はてなキーワード: 都市とは
兵庫県知事だ。
過去発言は関西経済界の活性策を話し合う場で「関東大震災が起きればチャンスだ」と2008年に言い放ったことが強烈である。
最近は中国にマスクを百万枚送ったり、大阪に大袈裟と言ったりしている。
候補者が少ないことや、保守的になりがちなところ、「兵庫県」には県民が関心を持っていないところ、「自公が指示している」「創価が多い」なども影響している。
どちらかというと兵庫県は市長がそれぞれ動き、なんらかの特化型都市をそれぞれ作っているイメージなのだが、こういうときばかりは知事の力が必要だ。
今日、井戸知事は通常通り四月八日から学校を再開させるといった。
兵庫県にはスポーツ推薦などで大阪や遠く和歌山などから通学する生徒がとても多い。
その多くが阪神間を利用する。阪神間は、感染がいま危険とされている場所だ。
井戸知事は本日マスクもせず、けらけらと笑いながらインタビューを受けた。
マスクが手に入らないのだろうか。
兵庫県では周囲の県よりも手に入らなくなってきている。これは噂ではなく事実だ。
なにが起こっているか分かるだろうか。
まず、最初のゴールは新規の感染者数と死者数が減少していく下降トレンドに持っていくことじゃないの。
その後、少しずつ街の機能を戻していって、大丈夫なことがわかったら、峠を超えた感じじゃね?
最終的に、根絶かワクチンか共生かになるんだろうけど、そこまで行かないうちにゴールになりそう。
いろいろ意見はあるだろうけど、
※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjpさんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。
今の「リベラル」と呼ばれている集団は事実上の「平等主義者」あるいは「優先主義」の集まり
「強者・弱者の対立」から始まり「権力勾配」、「非対称性」、「格差」、これらは全て「平等」の対義語になっている
つまりリベラル左翼たちは平等を何よりも追及している事が分かる
そして平等な社会を築く為には自由の制約が必要だと言う事が良く知られており、男性へのGPSの取り付けや資産税などへの賛同として現れている
自由主義は権力の縮小を目指すが、国家権力から警戒され規制されていたかつての左翼にとってこの自由主義は自分を守るために都合が良かった。
今の左翼は社会のエスタブリッシュメントに食い込んでいるので社会を自分の思い通りに操るためにも権力の縮小は好まない
例えば電車。感染者専用車両ができます。地域によっては、未感染者専用車両である場合もあります。
このように車両の乗りわけができれば、満員電車で感染する機会はぐっと下がります。
レストランも同じです。感染席と、未感染席の2つのエリアが作られます。
接待で会食と言う文化は絶滅し、その代わりに接待したい人には高級マスクが贈られるのが流行るでしょう。
ハローワークでは、採用条件に 抗体保有者優遇 と書かれることが多くなります。
世界中で何度も感染の小爆発が起こり、そのたびに、都市単位で2週間のロックダウンが行われるようになります。
2週間休んでまた今までの生活を再開する。そんな繰り返しを続けてゆくうちに、
感染の小爆発が起こる頻度は低下し、いつの間にか、集団免疫状態へと移行してゆきます。
2030年頃にWHOが終息宣言をするでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20200401224108
一年後
https://anond.hatelabo.jp/20210511061102
一律支給は無用だ。特にリモートで仕事も出来れば会社から給料は出る会社員への給付は無用でしかない。
