はてなキーワード: 潜在意識とは
きっとそうだと思う。
だからただ白いだけのひょろなが白人を「なんか尊そう」って潜在意識下では見做してるんじゃないか。
歴史的に。
そして「白は貴い」と思ってたけど色んな栄養素をゴリゴリ削ってるだけだったって科学が発展し気付いたことで
「白はそこまで尊くない」という意識に変化しつつあるのではないか。
中共がなんか自信満々なのは、白米がコメ序列の中でトップだった時代から転落し、あまたあるコメの中から選ばれるワンノブゼムに過ぎないことに気づいたからだ。
そのことに気づくには白飯を腹いっぱい食えるだけの経済力が必要だったわけで、飽きるほど白米を食った結果、「白はもういいや」って白人コンプレックスを克服したんだよ。
これを書いてだいぶすっきりした。
他の人にも(オンラインでだけど)軽く話をきいてもらって、やっぱり発散するって感情の整理に大切な行為なんだなとおもった。
それからは段々と落ち着いてきて、そろそろ猫タワーを片付けるかと思っていたところ、動物病院から電話があった。不幸があったときの支払いは別日に「ご都合の良いときに」行うマニュアルがたぶんあり、そういうことになっていたのだが、こちらとしては当然あまり近寄りたくない場所になっているので訪問を避けていた。だが、いつまでも逃げ続けるわけにもいかない。
実はその前にもフラワーサービスが動物病院から届いてたりしたんだよね。そのぶんの代金を引いて欲しいとか思ったけど、コップに移し替えたら百合の花は案外長持ちしている。つぼみを咲かせるまで保たせたい。
で、今日、支払いに行ってきたんだけど、到着してベンチに腰掛けてる間に涙腺が緩んできて困った。本当に、最近は全然だいじょうぶになっていたから、場所に潜在意識が反応してしまったんだと思う。それでまた増田に縋るというか、こぼしに来た。
これから人と遊ぶ予定なんだけど、花粉症の季節だから顔面赤くても誤魔化しやすそうで助かるわ。
ちなみに処置費用は前日の検査費と合わせてざっくり六万円ほど。
他の猫が急死したときは原因もわからず、飼い主として出来ることがあったはず、と後悔も大きかったので、これは飼い主が納得するための費用だなと思った。一方でただ死ぬためだけに6万円……と貧乏人は歯噛みするのだが、獣医師さんもボランティアでやってるわけじゃないので仕方ないですね。
保険には入っておいた方が良いラインってどれくらいからなんだろう……とぼんやり考えたが、それはギャンブルの考え方だよな……。
はーーーー、いなくなった猫のことを考えるとしんどい。
しっぽつきのロボットクッション https://shop.qoobo.info/ が販売されるとのことで飛びつきそうになったが、発売日が秋口とのことで堪えた。
焦点が定まっていなければ、目的を見出せない、意識を向けるべき先がわからないからだ。それは意識の仕事である。
潜在意識は意識の命令を待っている。潜在意識にどのように命令するか、指令を出すことが個人の重要事となる。潜在意識のような受動的な人のなんと多いことか。実はそれが自然なのかもしれない。受動的な人が多いということは必ずしも悪いことではないのだ。それが実は自然な姿なのかもしれないのだから。
目標や目的が明確でなければ意識を向ける方向がわからない。意識を向けるべき先が分からなければどうでもいいことにまで意識が向いてしまう。結果煩わしい日々を過ごすことになってしまう。それが幸せの道とは考えにくい。
自らの生きる指針を定めることによって、捨てるべきもの、捨てなければならないものが見えてくる。全てを手に入れようと欲張るのは誤りである。いかに不要なもの、重要でないものを捨てるかが鍵なのだ。
自己肯定感が低く、めんどくさい性格の男で、正直自分ほど性格的にダメな男は刑務所にしかいないと思います。
それなのになぜかいい友達ができて、みんな自分を優しい人だと言ってくれます。
自分は優しくするために、というか嫌われないために、自分のめんどくさい性格を我慢し、言いたいことを抑えて、やりたいことも抑えて、相手優先でしてきました。
好きな女の人の恋愛相談を受けて、恋を実らせる寸前まで行ったこともありました。
自己肯定感が低いので、嫌いではないかといつも不安で、それを確認したい気持ちがたまります。
それがたまって、弾けてしまい、結局好きな人ほど友情が長続きしません。
自分を変えなければいけないのは分かっています。自分を受け入れるということを何度もして、潜在意識とやらを使ったり、何度もポジティブな言葉を唱えました。
しかし、そんなことをするほど、精神が壊れていきました。理想の自分になれず、結果もでないのに、ひたすらポジティブになるなんて、狂人にしかできません。
自分は、変われません。
ここに書けないぐらい、めんどくさい性格です。めんどくさい男に彼女なんてとてもできません。友達すら最終的にいなくなるのですから。
自分は、人と関わってはいけない気がしてなりません。人を愛せば嫌われるのです。
ここに書いてあることは、自分の素直な気持ちですが、もしそれが世間と大きなずれがあるなら、病院に行きますのでいい病院を教えてください。
ムームービーの内容に関しては散々言われてるので置いといて、"牛乳石鹸"を叩く男は実際に家事育児分担なんてしないから結婚したら苦労するよって話をする。
共働きなのにこの男はゴミ捨てくらいで不満なのかとか誕生日に飲んで遅く帰ってくるとかありえねー!奥さん可哀想〜
と同じ口で
石鹸みたいな消費財の買い置きって、奥さんがスーパーで買っておくケースの方が圧倒的に多いよね?パパが自分で石鹸だけ買いに行くか?(行かないよ)ちゃんと市場調査やってんのかしら、電通。ターゲティング失敗してるぞ。と
え。石鹸の購買決定者は母親なんだからってさ、家事は女がやるものっていう潜在意識なら父親は仕事できてりゃいいじゃん。なんで叩くの?
