はてなキーワード: 恫喝とは
本来は「なぜ女性だけが性犯罪を避けるために限定された車両に乗る不自由を我慢しなければならないのか。女性専用車両をつくるのなら専用車両を無料にしろ」という議論になるべきで、逆なのね。専用車両は「社会がダメなので女の人が身の安全のために妥協して自分達の自由を制限している」制度ですねん
うん。女性専用車両みたいな異常な制度をつくらざるをえないほど性犯罪者が蔓延して、その上専用車を作ってみれば嫌がらせで恫喝的な態度をとる男達が乗り込んで、しかも、その「是非」が論議されるほど容儀が落ちた社会では議論に意味があるわけはない。野蛮相手には野蛮な力以外、有効でないのかもね
胸糞な愚痴なんで、読む時は注意してほしい。
肉おいしいよね。ステーキならヒレ、焼肉ならカルビと牛タン塩が好きです。
そんで最寄り駅に新しいステーキ屋ができたというので試しに行ってみた。
身近にふらっと寄れるおいしいステーキ屋ができたらいいなと期待しながら。
なぜなら、「店長らしきおじさんがバイトに感じ悪く指示を出してて、バイトの子もすごい委縮してて、とても感じが悪かったから」だ。
ステーキの味がまずいわけではないけど、美味しい!には何かが圧倒的に足りず、至って「普通」だったのもあるけど。
店に入って席について、「あ、失敗だったな」と思う程の場面に出会うのって、「滅多にない」ことだ。
昨日がその「滅多」な場面だったらしい。
できれば遭遇したくない「滅多」だが、運の悪いことに遭遇してしまった。
価格帯的には一人1,500円~2,000円くらいの店。
最近いき〇りステーキの無駄なく美味しいステーキ提供に慣れてたから、肉の質によってはそれは全然安い値段だ。
けど店の雰囲気、肉の質ともに断然「い〇なりステーキに行けばよかった。」だ。
これからは絶対、おいしいステーキ肉が食べたくなったら倍出しても「いき〇りステーキに行く」。
一択だ。
こんな記事で名前出して申し訳ないが、ほんと美味しくてシステムもシンプルで、
食べたいと思い立った時に気軽に美味しいステーキを食べられるので、とても気に入っている。
シュラスコでもいい。もっと値ははるけど、おいしくて雰囲気もいい店を知っている。
だが、昨日行った店だけは、もっとずっと安かったとしても、誰かのおごりでも、もう絶対に選ばない。
飲食店はサービス業というが、この程度の価格帯の店ではサービスなんて期待してない。
当然のことだが、サービスというのはある程度対価が必要で、いいサービスを受けたければ
ホテルのディナーやある程度価格の高い、「心地よい空間」も料金のうち、という店を選ぶ。
繰り返すが、こんな店にサービスは期待していない。
不愛想なら不愛想でいいよ、不快にさせられるよりはずっとましだし、
今日の店主の様子はこうだ。
いちいち大声。そして威圧的。
指示と書いたが、命令で小姑みたいな偉そうな態度。
着席して注文取った瞬間始まったので、完全にやられたと思った。
注文する前に分かったら席を立ってたと思う。
「注文取ったらちゃんと繰り返して聞いて。確認したら間違いはないでしょ。」
「紙エプロン必要かどうか聞くタイミング今?違うでしょ、遅すぎるよ。」
「何回言ったら分かるんだよ、いい加減覚えろよ。」
こんな感じでずーっと文句言ってる。
まあさ、たしかに言ってることはその通りではあるんだけどさ、
それって今言うこと?そしてその言い方何?
店狭いから、ってかカウンターしかないから、丸聞こえですごい不愉快なんですけど。
そんで、おじさんがやってることって事前に(開店前に)(バックヤードで)(怒鳴らず)教えておくことだよね?
営業中に、客のいる前で、大声で、店内を最悪な雰囲気にしながら伝えることじゃないよね?