甚大な被害を被っている飲食業(ただし、キャバ含む性風俗は除外でいい)や、興行を自粛した興行団体
に対しては、無利子の融資ではなく、被害額に応じて補償が必要であると思う。
全世帯への一律支給はロックダウンしてないし強制力あるロックダウンもできないし当座は無用だ。
一律給付をやるなら都市封鎖をかけ困窮した範囲で良い。そこ以外では経済は回せていて貯蓄に回されるだけ。
コロナの治療に関しては補助が出るはずだが、検査も含めて全額負担した方がいい。
濃厚接触者に対する検査も含めて、医師によって疑いが認められた時点で補助対象にすべき。
アメリカなどでは、17歳の少年が保険に入ってなかったばかりに受け入れられずに死んだという痛ましい例もあった。
感染拡大防止の観点からも、医師によって疑いが認められた時点で全額補助対象にするよう対応を求めたい。
現在も、人工呼吸器の10万台規模の増産や病床の全国で数万床規模の拡充について十分な検討と用意が進んでいるのは理解しているけど
国民への周知が足りない。軽症、中等の患者については、五輪選手村の利用を検討して欲しい。
海外でやってる屋外テントの設置よりは、必要な設備を持ち込むだけで安全が確保できる。
海外ではゴミ袋を防護服代わりにしてみたり、消耗品が医療現場で不足することで
医療従事者が感染して医療崩壊に向かう事例が見られる。マスクやアルコール、防護服などは
増産分も国が優先的に確保した上で医療現場に配布すべきだ。民間は後でいい。
布マスク配布が市場に出回るマスク買い占めに効果があるようなら継続すべき
日本の医療リソース(病床、人工呼吸器)は諸外国に比べて数倍で十分な数量だけど、常時ですら病床稼働率が低下しすぎるほど医師の不足も見られている。
海外では卒業前の学生が動員されたりしているが、軽症者への対応などは学生でもできるものであれば、動員について検討すべき。
高齢者には人工呼吸機を使わない例すら出てきている、そうならない様に多すぎる一般病床を減らすなどして余裕を人員的にももたせたい
世界的に行われているであろうワクチン開発への支援を行って、優先的にワクチンを入手できる体制を作るべきだ。
国内の研究開発は民主党の事業仕分けで支援が打ち切られて壊滅的に縮小しているため期待できない。
将来のため、強制力を持った非常事態宣言と外出禁止を出せるように憲法改正と法案改正を進めるべき。もうまったなしだ。
ロックダウンなしの非常事態宣言なんかで、一時的に下火になったところで、その効果は長くは続かない。
はてなには、はてなサヨクと呼ばれる様な左翼からリベラル系の住民が多い、と言われてきたし、
5年くらい使ってみた感想としても、保守系は少ないという印象でもあった。
しかし、今回のCOVID19の流行で、リベラルはほとんど居ないのでは?って認識に変わった。
都市封鎖、緊急事態宣言、強力な外出制限を求める声が多いし、そういったコメントに星が集まる傾向もあるけれど
既に言われているように、私権を制限する様な法律は日本には存在せず、憲法違反ですらあるということから、それ自体が難しいし疑問を感じる施策だ。
そもそも、個人の自由を国家権力によって著しく制限されることを全く好まないはずのリベラルが、
これまでも、そういった観点で共謀罪などの際には反対してきたにもかかわらず、むしろ積極的に制限されたがってるのは笑止だし、
戦争法案と呼んで新安保法案に反対していた時には、解釈改憲なんてとんでもないと、毎週のようにデモをしていたリベラルが、
むしろ積極的に解釈改憲で外出制限を出来ないのはおかしい、と言い出す始末なのは流石にどうかとも感じる。
この傾向を見て私は、積極的に独裁政権の誕生を求めているのでは?とすら感じさせる意見の多さに戸惑うばかりだ。
