はてなキーワード: アルファベットとは
増田はどうかわからないけど、こうした主張は保守や右派と呼ばれるような人が論じてくることが多い。
しかし私が思うには、こうした日本や日本語を大切に思う勢力こそ、日本語の柔軟さや強かさに気づけていないのではないか。
なぜ彼らは、カタカナ語やカタカナ表記もまた日本語の範疇と考えられないのだろうか。
漢字という表意文字があり、ひらがなとカタカナという役割を分けうる表音文字がある。
アラビア数字もアルファベットにも馴染むし、縦書きでも横書きでも表記しうる。
こんな強い書き言葉は滅多にないだろう。
日本という国が(保守派だったら日本という美しい国が、と書いてもいいところなのかもしれない)、
長い時間をかけて色々な文化を吸収し、それでも、たとえば匈奴や烏丸のように歴史の中で無くなってしまわず、国際社会の中で存在している。
長い時代をかけて日本語表記は例えばセルや魔人ブウみたいにいろんなものを吸収して強かに生き残ってきた。
これに自覚できず、そしてこれを誇りに思えないで、どうして保守を名乗れようか。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 J・D・サリンジャー
・04 綾瀬はるか
・05 [視聴者投稿クイズ][神奈川県海老名市][3択]七重塔
・07 [すべて]ブラジル メキシコ コロンビア アルゼンチン
・12 [3択]3(番
・13 とにかく明るい安村
・14 沖縄(県
・18 [ふるさとクイズ][群馬県安中市]モンスターハンター
・21 [なんの略]orange pekoe オレンジペコー
・22 石川(県
・25 [3択]約)6 20年間
・26 ラピュタ
・27 武井咲 たけいえみ
・29 aespa エスパ
・30e [2択]ウミ ウ
トマーッス
本日は日本において小さな親切運動スタートの日、鉄人の日、はやぶさの日、FMの日、いいみょうがの日となっております。
FMの日ってFM放送と何の関係もなく、ただアルファベットの6番目と13番目がFとMだったから制定されたそうで、しかも制定した人も不明らしいです。
こういう何かが不明なものは怖いというか、後になって面倒になるんですよね。
それが壊れた時にどう交換するかって考えたらやっぱり品番とかわかってる方がいいじゃないですか。
形だけじゃないですよ?素材もちゃんと同じやつにしておかないとめんどくさいんですよね。
そういうのをちゃんとしておかないと、形をちゃんと調べて、素材もちゃんと調べてっていう余計な時間を増やすことになりますからね。
気をつけておきましょう。
ということで本日は【性質の把握よいか】でいきたいと思います。
一応ネタバレありと書いておく。
冒頭の数分見て、謎解きゲームみたいだった。
こういうゲームは一度実況動画などで解法を見てしまうと楽しくなくなるやつだと思い、アーカイブは閉じて自分でやることにした。
最初から何も考えず一直線にやってBADENDまでの謎は正直簡単だった。
そこからが一苦労。何かしら試してもBADENDに何度も直行して出てきた謎ノのヒントコーナー。
ヒントの内容的には、ギミックがわかればなんてことはないものの
「これやんのか……いややってもBADEND直行したが??」
とあまりに動線がなさすぎて困る。FC版DQ2の「じゃしんのぞう」みたいな感じ。
その後もフラグ管理がよろしくないのか操作をしても画面に変化がなく進行不能になったり、
諦めて他のギミックを解こうとしたらその画面のまま固まって動けなくなったり、
動けなくなってリロードしてタイトルに戻るときにOPが流れる前にスキップボタンが出てスキップできなかったりが発生しまくりで正直萎えてしまった。
その中でも唯一できたのは静凛ノ謎とAnother END?みたいなやつ。それ以外はよくわからなくなったし上記で萎え切ってしまったので備忘録がてら途中までやってみた履歴を書いておく。
リゼノ謎までの道中で詰み
セバスがリゼのうんたらを投影するとか何とかいったのでそれっぽい体験談を開く。
写真を通り過ぎると強制的にゲーム側にフォーカスが入って体験談の様子が再現される。
1,2枚目は再現されたが、3枚目は表示はされるもののゲーム側に入らなかったり、3枚目までスクロールしても2枚目に加算で重なって明るくなるだけになったりとまぁ何すればいいかよくわからんになったのでやめた。
他の体験談読んだりとかしたけど写真なかったしこれ以上やることねぇなぁになる。
剣持ノ謎までの道中で詰み
クソマロ一覧が表示され、ゲーム側は検閲ワードを選ぶ形になっている。
クソマロのうち、右下のだけアルファベットが並んでおり、ところどころ赤くなっている。
