はてなキーワード: 調理とは
重湯研究に勤しんで幾日。
お粥より軽い重湯感じで描くと重みが増すはずなのに食べ応えは軽いのよね。
つーかこれ、
そんでお鍋に入れて沸かして煮たって沸騰してきたらそこから約10から15分弱火でことことやんのよ。
まあそこまでは一緒ねお粥も重湯も。
重湯はそこからお米とゆで汁とを分離してそのお米のゆで汁がいわゆる重湯なの。
これだけでも
結構お腹が空いたときに空腹を癒やしてくれる工夫にはなると思って研究を始めたんだけど、
残りのお米も普通に炊飯したときとは違って柔らかいけど一応はお米の粒を保っている感じ。
歯応えの食べ応えという意味ではまったくないわね。
でも来れよく考えたら、
重湯とお米で分離した糖質が重湯に溶け出している分、
残ったお米の方が糖質カットご飯炊飯になってなくね?って思った副産物。
本当は重湯が作れればいいと思っていたけど、
こっちの茹で上がったお米の方もなかなかサラッと食べれて朝起きたときの優しい感じが優しく食べられる正に優しいスペシャル!
お米の量は半合だけど
夜は重荷にならない重湯に使用と重湯のよいや思うのよ。
飲んだあと何か罪悪感の塊のようなものを食べたくなるときもあるけれど、
これで緩和できるからいいのでは?ってまだまだ研究の途中だけどそう思うの。
それに1回の調理で重湯とご飯が茹で炊けるのは一石二鳥というか一鍋二飯って感じじゃない!
時短にもなるし、
お粥は都度都度全部を食べ切らないといけないお米と一緒に煮炊き込むから、
お米の量半合とはいえ、
かなりのボリュームになるのよね。
重湯メリットしかない今のところ私の研究結果ではそういったことが報告されたわ。
逆にデメリットとしては
重湯を飲んだカップはお米成分の粘り気が結構強くて食洗機に放り込んでもピカピカにならない案件が発生して
実験器具がそのまま使って食洗機使って食洗機の流れでは上手く行かなくなっちゃったのよね。
手洗い!
なんか本末転倒だけど、
そのしつこいお米の粘り気成分を綺麗にしてから食洗機かけるとか!
手間掛かるわって思うけど、
ひょっとして食洗機時短モードでどーもつーう感じでやってたから
ちゃんとレギュラーコースで洗浄したらピッカピッカのグラスに元通りに洗えるかな?って
案外グラスが結構しぶとく粘り気の多少ある糖質の主な主成分である重湯はそういうことあるのね!って
そのあとの使った食器洗いがネックになってきたわ。
そこでまた手洗いしていたらなんか滑稽だし、
念入りに予洗いしてからってのもなんか滑稽じゃない?
今度はちゃんと標準レギュラーコースで洗浄したらちゃんとピカピカになるか研究をしなくてはって思ってわ。
本来ならピッカピッカになるはずよね?
今までそんなところにシャープな目の付け所が無かったけれど、
重要な気付きよね!
でも理屈は一緒のはずなのに、
もしかしてお茶碗はガラスじゃなくて透けて見えないから汚れがいままで完全に落ち切れてなくても見えてなかったってだけ?
えー?まさか!
ガラスの透明なところにしてみてやっとそれ今頃気付いた?ってこともあるし、
でもちゃんと陶器のお茶碗は綺麗に洗えてるように見えるのよね。
まあそこ神経質になっていたら
でも
可及的速やかに重湯ガラスは食洗機標準コースのレギュラーコースで時間をかけて洗ってみることにするわ。
食洗機だと60分!手洗いだと5分!
田村でも金!谷でも金!でお馴染みの柔道選手もそんなこと言っちゃいそうな勢いだし、
60分じゃダメなんですか?って国会議員蓮舫議員さんみたいなこと言っちゃいがちだけど、
5分で終わらせたいその5分の手間も惜しみたいぐらい60分で洗い上げるのよ。
私はそのガラスが綺麗に洗えていないという横道にそれそうな横槍に刺されながらも
メインテーマの重湯の完成形を日々鍛錬していくことに重湯を置き励んでいくことを忘れないようにするわ。
しばらくはそういういや!
夏までにはペキカンなボディーを手に入れるためには!ってのもあるし
うふふ。
重湯のあとの茹で上げたお米ね。
味はまあ真っ当なお米味なので、
朝食にももってこいなのよね。
焼き魚が恋しいわー!
