はてなキーワード: 漫喫とは
給料を取りに行くための出勤だった。
どうせ、行かなきゃいけないなら、その日出勤しとくか、みたいなノリ出勤。
結果として、給料袋の存在は確認できてたんだけど、てんちょが作業してて最初に話しかけることもできないし、店が思った以上に忙しくなって、給料受け取れんかった くそう。
んで、その時についたお客様がめちゃくちゃ飲ませる?人で、もう酔った時には手に負えんかった。
ボーイも一緒についてくれてて助かった〜めちゃくちゃショット乾杯しました。ゲロ酔い。
その後、早番だったので23時で上がる〜って時に、「ショットバー行こうよ」って誘いが。
ボーイにも声をかけている。あと、そこのショットバーはよくキャストの方でも名前が上がっていて、気になっていた。
私の明日の予定を確認する。夕方から友達とカラオケ。夕方からだからいけるか!(もうこの時にはゲロ酔い)
ショットバーに行く。緊急事態宣言下だからか、鍵が閉まってて、外から連絡をとって中に入るらしい。
常連らしき面子、店のようにキャッキャしてりゃいいんじゃない、ここでは「客」にならなくてはいけない雰囲気があった。
席について10分でボーイは店に戻る。あくまでボーイは仕事を抜けてきてるのだ。客と私。え?
そして、私たちの右側に座る子供連れ夫婦と男性3人組。それも常連。子どもの歳を聞いて、合ってた。名前も聞いた。抱っこさせてもらった。客はもう常連に絡みに行ってる。赤ちゃんはカラオケの画面を見ている。流れる知らない曲。
相席で2:2男女4人組が来た。同い年くらいの女の子、星野みなみに似てた。2つ上だった。
あまりに店の雰囲気に馴染めていなかったのか「今日はなんで来たの?」と訊ねられて、正直にガルバで働いててお客様ときました〜って言っちゃった。何を話したのか正直あんまり覚えてないけど、その会話の中で、ひと組はカップルだけどもうひと組はカップルではないらしい。(っていう情報今書いてて思い出した)
まぁもうかなり飲んでたし、帰れる?って聞かれてもう終電ないのでアハハ…ってしてたら「タクシー代もらって帰った方がいい!」って言われた。
1回目のタク代せびりはアホすぎるので割愛したい。タク代もらえなくても、24時間やってる漫喫で始発待つかお店戻って再出勤するか…って思ってたから、ゴネられるくらいなら貰わなくていいわボケ(内心)と思い、一通り常連さんと店主とお姉さんにご挨拶して店を出た。
数歩歩いて気づく。
スマホがない。あ、店に忘れた。これは最悪すぎる。
戻るも鍵が閉まってる。カラオケの合間でコンコンしたり、ガチャガチャしたりしたけど、気がついてくれない。あーぁ、やったわこれ。
酔った頭で考える。
②
うほほーーーい!まぁ昨日も会ったんだけどね。ついでに言えば一昨日も家に泊まったんだけどね。
最初は何回か告白されたからまぁ付き合うか……ぐらいだったのに、最近めちゃくちゃ好き。
理系だし(私は文系極振り)仕事できるし、スポーツできるしお酒飲めるし、スタイルいいし、デート代多めに払ってくれるし、私のご飯なんでも美味しそうに食べるし、甘えん坊だし夜の相性めちゃくちゃいいというか最高だし、おいおい良物件やんけ~!
