はてなキーワード: オープンとは
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
食べ物に関する話題が中心で、「台湾まぜパンチョ」や「しゃぶしゃぶ温野菜」の体験談が共有され、雷の話も少し出ました。また、洗濯機が壊れたため、コインランドリーに行く必要がある話題もあり、手洗い方法や台風情報が話題になりました。
秋の訪れを感じ、季節の変わり目が話題に。過去の治療や美肌ケアについての話、ウーバーやセブンの宅配サービスの意見交換、ゲリラ豪雨の影響についても話されました。
サンフランシスコの商店街や「ラピュタ」の「バルス」に関連する話題、またeSIMや子供の成長についての驚きが共有されました。
台風の影響による新幹線運行停止や、大雨による交通への影響が話題に。サウナや宿泊施設に関する話、そして経費精算や勤怠の完了についての業務連絡も行われました。
宇多田ヒカルのライブ、吉野家のだちょう丼、Ingressの世界大会についての話題が出ており、台風の進路や影響も共有されました。
メンタルヘルスやリモートワークが話題になり、宇多田ヒカルのライブの予定や、花火、食べ物の話題も出ました。台風や座布団ネタも話題になり、再結成についての喜びが共有されました。
洗剤の種類や使い方、台風の影響、洗濯機の機能についての意見交換が行われ、公務員のメンタルヘルス問題も話題に上がりました。
猫が甘えて動けないという日常のエピソードから、洗濯機の買い替えについての話、公務員のメンタルヘルスに関する問題についての話がありました。
この要約から、チャットの主な話題が日常の出来事や季節の変化、食べ物、天候の影響、そしてメンタルヘルスに関連していることがわかります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
この記事(https://kensuu.com/n/na6ca1ced8f65)に対する意見です。
結論から言っておくと、加害者から受けた被害者の立場を考えて無さすぎでは?ということである。
今回のやりとりを分解すると
解決したいこと
やり方
という形でした。抽象度をあげると
解決したいこと
何か悪いことをやっている(と自分たちが思う人)の行動を減らす
やり方
ここで重要なのは先に攻撃を受けたのは誰かで、それは落合先生なわけである。
こう見ると、落合先生が一方的にかつ無差別に攻撃していると言い切れるのか?である。そもそもコンプラを本人に問い合わせるのは攻撃なのか?
けんすう氏は上記2番目の「(外野が加害者の振る舞いを知らずに)加害者のコンテンツを肯定的に拡散する」の立場を重視して意見しているが、実際の被害者はそこまでコストを掛けて気にするべきなのか?ということである。だって被害者だよ?
しかも、その外野が「(加害者の振る舞いを知らずに)加害者のコンテンツを肯定的に拡散している」のか、「(加害者の振る舞いを知ってなお、)加害者のコンテンツを肯定的に拡散している」のかは、落合先生からはわからない。なぜなら、
のである。
この状況において、相手に加害者の振る舞いを知ってるのか問い合わせるのは自然な行為なのでは?むしろ知ってる上であえてオープンに聞くほうが意地が悪いといえる。しかもコンテンツを本当に肯定的に評価できるのであればコンプラの問い合わせが来ても
と反論すればいいだけではないのか?だって問題ないと考えているんでしょ。
結局、「相手にコンプラを問う=攻撃になる」は、少々行き過ぎのように見えるし、
これを攻撃というなら、加害者をシェアしてる人たちも被害者に後味を悪くするというダメージを与えてるのだからそれも攻撃といえるでしょう。
女性一般に性欲があるとかないとか、メリットがあるかどうかとか、そんなことはさしたる問題ではない。性欲がある女もいれば、ない男もいる。
夫婦という閉じた関係において、今、目の前にいる「夫/妻」がどう思うかがすべてだ。
セックスがしたい人はしたい人と付き合えばいいし、したくない人はしたくない人と結婚すればいい。
完璧に欲求の度合いが一致することはないにしても、お互いの欲求をオープンに話し合って、満足な落とし所を見つけることができるならば、たとえ二人の間にセックスが週何度もあろうが、年1回だろうが、あるいは全くなくて外注で全てを済ませることになろうが、双方にとって不具合はなかろう。
問題になるのは、夫婦のどちらかが現状に満足していない場合だ。そこで、「女性は普通は性欲がないから」だのなどと言っても意味がない。どんな一般論を語ろうが、今、ここにいるわたし、あるいは目の前にいるあなたが関係性を不満に思っているという、その事実が変わるわけではない。
