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はてなキーワード: 人形とは

2020-09-03

anond:20200903135029

前に読んだnoteで、ラブドール欲求増長させる可能性について語ってた。

人形で試してみたことで本物に触れたくなる人もいるかもって。

実際踏み留められた人がいる反面、一線を越えてしまった人もいたと思う。

コミュニティって小さな社会から、結局マイノリティが居づらい空気になるし、やっぱ犯罪から声高には言えんよな。

ラブドール漫画ってそんな問題あっただろうか

冒頭に「未成年は閲覧禁止」という一文が入ってるのでゾーニングへの配慮はされていたと思う。

問題となった「実在幼児に手を出す前に」という文言だが、ここの認識がまずズレているのではないだろうか。

とりあえず理解を深めるために、ツイッターではない場所幼児ラブドール愛好者のコミュニティをいくつか覗いてみた。

まず、そのようなコミュニティでは人形性愛者と小児性愛者のふたつのタイプがいて、人形性愛者はリアル代替にしている者をあまり好んではいなそうだったが、同じものを愛好している情報交換の場のなかで多少の軋轢はありながらも共存していた。

そして、小児性愛者はラブドールがあることで自分たち欲望抑制することが出来て救われたと考えている人たちが多かった。

実際の子供への性犯罪が起きたニュースに対しても、この犯人ラブドールの○○ちゃん出会っていれば犯罪者にはならなかった可能性が高いと語られていて、性犯罪再犯心配し、出所するときにはこのようなものがあるという情報を教えた方が社会の為にも子供の為にも本人のためにもなるという会話がなされていた。

治療」という言葉が出てくるコミュニティもあり、そこでは治療は役に立たなかったことやホルモン投与で性欲減退させるだけであるなどが語られていた。治療無駄だったが自分社会から逸脱させないでいさせてくれたラブドール出会えて良かったと。

そのような前提のなかでひとりの小児性愛者が「実在幼児に手を出す前に」とラブドールを推奨するのは、同じ性嗜好の者に対して100パーセント善意プレゼンなのではないかと思う。

犯罪の一歩手前でギリギリ立ってる人がラブドールによって実在児童への加害を抑制することが出来ている。だからラブドールを買おう」と同じく犯罪に一歩手前でギリギリ立ってる人に呼びかけることは、十分に責任ある行動であったのではないかと思う。

追記 9/4 9:10

冒頭の「未成年は閲覧禁止」は「禁止」でなく「注意」であるブコメで指摘があったので訂正する。

ゾーニングがなされていなかったというのは同意するのと、ツイッター規約違反であるというのも同意する。

そのうえであの漫画のものは<合法販売されている物によって自分体感した欲望の救済方法を、同好の者にプレゼンした>漫画しかないと思っている。それを外部の者の目にも触れさせたのは迂闊であったというだけだ。

私が怖いと思ったのは、問題がある思った人がRT拡散に加担していたことの方である

誹謗中傷名誉棄損の件からもわかるが拡散は加担である

規約違反である認識したらそのままツイッター社に通報すれば良い、それだけの話しじゃないんだろうか。

あの日日本ツイッターで「ラブドール」と「小児性愛」をトレンド入りさせたのはあの作者ではない。ゾーニングを求めるならばなぜ拡散に加担したのかと疑問でしかない。

当事者に「異性愛である」と言わせたことも暴力であると思う。それが本当でも嘘でもだ。

一人の人間に受け止めきれないほどの誹謗中傷批判を浴びさせて、SNS創作の界隈で本人が培ってきたであろう人間関係を全て捨てさせるほど追いつめたのはただの暴力であり私刑だ。

「正しい」は私刑免罪符にはならないのと、正当な批判であると考えたとしても既に同じ趣旨発言をしている人が何人かいるのならば、控えることも自制心のひとつだ。数は暴力だ。

