り違えています

断言の否定は、断言できないことを示せば十分です。常識的に判断して

2013-06-25

今日馬鹿

http://anond.hatelabo.jp/20130625184237

不特定多数から見えることが予想される場所は、公の場だよ。

この命題が実際に真であるかはさておき、

からでも見える場所=公の場所、だから客観的事実だよ。

「Aだから、Aは客観的事実だよ」

http://anond.hatelabo.jp/20130625183432

第三者に聞かれるようなシチュエーションの時点で公だし、

あなた「公私を判定するという観点からすれば」どちらも公だ、と言っているのと同じじゃないですか。

いやいや同じじゃないよ、断じて同じじゃないよ、とんでもない。

繰り返しますが「公私を判定するという観点からすれば」「公私を判定するという観点からすれば」「公私を判定するという観点からすれば」同じです。

あなたが述べている違いは全て与える影響の規模・発生確率にすぎず、公開性を基準にするならばどちらも常に「公」ですし、立場などを基準にするならばどちらも等しく「私」でありえます

 

逆に言えば、それが免罪符になるのであれば、どんな誹謗中傷殺人予告、虚偽、脅迫に値する書き込みであっても「個人的なやりとりですー」で済まされることになる。そんなことが許されるわけがない。

不特定多数の目に触れて被害を発生させているのであれば「個人的なやりとり」でも罰せられます

個人的なやりとりであれば罰せられない、という命題が偽です。

 

私的会話なら、社会秩序や他者の権利を傷つける言動でも問題ないはずだけど?

私的なことならどんなことをしても問題ないとは、恐ろしい考え方ですね。

2013-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20130618141705

その組み合わせていく作業がプログラムだよね。

 

ハローワルドがかけます

forが使えます

ifが使えます

FizzBuzzが作れます

 

って4段階有るとして、2段階目と3段階目って区別必要か?合ってもいいけど、現場じゃ役に立たんだろ。

教えてもらうこと無しに、FizzBuzz自分で編み出せないなら、つまり1種類の書き方でFizzBuzzをといたら、少し条件を変えてたとえば、FizzBuzzKuzzにしてもできるか?みたいな追加条件も出して

本当に自力で考えだしたか?というのも含め

与えられた命題に対して、既知の事実を組みあわせて新しいアルゴリズムを作るのがプログラムからな。それが出来なければ現場では無理だ。

そればっかりは、編み出す という行為から 教えるのはむりだ。 暗記しても条件が変われば答えは無数にある。

 

詰め込み型教育では教えられないのが、プログラムではあるとおもう。FizzBuzzの答えは教えられてもFizzBuzzKuzzと1つ増えたらまた違う問題だ。

2013-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20130614121045

なるほど。それはごもっとも。

では最初命題に戻りますが、『「.php」がつかないなら、「php」ではない』が真だとすると、『「phpであるならば「.php」はつく』も真であるはずですが、『「php」で作られていて、「.php」がつかない』ものは例えばWordPressDrupalなどがあります(つけるようにすることもできますが)。

『「phpであるならば「.php」はつく』が成り立たない例がある以上、『「.php」がつかないなら、「php」ではない』もまた、真ではないわけです。

http://anond.hatelabo.jp/20130614123016

主観であることを主観的に判断している以上、どこにも矛盾は生じてないぞ。

客観であることを主張している人間とは、根本的に立ち位置が違う。

ここでの「不適当か不適当でないか」は一個人の話じゃなくて、社会通念の話だから、「主観の問題である」という主張も客観的なことの主張ですよ。

社会全体を見たとき『不適当だ』というコンセンサス存在しない」という命題主観的に真だと断言されても困るよ。

 

