2017-06-18

今日1日、外に出なかったので悟ったことを書いていこう

今日自宅警備員として24時間働いた。

わんわんを飼っていて仕事の取り合いになった結果、わんわんは1階(主にリビング)、僕は2階(主に自分部屋)を警備することにした。

業務内容はいたって簡単。なんとなくの1日を過ごすだけである

そんな自宅警備をしていて悟ったことを書いていこう。

本を読むことに意味はない。経験こそ全てである。ただ読むべきものもある。それは「読みたいもの」だけである。読まなければいけない本は存在しない。あるとすれば自伝

世の中には2種類の人間がいる。ジブリ鈴木氏曰く、

・将来に夢を抱いて突き進む人

自分に与えられた仕事をコツコツと積み重ねていく人

である

なぜ、この2種類がいるかからないが、わかれているのだ。

やりたいことやりたくないこと問題

自分のできないことをやりたくないからと投げ出す人がいる。端から見れば、傲慢自己中心的人間であるし到底理解できない。だがしかし、やりたくないという人は存在する。やりたいと言ったから、やらせたのにやっぱりやりたくないという人もいる。それは実際やってみたら思っていたのと違っていたかであるだがしかし、見えない責任のようなものを投げられる。

その責任を投げているのは他人ではなく、自分である

人間は1種類である

自分とは違うという人も、同じである。とても冷酷であるという人も。あなたもその立場なら同じことを考える。何を思うかは、その人の立場と状況だけによるものである

人は他人のことを思う人に寄せられる。なぜならば、自分のことを知ってほしいかである他人のことを考える人が好きとうのはつまり自分のことを考えてくれる人であって、極めて自己中心的である

男は強さを求め、女は美しさを求める。そして、それを得られぬものは優しさが与えられる。それはあくまでも、手に入れたものでなく与えられたものであって、何の価値もない。

手に入れたもの価値があり、与えられたもの価値がないのは、能動的か受動的ということである能動的に得たものとは自分の欲しいものである受動的に与えられたものは望んでいないものである。欲しいものにこそ価値がる。なぜならば潜在意識意識距離が近づくからでる。自分というもの出会きっかである

だがしかし、ここで得られた価値のある自分は本当の自分ではないため、価値はあるが意味はない。

受動的に得られた、価値のない自分こそが意味のある本当の自分である

自分には価値はないが、生きてることにどれだけ意味を見出すかが人生である

今日もわんわんは1階を警備してくれているので、僕は2階を責任をもって警備する。

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