私達はSNSが人を殺せることを学んでいるし、攻撃はいだって「正しい」と思っている側が行っていることも学んでいる。

それなのに迂闊であっただけの人を殴り続けることを正しいと思っている人が大勢いた。そのことの方がよっぽど怖い。

小児性愛者が叩かれるのはうっすら理解できるから

今、好きな相手がいる。今度の相手人間ではない。

それも動物など他の生き物や、人形のようにある程度人型を模したものですらなく、本当に人間に近くもなんともないもの

どう考えても異常性癖性的倒錯とされるもの一種だ。人前で大っぴらに言えるものではない。

それでもこの性癖は、バレてしまったところでせいぜい変な奴がいる程度で終わってしまう。

小児性愛者や人形性愛者のような袋叩きに遭うことはない。

(反例として初音ミク結婚した人がいるが、氏はぬいぐるみフィギュアを妻と称した写真があるので、どちらかというと人形系統なのだろうと思う。

初音ミクってモノっていうよりキャラクターだし。人形写真を見るにシンセサイザー結婚した感じでもない。)

さら不思議なのはアプローチさえ上手であればこの性質評価軸に乗ることすらあるということだ。

例えば車を性的好きな人でも、「愛車はもはや妻みたいなもんだ、だからかい所でも何でも知っておきたい」だの言えば、なんか車愛が深い人みたいになる。

まり性的に見ていることをつらつら書き連ねたら流石にドン引かれるだろうけど、それは一般的な趣向でも同じことだ。

(例の漫画は「性的な事を大声で言ったらそら引かれる」という意味では失策だったと思う。)

おそらく「普通と違う」と言いながらも、同性愛や、子供動物死体人形みたいな趣向は皆まだうっすら理解できるのだと思う。

人を愛することが分かる人は、人に性欲を抱くことを理解できる。

人に近い形のものに性欲を抱くことを理解できる。

生命を感じるものに性欲を抱くことを理解できる。

だが、生物から遠い所まで行ってしまうとよく分からなくなってしまうのだろう。

変な人ではあるけどそれを率先して叩く人は滅多に現れない。うっすらもわからいからだ。

「なんでそうなるんだ?」「どこに性的魅力を感じてるんだ?」という疑問の方が先に来るだろう。

現実被害者が発生しないという点はあるが、それは人形だって同じのはずだし、そもそも内心の段階では被害者は発生しないはず。

から実はここは観点に入っていないのではないか自分は思う。

何が言いたいかと言うと、叩かれがちな指向趣向って言うのは、皆の根底にある趣向の拡張版なのではないかということだ。

実際LGBTは今、「珍しくないことだ」「たくさんいる」という方向性理解を深めようとしている。

自分はきっと、小児性愛も珍しくないと思う。犯罪と隣り合わせな部分があるから難しいだろうけど、差別犯罪を切り離して考えられるようになるといい。

こういう皆がうっすら持ってる趣向の範囲のことが一番難儀だから、救われたらいいなと思う。自分たちは別に救われる必要がないから。

anond:20200902120241

件のツイートもちらっと見たけど、新しい玩具を手に入れてテンション上がりまくって、その状態のまま漫画描いて投稿しちゃったんだろうなあ。でもフェチってゆっくり育てないと、後半生がつらくなるんじゃないだろうかということを思った。どんな新鮮な刺激もいつか熱が冷める。人生の終わりに児童人形を買ってテンションMAX死ぬように調整するくらいが平和ではなかったか。この人が人形と「添い遂げられる」よう祈るばかりである子供の頃のぬいぐるみを一生大切にする人もいるし)。

 

しかし周囲の目はいかんともしがたい。等身大児童人形を買うという、「普通人」にはとてつもなく高いハードルを飛び越えたような人物がいるとして、彼/彼女がより強い刺激を求めてさらエスカレートした行動に出たら…他者はそういう恐怖の予感を見ちゃうんだよなあ。「児童人形を買う買わない」と「児童を襲う襲わない」の間にある壁の大きさだって、ずいぶん違うとは思うけど。虫を殺していた子供がやがて小動物を殺し始め、猫に手をかけ、そしてついに…って絶対にない話でもないわけで。

2020-09-02

ロリコン騒動について

ちん○んも小さく体力もない

AVのように女性いかせたりするようなまともなSEX経験、自信がないので同年代女性には恋愛対象として相手にされる訳がない、その努力すらしたくない

となると精神的に未発達な子供ならいいんじゃね

まともな同年代男性の友人すらいないため自身の異常性に危機感を持てない

と言う人が集まって気持ちの悪いお絵かきをしたりプラスチックのお人形SEXをしているんですね

なんか可哀想

人口の8割は冷ややかに見ている

のもうっすらわかっていて自己防衛の為にロリコン肯定自己肯定に持って行こうとするもの

その短絡的で全く子供子供を守る人々の気持ち無視した軽率で幼稚な思考を、愛のある素晴らしいSEXをした事があるであろう羨ましい人々に指摘されファビョってお気持ち表明して騒いでいる