というのも、彼らの主張する
今の時代共働きが普通で男も家事育児分担すべきとは"意識"のことであって、行動に起こすことではない。
・男の領域であった職場を(自分達が脅かされない程度に)譲ってやるし、男女平等だから(自分の食い扶持くらいは)稼いでいい、応援するよ(本当に応援だけ)
・女の領域のケア労働はそのままだから日常生活の家事育児は妻がやるもの。行動ベースではこれ。
ここから本題で、
女性は妻も働く=夫も家事育児やると考えがちだけどそれに同調する男は牛乳石鹸をボロクソに批判しない。
だって仮に(結婚相手の)男性が分担を考えてたら、育休1年に時短2年くらい取らなきゃいけない。これを今の日本で心の葛藤なしに決断できる男性がいるのか。世間の目と、無理解の上司と、同期が昇進することを想像しふつふつと湧いてくる焦りを幾日もかけて洗い流さなきゃ決心できないだろう。真剣に考えている男性は新井パパと種類は違えどなんらかのジレンマを抱えていて、ムービーを見れば心が揺さぶられるはずだ。
苦悩を一蹴できるような彼らはあくまで思想を持っているだけで、当事者意識を持ってがっつり分担を考えているわけじゃない。だから新井パパへの要求が高い。育児も介護もやらない奴に限って理想で語り少しでも粗相をすれば叩く。他人事だもん。
やたらと"誕生日なのに"飲んで遅く帰ってくることを批判するのもポイントだ。365日子供の世話してたら仮に誕生日を祝えなくたって子供は傷つかない。364日一緒に遊んでもらってるからね。だからムービーの誕生日にこだわる男は育児の楽しい楽なところだけやる似非イクメンの可能性大。似非に限って要所要所イベントはガッツリ押さえにくる。これ見よがしに子供の誕生日なんで有給取りますと吹聴して回る。本当に育児してたら急病とか行事で休まなきゃいけなくて、生命線である有給なんてもったいなくて取れない。
ゴミ捨てをクローズアップするのも同様で、(分別されまとめられた上で)ゴミ捨てなんて家事のパーセンテージでいうとほぼゼロで、ちゃんと家事をこなしている男性なら気にならずスルーするレベル。しかし家事時間が短い(予定)男性にとっては存在感あるからやたら突っかかる。楽なタスクだと理解してるから、それを引き受けて家事してるって言いたいんだよね。彼らが考える数少ない家事だから流石にそれを嫌がる新井パパやばいね!ってだけ。
これ結婚して一緒に生活しないと中々発覚しないらしい。しかもタチの悪いことに外にはリベラルな俺で通ってるから文句言っても他の男より手伝ってると反論され、他人に愚痴ってもあんな素晴らしい旦那さんなのに!と非難轟々。味方いない、離婚しても責められるの自分だから、よく考えて。
潜在意識使ってやりたいように生きるって決めたのに
もう疲れちゃったよ
全然楽しくない
変わりたいから潜在意識使って何もかも思い通りにしようと思ったのに。
めんどくさいなあ。変わりたいけどもう変わりたくない
何もしたくない
思考止めるのもしたくない
私が勝手に外に出てるって頭ではわかるけど
めんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさすぎ
それでも諦めるなんて絶対嫌だけど。
やり通せないだろうけどそれでもいいや
でも何もすることないなんてつまんないなあ
すぐ飽きるし
何がどうしたいのかもよくわからないなあ
そうだ、吐き出して楽になりたかったんだっけ
どうでもいいや
思考するだけアホなことしか思いつかないと改めて思い知ったわ。
思考止めてるとき不安が全く感じないしできる、としか感じないんだから
考えるだけ無駄、止める止める止める。ただ止める
私の全てを潜在意識にあげるよ、好きにしてくれ
久しぶりに近況報告でもしようかと思います。てか初めて。
旅の思い出をここに残したいので長文になります。
長文を読むのが苦手な人、センター国語を切り抜けたあなたなら大丈夫です。
え?切り抜けてない?ドンマイ。
まぁ徳島は行ってないんですけど75パーなんでほぼ一周です。
そこで入った温泉が最高でした。
あつい。あついよあんちゃん。
