はてなキーワード: 単身赴任とは
単身赴任で、ちょうど家族ってのにちょい疲れてて一人になりたかったから良かったんだけど。
今まで子どもたちの教育費の捻出で、いかに自分の出費を抑えるかだけを考えて生きてきたから、
もうゲームもPS4,Switchあるけどソフトが買えない、て状況がしばらく続いたら昔ほど情熱なくなっちゃった。
アニメもAmazon primeとか昔より恵まれた環境あるけど積極的に見れなくなっちゃった。
ってなると、仕事定時後寝るまでの時間すらシラフだと邪魔になってきて酒を飲む。
酒を飲むと楽しい。ゲームも楽しくなる。ハマれてないアニメも面白くなる。
でも多分これいわゆるチートだし、だんだん楽しいだけじゃなくて悪意や狂気も増幅されることがわかってくる。
常習癖が出たら人生終わることも知ってる。
ちなみに俺の親父はアル中の果てに母親に離婚されて、ひとりボロアパートの風呂で溺死してるところを発見された。
DVもあったし体おかしくして仕事できなくなって家計を支えられず糞尿撒き散らす最低な親父だったな。
そうなりたくない。いや俺自身は別にそうなってもいいかと思うけど、そのために迷惑する人がいるのは耐えられない。
ならないためには今から離婚して嫁と子どもから切り離されたほうがいいのかな、とすら思う。
俺の勝手な判断だけど、たぶん嫁は俺がおかしくなったら、俺という負担に耐えられない人だと思う。
その前に別れたほうがいいかな。
子どもが大きくなってパートナー連れてきたときの晴れ姿とかみたいけど、たった今目の前にあるリスクのほうが大きいから離れたほうがいいかな。
親ってほんとつらいね。
今や風呂桶で膨れ上がって死んだ親父ですら尊敬できるよ。オカンはもっとすごいけど。
すくなくとも世の中はあの頃より進歩しているはずなのに、なんでこんな辛いんだろう。
いじめっ子は、瞬時にクラスの中の誰を虐めても問題がないか(大事にならないか)判断する能力が高いらしい
サイコパスも同傾向を持つそうだ
自分は気が強い、または喧嘩が弱くても、周りを巻き込む(いじめの場合なら大人に言う、職場でなら弁護士に相談する)といったおおごとにする能力が高かったため、
その手の人たちからは避けられていた
子供ができたことを職場に報告しない人はいないだろう。それは扶養家族であったり、お祝い金であったり、そういう金銭的なインセンティブがあるし、
しかし、これからは職場に子供を隠す必要があるのではないかと思う。
上記の人たちから見ると、私に子供ができたことはウイークポイントの発見に他ならなかった。
私は子供を、家族を守らなければいけない立場になった。妻も育休中だ。その結果として、いまの職場をすぐにやめられない。
まずは露骨な嫌がらせが始まった。育児のために早く帰ると、家に着くくらいの時間に追撃の仕事メールがきて、明日までに頼むと言われる。
対応しないと、反抗的だと罵られる。そして、私は地方への異動を言い渡され、単身赴任を余儀なくされた。
この手の輩と必死で戦うために、何が私にとっての嫌がらせになるのかを悟らせないという戦略で生きてきたのに、
不倫相手からは鳥取に戻ってきたら結婚しようと迫られ、それをすっかり信じ込んでいる。
都会のメリットは「職がある」につきる
なんで職のはなしを置き去りにしてるのか、単身赴任かテレワークかはしらないけど。
小学校すぎてもう一段階ものごころがついたら祖父母の古い感覚と中学生・高校生の感覚があわなくて大喧嘩するようになるよ
スマホの4G電波が実家周辺に入らないだけで中学生・高校生にとっては大事件
学生時代からの友人に呼び出されたのでどうしたのかと思ったら、友人嫁が「子どもが小学生に上がる前に実家のある鳥取県に戻りたい」と言っているらしい。
友人は横浜出身横浜育ち。今も家族で横浜に暮らしているから正直鳥取県なんて田舎で暮らしたくない、という感じ。
小さい頃から電車があれば1時間以内で都内に着ける距離に住んでいるのもあって、鳥取県での暮らしというのが全く想像できない。
友人は都会っ子だから尚更だろう。
友人嫁はもう10年以上横浜で暮らしているし結婚する前は「鳥取みたいな田舎は二度と戻りたくない」と言っていたが
最近になって「子どもを自然の中で育てたい!この子が小学校に上がる前に地元に戻って親と同居する!」なんて言い出したから困っているらしい。
友人の気持ちは以下。
・義母や義父とは仲が悪いわけではないが、同居ってなるとちょっとキツイ
・子どもが思春期を迎えたときに、グレてしまうんじゃないか心配(「都会に戻りたい!!」とか言い出したらつらい)
・そもそも鳥取県の人口が減り続けてるのがやばい、そんなところで子育てってできるもん?
