友達との別れ際、「バイバイ、また明日。気をつけてね」とお互い手を振って、ひとりになったとき。
おっちゃんと世間話をして、女子高生だからオマケしてやる、と言われたとき。
「女子高校生」というブランドがあるから、良い意味でも悪い意味でも特別扱いされる。
「女子高校生」には、未来に希望があって、無限の可能性があって、時に大人の扱いを受けて、時に子供の扱いを受けて、「若いからお肌がピチピチね。大人になるとどんどん衰えていくのよ」なんて脅しに近い自分語りをされて、とにかく「女子高校生」は特別なのだ。
実際はただの通過点でしかないのに。
それでも世間にとって「女子高校生」は特別だ。そんな特別じゃない、と思う人もいるかもしれないけれど、大多数は「女子高校生」を潜在意識的に特別扱いしている。最近話題になったオリンピックの閉会式の映像、一番最初にうつったのは女子高校生だ。良くも悪くも女子高校生が日本のシンボルといっても過言ではない。いや過言か?
わたしはそんな「女子高校生」というブランドを背中に貼っつけて、いまを過ごしている。
「女子高校生じゃなくなったらどうなるんだろう」
「女子高校生というブランドを抜いた自分には何が残るんだろう」
「女子高校生だから許されていたことも許されなくなるかもしれない」
「女子高校生を羨む日が来るんだろうか」
そんなことを、時折考えながら。
そんなこと考えてなにかが生まれるわけでもない。そんなこと考えてる暇があったら将来のための行動をすればいい。
そんなことはわかっているし、不安になるときは、半分のわたしはいつだって冷静だ。
ただの通過点だ、ウジウジ考えていないで行動しろ、という、半分のわたし。
周りの大人がわたしに今求めていること、わかっているつもりだ。
わかっているからくるしい。
匿名はてなにこんな文章を書いていること、それは求められていないこと。
考えすぎないで、肩の力を抜いて、それなりに頑張って、それなりに期待に応えればいい。わかってる。
くるしいくるしいと言ったって、誰も助けてくれない。みんな自分のことで精いっぱいだ。自分の世界の主人公は自分だけど、共通世界の主人公はわたしだけじゃない。
くるしい状態を打破するにはどうすればいいのか、考えて、行動すればいい。
わかってる。どうするべきか本当はわかってる。
中身あんまり読んでないが、女子高生に興味があるだけで、女子高生であるお前に興味があるわけではない。 したがって、女子高生なら誰でもいいし、女子高生ではないお前には興味が...
卒業後「女子大生」になれば違った意味で特別扱いされるよ。