はてなキーワード: レイプとは
言いたいことはわかるし同意する。
けど、性犯罪が男よりも女にとって事実(リアル)である、とすると事実誤認が産まれると思う。
というのも、哺乳類のメスには、レイプを怖がる気持ちが本能的に含まれているんだよな。
性犯罪と言う事実に、同じ量だけ同じ現実に接しても、女のほうがより恐怖を感じるようにできている。
被害にあったかとは関係なく、主に頭の中で起きることなんだよな。
被害体験のない女性だって、男よりも性犯罪を怖いと思っているよ。
別に、それが悪いとか空想だから価値が無いとか言ってるわけじゃなくてさ。
ここの事実誤認が入ると、クソ悪意しかないツイフェミが「男だってレイプを体験すればわかるよ」みたいな雑発言しだすんだよな。
奪うのとレイプは別物だぞ
こんなん描くなよ、みたいなのは、単純にストレスの高い物語を拒絶するメンタルの人なだけだと思う
デートレイプ漫画が衝撃的なのはわかるし、こういう女の子の直面する問題とかはなんとかしていかなきゃいけないってのはすごくわかるのよ
でも正直いうと、家に彼女呼んでレイプしちゃうなんて状況にどれだけの男がリアルを感じるかと言うとさ、ほとんどの男がピンとこないはずなんだよ
いや、そういう現実がないって言ってるわけじゃないんだ
実際そういうことは起きているんだろう
でも、現実の男子高校生なんて、クラスの早い3人くらい以外は彼女とかセックスとか無縁なんだよ
セックスが実在してるのか疑ったり、セックスしなくても生殖する方法はありそうだよなとか真面目に考えてるくらいなんだよね
女の子は男の何倍も価値があってモテて誘われるし、年上の男の人とも遊ぶからさ
男子高校生の何十倍もそういう機会に直面するし、それが幸せな出会いなこともあれば犯罪の被害者になることもあるのだろう
だけどさー
彼女もいない、セックスもできるビジョンが見えないのが普通の男子高校生なわけでさ
彼らにとっては、女の子にモテたくて似合わないサングラス買ったり、さりげなく気弱に優しくして誰にも気付かれなかったり、みたいなのが日常でさ
そんな子たちに、クラスの女の子は同級生にレイプされてます、なんて言っても、それどこの異世界よ?ってなるの、わかってもらえるかな?
「女の子にモテてみんなにチヤホヤされたい、かわいい彼女欲しい」程度の欲求が童貞男子で、彼らには「女の子連れ込んで無理やりしちゃおう」なんて発想はないのよね
実際のイメージで言えば、40人クラスで女の子が20人、男が20人なら、性犯罪に現実味を感じるのは女20男3というところ
俺も大人になり、彼女ができて、初めて女という生き物がどんな存在か知ったし、結婚して、家庭ができて、ようやく性犯罪の脅威を現実に自分の家庭に関わり得るものと認識できるようになった
世の中の人は、こういう漫画を男子高校生に読ませたいのだと思うけど、自分の実感としてはそこじゃない気がするんだよな
ほとんど性が無縁でピンとこない元童貞たちが、ようやく性犯罪の存在を実感できるようになった、俺のような人が読むべきなんじゃないかなと
30-40歳くらいが読むべきなのでは?
実際に性犯罪するような一部の男に、犯罪する前に読ませたい気もするけど、ああいうやつらはちょっとネジが外れてるから、漫画読ませたところでな
それなのにあれを教訓にしたがるのは、本当に性犯罪を脅威に感じている人だけなんだろうなと思う
女きょうだいもおらず、女って生き物がまるでピンときてない人間には、あんなのわかりようがないんよ、残念だけど
分かる手がかりを待ち合わせてないんよ
年頃の妹がいるお兄さんとかは若くてもピンとくるのかもね
https://comic-days.com/episode/2550689798358795588
なくね?
100年待っても女側から声かけて来ることはないし、何年後に挑んでも無理無理つって加害だレイプだっていわれるやろ
・この漫画のやり方
・この漫画のやり方+提案を受けてゴム付ける(ただし、絶対にゴム用意する云々の間に気が変わったっつって逃げられる)
・二股かけて焦らせる
あとは?
ざっくり見てみたけど、デートDVの話だったよ。セックスどうこう以前の話、男の子が女の子にどういう暴力を振るってたかずっと説明されてるじゃない。
そうだけど。
で?
