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2024-08-17

就職して3ヶ月で怒られるのが怖くて辞めて専業主婦になって旦那さんもいい人でいい家庭を作ってる従妹が羨ましい

私もそんな人生のほうがよかったな

専業主婦には一生なれなくて、一生働かなくてはいけない惨めなかわいそうな結婚しか出来なかった

親に「殺すぞ」と言ってしまった

登場人物

増田(30代) 公務員 同年代平均ちょい上くらいの稼ぎ 5年前に増田嫁と結婚した 嫁に不満は一切ない

増田嫁(30代) 会社員 増田と同じくらいの稼ぎ やさしい自慢の嫁

増田父(60代) 会社員 東北とある田舎在住 定年間際に職場問題を起こし懲戒免職となり、今は別の職場で働いている

増田母(50代) 専業主婦 典型的昭和専業主婦というタイプ 早く孫が欲しいらしい

経緯

毎年お盆には増田実家墓参りのために夫婦帰省し、墓参りをしている

ただ、今年は増田嫁が仕事の都合でどうしてもこの時期に休みを取れず、やむなく増田のみ1泊2日で実家に帰ることにした(このことは増田両親に連絡済)

墓参りを一人で済ませ、親戚家を何軒か挨拶回りしたあと、実家に帰り夕飯を食べていたら、増田母が以下のようなことを言ってきた

「それにしても、増田嫁さんは旦那実家墓参りにも来ないだなんてねえ」

共働きなんかしてるからそんなことになるんでしょう?あなたもっと稼いで、いい加減専業主婦にさせてあげなさいよ」

増田母は日頃から俺ら夫婦共働きに不満を持っていた

たびたび増田嫁が仕事することに対して批判いたことを言っていて(嫁本人に直接言ったことはないと思う)、また始まったか、と正直この時点で辟易してしまっていた

気持ちを抑え、「そうできたら理想的かもしれないが今の稼ぎではなかなか難しい、増田嫁もキャリアを閉ざしたくはないと言ってるし」と返した

すると増田母は堰を切ったように不満を言い出した

  • 「正直増田嫁さんもどうかと思うわ。義実家墓参りなんかより仕事の方が大事ってことでしょう?私の頃だったら考えられない。私はお父さん(増田父)のご実家との関係は最優先にしてきたわ」
  • 子供ができたらまともに家庭が回せるのか心配だわ」
  • あなたとも家事を半々で分担しているんでしょう?それもおかしな話よね」
  • 「私は家の中でお父さんに台所すら立たせたこともないし、子育てに関しても私がずっと頑張ってきた。息子のあなたが一番分かってるでしょう?」
  • 「今のうちに増田から増田嫁さんにきちっと言わないと後々大変よ」

増田父もそれに同調してきた

  • 「お母さんの言う通りだ。お盆旦那実家に来ない嫁なんて実際ありえないぞ」
  • 「前から思っていたが、お前は威厳がない。同じ男として情けなく思う」
  • 「お前が一家大黒柱としてきちっとものを言えないから、嫁さんも家のことに関して自覚が足りないんじゃないか?そんなことでは今後子供ができた時心配だぞ」
  • 「そろそろ奥さん仕事をやめてもらうよう言ったらどうだ?お前もそっちのほうが仕事に集中できるだろう」