俺自身も移住するメリットがあまり思いつかなかったので、嫁の我儘に付き合う必要はなく
子どもの将来ことを考えて関東圏で暮らし続けるのがいいと思うと伝えてその日は別れた。
今度友人宅にお邪魔する機会もあるので、その際には友人嫁から軽く話を聞きつつそれとなく説得できればいいなって考えている。
鳥取なぁ。悪いところではないし旅行とかなら楽しいだろうけど、今さら鳥取に移住するメリットってなんかある?ないよな?
追記:2019/05/08
昼飯ついでに開いたら思ったよりも反響があってびっくりした。
自分が言葉足らずなのを実感すると同時に、いろいろな意見が聞けてすごい参考になった。
本当にありがとうございます。
・友人嫁を説得する件について
友人と別れた後にLINEがあって「やっぱり俺は鳥取に行く決意ができないから、一緒に嫁を説得してくれ」と頼まれたから。
よく友人嫁と友人の喧嘩などを仲裁しに行くので、そのノリで頼まれたのかな?
友人嫁と俺は面識あり。友人嫁から友人の愚痴を聞くのも俺。(友人には言わないけどね)
資格がないとできない仕事でリモートワーク不可。需要はあるから鳥取に移住しても仕事には困らないだろうと考えているらしい。
単身赴任は考えていないそうなので、移住するなら家族全員が必須。
・鳥取県について
市内ならなんとかなるのか、と思って友人が言っていた場所を見てみたらほぼ島根だった。
今回はいつもの喧嘩とは話しが違うし、みんなが言うように夫婦の問題だから
なんで友人嫁が地元に帰りたいかも含めて話し合った方がいいかもねと友人には伝えようと思う。
鳥取に行かなくても解決できそうな問題であれば、移住する必要もないし。
それでも友人が移住するという結論を出したなら、たくさん鳥取に遊びに行こうと思う。
友人も寂しいだろうけど、まず俺が寂しい。
https://anond.hatelabo.jp/20190405004215
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190405004215
NTTグループの増田やそのブコメを見て思うところあったので、自分のブログに書こうかとも思ったけど増田に書く。世の中には「普通の平凡なサラリーマン」にすらなれない人がいるんだよいう観点で。
構成はNTTグループ増田のそれに合わせて書く。分量は少なめで。
「安定してそこそこの給与が保障されている」という環境に対する憎悪の声がここ二十数年ほど高くなっているが、「安定してそこそこの給与が保障されている」環境が必須な人は一定の割合で存在するのでは?そういう進路を選択したほうが貧困に陥らずに済む人だっているのでは?そこから外れた瞬間に貧困に陥ってしまうのでは?(私自身も若いころはそういう視点を持てなかった。)
「普通」の人間にすらなれない人にとっての一つのセーフティーネットが存在することを私は実感したし、それを無くすのは自分のためだけでなく、社会のためにもよくないのでは?ということを捉えていただければ。(近い将来、その「一つのセーフティーネット」が無くなって私自身が惨めに野垂れ死ぬ可能性は高い確率であると思っている。)
修士新卒で就職。40代前半。いわゆる氷河期世代ってやつです。バックエンド業務に従事。
30くらいの時にブラック他部署との仕事でメンタルを病んで療養。復帰はしたが、不信感やらいじけ根性発揮やらで30代序盤にして「この先の人生はもう余生」と決め込む。今思うと、内心そう決め込んでいても「一生懸命仕事をやろうとしているポーズ」を取ることの重要性を理解していれば年功序列レールに数年の遅れで乗れたのになあと思うのですが、当時はとにかく辛くてそんなこと考える余裕すらなった。後の祭りだし後からならなんとでも言える。
過去は変えることはできないので、節約生活と可能な限り小銭を拾う生活をするしかない生活を強いられているんだッ!!(バカの自業自得)
経営は非常に安定している、、、とみなされた時代もあったようです。
労働組合は御用です。組合の側から「労使協調」という言葉が出たときにはのけぞりました。物事には建前というものがあるのでは?そりゃあ実態が御用組合で組合出向が人事部の出世コースなのはみんな知ってるけど、、、と思わないでもないです。
私自身の年収は650万ほど。残業しまくっていた就職3,4年目の頃と同じ水準ですね(さすがに今は残業時間は減っています。というかそんな残業生活もう無理)。40歳超えてこれですので、金銭感覚が比較的幼いままでよかったなあと思っています。この先歳をとるにつれどんどん周囲に差を付けられてきつくなるんでしょうけど。
(収入が順調に上がるにせよ上がらないにせよ、生活レベルは上げないほうがいいと思います。というか生活レベルって小金が入って油断すると勝手に上がっていくものです。心身の疾患で収入が上がらなくなったときに悲惨ですし、心身に問題がなければないで貯蓄が増えていきます)