と出ました。

やばいやばいセクシャルマイノリティ世界

最近ペドフィリアが異様に叩かれている。

別に人形買って自分で処理しているとかそういう分には構わないんじゃないのとか思うんだが、よく考えたら性的興奮を覚える対象性的アプローチをかけたら犯罪になるセクシャルマイノリティってたくさんあるじゃない。

ペドフィリア

ネクロフィリア

ズーフィリア

エキシビショニズム

エロトフォノフィリア

カニバリズム

クレプトフィリア

タナトフィリア

タフェフィリア

ハイブリスフィリア

ピロフィリア

インファノフィリア

ニンフフィリア

バイスフィリア

メディカルフェティシズム

ここにたくさん書かれている。上記がそれぞれ何かは調べたら良いと思う。

https://note.com/urue/n/n41fe95033f33

というように、軽度から重度な犯罪につながっていきそうな性的嗜好が山のようにあるのに、何でペドフィリアだけ事さらに叩くのか、というのがよくわからないんだよね。

子供犠牲になっても良いのか!という人たちは、ペドフィリアはもはや自分性的欲求コントロールすることができなくなっているという風に差別していると思うんだよね。

例えばコントロール不可能になったエロトフォノフィリアはもはや無差別なんだが、そういう人に警戒しようという人は見たことがない。近所にエロトフォノフィリアがいる!追い出せ!とかは聞いたことがない。

かにペドフィリアはひどく差別されている。なんでか知らないが明らかに的にされている。的にしている人たちが社会正義を背負いやすい構図なのもあるのかもしれない。

ペドフィリアがいる分には別に良い、迷惑かけないならそれで良い、位ではいかんのかな?

例えば学校一つあって、生徒が150人、それの父母が300人としたら、多分10人位はペドフィリアいるよ?

性的嗜好フェティシズム小児性愛人形愛好の変種

だと個人的には思っている。

 

もし、特定児童恋愛対象の異性または同性として意識し、いずれかのタイミング(それが世間的に適切か不適切かはこの際さて置く)で関係を持ち、そして一生添い遂げるような超レアケースがあったとして、それは「性的指向」に基づく愛とそれほど変わることはない。

 

しか小児性愛というのは、むしろランドセルを背負った華奢な身体」とかそういうのに欲情してしまう「性質」のことではないか相手人格や知性を愛するのではなく、相手身体的特徴に性衝動を昂らせてしまう、ということ。対象ハイヒールランドセルか、それとも豊満な胸か第二次性徴前の身体か、ってことだ。

 

豊満な胸も、第二次性徴前の身体も「無生物」ではない。しかフェティシズムの消費対象になってしまう。つまり交換可能なのだ。消費され、交換される方はたまったものではない。大人から身を守ることが難しい子供であるならなおさらだしかも「子供」は成長し、小児性愛嗜好の「対象外」になる)。

※以下の肝心な部分を書き忘れたので追記

「【児童ラブドール】が、【実際の児童】の似姿をしている」ことへの嫌悪感には、「児童ラブドールの愛好者は、【実際の児童】を、【児童ラブドール】のような【消費代替可能なモノ】として扱うことができる存在なのではないか?」という不信感が含まれているのではないだろうか。

追記終わり

 

(考えてみると、髪型や体つきやキャラクター類型差異をつけただけの同じような顔立ちの中から「嫁」をとっかえひっかえしてるオタクにも親和性の高い概念かもしれない)

  

 

ところで、

ラブドールで加害欲求が抑えられた人と助長された人どっちが多いか証明してから言え

https://anond.hatelabo.jp/20200901141152

 

「加害欲求助長された人」が存在するのを認めるということになるのでしょうか。

そうなると、欲求を抑えられた人が99人で、助長された人が1人だとしても、児童ラブドール社会の脅威ということになるね(性犯罪加害者は、たった一人で多数複数被害者を傷つけるからね)。