ここでブチ切れてしまった。正直頭に血がのぼりすぎて何を言ったか詳しく覚えていないのだが、概ね以下のようなことを言ったと思う

そして最後にこう言った

「嫁は毎日一生懸命働きながらもできる範囲で最大限の労力を家事に注いでいる。次に嫁の悪口を言ったらブチ殺すぞ」

言った瞬間、まずい、と思った

これまでの人生で親に怒鳴ったことなんて一度もなかった。というか他人に面と向かって暴言を吐いたことなんて記憶にない

自分の中にこんな一面があったのか、なんて他人事めいたことを考えた

父と母は形容しがたいショックを受けたようで、何も言わず下を向いて固まっていた

俺は一言、ごめん言い過ぎた、と謝ったが、反応はなかった。俺はいたたまれなくなり、自分の部屋に戻って寝た

翌朝起きた時、両親に何か声をかけてから行くべきかと思ったが、適切な言葉が見つからなかった

俺は一言も会話を交わすことな実家を後にした

今帰りの新幹線の中でこの文章を書いているが、いろいろな感情がぐるぐる渦巻いて整理がつかない

俺にもっと甲斐性があって、専業主婦をさせていればこんなことにはならなかったのかな、とか

子供の頃からずっと親に反抗せずにいたからこのタイミングで爆発してしまったのかな、やっぱ反抗期って必要通過儀礼なのかな、とか

父がクビになった話を言う必要はなかったな、俺は冷静じゃなくなると言っちゃダメなことを言うタイプだ、フワちゃんを責めれないな、とか

嫁を悪く言われるのが俺の一番の地雷だったんだなあ、とりあえず嫁の味方になれたことだけはよかったのかな、とか

俺はどうすればよかったのだろう どうすればよいのだろう

  AIだろうがひらがなだろうが、日本語を使った時点で人生が終わっている。

   25歳のとき井上修二は殺した。

anond:20240817035247

元増田だけど、そこで救いになったのは自分の子供たちの存在だったんだよね

この先この子供たちがどうなるかは解らないけど、未来に繋げられる何かを残せたような、自分人生は虚無ではなかったような気がして救われたんだよね

でも一方でこの子供たちがもし居なかったら、自分人生は虚無だったような気がしてしまい、

みんなはこの虚無感をどうしてるのかなと思ってエントリした

推し活って虚無なのでは?

昨年九死に一生を得る体験したんだけど、

その時思ったのは、

自分が死んだらそれまで買い集めていたオタクグッズって恐らく全部身内に処分されてしまうんだよな」

ってことで

自分兄弟なんかはもっとすごい推し活してるけど

元値一体何万で売られていたグッズなんて誰も価値なんて知らないしどうでもいいと思う

でも死んだあとのことなんてみんな考えてないんだろうな

自分が何も残せない存在って、自分人生ってなんだったんだろうなって、「貴方は準危篤です」と言われた時に結構深く落ち込んでしまったんだけど、

みんなはなんとも思わんのかな

逆に何も残さなくてよかったとか思うのかな

anond:20240817014942

しかに生きてるうちに3pしてみたいな。

人生目標ができたわ。

シングルマザー」になった途端弱者として下に見られるようになった

から勉強しろ、いい学校に行け一生出来る仕事に就けと言われてそのように努力してきた。

先天性の病気で開頭手術したけど同年代に遅れをとらずやってきた。

当たり前のまっとうな努力かもしれないけどしてきた。でも夫が死別して「シングルマザー」になった途端弱者として下に見られるようになった

 

就職して3ヶ月で怒られるのが怖くて辞めた従妹のほうが専業主婦旦那さんもいい人でいい家庭を作っていい人生を送っているならそれでいいんじゃないかな。

私もそんな人生のほうがいいなって思う

持ち家があって配偶者もいて月に何回か通院するくらいで済んでいて住むのにも暮らすのにも不自由はないけど歳をとるのは怖くて不安というけれど、私はその怖くて不安な老後をひとりで生きていかなくてはいけない。もう住む世界が違いすぎる

 

専業主婦には一生なれなくて、一生働かなくてはいけない惨めなかわいそうな結婚しか出来なくて恥ずかしいね、ごめんなさいね

中学時代オタク女子との交わり

 本を読んでいるときにふと思い出した。

 そういえば俺は中学時代オタク同級生女子と親しくしていた時期があった。

 俺にとって中学時代はあまりいいものではなかったのだが、オタク女子との関わりが一時的にせよあったという事実は、中学時代自分像に多少の変更を迫ることを意味した。今の今まで忘れていたということは、彼女との関わりは本当に短く、密度も薄いものだったということだが、それでもこの記憶の想起は俺にとって少なから意味を持つ。