服のセンスダサめとか飲食店疎いとか、まぁもちろんアレな所も多々あるけど、痘痕も笑窪っちゅーかあんまり気にならない。ちんこは七難隠す。
ふるさと納税でお鍋セット届いたしね、頼んだ時から彼氏と食べようと思ってたからもう超ウキウキね。
明日は会社行くみたいだから、スーツ姿も存分に堪能しちゃうね。漫喫だけど新しいワンピースもおろしちゃうかんね。
入れるほうじゃなくて、入れられるほうとしてのアナルの話です。
アナニーに興味のある皆さんに是非知っておいていただきたいことです。
はじまりは19歳、当時の彼女から開発されたことです。開発と言ってもアナル舐めからはじまりローションを使って指を挿入されるぐらいですが、いけないことをしている感じがして気持ち良かったことを覚えています。同い年の彼女がどこでそんなテクニックを覚えて来たのかは今思えば興味深いです。
次は21歳の時に出来たひとつ年上のセフレ。セフレと言ってもセックスよりフェラや手コキで射精させるのが好きな娘で、挿入を伴うことは稀でした。彼女の開発によって、指アナル×乳首舐め×手コキで射精させられることにどハマりしました。
そして22歳になり大学も最後の年に有名なM性感にはじめて行ってみることにしました。さすがプロという攻め方で、細めではありますがアナルバイブやペニバンを駆使されることで完全に戻れない体になってしまい、何度かお店に通うようになりました。
時を同じくしてこれがターニングポイントとなるのですが、偶然ネットで見かけたニューハーフ動画にハマり、すっかり一人のNH嬢のファンになり、この人の本物ちんぽに犯されたいと日々妄想するようになります。
そして就職、上京、はじめての一人暮らし。解放的なオナニーができるようになった私はオナホを買いローションを買い、自分の指でアナニーをするようになります。当時の彼女やセフレたちにはこの趣味は言わず、セックスで満たされないアナル欲求を自分で慰めることになります。
社会人1年目が終わろうとする頃あることに気づきます。あのニューハーフ女優、普段は東京のデリヘルで働いていたはず。善は急げ、すぐさまお店に連絡すると憧れの彼女はやってきました。何度もオカズにしてきた憧れの彼女を目の前に興奮押さえきれず、シャワータイムで曝け出された彼女の本物ちんぽにむしゃぶりついてしまいました。その後ベッドに移動し、四つん這いにされ、アナルにバイブを挿入されながら口にちんぽを突っ込まれた時には感動と興奮で今でも忘れられません。その後、念願の初本物ちんぽ挿入タイムは正常位で、犯してもらいあまりの興奮に自分のちんぽを触られずにアナル挿入だけで射精(いわゆるトコロテン)させられてしまいました。
その後数回、彼女を呼んでいましたがいつのまにやら辞めてしまい、また自分の指で慰める日々に後戻りです。
26歳になった時、既に妻もいたためおもちゃ類も捨てていたのですが、またネットでアナル欲が芽生えた時気付いてしまいます。俺、ドライオーガズム(メスイキ)したことない、と。これまた、善は急げアダルトショップでローションとともにエネマグラを買い込んだ僕は個室ビデオに篭り、挿入してみました。メスイキはすぐにはできないと聞いていましたが19歳からのアナルの積み重ねなのかその日のうちにドライオーガズムまで達することができました。
ドライオーガズムのすばらしさは先人たちが語り尽くしているのでここでは語りません。
さて、僕は既婚者ですおもちゃを家に持って帰るわけにはいきません。会社のロッカーに保管しておくことにしました。
ここから僕のアナル生活は次のステージに入りました。仕事終わりや合間におもちゃを持ち出して個室ビデオや漫喫に入ってはアナニーでメスイキ。我慢できない時は会社のトイレでもするようになりました。おもちゃもエネマグラだけでなく、アナルバイブやディルドまで保管するように。さらに、時折M性感やニューハーフデリヘルで攻めてもらったり挿入してもらっていました。