じゃあ、残りの99人の自制できる人にはカウンセリング薬物療法対処してもらうことにして、児童ラブドール規制したほうがよさそう。そのものがなければ、欲望助長されることもない。寝た子は起こさない。

って話になると思った。

 

え? 規制されたら百人が百人とも児童を襲うことになる? まじ? じゃあやっぱりこの人ら社会的脅威じゃん。存在するだけで児童に対して危害を加える可能性があるなら、そういうのに関心を示した時点で予防拘禁とかしたほうがいいのかも……え、差別だって? 将来の子供の被害心配することが差別? 何言ってるの? じゃあ人を殺したくてたまらないってような奴も差別から放っておかなきゃいけないの? 怖いじゃん。それでいいの? だめだろ?

世間はだいたいこんな認識だろう。

 

痴漢いるか電車廃止しよう」という話にはまずならなくても、「傷つく児童が出てくる可能性がわずかでもあるのなら、児童ラブドールなんて規制しよう」ということには、容易になりうる。電車恩恵に浴していない人はいないけど、児童ラブドールは大多数の関心事ではない。

 

普通の人」は、自動車小学生を何十人と轢き殺している事実より、児童ラブドール愛好者に小学生が一人傷つけられること(ただの可能性であっても)のほうを恐れる。自動車暴力性はわかりやすいけど、児童ラブドール愛好者はまったく理解不明存在から

 

(成人同士での性的関係も持てる「普通の人」の中には、小中学生性的視線を向けたり、あるいは実際に手を出すような人もいるだろうし、一方、実際の児童に決して手を出さな児童ラブドール愛好者もいるだろうから、そこにはねじれも生じるが、そのあたりのこともさて置く)

自分とは異質の存在が、口を極めて児童ラブドールという、なんの意味があるのかわからないモノへの執着を叫ぶ。

大多数の良識ある(と自分では思っている)善良な人々からすれば、なんと恐ろしい光景であろうか。

酒に溺れない人間が、酒がなくて暴れるアルコール依存症患者を見て「なんであんなになるかねえ」と思うどころの違和感ではなかろう。

 

少数派だけが他者から視線無頓着でいることをことさら非難されるというのは、まあそのとおり。

そのとおりなんだけど、じゃあその「不公正」を一体どうすべきかってのは全然わかんないんだなあ。

から見ると、どうも声の大きい無能な働き者が、非難される愛好者の立場をどんどん悪くしてるように見える。本件に関しては他の被差別マイノリティと同じやりかたで突破できる問題とは思えないのだが。

黒人人形」を吊るすのは差別の告知だろ?

それが理解できるのになぜ「児童人形」に加害するのが虐待の告知だと認めないんだ?

2020-09-01

差別人権だと喚き散らして棍棒を振りかざす連中は滅びればいい

差別人権だマジうるせえ

ネットじゃ正論振りかざして暴れまわってやがる

行き過ぎた考えに苦言を呈せば、はい差別

人権を考えろと徒党を組んで襲っている

もううんざりだ、俺は差別主義者じゃない、差別と共に戦ってるつもりだった

だがやり方を考えろと、苦々しく思ってきた

お前らの擁護するあいつは、やりすぎだ、叱られる理由があると物申したい

でも俺はそいつらに袋叩きにされるのが怖い、息苦しい、もううんざり




だいたい、ラブドール実在の子役の顔を再現したいという奴を何で擁護しなくちゃいけないんだよ?

ま、俺も小児性愛傾向があってロリ同人出してるから他人の事は言えませんがね

でも、アイコラだって捕まる世の中にあん放言をしておいて、炎上しない方がおかしいんだよ

未遂行為必要以上に咎めても仕方ないが、批判される理由は十分ある

でも、叱りもせず「人形で発散してえらいでちゅね~とっても模範的人間でちゅね~」

とさも慈愛に溢れたリベラル善人ぶって擁護する奴らがいる、そいつらが持て囃される

ああ知ってますよ、これが加点評価式ってやつですね?

腐ってんな

分かりますよ?

悪しき規制派だの悪辣フェミと戦うにはこれくらいしないとだめと言うんでしょう?