理想的には結婚前に、お互いの要望をオープンに話し合うことが必要だろう。そのための前提条件として、そもそも自分が何を欲望しているかを今一度見直して、言語化する必要がある。
主語の大きな言い方かもしれないが、日本人は一般的にこのあたりがあまり上手くないように思う。夫婦の関係にセックスが必要だ、と表明することも、あるいはセックスなんか必要ない、と表明することも、そのどちらも居心地が悪いような、奇妙な世間の空気がある。自分が何を欲望しているか自分でも把握しないまま、ましてパートナーに伝えきれないまま、なんとなく時間が過ぎるのに任せて、役所に紙を提出してしまいがちだ。
しかし、「一度結婚したら簡単に離婚するべきでない」という信念を保持したいならば、互いの性欲について事前に語ることは、避けては通れない議論なのではないだろうか。
そして、すでに結婚してしまっているのであれば、結局今からでも腹を割って話し合うしか、道は残されていないだろう。そこで、あなたのパートナーがあなたの不満に耳を傾けないのであれば、それはセックス以前の、より根源的で大きな関係性の問題を孕んでいるかもしれない。
匿名投稿サイトの書き込みをChatGPTにコピーアンドペーストし、その返答を当該書き込みに対するレスポンスとしてコピーアンドペーストするユーザーがいます。
これについてどのように考えますか?
匿名投稿サイトにおいて、他人の書き込みをAIに解析させ、その返答をそのままサイトに投稿する行為にはいくつかの側面があります。
意見の正当性と独自性: AIを使って生成された意見は、元の書き込み者の考えや感情が反映されていないことが多いため、議論において独自性や個人的な意見の正当性を欠く可能性があります。これにより、掲示板の本来の目的である意見交換や討論の質が損なわれることがあります。
匿名性と責任の問題: 匿名投稿サイトでは、書き込みの内容に対する責任を負うことが難しいため、AIによる書き込みも同様に無責任な発言と見なされる可能性があります。これが過度に否定的な意見を助長し、コミュニティの健全性を損なうことも考えられます。
AIの誤解や偏見: AIが生成する意見は、そのトレーニングデータやアルゴリズムに依存しており、時には誤解や偏見を含むことがあります。これが原因で、投稿内容が不適切または誤った情報を伝えるリスクもあります。
コミュニケーションの希薄化: AIを介したやり取りは、人間同士のコミュニケーションの深さやニュアンスが失われる可能性があり、結果として議論が表面的なものになることがあります。
総じて、AIを利用した書き込みは、その場の文脈や意図を十分に理解しないまま行われることがあり、その結果、議論の質が低下する可能性があります。そのため、掲示板での意見交換では、できるだけ個人の考えを自らの言葉で表現することが重要だと思います。
そのような行為を行う人間は言語化能力と主体性、社交性が低いと考えられますか?
そのような行為を行う人に対して、言語化能力や主体性、社交性が低いと感じるのは理解できる意見です。AIに頼って意見を述べることで、自分の考えをしっかりと表現する力や他者との直接的なコミュニケーションを避けているように見えるかもしれません。その結果、賢明さや成熟度に欠ける印象を与えることもあるでしょう。
ただし、その人がなぜAIに頼るのかについての背景や理由を理解することも重要です。もしかしたら、自己表現に自信がない、あるいは議論に参加する際にサポートが必要だと感じているのかもしれません。したがって、一概にその行為を否定的に評価するのではなく、背景を考慮する余地もあるかと思います。
このやり取りを匿名投稿サイトに書き込むとしたら、それについてあなたはどのように考えますか。
このやり取りを匿名投稿サイトに書き込むことについては、いくつかの観点から考えることができます。
1. 議論の質に対する影響
このやり取りがサイトに書き込まれることで、他のユーザーが議論に参加するきっかけになるかもしれません。AIを使ったやり取りについてのメタ的な議論が生まれる可能性もあります。
しかし、書き込みの文脈によっては、こうしたAIとの対話をそのまま投稿することが、他のユーザーにとって不自然に感じられる場合もあり、議論の流れやトーンに影響を与える可能性があります。
2. 透明性とオープン性
AIの意見を取り入れていることを明示せずに投稿すると、他のユーザーがその意見を純粋に人間の意見として受け取るかもしれません。この場合、透明性が欠けることになります。