そろそろ電気ポットの役割の活躍も少なくなる暖かさの春?って思っていたけれど、
お湯が朝起きたら沸いているという幸せ!
実感できるわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前半新聞配達は積み込みをミスり1部だけ余ってしまい焦るがギリ2時間で終了
アレだね、鮮度の確認するたびに思うけど野菜の廃棄って結構出るね
ニラが黒ずんでたり、チンゲン菜の茎の根元が溶けて千切れてたりして
ピーマンは破裂してグジュッとなってるんで食えねえけどそれ以外はすぐ調理すりゃ割と食えるものばかりで勿体ねえな~って思いながら捨ててる
偉そうなことを言ってしまうがこのバイト先はダメな職場だな・・・ダメな職場だからこそ働きやすいんだと思うけども・・・
野菜の半額の基準や廃棄の基準の一覧表や資料が一切ないんだよホントに・・・ボスに毎回尋ねて時間を奪うのも申しわけなくなってくるしよ・・・
金に関わる部分だから勝手に半額にゃできねえしよ・・・頭抱えちゃうぜ
はあ
それはそうとそろそろ食う量減らさないとな
今日もチートス1袋400kcal、焼うどん2玉(しめじ・タマネギ・もやし)、納豆、ブルボンプチラングドシャ食っちゃった
でも体力の向上にはこの暴食が寄与している気もする
でさ、
新聞配達を辞めたら次はニトリの2ヶ月のバイトを午後に入れようと思うんだけどニトリの短期バイトってどんな感じなん?
経験者が居たら話聞きたいやで
どこの部屋に付けるかによる
リビングは調理時に発生した油分も吸い込んでクソ汚れるのでぶっちゃけエントリーモデルの+1サイズにして業者に頼むのは必要経費と割り切ったほうがいい フィルターお掃除機能は不要
ただネックなのが、省エネ性を高めようと思うと必然的にランクの高いモデルに手を出さざるを得ないこと、当然お掃除機能が付いてくるということ
寝室や子供部屋は逆にホコリ汚れがメインなのでお掃除機能は付いていたほうがいい。狭い部屋だからエントリーモデルでいい、だなどとは言わず、最低限お掃除機能は付けたほうがいい。部屋の湿度状況にもよるが運転後送風をしっかりしていればカビはほぼ発生しない
グリーン・インフェルノを唐突に思い出したのでネタバレありであらすじを描く
アマゾンの環境を破壊して原住民をおびやかす開発工事を止めさせよう!と仲間たちとアマゾンへ
何人かはグロ死にし、生き残った主人公たちはジャングルのど真ん中で野生動物に怯えながらサバイバル
そこでアマゾン原住民に出会い、助かった!と思いきや彼らは他部族を食らう食人族で捕まってしまう
順番に解体され喰らわれる仲間たち
部族の女たちがキャッキャと雑談しながら日常風景みたいに人間を単なる食材として調理していく
囚われたアメリカ人たちのうち、女性陣は部族を治めている老婆に処女検査され、唯一処女な主人公は花嫁として迎えられる
でも割礼されそうだしなんとか脱出
部族の男たちが集団でどこかへ行って警備が手薄になったため可能だった
その男たちは、工事現場に行き伝統に反する開発を止めるために戦おうとしているのだった
現代的な武装をした者たちに銃撃され、あれだけ恐ろしい食人族は主人公の目の前であっさりと虐殺されていった
奇跡の生還で時の人となった主人公は、食人族のことを隠し仲間たちは全員ヘリ墜落で死んだのだとインタビューで話した
原住民たちが助けてくれた、優しき彼らの文化を尊重し開発はやめ自然保護をするべきだと主張して主人公は自然保護活動を続けた
監督は「ネットでかぶれてるだけの偽善者へのアンチテーゼ映画」と話しているそうだが
ネットでかぶれていただけのエセ活動家が、目の前で現代文明による一方的な蹂躙を見たことでガチの活動家へと覚醒したということなんだろうか
こんなん出来る奴を育てたり探してくるよりも機械を使ったらどんなボンクラでもおいしいチャーハンが作れるのだから、そりゃ機械で調理するよね👀 https://t.co/LTlneRp959 pic.twitter.com/Pfl2gD5tZl— しばたみつまるmk2 (@mitsumaru_SV) March 29, 2024
消費者庁が「大手メーカーや企業に配慮し、結論ありきでデータを作っていることがあるのでは?」と指摘されることがある。
真偽は不明だし、公表されている資料を見る限りはっきりと「忖度している」とは言えない。
アメリカにおいて高等教育を受けていない大多数の国民は日本人の大半が知っている炭水化物、タンパク質などの知識を持っていない。
もちろん単語として知っている人はいるだろうがそれを実際の食事に生かす知識はないし、あっても金がない。
上院議員や州議員にはこれを改善するため「学校での栄養指導義務化」や「公立学校でのスクールニュートリショニスト設置義務化」や「生鮮野菜の小売店への優先的な供給」を法案として提出している。
しかし、その度に冷凍食品メーカーやファーストフード運営企業から支援を得ている議員やロビイストが「子供の自由と人権」や「農業生産者や企業の自由」を盾に攻撃する。
彼らによると、韓国や日本の児童が栄養指導や食育と称して好んでもいない食品を学校で食べさせられていることは人権侵害なのだと言う。ちなみにロビイスト(多くは名門T14ロースクール卒の弁護士)や議員が子供を通わせている学校の多くはは廊下で制服のネクタイを緩めて歩いたり、英語の発音を間違えただけで厳しく叱責される全寮制校則ガチガチのボーディングスクールである。それは人権侵害ではないのか?