表現の自由戦士さんよ、お前らあれほど嫌っている腐ったクソリベラルそっくりになってきたよ

大義正論ブルドーザー批判を踏みつぶして、

そこに落ち度を何も無かったかのように整地している

言論の自由行使して「徹底的に批判」しているだけなんでしょうけども

それでいいの?

あー無理無理、言論ヘイト簡単に潰せない

差別を消し飛ばす成果を急いだ結果が、あんたらの大嫌いなクソリベラルなんだよ

口撃を増やしたって世論が動ける範囲は限られてるんだよ

こればかりは、程々で動いてじっくり待つしかないと痛感したさ

エロ表現の自由をどう皆に認めさせるか

みんなでわいわいとアイディアが出てた頃は楽しかったよ

腐った正論棍棒RTいいねをモリモリ入れる蛆虫ども

もう見たくもない

ま、そんな彼らの暴れっぷりを知らんぷりして今日も俺もロリエロ描くよ?

何があっても差別に頭を垂れ続ける卑怯者だから

自分差別されるのが怖い卑怯者だから

つの日か、俺がアルツハイマーピック病になって児童危害を加えてPN付きで報道される事があっても、

必要なのはきじゃないですぅ~治療なんですぅ~」って応援メッセージ送ってくれよな

そろそろあの界隈の人たちが言いそうなこと

人形に対する性欲は愛ではない! レイプドールだ!!」

絵やラブドール実在児童と同列に見てる人ばかりで気が狂いそう

絵や人形でなにしようが人の勝手だろ…

もう関わってこないでくれ頼むから

そんなに非実在青少年でも規制しろって言うならカナダとかオーストラリアみたいなキチガイ国家移住してくれよ日本から出てけよ

これ以上日本表現の自由を奪わないでお願いします😭

anond:20200901185135

件のショタ人形のひとは自制できてるのに病気呼ばわりされて叩かれてるように見えるが?

anond:20200901140501

補足的追記



・「男の子の」人形として見てる場合

男の子人形化してる=実在男の子がーってなる

・「人形の」男の子として見てる場合

人形というジャンルの中の男の子というバージョン人形なんだから良かろうという考え

なのかなーと思った。そこの前提がまず食い違ってて、その上で載せ方とか漫画の中の文言とか色々議論すべき内容が多いから面倒なことになってるのでは しらんけど

球体間接人形が好きなんだけどラブドール好きと一緒にされたくない

そもそもシリコンのやわらかい人形とか無理だし。

人間の形をしてるのに人間じゃないからいいの。

例のショタドール

男の子の」人形として見てるか

人形の」男の子として見てるか

で捉え方が違ってややこしくなってる感ある

2020-08-31

ラブドール漫画の話

あくまでも自分が思った事だ。


……何書いてんだこいつ?