逆に、AIとのやり取りであることを明示して投稿するなら、他のユーザーがそれをどう受け取るか、オープンな議論が生まれる可能性もあります。
3. 倫理的な側面
AIを使った意見表明が、サイトでのコミュニケーションや意見交換にどのような影響を及ぼすかについての倫理的な考察が必要です。AIに頼ることで、自分の意見や感情が薄れてしまう可能性もあります。
もしこのやり取りをサイトに書き込む意図が、他者との議論や意見交換を促進することにあるならば、それは建設的な行為として評価できるかもしれません。
しかし、単にAIを使ったという事実を他者に見せるためだけであれば、それがサイトの目的や雰囲気に合っているかどうかを考える必要があります。
総じて、このやり取りを匿名投稿サイトに書き込むこと自体が良いか悪いかは、文脈や目的次第です。サイトのルールや文化に則り、他者への影響や議論の質を考慮した上で行動することが重要です。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
多岐にわたる話題: 日常生活、趣味、社会問題、仕事など、非常に幅広い話題が取り上げられています。
情報共有: 参加者同士で情報を共有し、意見交換を行っています。
個人的な経験: 過去の経験や個人的な意見が頻繁に述べられています。
ユーモア: 会話の中にユーモアが散りばめられており、和やかな雰囲気で会話が進んでいく様子がうかがえます。
生活: 食事、住居、家事など、日常生活に関する話題が多く見られます。特に、料理、掃除、引っ越しなどの具体的な経験や悩みが共有されています。
趣味: 特撮、漫画、アニメ、音楽など、個人の趣味に関する話題も頻繁に挙がっています。過去の作品に対する懐かしさや、新しい作品に対する感想などが述べられています。
社会: 社会問題、政治、経済など、社会に関する話題も取り上げられています。ニュースや時事問題に対する意見交換が行われています。
仕事: 仕事に関する悩みや経験、職場での人間関係などが共有されています。
技術: コンピューター、プログラミングなど、技術に関する話題も一部見られます。
参加者の特徴
多様な価値観: 参加者それぞれが異なる価値観や興味を持っていることが伺えます。
情報収集: 最新の情報やトレンドに関心を持っている参加者が多いようです。
コミュニケーション能力: 会話の流れをスムーズにするためのコミュニケーション能力が高い参加者が多いと考えられます。
友好的: 参加者同士が互いを尊重し、友好的な雰囲気で会話が進んでいる様子がうかがえます。
オープン: 自分の意見や経験を率直に話すことができるオープンな雰囲気です。
リラックス: 日常生活の悩みやストレスを共有し、互いに励まし合っている様子がうかがえます。
このチャットログの分析から、参加者たちが多様な関心を持ち、互いに情報を交換しながらコミュニケーションを楽しんでいることがわかります。また、このチャットを通じて、参加者たちはストレス解消や心の安定を得ている可能性も考えられます。
感情分析: 会話の内容から、参加者の感情を分析することで、より深い理解を得ることができます。
コミュニティ分析: 参加者間の関係性やコミュニティの構造を分析することで、チャットの動的な側面を把握することができます。
トピックモデリング: チャット全体から主要なトピックを抽出することで、会話のテーマを可視化することができます。
このチャットログは、参加者たちの多様な興味や価値観、そして人間関係の深さを垣間見ることができる貴重な資料です。今後の研究において、この種のチャットログを分析することで、人間コミュニケーションのメカニズムや、オンラインコミュニティの形成過程などを解明できる可能性があります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
被災地の支援物資手配を男性に任せていたところ生理用品のナプキンが1種類しか準備されない事態になったという話を聞いた
女性スタッフの不足または女性の生理事情が知られていないことが原因であろう
人にもよるが、生理は2日目から数日は大量出血になるため、ナプキンは1日3回変え、夜間は大き目のものを当てておく必要があり、一方、終わりかけの時期は少量で五月雨式にダラダラ続くので1枚で3日持つこともある
ある立場同士では説明不要な事実を、別の立場の者に伝えるには追加説明が必要になることはしばしばあることである