年齢や学歴の近い人は最低でも係長、早い人はとっくに課長に上がっていて当然年収1000万超えです。
30代序盤までは、普通に過ごしていても優秀であってもメンタル疾患の欠陥品(私)であってもその時点での年収差はあまりないようです。後になって響いてきます。
ヒラ→主任→係長→課長、、、と昇格していきます。「普通」の人間でいられる限りは今でも係長までは多少の差はあれど基本的に年功序列です。もちろん私はそのレールにすら乗れていません。
学歴が高いほうが昇格が早い、という傾向はあるようです。自身の反省から言うと「普通」になれなくとも一生懸命頑張っているフリくらいはしましょう。社内ニートのキャリアパスを選択するのは最低でも、(表面的な体裁を保っていればなんとか年功序列で上がれる)係長に上がってからにしましょう(自戒)。係長にすら達していない若いころからいじけて余生モードになってもいいことはありません(体験者は語る)。いじけて社内ニートになるのはいつでもできます。実際課長以上のクラスでそういう人はいます。
なお、優秀な人は異常に昇格が早いですが、「あんな奴がどうして」「女性だから優遇されているのか?」というケースは少なくとも私の視界では見たことがないです。課長以上の世界は私からは見えないのでわかりませんが。
あと、昇格に関する(暗黙・非暗黙の)ルールはあるみたいですが、他人を人事評定する立場に立ったことのない私には正直わかりません。「普通の」コミュ力があればそのへんの情報を下っ端でも聞けるみたいなんですが。
社宅や寮はあります。以前は安価で長く居られたらしいですが、年々制度改悪されて今では基本的に35歳までしか使えないようです。値段については、改悪されたとはいえ普通に借りるよりは安いみたいです。
独身者は補助を受けたければ寮に入れ、という方針です。既婚者は条件をクリアすれば多少の賃貸補助を受けられます。こちらも年々改悪されて今に至るようです。40歳超えたら補助は一切ありません(だったはず。単身赴任に関しては別)。
そんなものはない(関羽)。家やマンションを買うための財形制度はあります。
私自身が持ち家を持っていないし検討すらしたことがないので正直よくわからないです。ただ、わりと多くの人が「年相応に」家なりマンションなりを購入しているようです。まあ、私はそういうルートにすら乗れなかったので、、、
旅行とかスポーツジムとかに使えるポイント制の制度があります。小銭を拾って生きていかないといけないので、これは、、、ありがたい、、、
勤務時間帯はコロコロ変わっていました。一日の労働時間が長くなる代わりに休みが増えるとかその逆とか。ただ、最近は世間の趨勢を無視できず世間並みになっている感触です。フレックスやリモート勤務や時短勤務などがあります。
残業規制は私が入った頃はいいかげんでした。最低でも終電帰宅がデフォなのに残業は毎日20時きっかりまでとか。(若いころはそれでもなんとかこなせるんですけど、それで心身のダメージが蓄積していくということに気づいたのはもう少し後の話)
社内外の関係者(犠牲者)が捨て身で騒いでマスコミ沙汰労基沙汰にしたことや世間の流れもあって、今では残業規制はNTTグループ増田の言っている程度には厳しくなりました。ただ、一部の部署では「退勤タイムカードを押した後残業」みたいなのが常態化しているという噂も聞きます。
人件費圧縮のため残業は減らせという職場全体の方針なのに、残業時間が少ない人は暇人認定されて評定上はよろしくないみたいです。じゃあどうすりゃあいいんだよ。
あと、フレックスが導入されたので残業時間の調整はしやすくなりました。今月残業多くて今日はやることないから早く帰りますとか。まあそんなこと言ってられない時はどうにもなりませんが。
有給休暇、夏季休暇、傷病休暇があります。繰り越せる休暇はいいんですが繰り越せない休暇はきっちり消化しないと上司が怒られます。
他は、最近急にコストに関して経営陣が意識高い系になっているけど、その内容が「とにかく目先の支出を減らすこと」という、民間大企業がかつて陥った罠に数周回遅れで嵌まっている感がムンムンします。「目先のコストカットが目的化してしまい本業に支障出まくり」という余所様の失敗はさんざん話題になっているのにそういう情報に触れていないんだろうか。
低いです。が最近は若い人の離職率が上がってきています。先日部長が「若い人が離れていくのは問題だ。もっと職場の一体感を」とズレたコメントをしていたのが印象に残っています。部長まで行くような人がその分析、、、?
個人的には、ここ数年人事が欲しがるような人材(安定のためとかそんな学生は要らねえ!)が増えた結果として若い人の離職率が上がっているんでしょ?人事がそういう人材を採用している方針的に当然の帰結では?と思っています。
・将来がどうかはともかく、貧困になりたくない人(「普通」になれなくても必死になんとかしがみつけばそこそこの生活費は確保できます。今のところは)