君にとって主観の問題であるかどうかは主観的に主張しても問題ないが、社会通念としてそれがどうかは客観的な根拠が必要

2013-06-08

re:インターネット上の渡邉美樹批判にもやもやする

特に渡邉美樹社員奴隷しか思ってない守銭奴」「社員に劣悪な環境提供するぐらいならまずは自分で働いてみろ」みたいな批判。

違うんだ、渡邉美樹は腹黒い経営者とかではなく、本気で自分理想を語ってるんだ。

社員24時間365日働けるような環境提供してお客様のためになることが

ほんとうに素晴らしいことだ本気で信じてる。

上記エントリーで書かれていたような印象をはてな村民は皆持っていると私は思っている。

では、それで渡邉美樹和民が許されるかというとそれは全く別の話と感じているし、村民も同様の印象を持っているのではないかと思う。

私が問題だと認識しているのは、渡邉美樹が叶わぬ理想を追い求めていることであり、明らかに理想現実と大きく乖離している。

また、そのことにより、日本社会全体にマイナスを与えている可能性が高いためである。(※1)

多量の退職者を出し、(統計値を見たことはないが)その中には復職不能な状態になった方も多数おられるだろう。

和民の生み出す価値と負の価値をトータルで見た場合マイナスになっているようにしか思えないことを多くの人が問題視していると考えている。

また、外資コンサル等がブラックとみなされない理由は、社会全体でトータルで見た場合プラスになっていると捉えられているためであると考えている。(※2)

では、和民はどうするべきか?

つの道は、理想を捨て、普通会社になることである自分理想が実現不能、もしくは、実現が極めて困難な夢想であったことを認識し、労働時間削減、いままでの理想を捨て経営方針を変更することである

もう一つの道は、理想を捨てずこのまま邁進する道である。そのために、理想を実現するための具体的な手段を探求し、理想を追求しつつ、和民の持っているマイナス価値を下げるように努力する道である

例えば、下記のような施策も考えられるのではなかろうか?

  • 退職予備軍、退職者への支援、ケア
    • 無理な傾向が見えた時点で、カウンセリング退職推奨をする。合わない人はどう頑張っても無理であり、本気で潰れる前に再帰可能なうちにやめてもらったほうがよっぽどよい。(※3)
    • 退職予備軍者の次の転職先が見つかるまで支援する

渡邉美樹氏には、理想を持ったまま、現実を見据え具体的な施策を考えてほしいと思う。和民目標は、大量の退職者、非納税者を生み出すことではなく、売上を上げること、またそれを通し自己実現(?)することだと思っている。で、これらは完全に背反する命題ではないと思われる。

※1.業界平均より退職率が低いと弁明しているが、業界として問題があり解決を考えていかねばならない課題認識している。

※2.外資コンサル労働基準法てきにはブラックだとみなされるが、和民ブラック話と外資コンサルブラックは違う話という意で、外資コンサルブラックではないとここでは表記している。

※3.彼の理念とは背反する施策である。「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。 途中で止めてしまうから無理なんです。」

おまけ.