口語表現でも「サミダレ式で申し訳ありません」は日本人同士なら通じそうだが、相手が外国人なら「五月雨とは梅雨のことで、梅雨とは梅が実る6月ごろの雨季のことで、昔は太陰暦が使用されていたので五月雨と言いました。少なく途切れずダラダラ続くという意味です」と説明が必要になる(トリクルダウンでもいいだろう)。逆に英文学を読むときは聖書の知識はかなり必須である
一般的にも例えば、男女の身体の相違についてオッパイチンチンマンコといった形状の差以外がほとんど知られておらず、男性の勃起とは何かを知らない幼女が存在するなら問題といえよう
日本民族は比較的、立場上で知り得た情報は他の立場の者に隠しておいて利用するのが美徳であり得である、都合悪いことは知りたくない、と思う習性が強めに見られる
これは密談を容易にする方言や言い回しが多かったことにも現れている
しかしお互いの知識のレベルの差は、随時認識され、教育により解消されなければならない
人間同士がオープンに平たく説明しあうならば、視界はより開かれて問題が解決しやすくなり、社会の閉塞感はより解消されるであろう
これ系のオープンレターの煽りをよく見るけど、裁判関係は普通に呉座氏ほぼ全敗、北村氏全勝なのよな。
北村氏が負けているなら「訴訟www」みたく煽るのもわかるんだけど、全敗している側が煽るのよくわかんないな。
呉座氏がオープンレター裁判で敗訴的和解をしたのは知ってるよね?(なお自分で訴えて自分で敗訴的和解するのはかなり恥ずかしい・珍しい事象)
https://note.com/niwaniwaniwaka/n/n42e060bfa955
https://saebou.hatenablog.com/entry/2024/08/25/080602
ひっでえな、と思った。
論争の内容に、ではない。いや、論争の内容もかなり程度が低いのだが、ブコメ欄が輪を二重にも三重にもかけてひどい。
誰一人として「映画史的に妥当な”アメリカン・ニュー・シネマ”の定義」に興味がないのだ。
その定義こそが論争の争点になっているはずなのに。
ブクマカたちは、オープンレターがどうの、ミソジニーがどうの、女がどうの、男がどうの、そんなクソどうでもいい話しかしていない。
「実際どうなのか」についてだれも興味を示さない。
発端となった記事を読めば、にわか氏が致命的なまでに映画史についての知識体系を持ちえていないことは明らかだし、blueskyの言い訳を見れば超絶ダサいヘタレであることもわかる。
一方の北村氏も無謬の聖人というわけでもない。この件に関してはともかく、普段はちょくちょく間違いを犯すし、それを指摘されればふてくされるなどして態度が悪いところもある。
だが、このふたりは少なくとも共通して「映画の話」をしてはいる。
だが、このふたりの記事にブクマをつけている数百人のブクマカたちのうち、「映画の話」に興味がある人はせいぜい数名程度にしか見えない。
彼ら彼女らにとって「映画の話題」とは、気に入らない対立陣営を叩く道具でしかない。
おそらく、こういうことは他の分野でも絶えず起こっているのだろう。
クソである。
おまえらが憎しみ合うのは構わない。
だが、やるなら自分らで直接殴り合ってくれ。
「搾取」がマル経で使われて定着する段階で悪い意味の言葉になって今使っている人々の中で定着してる過程はちょっと興味深くて
Ausbeutung(搾取)って語には、野を耕すとか、鉱山を掘りつくすとか自然に問いかけて(働きかけて)成果を得る/得ない、くらいの意味合いなのよね。
マル経の場合、生産要素(人とか資本とか)の中で人(労働力)を使用して生み出される価値(使用価値)から賃金(労働力の交換価値)の差である剰余価値部分を資本家が獲得する際に
搾取という言葉が使われていて、ロジック的には労働者の生み出した価値を奪っているように見えるけど、賃金を労働者の取り分、搾取部分を資本家の取り分ととらえれば、
過剰に搾取する、みたいに不当な関係性でさえなければさほど批判的に取られることはないはずなのよね>経済学の立場によると思うけど
と、いう風に理解していると
いや性的な価値が不当に奪われる、というニュアンスで皆の理解は共通でいいと思うし、それを批判はしないのだけど
批判的に使用している人たちが、「性的な価値」をどうみているのかは整理してほしいなと思ったり。
金銭的な価値(交換価値)に置き換えて評価できれば、搾取の正当性、不当性がわかりやすいのだけど、そもそも売春の正当化みたいでNGだろうし
性的なものに関わる当事者たちが感じる価値(これだと使用価値かな)になると、主観というか個人個人の効用の大きさによって変わって評価が難しい