だからずっと快感の顔つきではいってるおじばあちゃん(※おじいちゃん+おばあちゃん)がホント不思議で理由をググってみた。
熱くなったら冷やす。
そうか。なんとシンプルなんだ。
早速試そうとおもった。
でもプールとか海って足まではいけるけど腹らへんから「あヒィ冷たい」ってなってなかなか入れないじゃないですか。
とくに水風呂は。
あったまりに来てんのに水風呂ってなんやねん潰すぞ。って今まで思ってました。
22年間そう思ってた僕が思い切って入るのはクリスチャンがイスラム教に改宗するのと同じくらい難しかった。
だからほんとに入るのには5分位費やしたんです。
でも冷静に考えて死ぬわけじゃないんだから大丈夫と言い聞かせてこの凍えそうな場から離れたい衝動を抑えていると体が慣れてくるんですよね。
で、ある時を境に普通に感じてくる。
プールとかと一緒。
だって、
そして一番でかいのが
のぼせかけたら冷やしてリセットできること。
昔は「あぁーあついもうやだ二度とこない出る」ってなってたのを冷やして元に戻すことができるんだから。
食べ放題で満腹になったあと腹の中全部空にしてまた食べれるようになるのと一緒。
チートでしょ。
それが水風呂なんです。
よく見るとあのおじばあちゃん
彼らはこのチートを知ってたのです。
なぜですかね。説明会でもあったんでしょうか。
だって行けなかったところに行けるようになれるんです。
ゲームでいうといけなかったステージに行けるようになったあの感覚。
ポケモンで言えばいあいぎりを覚えたようなもんです。
そういや、よく東南アジアに行って価値観が変わったとか言いますよね。
まぁ10万ちょっとで価値観が変わるならコスパいいかなとは思うんですが
私は今回300円(温泉安い☺)で価値観を変えることができてるんです。
大変お買い得。
え、ほんとに。
水風呂マスターのコツは、「冷たくても死なない、死なない」って心の中で唱えることです。
僕は個人的に水風呂が冷たくて生命の危険を無意識に感じ取ってたので。
こういう潜在意識?に向き合っていくことでやりたくない、怖いって気持ちが消えると思います。
四国は、
がよかったです。
😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇水風呂最高なっしー😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇😇
自分を知らないことは往々にしてデメリットばかり注目される。が良い面もある。
二面性があるのだ。
実際、知れば知らない自分よりは幸せになることはできる。ただ、そこで失うものもある。それは夢である。くさい話であるがそうである。
自分を知らないものは、自分では叶いそうもない夢を追いかけることができるのだ。それは自分を知らないからである。夢を追いかけるか、幸せになるかは選べるが選べない。というよりは、それは潜在意識が選ぶことではないだろうか。
自分がなにものかわからないのであれば、何かを追うべきである。その指針は潜在意識が示すものである。別にわからなくてもよいのだ。
他にも自分がなにものかわからないというものに得られるものがある。それは人を見る目が養われるという点である。
自分がなにものかわからないので、他人を分析して比較して自分を探すのだ。その過程でその力は得られる。
自分がなにものか知っている人は自分の強みを知ることができる。
「ここではない、どこか」を追い求めている。
そんなものは存在しない。なぜならばそれはユートピアという名の何もない世界だからである。
「二面性」
逆に
ただ、認識できる、できないではなく、ある、ないでもなく。その中間の世界が存在する。人はそこをユートピアと呼ぶ。
そしてそこを目指すのだ。
暫く休め。
体と心が休まれば、喜びに気づくことや、不快に向き合うことができるようになるから。
調子の悪い時に考えても、いい答えはなかなか出ないよ。
休みながら長い時間をかけて内面に向き合うと、心が鎮まり充実感が湧いてくるよ。
