はてなキーワード: 新潮45とは
新潮45自体を潰さなくてもいいじゃないかという意見はまぁあるが新潮社にだって無理に存続させる義務もないだろと。
営利企業が悪評のついたブランドを一旦休止するなんて普通じゃない?
「表現の自由」は一般人が横槍を入れにくい公権力の介入に対して歯止めをかけるものであって、民間プラットフォームがそれをどの程度運用するかは個々の裁量の範囲内だろう。
もちろん、マスコミとしてある程度表現の自由を保障する責務はある。でも今の時代新潮45じゃなくても論説を載せる場所なんていくらでもあるでしょう。嫌なら自分のブログやTwitterで意見垂れ流せばいい。(現にそうされているようですが)
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 129 | 24908 | 193.1 | 52 |
01 | 98 | 8993 | 91.8 | 42 |
02 | 30 | 4795 | 159.8 | 62.5 |
03 | 17 | 1836 | 108.0 | 45 |
04 | 13 | 1641 | 126.2 | 54 |
05 | 8 | 574 | 71.8 | 35 |
06 | 10 | 727 | 72.7 | 28.5 |
07 | 17 | 2181 | 128.3 | 41 |
08 | 69 | 5696 | 82.6 | 45 |
09 | 100 | 10388 | 103.9 | 69 |
10 | 129 | 17916 | 138.9 | 72 |
11 | 182 | 22245 | 122.2 | 48 |
12 | 124 | 8105 | 65.4 | 36 |
13 | 72 | 7362 | 102.3 | 45.5 |
14 | 88 | 16195 | 184.0 | 39.5 |
15 | 98 | 10456 | 106.7 | 40 |
16 | 102 | 11910 | 116.8 | 54.5 |
17 | 116 | 12013 | 103.6 | 43.5 |
18 | 123 | 12149 | 98.8 | 45 |
19 | 81 | 7286 | 90.0 | 41 |
20 | 63 | 6557 | 104.1 | 40 |
21 | 42 | 3964 | 94.4 | 30.5 |
22 | 77 | 5571 | 72.4 | 37 |
23 | 95 | 9096 | 95.7 | 45 |
1日 | 1883 | 212564 | 112.9 | 47 |
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結局、休刊に追い込んだ側が悪い
新潮45には何の落ち度もない
もはや国民としての生存資格を得るために、誰もが少数者弱者の人権を否定しなければならない。もうこの国は、先進国なんかではない。
赤字を出す上に出版社に傷をつけて作家達との関係を悪化させたのでは
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/25/shincho45-kyu-kan-explanation_a_23541450/
取材に当たった所太郎氏によると、新潮社側からは「『新潮45』の実売数は1万部前後が続いており、雑誌単体では赤字という状況があった。部数の落ち込みを回復したいという焦りが生じ、試行錯誤の中で無理を積み重ね、編集、文言ひとつひとつの確認が甘くなったのではないか。今後そうした点を見直していかなければいけない」との説明があったといい、きょうの取締役会で佐藤隆信社長と編集担当取締役に対し10%の減給3か月の処分が決定したという。
男性 > 総合 > 総合月刊誌 > オピニオン(社会・政治・ビジネス)
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
---|---|---|
文藝春秋 | 文藝春秋 | 371,333 |
潮 | 潮出版社 | 133,967 |
WEDGE | ウェッジ | 131,150 |
中央公論 | 中央公論新社 | 24,667 |
Voice | PHP研究所 | 18,267 |
新潮45 | 新潮社 | 16,800 |
ではなかった。
「めんどくさいな」、「いやだな」、「理不尽だな」、「早く終わらないかな」
だった。
怒られている最中、泣きもした。泣くのは罪悪感の表明ではなかった。
むしろ相手に罪悪感をなすりつけ、叱られを早めに打ち切るためのテクニックであり、
効果の如何にかかわらずよく使った。頭ではっきりそこまで打算してはいなかったが、意識化ではぬけめなく計算していたはずだ。
ずるかった。ずるい子どもだった。でも当時はずるいのは高所大所から反撃の余地なく子どもを詰められる大人のほうだと感じていた。
現在の己をかんがみるに、最低でも九割くらいは自分に非があったのではないかと思う。
上は政治家から下は会社の同僚に至るまで、やらかし事例をそれなりに見聞きした。日本の近現代史、特に旧日本軍の「失敗」をつまみ読んだりもした。
それでなんとなく感得したことがある。
謝っているときも謝っていない。
謝り方を知らない。
ネットとかでよく見かける文言だ。ネットでよく見かける主語の大きい言葉はうそだったり不正確だったりするものが大半だけれど、これに関してだけは肌で真実だとわかる。なぜなら自分もそうだから。おそらく、人生を通じて本当に心底相手に対してお詫び申し上げたことがないから。謝るにしろ謝らないにしろ、我が身のかわいさしか考えたことがないから。
日本人は、謝れないとして、責任を取りたがらないとして、なぜそうなのか。
人災には因果があり、理由がある、ということをしんじつ認識できていない。