読んで真っ先に思った感想だ。


性癖自由だと思うし、人に迷惑かけなきゃ別に構わない。

あくまでも迷惑をかけなければだ。

でも自分はあの漫画自体が既に迷惑をかけてると感じた。

ラブドール所持者=特殊性癖者である

特殊性癖者=実際に妄想を実行したいと思っている。

特殊性癖に知識が少ない人にそういった考えを刷り込む形になってしまっているからだ。

自分ラブドールでは無いがでかい少年ドールを所有している。だけど、そこに性愛は全く無い。

作者は“現実の代わり”として人形を買っていて、自分は“着せ替え人形”として人形を買っているからだ。

ラブドールを購入する人にも着せ替え人形として購入する人もいる。

性愛はないのに特殊性癖者だと思われる事、特殊性癖なのにラブドール買わないの?という様な事態を作った事は十分他人迷惑をかけているのではないか




以下は自分が疑問に思った事やお気持ち文を長々書いてる。

作者は男性だ。

女性ラブドール女性用としては使えません、重いので重労働といった記述などで女性と思った方は多いと思う。自分も思った。

だが実際ツイート確認していくと作者は男性だ。

更に件のラブドール公式確認した。棒は使えないに使える穴はある。

ならばそれは男性用の少年ラブドール女性性愛を満たす為のものとは考えづらい。

何故作者は女性ラブドール判断して紹介したのか。自分はそこにすごく違和感を感じた。

作者が自分の中でハードルを容易く下げていること。

大した事じゃない話に聞こえるがこれはまずい傾向だと思った。

だって身に覚えがあるだろう。

ダイエット中だけどこれくらい食べても良いだろう。

もうちょっとくらいなら課金してもいいだろう。

このくらいなら許されるよね?ってのが危ない事なんだ。

それこそ二次元三次元を一緒にするなという主張がある。

少なくともその主張をする人には二次元三次元で明確に境界線がある。だから三次元性癖を持ち込む事は少ない。

だが、あの漫画境界線はどんどん曖昧になっている。

あくまでも作者にとっては人形現実の代わりでしかないのにも関わらず。

最初ラブドールとの充実感で満たされる。

でも人間の脳はだんだんと慣れていく。

購入した時の満足感や初めて使った時の背徳感は徐々に薄れていく。

そうなると代わりだから満足出来ないんだと思う様に脳は変化していく。

姿見るくらいなら良いよね?

声かけるくらいなら良いよね?

手を握るくらいなら良いよね?

海外ラブドール規制対象なのはこういった考え方だから特殊性癖者に境界線曖昧にさせない為に規制してる。

逆に日本特殊性癖者を防ぐ目的もあるので規制をしていない。

自分にはどちらも間違った対策だとは思えない。どちらも被害を出さない為に考えた事だから否定は出来ない。

でも実際に小児性犯罪を犯す奴にはそんな事は関係ない。

偽物じゃ満足は出来ない。垣根を容易く超える。

自分欲求を満たす為に子供に関われる仕事を選んだり、その為の地位立場を得ようとする。

一人親家庭再婚相手、近所の挨拶する人、見守りパトロールをする人、教職…書き出したらキリがない。

事件が起きるのはそういった身近なところだ。

作者が書いてたLG等と同じく小児性愛性的マイノリティと認めて欲しいと書いていたが相手と対等な関係が成立しない時点でそれは難しいと思う。一方的に従わせる事が容易すぎる。

また、かの有名なパタリロでもあった話だが、成長してもその子供を愛し続けられるのか?歳を取って性癖から離れても愛し続ける事が可能かどうか?

散々書いておいてなんだが、このラブドール云々は垣根を超える人間には酒のつまみにもならない話なんだろね。

たぶん多くの人が抱いている実行したら加害であるような欲求の例。

ネネちゃんママは、失礼な相手を、

同意があろうがなかろうが殴りたいという衝動

よく抱いていると思う。

しかし実際には失礼な相手を殴らずに、

なるべく人目に触れないようにうさぎ人形を殴っている。

2020-08-30

同意の上の小児性愛なんて、存在しねえんだよカス

Twitter話題になっているショタラブドールの話が気持ち悪すぎて、お前ら消えろよとしか思えない。

何がマイノリティだよ。

それは性的マイノリティには入らねえんだよ。

被害者が生まれ性愛なんてクソだ。

私はロリコンの標的になった女だ。

小学生の頃、私は同意の上で32歳のオッサンと性行為をした。私は同意したと思っていた。

ただその行為をしたかったのではなく、当時荒れていた家庭環境のこともあり父性を家庭外に求めた結果だった。

後に結婚し、子供を産み、それが如何におかしい事なのか気がついた途端、誰にも言えずにいた気持ち旦那に話した。

すると「小学生性的行為同意がどうこうなんてわかるはずがない。そこを止めるのが普通大人で、異常なやつがそういう家庭が荒れた女の子ターゲットにすることはよくある話だ」と言われ、初めてこれは同意なんて存在しなかったんだと気がついた。

今私はカウンセリングを受けている。

過去起きた事は変えられないが、辿ってみると私はその出来事にしっかり傷ついて、自傷行為ともなる行動をとっていた。

私は同意なんてしてなかった。

ただ寂しかった時間を、しっかり利用されただけだった。

「寂しかった時に頼れたならいいじゃないか」「小学生だってもうしっかり判断できるだろ」とかいい歳したおっさんおばさん共が判断するなよ。

これは異常な愛だ。

それをわかってて被害者を生みそうならカウンセリングを受けろ。

いつまでエロ漫画で夢見てんだよ。

人形創作で止まれ人間ならいいよ。

でもそれを「それを代替品として我慢してる」というならカウンセリングにいけ。

その時は同意だったから、なんて無い。

後でしっかり傷つく。

痛みに鈍感になっていた子供を利用する前に、目を覚まして欲しい。

ショタラブドールのレポ漫画

問題になってたらしいのを、増田を見てて今し方初めて知った。

あれ単純に、買ってみたレポで済ませればよかった気がするんだよな。感触はどうとか重さがどうとかそういう。

ラブドール感」を変に濁しながら滲ませる感じが気持ち悪かった。

人形なのにこんなにリアルで最高!だけだったなら、現実ショタに手を出さずにこっちにしな!でもそんなに問題にはならなかったような気がする。ネタ的に捉えられたというか。