また、農業生産者には小売店よりも大手企業に対して安定した価格で商品を買い取ってもらう自由があり、大企業にも自由契約として農業生産者から商品を買い取る自由があると主張する。
それを目にした庶民も「自由と権利の侵害⁈許さん!」って感じで法案に反対する。
法案は常に廃案となり、冷凍食品メーカーやファーストフード店運営企業は安い価格で野菜を軒並み買い取る。また輸出に積極的に回される。
庶民は食品が含有する栄養や添加物の知識も一切なく、生鮮食品を買って自宅で調理するより手間もお金もかからないファーストフードを利用する。
昨年は2ヶ月の海外出張もあって年収800万頂けてるくらいちゃんと仕事はできるのにずっと独身、「普通の男は結婚してる」の普通からしっかりとあぶれた異常独身男性でござんす。なお最寄りの成城石井までは車で1時間か、電車で40分。とても日常使いには適してない田舎在住。成城石井のターゲットは年収2000万、っていう9割位ウソのアレを見て、成城石井への愛を語りたくなった。
田舎在住なので、休日のショッピングといったら近所のでかいイオンモールに行くとかだ。しかしイオンモールというのは、何でもある。何でもあるが、欲しいものは何一つ見つからない。結局おかしのまちおかでハリボーとプリッツをまとめ買いしておしまいだ。ショッピングというのは、ハレとケで言ったらハレであってほしい。買うものが決まってるショッピングは、普段の生活、ケの買い物となってしまう。生活自体が素晴らしいものであるならば、イオンモールというのは生活を彩る様々なものに一発でアクセスできる、素晴らしい場所なのだろう。しかし、独身でろくでもない自分ときたら、生活は散々やりつくして飽き飽きしている、生命活動を維持するためだけの作業にすぎない。
さて、成城石井だが、私が行ける店舗は小型店だ。もちろん何でもはない。かといって専門店ほどマニアックでディープなものは置いていない。だが欲しいものは最低1つは見つかるのだ。このゲートウェイ性こそが私が好きな成城石井だ。不思議と惹かれる商品がある。試して、十分な体験を得る。そこで満足して安住するもよし、更に深く探求して専門性を向上するもよし。
私は安住の方向に行ったのはスモークチーズ、沼に踏み込んだのはベーコン。どちらも自作するまでは行ったが、チーズはマスプロダクションと最大公約数に勝るものは作れなかった。ベーコンは人の好みがありすぎて、いくらでも手が入る。副産物でスモークチーズも作れる。米国出張中にもベーコンばっかり食べてた。太った。最悪。肉調理の沼はヤバい。肉屋に豚の頬肉取り置きとか頼み始める。家も臭くなる。みんなもやろう。
まあデブの戯言は置いといて、なんかしら欲しいものがあるんですよ成城石井には。
ゲートウェイとしての成城石井をしゃぶりつくしたら、生存への執着が切れているに違いない。そのときまで、楽しい買い物ができる店であってほしい。
アニメ『ダンジョン飯』×村の鍛冶屋 包丁や両手鍋、カニフォークなど作中登場する調理器具を燕三条の鍛冶職人が具現化!先生直筆イラストの刻印が入ったコラボアイテム
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000025656.html
はぁ~(クソデカため息) 誰をターゲットにした商品なのか作る前に考えて欲しいよ。
料理好きな人は普通にプロ用品買うからこんなの買わないし、じゃあ料理しないファンが買うの?ったら料理する訳無いし、まあ転売ヤー専用商品だよねこれ。
本当に焼いただけで、タレや塩コショウ抜きでも旨い。
というか現代人って”料理=味付け”という先入観があるせいで「味付けなちゃ!味付けしなきゃ!」って強迫観念にとらわれ過ぎ。
そもそも野菜だって焼くだけでも旨い。野菜は焼いて食べるだけでも甘みが出てくるから。調味料なしでも問題なく旨い。
焼いた肉だって、塩コショウ他何かしらの味付けを加えなくとも十分に旨い。
それに肉をバゲットに挟む場合、パンの塩味が強いので一緒に食べるとその塩味が肉と絡まり、結果程よい塩梅になる。
味付けだって、今の時代は味をつけてからその味を調整しようと味見をする。
でもこれって本当はおかしくて、正しくは味をつけていないときに味見してみるのが正解なんだよ。
そうすることでまず素材そのものの味がどのようなものかを知るのが大事。
その味に対して、じゃあどういう味をつけよう?