百万歩ゆずって因果があったとしても、それは前世の業めいたもので、自分の手では届かないどうしようもないことであり、どうしようもなかったのだから、私個人は悪くない。そういう責任逃れの前提があらかじめ内面化されている。
私は関係ない。
私は意図していない。
機序は知らないがその面倒ごととしての「結果」は私とは関係ないところで発生した災害なのだから、私を怒らないでくれ、叱らないでくれ。
そういう意識がある。
そういう意識が怒られの前触れを察知したときに怒られ者にどういう感情を引き起こすか。
「めんどくさい」だ。
だから避けようとするし、早く打ち切ろうとする。それが空虚な謝罪や姑息な謝罪逃れにつながる。
そうすることで失敗を原因を直視しないままうやむやに過ぎ、次なる大災害の種を育んでしまう。人災だったものを天災に変えてしまう。
新潮45の件もそれなんだろうな、と思う。
最悪なのは、謝られる側も「ちゃんと謝れなさ」に最適化されてしまっている風土だ。
原因やプロセスに向き合わないままうやむやに終わらせることに慣れてしまっている。
口では「原因究明を」「まだ終わっていない」「説明責任」などと欧米から輸入したような言葉を吐くが、結局一歩も進めず忘れてしまう。
ちゃんと謝れないでいい空気を保存しておいたほうが後々自分も謝る立場になったときに都合がいいのだ。
そうやって多分、日本人はこれからも同じ小規模な失敗を積み重ねていき、いくらか貯まったところで大惨事を引き起こすのだろう。
そういうことをえんえんと繰り返すのだろう。
今回の件は間違いなく、「左翼の言論弾圧」ではなく「新潮社の卑怯な逃げ」
各種月刊総合誌のなかでも、新潮社と文藝春秋社は、文学系出版社だけあり
政治的な議論にとどまらずサブカルチャー的視点も大きいのが特徴
今はなき文藝春秋社の『諸君!』での坪内祐三の「1972」みたいな連載は
産経新聞社の『正論』みたいな政治論偏重のマジメ右派論壇誌ではありえない
『新潮45』は小田嶋隆だの古市憲寿だの単純なウヨではない論客も多く起用していた
少なくとも『新潮45』には、杉田論文について賛否両論併記で再論する
これが週刊文春だったら、以前に朝日新聞とモメた池上彰がみずから
朝日新聞を一方的に非難する文藝春秋社に疑義を唱える記事も書いてた
柔軟性とか自浄作用だったんじゃねえかと思うんだがなあ
朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。
「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。
私が某論文の全文を読んだ印象としては、「LGBT問題への対策批判に見せかけたメディア(朝日新聞)批判」だなと。
例の「生産性」に当たる部分は論文の主旨ではなくサラッと流されてる印象だった。
まぁ、わざわざ「生産性」という「子供を産む」以外の意味を持つ乱暴な言葉で言い換える必要はないと無いと思うし、炎上狙いもあったのかもしれない。
ただ今回の騒ぎについては、名指しで批判された朝日新聞及びその他メディアが仕返しに言葉の一部を切り取って炎上させた、というのが私の印象だった。
論文の主旨をざっくりまとめると、
「LGBTの方達が生きやすくするためには親の理解が必要だ!制服を一緒にするとかトイレを共同にするとかの対策ではキリがないし、マイノリティの種類のさまざまだし、全部に対応しようとすると無理が生じる!だから朝日新聞やその他メディアはLGBT問題を無駄に煽るのはやめろ!」
といった内容だ。
内容についてはツッコミ所満載だし、ほとんど同意しないが、確かに突き詰めて行くと、更衣室や銭湯を男女一緒にするのは無理だし、女性専用車両とかもアウトになってしまう。
ただ、今回の件で「LGBT問題を無駄に煽るな」と主張した論文が発端でメディアがさらに無駄に煽る結果になったのは皮肉に感じる。
また、LGBTの味方のフリをして杉田水脈バッシングしてた人達が、杉田水脈を擁護したLGBTの方達までバッシングし始めたのも皮肉だった。
ちょうど最近観た『ゲットアウト』という、黒人を崇拝してる白人が結局は黒人の一番の敵となる皮肉めいたホラー映画を思い出した。
本来は多様性を認めるはずの自称リベラルな人達が杉田水脈の意見を抹殺しようとしてたのもまた皮肉だった。
杉田水脈の発言を「悲しい」としながらも1つの意見として撤回しようとはしなかった安倍総理の方がよっぽどリベラルに感じた。
今回の騒ぎで得をしたのは、そして損をしたのは誰か。
新潮45を廃刊にまで追い込んだ朝日新聞及びその他メディアはしてやったりだろう。
また新潮社はお荷物の雑誌を廃刊にできる良い機会だったし、杉田水脈や小川榮太郎は新潮45がなくなっても別の場所で発信するだけだろう。
おそらく今回の件で一番被害を被ったのはオモチャにされ振り回されたLGBTの方達じゃないかと思う。
メディア批判にLGBTを利用した杉田水脈、その杉田水脈の仕返しにLGBTを利用したメディア、それに乗っかり政権批判にLGBTを利用した自称リベラル達。
杉田水脈氏の「LGBTに生産性はない」から、先日の新潮45の擁護論文に至る流れについて。
といったものでした。前段が差別的であるためそこにばかり焦点が当たりましたが、本来の論旨は後段であったと思われます。雑に言ってしまえば、「(生産性がない)LGBTが国民の血税を掠めとるのを許すな」ということでしょう。
これは「在日特権を許さない会」とよく似た構図のように思われます。
せっかく匿名日記があるのだし、陰謀論に踏み込んでみますと、杉田氏が自民党内から大きな叱責を受けなかったのは「国民間の分断を煽り、権力に都合の良い状況を作り出す」方向にあるから、といった見方もできようかと思います。また、その背景にアメリカのような「ポリコレへの反発」があるのだとすれば、ターゲットはLGBTそのものではなく、その支援者や理解者、あるいは「直截の利害関係には無いが政治的に正しくあろうとする市民(以下ポリコレ勢)」、ということになるのだと思います。