あの、どー見ても自分の教育能力がないことを露呈してる残念な言動にしか見えないんだけど。
すごい怯えてて、委縮してて見てて可哀想だったし、指摘内容もそこまで偉そうにぐちぐち言うことじゃないと思った。
ほんとか知んないけどさ、脳って縮むらしいよね、こういう高圧的な態度で恫喝されると。
バイトの子たちは、こんな店で働く価値ないから、一刻も早く辞めた方がいい。
で、最近できたお店なのかな、と思って調べたらオープンは去年だった衝撃。
おそらく…、店長が原因で辞めて、新しい人が入ったところなんだろうな、と思った。
たまに、ほんとたまーーーに、運が悪いと、
こういう偉そうなおじさんがバイトに偉そうに恫喝してる店に当たることがあるんだけど。
今まで遭遇したのはラーメン屋とかかな。その店も味は微妙だったね。
元々微妙な料理が、さらにすっげーまずくなるんで、ほんとやめてください。
外食ってちょっと気分変えたいときに普段よりお金出して、自分ちじゃ作れない調理法や技術の料理を食べに行くもんじゃない?
もちろんただ食欲を満たすだけの外食もあるけど、自分の中ではステーキや焼肉ってちょっとした贅沢って位置付けだ。
用意できる肉の質のこともあるけど、高温の鉄板とか炭火焼の七輪とか、家にないしさ。
プロの飲食店としては商品としてのおいしさを追求するのはもちろんのこと、それを食べるお客のことも考えて行動してほしい。
目の前で恫喝されてびびってる店員さん見せられて、素直に料理を楽しめると思う?
とりあえず昨日の店のおじさんには、自分の教育能力のなさ、無能さに気付いて一刻も早く黙ってほしい。
おじさん、あなたのやってること、すっごい恥ずかしいよ。
調べたら、チェーン展開?してるお店で、本店の方針には「いつでもふらっと立ち寄れる場所になれたらいい」みたいなことが書いてあった。
すごい地元展開してる店みたいだから特定を避けるためにぼかすけど、そう思うようになったほっこりエピソードが書いてあって。それはすごくいい話だった。
けどさ、おいおい、真逆ですよと。
支店?ということで、いい歳になってやっと店持たせてもらって張り切ってんだか知んないけど、今日行った系列の店は本来の志から真逆の接客をする最低な雰囲気の店でしたよと。
知らせる義理はないし、報復も怖いから連絡はしない。食べログにもレビューは書かない。
まあ、いつまで店が持つかは見ものかな。
多分あの感じだと、来年の同じ時期にはもう別の店が入ってると思う。
あまりに不快だったので、おなかいっぱいだったけど口直しに寿司を食べて帰った。
寿司はどれも提供が早くて、無駄のない接客も感じよくて、そして美味しかった。
心の不快感はまだ消えない。
そうでないなら、他人をどうにかしよう、どうにかできると考えるのは傲慢ではない?