私は、渡邉美樹には絶対投票しない。良い人で会っても、現実を見据えておらず政策実効能力に強い難がある人物とみなしているためである

人間的に良い人であるかと、政治家として良い人、経営者として良い人というのは関係ない。

無能な、もしくは、有害な善人というものもいるものである

2013-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20130529162028

俺は「禄をもらってるから武士公務員は同じ」っていう

お前の論法が雑だねって言ってるだけだよ。

江戸時代武士現代公務員」という比定の妥当性は認めるがおまえの論法が気に食わない、

ということなら事足りているのでこれ以上の言葉は費やさないけど。

おまえの論法も気に食わないし「江戸時代武士現代公務員」という比定の妥当性も認めない、

ということでも面倒なのでそれでいいです。

武士道明治以前から庶民にも内面化されてきた」

「従って武士道武士階級限定の道徳とするお前の前提はおかしい」

武士道内面化しても庶民は武士ではない。

従って「庶民だって武士道を知ってた」は反論になっていない。

逆に言えば「公務員には武士道押し付けてよろしい」ってことだよなあ。

命題が正しくてもその逆が正しいとは限りませんって学校で習わなかったのか。

武士道を庶民に押し付けるならば似非の武士」の対偶は「真の武士ならば武士道を庶民に押し付けない」だろ。

2013-05-26

乙武問題

正しい、間違ってる、というのは、

ある問いを立てた時の答え、という意味しか無いんじゃないかな。

その答えを「正答」とするか「誤答」とするかは、常に系に寄るし。

そして、系はその系自身では、無矛盾性を証明できないし、証明できない命題が常に存在する。

から、「正答」も「誤答」も、単にその系の中でのみ通用する「答え」にすぎないってことだろ。

異なる公理系に同じ問いを与えても、「正しい答え」は公理系の数だけある。

違う系の人と話してるときに、正しさについて議論しても無駄なのは、その辺に答えがあるんだと思うな。

なんて言う話も「帰納的に記述可能な公理系」でのみ正しい話

2013-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20130520133755

構造設計上、バリアフリーに出来ないビルなんて山ほどあるし。

単にエレベーターを停止しないように設定してただけなら(エレベータはあったんだから) 事前にいってもらえれば設定を変えておけばよかっただけだと。

2Fに上がるのに、いちいちエレベーター使われると面倒だから、2Fには階段できてくれ。という元からバリアフリーだが、設定がマニュアル。(駅だって申請によって駅員が障害者対応する)というタイプ

申請がなかったんですけ、という話かもしれんのに・・・

 

なにかというと、当人同士で解決したのに、周りがとやかく言い過ぎ。詳細もわからんのに、突っ込んでもしょうがないだろ。

全てのビルバリアフリーには 崇高な命題だが、反論は許さんは暴力しか無い。対応できる範囲で問題があったならともかく、お互い様なんだから譲り合え。

単なる個人間のイザコザを 大きな問題にするな。

 

おそらく、登れないくらいの急勾配の階段があって、愕然としたんだと思うけど、だからといって、やり過ぎだ。次から気をつけてね、お互い。で次からお互い気をつけますなんだからいいだろ。

飲食店におけるそういう細かい事故は、アレルギーとかも含め、割りとあるんだよ。だから、事前にいいましょうがルールバリアフリー以外にも問題はあるけど、話しあえば解決するんだから話しあえよ。

2013-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20130517104525

というより、男が手帳を受け取って出来ることというのが実質覚悟しかないのに、お前の主張ではそれもできっこないという話になっている。男は「自分のすべき負担から逃れ続ける。

その一方で女は知識を植え付けるという名目で「自分のすべき負担から逃げられなくされる。「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。

だって手帳を渡されただけでママになる覚悟ができるわけじゃない。そもそも覚悟かいう問題以前に社会的環境が整ってない。なのに妊娠必須パートナー即ち男には逃げ道が確保されている。

仮にも政策として打ち出すものである以上、このように性別負担が変わるものは不公平の極みで女性蔑視差別的だと言われてもしょうがない。全部事実だ。

>「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。

されません。被害妄想です。また書くけど、女性手帳目的は「少子化を解決する(出生率を上げる)」ではない。「晩婚・晩産に歯止めをかける」だ。間違えるな。これは理由1でも書いた。じゃあ、「晩婚・晩産に歯止め」がかからなかったら、女性のせいか?違います女性手帳の導入を決めた人の責任になるので、安心してください。

適齢期を外れた女性結婚できなくなる問題と男が無知で終わってる問題を意図的に混同している。

そして、そういう理由なら結婚できなくなるのは適齢期を過ぎた女だけじゃない。結婚に向かないライフスタイルの男、即ち共働きで互いに互いを支えられるだけの家事分担の能力意志がない男や産休育休子どもの世話に手が割けない男も結婚できなくなる。長時間労働を前提に残業代で稼いでるクチはアウト。当然不妊の男や高齢の男もだが。

>適齢期を外れた女性結婚できなくなる問題と男が無知で終わってる問題を意図的に混同している。

まじで意味が分からない。説明お願い。

別におかしくない。上から目線上から目線表現として反語で書いたかそうでないかという次元ではなく、事実として女性手帳政策は上から目線なのでそう言われても仕方がない。

事実として女性手帳政策は上から目線

それはお前の主観であって、客観的な事実(みんながそう思うこと)ではない。現に、僕は上から目線だとは思わない。別に上から目線だ!」と言う分には自由だけど、それだと「こいつは感情的に批判してるな。幼稚だな」と思われるよ?