「在日特権」ならぬ「LGBT特権」を想定し攻撃を加える。その結果、特定層の溜飲を下げたり、権力への批判をそらすことができる。何よりも、特定層とポリコレ勢は分断され、両者はその党派性から団結した政治活動ができなくなる…。
今後、杉田氏が「子育て支援をもっと手厚く」といった主張をした時に、「杉田がLGBTに謝るまで認めない」とのブコメはつかないのか。逆もまた然りで、杉田氏を支援するである「若くてお金のない夫婦」が、ポリコレ勢と手を取り合うことができるのか。そう考えると、分断がもたらす「大きな政治機運の成立しにくさ」は、権力者や富者といった既得権益層の意向にかなうものではあるでしょう。今回の流れは安倍晋三こそが黒幕!、などといった陰謀論的飛躍は自重し、偶発的なものと考えるにしても、自民党と安倍政権はその受益者の一人であるとは言えそうです。
差別発言をまといつつも、目的がLGBTへの差別感情を社会に敷衍することではなく、分断そのものにあるのであれば、「差別やめろ」「特権などない」といった反論は、問題の解決には寄与しないということでもあります。在日コリアンの問題においてそうであったように。
https://www.buzzfeed.com/jp/shibunnagayasu/sugita-stop-lgbthinan?utm_term=.qtWenBANE
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14032
のように、「LGBTへの支援は度が過ぎるというが、そんな支援はないぞ」といった反論もありました。きちんと構成された丁寧な内容だと思います。しかし、「分断を喜ぶ悪い奴ら」の目的は、国民を分断し政治的に無力化することです。特権の実在や、論理、ファクト、正しさは関係ありません。むしろ雑であるほど、一種の「ツッコミ待ち」」として反撃を誘いやすいとも言えます。攻撃と反撃とが1往復すれば、その時点で分断は明らかになり、目的は達成されています。「黒幕」は論戦に勝利してLGBTや在日コリアンから特権を剥奪することに、大して興味はありません。はした金ならくれてやってもいいだろ、と考えているかもしれません。
上の記事には論理もファクトも正しさもありますが、同時に攻撃性が隠れていない「反撃」です。LGBT当事者が「生産性がない」などと中傷を受けた心情を慮ればやむを得ないにしても、それもまた分断を煽る側にとって喜ばしい結果に収斂するとすれば、残念としか言いようがありません。
杉田氏の主張に対して、ポリコレ勢がとった反応は「差別主義者とは話さない」といった冷淡な態度に見えました。これを受け、杉田氏を擁護する小川論文は、LGBTと、犯罪行為である痴漢を同種と見なすなど、杉田論文と比べて攻撃性を増しています。つまり、「ザイニチを殺せ」ならぬ「LGBTを殺せ」に一歩近づきました。この行き着く先は泥沼と化した在日コリアン問題の二の舞、にしか思えません。自分の観測範囲でしかなく何らエビデンスの無い反知性的な総括、すなわち「※個人の感想」にすぎませんが。
新潮は休刊となったそうです。この先、杉田氏にも相応の処分が下るかもしれません。しかしこれは勝利なのでしょうか。杉田氏や小川氏やその支持者は、持論を撤回したのでしょうか。新潮を休刊に追い込んだポリコレ勢を言論封殺と詰るのではないでしょうか。砲撃は未だ鳴り止まず、勝敗は彼方にたゆたっているのではないでしょうか。
必要なのは攻撃ではありません。勝利でもありません。対話であり、相互理解です。自分が思うに、ポリコレ勢には、相手、つまり差別主義者や反ポリコレ勢の心情に寄り添う義務があります。そしてこの義務が一方的に自分達にのみあることも、同時に理解されるべきです。差別主義者や反ポリコレ勢は「ポリコレ野郎はお家でミルクでも飲んでな」と放言したところで、その思想信条とは相反しませんが、多様性や内心の自由を尊ぶポリコレ勢にとってはそうではないからです。
あるべき姿は、相手が誰であっても、穏当に対話を続け、団結できる着地点を探し続けることです。ネットを見ていると、当初はそのような志を持っていたにも関わらず、あまりの「話の通じなさ」に放棄した人たちが、ウヨにもサヨにもいるような印象です。マンガやアニメでよくある「闇落ち」的なね。しかし、「分断を煽る黒幕」にとっては、団結を模索し続けるプロセスこそが脅威であり、団結できたかどうかは、そこまで重要ではないように思われます。
だとすれば政治的に正しくあろうとするのは修羅の道ですねえ。話の通じない差別主義者どもと結果の出ない対話を続けるしかなく、そこに相手を論破したり、分かり合えたり、尊敬を得たりする、快楽や達成感など求めてはならないのですから。AIあたりに代行してほしいところです。いや、そもそも人間にできることではないと諦めるべきかもしれません。
まあ釣りタイトルから陰謀論まで持ち出して長々と書いたのは、あんまり強い言葉で攻撃するのは自重しましょうよ、というだけなんですけどね。ウヨさんもサヨさんもどっちもだぞ。真紅のバスローブを来てブランデー揺らしてる「分断を喜ぶ黒幕」がほくそ笑んでるかもしれないぞ。
思うままに書いてみたら、なんだか「国民よ団結せよ、真の敵は他にある!」みたいな話になってて自分でも戸惑ってますが、言いたいことは以上です。
LGBTかて同意がある/無いは個々のケースに寄りけりだし同意のあるなしが基準にはそもそもなってないだろ。
もし同意のみを軸とした場合においてもPZNを「同意がある」とした前提においての話やろ。
新潮45の話は詳しくは分からんけど、痴漢趣味の人と痴漢に触られるのが趣味の人(多分痴女カテゴリ)は別に不道徳な関係にはならず合意が成立しているのだから認められるべきでは? とかそういう論が入ってるんじゃねえのか。
要点としてはよくおまえら界隈で言われるところの「LGBTPZN」をちょっとオリジナリティある感じにLGBTSMAGにしただけだよな。
