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はてなキーワード: 説諭とは

2018-03-27

唐澤貴洋を殺してはいけない理由が思いつかない

どのような親に

どのような家族環境で育ち

そのような行為いつからし

学校ではどんな生徒で

学校では何をみて

空の色は何色だったか

君は泣いたことがあるか

何があったのか

親の愛を感じたことはあるか

私に殺害予告をしたとき気持ちは何で

それは君の気持ちにどのような快感を与え

ある日来た警察に対して君は真っ正面を向くことができたのか

そのときの親の顔を見たか

君は親の悲しみを知っているのか

1人淋しく過ごした夜に何を感じ

守ってくれた弁護士説諭に何を感じ

はいま何を思うのか

ある日来た警察に対して君は真っ正面を向くことができたのか

そのときの親の顔を見たか

君は親の悲しみを知っているのか

1人淋しく過ごした夜に何を感じ

守ってくれた弁護士説諭に何を感じ

はいま何を思うのか

はいま親の気持ちがわかるか

君は人を傷付ける人間なのか

君は親を殺すことができるのか

人は人を傷付けて幸せになれるのか

いま君は何を見ているのか

空は何色か

人は人を愛さなければない

君は親の愛に気が付かなくてはならない

いまが君の人生の始まり

君はこれからどのような大人になるのか

俺は君に人を傷付けるのではなく人を助ける人間になってほしい

俺は君の20年後を見ている

2017-11-28

日馬富士暴行傷害事件と籠池夫妻不当長期勾留

この国の惨状が一段と悪化してきている。

大相撲の現役横綱による暴行傷害事件が明るみに出ている。

加害者は現役横綱日馬富士被害者幕内力士貴ノ岩である

貴ノ岩日馬富士から一方的暴行を受けて重傷を負った。

10針も縫合処置を受ける裂傷を負ったというのが事実であれば、

間違いなく重傷である

現役の横綱であるから、素手で殴打したとしても、

事実上の「凶器」とみなすべきであるだろうが、

ガラス瓶や金属製カラオケ通信機器で殴打したとなれば

殺人未遂」として取り扱うのが妥当ということになるだろう。

傷害」が「けんか」で生じたものであるのか、

一方的暴行であるのかも重要事実関係になる。

11月9日付の医師診断書には、

「脳振とう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」

「全治2週間」

記載されているが、この診断書を書いた医師が、

「重傷と報道されていることに驚いている」

コメントしたと報道されているが、普通感覚では、

「このような診断書を書いた医師が「重傷と報道されていることに驚いている」と

発言していることに驚く」

のではないだろうか。

この診断書が「貴ノ岩が重傷を負った」との判断の、

当初の根拠になってきたわけであるから

この診断書を書いた医師が公の場で説明するべきである

メディア報道が、貴ノ岩貴乃花親方を激しく攻撃する方向で

展開されてきたことに対して、私は異議を唱え、事実関係重要な点を

精査するべきことを主張してきた。

重要な点は

貴ノ岩日馬富士から暴行傷害を受けたことが事実であるのかどうか。

日馬富士が素手以外の何らかの「凶器」を用いたのかどうか。

貴ノ岩が受けた傷が「重傷」であるのかどうか。

暴行傷害事件であるなら、これらの点が重要確認事項になる。

そして、この事案について、

被害者である貴ノ岩とその保護者にあたる貴乃花親方

10月29日の段階で警察被害届を提出していることも重要だ。

警察被害届を提出した時点で、事案は刑事事件事案となるのであり、

事実関係の解明は、基本的警察当局に委ねられるべきものである

貴乃花親方相撲協会理事であり、巡業部長の職にあるから

相撲協会説明するべき立場であるが、

相撲協会がこの種の暴力事件の処理に関して、

問題隠蔽してしまおうとする体質を強く持っていると判断すれば、

問題処理を協会ではなく警察に委ねるとの選択は、当然のことながら浮上するだろう。

貴乃花親方協会には説明せず、

警察捜査による事実解明を求めているのだとすれば、その真意は十分に理解できる。

現に相撲協会警察からの連絡で、11月2日の段階で事実概要を知りながら、

十分な事実解明をしないまま、

11月12日開幕の九州場所日馬富士を出場させている。

11月14日にスクープ報道がなされて問題が表面化した際、

相撲レポーターとされる女性は、

九州場所の開幕時点から現場ではこの話題で持ち切りだったことを認めている。

九州場所が開幕する時点で、

関係者の間に問題存在は周知されていたにもかかわらず、

相撲協会日馬富士の出場を容認しているのである

この現実を踏まえれば、現体制相撲協会事実関係を「調査」したところで、

公平、公正な調査結果がまとめられる可能性はほとんど存在しない。

相撲協会が受けるダメージを少なくする方向に、

事実を歪めて報告書作成する疑いが濃厚なのである

貴乃花親方相撲協会調査に非協力的で、

事実関係の解明を警察当局に委ねようとしているのは、当然のことであると言える。

事件発生に至る経緯についての事実解明も明らかにされる必要がある。

貴ノ岩スマホ操作しているときに、

いきなり日馬富士から暴行を受けたと証言しているようだが、

宴席で騒音が大きいなか、日馬富士貴ノ岩に声をかけたことに気付かず、

貴ノ岩スマホ操作しているときに、

これに日馬富士が激高して暴行に及んだということもあり得ることである

しかし、仮にこのような経緯があったにせよ、

日馬富士一方的暴行に及んだとするなら、責任所在は明確である

報道は、日馬富士暴行事実を認め、

また、素手以外にカラオケ通信機器でも殴打したことを認めていると伝えている。

これが事実であり、一方で、貴ノ岩が10針を縫うような重傷を負ったことが

事実であるなら、暴行傷害事件としての輪郭は、かなり明瞭である

事件の大きな背景には、本年の初場所貴ノ岩白鵬勝利し、

白鵬の優勝が阻まれ稀勢の里が初優勝したことがある。

モンゴル会が「互助組織」的な機能を有しているとすれば、

貴ノ岩勝利は、「しまの掟を破壊する許されざる行為」と理解されるだろう。