一方で、安倍政権を批判する記事ではコメント欄が相変わらずの盛況っぷりを示している。
批判に対して、マスクの流通が足りてないから効果はあるとする意見もあって、そちらの方がより論理的な意見と感じる。
別のニュースでは、政府は中国でマスク数千万枚を確保しているという記事もあったし、現在でも医療現場でのマスク・防護服などの消耗品の枯渇が不安視されてもいる。
政府が積極的に確保した分を医療現場へ回す一方で、国民に対しては繰り返し使える布マスクの配布によって、流通の回復を狙うのは悪くない。
大きな効果はないかもしれないが、共働きでマスクを子供の為にも買えない家庭にとっても有難い話でもあるし、ポジティブに考えられる施策と考える。
マスクだけではなく、アビガンや人工呼吸器の増産と確保には躍起になってたり、予測と準備はしっかり行われてきているのもニュースを追ってれば分かるはずだ。
だが、ブコメのまるで無策であるかのように錯覚している政権批判の激しさたるやだ。
https://anond.hatelabo.jp/20200401224108
COVID19関連では、自分の命がかかっていると感じるだけに、いつもよりも何倍も世界中の情報に対して飢えているから強く感じるのもあるが
騒いでいる人ほど、情報や理解が足りてないまま、頓珍漢な批判や悲観的意見を並べている印象がある。
普段テレビはニュースを除いてほとんど見ていないのだが、金曜日にはたまたま放送していたぴったんこカンカンというバラエティ番組に、エヴァンゲリオンで有名な鷺巣詩郎が出演していたのでぼんやりと眺めていた。放送された内容によれば、鷺巣氏はふとした気まぐれで欧州と日本の別邸を移動する生活をしており、しかも移動すると決めるのが当日になってからで、おかげで妻はほとんど私物が持てず、生活必需品は七か所の自宅にそれぞれ置いているそうである。しかも、音響に対するこだわりから、生活のこまごました面まで徹底して管理されているらしい。トイレを流すときにも許可がいるとのこと。これだけだと鷺巣氏がただの暴君のようだが、妻のほうも夫がきちんと入浴していないと怒ったりするそうなので(どうやらインスピレーションがおりているとそれどころではなくなるらしい)、妙なところでバランスが取れているのだろう。人様の家庭の事情とは斯様にわかりにくい。
さて、土曜日は午前中にうとうとしていたが、午後から雨が降るとのことだったので、えいやと気合を入れてジョギングをした。本当は先に筋トレをして走るつもりだったのだが、いつ降り始めるか予測がつかなかったし、なんだったら日曜日に筋トレをしたってかまわないではないか、と考えたのだ。無酸素運動の跡に有酸素運動を行うのが一番効果的だというけれど、まったくやらないよりはましだろうと考えたのである。
だが、帰宅してから久しぶりにcivilization 6をプレイしたのがまずかった。結局、十七時半から二十六時半まで、食事を除いてぶっ通してプレイしてしまった。いつも日付が変わる前には就寝することを徹底している自分が、そのルールを破ってしまうほどに中毒性が高いゲームであり、こういうコロナウイルスで出かけられないときには重宝するのだが、事態が収束したらまた封印しなければいけないゲームな気がする。
この日の夕飯は、妹が一時間以上かけてソースを作ったお手製パスタ。ティータイムは妹のお手製ベーグル。
三月二十九日(日)
civilization 6の話の続きをしよう。
結局この日は起床した九時から十五時半までプレイしてしまった。一ゲームに十五時間以上かかっており、しかもそれが主観的にはあっという間なのだから始末が悪い。なんでこんなに時間がかかったのかといえば、一つには久しぶりにプレイしたのがあり、もう一つには自分がゲーム下手だからというのがあるのだが、さらには普段は六人プレイでやっているのに今回は八人でやってしまったのも原因だ。この手のゲームで実際の地形を模したマップでやるのはある種のロマンがあるのだが、そのマップを選択したときにデフォルトで八人プレイになることを知らなかったのだ。