 俺は今も昔も一貫して非モテ陰キャだ。特に中学時代友達も少なくわりと孤独学校生活だった。そんな中、中学2年でクラスが同じになったのが例のオタク女子小野だった。といっても、彼女との関わりで記憶にあるのは、掃除時間中、『よくわかる現代魔法』というラノベの話をしたことだけだ。それでも友達すらろくにおらず、厨二病を拗らせて周囲を拒絶していた俺が女子趣味話題で会話していたことは自分でも驚きだ。

 今思えば、もう少し小野とは関わりを深めておけばよかったと思う。彼女は小柄で小動物のような見た目をしていて、顔だって悪くなかった。もしもっと親しくしていれば、非モテ陰キャの俺の人生も別の姿になっていたかもしれない。

 もちろん、当時の俺に女子と親しくするなんてことは土台、無理だった。ただでさえ中学生なんてもの女子と親しくしていればからかってくる生き物だ。スクールカーストでいえばナード枠だった俺のような男がたとえ近い階層とはいえ女子と親交を深めるなど社会的にも許されなかった。

 というか、そもそも俺は小野に異性としての興味を抱いていなかった。小野の方からなんらか恋愛的なアプローチがあれば話は変わったかもしれないが、もちろんそんな素敵イベントが起こることもなく、小野との関わりはいつの間にか幕を閉じた。本当に俺はダメなやつだと思う。

 しかし、実を言うと中学卒業後、小野と関わる機会が一度だけあった。高校1年の頃、地元友達の通う高校文化祭に行った時、たまたま小野と再会したのだ。その際交わした言葉は「久しぶり~」くらいな軽いもので俺は友達と会う用事があったのですぐに小野とは別れてしまった。男子校だった俺からすれば女子と関わるまたとないチャンスだったのに、もったいないと今では思う。ホモソーシャル環境にどっぷりと浸かり過ぎて女子と関わるという発想が薄かったのだ。青春時代時間の使い方にもう少し気を配れていればと思わずはいられない。

