シャルリーエブドの時は「差別的でも表現の自由を守るのは当たり前」「言論には言論で」って感じだったのに「廃刊は当然」みたいに言われる新潮45との違いは何?
自称リベラル様の祀る神聖なるLGBT様に手を出したってところが違う。
「廃刊は卑怯、紙面で原因究明しろ」って声がでかいと思うけど
そうはいっても自称リベラル作家どもは逃亡してたらしいぞ?
松浦某が言ってた
Permalink | 記事への反応(1) | 12:27
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「差別的な発言は表現の自由に入らない」って主張が多いんですよねぇ シャルリーエブドのイスラム批判も差別的だったと思うんですけど LGBT>ムスリムなんでしょうかね
「差別的な発言は表現の自由に入らない」って主張が多いんですよねぇ その主張がすでに差別だと思うんだがね。 「権力勾配」とかいうんだろうなー シャルリーエブドのイスラム...
なんか日本の左の権利意識にはガッカリですわ 不等号の件気をつけます