時代により比率は変われど、世の中には一定割合のそういう人が常にいるものだ。
それをどうにかしようとするのは複雑すぎる困難な問題だし、一個人の手に負える問題ではない。
だから政治がアプローチしようとしている分野。そこに、個人が「常識」やら「モラル」やら「病気」やらを説いて、
説得、恫喝、暴力などで人を動かそうとしたところで、それは人権を脅かしかねないゾーンに足を突っ込むことになる。
だから個人レベルの戦略としては、他人を変えようとするより、自分が変わる・自分の環境を変えることが良策だろう。
身内だったら、無理にでも叱ったり躾けたりして家族全員の価値観をある程度統一することも許されるかもしれないが、前時代的な考え方だ。
価値観の多様化した現代においては、一緒に暮らす家族といえどまったく異なる価値観や問題を抱えている。成人ともなれば尚更だ。
そもそも科学的には自由意志が存在しないのが濃厚で、自己の責任というものも存在しえない。
科学的には存在しないものを、社会的に秩序立てるために存在する、自覚しろと言っている状況がある。
不幸なことに人類は脳がたいへん発達しており、はっきりした自意識は持っている。
ただし、自意識を持っているからといって、神経系の全権を自意識が有しておりコントロールできる訳ではない。
むしろ、1%たりとも自分で意図的に脳を動かせる人などいない。腸を意識して動かせる人がいないように、それは勝手に動く。
その脳は、感覚器を通した周囲の環境からのインプットを、肉体的に好悪を選好しつつ電気的に保存しておくものでしかない。
それに基づいて、その人の言動のようなアウトプットが成される。
それを私たちは、自分の意思で決めたのだと感じているに過ぎない。
それでどうして、自己の責任などと言って、一個体にその言動の責任を負わせることができるだろうか。
その意味で、この宇宙には自由意思をもつものなど存在しないだろう(宇宙を創った神のようなメタ存在を除いて)。
諸器官が作り出すハーモニーが自由意志の幻覚を見せているだけで。
脳をハッキングすれば、その人の好みも価値観も発言もコントロールできることは想像に難くないだろう。
そしてそれには、高度な神経科学の技術は必要なく、大昔から、脳のインプット源をコントロールする、
いわばソーシャルハックのような形で世に溢れている。
というか、教育からビジネスまで、人類の営みのすべてがそのソーシャルハックに終始していると言えるほどだ。
その人が社会に出ることを忌避する思考の持ち主に育った原因には、遺伝的(先天的)なものもあるかもしれないし、
育ちによる(後天的)なものもあるかもしれない。現代では特に、後者の影響も大きいだろう。
人間の脳は成長の過程で、外部からさまざまな情報を学習して、そこで個人個人で異なった価値観を形成する。
普段似たような価値観をもつ人たちと社会生活を送りがちな人間は、そのバラエティの深さについて思い至りにくいし、それゆえ寛容を欠きがちだ。
率直にいうと、あなたがもしその30になっても働かない人として生まれ、その人生を0歳から現在までトレースしてみたとき、
彼と同じようにならない自信が持てるだろうか?持てる人は存在しないだろう。
彼のような状況、心境、価値観に至るには、他人とは共有できないさまざまな巡り合わせの累積があったに違いないからだ。
働かずとも生きているということは、養ってくれる存在がいて、愛されているということだろう。
愛されるに足るだけの存在でい続けているんだろう。
扶養者が親であれば、当人への理解も深かったり、あるいは親としての責任も感じてかもしれないが、
家事を手伝ったり、面倒事を代行したり教えたり、体を労ったり話相手となったり、あるいは存在だけで癒やしとなったり。
会社社会の価値基準でみるとそれらは釣り合わぬ価値かもしれないが、その価値基準がすべてではない。
あるいは相続した蓄えで生活しているのかもしれないが、それはそれで認められた権利だ。
ここは社会主義国家ではないから、働けるけど働かないことが直ちに罪になるわけではない。
それぞれの境遇にあったそれぞれの生き方を模索することが許される現代国家の、労働が急速に自動化されていく未来において、