ここで次のステージに移ります。本物の男のちんぽに犯されたい。この欲求にたどり着くまで時間はかかりませんでした。27歳くらいの頃からでしょうか、風俗での女性やニューハーフだけでなく、ネットで知り合ったゲイやバイの方に挿入してもらうようになりました。とは言っても男性経験は今まで5人程度ですし、すべてセーフセックスです。
ネットで知り合った男性も僕のような方も多く、結婚もしてるし基本女好きだけど男とのセックスも好きという方が結構多いというのは発見でした。
そんなこんなでもう33歳になりましたが、今ではアナニーで、射精感ないまま気持ちよくダラダラトコロテンで精液を垂れ流し、強く動かすと男の潮吹きまでして、何度もドライオーガズムに達する変態になってしまいました。
おそらく徐々に死滅していく途上なんだろうが、都会の公衆便所の感じが好きだった。
駅の近くにあるんだけど構内というわけでもない、少し離れたところにあるようなやつだ。吉祥寺のユザワヤの隣にあったみたいなトイレが、もっともイメージに近い(ユザワヤももうないが)。
大好き、興奮するしテンション上がる、っていうんじゃないけど、「好き」という以外に言い様がない感じだった。
全盛期の都会の公衆便所は激しく汚かったが、不潔さとはまた違う、負の空気みたいなものがこもっていた。個室に入るとタバコの臭いがして、たまに無意味にエロ本とかが落ちていた。
鍵をかけて尻も落ちつけず、すぐヤらせるらしい女とかカマを掘って欲しい誰かの電話番号が落書きされているのを突っ立って見ていると、当時高校生だった俺は、なんでかわからないけどものすごく楽になった。
学校にいるときは自意識をフルに充填してテンパってたのが、別に何者でもなくていいんだ、非生産的なゴミクソ野郎でもいいんだ、人に優しくとかしなくていいんだ、って感じでメンタルがマジで超安定した。
あの感覚は、都会のきったねえ公衆便所以外で体験させてくれるところがない。不思議なことだ。
ド深夜の漫喫とかが少し近いが、とにかく公衆便所は少しずつ絶滅に近づいているので、最近の高校生とか、どこで自分にとっての楽を取り戻してるの? と勝手に心配してしまう。みんな一日中、あるべき自分の像を考えたり、誰かとつながったりしてるのか。
やべえな、心の病気になるぞ、と思うが、あの手の公衆便所が地域に持ち込んでいる瘴気はハンパではなく、まあ重機で盛大にぶっ壊した方がトータルでは世のためなんだろうとは思う。吉祥寺の公衆便所もいつしか解体され、いまはオシャレ的なテナントみたいな感じになっていたような気がする。
都庁前駅近くで打合せ(飲み会)して他の人達もみんな都庁前駅から帰ったから
自分も一緒に都庁前駅から帰ったっつって会社に都庁前~北千住までの交通費として落としてもらおうとするのは
有りか無しか
連日徹夜で大変だったからといって(それでもほぼ毎日仮眠しにホテル宿泊していたが)
帰宅せず15時半~翌日8時まで漫喫で仮眠した分を会社に経費として落としてもらおうとするのは
有りか無しか
打合せも徹夜での仕事も会社や出向先からの命令でもなければ許可されたことでもなく
どうせ打合せの時の交通費も実際には定期ルート使ってんだろって思うし
15時半だったら家帰れよ翌日8時までいられたんなら朝家から来られるだろ
と思うしな…
※この話は一応現実のものとして書いてありますが一部えっそれガチで言ってるの?と思われそうな箇所が多々あります。
妄想か現実かは貴方自身で判断してください。まあなんか暇つぶしに下手な小説読むようなノリでどうぞ
※長いですし文章も下手なので読みにくいと思います。記憶もおぼろげな部分もあります。ご了承ください。
※いじめやストーカーなど胸糞悪い話ばかりで救いがあまりないですがそれでも大丈夫という方はどうぞ
登場人物紹介
私:かれこれ十数年以上オタクやってる同人女。二次元から三次元までいろいろ手を出してる。BLでもなんでも好き。かわいくはない。
友人S子:高校の友人そのいち。かわいい。鹿の間ちゃんに似てる。
友人Y?:M美の友人。一応友人(?)