10代が「責任取れない」のは何故か? いのいちに「カネがない」から、その次には「遊びたいさかり」だからだ。

経済的・精神的に子どもを作って育てるのに適していない、だから10代は子どもを作ってはいけない。

しかし同時にこの「10代」に何歳台を入れてもこの命題は成立し得る。理由が「責任取れなきゃ」にある限り、いくつであろうと「子どもを作ってはいけない」に帰結する。

この状態で「適齢期だから子どもを産め」なる教育が成立するわけがない。年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保障にはならない。

手帳の最大の問題点ひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ。

>「適齢期だから子どもを産め」なる教育

これはちょっと誤解を招く。出産を強制しようとしているわけではない。僕がしたほうがいいと思うのは、「(産むとしたら高齢ではなく)適齢期に子供を産め」という教育。なぜ、「だから」に変えた?わざとか?意味が違ってくるだろ。

>この状態で「適齢期だから子どもを産め」なる教育が成立するわけがない。

責任が取れるようになったら、適齢期に子供を作ってね」という教育が成立すると思うが?

手帳の最大の問題点ひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ

妊娠出産の適齢期と高齢出産の知識をいかに普及させるか」という議論でいいんだよな?何度も書くが、僕は女性手帳”だけ”で教育しろなんて書いてない。知識が普及しないのなら継続して議論は必要だと思っている。

これはさすがにバカすぎる。今までと何が変わると思うんだ?昔からWeb上に妊娠出産の適齢期と高齢出産リスクの知識は転がっていたとしたら、「知りたかった」人間は知りたいと思った時点で検索して知ることが出来ていたはずじゃないか。現にお前だって理由3を挙げている。「知ってる」と言える人間はいるわけだ。

知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。意図的によくない印象を与える表現を使うな。

>「知ってる」と言える人間はいるわけだ。

そりゃそうだろ。女性手帳学校の授業などの教育によって「知らない人間特に女性)がいないようにしないといけない」というのが僕の主張。

>知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。

それを高齢出産で苦しんでいる人の前で言ってきてください。

あと、自分論破とか言うのやめて。こっちが恥ずかしくなるから

http://anond.hatelabo.jp/20130517091324

>女だって手帳を渡されただけでママになる覚悟ができるわけじゃない。

女は覚悟ができるってどこにも書いてないけどなあ。「男”だけ”は手帳を渡されただけで覚悟ができない(女性はできる)」こう読んじゃった?

というより、男が手帳を受け取って出来ることというのが実質覚悟しかないのに、お前の主張ではそれもできっこないという話になっている。男は「自分のすべき負担から逃れ続ける。

その一方で女は知識を植え付けるという名目で「自分のすべき負担から逃げられなくされる。「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。

だって手帳を渡されただけでママになる覚悟ができるわけじゃない。そもそも覚悟かいう問題以前に社会的環境が整ってない。なのに妊娠必須パートナー即ち男には逃げ道が確保されている。

仮にも政策として打ち出すものである以上、このように性別負担が変わるものは不公平の極みで女性蔑視差別的だと言われてもしょうがない。全部事実だ。

>「産まなきゃ産めなくなる」という焦りだけ植え付ける。

「産まなきゃ産めなくなるという知識を身に付ける」でいいだろ?

ダメ。理由は上記。

僕はそもそも男性妊娠出産の適齢期の知識をつけるのは反対じゃない。けれど、そうなると適齢期を外れた女性は今まで以上に結婚できなくなりますよ、と。これもおまけの部分で書いた。

適齢期を外れた女性結婚できなくなる問題と男が無知で終わってる問題を意図的に混同している。

そして、そういう理由なら結婚できなくなるのは適齢期を過ぎた女だけじゃない。結婚に向かないライフスタイルの男、即ち共働きで互いに互いを支えられるだけの家事分担の能力意志がない男や産休育休子どもの世話に手が割けない男も結婚できなくなる。長時間労働を前提に残業代で稼いでるクチはアウト。当然不妊の男や高齢の男もだが。

そう、当たり前なんだよ。だから女性手帳に限ってわざわざ「上から目線」という表現を使うのはおかしいよねってこと。これは反語表現といって広く使われるから今度から誤読のないよう気を付けてね。