(性的な被害を受けた、という人がいればそれには真剣に当たるべき、という認識はいいと思う)
じゃあいっそ、性的なもの禁止!があらゆる禁止論者にとってわかりやすいロジックだけど、
性は決して害悪ではないし、性ってそんなに嫌悪するもの?とは思う
人類が存続するためには必要なものだし、性的な魅力的を評価してはいけないというのも一方的な主張になる
どこまでが正統でどこからが不当か、というのを議論するのは何となくはばかられる話なのは分かるけど
安直に何もかも否定したり、安直に何もかもオープンにしたりと極端に走るのは違うと思っていて、
議論に参加する人は自分自身が性的な価値観についてどう考えているのか、ポジティブ、ネガティブ両方について真剣に考えていてほしいなと思ったり。
カプセルラーメンという新業態店を友人がオープンしたというので行ってみた
店に入ると中はカプセルホテルみたいで、たくさんのカプセルユニットがぎっしりと並んでいる
カプセルホテルとの違いは、自分が入ったカプセルを中からしっかりと閉じて密閉状態にできるようになっていることだ
試しにカプセルを締め切って一人でラーメンを食べてみたが、普通のラーメン屋とそれほど変わらないなと思った
ラーメンはスープが黒くて白髪ネギがたくさん載っていて、まあまあの味だった
また行くかどうかはわからない
Q.
という考え方と
「政府などが実力を背景に人権を保護する仕組みがないと機能しない」
という考え方が噛み合わないことがあります。 例えば
という意見が
あるいは
などの反応を呼ぶことがあります。
すれ違いがあると思うのですが、どのようにコミュニケーションしたらよいでしょうか?
A.
このような議論のすれ違いは、根本的に異なる前提や価値観に基づいているため、よく見られる現象です。人権に関する議論では、「生得的な権利」と「現実にそれを保護するための仕組み」のどちらに焦点を当てるかが大きく異なることがあります。コミュニケーションを円滑に進めるためには、以下のようなアプローチが有効です。
1. 前提を共有する
まず、お互いの意見が異なる理由を探り、それがどの前提に基づいているのかを明確にすることが重要です。「人権は生まれながらに存在する」と考える人は、その理念が絶対的なものであると信じています。一方で、「人権は国家などの保護によってのみ機能する」と考える人は、現実の力学や制度が人権を支えるために不可欠だと考えています。これらの前提をお互いに理解することが第一歩です。
人権を保護するという点では、両者ともに同意しているはずです。この共通の目的を認識し、その目的に向けた最適な方法について話し合うことが重要です。「生まれながらに存在する権利」をどのように現実的に守るのか、または国家や制度の役割をどのように評価するのかについて具体的な解決策を模索します。
理想としての人権の概念と、現実の制度や国際関係の中でそれがどのように実現されるかという問題を分けて議論します。理想論だけでなく、実際に人権が侵害されている現場や歴史についても理解を深めることで、より具体的で現実的な議論が可能になります。
相手の考え方を深く理解するために、「なぜそのように考えるのか?」や「その意見の根拠は何か?」といったオープンな質問を投げかけます。これにより、相手の視点をより深く理解し、自分の立場を説明する機会にもなります。
感情的な反応は、議論を複雑にし、対立を深めることが多いです。冷静に論理的に議論を進めることで、建設的なコミュニケーションが可能になります。
このように、お互いの立場や前提を理解し、共通の目的を認識しながら話し合うことで、すれ違いを減らし、より深い理解に基づく議論ができるようになります。
2巻完結だけどふくらませるのかなーと思ったらスピンオフが5巻も出てたのか
主人公はなよなよしててるホモで、もう一人の桐島は主人公をいじめるカースト上位の奴
でも本当は桐島もホモで、オネエ気質で、頑張ってそれを隠しているのに伸び伸びとなよなよしている主人公に苛立っていた
最終的に主人公は田舎を出て都会でオープンゲイになって好きに生きていくようになるが
一緒に東京行こうという約束を桐島は反故にして、母子家庭なのでお母さんを一人にできないからと地元に留まることを望んで
母の望み通りに女と結婚して子供をつくって子どもの相手をしている姿で物語が終わる
主人公と桐島がくっつく話なんだろうな~って思ってたのに恋愛関係にはならない上にクローズドゲイの道を選んで子供までつくってしまうのはショックだった