いや、こんな時間に男の人と二人っきりでカラオケっていうのもなぁと思いつつ、気さくで優しい気の置けない同性の友達のようなゲイの店長なら大丈夫でしょと思ってカラオケに行ったらまんまとレイプされた友人の話を思い出して、別にゲイバーの店長だからってゲイとは限らないし、仮に男色趣味が本当だとしてもバイじゃないとは限らないんだよなぁとしみじみしてた。
あんのじょう男女問題に敏感なはてなはオギャーオギャーブクマカが騒いでるけど、リアリティ無えなあ~と感じたのが印象。
まず、彼女がギャン泣きして萎えたとかなら判るけど、途中まで入れといて萎えたはリアリティない。男はそこまで行ったら最後までやります。
あと家族が居るから騒ぐなってフラグ立てておいて叫ばないのが物語として成立してないなあと感じてしまった。
お題がデートレイプなのでノルマはクリアしてるけど、発想は女が考えた空想の世界から抜けてない(リアリティが無い)のでもっと頑張って現実にありそうと思える漫画を書いて欲しい。頑張れ
※あと幼馴染?の関係でああいう使い捨てみたいな態度取るかな?という違和感と、レイプだろうとイジメだろうとパワハラだろうと騒いだところで同じ教室で卒業まで過ごすという地獄
https://anond.hatelabo.jp/20240721230541
ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
目覚めはここにあるWokeness Is Here To Stay / スラヴォイ・ジジェクSlavoj Žižek
ttps://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
ウォークネス[ “wokeness”]は衰退しつつあると主張する人もいる。
だが実際には、それは徐々に常態化され、内心疑っている人々でさえ従い、学術機関、企業、国家機関の大多数によって実践されている。
だからこそ、ウォークネスはこれまで以上に批判されるべきであり、その反対側にある新しいポピュリズムと宗教原理主義の猥褻さと共に、批判されるべきである。
スコットランドではニコラ・スタージョン政権が覚醒主義woke-ismとLGBT運動を(ほぼ)最後まで押し進めた。
2022年12月、スコットランド議会が個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、新しい自己認識システムを16歳と17歳に拡大したことを受けて、
スコットランドは「平等にとって歴史的な日」と称賛した。基本的に、自分がどう感じているかを宣言し、自分がどうありたいかを登録する制度だ。
レイプで有罪判決を受けた生物学的に男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に送致されたとき、予想通りの問題が浮上した。
ブライソンは、強姦罪で法廷に出廷して初めて、自分はもはや男性ではないと確信した。
つまり、女性であると自認する人物が、自分のペニスを使って2人の女性を強姦したのだ。
男らしさや女らしさが身体とは何の関係もなく、すべては主観的な自己定義に関係するのなら、
ペニスを持つ強姦犯は、捕らえられた女性たちと一緒に刑務所に入れられなければならない。
[ところが]数々の抗議があった後で、ブライソンは男性刑務所に入れられた。
しかし先ほど[の決定]と同様に、この決定もスコットランドの[先ほどの]法律下で問題となる。なぜなら女性を自認する人が、男性刑務所に収監されているのだから。
Again, this is problematic under Scottish law, since we have now a self-identified woman in male prison.
スタージョン氏が辞任したのは、国民のなかで「LGBTに反対しているわけではないが、さきほどのような措置に単純に反対している人々」を疎外したためだ。
なぜなら、性的アイデンティティはそれ自体が単純なアイデンティティではなく、
矛盾や無意識の特徴に満ちた複雑な次元であり、私たちがどう感じているかを直接参照するだけでは、決して証明できないものだからだ。
いわゆる思春期ブロッカーPuberty blockersの使用をめぐる最近の論争は、この同じ複雑さの別の側面に関係している。
乳房などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期ブロッカーの使用を、
タヴィストックは、性的アイデンティティを選択できないように見える 9 歳から 16 歳の若者にこれらの薬を投与していた。
タヴィストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者は、環境からのプレッシャーで強いられた選択を行い、その結果、
彼らの本当の傾向 (主にトランスジェンダーであること) が抑圧される危険性があると推論した。
思春期ブロッカーは、そのような若者が思春期に入るのを遅らせ、
より成熟した年齢で決定する前に、性的アイデンティティについて熟考する時間を与えるために必要だった。
思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、「性的指向がはっきりしない」という誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、「性別の悩みを抱える子供には、時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない」のだ。
矛盾は明らかだ。
思春期ブロッカーは、若者が成熟を一時停止し、性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために投与されたが、
これらの薬は、他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性がある。
誰も、若者にそのような結果をもたらす薬を服用する準備ができているかどうかを尋ねることは無かった。
批判者のひとりであるヒラリー・キャス博士は、「思春期ブロッカーが意思決定の時間を稼ぐのではなく、その意思決定プロセスを混乱させる可能性があるかどうか、私たちには知る術がない。
脳の成熟が一時的あるいは永続的に阻害されるかもしれない」と書いている。