アルファベットの数とクソマロの数は同じなので、赤い場所だけ検閲ワードを押してみたが、それ以上は何も起こらず。
逆にすべてのクソマロから拾えるワードを順番に押してみても何も起こらず。
検閲ワードを押すごとにアルファベットの文字も変わっていたので何かしらのワードに揃える可能性もあるが、わからな過ぎてやめた。
楓ノ謎までの道中で詰み
ゲーム側にフォーカスをあわせると楓と委員長が一緒に歌ったやつのみになったと言われる。
並べとけといわれたから並べてたが何も起こらず。
曲の再生にギミックがあるのかもしれないけど、別に歌聞かんし……。
とにかく日本の白物家電はさっさとイヤーモデル型のビジネスやめないとダメ。日本の白物家電の良くないところは
といったところだろう。これらすべてがイヤーモデル制と関連している。基本構造はフルモデルチェンジの時以外は同じにして、高価な金型を5年ぐらい使い回して、毎年同じ時期に(季節家電は需要ピーク前に)新機種出して、毎年ちょっとずつカタログスペック上げるやつだ。型番見ると5年前の製品とほぼ同じ型番で、アルファベットの部分だけが1年ごとに順送りになってたりする。
ちょっとずつ機能を足すのに比べて、デザインを変えたり構造を変えたりするのはコストがかかりイヤーモデルの切り替えにフィットしないから、やらない。そしてイヤーモデルのベース設計は、トータルでは3年とか6年の間売り続ける想定で作られるから、プラットフォームとしての使い回しが重要で、意欲的なデザインや構造は投入しにくく、保守的な「箱」になりがち。
結果として、「毎年イヤーモデルを更新し、非本質的な「改良」をちょっとずつ行うことで、製品の値落ちを防ぎつつ、店頭での露出確保競争で他社と互して戦う」という販売側・マーケティング側の要請にもとづく、消費者無視の開発体制と販売体制ができあがっている。
そして、そのことはすでに多くの消費者に見透かされつつある。
こういう消費者動向は、たとえばkakaku.comなどを見ているとはっきりわかる。kakaku.com掲示板には「イヤーモデルの些細な違いよりも価格差のほうが重要だから、旧型モデルになるのを待つ」という声が非常に多い。実際、モデルイヤー更新のタイミングまで数ヶ月待てば同じ製品の値段が2/3になったりするのだ。別の例で言えば、ジャパネットたかたは、遂に型落ちエアコンであることを大々的にアピールして売り始めている。
もはや型落ちは消費者にネガティブな印象を与えていない。そもそも、すでに白物家電の分野では最新型であることが具体的なポジティブさにつながっていないのだから、当たり前だ。エアコンはそこそこの熱効率で暖房・冷房が効けばいい。電子レンジは食品をあたためられればいい。それ以外のところで細々と付加機能や性能向上をアピールされたところで訴求はしない。
こんな感じで、いまや大半の消費者は、家電のモデルイヤーが直近・最新であること自体に価値を感じなくなっている。にもかかわらず、日本の家電企業は、製品自体の訴求力向上の阻害要因となっている、古い開発体制と販売システムを維持している。大きく変えられない形状、大きく変わらぬ使い勝手、大して意味のない機能追加。それが納得感の低い価格政策で販売されている。
だから、この市場のハイエンドは欧州家電が、ローエンドはアイリスやジャパネットや中国家電のようなアウトサイダーが奪い、ミッドレンジでは日本製の家電が型落ち待ちで利益が極限まで薄まった状態で買われている。だから、日本の白物家電は死につつあるのだ。
弊社は「エクセル1からエクセル2へデータを転記する」という業務が多い。
1日に数百ものデータを数時間かけて手打ちしてる人も多く、良かれと思って関数を入れたり自動化したりしてみた。
その結果、同僚の1人に嘲笑しながら「増田ってパソコンオタクだよね」と言われたのが今日のお昼。
この台詞に腹の底からブチ切れてしまったので、仕返しに弊社のクソみたいなエクセルデータについて晒すわね。
・半角と全角が混ざっている
・結合されているセルが多い
・商品の識別コードがなぜか複数あって人によって使うコードが違う
・姓名の間にスペースがあったりなかったりする
・数値で欲しい部分も文字列に設定してある
思ったより少なかった。
弊社のほとんどのクソデータが、データシートを直接加工して見栄えを良くし、印刷を試みようとした形跡が見える。いわゆる神エクセル。
これからエクセルに携わる方たちはどうか、エクセルでデータを記載した印刷物を作るときは「データシート」と「印刷用シート」を分けることだけは覚えていてほしい。
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。