友人G:高校の友人そのさん。実家が元レストランのパン屋。この話では影が薄い。
その日車で京都に出かけた、私祖母父の三人はサービスエリアでそばを食べていた。その次のサービスエリアでは、おいしそうなせんべいが売っていたのでせんべいを買うことになった。途中トイレに立ち寄ったり、たぬきを買ったりとのんびり観光を楽しんでいた。のだが。何処かおかしい。知らない店員にお疲れ様ですと言われたりいろいろ変なところはあった。のだけれどそう考えるのもきっと疲れてるからだろうと思い、全部流した。
また短期派遣の職場の人がいたのだ。でもまあいるくらいならいいかと思った私はそのままぼうっとし、父はロビーで受付を始めた。そのホテルの受付の男は何故か私に向き直るとお疲れ様ですと悪意たっぷりに笑った。またか。無視をして父と立ち話をしていると無視するなよおい、と言われた。客にそんな口調をするホテルの従業員がいるのか?これは幻聴か?幻覚か?めんどくさくなった私はそのままスルーした。
そして夕食を食べに行こうと三人で夜の街に繰り出した。途中、キスがどうとか大声で喋る不審な三人を見かけたがまあいつもの不審者だなと流した。
不審な人たちはデパートまでの道のりを一緒に歩いてきた。デパートに着き、エスカレーターを上っている最中もねえほらあの人いるよ!と猿女が騒ぐのも無視した。あっねえ無視?、とぼそっと言ってるのが小さく聞こえた。ちょっと面白かった。
そのあとはホテルに戻り眠ろうとしたがなかなか寝付けずにいた。深夜にコンコンとノックをされだいぶ追い詰められてきた私は「集団ストーカー 県名」で検索し出てきたホームページの電話番号に電話した。深夜に。
当然出ないものだと思った電話は繋がり、後日謎の担当者と話をするのだが、最後に捨て台詞のように特に男女の仲についてはみたいなことを意味深に言われる。なんやねん。いつも思うけど意味深に笑ったり喋ったりお前らはアニメか漫画の登場人物か何かか?
次の日朝から厄払いをしてもらいに寺へ行こうと変な道を歩いていた。辿り着いた先であ、来たよーと言われたのでとりあえずこの写真だけ撮って別の場所へ行くことにした。
お土産の阿闍梨餅を買いに駅前の売店へ出かけたとき、売り切れていたそれを前に後ろの方で大爆笑が聞こえてきたが無視をした。
適当に饅頭を選び買いに行くと売店のおばちゃんがちょっと訝し気に?こちらを見た気がしたが気のせいと思うことにした。
父が阿闍梨餅を買おうと本店に向かう途中、駐車場に車を置いた私たちは歩いて本店まで向かっていた。途中中学生の群れやまた例の職場の人たちの群れがいた気がしたが気のせいということにし、(途中の喫茶店で私と祖母が言った言葉を復唱される。そこで祖母がえっていう顔をする。)阿闍梨餅を買って京都を出発することにした。
途中のサービスエリアで中華料理を食べていた私たちはすぐ後ろで「こいつLINEがどう~いじめがどう~」などと語っている男がいたが無視をした。あれこれ考えるのもめんどくさかった。めんどーい。
車で留守番しているときに枕にしようと上着を脱いだら横の車の中にいた男に目を剥いて驚かれ、そのあとすぐ父に「裸になるかと思った、だってよ」と言われ(おそらく彼らにそう言われたらしい)とりあえず基地外なんだなと思った。
旅行当日、早朝から奴らは一般車降車場に現れた。荷物を抱えてついてくる気満々らしい。とりあえずスルーして新幹線に乗り込む。この後駅のホームからすべて後をつけてくることになる。
東京に着き、同人誌を買うついでに売ろうと思って池袋駅に降りたが売る本を忘れた私はそのまま別の駅に移動することに。(何でこの駅降りたんだ?(笑)とのちにいじられる。)
丸の内でショッピングをしようとしたが、案の定迷って目的地にたどり着けない。しょうがなく早めの昼食を取る。そこで〇〇さんがさぁ~と名指しで言われる。とりあえずスルーしてお茶づけを食す。確か美味しかったはず。
その後うろうろと目的地を探したがやはり見つからず(お茶漬け屋さんはおそらく奴らが群がりめちゃくちゃ繁盛していた。私様様である。)とりあえず銀座あたりに移動することにした。夏なのでめちゃくちゃ暑いのだが休憩なしで歩き続け(グーグルマップが何処かの社屋に導いてくれたのでそこへ無理矢理入ってエスカレーターを下り出口に出ると奴らが待ち構えて待ってたよ(笑)みたいな感じで笑ってた。とりあえずスルーして外に出た)(奴らの一人の女の子?はバテながらフラフラとロフトに入っていった)ついでにとロフトに行くことにした。ロフトに入ったが、特に欲しいものもなかったのでそのまま別の場所に移動することにした。
好きなブランドのアパレルショップがあったので入ってみることにした。
欲しい服が買えてホクホクしていると、店員さんに話しかけている、見たことあるような気がする人がいた。何を言われたのか、店員さんはえっと顔を曇らせこちらを見てきた。
そんなこんなでライブ会場に辿り着き、グッズ販売の列に並んだ。後ろからはアーティストの声が幼稚だわ子供みたいだと散々似たような悪口を言う奴らが後ろから来ていた。グッズの販売状況が放送で流れる中、売り切れたら面白いのになとか散々言ってた。
グッズを普通に買えて地面に座ってて、急に立とうとしたら立ち眩みが起きて地面に戻るんだけどそれを見てめまいと勘違いした人が「頑張れ~」とにやにやしながら声をかけてきた。スルーした。
チケットが心配になった私は交差点でリュックを脇に抱えて確認していると盗むかと思った?と笑われた。
ホテルに戻りシャワーをして着替えると会場内の席のすぐ近くまで奴らがいた。(コンビニでチケット発券する際、後ろに元職場の人がいたからか、店員のおばちゃんが何かしたかどれか)が、まあ無視をして楽しんだ。天使かよと思った。泣いた。
そんなこんなでホテルに帰り、廊下に彼らが(部屋にも入らずに)いたときもめんどくさくてそのまま無防備に部屋に入りすぐ寝た。(風呂にも入らずにと笑われたので部屋の中を覗かれていたとあとで知ることになる)
次の日、母と合流しディズニーランドへ行くことにした。
ランドでは
・お土産物屋さんでノートとペンを買っているとこんなもの何に使うんだよとぐちぐち言っていた
・並んでいるときにすぐ後ろでコンタクトがどうとか言い出して(私は普段眼鏡でたまにコンタクトである)こっちをじっと睨むこともあった
帰りの電車内で男が椎名林檎のきらきら武士を歌いだし、(これがのちのフラグ?になるのだが、歌詞の遠回しな諷喩が未だによくわからない。死ぬほど嫌いってこと?)子供がどうとか言い出す男たちがいたり、せまいショップ内入口をぞろぞろとドラクエのようについて来て、やっぱりいいと母が出ようとしたときもついて来た。
ご飯を食べようと入った店に奴らがいてげらげら笑われたり店員さんにじっと睨まれたり座ってた椅子を見たらちょっとだけ赤く染まってて(生理でなかった。タバスコと思われる)それを見た奴らにまたげらげら笑われたけど皆無視しました。
あとは知らないスーツの男に睨まれたり。大丸東京店でついったーにも食べたいと載せてたレモンパイを買おうとするとお疲れ様ですと言われたり、土産を買おうとすると何故か無言になり暗い顔されたり(部下?がどうしたんですかと聞いていた)したけどまあそんなこんなで東京旅行は終わる。
次はMとS子とYと私で飲み会に誘われた話。
怪しんでいた三人(と二人)との飲み会だというので嫌な予感がしながらもついていった。
バーではやはりというか例の人たちが後ろにいてバイがどうとか言っていた。(?)まあそれはいいとして、三人で話していると意図的に会話に入らせないようにしているのがわかった(例:私の知らないMの職場?の話などをする)やがてトイレから帰ると私の携帯を覗いていたような発言をチラッとされた。チラッとだったのでそれもスルー。見られて困るようなものはなかった。次に歩くには距離のあるカラオケに行きたいとせがまれ(おそらく最後に行った合コンの場所だったからだろう)なんで?と聞くと途端に機嫌を悪くするY。面白い。普通に近くのカラオケに行くことになった。
カラオケではきらきら武士を目をにやつきながら歌うS子に、大嫌い(曲名)歌ってもいい?とか聞くYにうれしい楽しい大好きっを歌おうとするMがいたのでまあそうなんだろな(?)と思う。
途中S子と二人きりになり、「〇〇さんさぁ、ストーカーされてるんだっけ?」と聞かれ「あーやっぱり何でもないよ」と答えるとにやにやと微笑まれた。うーん。S子恐るべし。確かここでもトイレに行っている間に携帯を見られ、AimerとYが連呼していた。まあ普通に私はスピッツの醒めないを歌った。何も考えずに曲を入れたが、今思えばあの場にぴったりの曲だったかもしれない。最後土産を渡そうとするとこんな物いらないとYに突っぱねられた。
そんなこんなで飲み会は終わり、何故か無言でコンビニへ駆け込むS子がいた。(謎)(離れたかったのかな?)最後手を振って永遠の別れをした。ぐっばい。
その一週間後、うずうずした私は五人のライングループを作り、S子にこう問いかけた。「なんでお土産受け取ってくれなかったの。怒ってる?」質問の答えは返ってこなかった。返って来ないだろうことは予想していたのでその代わりに語ることにした。ストーカーのこと。職場のこと。病気のことを。S子がいじめの首謀者であり、その原因が、私がLINEブロックする直前に自己愛性人格障害のことをアドバイスし、それが原因で(彼氏が自己愛に似た性格だったのだろう)別れることになった、にあることは言わないでおいた。かわいそうだったので。というよりS子が何をやらかすかわからなくて、怖いのでやめるね的なことを言った。むしろ病気になって薬飲んで楽になって感謝してることを伝えた。もっと仲良くしたかったけど無理そうだからやめるね的なことも言った。Mが何か言ってきたけどはいはいと返した。正真正銘のお別れをした。
その後も変な輩はたくさん出没し、本屋で本読んでるー!と猿女に叫ばれたり〇〇さんがボールペン買ってる!何書くのかな!?とか言われたり映画館で映画の格闘シーン中ずっとマッサージマシーンのように背もたれを蹴られたり(無視すると無視すんなよ、とキレられた。あと疲れていた(笑))別の職場で私がLINEで言った言葉を反復されて睨まれたり駐車場の料金支払い所で子供みたいだなと言われたり(そのあと駐車スペースまでブツブツキレながら着いて来られたり)(車に乗り込んだらそのままエレベーターへ帰って行った)(なんだったんだ)休日ごとにコンビニから後をつけられたり(ナンバープレートが毎回一緒だった。たぶん社用車)コンビニのオーナーからじっと睨まれたり(これはあまり関係ない)友達とプリン食べてたらカラオケから尾行されててあいつプリン食べてるよ(笑)と食べてるのを実況?されたり入った店に偶然?S子が来て(謎のめちゃくちゃ暗い顔をしていた)たりとまあいろいろあったけど今は元気だから問題なし!S子もお幸せにね!