キャスの批判をさらに一歩進めて、性的アイデンティティーへの到達は、成熟した自由選択の問題であるという、非常に基本的な主張に疑問を呈すべきである。
性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない。
西側諸国の多くのジェンダークリニックでは、医師たちは「無条件の肯定的アプローチ」を取らざるを得ないと感じている。
子供たちを悩ませている、他の根本的な精神的危機にはほとんど配慮していない…と、ある批評家は指摘している。
実際のところ、プレッシャーは二重にある。
彼らは、思春期ブロッカーに対する懐疑論を、トランスジェンダーの人々が性的アイデンティティを実現することをより困難にしようとする保守的試みと解釈している。
これに金銭的な強迫観念が加わって、この状況はさらに悪化している。
例えば、タヴィストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療によるものだった。
つまり、ここで起きているのは、政治的に正しいしつこい勧誘と、金銭的利益の冷酷な計算の最悪の組み合わせだ。
思春期ブロッカーの使用は、ウォーク資本主義woke capitalismのもう一つの例である。
確かに、この 2 つの論争は、少なくとも反「ウォーク」勢力に部分的勝利をもたらした。
スタージョンは辞任し、タヴィストック・クリニックは閉鎖されたのだから。
しかし現在働いている勢力は、個々の政治家の見解や、特定の機関の力学をはるかに超える勢いを持っている。
むしろ個人や機関は、上から押し付けるのではなく、常に他所から来る規制に適応しようとしている。
したがって、同様のスキャンダルが今後も増え続けることは間違いない。
(以下省略)
【※参考】
https://www.youtube.com/watch?v=i826SBcDF_I
どちらかといえばTERF寄りだよ
https://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
スコットランド政府は、ウェイク主義とLGBTの原因をほぼ極限まで推し進めました。2022年12月、スコットランドの議員たちが個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、16歳および17歳にも新しい自己認識システムを拡張した際、「平等のための歴史的な日」と称賛しました。基本的に、自分が感じる通りの性別を宣言すれば、それに基づいて登録されるというものです。予測される問題は、レイプで有罪判決を受けた生物学的男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に収監された際に発生しました。
ブライソンはレイプ容疑で裁判に出廷した後に初めて自分が男性ではなくなったと決定しました。つまり、自分を女性と認識している人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたのです。これは論理的です。もし男性性や女性性が身体とは無関係であり、すべてが主観的な自己定義に依存するのであれば、ペニスを持つレイプ犯を女性収容者と一緒に収監しなければなりません。抗議があった後、ブライソンは男性刑務所に収監されました。しかし、これもスコットランドの法律の下では問題があります。というのも、今度は自己認識した女性が男性刑務所に収監されることになるからです。
ロンドンのタビストッククリニックは、上級当局から、ホルモンを抑制して胸などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期抑制剤の使用を制限するよう命じられました。タビストックでは、9歳から16歳の性的アイデンティティを選ぶことができないように見える若者にこれらの薬を投与していました。タビストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者が環境の圧力の下で強制的な選択をする危険があると考え、これにより彼らの真の傾向(主にトランスであること)を抑圧してしまうと判断しました。思春期抑制剤は、そのような若者が思春期に入るのを延期し、性的アイデンティティについて成熟した年齢で決定する前に考えるための時間を与えるために必要でした。
タビストックでは、評価のために送られたほぼすべての子供に思春期抑制剤が投与されており、自閉症や問題を抱えた若者も含まれていました。これらの若者は、性的アイデンティティについて不確かであると誤診されていた可能性があります。言い換えれば、人生を変える治療が、医療的な性別移行を望んでいるかどうかを知るにはまだ若すぎる脆弱な子供たちに行われていたのです。批評家の一人は、「性別に苦しむ子供には、時間とサポートが必要であり、後で後悔するかもしれない医療的な道に進ませるべきではない」と述べました。
パラドックスは明らかです。若者が成熟を一時停止して性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために思春期抑制剤が投与されましたが、これらの薬は他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性があり、若者たちにこれらの結果を伴う薬を受ける準備ができているかどうか誰も尋ねませんでした。ヒラリー・キャス博士は、「決定を下すための時間を稼ぐのではなく、思春期抑制剤がその決定プロセスを妨げる可能性があるかどうかを知る方法はありません。脳の成熟が一時的または永続的に妨げられる可能性があります」と書いています。
西洋の多くのジェンダークリニックでは、医師が「疑うことのない肯定的アプローチ」を採用することを余儀なくされていると批評家の一人が指摘しています。これは、子供たちの他の基礎的な精神衛生の危機にほとんど注意を払わずに行われています。この圧力は実際には二重のものです。一つには、臨床医はトランスロビーに恐れを抱いており、思春期抑制剤に対する懐疑主義をトランス個人が性的アイデンティティを実現するのを難しくする保守的な試みと解釈します。これに経済的な強制力が加わります。例えば、タビストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療から得られていました。つまり、ここにあるのは、政治的に正しい圧力と経済的利益の計算という最悪の組み合わせです。思春期抑制剤の使用は、もう一つの覚醒資本主義のケースに過ぎません。