イエスロリコンノータッチとかよく言うじゃん、そういうノリになれなかったのはやっぱ、エロを(気持ち悪く)匂わせたからじゃないのかな。

(まあそうなると「ラブドールレビュー」としては成立しなくなるんだけどね。そっちに寄せるなら寄せるでもっとはっきりしとけばよかったのかも。しらんけど。)

(あと今日上げられたお詫び文の一枚目後半以降がなんやねんこいつだった)

2020-08-29

俺は形而上学的に世界であり、普通に息子っていう話

俺=世界

俺は世界のもの、というのはラリパッパな妄言のはずだけど、形而上学という考え方をかますと許されるんだから不思議なことだ。

例えば雷鳴。

雷が鳴る音を聴くとき自然科学としては、雷鳴という「客体」があって、それを俺という「主体」が感じる、という構図になるはずだ。

しかし、と考えてみる。

もしも雷が鳴っているその場所に誰もいなかったら、果たして雷鳴がそこに「ある」と本当に言えるだろうか?

雷が鳴り、それを俺が聴いている、という関係の一方で、俺という存在こそが雷鳴を生じさせていると言えないだろうか?

さらに、もう一段飛躍する。もし、俺こそが雷鳴の原因となるなら、雷鳴と俺を分ける必要は、実はないんじゃないか

「俺」が「雷鳴」を聴いている、のではない。

主語はない。主客の区別もない。

ただ「雷が鳴っている」。このとき、俺は俺であるとともに雷鳴そのものだ。

あるいは独我論。もしくは哲学的ゾンビのことを考える。

俺にとって、俺以外のすべての人間自我があるかは証明できない。

周りの人々はすべて俺の作り出した妄想かもしれないし(「水槽の脳」)、もしかしたら、意思のない人形であってもおかしくはない(理屈上、ということで、本当にそうだと思っているわけじゃない)。

「俺」は違う。

他者場合とは違い、そこに意思があるかどうか証明しようとして失敗するまでもなく、俺は自分意思があることを理解している。我思う…ってことだ。

そして、そんな俺はなぜか、この時代日本男性の体に「生じた」。これが一番わけがからない。

俺が生まれる前にも宇宙は当然存在していたし(一説には138億年前…)、俺が死んだ後も宇宙は当然続いていくが(こっちは一説には10100乗年後に「終わる」らしく、厳密に言うと、あらゆる運動がそこで停止するので時間意味がなくなるらしい)、特別な俺はなぜか、20世紀後半に生まれたいま30過ぎの日本男性だった。

自分ってものについてラディカルに考えると、要は自分に関するこだわりを強くしていくと、逆説的に、肉体としての自分が何者であるかは価値を失っていく。

俺は別に10年後にジンバブエの5歳の少女に生まれてもおかしくなかった。

50年前のニューヨークホームレスでもおかしくなかった。

(もしも)自分について俯瞰することさえ可能なら、アマゾンの猿でもよかったのだ。

誰であっても、形而上学的な「俺」の本質は変わらない。

でも、とにかく俺は日本の俺だった。たぶん理由はないんだろう。にもかかわらず、なぜ? という強烈な驚愕は消え去らない。

俺はこの世界において超超超…と超を100回重ねても足りない究極の特異点だ。

もちろん、俺以外の人たちだって、「彼らの世界」ではそれぞれが唯一無二のポイントになる。

でも俺はそれを、理屈ではなく想像理解することしかできない。

他者社会的尊重することは当然だが、彼らが結局、俺という世界の一部でしかなく、彼らが死のうと俺の世界は終わらないが、俺が死ね世界のもの消滅するという事実は、それとはまったく別のことだ(一連のこの辺は、永井均子どものための〈哲学〉』『西田幾多郎 <絶対無>とは何か』にくわしい)。