労働に心身と時間を費やしてきた人の目線だと、働いてこなかった人を見下しがちで怠惰な人間だと思うかもしれないが、
人間は無限に怠惰ではいられない。労働市場でただちに評価される形ではないかもしれないが、
オンラインゲームをしながら、最適解を導き出すために高度な関数やAPIを駆使して計算・発表する技術を身に着けていたり、
あるいはチートやクラッキングについてのディープな知識をつけているかもしれない。
そこまで高度でなくとも、ゲームを続けていたならゲームについて人並み外れた審美眼が養われており、
テスターだとかブログのような形で何かの機会に活かされる可能性がある。
他にも、Webコミュニティ(wikiやギルドなど)のメンテといった、有志に頼る、大変だけどお金にならない部分をニートが支えている例は多いのではないだろうか。
ニートとはいえ、労働市場に出るのは嫌でも、人の役に立ちたい、褒められたいという欲求は人並みにあるものだ。
なので人知れず、市場経済にではなく人間社会に対して良いインパクトを与えている可能性を考慮してほしい。
きっと2ちゃんで良識的で穏健な発言をして荒れるのを防ぎ、初心者に優しくしているのもニートおじさんなのだ。
彼らは、働いて疲れて擦り切れて攻撃的になっている社会人のみなさんの棘を受け止めてくれているはずだ。
ニート歴数年とかの駆け出しニートは逆に精神不安定で拙い言動で迷惑をかけることが多いのかもしれないが、
基本的にニートは肉体も精神も拘束されることがないので、金はないが心の余裕があるものだ。
その余裕で人を包んであげたいと思うのは自然なことで、ネットでもらう匿名の温かい言葉のニートによる率は高いと思う。
忙しい人は、そもそも無関心になりがちで、応じるにしても一言二言で短絡的に答えがちだから。
そんなわけで、増田のみなさんには、働かざる人に対して一概に人格否定したり、どうにかしようと攻撃したりしない人になってほしい。
働かざる人を許容できるようになっていかないと、わりと深刻に国の未来は暗いと思う。
ミニマルな環境に適応し、モノやココロの断捨離に自ずと卓越していくニートの知恵袋が、
収縮していく社会で穏やかに生きるためにはきっと役に立つはずだから。
時にはフレンドリーに、いろいろ話を聞いてみてほしい。
よく話せば、誰しも決して無知蒙昧な人間のクズではなく、世界の見方が世間とは違うだけの、いい意味で「普通の人間」だと気づくはずだ。
わかりやすい結論のない話なのでいら立つ気持ちもわかりますが、正直俺自身もこの問題が完全に解決する日はくるのか疑問なんですよ。
たとえるなら北朝鮮みたいなプッツン国家と交渉しつづける外交官の気分ですね。終わりなんてほぼないんです。ただ相手の恫喝にただただ従うのか、それとも難しい相手でも毅然と対応して少しずつ外堀を埋めていくのか。後者は時間のかかる地味な作業です。
ただ時間がたつといろいろ状況が進展することもあるんです。たとえば甥っ子はあと3年すれば順調にいけば大学進学、現在彼は東京に住んでいる親戚を頼って東京の大学進学を目指してます。とりあえず彼が親から自立できるまで乗り切れば最低限の懸念はクリアできます。あとはうちの両親もどっかに逃げることもできます。
毒な家族問題に早急な解決を求めると、それこそ去年テレビを騒がせた非合法なひきこもり支援団体とかに大金を積むみたいな流れになります。
アナウンスししておいて、実は参入を検討しているだけだったりとかしている話があった
それでいいと思う
東京にもうかなりの期間住んでいるが、こんなに危ない道路で自転車なんか乗りたくないと、いつも思う
歩道を走ると、チンタラ歩いている歩行者にぶつかりそうになるし、
歩道を走ると、自転車は凶器そのものの闖入者で、自転車乗りは、存在を許されるべきではない、傲慢な馬鹿だ
皇居の近くで歩道を歩いていると、警察の立てた看板があり、歩道で起きた交通事故の目撃情報を募集していた
ひと月ほど前、深夜1時頃に、自転車が歩行者をひき逃げして、歩行者に重傷を負わせ、容疑者はいまだに捕まっていないらしい
馬鹿であり、かつ危険なものに乗ってスピードを出している人間を野放しにしている社会は、どう考えてもおかしいと思う