LGBTPZNそのものだと芸が無いから捻ったのだとは思われるが、
とすると、お前らの中でポリコレとなっているLGBTPZNを本気で真面目に主張したとしても「それはLGBTの人に大変失礼で論じるまでもなく差別に値する」って体で権利主張など有り得ない、差別されて当然って形になっちまうってことでもあるぞ。
お前らそれでいいの?
まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたしは賛同している。
休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛にクローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。
両性愛者からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別で恋愛の対象をふるいにかけることを肯定しろという発言で性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求の対象を個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的な動物であり不可能であることを認められているからだ。
第4条(自由の定義・権利行使の限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会に有害な行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。
他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象を区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。
日本が明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。
つまり、生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックスは道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックスは道徳的でないといった価値観が新潮45の論説に繋がる。
彼らにとって痴漢も同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ。
子供に性的なものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供がセックスをすることを推進しないためなのと、過激な暴力描写は現実とファンタジーを混同しやすい子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。
ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。
気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。
サイゼリヤのボッティチェリのヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨な性的表現がされていない表紙も許されるべきである。
日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。
ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノをヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体の卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐も自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性がポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。
今でこそ形骸化してる雑誌アンアンのセックス特集も最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。
気持ち悪いと道徳とモラルを持ち出して性欲と性的まなざしを否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしはフェミニズムだとは思わない。
いやだから、ヤオイがBLとなってその創作物自体を卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。
アンアンの衝撃については鴻上尚史の著作と当時の新聞の評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。
24年組と風と木の詩からの流れを持ったJUNEと女性の二次創作が爆発的に増えたキャプ翼や聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。
ここらへんの知識は中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。
ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代と腐女子の自虐の広がりは同時期だったと認識してる。
追記14:21
性的まなざしを通した視点で性的欲求を自身に齎す存在を表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定し規制させようとすること自体が、性的抑圧行為と同意味だと思っている。
そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。