今回の暴行傷害事件の背後には、この種の巨大な闇が関係している可能性もある。

貴乃花親方相撲協会調査ではなく、

警察捜査事実解明を委ねていることは正しい判断であると考えられるが、

日本場合警察検察自体が歪んでいるという現実があるため、まだ予断を許さない。

日馬富士逮捕されず、籠池泰典氏夫妻は逮捕起訴され、4ヵ月にも及ぶ

不当勾留が維持されている。

このような暗黒社会においては、

警察による事実解明にも全面的な信頼を置くことができない。

この点はしっかり踏まえておかねばならぬ部分である

私がこの問題を取り上げているのは、

マスメディアによる情報操作の分かりやすい事例である判断たかである

相撲専門家でもなく、相撲自体を本ブログメルマガテーマともしていない。

しかし、メディア情報が著しく偏り、それによって世論誘導される危険がある、

あるいは現実があるという、この国の根本問題ひとつ考察する際、

この事案に対するメディア報道のあり方は、

情報操作」、「メディアコントロール」の問題を考える上で、

非常に重要で分かりやすい事例になると判断したのである

貴ノ岩は10月25日深夜に暴行傷害を受けた。

26日朝に応急処置を受けて、予定されていた日程をこなした。

しかし、傷害の程度が重く、再度医師の診断を受けて診断書を受け取った。

その後に、さらに状況が悪化して、より精密な診断を受けた。

その際に、再度診断書を書いてもらった。

このような経緯は、十分に想定可能である

メディアは、軽傷であるのに重傷を装い、

診断書を偽造に近いかたちで入手してこれを公表たかのような印象を

植え込む報道を展開し続けた。

また、暴行が発生した経緯として、貴ノ岩言動非礼であり、

貴ノ岩の側に責任があるかのような情報を流布した。

あなたたちの時代は終わった」と貴ノ岩発言した。

横綱説諭している最中スマホ操作した。

「誰からの連絡か」と問われ、「彼女からです」と答えた。

これらの情報を、あたか真実であるかのように流布したレポーター存在する。

こうした情報洪水のごとくに流されれば、

一般市民は、これを事実であると受け止めてしまう。

その結果として、

「悪いのは貴ノ岩であって、日馬富士は悪くない」

という「イメージ」が形成される。

これが、いまはやりの「印象操作」なのである

事件が発生する経緯について、

客観的確認されていないことがらが無責任に流布され、

その情報鵜呑みにしてしまうと、このような事態が発生する。

このことを楯に取り、そのようなことを防ぐためにも

貴ノ岩が公の場で説明することが重要だとの意見も登場する。

しかし、貴ノ岩相撲協会事実説明したところで、

相撲協会がその説明をどのように取り扱うかは分からない。

相撲協会問題矮小化したいとの意向を有しているなら、

貴ノ岩説明が正当に流布される保証はない。

この点で貴乃花親方の行動は明確である

警察当局被害届を提出した。

警察当局による事実解明にすべてを委ねるというものなのだ

刑事事件事案であることを踏まえれば、

事実解明を警察に委ねるというのが基本である

相撲協会警察による事実解明を待って適正な措置を講じれば良いだけのことだ。

事案は、これまで明らかになっている情報を踏まえるならば、

日馬富士一方的加害者であり、貴ノ岩一方的被害者である

このことが警察捜査によって明らかになるなら、

それを踏まえて適正な措置を講じれば良いのである

相撲協会事件捜査をすること自体本末転倒なのだ

しかしながら、その警察検察捜査に全幅の信頼を置くことができるかというと、

ここにも疑問符を付けざるを得ないところに、日本の悲しい現実がある。

森友学園事案の本質は、国有地不正廉売疑惑事案である

時価が10億円は下らないと考えられる国有地が1億3400万円で払い下げられた。

しかも、土地改良費として1億3200万円が支払われた。

財政法国有財産を適正な対価なくして処分してはならないことを定めている。

この法律に反して、不正に低い価格国有地が払い下げられた疑いがある。

背景は、安倍首相夫人である安倍昭恵氏の関与である

安倍昭恵氏が新設小学校名誉校長就任した。

森友学園籠池泰典理事長は、

名誉校長安倍昭恵氏に学校用地の問題について相談した。

安倍昭恵氏は公務員秘書の谷査恵子氏に指示して、財務省との折衝をさせた。

その結果として国有地不正廉売された。

このような事実経過が存在したのではないかとの、強い疑いが存在する。

国会安倍昭恵氏を証人喚問して、事実関係を明らかにする責務を負っている。

しかし、安倍政権与党が反対して、

このような安倍昭恵氏による公開の場での説明機会がまったく設営されてきていない。

これらの問題について積極的発言してきたのが籠池泰典氏夫妻である

しかし、籠池氏夫妻が事実関係公言することが、

安倍首相にとって、極めて目障りな状況になった。

こうしたことを背景に、籠池氏夫妻が逮捕され、起訴され、

さらに、長期勾留され続けているという現実が生じたと考えられる。

籠池氏夫妻は、「詐欺」の罪に問われている。

しかし、事案の補助金不正を問うのであれば、刑法詐欺罪ではなく、

補助金適正化法違反に問うべきであると、法律の専門化が主張している。

そして、適正な量刑罰金刑であるとも述べている。

ところが、籠池氏夫妻は詐欺罪起訴され、4ヶ月に及ぶ長期勾留を受けている。

そして、保釈請求裁判所却下している。

逃亡の恐れも、証拠隠滅の恐れもない。

にもかかわらず、不当な勾留を続け、しか接見交通禁止という措置まで

付けられている。

基本的人権が完全に蹂躙されているのだ。

国会では予算委員会が開かれ、森友問題が取り上げられるであろう。

その際、籠池氏が在野で、さまざまな発言をすれば、

安倍首相には都合が悪いのだろう。

日本警察検察裁判所前近代に取り残されている。

取り残されているというよりも、

安倍政権日本警察検察裁判所大日本帝国憲法時代

引き戻しているのである

国民政治に強い関心を持つことを阻止する上で、

国民の目をスポーツ観戦に振り向けることは極めて有効手段になる。

安倍政権は、この視点からスポーツ振興に大きな力を注いでいる。

オリンピック大相撲振興もこの視点から説明できる。

NHK日本相撲協会の最大のスポンサーであり、

NHK放送事業を支える大黒柱として相撲興行を利用している。

相撲協会不祥事スキャンダル相撲興行の縮小は、

この観点から国策上」望ましからぬ事態なのである

貴ノ岩貴乃花親方に対する不正で不当な弾圧は、

この文脈から説明し得るのである

日馬富士による貴ノ岩に対する暴行傷害事件警察検察当局によって、

適正に処理されるのかどうかを、私たちは厳しく監視する必要がある

2016-04-03

新卒フリーランス」論争が起きた→残念な社畜たちが現れた

はてブ界隈を近頃騒がせているキーワードが「新卒フリーランス」。

新卒フリーランス早稲田卒業したのでキャンピングカー生活始めます - やぎろぐ http://www.jimpei.net/entry/waseda

新卒フリーランス】今が楽しすぎるので就職を辞めました。 - くっくす! http://www.yuiki1994.com/entry/syusyoku-shinai

新卒フリーランス」22歳大好きなことで生きていく私の決断。|鳥巣愛佳@エアロビのお姉さん|note https://note.mu/aikaearo/n/nae56631aef73

彼らに"社会人"としてマウンティングしていく社畜根性丸出しの皆さんが大量発生している。ブコメブログ記事で。

まず個人的に、そもそも内定をもらっておきながら直前で辞退するような彼ら「新卒フリーランス」たちには全く信頼が置けない。ただ、それはそれ。内定を出した会社可哀想だが、新卒就職しないという道を選ぶこと自体否定されるべきではない。何も考えずに周りと同じように就活をしていた自分違和感に気づくのが大学卒業間近だったというだっただけで、彼らは今より幼く未熟な哲学しか持ちあわせていなかったのだ。内定先に与えた損害以上の利益社会還元できるようになってほしいと望むばかりだ(やぎろぐの人の稼ぎ方には与沢センセー的な危うさを感じるけど、馬鹿が騙されるのは世のことわりなのでどうしようもない)。

人生はただ一度きり。各人が好きなように生きればいい。

ところが、内定辞退と稼ぎ方の危うさ以外の部分で、彼らをたしなめようとする"社会人"たちが現れるのが面白い。ここでいう"社会人"とは、一度は就職することのメリットと「新卒フリーランス」のデメリットを説きつつ、会社人にしかなれなかった己の自意識を守ろうとするタイプを指す(だいたい社会に生きているんだから人間すべからく社会人なわけで、彼らの言う"社会人"とは労働時間を売ることでサラリーを得る"会社人"を意味しているのだが、本論から外れるので議論割愛する)。

"社会人"たちは

会社人>新卒フリーランス

の不等式を前提に彼らを腐し、上から目線で「彼らには頑張ってほしい」と説諭する。傍からみていると、この状況はまるでコントだ。江戸時代士農工商制度下で、労働時間を対価に稼ぐしかない農民資本家である商人を見下すかのような。心に余裕がない会社人がわざわざ「新卒フリーランス」の生き方反論したくなってくるんだろうな。でも、それは自分境遇に対する不満の裏返しでしかない。

新卒フリーランス」が会社人という普通生き方ちょっと否定してきても、それを軽くいなして生暖かく見守ってあげればいい(彼らがどうなろうが知ったことではないし)。それが成熟した大人特権。坊やたちが好きに生きて成功なり破滅なりしていくのを眺めるのが、それなりに自分サラリーが安泰だと思っている会社人としての醍醐味でしょう。

でも、実際は会社にしがみつくしかなく、いつも組織と同僚と家庭について愚痴っているだけ。本音では新卒フリーランス決断できる彼らを羨ましいと思いつつ、それを認めたら自分人生否定された気になるから、彼らを貶めるのかな。だからイケハヤ馬鹿にされるんだよ。まだ東京で消耗してるの?社畜で消耗してるの?ってね。

ちなみに僕は、月間1000万PV超えのブログ群を運営していて、月の合計売上が数百万円くらいのしがないプロブロガーってやつですよ。リスク背負ってますブロガー向けのサロン(塾?)をやらないのかって尋ねられることもありますけど、やるわけないですよね。わざわざ自分で培ったちょっとしたノウハウ素人提供する利点がないし、そもそも他人講釈たれるようなレベルの知識も意欲もないですからね。たかだか数十万PV程度の規模で「ブロガーカレッジ」ですか?せめて「ブロガーネットワーク」的な体裁信仰……じゃなくて親交を深めるくらいにしておけば、良心も痛まないんじゃないでしょうか。良心があれば、の話ですけども。

2015-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20151225014456

あなたお勧めの本

『生き延びるための作文教室(14歳世渡り術)』 石原千秋:著 2015年

読書感想文などという何の役にも立たない糞のような課題を課せられる中学生のために、

 "学校が生徒に何を求めているか"を解説し、それを意識した上で、せめてその枠の中で個性的に"見える"作文を書く手法を教えよう、というロックな本。

 たとえば、先生に「もっと客観的自分を見なさい」などと説諭されたことはないだろうか。端的に言って、これは罠である。この時先生が期待している、あるいは強いている答えは簡単だ。「私はまちがっていました」だけだ。



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田 ズーニー:著 2001年

・「その文章、何のために書くか?」

 文章を書くときには「その文章が何を目的とするか」ということを見失ってはいけない。と解説する本。

 上の中学生向けに書かれた本よりも実践的。

 会話と同様に、文章にも読み手書き手のすれ違いがある。就職活動自己推薦状の例で考えてみよう。

 学生Dは、会社訪問を申し込み、「形式自由から自己推薦状を書いて持ってきてください」と言われた。

 Dは考えた。「学生生活を振り返って、自分が唯一やってきたのは音楽だ。自分には、音楽しかとりえがない」。そこで、「音楽への情熱では誰にも負けません」という趣旨自己アピールを書いた。

 このままの文章では、採用担当者は首をひねるだろう。その会社は、音楽にまったく興味がない。音楽への情熱が、入社後、何の役に立つのだろうと。

 学生Dと採用担当者問題意識をチェックしてみよう。

採用担当 志望者は、仕事へのどんな適正があるか?

学生D  私は、いかに音楽を愛しているか

 まったくかみ合っていない。採用担当は、仕事への適正を見たいのだ。その問題関心から外れたところで、どんなに自分アピールしても意味がない。どうすればいいのだろうか。



日本語の作文技術本多 勝一 著 1976年

文章を書く上で必要技術を徹底的に解説する本。

 文章書くなら読んでおいて損はない鉄板本だが、内容濃すぎて読み込むのに時間がかかる。

 文章綴り方がいくら上手くなったとしても、それに見合うほどに就職試験評価が上がるわけではないので、

 既に、ある程度の文章が書ける状態ならば優先順位は低い。

 これまでの日本語教育の根幹を流れる方針は、理解力記憶力ばかり重視し、独創性想像力創造力を最も必要とする作文を軽視または無視するというやりかたです。

  ~

 だから今の小学校では、「綴り方」の時間さえも少なくて、そのかわり「読書感想文」などというものがあるんですね。

 あれは作文というよりも理解力テストみたいなもので、あれで作文をやったつもりでいたら噴飯ものというべきでしょう。おかげで読書も嫌いになる。



文章関係の本を読んでいると、「読書感想文は何の役にも立たない。あんもの子供に書かせるな!」と筆者が憤る内容の記述がよくあるので、学生時代読書感想文が書けなかったからといって気にする必要はないと思いますよ。

2015-08-05

俺は君の20年後を見ている

どのような親に

どのような家族環境で育ち

そのような行為いつからして

学校ではどんな生徒で

学校では何をみて

空の色は何色だったか

君は泣いたことがあるか

何があったのか

親の愛を感じたことはあるか

私に殺害予告をしたとき気持ちは何で

それは君の気持ちにどのような快感を与え

ある日来た警察に対して君は真っ正面を向くことができたのか

そのときの親の顔を見たか

君は親の悲しみを知っているのか

1人淋しく過ごした夜に何を感じ

守ってくれた弁護士説諭に何を感じ

はいま何を思うのか

ある日来た警察に対して君は真っ正面を向くことができたのか

そのときの親の顔を見たか

君は親の悲しみを知っているのか

1人淋しく過ごした夜に何を感じ

守ってくれた弁護士説諭に何を感じ

はいま何を思うのか

はいま親の気持ちがわかるか

君は人を傷付ける人間なのか

君は親を殺すことができるのか

人は人を傷付けて幸せになれるのか

いま君は何を見ているのか

空は何色か

人は人を愛さなければない

君は親の愛に気が付かなくてはならない

いまが君の人生の始まり

君はこれからどのような大人になるのか

俺は君に人を傷付けるのではなく人を助ける人間になってほしい

俺は君の20年後を見ている

2014-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20141013235626


でもそれじゃ、「誰もあなた翻訳から利益を得ない」よ?

なんで?てか、なんで他人がこの人の翻訳から利益を得ないといけないの?

実際、デマを後悔することによる被害のが大きいことなんてネット世界じゃ日常茶飯事なんですが?

致命的な誤訳は誰でも気づくだろう。Wikiを使えば、必要なら修正もしてもらえる。

まず、まともにそのライブラリの事を知ってる人間ならそんな今更どこぞの誰が作ったか分からん様なものは読まないだろう。

読むのは自分英語すら読めない奴。ライブラリの内容も分かってないような。

そんな奴らに訂正する能力すら無い。

自分英語を読める人なので、他人の英日翻訳ブログなどを見て、誤訳に気づいたら指摘するなどしているのだが、中には本当に身の程知らずに、まったく読めていないのに勝手日本語にしたうえで、読者に向かってとうとうと説諭してくださるタイプブロガーなどもいるので、頭が痛い。

自己紹介ですか。。。?

そして、「善意通りすがりの人が査読してくれること」を最初から期待して、South Africaを「アフリカ南部」と訳した文をアップされることは、率直に言って、大変に困った問題だ。それもコメント欄も何もなしのブログとか、ツイッターのような「言いっぱなし」の場でやられるのは、非常に困る。

知らんけど、それ、誰が困るん?お前がクソみたいなブログ読んでるから行けないだけだろ。。。

そんなクソみたいなブログ読んでる奴はお前同等糞なんだから

別に正しい情報だろうがそんなこと間違ってようが関係ない連中だろ。


で、最後に指摘だどうだこうだ書いてるけど、

その内容に「うんうん」って首振って頷くようなバカ

別に原文が書いてあってもよまねーよ、ってか読めねーよ

逆におかしいと思う奴はどんなとこでも原文読むよ。




アホかお前。

2014-10-13

原文と訳文、両方を「対訳」の形式でアップすればよいんでわ

http://anond.hatelabo.jp/20141013050506

色々考えてたら面倒臭くなったから公開するのやめとく。世に公表しなければ少なくとも誰かが不快な思いをすることはないし。

でもそれじゃ、「誰もあなた翻訳から利益を得ない」よ?

「この訳文は素人自分のために訳したものです」とはっきり書いた上で、原文と訳文を「対訳」の形式でアップすれば(それもできればwikiのようなものを使って、誰でも修正できるようにする)、致命的な誤訳は誰でも気づくだろう。Wikiを使えば、必要なら修正もしてもらえる。

There is no free lunch.

自由な昼食はありません。

無料の昼食はありません。

と直してもらえるように。

自分英語を読める人なので、他人の英日翻訳ブログなどを見て、誤訳に気づいたら指摘するなどしているのだが、中には本当に身の程知らずに、まったく読めていないのに勝手日本語にしたうえで、読者に向かってとうとうと説諭してくださるタイプブロガーなどもいるので、頭が痛い。技術分野ではなく、国際情勢などだが。極端な例だが、South Africaを「アフリカ南部」と訳すレベルでも、過去分詞と過去形混同してめちゃくちゃになったものを無理やりつじつまを合わせるために日本語で補って考えたようなものでも、平気でアップしちゃうからね。しか善意から何ともしょうがない。

そして、「善意通りすがりの人が査読してくれること」を最初から期待して、South Africaを「アフリカ南部」と訳した文をアップされることは、率直に言って、大変に困った問題だ。それもコメント欄も何もなしのブログとか、ツイッターのような「言いっぱなし」の場でやられるのは、非常に困る。

第一、すべての「誤訳」がそのように指摘されうるということは想定されえないのだ。自分はその誤訳だらけの説諭ブログは、あまりにも悲惨なことになっているので、結局、「見なければいいんだ」と判断した。そのブログが扱っている分野に関心があって英語が読める人は、だいたい、「読まないことにした」と言っている。それでも世間では「著名ブログ」だよ。

2011-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20110418002925

http://anond.hatelabo.jp/20110419230559

http://anond.hatelabo.jp/20110421222813

【追記】

タイトルに「はてサ」って書いたのは、まず一番最初、そのことが頭をよぎったかです

  

私はぜんぜん勉強してないから、ネトウヨが言っているようなことに、反論・対処をする方法が分かりません。

おかしい、ヘンだっていうのには気づけたとしても、自分の低レベルな知能では、はてサの人がやっているような主張は組み立てられないです。リアルで臨機応変に話すとなれば、それは尚更です

はてサの人だったら、この場でうまく説諭する術があるのかな? うらやましいぃぃぃぃ!!」←単純にそう考えました

  

あと、私みたいなヤツだってインターネット上で書き込むんだったら、「愛国心ってキモい」「差別はやめるべきだ」ってぐらいのことは言いますよ。しかし、現実ではちゃんと語れるだけの知識がないってことに加え、生身の相手がいるから怖じ気づいてしまうことが多くて、結局は黙っていることしかできないんです

こういう問題についても、「はてサの人はどうやって折り合いをつけるかな?」と思いました。なぜかっていうと、彼らは特に、ネトウヨ的なものに苛立っているはずだろうから

愛想笑いを浮かべながら、ふとそんなことを考えました。それでそのままタイトル採用したです

  

ちなみに、その人に見捨てられたら、もう完全にぼっちですよw

進むも地獄、帰るも地獄

ほんと重度のコミュ障なので、誰からも相手にされないし、このチャンスを逃すと、これから先いつまでか続くか分からないぐらい、一人ぼっちでいるしかないんですコメントでは「あきらめろ」「もっといい人を探せ」って言われてますが、たやすくそんな決断ができるなら、とっくにそうしてます

2011-04-17

はてサの人、教えて。 (追記あり、さらに追記)

はてサじゃなくてもいいや。保守派でも、中道でも、ノンポリでもいい。だれか相談にのってください。

  

この間、チャットを通して知り合った異性と、はじめてリアルで顔合わせしました。言っておくけど、最初から恋愛セックスをお目当てに会ったわけじゃないですよ。まずは友達として仲良くなるのが前提でした

ただ、私が隠しもってるハレンチな本音をあかすと、友達じゃなくてイチャつける恋人がほしいし、せめてセックスのお相手だけでもしてもらいたいと思ってます。まあ、それはこっちが望んでも強要できることじゃないから、今後の進展と、相手の気持ちにゆだねてますけど、それゆえ当面は友人ってことでいいから、関係を続けていきたいと考えているんです

  

以上が前置き。

しかし、私にはもう自信がなくなったんです。今ではメールがちょっと滞りそうになってます

  

こちらが非コミュだの非モテだのっていうのは問題ではありません。その人のことを、政治的にまったく受けつけないのです

趣味軍事マニアっていうか、いわゆる軍オタだったりするのは、本人がどんどん楽しく好き勝手にやればいいことだし、私もそれだけで嫌うっていうのはないでしょう。ただひとつ困ったことに、平然として言ってる主張が、まさしくネトウヨっぽいのです

愛国心がどうだとか、自虐史観がどうだとか、核武装するべきだとか、ウヨク界隈では人気のある(?)某氏を崇拝していたりとか、今のところまだ一回会っただけなのに、ご高説を聞かされてお腹いっぱいになりました

  

その人の話を聞いていて、いくらか苦痛はあったし、歯がゆくなったんです。おかしいことを言っていると分かっても、私は政治に詳しくないから、つっこんで反論したりはせず、「あー、そうなんだねー。なるほどねー」みたいに答えて、ひたすらうなずいてお茶を濁してました

幸か不幸か、差別発言まではしていなかったから、不快感が頂点に達することはなかったです。(←中国に対してはすごい不信を向けていて、現実性があるかどうか疑わしい脅威論をナチュラルに織りまぜて話していたのは、さすがに聞いていてキツかったですけど…)

  

これだけ書くと最悪な人に見えますが、政治の話ばっかりしていたわけじゃありませんし、ほかの部分では気が合わないわけじゃなく、根っこは情にあついし、悪い人じゃないと思います。そしてみっともないことですが、文頭に書いたとおり、「私がさびしいから関係を切りたくない」っていう打算もあるんです

本当に悩んでいます。皆さんだったらどうしますか?

はとりあえず、相手のことを生暖かく見守れる、おとなの余裕がほしいです。換言すれば、プライドをどぶに捨ててしまたい!  

  

  

【追記】

タイトルに「はてサ」って書いたのは、まず一番最初、そのことが頭をよぎったかです

  

私はぜんぜん勉強してないから、ネトウヨが言っているようなことに、反論・対処をする方法が分かりません。

おかしい、ヘンだっていうのには気づけたとしても、自分の低レベルな知能では、はてサの人がやっているような主張は組み立てられないです。リアルで臨機応変に話すとなれば、それは尚更です

はてサの人だったら、この場でうまく説諭する術があるのかな? うらやましいぃぃぃぃ!!」←単純にそう考えました

  

あと、私みたいなヤツだってインターネット上で書き込むんだったら、「愛国心とかキモい」「差別はやめるべきだ」ってぐらいのことは言いますよ。しかし、現実ではちゃんと語れるだけの知識がないってことに加え、生身の相手がいるから怖じ気づいてしまうことが多くて、結局は黙っていることしかできないんです

「こういう問題にぶつかったときはてサの人はどうやって折り合いをつけるかな?」と思いました。なぜかっていうと、彼らは特に、ネトウヨ的なものに苛立っているはずだろうから

愛想笑いを浮かべながら、ふとそんなことを考えました。それでそのままタイトル採用したです

  

ちなみに、その人に見捨てられたら、もう完全にぼっちですよw

進むも地獄、帰るも地獄

ほんと重度のコミュ障なので、誰からも相手にされないし、このチャンスを逃すと、これから先いつまでか続くか分からないぐらい、一人ぼっちでいるしかないんですコメントでは「あきらめろ」「もっといい人を探せ」って言われてますが、たやすくそんな決断ができるなら、とっくにそうしてます

  

  

【さらに追記】

誤解があるようなので言っておくと、私の性別は男で、相手のほうが女です

  

彼女は、おそらく、にわか作りのネット右翼ってわけじゃありません。リアルでも自衛隊と関わったりしているらしく、べつに自衛隊員とかではないんだけれども、真剣にのめりこんでいる印象を受けました

しかし、それほど躍起になって行動しているわりに、軍オタとしてぬるすぎるっていう感想です政治の話題に深入りしていないので、今のところは断言しにくいんですが、言っていることからネトウヨ臭がぷんぷんして、軍オタの好きそうな《リアリズム》ってやつが皆無でした。それならまだ救いようがあったのに…。

  

いや、とにもかくにも付き合いが浅いし、私も頭がいいわけじゃないから、何も言えないけどさー。彼女がおかしいことには気づいたんですよ…。チャットメールではそんな素振りもなかったのに、なぜリアルでこういう話を始めたのかは謎なんですが。「こいつなら無知で騙しやすそう」って侮られたせいかしら? うーん、誰か教えてください。\(^o^)/

 

くりかえしになりますが、私はその人の全部をバカにして軽蔑しているのではなく、ちゃんと会話を続けていきたいって好意も残ってます。結構親切にしてくれてるし、良いところもあるのです

また、自分にはハレンチな下心もあるので、もし彼女をことごとく軽蔑しきったとしても、それですぐ関係を切るのはもったいないと思うのです。←あっ、こういうのって低劣な考えだし、もちろん罪悪感はあります。ごめんなさい(恥)

2010-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20101201234330

それは全然「どーでもよ」くなくて、根幹部分だよ。

愛人子供産ませてまとめて囲ってる金持ち男と言うのは多数存在するという現実を知らんのか。

勿論知ってる。

今俺に絡んできてる度外れたバカは

金持ち男にはその意志も能力も無い」と言い張ってる。

バカの相手はめんどくさくてしょうがないんだけどお前から説諭してくれんか?

子供作るには結婚が「必須」だと思い込んでるのが面白いなあ。

必須じゃないさw

だが公に結婚を許すことで今より増えることは期待出来る。

現状ではなんだかんだいって「後ろめたいこと」という認識(川原乞食一門を除く)や

女側の不安やがブレーキ掛けてるからね。

2010-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20101120202704

素朴な質問なんだけど

2人の言い分を聞いて〜をするっていうのは、裁判所の機能のように思えるんだけど

警察ってそういうことできるの?

本当に泥棒かどうかは、裁判をして有罪になるまでわからないよね?


書き方が悪かった。もちろん、裁判して有罪になるまでわからない。

自転車窃盗くらいなら、警官説諭すれば犯人がおとなしく盗難車を引き渡すだろう、という想定だった。

本当に泥棒かどうか、正確には泥棒したと認められるかどうかは、裁判してみないとわからない。

はいえ、裁判所暴力装置の一部なので、全体の理論としては変わらない。

2010-03-19

長い夜を越えて、びっこを引き引き歩くということ。

振り返ってみると、私の父と母はあまり折り合いが良くなかった。だいたい顔を合わせると罵り合っていたように思う。共産党の専従だった父は実に「野党精神」旺盛な人で、家庭のことで何か気に食わないことがあると(家庭を顧みない自分差し置いて)いつも母を詰った。共産党員らしい几帳面さで問題点を洗い出して問い詰める父に、血の滲むような努力仕事家事を両立し、暮らしを支えてきた母は激昂し、時には皿が飛び交うような諍いを繰り返した。それに自分がどう反応していたのかはよく思い出せない。子供なりの頓珍漢なやり方で、父や母に何か気を使っていたような気がする。(帰ってくると笑顔でお帰りを言いに行く、積極的に肩揉みをする等)ともあれ、そういう諍いに巻き込まれるのは恐ろしいことで、彼らのご機嫌をとることが生活の指針になっていたことは覚えている。概ね幼少の頃は良い子であろうとした(客観的にはともかく、主観的には)。

父はおよそ仕事に熱中する人であったが、家庭内のことに無関心というわけではなく、むしろほんの些細な出来事にまで拘り、様々な形で命令を発し、物事を支配しようとした。家庭は彼の王国だったと言ってよい(いや、人民共和国と言うべきなのか)。彼の築いてきた学歴と自信に比して、彼の党内での立場というのは実に弱々しいものであったようで、それを埋め合わせようという願望もあったのかもしれない。家庭内のどんなものにも彼は権力を振るいたがったし、自由にさせていることであっても、不満が感じられたときにはいくらでも介入し、彼の満足行くように改めさせた。彼はまさしく闘士だった。向かう方向はまるで見当違いだったが。それでも、彼が母や子供暴力を振るうことが(記憶にある限り)さしてなかったことは、彼の美徳と言っても良いかなとは思う。しかし、彼が子供自分自我を分離できなかったことは、子供の成長に大きな悪影響を与えたと私は確信している。子供が何をやりたいか、ではなく、父が何をやらせたいか、子供が何に不満を感じているか、ではなく、父が何に不満を感じているか、それだけが問題になった。そこから子供が外れようとすれば、恐ろしい査問が始まることになる。今でも、そうやって査問を受けたときに感じた恐怖と屈辱の念は忘れられない(ただ、彼がそのように振舞わざるを得なかった背景について整理して考えると、彼を非難する気持ちはどんどんしぼんでいってしまう。結局、彼もまともな家庭で育っていないのだ)。私よりも数段優秀だった上の兄弟が某国立大学受験に失敗して、それでも某有名大学に入ったときの騒ぎなど、見ているこちらまで頭がどうかしてしまうぐらいだった。優秀であっても、努力をしても、結果は真っ黒に塗り潰されている――彼との生活から、私はそういうメッセージを受け取った。

一方、母は「みんな我慢している。楽な生活なんてない」と子供たちを叱った(今でもたまに口にする)。私は恐ろしかった。超人努力で家庭を支え、苦しみに堪え、そして報われずに生きる母の姿には、まるで生きる希望も喜びも見出せなかったからだ。正直、その言葉は、子供を教え導くためというより、家庭内で一番我慢を強いられてきた彼女自我を守るためのものだったように思う。(「私はあなたのようには生きられない」と訴えたときの母の怒りたるや、凄まじいものだった。状況に押し潰されて、意味を考える暇もなく「我慢」の結婚生活を強いられてきた彼女には、「我慢したくない」「我慢に何の意味があるのか」という主張は自分人生の否定にしか映らなかったのだろう。)そういう潜在意識の透けて見える姿で、子供たちに「我慢」をさせようとする母は、とてもとても恐ろしかった。今でも、我慢するしかない、という言葉を聞くと、自分の中で、明日へ希望が全く消え失せていくのが分かる。「明けない夜はない」でなく「明けない夜を生きていけ」という教えには、人から長期的展望を奪い、刹那的生き方へと誘導する力があるのではないかと思う。私は何か希望が欲しかった。結局縋る先は間違えた訳だけれども。

奇行が目立つ子供だった私は友達も少なく、専ら空想の世界に親しんで暮らした。願望を実現するために計画を立てて行動する、という発想もなく、誰かがいつか自分を拾い上げて夢の国に連れて行ってくれることを待ち望んでいた(当然、そんなものは実現しない)。現実に対して何か求めても無駄、何かやってみようとするだけ無駄、という無力感と、両親の叱責に対する強い恐怖感に私の思考も行動も拘束されきっていたのだと思う(流行玩具を持っていない私を不憫がって、友人が「余りをあげる」と申し出てくれたときも「両親が怒るかもしれないから」と断ってしまうぐらいには)。もちろんそのような抑圧の下にあっても、子供らしく欲しい物を求めることはあったし、客観的に見れば我侭としか言いようのない要求もしてきたと思う。だが、そうした要求を口に出すことにハードルがあったし、また、そうした要求が聞き入れられることにもまた、高いハードルがあったし、要求が聞き入れられても、「聞き入れてやったこと」の恩に応えるよう求められ続ける、というさらに高いハードルがあった。無論、共働きにも関わらず決して豊かとは言えなかった我が家の台所事情を考えれば、何でも子供の求めたものを買う、なんてことはできっこなかった。だから、ことあるごとにカネ・カネ・カネと言われたのも止むを得ないところはある。ただ、父や母の不和と、それが生み出す強い緊張感、暗黙の強い要求と支配は、子供自分自身の財産(小遣いやらお年玉やら)をどう使うか、という計画性や、正常な欲求の発達までも妨げたと思っている。どんなものに、どんな風にお金を使うのか。どう資産運用するか。どう節約するか。何に使うか。そのことについて子供の頃に落ち着いて考え、学ぶことができた人のことを、私は羨望している。もちろん、必要を感じたなら今からでもやるしかないことではある。ただ、願望や欲求の正常な発達なしに、必要性だけでそれを手に入れようとすることはとても難しい。

私は小学校から中学校に至るまで、勉強だけはよく出来た。きちんとした学習の習慣があったわけではなく、単純にそういう方面に適性があったのだろう。テストの点数以外のあらゆる要素において、私はほとんど完全な劣等生と言ってよかった(宿題は全くやらない。ノートも全くとらない。授業中に騒ぎ出す、他の生徒と流血沙汰を起こす、等々)。行動・努力することに対する無力感と、テストの高い点数が自分自身の可能性を証明しているかのような小児的全能感とのせめぎあいが、私を同級生達と比べて圧倒的に情緒不安定で幼い人間としていた。私には何の目的も方向性もなかった。自分がどんなことをやりたいと思うか、そのためにどう努力するべきか、そういう意識は全くなく、ただ目の前にある面白いことに飛びついていただけだった。中学・高校以降はさらに反抗精神が加わり、叱責されたことに対する敵意と憎悪と、命令に対するボイコットがそれに加わる。私は自分の意思が奪われることに強い憎しみを持ち、それに抵抗した。実際に論理立てて主張をするなどの一部の行動は、それなりにまともな態度だったと評価することもできるが、「私の現在未来は、彼らが自由にできる物ではない」と訴えるために、私自身の現在未来の可能性を自ら破壊したことは、実に実りのない行為だったとしか言いようがない。結果は当然惨憺たるものに終わった(せめて前者の比較的穏健な訴えが当時もう少し受け入れられていれば、と思うときもあるが、それはこういう結果を招いた私自身の責任を軽くしようという、下種な欲望の表れなのだろう。私がそのような道を選んだことの責任は免れ得ない)。

本当は、両親に何かを期待するのではなく、正確に現状を認識し、自分自身の能力でそういう状況を切り拓き、逃れ、先へ進むための方策を考えるべきだったのだと思う。しかし、私には出来なかった。自分の願望を達成するために、自らの意志で計画を練り、主体的に行動していくこと、そこからフィードバックを得て、自分自身を変革し、成長していくこと、こうしたやり方から遠く離れた生き方を選んでしまった。そのことが、今も自分人生に大きな影を落としている。そうできる可能性がなかったわけじゃない。高校時代にはそれを達成することが出来たかもしれない出来事や、出会いがあった。多分、妄想や空想でない希望があった。しかし私はそれを生かすことが出来なかった、それどころか、気付いてすらいなかった。そして、その失敗を乗り越えることなく無駄人生を続けてきた。今更そう理解することで、私は過去から復讐を受けているような気持ちに苛まれる。今からでもあの希望に立ち返って、取り戻すことが出来たなら。それがもうとっくに手遅れで、今や子供の頃に散々お世話になった妄想とほとんど変わらないしろものだと分かっていても、そういう蜃気楼みたいな希望に縋らなければ、今は前に進む気力すら保つことが困難なのだ。

だが、そうやって、取り戻せない過去に縋りつく自分の姿はあまりにも亡霊じみていて、客観的に自分省みる度に、鋭い痛みが走る。幻を支えにする自分の耳元で、お前はもっと建設的に、現実的に生きなければならない、と理性が囁く。多分それは正しい判断なのだけれども、私には、その囁きがおぞましいものにしか聞こえない。その声が、かつて両親が私を縛り付けた言葉を思い起こさせるからだ。親が私を支配し、縛るために使った言葉と、私自身が自分自身の意思と判断で下すその言葉は同じ手段を示していようと、同じものではない、理屈ではそう分かっていても、どうしようもない無力感に、呑みこまれそうになる。私は、どこにも逃れることができず、多分このまま檻の中で一生を終えるのだという確信

もちろん、わざわざ自己憐憫めいた口を利くまでもなく、こんなことは世間にありふれているということはよく知っている。私はその中の、ごくつまらない例の一つにすぎない。もっと建設的に、もっと現実的に、もっと合理的に生きなければならない。さもなければ、明確な意思と主張をもって戦い抜くか、死ぬか。私には後者をやるほどの強さがない。よりよく生きなければならない。嗚咽はどこかに押し込めて。古傷はどこかに包み隠して。自己憐憫はどこかに放り捨てて。そして如何にも楽しげに。人生を満喫しているような素振りで。きっとうまく騙せるはず。

不具合を抱えながら、私は私を騙し騙し動かしている。オーバーホールできる場所まで走り続けられるのか。途中でエンコしてのたれ死ぬことになるのか。死ぬまで騙し騙し動かし続けることになるのか。恐らくは三つ目を選ぶことになろう。多分、世間に一番多いのもそれだ。そういう人生にも、そういう人生を送る人物にも、私は価値を見出すことが出来ないが、そういう人生も、そういう人生を送る人物も、痛ましいなとは思う。恐らく、もっと苦しい状況を生き延び、自己実現を果たした人々にとっては鼻で笑うような話だろう。いや、是非鼻で笑っていただきたい。勝利はあなたたちのものだ。心から、それを祝福したい。私はその隣を、びっこを引きながらとぼとぼ歩く。時折、同じ道を歩く者同士が石を投げ合うのを見る。「不幸な自分をそんなに哀れんでもらいたいか、乞食め」と。何もかもがひどく虚しいが、そう思うことさえも、ごくありふれた、つまらなく、くだらなく、何の意味もないことだと感じる。勝者の説諭も敗者の同族嫌悪も首をすくめてやり過ごし、びっこを隠してとぼとぼ歩こう。何も無い道を歩きながら願いを呟く。私と同じ道を歩む者が今後少なくありますように。同じ道を歩む者たちにささやかでも幸せがありますように。いつか全ての人々の夜が明けますように。

2008-11-24

ちょっと違うような、というか傷つけたらダメってのでいいじゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20081123023437

> 「少なくとも体罰で傷つくことは防ごう!」

怪我をさせないってこと?それなら、傷害罪としてコンセンサスは取れてるからいいんじゃない?傷付かないレベル体罰はOKと。

そうじゃないっていうなら、体罰による何がダメで禁止のかな?

と言う事になる。これじゃあ、オリンピックレベルエリート教師でもなきゃ、とても教育なんて出来ない。(まあ、はてサは教師と児童の非対称性に反発してるんだろうから、これを受け入れない理由はないはずだけど)

言葉の力」なんて言ってる奴も居るけど、そう言う奴は懲戒的要素を含まずに、純粋説諭だけ(もちろん長時間だと苦痛だから短時間で)で指導が出来ると思ってるの?結局、懲戒して子供に苦痛を与える事で指導してるのだから、目糞鼻糞。説教にしろ体罰にしろ、所詮はどっちも「自分がこの人をこの程度怒らせる事をした」という信号であり記号であって、生身の生き物として受信が容易なのは体罰でしょう。

どうすればいいって、一時的な苦痛ではなく、心身いずれかに怪我をさせたらだめ、でいいような。

もちろん、精神への怪我ってのは難しいけど、児童心理学者と教育学者と精神科医で研究してくれ。

2007-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20070807141112

らき☆すた」って一話だけ見たけど何が面白いのか分からなかった。

ガンダム」や「エヴァンゲリオン」、「涼宮ハルヒ」とか「ローゼンメイデン」なんかを毛嫌いしていた私だけど、実際見てみると作品としてとても印象深く、根強いファンが付いている事実に心から納得したものだけれども。

そういえば私は音楽において「X JAPAN」とか「LUNA SEA」を毛嫌いしていたけれど、ライブDVDを友人から借りて見てみると、その音楽性やパフォーマンスに心底驚嘆し、当該バンドに根強い信者が付いている事実に心から納得したものだけれども、最近の「ガゼット」とか「アリス」とかいういわゆるV系バンドを”最強”とか言っている連中にはなんの共感も生まれなかった。

秀作にはやはり秀作に相応しい納得感があるものだと思う。しかし「らき☆すた」にはそれがない。「らき☆すた」はガゼットアリスと同じくらい空っぽである。カッコだけのスカスカ大根なのだ。

スカスカなものに対してヲタはなぜあそこまで情熱的になれるのだろう。おそらくそれは教養がないからである。教養とはまず過去を知ることから始まる。過去を知らないのだ。「綿矢リサ」すげー、サイコー、とか言ってる自称文学ファンに「ドストエフスキー」を読ませると必ず閉口する。「らき☆すたヲタにも同じ臭いを感じる。

そりゃ説諭したくもなりますって。

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