こうなるのが通常のはずなんだ。元々の状態を知らないのに、こっちで勝手に決めて味をつけたところでぼんやりするのはそれ本来に似合う味付けをしていないから。
味付けは、いわば”ファッション”なんだよ。
モデルの状態を把握していないまま服一式を用意して、さぁ着てみて!と着替えさせたところでイメージ通りにならなかった。
そんなことは当然だ。だからそうならないように、モデルの素の状態をちゃん知っておく必要がある。
野菜にだって、一つとして同じものはない。それでも彼らに似合う”調味料”という名の”ドレス”を着せてあげるのが調理人の役割なんだ。
そうすれば味付けなんていうのは本当に必要最小限で良いことが分かるだろうし、素材の味を知ることによって調味料を調整し、素材の味と調味料の味の両方を前面に出すことが出来るだろう。
「これらを使わなければ、それは料理ではない」と言わんばかりに。
しかし実際にそんなことはないのだ。料理は別に調味料を使わなくたっていいし、使うことが絶対なわけでもない。
旨ければいいのだ。そして焼くだけで食べても案外旨い。
味付けせず、素材そのものの素朴な味を一度は食べてみてもいいのでは?と思うのだ。
「生き物や植物や生産者さんやその他手元に届くまでに関わった人たちに感謝しながら美味しく食べる」
問題解決に使えるリソースが人によって異なり、他人がその人のリソースを知るために踏み込むのは非礼だから。
次に、その人の持っているリソースや阻害要因もわからないのに問題解決策を出すのは単なるクソバイスだから。
これは女性に限らず、はてブなんか見てたら「仕事上の問題をこう解決しました!」みたいなドヤエントリーに対して「参考にならない」「素人が真似したら詰む」「こいつは恵まれているだけ」みたいなコメントがむちゃくちゃつく。自炊レシピにすら「ナンプラーなんて使い切れないから買わねえよ」だの「まず、調理するスペースがない」だの言う。結局、男でも女でも、自分のもってないリソースを前提とした問題解決策を出されたら不快になるものなのだ。
問題解決大好きマンには、おそらく友達がいない。たとえ相手を不快にさせても「問題解決させてやった」って自己満足したいメンタルが幼い人間だから。
中高生ぐらいの年代だと、同級生であればそんなに持ってるリソースに違いはないし、毎日一緒にいる相手の持ってるリソースを理解できてる前提があるから、問題解決志向でも特に嫌われることはないかもしれない。しかし、大学に上がるともう友達の生育歴とか実家の状況とかは全然異なってくる。普通にコミュニケーションをしていたらだいたいその段階で「問題解決志向は限定的な関係性でしか成立しない」ということを理解する。一部の共感力に乏しい人だけが問題解決にこだわったまま中高年になる。
(女は共感ベース、男は問題解決ベースっていう話も、男が男同士で話すときには距離感を見誤ってクソバイスすることは少ないが、男女で話すときに男は「女の持っているリソースを把握できていて問題解決ができる距離感にいる」と思い込んでしまいがちであるということではなかろうか?)