プレイしたのはアキテーヌ女公アリエノールで、特殊能力は芸術の力によって相手の都市を離反させて自分のものとすることで、要するにある種のチートである。しかも、ヨーロッパマップでプレイしたのだが、AIと違ってこっちは地図の概略を知っているので、これもまたチートだ。それなりに苦労はしたものの、広大な空白地があると予測されるところにポコポコ入植していくのは楽しかった。おかげで敵の領土を挟み撃ちする形にできた。
延々プレイしていたのは、日曜日が朝からずっと雪だったからというのもあるのだが、ちょうどプレイが終わった頃に晴れてきたので、散歩がてら外に出ることにした。家にこもってゲームばかりしていると頭が痛くなるし、新鮮な空気も欲しくなる。ついでに、梅や桜に雪が積もっているところも撮りたかった。写真はツイッターに載せた。
夜はすることがなくなったので「デカメロン」の第九日目を読んだ。別にコロナウイルスとペストを重ねていたわけではない。ただ、何となく読みたくなっただけである。ボッカッチョはダンテを意識して創作したと聞いたので、「神曲」が好きな自分としてはどんなものなのかを知りたかったのも理由だ。しかし、読んでいるうちにコロナはどんどん大ごとになってきて、結果的にタイムリーな読書になってしまった。ちなみにカミュの「ペスト」は大学生の頃に読んだきりだ。
結局、筋トレはさぼってしまった。civ6中毒のせいだが、これをやっているとソープランドに行く気がなくなるのでいい。というか、歓楽街が封鎖されては行きようがない。
三月三十日(月)
身体に障害があるので自宅で業務をしていた人が退職するとのことで、この大変な時期なのにわざわざ車いすでオフィスまであいさつに来てくれた。しかも、世田谷のおいしいクッキーまで用意してくれていた。自分も、仕事の合間に少しだけ世間話をした。おかしかったのが、身体障害のある人が、はじめのうちこちらのことを文章の癖から女性だと思い込んでいたことだ。
三月三十一日(火)
最近スリッパが臭い。冬用に買ったモコモコスリッパなのだが、仕事から帰ってきた靴下のままはいていたので、そのにおいが移ってしまったらしい。蒸れてくるとにおいが漂ってくる気がする。もっと暖かくなってきたら洗濯するべきだろう。洗剤につけておけば大丈夫だろうか。
この日、普段行くカレー屋さんがラッシーを切らしていたのだろうか、ランチセットを頼んだらドラゴンフルーツのジュースを出してきた。味はベリーともバナナともつかない独特の甘さがあり、個人的には好きだった。
そういえば、この店にマスクを忘れて行ったら職場のあるビルまでわざわざ追いかけに来てくれた。なんて親切な店だろう。関係ないが、この店に一時期一週間に三度も通っていた時期があり、おそらく顔は覚えられてしまっている。
四月一日(水)
今日はタイ料理を食べに行ったのだが、そこでもマスクを忘れてしまって、結局帰りの電車ではマスクなしだった。別に非難しているわけではない。気づかないのが普通だ。で、そのタイ料理屋に行く途中に新しい別のカレー屋さんができていて、暑苦しい青年たちが呼び込みを行っていた。あまり好きな雰囲気ではないが、味が好みかもしれないので、レビューを見てから行くかどうか判断したい。
そういえば今日は異動があり、かつての部長が係長になった。これは何か問題があっての降格ではなく、一定年齢を超えると部長職からは退くことが社内のルールになっているからだそうである。
今朝のパンもまた妹の手作り。テレワークが続いているので気分転換が必要だからだろうか?