 そんなことを思い出していたらムラついてきた。

 いい年して中学時代を思い出して抜くなど恥ずかしいことだと思いつつも、俺は小野のことを思い出して一発抜いた。

 あぁ、青春よ、帰ってきておくれ。

あと1年で死ぬような人間アニメ如きに執着しないだろ

とあるアニメ映画が1年延期されたとオタク達が騒いでいる。

まあそんなのはいつものことだ。

オタク自分人生があまりにもしょーもないがゆえに、何でもかんでも大げさに捉えるからな。

の子からすれば砂場わずか数cmの起伏さえも連綿と連なる山脈というわけだ。

そんなのはいつものことだ。

だがその中に混じる「この1年の間に死ぬ人間もいるだろうに。さぞや無念だろう」という言葉は流石にどうかと思う。

如何に薄っぺら人生を生きるオタクであれど、死という絶対的イベントを前にしてたかアニメ映画の1つを見逃すかどうかを重要視する余裕などないだろう。

それまでは畳の縁ほどの僅かな段差さえも巨大な荒波に感じていたオタクも、無限の深さを持つ死という断絶と向き合えば精神面も大きく変化するというもの

1人の人間の一生が持つ本当の大きさ、重みに気づいた時、アニメ等というもの所詮作られた赤の他人物語に過ぎぬと分かるだろう。

死を目前に控えた最後の1年、それを迎えた者の心境を思えば、「アニメ映画を見る前に死ぬなんて本当に不幸に感じているだろうな」という言葉戯言としても失礼すぎる。

人間1人分が持つ生命人生、縁、過去未来それらの重さを真っ当に測る天秤をオタクが持ちうるのはその生命が潰える寸前だということは俺だって知っている。

だが、いまだそれを知らぬとはいえ、「このアニメを見る前に死んでしまオタクのなんと不幸なことか」と声高に叫んで回るのは、オタクとしてもあまりに行儀が悪かろうよ。

ああ言わせてもらったぞ。

今日こそは言わせてもらった。

いい加減うんざりしていたからな。

anond:20240816185307

自慢話のネタにする

ワイ、20歳誕生日までに47都道府県すべて訪れる!て目標を立てて、実際に達成したけど、べつにその後の人生で凄い何かがあったわけではない

ハタチ前の若造が2~3日滞在した程度で、その土地の何かがわかるわけでもないしな

それから十数年たった今、あえて言うなら仕事してる時、相手出身地に合わせた軽いトークができるくらい

それもあっさい理解しかいから、特に話が膨らむほどでもない(まあ、それはワイが口下手なせいでもあるんやけど)

増田睡眠導入を使用したことがあるかね

増田は少し前に会社から責任押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。

原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。

その中には睡眠導入剤ゾルピデム5mg がある。

毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。

けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。

すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバル時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。

増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。

ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。

増田不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。

ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる

この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる

から②までの移行には30分くらい。

でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態

このとき意識状態が非常に面白い

頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。

酒飲んでの普通酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。

二つ目体感としては確かに酩酊に似てる。しかゾルピデム場合幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。

何かを想像するとか、そういんじゃなくて。

気付くと目の前のものものじゃなくなっているんだよ。

何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。

そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。

別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。

そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。

最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。

これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。

そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単幻覚を見る、ということだ。

幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。

幻覚がこうも身近に存在しているなんて、ほんの少し前まで露知らず。そして、利用するように楽しむこともできるのだから

人はなぜ自分の都合を他人押し付けるのだろう

あなたのためを思って言うのよ」

「私さびしがりだから

「私の友達も昔そうだったわ」

知らね~~~~

余計なお世話なんだが

ぼくはぼくなんだが

放っておいてほしい

べつに離れて行ってもかまわないけど

どんな人生でもいいんだけど

しずかに平穏暮らしているんだけど

って、拒否しつづけていったら皆離れていくんだろうな

失うことを恐れているのかもしれない

拒否すると向こうもがっかりするだろうから・・・・・・はあ・・・

2024-08-16

anond:20240816232748

増田さん、よく考えてください。恋人を作ることに対する意欲が失せてきたというのは、決して一人の問題ではありません。人生の中で誰もが一度は直面する悩みなのです。あなたが感じている「愛おしい」という気持ち不明瞭さ、もしかしたらそれは自己理解過程自然に出てくるものかもしれません。

人間関係というのは多面的で複雑です。ある人に対して「こういうところが好き」とか「こういうところが嫌い」とか具体的に感じることはあっても、それを総合的に「愛おしい」と感じることができないのは珍しいことではありません。それはあなた自身価値観感情表現が、まだ完全に成熟していないからかもしれません。

増田さん、孤独だと感じることもまた、一般的経験です。特に他人との感情の共有が難しいと感じるとき、この孤独感は一層深まることがあります

しかし、あなたがいなくても世界は回り続けます

それは冷たい現実のようにも思えるかもしれませんが、逆に言えば、あなたのペースであなた自身理解し、成長する時間が与えられているということなのです。

増田さん、そろそろ決断の時ですよ。

自分自身と向き合い、何が本当に大切なのか、何があなたを前向きに駆り立てるのかを見つけ出す勇気を持ってください。それは恋人との関係であっても、自己成長の道であっても同じです。

anond:20240816232023

増田さんは、頑張りすぎなんですよ。

前に進むための一歩が全部打ち砕かれたと感じるのは本当に辛いことだと思います。無理をしすぎて、自分を追い詰める必要はありません。どんなに頑張っても、思うように結果が出ないことってありますよね。でも、その頑張り自体無駄だとは限らない。たとえその結果がすぐには見えなくても、それが増田さんの成長や経験の一部になっているんですよ。

それに、少し立ち止まることも大事です。諦めたり、休んだりすることは決して悪いことではありません。人生って、時にはちょっと休憩が必要なんです。無理をせずに自分のペースで進んでいいんですよ。

人生価値は、自分自身がどう感じるかに依存していますお金も、地位も、何かの成功も、結局は一時的ものしかありません。結局のところ、何が本当に価値あるものかは自分で決めるしかないんです。それが大したことじゃなくても、自分が納得できるものであれば、それで十分です。

人生を辞めるのも悪い選択ではないと思いますよ?