車道を走ると、自転車は車にとってひたすら邪魔な、できればぶっとばしてやりたいがそうもいかない、中途半端な弱者だ
そのくせ、交差点では、自転車は自動車と同じ車両のふりをして突っ込んできて、横断歩道を渡ろうとした人間を「おいこら!」などと恫喝して通り過ぎていく
このようなガラクタに乗っている人間は、もっと早めに交差点でダンプに衝突し、横断歩道に脳をぶちまけるべきなのに、そうなっていないのは、おかしいと思う
ひとことでいえば、東京は自転車のためにできてはいないし、今後も状況が改善する見込みは、ない
その昔、東京にもっと車が少なく、交通事情も緩やかだったころは、ちょっと前の東南アジアの国々のように、自転車でそこら中走り回ってよかった
また、そうするしかなかった
だが現在は地下鉄やバスのネットワークが発達しており、車に乗れないからと言って自転車に乗る理由はまったくない
公共交通機関に乗りたくなければ、歩けばよいだけの話だ
東京の道路はどこまでも舗装されているので、どこまでも快適に歩いていくことができる
高度成長期の遺物である、自転車に対してだらしない交通ルールを、もう東京では残しておいてはいけない時期に来ていると思う
自転車道を整備するなどといっておいて、ダラダラしている暇があったら、路面電車をさっさと復活させた方が、どれほど便利かしれない
趣味で自転車に乗る自由を侵害するな、などという人間は、決まって馬鹿で傲慢で、他人の安全を顧慮する能力がない
https://togetter.com/li/1177344
たしかにそういうのってあるよな
組合に入った男性を懲戒解雇にしたあげく、ユニオンに訴えられたら渋々戻したがシュレッダー係に押し込んで、「こいつはクズ」のような事を社内で吹聴
一人の社員がやってんならともかく会社本体がやってるから頭おかしい
http://news.livedoor.com/article/detail/13390286/
調べたら和解したものの、車使うな自転車使え、とか言ってんだな
バイトをこきつかって、刃物で刺すわ、恫喝するわ、首を絞めるわ、売り上げを補填させるわ、大学にも行かせないわ、店長がやくざとしか思えない
http://www.reins.co.jp/media/377/20151104.pdf
その先は言う必要ないですよね。 は今もネットで語り継がれている
その後上司が全力土下座で謝罪していたし、担当者の暴走なのは分かっているので、トンボも運が悪かったな、とも思うが、でもなんとなく買わなくなった
■すき屋
ゼンショーは他にもいろいろやってるがきりがないので、とりあえずすき屋はいかない
第三者報告書がすごい面白かったがもう消されてるな。まとめ貼るしかない
明らかなブラックなのに上がブラックと思っておらず、従業員は死にかけているのに全く上に伝わってない怖さ
■プリントパック
労災を機械の故障と言い張る。ありさんと同じで酷い残業に耐えきれず組合に入ったら虐める
取締役が残業第一主義で、定時で帰るのは会社に対する貢献度がとか言っちゃう昭和の老害
会社で印刷業者はプリントパックだったが、しれっと他の会社に変えた
正確にはジャパンイマジネーション
ガイヤの夜明けで、セシルマクビーの下請けが外国人研修生400円で休みもなくこき使ってたという実態を暴露され、それだけならまだしも取材したマスコミにBPOに訴えるぞと恫喝
ネットで騒ぎになると今更、反省してま~す、あ、下請けの首は切ったからwwwとか言って逃亡
いくら今更反省したふりしても最初にインタビュー受けたときの反応がゴミだったので今更だまされない
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/16/news016.html
なんか、ブラックな事件が起こるのはまあいいんだけど、それに対して会社が開き直って社員を悪者にして攻撃するような会社のは基本買わなくなってしまう
物によるけど
すき屋なんかは改善しようとしているのが見えるからまだましだが、しゃぶしゃぶ温野菜とアリさんは死ぬまで使わないし、引っ越しする人にはアリさん以外にしろって言ってる
呪いはある。恨みつらみはそれを買うような真似をするとやはり蓄積されていくし、結果、呪われたからとしかいいようのない不幸な目にあうということはある。