関係ないけれど、はてなキーワードでは「四月」はないが「4月」はあるらしい。日記をここに書き続けるとしたら、4月2日、と書くことにするかもしれない。
新型コロナウイルスとの戦闘は長期化する。J&Jが来年初頭にも十億人分のワクチンを供給してみせると大見得を切っているがこれはブコメによれば怪しい要素もあるらしい。すなわち神風が吹いても今年中の収束は怪しい。俺は近々感染爆発が確定してロックダウンが来たら戦時みたいで楽しいと思っているが、ともあれ移動の自粛は、三カ月先にせよ三十年先にせよ今この瞬間は全面禁止してもいずれは制御された解禁に切り替わらねばならず、いずれかの時点で通勤電車の感染対策が議論されることは間違いないだろう。
この新型コロナウイルスは微細飛沫を喉に受けたり、汚染面に触れた指をなめたりすることで伝染し、概ね「生活圏に感染者が訪れ、知らず知らず接触し、あるいは飲食中に発声で撃ち出された飛沫を吸い込み、感染する」という形で広まっていると推測される。そこで今は感染者と接触者を追跡し、人と人との接触を断ち、飲食を禁じるという方法で抑制が図られている。しかし、人と人との接触を完全に禁じる、飲食を伴う交遊を禁じることは、永久には続けられない。
上の鍵括弧内を精読してほしい。こうは考えられないだろうか。つまり、生活圏が小さければ被害は小さい。異なる生活圏同士で感染者が移動しなければ拡大しない。接触は、意図的に行う知人間に限ればいい。飲食は、まあ別の論者に譲ろう。つまり、いくら東京都が巨大都市だと言えど、ちょうど秋葉原で無線機を買うオタク、エロゲを買うオタク、エロ本を買うオタク、コスプレ用品を買うオタク、パソコンを買うオタク、女たちの元締めに貢ぐオタクたちがそれぞれ互いに接触しないように、サイエンス・フィクション作品《都市と都市》における都市のように、互いに密接しあう複数の《生活圏》が感染可能な形で実質的に接触する機会を減少させ、感染拡大の被害を局限化することは、可能ではないだろうか。
そこで、《号車固定》という発想を提案したい。なんのことはない、特に首都圏の鉄道定期券利用者に対し、通勤電車の列番、号車を指示するのだ。1号車から11号車までの番号を利用者に対してランダムに指定する。例えば、まずは駅で「号車固定を受けていないお客様はご乗車になれません」というアナウンスを流し、改札口に箱を置くなどして、定期券に貼るステッカーを支給する。路線ごとに配るほか、できれば色で奇数列車や偶数列車、朝何時などと分離を図る。ステッカーは、最低一週間程度、毎日支給する。チャージする際には剥がす必要もあるので一時的なものになろう。もし固定を破るものが続出して問題となれば、ステッカーではなく大規模に費用をかけて乗降時にカードリーダーに通させるとか、バッジや六芒星の書かれた青い腕輪や鞄に貼る大きなステッカーに変えるとか方法はあろう。定期券は制度導入から最短1日、最大6カ月で失効する。導入から3カ月から6カ月もあれば、システム改修によって、鉄道会社のアプリなりカードの印字内容の変更なり、最悪の場合は追加の指定番号書き込み機を用意するなどして、番号を券面に表示することは可能だろう。実際の乗車時には、固定が守られているかを厳密に検査する必要はない。「号車固定をお守りください」となおざりにアナウンスでも流せばよい。非定期利用者は、特定号車に移してもよいし任意車両に乗せてもよい。今の今まで濃厚接触していた友人知人の集まりが規則正しく各車両に散ったりすれば、むしろ大惨事である。だが、階段最寄りなど特定車両に乗客が集中すれば、規律が乱れているとして、乗車率が一定程度に下がるまで、全員を下ろすなどする。目的は乗客の《生活圏》のコンパートメント化であって乗客間の感染防止ではないから、満員になること、それそのものを抑制はしない。
乗る号車や席や列車が決まっている人も、世間には多いだろう。しかし、日によって状況によってその日の気温次第で違う車両に乗る人も同じくらい多いのではないだろうか。この《固定》制度によって個々の乗客の《生活圏》を強制的に切り離し、「感染者が山手線の朝八時台の列車に乗れば、最大何万人が感染する可能性がある」状況から「京急本線504号車5、立会川から品川、途中セブンイレブンでおにぎり購入、乗り換えて東北本線0635G号車8の品川から大手町と乗車すれば、最大456名に感染させる可能性がある」などと被害を局限化することは可能ではないだろうか?
ラーメンを食い始める瞬間に思い付いたので忘れないうちに書いておく。9a1a a36b