別におかしくない。上から目線上から目線表現として反語で書いたかそうでないかという次元ではなく、事実として女性手帳政策は上から目線なのでそう言われても仕方がない。

もちろん、学校教育でもやるべき。女性手帳”だけ”で教育しろなんて書いていないし、僕は両方やるべきだと思っている。「責任とれなきゃ子ども作るな」と「適齢期に子供を産め」は矛盾しない。適齢期は10代じゃないぞ。

10代が「責任取れない」のは何故か? いのいちに「カネがない」から、その次には「遊びたいさかり」だからだ。

経済的・精神的に子どもを作って育てるのに適していない、だから10代は子どもを作ってはいけない。

しかし同時にこの「10代」に何歳台を入れてもこの命題は成立し得る。理由が「責任取れなきゃ」にある限り、いくつであろうと「子どもを作ってはいけない」に帰結する。

この状態で「適齢期だから子どもを産め」なる教育が成立するわけがない。年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保障にはならない。

手帳の最大の問題点ひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ。

これはさすがにバカすぎる。今までと何が変わったんだ?今でもWeb上には妊娠出産の適齢期と高齢出産リスクの知識は転がってるぞ。それじゃあ、知りたかったのに教えてもらえなかった層のためにならないじゃないか

これはさすがにバカすぎる。今までと何が変わると思うんだ?昔からWeb上に妊娠出産の適齢期と高齢出産リスクの知識は転がっていたとしたら、「知りたかった」人間は知りたいと思った時点で検索して知ることが出来ていたはずじゃないか。現にお前だって理由3を挙げている。「知ってる」と言える人間はいるわけだ。

知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。意図的によくない印象を与える表現を使うな。

俺が早とちりしているというよりも、単純にお前に突っ込みどころが満載なのが問題。

こんなにポンポン論破されるようなものじゃなく、もうちょっと練ったもの持ってこいよ。

2013-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20130511224233

オッス、元増田です。ご検証ありがとう礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。

「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。

また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。

ここで全称命題の話にしますか(笑)前世代、前々世代比較すればあながち的外れ考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。

1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオン凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。

たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイ本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチ岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。

漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったもの想像します。

いやまあ「一般雑誌」は週刊朝日週刊新潮週刊文春のみというなら別ですが。

ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件リクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります

特に80年代は、週刊文春花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディア漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。

ブコメで「サンコミックス昭和40年代に出るまで単行本ハードカバー普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります

80年代記憶でいえば「のらくろ」の復刻版がハードカバーで出てました。

純粋ハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画ハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。


赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います

2013-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20130425172402

横だけど、

女性が体目的男性モテたい理由

そもそもこの命題が間違ってる。

自分もそう思うw

でも、やたらと意識高くて話聞かないんだwww

「なぜ体目当ての男性モテたいと言えるのか?」と突っ込んでも、イミフな返答ばかり戻ってきてるのが今の状態。

http://anond.hatelabo.jp/20130425172402

横だけど、

女性が体目的男性モテたい理由

そもそもこの命題が間違ってる。

別に目的の男にもてたいわけじゃなくて、体目的の男が積極的に女性に近づくから、結果的に親密な関係になることが多い、ってだけでしょ。

同意

そりゃ、大雑把に言ってしまえば、体目当ての男ってのは見た目も話術も優れている傾向にあるのだろうから(というか、そもそも見た目とか話術が優れいているからこそ、女の人を食い散らかすようなことが可能になるのだろうしね)、

いい男にモテる自分はそうでない女よりいい女だという充足感を得るという要素もあるのだろうけど、それはどっちかというと結果論で、

元増田の言うように体目的な男が積極的に近づく、なおかつ、そういう男は見た目も話術も優れている傾向にあるから、結果的に即効的に親密な関係になることが多いってだけのような気がするなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20130425112207

横だけど、

女性が体目的男性モテたい理由

そもそもこの命題が間違ってる。

別に目的の男にもてたいわけじゃなくて、体目的の男が積極的に女性に近づくから、結果的に親密な関係になることが多い、ってだけでしょ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん