はてなキーワード: 暴走とは
小学生の娘がいる
母親失格というのは十分分かるんだけど
娘と夫がおぞましくてたまらない
夫は娘を溺愛している、これは何の問題もない
娘が夫を大好きすぎるのが怖い
娘は私に「なんでお父さんがお母さんみたいなブスと結婚したのか分からない」と言ったり
夫に「私はお母さんの何倍もかわいいでしょ」と言ったり私がいる時でさえ私の悪口を言いまくったりしている
夫の口にキスをしたりする
夫はやめなさいと注意するのだけど、その次の日に娘が「お父さんを洗脳するな」「自分を注意するように仕向けただろ」のようなことを言ってくる
もちろん私が注意しても「私のほうが若いから嫉妬してるの?」と言ったりする この言葉を聞いた時はめまいがした
夫の経済力に不安があるのと(鬱で休職していた時期があり、そのあたりから私が大黒柱になり残業三昧でほぼ家にいなかったのでこういう状況になったのかもしれない)
夫は娘に性的に手を出すことはありえないと言っていいが、あまりにも娘が暴走すると殴るという方法しかなくなってしまうのではないかと(夫は暴力を振るう人では全くないが、娘の行動にイライラというかどうしたらいいんだよと常に思っているので)
かといってこのままの状態でずっといると自分がおかしくなりそうで
本当にどうしたらいいのか分からない
つまり試し書き
noteか何かにちゃんとした記事を書く準備運動として増田は使い勝手がいい、はずだ、多分
ええと何を書くべきか? べきというよりは書きたいか? 文字数は?
500ぐらいで毎日にしたいという気分はあるクオリティ品質を考慮しなければいくらでも書けるはずだそのはずだ
好き勝手に手と指を動かすだけのエクササイズ、口を動かさない雑談、脳の思考試験、それだけなら簡単だ、ずっとやってきたことだ
そこに何か構成をつけるべきか? 品質を考慮するなら設計するべきか? 500文字では意味はないか?
なにがしたい? どうする? 目的は? 考慮は? 条件は? 可能性は? 何に繋げる? どう仕組む?
何と何を組み立てたら、どうなる?
楽しもう。面白がろう。それを愛そう。
多分、それが一番の薬になる。それが一番"面白い"はずだ。
何をどうしたっていい。きっとそうだし、そうしてみようと思う。
職場に発達障害を称する人達が何人かいる、もしくはいたが発達障害というレッテルを自ら貼る人は総じて不幸になっているようにしか見えない。
ある人は、自分はこういう発達障害だからこれもできないあれもできないに違いないと自ら仕事の幅を狭め、窮屈な箱に自分を押し込めようとする事ばかりに執心して勝手に疲れている。
またある人は感情を抑える薬と集中力を高める薬を飲んでいるというが、明らかに薬の副作用で目がうつろなままぼーっとしているだけだ。
なんだかアクセルとブレーキを同時に踏んでオーバーヒートしているようにしか見えない。
さらにある人は発達障害とわかって自分は救われたと言うが、何かにつけて印籠のように発達障害を持ち出して理解が足りないと勝手に被害者意識膨らませてヒステリーを起こしている。
反対にマルチタスクにまるで対応できず、地位に甘えてパワハラモラハラを繰り返す管理職は威厳があると言われ、善悪の区別がつかずやりたい放題暴走して叱られてもキョトンとしているだけの無能君は鋼のメンタルでバイタリティがあると言われる。
正直、発達障害なんて概念が無い方が本人は幸せになれるのではなかろうか。
このツッコミは正鵠を射てはいるが、陰キャごときに本質を捉えられたことに対して陽キャはガチギレするからあとあと凄いことになりそう。
まあこの指摘は本当にその通りで、乙武が暴走した時とかに何が起きていたのかもこれで説明できると思う。
身内の空気を否定される機会が少なすぎてエコーチェンバー起こしてることへの無自覚が、世間から理解されようもない行動を「いやいや俺らの言ってることのほうが正しいじゃん?一部のアンチはうっせーけど世間一般では正しいはずだろ?」を引き起こす。
○ご飯
○調子
クヨクヨはおしまい。
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第一弾にあたる。
システムはシンプルなコマンド選択式ADVで、複雑なフラグ立てはいらず、真っ直ぐプレイできた。
素っ頓狂で自堕落で豪快で傍若無人な名探偵癸生川凌介と、その助手でしっかり者ながら時折暴走する白鷺洲伊綱、彼らの事件をゲームにまとめている主観人物となる生王正生たちが、ゲーム開発者が自殺した事件の捜査をするうちに、オンラインゲーム中に突然死したもう一つの事件との関連性が見えてくるお話。
2時間もかからずクリアできるボリュームだが、かなり中身が詰まった肉厚な作品だった。
まずは、オンラインゲームと現実、二つの世界の中で被害者と容疑者たちがどのような立場だったかを聞き込みしていき、彼らの輪郭が少しずつ見えてくる捜査パート。
元が携帯電話アプリなのでシンプルなグラフィックではあるもののデザインの意図が伝わる過不足ない立ち絵も用意されている点が、ADVの勘所を抑えている良き点。
そして何より、頭が良く会話の二歩三歩先を行くと自負する伊綱さんのテキストが面白く楽しい。
まだ一作目だが、もう伊綱さんにメロメロで好きなキャラクタになったのは、この捜査パートでの切れ者描写の素晴らしさ故だ。
ボリュームの容量的な都合という裏事情を感じなくもないが、その点を伊綱さんは頭が良いから一を聞いて十を知るんだよ、としている点はアイデアとシナリオの妙が工夫になっていて、僕は好き。
主観人物の生王正生は察しが悪くお馬鹿なので、話が先に進みすぎて置いてきぼりにならないバランス感もキチンとある。
そして捜査パート終了後の謎解きパートでは、タイトルにもなっている名探偵役癸生川凌介が大活躍する。
この謎解きパートが、捜査パートで散々伊綱さんの頭の良さを語っていたからこそキマる、癸生川無双。
所謂「サプライズ」よりの作風で、事件解決のロジックや意外な犯人というよりは、事件の構造自体を理解していなかった滑稽さと、それを見抜く癸生川の先を行く捜査と推測が面白かった。
事件の重要そうなキーワードをかなりあっさり、犯人と関係のない偶然だと断定するところも、偶然であることを示唆しつつも犯罪捜査においてそれを偶然と思うのはよくなさそう、という漠然とした素人目線だとするのが楽しい。
捜査パートで事件の輪郭を浮き彫りにしていく過程が重視され、犯人との対決パートではそこまでで得た証拠で答え合わせをする古き良きADVとは大きく違い、犯人との対決パートからこそ本題が始まるミステリ小説よりの作風だった。
好みは別れそうだが、僕はとても気に入った。
著作権法の目的は著作物の権利の保護と公正な利用により文化の発展を促すこと。
この公正な利用というのが大事で、著作権は権利者を保護する法律というよりはむしろ著作物を利用するための法律なのだ。保護対象は限定的な方がよい。
とはいえ、これは「絵柄の高精度な模倣は技術的・時間的に困難かつ、それを利用した作品で社会に影響を与えることも困難である」ことが前提にあったなと思う。
特定個人の絵柄を完コピした絵が大量生産されることで元作者の絵が判別不可能になったり、価値が大幅に棄損されることが通常起こりえない時代の常識。 (歴史的には絵柄を真似て他人の未発表作品のように見せかける贋作は存在したが、市井の人に作れるようなものではなく影響は限定的だった)
しかし最近は画像生成AIの進歩によりこの前提が崩れ、元作者が描かないような絵をわざと生成することで嫌がらせをしたり、技術的希少性で成り立っていたようなタイプの絵が大量複製されて希少性が失われたりしている。
困難性が破られた後の悪用を防ぐ仕組みの不在や権利者団体の不在は著作者と利用者のどちらも混乱させ暴走状態だ。
エンディングを迎えたけど、本当に凄いゲームだった。エンディングを聞きながら、涙が止まらなかったよ。
もう俺も大人なので、子供の時の様にゲームで感動した話を誰かとするような事も殆どないのだけれど、風化しないうちに増田に残して、いつか自分で振り返りたい。
エンディングテーマの「僕らの光」の歌詞は、明智に対する主人公からの追悼なんだろう。
統制の神ヤルダバオトに選ばれた、同じ資質を持った二人のトリックスター、一方が主人公で、もう一方が明智。
神がしかけたゲームの中で戦う事を宿命づけられて、ともに大人に裏切られた過去を持つ、その絆は悲しい。
父に捨てられ、幼い頃に母を失い、「誰にも望まれない子」として父に復讐を誓った少年が、その目的の為に多くの命を手にかけた事や
主人公と仲間たちと数年前に出会えていたら、もっと違う道があったんじゃないかって、現在に対する後悔を抱えて
それでも尚、父に復讐するという信念に対する揺らがぬ決意を支えに戦って、一度は死んだのが明智だ。
極限の状況で、自分の代わりに父を討つ取引を、自身の命と引き換えに敵を引き受ける事を条件に主人公に持ちかけて、その約束を絆として最後に主人公たちと繋がれた気がしたのに、
「クソな自分の人生の最後にしては悪くない」そんな満足した最後を汚すように不幸な過去を何もかも消して、夢想した幸せと仮初の命を与えてくれる丸喜の作った夢の世界は決して認めず、
仮に自らの命を失う事になってもいいと、丸喜を拒絶し、戦って、そうして消えてしまった明智に対する主人公の想いが「僕らの光」なんだよな。。。
甘い甘いおとぎの国 君と会えた歪んだ世界
偽りの幸せでもいいと告げる口 君がそっと塞ぐ
戦って勝てばお前は死ぬ、それでいいのか?と問う主人公に明智は言う
「君が迷う事は、僕に対する裏切りだ」
この言葉、この場面を思い出して、さめざめと泣いた。
「僕に対する裏切りだ」、この言葉を思うと、どうにも胸が締め付けられてしまう。
そもそも明智は、主人公をも躊躇いなく殺そうとしたし、主人公の仲間の家族を、父の命令で二人殺してもいる。
どうやったって許せない犯罪者だし、こいつだけは絶対に殺す、そんな思いをプレイヤーは持ってしまう存在でもあった。
一方で、彼にも権力者の父親に幼少から人生を翻弄された過去があった。父に、誰かに、認められ望まれたかった。ただ、それだけ。
「何でお前なんかが、俺にないものを持ってるんだ」「いいよな、お前は。仲間に囲まれ、認められてさ」と主人公に対する強烈な嫉妬と敵意を向けつつも
その上で、「数年前に出会えてれば・・・」って、自分が選べなかった未来への憧れを口にしてもいた。
丸喜が作った現実は、その数年前に出会った後の幸せを与えてくれる。それを受け入れれば、皆から認められ望まれて、笑っていられる。
だが、その丸喜が作った夢の様な世界に明智を呼び出したのは「明智と決着をつけるという約束を果たしたい」、そう望んだ主人公自身だった。
その思いを丸喜が形にした事で明智には仮初の命を与えられたのだ。主人公が望んだものは、数年前に明智と出会った現実ではなく、敵として絆を結んだ現実だ。
だからこそ、明智は丸喜が作った世界の中で、初めから覚めていたんだろう。
認知を歪められた世界で何もわだかまりのない友人としてではなく、主人公の命を狙い、仲間の親を殺しながらも、最後に取引を交わした敵であることを望まれた明智が、
自身の父に疎まれ捨てられた過去を受け入て背負い、嘘っぱちだけど幸せな現実を受け入れず、自らの存在が消える事を分かっても戦うと決めたのは
主人公にとって決着をつけるべきライバルとして、悪として存在する事を、そうして結んだ絆を、主人公と同じく明智もまた望んだからではなかったかと思う。
明智が望んだのは、丸喜から与えられた夢にまで見た甘い現実ではなく、血を流し苦痛の末に交わした主人公との対等な約束の方ではなかったか。
その決断は、悲しく、そして苦しい。
にもかかわらず、主人公から「消えてしまっても良いのか?」と、友として問われる事は「僕に対する裏切り」でしかなかっただろう。
とても不器用で切なくて、悲しい奴だ。
悲しい現実を作り出した丸喜も、また悲しい男だ。家族を失って心を壊してしまった彼女の作りあげた嘘っぱちの幸せを守り、
同じ様に悲しみを抱えた人たちからも、不幸を消して、死んだはずの家族が生きてる世界の中に主人公と仲間たちを招き入れた。
「この現実を受け入れてくれ」
そうすれば、誰も不幸にならないじゃないか?君は皆の幸せを奪うって言うのか?そう問いかける丸喜に対して、
だけど、その先には絶望を受け入れて乗り越えた成長も、それを支えあった仲間たちとの絆も残らない。
だから、それを受け入れる事は出来ない、お前の作った魂の牢獄では生きていけない、そうして主人公たちは丸喜を否定する。
戦い破れた後に、「大人になってからでもやり直せる、その見本になる…それが僕が君にしてあげられる…仕返しかな」と丸喜は主人公に言った。
父親を殺した明智に向かって「あなたがした事を許せない、だけど、あなたの事は分かる」、そう言った春も、暴走する父や周囲の大人に振り回された少女だ。
母親を殺した明智に向かって「どこからやり直したっていいんだ」、そう言った双葉も、大人によって傷つけられ社会から心を閉ざした少女だ。
そんな彼女たちが、大人に歪められた明智を受け入れようとする、その強さが、また悲しい。
なんというか、全体的に悲しい物語だったな、そんな事を思いつつ、エンドロールを眺めて泣いてたよ。
最後のムービーに映っていた明智の制服姿の通行人、あれが明智なのかどうか?