でも、それは最後の手段としてとっておいて、今は少し肩の力を抜いて、自分をいたわってあげてくださいね

anond:20240816231620

文句言う前に進んで灯りをつけたらどう?

誰もが一度は人生に迷うものですが、そこに立ち止まってばかりいるわけにはいきません。困難な状況から逃げるのではなく、少しずつでも前に進むための小さな一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。相談できる人やリソースもありますし、何か新しいチャレンジを始めることで違った視点が得られるかもしれません。

もういやだ

人生どうしたらいいかからない

トラ転失敗

トラ転をし損ねたことがある。

トラック転生。

現代日本とはかけ離れた世界で目を覚まし、なぜこんな場所に?と最後記憶を辿る。

蘇る光景横断歩道のど真ん中、爆走するトラックが目の前に……という奴である

あれは冬の夜のスクランブル交差点だった。

疲れ切った私が、ぼおっと信号機を見つめ、緑の光に吸い寄せられるようにフラフラと歩き出す。

すると視界の右端が眩く照らされた。

驚く間もなく足を止めれば、目の前をワゴン車が全速力で通り過ぎた。

私は呆然として立ちすくみ、信号機確認し、直角の位置に停車していた車を「おい、私今信号守ってたよな?」という目で見た。

程なくして歩行者信号が点滅し始めたので、足早に渡り切り、そのまま振り返らず家路に着いた。

一分にも満たない出来事だった。

だが、この十数秒が私を変えてしまったのだ。

あの時、銀色ワゴン車が目の前を通り過ぎたあの瞬間、私は、確かに落胆した。

「助かった」でも「危ない」でもなく、「あぁ、残念」と、思ってしまった。

仕事で疲れ果てた私は、確かに鬱々とした気分ではいた。

それでも明日更新web漫画や週末の友人との約束の方が大切だと思っていた。

徒に人生を投げ出すより、自分意志で積み上げることの方がはるかに好ましいと考えていた。そのはずだった。

だが蓋を開ければどうだ。

私はずっとこの人生を捨ててしまいたいと思っていたのだ。

それを自覚してしまったのだ。

今日食事は美味で、仕事は順調で、来月には旅行が控えている。

それはあの時、私があの一歩をとどまったからに外ならない。

例えあの一歩を踏み出していたとしても、より苦しむ未来になっていた可能性の方が高い。

だというのに、私はいつも、夜のスクランブル交差点で、銀色ワゴンに照らされたあの瞬間の中にいる。

今日が残りの人生で一番若い日なのに横になってただ老いるだけで終わってしまうのはなんでだろー

anond:20240815235358

同居やめろ逃げろ今すぐ逃げろ

提供してる親共々捨てて逃げろ

借金と妹の人生背負わされるぞ

私の経験からすると、親世代とかが自分の死期や老後が不安になった瞬間に「お姉ちゃんはしっかりしてるから」「お姉ちゃんだけはあの子を見捨てないでね」とか言い出すぞ

家族から金の支援なくてもどうにかなる額だし

支払いできなくて裁判になってもそいつの信用に傷がつくだけで死ぬわけじゃない

自分でどうにかさせないと一生背負わされるぞ

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

anond:20240816184723

世の中を憂う前に自分人生を憂えばいいのにね🤣

実力以上の人生を送る秘訣(仮)