そして俺は、ずっと両親との関係で悩んでいる。

こんな観念的で、浮世離れした形而上学に果てしなくぶっ飛ばされたはずなのに、血縁のしがらみに何十年もさいなまれている。

仲が悪いわけじゃない。

ただ俺も、母親父親も、うまいことお互いへの愛情を示せないでいるフシがある。

愛情がないのではなく、表現できないのだ。なんとなくだけど、バリバリビジネスマンだった二人が、乳児ときから長いこと俺の横にいられなかった罪悪感みたいなものが原因っぽい気がする。

俺はもう30過ぎなのに…。

そんなの、もういいだろ…と思いながら、呆れている一方で完全に笑えないのは、たぶん俺もどこかで、彼らを許していないんじゃないか、という気がする。

もういいよ、父さん母さん、と言いたい。

というか、何も言わないでただ抱きしめてあげるのが正しい気もする。一度だけじゃなく、会うたびにそうしてやるのが正しい気がする。

そうしたいができない。俺たちの誰かが死ぬまでに、俺はそうしないといけないと感じる。

その一方で、三人でそろって食事しているとき、不意に、「この人たちはなんなんだろうな?」という気持ちになることがある。

話をしていて、特別難しいことをしゃべっているわけじゃなく、単純に俺と、頭の中を覗いてみるわけにいかない他者の間で、ちゃんと「会話」が成り立つことが奇妙でしかたがなくなる。

例えそれが両親であっても、「こいつらはなんなんだ?」 と思う。

俺の言ってることが、相手の言ってることが、お互いに本当にわかってるのかな? と思う。確かめようがない。なんとなくその場では笑って飯を食ってる。

形而上学家族への愛情と、どっちかがどっちかへの反発なんだろうな、と思っている。

本当は家族の一員の息子としてキレイに収まりたいけど恥じらいと恐怖心で叶わないために、極端な哲学に走ってごまかしている。

あるいは、心の相性としては形而上学世界の方が向いているが、どっぷり漬かるのが怖いせいで、家族に目を向けたくなる時がある。

若いときから、もう面倒だったから、どっちかに決定的に俺を方向付けてほしかった。

ベタベタしすぎるくらいまともな家族愛に包まれるか、SFチックなぐらい高純度な精神体になってしまたかった。

どっちかになれると思っていたがどっちにもなれない。たぶんどっちにもなれないんだろうな、というのが、最近薄々わかってもきている気がする。

2020-08-28

干渉ママから逃げた発達障害早大生のイマ

母は「女手一つで子どもたちを育て上げた立派なママである

しかし一方でたいへん過干渉な束縛ママだった。

ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。

先日

https://ddnavi.com/serial/563023/a/

を読んだ。母子密着と共依存の話。見てみると面白い

ほんで

早稲田政経発達障害先輩が職場不適応を起こしている話を読んだ。

私の場合、深刻な問題が起きたのは、

母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。

就職活動である

母親高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。

今まで「恋愛ダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。

「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」

めちゃ今更である

私は自分意思判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。

ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験勉強をやってみたり、安定した大企業面接を受けたものの、全くダメだった。

主体性ゼロで育ったお人形のような私が、

強い意志モチベーションを持って社会自分を示す同級生と闘わないといけない。

早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。

心療内科ガチ心理検査を受けた。

そこで判明したのがガチガチ発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である

数値を見て「わはは!こりゃすごいね」と医者が笑っていた。

私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的人生薔薇色、大手企業で働けるのだ」

という母親第一書記洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである

そして早稲田大学滑り込み上京

母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神

…タガが外れ放蕩時代を過ごした。

ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。

本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミング英語も使い物になっておくべきだ。

こういうことの知識収集プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。

サークルコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害ストロングゼロ生活記憶ボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。

(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者から評価にした方がいい、と思う。)

ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。

これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。

甘え、逃げ、依存思考停止責任放棄

親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である

子ども母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。

就活で失敗したことをいくつか書く。

発達障害で言うと、

複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビル迷子になる。

不安障害では、不安自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)

そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。

背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。

もう親から仕送りはない。

しかし2度目の就活もまた、怖くて出来ないでいる。

もうすぐ、夏が終わる。

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