ところが、「憎まれっ子世にはばかる」という言葉もまたある。あれだけ人をないがしろにしているわりに天罰や呪いにあうことなく長生きしている人。
たまに図々しすぎてクチを開けたままになるような言動や行動をとる人がいる。こういうときに人は唖然としてその人への感情が追いつかない。また、恫喝をし続けることによって思考を奪うというのも常套手段だ。
こうすると、人はうらむことを忘れてしまう。
これが憎まれっ子世にはばかる理由ではないかと仮定する。
この場合の対策法はタイトルにある。だから、無法や野放図な行動や言動をしている人に対してきちんと心のなかで「死ね」と恨みを積んでおくことが大事だなと思った次第だ。
これからネットでトンチキなことを書いている人にも丁寧に「死ね」と思うことにする。それを直接コメントしないように気はつける。
これは完全な誤報です。他社の記者たちが「記事にするなら、本人に事実を確認した方がいいのでないか」と口々に言ったそうですが、私や事務所に確認はありませんでした。
辻元清美の発言を報道するとき、いちいち辻元本人に取材する必要はない。信頼できる情報元を取材し、辻元の該当発言があったという裏取りができれば、事実として報道するには十分なのだ。
例えば過去に、安倍首相の「撃ち方やめ」発言が紛糾したことがある。このとき問題となった答弁は、2014年10月30日の衆議院予算委員会におけるものだ。
安倍首相(以下、安倍):今日の朝日新聞ですかね。「撃ち方止め」と私が言ったと。そういう報道がありました。これは捏造です。
※議場から笑い声
「朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としている」と。かつて主筆がしゃべったと。こういうことでございますが、これはブリーフをした萩生田議員に聞いていただければ明らかでありまして、私に確認すれば、すぐわかることです。私が言ったかどうか。親しい朝日新聞記者がいるんですから。一回も残念ながら問い合わせがないまま、私が言ってもいない発言が出ているので、大変驚いたところでございます。
朝日新聞は安倍首相が「撃ち方やめ」発言をしたと報じ、民主党の枝野幸男が国会でその真偽を首相に問いただした。首相本人はこれを朝日新聞による「捏造」だと否認した。
安倍首相の答弁は、朝日新聞は自分のところへ取材に来ていない、だから同発言は朝日新聞の捏造報道であるというものだった。しかし実際は朝日新聞以外のマスコミ各社がそろって「撃ち方やめ」発言を報じていたことで、安倍首相のこの国会答弁は野党から非難されることになる。
どうやらマスコミ各社の取材源は萩生田光一議員であり、各社はそこからの伝聞に基づいて報道していたらしい。首相側近である萩生田が安倍と面会し、その直後に「撃ち方やめ」を首相発言として記者に伝えたのだとすれば、これは信頼に足る情報だ。マスコミ各社がこれを事実という扱いで報道することに問題はない。
しかし、結局この「撃ち方やめ」発言があったか無かったか、事実はウヤムヤになってしまった。首相が該当発言する現場を見ていた記者はおらず、首相本人はこの発言を否認し続けたからである。こうなると必然的に、萩生田がうっかり馬鹿なミスをして、安倍首相が語っていない発言をさも存在したかのように記者に伝えたということになる。
安倍首相がこの筋書きを採用した以上、萩生田には腹を切らせるのが道理だが、とくに厳しい処分はなく、萩生田が陳謝するだけという形で事態は収束した。
私はこのときの苦々しい記憶があるので、今回の件で辻元清美を許せずにいる。本人のところに直接取材にこい、さもなければ産経新聞はデマだぞという恫喝は、安倍首相が2014年にやったことと同じなのである。
しかも「飲み会自粛令」は産経以外のメディア、東京新聞がほぼ同じ内容を報じているのであって、これも2014年の出来事とかぶっている。「撃ち方やめ」発言のときは、マスコミ各社がそろって同じ内容を報じる中、なぜか朝日新聞の記事だけが「捏造」呼ばわりされてバッシングを受けた。今回の産経新聞は東京新聞と足並みを揃えているにもかかわらず、なぜか産経新聞の方だけがバッシングを受ける状況になってしまっている。