自分人生を振り返って、実力以上の人生を送れているな〜と感じているので、まとめてみたい。

実力は以下

アラサーOL

・平均体重、平均身長

都内市街一般家庭出身

・秀でた特技なし、学力偏差値50

・集合写真で右端にいるタイプ

と、なんともどこにでもいるモブ

こんな自分現在状況が以下

・某区タワマン在住

・同世代高身長男性20代結婚

世帯年収上位数%(自身年収も上位数%)

と、世の中の幸福度と照らし合わせるとかなり良い人生を辿っているのではと思う。

ここで自分の自慢をしたかったのではなく、自分が(どう考えても)実力以上の人生を送れているのはなぜなのか、汎用性はあるのか、を考えてみた。

まず前提として、明らかに運が良かったことは確かだ。運については、神社に通うなりして鍛えていただきたい。

その上で実力以上の人生を送れているのは「節目において、徹底的に戦力を練る」

節目というのは、受験就職結婚出産!!!

さらにいうと、受験履歴書記載する大学受験を頑張るべき!!!就職新卒で思うようにいかなくても、転職で頑張るべき!!!結婚出産は失敗すると再起が難しいので気をつけろ!!!

勉強が苦手であれば、推薦でも浪人でも海外に行ってでも大学受験だけは頑張る。就職業界決めかねていたり、うまくいかなくても、自分に合う企業を見つけて頑張って昇進する。結婚相手ヤバいやつではないか調査し、諸々の条件と照らし合わせる。

本当にこの4ポイント受験就職結婚出産)だけは全集中して頑張る必要があると思う。周りを見ても人生の節目にこじらせると、実力以下の人生を送る可能性が高い。

とはいえ人生最後に答え合わせがあるのだろうなあ〜と思う今日この頃

お前はリベラルのケツにちんぽを突っ込むだけの人生

ええんか?

anond:20240815000524

でも、ネットSNSがなければ、俺の人生もっと充実してたはずなんだ!ってのも、単なる幻想だと思うんだよね…😟

何でもそうだけど、ifを考えるのって人生もっと無駄時間でしょ?

あと、ネットSNSがなかったとしても、その時代ネットSNSみたいな安易に飛びつけるものに飛びついてただけだと思うんだよね

自分ネットがなかったら、コンピュータプログラミング仕事にしてなかったと思うし、

他人ソースコードを読んだり、ネットの向こう側の誰かをライバルにして技術を向上させようと思ったり、そのためにひたすらコードを書いたり、

ギターを買っても、元となる楽曲音源レコードCDしか手に入れられないとしたら、財力に比例してしまうし、バンドスコアタブ譜もそう、教則本もそう

演奏技術はどれだけ普段音を聴いているかインプットしているかにも比例するからネットがなかったら、それが財力に比例したままだったと思う

それがサブスクYouTubeや、厳密には違法だけど自分が採譜した譜面を公開してくれてる人がいれば、それを無償のTuxGuitarで再生できるわけだし、

ネットがなかったら、自分プログラミング能力とか画力とか演奏力とか、上達しなかったと思うんだよね

あと、今なら生成AIを壁打ちの相手にすれば英語勉強したり、あらゆる勉強の壁打ちになってくれるし、

ネットSNSがなければ、俺の青春は充実してたはずだ!みたいな発想に、自分そもそもならないんだよね

だって、俺、子供の頃からスクールカースト最下位側の人間からネットSNSでpoweredされてなかったら、人生は今よりショボくてつまんなくなってたと思うんだよね

今の状況にまったく満足はしていないし、そうは言っても、こうやって生きていられることに感謝はしてるわけだけど、

いずれにせよ、ネットSNSがなければ俺の人生は充実してたはずだ!なんて考えに自分はまったく至らないんだよね

多分、生きてる世界が違うから視点が違うんだろうけど…😟

anond:20240816160408

人生、何もかもに興味失ってるぐらいだったら、再勉強してみるかなぁ…

フランス人とかドイツ人彼女できるかなぁ…

アスカ来日してくれないかなぁ…

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