こんにちは、増田に書くのは初めてだけど誰にも言えない私の思い出を書いておこうと思って書きました。
高校3年生、お金が欲しくなって援助交際をした。近日中にお金が欲しいんだよねと、クラスの一番仲の良い友達に相談したら「いい掲示板があるよ」と、援助交際の掲示板を紹介された。「私もやったことあるよ」と言われて、それならいいかと軽い気持ちで、サブメアドを書き込むと、大量のメールが届いた。
「こんにちは〜^_^」
とりあえず全てに返信をするけど全員とメールが続くわけではないため、とりあえず会話を続けてふるいにかける。残ったのは3人。
そのうちの1人がアドレスの設定を「子安武人」にしていてなんか面白いからその人とセックスすることにした。(処女ではない)
上野のラブホでエッチするはずだったが、その人は勃たなかった。「おかしいな…緊張してるからかなははは」とか言って、結局ベッドに入りながら1時間半ぐらいおしゃべりしただけで3万円くれた。バイトもしていない高校生からしたら超大金。帰り道はカバンが盗まれたらどうしよう、財布落としたらどうしよう、援交が警察にバレたらどうしようとヒヤヒヤしながら帰った。
大学に入るまでは受験で忙しかったから援助交際はしなかった。都内のそこそこいい学校に行き、一人暮らしでお金が無くてまた援助交際した。
最初はパパ活のつもりで出会い系サイトに登録したけどエスカレートして結局色々やった。
手コキ(個室漫喫)
たくさんしたな、懐かしいな
フェラチオしてあげた後に、君どこの店?って聞かれたのは嬉しかった。
11:00~12:00 〇〇さん(1h) 手コキフェラチオ @個室漫喫 1万
12:00~13:00 ××さん(1h) 手コキフェラチオ @個室漫喫 1万
14:00~17:00 △△さん(3h) セックス @ラブホ 5万
18:00~18:30 ⬜︎⬜︎さん (30min) パンツ生脱ぎ手渡し @カラオケ 5千円
20:00~22:00 ◉◉さん (2h) セックス @ラブホ 3万
こんな景気の良い日は1日で10万5千円getしちゃったりしてね。もちろん終わったその日は精神的にも肉体的にもぐったりだけど。
リピートして会ってくれる人たくさんいたな。楽しかったしもう時間もまあまあ経ってるから、印象的なエピソードをまた気が向いた時に記録として書いていきたいと思う。
今は援助交際はしていない。援助交際の怖いところは辞め時がわからないところ。辞める直前までは、私はいつになったら辞めるんだろうと思いながらやっていたところはあった。結局彼氏にバレて、やめなよって諭してくれて辞めることができた。だから彼氏に真剣に諭された時は、あぁやっと辞めれるなと思っていた。その人とは別れちゃったけど。
援助交際はギャンブルと一緒なんだよね。ギャンブルやったことないけど。色々してあげた後、お金もらえる時が一番アドレナリン出る。しかも男たち(客とは言わない、店じゃないからね)はありがとう、楽しかったよとか、良かったよって言いながらお金を渡してくるから、なんてwin-winな人助けなんだろう!なんて思ってた。
実際やめてからの1年間はなんて自分は汚いんだろうと、過ちを犯してしまったことを悔やんだ。活動する地域は限定していたから、用事があって援交してた街に行く時は辛くなった。今になってやっと懐かしい思い出として思い出せるようになってきた。
援助交際をしていた時はスナックでも働いていて、今はスナックはやめてアイドルをしている。ひどいアイドルだと思う。過去は過去だからと納得はしているが、実際自分をこうやって客観視するとひどい、本当にひどいアイドルである。ファンの人ごめんなさい。
援助交際して、スナックで働いて、アイドルやって、私はおばさんになるまではずっとこの、女を売り誰かから搾取するような生き方をしていくんだろう。援助交際もスナックもアイドルも、誰かを元気付けて対価をもらい、相手を日常生活に送り出していくという形式がどれも共通して当てはまってしまうのが可笑しくて笑ってしまう。やっていることの本質は一緒。世間の印象が段階的に”最悪”から”マシ”になっているだけだよ。
あーあおもろい人生。
「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。
かなり内向的な性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味もインドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ。関係ないか。twitterでたまにバズる「友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。
高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろ、ネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想を小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)
元から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金が自由になってからは映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウと冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。
美術館や博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文も明治も、フランスもアメリカもイギリスもひとっ飛びだ。
と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれに友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…
どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?