わんわんを飼っていて仕事の取り合いになった結果、わんわんは1階(主にリビング)、僕は2階(主に自分部屋)を警備することにした。
業務内容はいたって簡単。なんとなくの1日を過ごすだけである。
そんな自宅警備をしていて悟ったことを書いていこう。
本を読むことに意味はない。経験こそ全てである。ただ読むべきものもある。それは「読みたいもの」だけである。読まなければいけない本は存在しない。あるとすれば自伝。
・将来に夢を抱いて突き進む人
である。
やりたいことやりたくないこと問題
自分のできないことをやりたくないからと投げ出す人がいる。端から見れば、傲慢で自己中心的な人間であるし到底理解できない。だがしかし、やりたくないという人は存在する。やりたいと言ったから、やらせたのにやっぱりやりたくないという人もいる。それは実際やってみたら思っていたのと違っていたからである。だがしかし、見えない責任のようなものを投げられる。
自分とは違うという人も、同じである。とても冷酷であるという人も。あなたもその立場なら同じことを考える。何を思うかは、その人の立場と状況だけによるものである。
人は他人のことを思う人に寄せられる。なぜならば、自分のことを知ってほしいからである。他人のことを考える人が好きとうのはつまり、自分のことを考えてくれる人であって、極めて自己中心的である。
男は強さを求め、女は美しさを求める。そして、それを得られぬものは優しさが与えられる。それはあくまでも、手に入れたものでなく与えられたものであって、何の価値もない。
手に入れたものに価値があり、与えられたものに価値がないのは、能動的か受動的ということである。能動的に得たものとは自分の欲しいものである。受動的に与えられたものは望んでいないものである。欲しいものにこそ価値がる。なぜならば潜在意識と意識の距離が近づくからでる。自分というものに出会うきっかけである。
だがしかし、ここで得られた価値のある自分は本当の自分ではないため、価値はあるが意味はない。
受動的に得られた、価値のない自分こそが意味のある本当の自分である。