内面が充実し、それなりの健康と最低限の衣食住があれば、「生きる意味」や「幸せになる条件」に頼る必要がなくなる。
というか、この充実感が生きる意味とも言える。
人生経験の中で大きく変わることがあるから、「本性は狂犬」なんて考えないほうがいい。
頭が理解する"理屈"とは無関係なことで、腹の底の衝動は変わるから不思議。
頭で考えることが多いなら、気分を変えて様々な自然を感じることをお勧めしたい。
雄大な自然でなくても、よくある木や石にも人を癒す力があるよ。
癒されれば、あなたの言う「何をしてほしいのか考えてうまくいくのが楽しかった」という実感に
既婚子無しロスジェネ女の、ある種のグチ。
実力を買われ、数年前からプレイングマネジャーとして「部下」が数十人いる。「部下」の半分は年下、残り半分は年上の社員だ。世間でもブラックと認知されている業界なので、多くの女性は耐えきれず、年齢とともに離脱していく。なので業界歴の長い年上の社員たちは、大半が男性だ。
私の年上の「部下」たちは、団塊ジュニアからバブル世代まで。正直なところ、ついこの間まで先輩だった彼らの「上司」として振舞うことに、初めは馴染めず、戸惑っていた。しかし、人間は慣れる。最近は、相手に年長者として一定の敬意を払いつつも、こちらの要求ははっきり伝える「コツ」みたいなものを身に付けた。もちろん、慣れたのは私だけではない。「部下」の方も、自分を追い抜いていった小賢しいブスを「上司」として扱う忍耐を身に付けた。プライドの一部を犠牲にし、会社員として組織の決定に従った。当たり前のようで、なかなか辛い事だったろう。彼らには、その点で感謝している。
問題は、最近加わった「年上の部下」である。「自分より若い女」に追い越されたという実体験を持たずに、女がリーダーの組織に後から付け足された若めのオッサンである。彼らは、もれなく「年下の女上司」を舐めている。あからさまな態度でなくても、彼らの潜在意識から「年下女の言う事なんて聞いてられるか」という嘲笑が滲み出してくる。厄介なことに、彼らは女を蔑視しているつもりは全くない。ごく自然に悪意なく「女の言う事に聞く価値はない」という態度を垂れ流してくる。
そんな態度を取られては正直残念だが、業務に支障がないなら私も我慢できる。私のミッションはチームの業績を上げる事だから、多少腹が立つ態度でも、結果を残してくれるのなら何とか目を瞑ろう。しかしながら、「年下の女上司」の忠告を聞かないオッサンは、顧客のニーズを汲み取るのも下手だ。人の言う事も聞かず、人に尋ねることもせず、顧客に的はずれな提案をして白けさせた挙句が「教えてくれないから」とはどういう事か。何か、お前のその下らないプライドを慮って私に上手く立ち回れと言うのか。
まあ、私は業績が大事だから上手く立ち回って、オッサンのクソみたいなプライドを真綿に包むようにしておだて、何とか上手くやれるように気を使ってやる。オッサンが私のお陰で上手くやれて、それをあたかも自らの実力と機転かのようにふれて回るのも、黙って生温かく見守る。オッサンが何の役にも立たないプライドをギンギンに膨らませて気持ち良く仕事が出来るように、あくまでも目立たず、さりげなく、頭下げて這いつくばって地ならしをしてやる。
でも、オッサンがニヤついて些細なお手柄に酔ってる間に、彼らには出来ない大胆で繊細な決断を下してビジネスを牽引するのは、オッサンより若くて優秀な女の私だ。奴らより稼いで若手を養い、経営を安定させ、雇用を増やし、業界を良くするのは私だ。
私にとって出世はもはや、ミソジニーに対する復讐みたいなものだ。彼らが絶対に追いつけない所まで行ってやろうと思う。そして、邪魔なだけの彼らのプライドを、いつか根元からへし折ってやりたい。はるか上の方から、小さな石を投げる。石は小さいが、重力で加速し、想像を超えた破壊力が生まれる。オッサンのプライドに当たると簡単にぽっきりと折れ、オッサンは二度と立ち直れない。そんなシーンが見られる日を楽しみにしている。
わんわんを飼っていて仕事の取り合いになった結果、わんわんは1階(主にリビング)、僕は2階(主に自分部屋)を警備することにした。
業務内容はいたって簡単。なんとなくの1日を過ごすだけである。
そんな自宅警備をしていて悟ったことを書いていこう。
本を読むことに意味はない。経験こそ全てである。ただ読むべきものもある。それは「読みたいもの」だけである。読まなければいけない本は存在しない。あるとすれば自伝。
・将来に夢を抱いて突き進む人
である。
やりたいことやりたくないこと問題
自分のできないことをやりたくないからと投げ出す人がいる。端から見れば、傲慢で自己中心的な人間であるし到底理解できない。だがしかし、やりたくないという人は存在する。やりたいと言ったから、やらせたのにやっぱりやりたくないという人もいる。それは実際やってみたら思っていたのと違っていたからである。だがしかし、見えない責任のようなものを投げられる。
自分とは違うという人も、同じである。とても冷酷であるという人も。あなたもその立場なら同じことを考える。何を思うかは、その人の立場と状況だけによるものである。
人は他人のことを思う人に寄せられる。なぜならば、自分のことを知ってほしいからである。他人のことを考える人が好きとうのはつまり、自分のことを考えてくれる人であって、極めて自己中心的である。
男は強さを求め、女は美しさを求める。そして、それを得られぬものは優しさが与えられる。それはあくまでも、手に入れたものでなく与えられたものであって、何の価値もない。
手に入れたものに価値があり、与えられたものに価値がないのは、能動的か受動的ということである。能動的に得たものとは自分の欲しいものである。受動的に与えられたものは望んでいないものである。欲しいものにこそ価値がる。なぜならば潜在意識と意識の距離が近づくからでる。自分というものに出会うきっかけである。
だがしかし、ここで得られた価値のある自分は本当の自分ではないため、価値はあるが意味はない。
受動的に得られた、価値のない自分こそが意味のある本当の自分である。
他に自動車もいない夜道を飛ばしてたら、急にほらほらちょっとハンドル切れば全部楽になるよ大丈夫あの橋げたに向けてとりあえずやってみようよ大丈夫だからという考えに取り憑かれ、気づいたらしない、しない、しない、と叫んでた。今にも腕が勝手に動きそうで本気で怖かった。
うつ病になったことがあるものの投薬が終わって5年経ってる。希死念慮もこの1年くらいでかなり薄れていたのに、潜在意識に埋もれてたんだろうか。
でもさっきのは別に死にたいと思ったわけじゃない。むしろ嫌だ死にたくないと思った。そしてその状態は起きたときと同じく突然去った。
オカルトは全く信じないけど、あの区間に何かあったのかもしれない、と思いついてまた怖くなった。それくらい不気味な体験だった。また病院に行った方がいいのかな・・
当方は夫で夫婦でそろそろ40って感じで子供は2人。俺が言うのもなんなんだけど奥さんはかなり美人。
結婚前から毎日オナニーしてたし俺は毎日でもHしたいんだけど、ほぼ断られる。
なんか同僚とかが話してる週1とかのペースまじ信じらんない。どうやってんの?うちは多くて2か月に1回だし約1年開いたこともある。
1. やだ
2. お風呂に入ってない(疲れて次の日の朝入ることが多い)
3. 月のもの
こんな感じで、基本的にはなんかこうお膳立てがないというか、雰囲気がそうじゃないのにHに突入するのがいやなんだそうだ。
わかるんだけど、奥さんは早起きして上の子の弁当つくってて、日中は小さい子の相手と家事でくったくたになって、そのあと夜にそうなるのってほぼ無理ゲー。
だから俺がなんとなく無理やりキスしてるうちにー、とか、布団の中に隠れてて寝にきた奥さんにいきなり襲いかかったりとか、そういうノリでなんとか押し切る感じで夫婦生活を始めてる。
それはそれで奥さんもまんざらじゃない……、みたいのはほぼなくて時々マジで切れられてしまう。泣かれたこともある。ごめんなさい。
ただ、そうしなかったらHに至れる気がしない。
真剣な話し合いもしたし、私はもともとH苦手だから浮気してくれてもいい。しょうがないと思う。みたいに言われたりしたけど、いやそうじゃなくない?