女に問題解決視点がないのではなく、問題解決策を出すことに対して慎重な人が多いのだ。
特に、白ハゲ漫画の読者層である主婦や非正規労働の若い女子はその傾向が顕著になる。
たとえば、同じように子供を公園で遊ばせている仲よさげなママ友グループがあったとしても、彼女ら個人個人の経済状態、住宅環境、実家や義実家との折り合い、家族構成、夫婦仲の良し悪し、自身の学歴職歴や特殊な技能、職業面でのコネの有無、友達の有無、運の良し悪し、子供の性格や能力、何もかもすべてが違う。
そんな中で相手があるリソースを持っていること前提でアドバイスをすると、クソバイス、ヘタをすると加害になってしまいかねない。人間関係においてそんなリスクを負うわけにはいかないので儀礼的共感にとどめている、というのが実情かと思う。(バリキャリ層ではそこまでの多様性はないので、問題解決志向でもトラブルにはならない)
「このうどんは生きている」と同じように麺匠もどうせ広告代理店が作り出した「物語」なんじゃないの?
麺匠などと箔付けされた藤本智美という方は、どの程度の腕前なのでしょうか? そもそも、彼の情報として、食品メーカーが運営する飲食店の支配人をしていたと書いてある記事もあれば、和食料理人の経歴を持っているという記事もあるのですが、これは支配人が現場の調理もしていたということなのでしょうか?私のイメージだと飲食店の支配人は経営のために置かれるもので、料理の腕はむしろからっきしというイメージがあるので、しっくり来ないのですが…
ミシュランに載るような名の知れた飲食店ならそこはアピールするはずでしょうが、一体どの程度の店で料理人としての立場を持っていたのでしょうか?実は、香川県とかのそこら辺のうどん屋やってるおっちゃんにも劣る腕しかないということはないのでしょうか?
でもそうだとしたら、今個人でうどん屋やってるような人が丸亀製麺に転職したら簡単に麺職人の上のランクを取れることになっちゃうでしょうし、自分で店経営してるより丸亀製麺で簡単に麺職人になれて厚遇された方が手取りが増えるというならそういう流れが出来そうなものですし…
私は丸亀製麺の麺匠というのは、本来料理人とは無縁ないわゆるホワイトカラーの幹部がヘッドハンティングされたついでに「料理人としての顔」を大袈裟にでっちあげ・脚色された姿なのではないかと思っています。
実際彼がただの料理人ヅラしてるホワイトカラーの高学歴ぼっちゃんなのか、本当にかなりの料理の腕があるのか、そのあたり知ってる方は詳しく教えてもらえるとありがたいです。
マルシル達がドラゴンステーキを食べている様子を見て俺は理解してしまった。
俺達の知っている近代的RPGの世界では、異世界のご馳走といえばドラゴンステーキだ。
A5ランク黒毛和牛みたいなものとしてドラゴンステーキが扱われているイメージを現代人は共有しているはずだろう。
だがダンジョン飯の世界、古典的WIZ世界においてはドラゴンは素材に放っても食べ物にはなっていない。
不思議だ。
古来より狩人という物は外敵を倒すために殺したとしても、その肉は食料として溜め込んでいたはずではないのか。
そうはいっても狼は食べられはいなかったが、これは誰かが狼を食べて不味かったという感想を述べた過去がまず存在している。
ドラゴンを食べたことがない理由が「不味いと聞いたことがある」からではなく「そもそも食べるという発想がなかった」というのはなかなかおもしろい。
つまり、あの世界においてダンジョンというものは独立した自然の生態系というよりも、一つの異界としての側面が強く、そこに住むものは口にするようなものではそもそもないと考えられていることがこの一件からも分かる。
たとえば宇宙飛行士が未知の惑星に不時着して、いきなりその星の食べ物を口に含まないのと同じように、安全性が確保されていない物にそもそも手を出さないという意識なのだろう。
宇宙飛行士が異星のものを口に含むのは、救援が来るまでの日数と積み込んだ食料のバランスを加味して、どうしてもそれを接種しなければいけないという前提条件が揃ったことに確信を持ってからであるということだ。
WIZというゲームの世界観自体が「油断大敵。基本的にチキれ。無茶するなら2軍にやらせろ。少なくとも救援部隊と脱出経路が固まってから動け」で作られていることから、ダンジョン飯の世界観もそのように「臆病こそが冒険者の美徳。蛮勇もまた美徳ではあるが命は保証されない」となっているのは想像に固くない。
ドラゴンを倒せるほどの冒険者であればこそ、未知の物を口に含むなんてリスクは侵さないし、素材として持って換えるにしてもまずは換金レートが固まっている鱗からというわけだ。
そうして鱗を運んでいるうちに肉は腐るわけだが、ドラゴンが住むような下層で腹を壊したら危なっかしくて仕方がないので、誰もその場で調理なんてしないと。
なるほど。
夢がないな。