・社会的信用を求める人(エリートでもお荷物でも外から見れば所属組織名は同じ)
・馬鹿正直な人
・ルールや決まりよりも部署の声のデカさがすべて、という現実に適応できない人
・一攫千金を求める人
私はかつて「私は普通の人間(社会人)にくらい当然なれるさ」と思っていたし、もしかしたらそれ以上の…なんてことを思っていました。
最近話題なった45歳over首切り某民間大企業が、その昔「成果主義」とか言い出して世間的にも話題になってました、当時就職直後だった私もご多分に漏れず「自分は当然成果主義で給料の上がる側」と思っていました。
今は私の職場も(年功序列の面も残っているけど)「成果主義」が進んでいますね。イチローの引退会見じゃないけど、若いころの自分に「おまえメンタル疾患で普通の人間にすらなれずに成果主義どころか年功序列レールにすら乗れてないぞ」と言いたいですね。
そんな欠陥品でも当面は生きていけることに対しては、今のところは運がよかったな、と思っています。ということで退職しません。クビになった時に備えてチマチマ小銭を貯めます。まあ実際クビになったらそんなのすぐに吹っ飛ぶんだろうけど。
上司がとても競争を煽るタイプの人で、彼自身が中堅大学から東大・京大卒をごぼう抜きしてトップに立った人だった。
その結果として、社員同士が仲良く昼ご飯を食べたり、雑談をしていたら、
「お前らはすぐ群れる。そういうところが精神的に弱いんだ。独立した人間は群れる必要がない。本当にトップの人間は孤独なんだ。孤独に耐える精神を身に着けろ」
と言い放ち、みんな昼食は各自デスクでボソボソと食べていたり、雑談はプライベートなLINEでやり取りをするようになった。
そのひとつ前の部署は、上司が典型的なほがらかおじさんで、優秀なんだけど、出世をあまり気にしておらず、
土日はばっちり休むし、「お前らも休みの日は仕事するなよ。有給はすきなタイミングで勝手にとれよ」と言ってくれたし、
昼飯は一緒に食べに行こうと部下を誘うし(もちろん無理矢理ではなく、行きたい人だけ)
その上司が単身赴任だったので、一人で夕飯を食べるのが嫌だったのか、よく飲みにも誘われた。
その部署から、花形の部署に異動となり、上記の孤独を強要する上司の下についたんだけど、
同じ会社で部署が異なるとこんなに雰囲気が異なるのかと唖然となった。
その上司はカリスマ的なところがあり、その厳しい雰囲気でも、付いていく部下はそこそこいて、
付いていけなくなった自分たちは彼らのことを信者と呼んでいたけれど、
そんな嫌味を言う程度では耐えられなくなり、多くの人が転職した。自分もだ。
いま冷静に考えれば、「トップの人間は孤独なんだ」は事実ではあるけど、
それはトップの人間は周りに相談することができても、最終的に一人で決断しなくてはいけない、であるとか
トップの人間は部下をマネジメントしたり、悩みの相談に乗ることはできても、
自分は自分自身でマネジメントし、悩みも自分で飲み込む必要がある、という意味であって、
間違っても、みんなで昼食をとらないとか、雑談をしないとかそういうことじゃないはずだよな。
当時は自分も少し洗脳されていたのか、そんなことすら気付かなかった。
周りが仲良くしているのを見るのが嫌だっただけなんだろうなと思う。
そういうブログがニュースアプリで入ってきて読んだのを思い出した
ブログ主は児童相談所に拉致されてから取り返すまでについて延々とブログをつけていた。
こういうのって一部の記事しか見ていなかったり、丁寧に文章を読むことができなかったりすると児童相談所が悪いとしか思えないんだろうな。
拉致された経緯を説明するところを読んだら、旦那の単身赴任中で、ブログ主も短期で単身赴任していたときに小学生の子供たちが拉致される事件が起きたと書かれていて、自分と感覚が違う親御さんだなーと思った。
ブログ主が繰り返し子供に暴力をふるっていたことが通報され、それが保護した理由だったらしいけれど、ブログを読んだ限りだと、ブログ主が濡れ衣を着せられているのか、暴力を自覚していないのかわからなかった。
子どもの乱暴な言動を注意しながら、自らは乱暴な言動をする親っていて、自らの動作は無意識でやってるから指摘されても「やってません」になる。
プロチチという漫画で虐待をする親は何が虐待なのかわかっていないと言っていたけれど、まさにそうだと思った。
虐待の知識を持って、自分の行動が虐待にならないか注意していないと、無意識的に虐待をしてしまうからね。
親になってから学んだ知識で言えば、「はじめてのおつかい」という番組は虐待をテレビ放映している番組なのだが、なぜか感動モノ扱いなんだよなぁ。
どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビやネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。