行為にさえ突入すれば、嫌がってる様子はないと思うし、普段はろくに触らせてくれない美人の奥さんが俺に体を許してる、って思うと本当にすごい興奮する。
めったにHできないから、性行為がマンネリで、みたいな悩みはまったくないし、Hしたい一心で奥さんの負担を減らすためにあれこれ腐心してるし、これはこれでいいのかもしれない。
追記)
いろいろアドバイスなどありがとうございます。
Hを早く終わらせたいっていうのは、俺がそう感じなくてもぜったいあると思う。ただ、奥さんの場合、次の朝はやいとか、そういう心配があるならしない、というスタイルなのです。
今書いてて思ったんだけど、奥さんもともと体弱いし、Hの次の朝しんどくて起きれないとかわりとある。
Hに至ればいやじゃなさそうなのは大丈夫?っていうのは直接的、間接的にそうとう確認したんだけど、本人曰く性的快感に乱れるのが恥ずかしくて自分を嫌悪してしまうとか。
たしかにご両親が性に対して相当保守的な方々で、奥さんをみてると端々に潜在意識まで教えというか躾が染み付いてる感じがする。下ネタにすごく拒絶反応でるとか。
なので、子供寝てる横でキスするだけで嫌がる。だからいつそういう雰囲気になってもいいように今日は!という夜は別室に布団しいて避妊具用意してる。まあ99.9%空振りなんだけど。
というわけで俺本人が嫌がられてるわけではない、はず。友人たちからも子供からも仲良しすぎるっていわれるくらいだし、奥さんも俺が仕事やすんでデートとかするの喜んでくれてる。
俺がひとりでゲームしてるとくっついてきたりするし。その延長でついその夜に体を求めたくなるのが俺で、あー嬉しかった!で終わるのが奥さんって感じかなあ。
奥さんが泣いてしまうのは、Hそのものが嫌というわけじゃなくて、ほぼ俺の無理解が悲しいという理由。今まで5回ほど、だいたい2年に1回起きてる。
なんで俺がそうしてしまうかというと、基本100%だめって言われるので、もうちょっと探りたい、もうちょっとだけ!って感じで、いつの間にか一線を越えてしまう感じ。
申し訳ないです。
疲れて布団に入ったものの、仕事の考え事や家族の生活音でなかなか寝付けなかったときのことだ。
それは眠りにつく直前まで考え事をしていた内容で、ある種その解答とも言えるものだった。
しかしそれが他人から語りかけられたことによって、目から鱗が落ちるような感動がありつつも素直には納得ができずに、同時に懐疑的に構える自分を自覚した。
ところが、その直後、家族の生活音によってわたしは突然夢から現実に引き戻されてしまった。
先程他人から語りかけられた考え事に対する解答とも言える内容は、眠りに落ちる直前にまさに自分が思いついたものだということを思い出したのだ。
しかし、それが夢の中では眠りに落ちると同時に自分が思いついたという記憶はすっかり忘れ去られていた。
その上で、それが突然他人によって語られた情報として自らに届けられることになったのだ。
たまたまその直後に現実に引き戻されたおかげで、偶然自らが思いついたことだという記憶を取り戻すことができたが、もしこのまま夢を見続けていれば、その情報は夢の中の第三者から与えられた情報として自らの記憶に定着していたことだろう。
一種の恐怖とも思える事柄だが、それ以上に興味深いものでもあった。
例え素晴らしいと言える考えだったとしても、ひとまず疑ってかかるのが性というものだ。
その証拠に、腕の立つセールスマンや宗教家が答えを口にせず、そこに辿り着くしか無い情報だけを提供して自らが答えに辿り着いたと誤解させることで、巧みに人々を操ることはよく知られていることだ。
自らの発見にポジティブでなくては行動ができなくなってしまうのも、他社の発見に対して素直に従えないのも、生存を目的とした生物の宿命と言ってもいいだろう。
もしその前提が正しいとするのであれば、この仕組みは実に理にかなっているものかも知れない。
顕在意識の中で発見してしまったものは、記憶が明確である以上、自らの発見であることを否定することは困難である。
しかし、そもそも記憶が曖昧な潜在意識の中で発見したものであれば、自らが発見したという記憶を、仮想の第三者が発見した情報だと書き換えることはそれほど難しいことではないだろう。
そうしてその情報が、例え仮想であっても第三者から届けられるということで、自らが思いついたときよりも冷静に吟味することが可能になっているのだ。
こうした機能を持つ生物と持たない生物とがいて、どちらが生存に適しているかは言うまでもないことである。
そこまで考えて、この出来事を掘り下げていけば人工知能に夢を見させることが可能ではないかという仮定に行き着いた。
そもそも人工知能に夢を見せる必要があるかという疑問があるのは確かだが、しかし、情報を自らの発見と第三者からの発見とで受け取り方を変えるとした上で、さらに自らの発見の一部を第三者からの情報として吟味し直すことができれば、より人間的な思考に近づいたと言えるだろう。
僕が普段女の子と会話する際に気をつけているポイントやテクニックを書きたいと思います。
皆さん僕に感謝してください。
これらが実践できれば、意中の相手とアンナことやコンナこともできるでしょう。
それでは始めてイキます。
女の子と会話中、「そういえば水素水ってめっちゃ健康にイイんだって!知ってた?」と言われることがあると思います。
この時、「ああ、知ってる知ってる、今話題の水素水やろ?」なんてことは間違っても言ってはいけません。
例え、あなたが水素水に物凄く詳しくても知らないフリをしてください。
なぜなら女の子はあなたが知らないと思っていることを得意げに言っているからです。
そこで「知ってる」だの「イヤ、水素水が健康にイイなんてデタラメやで」と論破しても「な~んだ、知ってるんだ。チェッ」と相手の気分が悪くなるだけです。
ですので正解は「えぇ~っ!知らんかった!マジでそれヤバイな!ってかそんな事どこで知ったん?」です。
こう言えば相手の気分は良くなりますし、「これはね、○○に載ってだんだよ~」と少し会話も広がります。
ただ、注意点が一つあります。
誰でも知ってるようなことを言われた時です。
こういう時に知らないフリをすると、学のないただのアホと思われるだけですので、そういう時は
「さすがにそれは知ってるわ!逆にそれ知らんかったらアホすぎやろw」が正解です。
僕は普段女の子と会話する時に”嫌い”という言葉を使いません。
嫌いという言葉を何度も言われると、潜在意識に刷り込まれ、例え自分のことではないとわかっていても
無意識のうちに脳は「ああ、この人は私のことが嫌いなんだ」と解釈してしまいます。
そうなったらもう手遅れです。
ですので、嫌いの代わりに”苦手”や”好きじゃない”という言葉を使いましょう。
聞かれてもないのに自分から「オレは昔こんなすごいことしてたんや」とか
「今日仕事でこんなことあったんやけどさー」とか言ってはいけません。
よっぽど仲の良い間柄ならまた別ですが。
こんな事を言われても女の子はどう返したら良いかわからないですし、困るだけです。
聞かれてもない事を言っていい時は鉄板の爆笑ネタがある時だけです。
「接客態度が悪い」だの、「あいつはしょうもないヤツ」だの愚痴や批判ばかり言う人ってよくいますが、
ですので、心当たりがある方はせめて女の子と会話する時だけは言わないようにしましょう。
どうしても言いたくなったら、一人鏡に向かって思う存分ぶちまけてください。
批判していいのは、女の子が何かを批判した時に同意して乗っかる時だけです。
僕はよく女の子に「誕生日覚えててくれたんだー♡」や「そんなことよく覚えてるね!」と言われます。
ですので、女の子と話してゲットした情報は全てメモを取ってください。
紙でもいいしアプリを使ってもいいです。
僕は女の子と電話する時はEvernoteを開いて逐一メモを取っています。
さすがに実際に会っている時にメモは取れないので別れた後に思い出して書きましょう。
そして会話中、自然なタイミングで「あの時、○○って言ってたもんなあ」などと覚えていることを伝えていきます。
大抵の場合、相手が質問してくる内容は自分にも聞いて欲しいと思っています。
ですので、例えば女の子が「どんなタイプの人が好き?」と聞いてきたら、
簡潔に素早く答えたあとにすぐ、「○○ちゃんは?」と聞き返しましょう。
あなた「うーん、そーやなあ、何やろ、えーっと、○○で・・・あとは・・・んー、○○で、○○な人かなあ・・・・・・。」
女の子「そうなんだあ」
で会話が終わることです。
ダラダラ話して、質問も返さないこのパターンは一番やってはいけません。
会話で聞かれることは大体決まってますので予め答えを用意しておいて簡潔に答えた後、すぐ同じ質問をし返しましょう。
そうすると女の子は嬉しそうに話してくれますし、話も広がります。
僕はたまに「こんなに喋ったのに○○くんのことまだ全然知らないんだけど!w」と言われることがあります。
これは最初の方に書いた「聞かれてもない事を言わない」ことと似ています。
自分を知ってほしいと思い、ベラベラ自己紹介の如く喋る男性がいますがそれは厳禁です。
自分のことを喋りたいし、聞いてほしいし、愚痴も言いたいし、それに同意してほしい。
ですので男性がベラベラ喋ってしまうと女の子は楽しくありません。
会話の量は女9、男1くらいで充分です。
適切な相槌、ボケ、ツッコミができていれば、この会話量でも会話は盛り上がります。
その時に自分のことを少しずつ喋っていけばいいです。
少し謎めいてた方が魅力的に見えます。
自分が相手に何か話をした時に笑ってくれたり、リアクションがイイと嬉しいですよね。
ですのでリアクションは必ず取らなければいけないですし、少し大げさくらいがちょうどいいです。
女の子が悲しい話をしてきたら一緒に悲しんでください。
あるいは、全く面白くなかったら超眠たそうな顔をして「ちょっとは笑ってよーw」とツッコまれるように仕向けるのもありですし、
「1ミリもおもろないでw」とSっけを出してもいいでしょう。(相手や仲の良さによる)
リアクションに関しては外国人のように身振り手振りで表現してもいいですし、
テンションコントロールや、次に説明する相槌でもうまく表現することができます。
相槌が「うん」や「そうなんや」ばかりだと、本当に聞いてるのか相手に伝わらないですし、
ですので、相槌は色んなバリエーションを使っていきましょう。
「えー!」「マジで?」「嘘やろ!?」「嘘やん!」「うそーん!」「そんなことある?」「さすがにそれはないわ!」「バリひどない?」「それでそれで?」
「うわっ!」「うげー!」「うひょー!」「あちゃー」「やってもうたな」「たしかに」「わかる」「よかったやん!」
これらを適切に使うことで会話のリズムも良くなり、
基本的に女の子はツッコまれるのが大好きです。(2つの意味で。。。)
平凡な男性ならそこで「大丈夫?」と声を掛けますが、これは不正解です。
正解は「え?w今コケるような所あった?w」です。
こう言うことで女の子は恥ずかしそうに「無かったけどw」と言いながらモジモジします。
会話中に女の子が噛んだら、流さずに「え?wなんて?w」と即座にツッコみます。
要は日常生活で起こる些細な出来事を見逃さず瞬時にツッコんでいくことが大事になってきます。
以上、非モテ男のための女の子との会話テクニック10選でした。
参考になりましたら、「感謝します」というコメントを添えてブクマしてください。
よろしくお願いいたします。
それは誰の目から見ても歪で理解不能で人前にさらせないモノのなので、
私の潜在意識は蓋を固く閉じる。
だが、そんな歪な自分を傍において、様々な角度から照明を当てて
過去にSNSというこの時代の発信方を通して様々な人間と関わってきた。
それぞれが光を一切見失いそうな闇を隠し持って当たり前のように生きていた。
『 お前も人殺しなのか?』と問われることもあれば
親に捨てられた過去に縛られ、妻子と家族団らんの時間が辛くて耐えられないのだと、
大方、一般の人間には理解できない苦しみを訴えてきている人物もいた。
嘘か真実か知る由もないが、明らかにそういった闇をかかえた人間はこの世に五万といるだろう。
誰もが人に言えない秘密を幾つか胸の内に抱え
それを隠すことは何よりも大切な生きる上での処世術であるがゆえに
隠す技術を磨くことばかり、巧みになっていく。
それでも、薄汚れて懸命に何かを掴もうとしていた愚かな自分を受け入れて
常に傍らに置きたい。
そう思えるのは、SNSで今まで関わってきた男達のおかげだ。
人が一生の中で手にできる事は限られている。
光が欲しくて、闇に手を伸ばす人間の弱さを私はもう笑うことは出来ない。
友達との別れ際、「バイバイ、また明日。気をつけてね」とお互い手を振って、ひとりになったとき。
おっちゃんと世間話をして、女子高生だからオマケしてやる、と言われたとき。
「女子高校生」というブランドがあるから、良い意味でも悪い意味でも特別扱いされる。
「女子高校生」には、未来に希望があって、無限の可能性があって、時に大人の扱いを受けて、時に子供の扱いを受けて、「若いからお肌がピチピチね。大人になるとどんどん衰えていくのよ」なんて脅しに近い自分語りをされて、とにかく「女子高校生」は特別なのだ。
実際はただの通過点でしかないのに。
それでも世間にとって「女子高校生」は特別だ。そんな特別じゃない、と思う人もいるかもしれないけれど、大多数は「女子高校生」を潜在意識的に特別扱いしている。最近話題になったオリンピックの閉会式の映像、一番最初にうつったのは女子高校生だ。良くも悪くも女子高校生が日本のシンボルといっても過言ではない。いや過言か?
わたしはそんな「女子高校生」というブランドを背中に貼っつけて、いまを過ごしている。
「女子高校生じゃなくなったらどうなるんだろう」
「女子高校生というブランドを抜いた自分には何が残るんだろう」
「女子高校生だから許されていたことも許されなくなるかもしれない」
「女子高校生を羨む日が来るんだろうか」
そんなことを、時折考えながら。
そんなこと考えてなにかが生まれるわけでもない。そんなこと考えてる暇があったら将来のための行動をすればいい。
そんなことはわかっているし、不安になるときは、半分のわたしはいつだって冷静だ。
ただの通過点だ、ウジウジ考えていないで行動しろ、という、半分のわたし。
周りの大人がわたしに今求めていること、わかっているつもりだ。
わかっているからくるしい。
匿名はてなにこんな文章を書いていること、それは求められていないこと。
考えすぎないで、肩の力を抜いて、それなりに頑張って、それなりに期待に応えればいい。わかってる。
くるしいくるしいと言ったって、誰も助けてくれない。みんな自分のことで精いっぱいだ。自分の世界の主人公は自分だけど、共通世界の主人公はわたしだけじゃない。
くるしい状態を打破するにはどうすればいいのか、考えて、行動すればいい。
わかってる。どうするべきか本当はわかってる。