正直、それが気になる。まぁ、どっちでもいい、プレイヤーの思うように受け取ってくれって事なんかな。
「焼いた肉でも食中毒になった人もいるんだから、生肉避けるのは意味がない、ストレスが貯まるだけ。俺は食うぜ」
「安全運転してても事故にあった人もいるんだから、安全運転は意味がない、ストレス貯まるだけ。俺はわき見・飲酒・暴走運転をするぜ」
「タバコ吸わなくてもガンになる人もいるんだから、禁煙は意味がない、ストレス貯まるだけ。俺は好きなだけ吸うぜ」
て言ってるのとまったく同じだろ。
リスク可能性の大小の比較ができず、いざ当たったときの害の大きさ(生肉→カンピロバクター感染→ギラン・バレー症候群(脱力が一生続く))を考えられないこの手のバカ、はてブに多いよな。
あと結婚・子供を作ることについても「子供がいても孤独死する人はいる」てブコメにスター集まったりさ。
いやそりゃあるはあるけど、可能性の大小で言えば独身子無しのほうが孤独死リスクは明らかに大きいだろ。「死ぬときは皆一人だ」って、死の床の枕元で心許せる配偶者や子や孫が見守ってれば安心感が全然違うだろ。
自分の選択を肯定したいがあまり知能が低下してるこの手のブコメ、自分のバカ晒してるのに気づいてるんだろうか。
逆にここまで頭の悪いブコメ書いたり、それにスターつけてる連中は、自分の選択が愚行であることに薄々気づいてるからこそ、こういうリスク大小無視の主張に縋ってしまうんだろうな。哀れな連中だよ全く…
イーロン・マスクがテスラ社で成功してTwitter社で成功しなかった理由は、テスラ社とTwitter社では適切な行動(リスクの取り方・試行錯誤のやり方・リーダーシップスタイル)などが異なるのに、テスラ社と同じ仕事のやり方をTwitter社でもやっていたことだと思う。
「古いガソリン車企業(トヨタやGM)に挑む革新的なEV専業ベンチャー」という立ち位置の企業だ。
なので、
SNS業界ではトップ企業に近い。自動車でいうとトヨタ。なので、
企業の立ち位置が違うのだから、それに合わせたリスクの取り方・振る舞いをすべきだったのに、マスクはしなかった。
結果として世界規模に影響を与えるSNS企業のCEOとして評判を毀損したし、それがTwitter自体の評判の毀損にもつながったと思う。
事業の肝は物理的な仕組みだ。EVの走行システムやロケットの打ち上げシステム・機体など。
物理的な仕組みに対しては実験がやりやすい。何かを試した後もとに戻しても物理特性や反応は変わらないからだ。コイルの巻き方を変えて性能が下がってので巻き方をもとに戻したら、物理法則が変わって、変更前のパフォーマンスに戻りませんでした、とかはない。
なので、テスラ社では、アナウンスなしで、矢継ぎ早に、いろんなことを実験するのが、試行錯誤のやり方として良い、ということになる。
事業の肝は「TwitterというSNSを多くの人が使ってくれること」だ。
なので実験をやるなら気をつけないといけない。人は実験したあとにもとに戻しても、前と同じ反応を示すとは限らないからだ。例えば、API連携をほぼ廃止した後ユーザーの反応が思わしくないので廃止前のAPI連携に戻します、といってもユーザーは廃止前と同じように行動してくれない可能性が高い。
なので、Twitter社では実験をする前にユーザーにしっかり説明する必要があるし、あまり色んなことを矢継ぎ早に変えるのは良くない、ということになる。
マスクはテスラ社でやったようにTwitterのサービスに「実験」を重ねた。うまくいかなければ元に戻せば良い、と考えている節がある(急に変更を戻したりするので)。
でも、人間相手のサービスでは元に戻しても行動はもとに戻らない可能性が高い。結果的にTwitterというサービスが「信用できないサービス」とみなされつつあり、そうなってしまうと実験前のサービスに戻してもユーザは戻らない可能性がある。
リスクの取り方とも関係するが、先進的な(リスク許容度が高い)ユーザーが選んで買っているテスラと違って、Twitterはユーザーの幅がとても広く、リスク許容度も様々だ。そこを見誤ってしまい、ユーザーが感じるサービスの信頼性を下げていると思う。
適切なリーダーシップの取り方は組織の状況によって異なる、という学説がある。とある組織で有効なリーダーシップの取り方も、他の組織では有効ではない、ということ。
組織とリーダーシップの相性を診断するやり方としてフィードラーモデルが有る。 3つの観点から組織を見て、「タスク志向型」「人間関係志向型」の2つうち、どっちのリーダーシップが適切かを判定する。
マスクのリーダーシップスタイルは、一貫して、指示型でタスク志向型に見える。
つまり、権限委譲せずにメンバーに対してやることを指示するし、人間関係よりも組織としてタスクをこなすことを重視する。そしてハードワーキングを求める。
さらに、社員のモチベーションは高いしハードワーキングに対する許容度も高い。わざわざベンチャー企業に就職しているのだから。
なので、テスラ社ではマスクのリーダーシップが機能したのだと思う。
加えて、社員のモチベーションは様々だしハードワーキングへの許容度は低い。Twitterが好きで入社している人・給与が高いから入社している人・安定しているから入社している人……色々な人がいるから。
結果的に、マスクのリーダーシップスタイルは全く機能しなかったのだと思う。
マスクはTwitterのCEOとしてリーダーシップを発揮するためには、もっとメンバーの心情に寄り添ったり、チームを心理的にまとめる行動を取るべきだった。
でもマスクはテスラ社やスペースX社での成功があるので、変える必要を感じなかったのだろう。あるいは人間関係志向型のリーダーシップを取れないのかもしれない。
https://www.seventietwo.com/ja/business/atsugi_2023
コロナ等色々あるが、今も回復しないのはオタクリスクのせいだと思う。
アツギは何故かタイツフェチ界隈にこびを売り、タイツフェチ男と対談をしたり、タイツフェチエロ同人誌広告リツイートしたり、好きなだけ見ていいですよとスカートまくったメイドや、スカートめくってタイツ見せてる女子高生等の美少女イラストでアツギタイツの広告を打ってしまった。
それにザワザワしている女達にオタク達が大挙して押し寄せ「この広告が嫌なら買うな、ババァはタイツの客じゃない、俺たちがアツギのタイツを買い支える」と粘着したおして、アツギも自分のアカウントのリプ欄ですら顧客をオタクたちが叩いているのを止めずに放置してしまった。
その後も「ラブタイツのお陰でアツギの売上は上がった」等々デマを振りまいた。
その悪印象は根深く、未だに冬になるたびに「ラブタイツからアツギは避けるようになった」と毎年のようにツイートされる。
それではオタクの顧客への攻撃を止めていたら良かったのかというと、オタクに乳袋ブランドとして紹介されて乳袋ブランドではないと言ったために、ブロックチャレンジと称して顧客達にオタクがセクハラ嫌がらせ祭りを行った胸の大きな女性向けブランドや、温泉むすめの熱海の居酒屋がオタクたちから受けた仕打ちを見るに、デマや顧客への嫌がらせなど粘着し続けられることになっただろう。
金を払っているのに払ってないとデマ拡散された邪神ちゃんの富良野等、オタクはすぐに暴走して攻撃する、特に女性顧客追い出しに関しては凄まじい破壊力を発揮する。
昔の老害が「最近の若者は俺たちに分かる歌を歌わない」って言うのをクソうぜえ好きなの歌わせろと思った世代が年取ったら