なんでかな??と思ったら、
その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、
母も平日はフルタイムで働いていました。
親せき宅をたらい回しにされたりしていました。
虐待を受けていたのはその頃です。
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怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・
仕方なく引き受けたものの、
どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。
いうことも聞かないし‥
それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います。
でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。
それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、
叔母のことは好きだったので、
叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、
それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。
苦しくって、つらくなって、
母にももちろん言いました。
「虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのときの自分なりの伝え方で・・
でもね、一切信じてくれないんです。
なぜかっていうと、
あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」とさらに叱られます。
「余計な事しやがって」と、虐待はさらにエスカレートしていきました。
いじめでいう「チクった」あとと一緒です。
モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。
で、そのトラウマってずっと残ってるんです。
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これ、実はもう40年前の話です。
悲しいかな
「殺される!!」と思った恐怖感
繰り返される怒鳴り声
時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。
その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、
同じバターンの繰り返しでした。
そのうち大好きだった母のことさえも、
自分がこんなに言っても信じてくれない、
まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。
そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。
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気が付けば、叔母の家を飛び出して、
電車に乗っていました。
叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。
年に何回か行く程度でしたし、
我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います。
一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。
その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。
叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。
いきなり呼びだされて、殴られたことで、
「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。
「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!
虐待されることもなくなりました。
今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、
母を含めて、身近な何人かの大人に必死でS.O.Sを出していたのに、
いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいるのでしょう。
それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか