2023-02-27

発達障害という概念が不幸を招いていないか

職場発達障害を称する人達が何人かいる、もしくはいたが発達障害というレッテルを自ら貼る人は総じて不幸になっているようにしか見えない。

ある人は、自分はこういう発達障害からこれもできないあれもできないに違いないと自ら仕事の幅を狭め、窮屈な箱に自分を押し込めようとする事ばかりに執心して勝手に疲れている。

またある人は感情を抑える薬と集中力を高める薬を飲んでいるというが、明らかに薬の副作用で目がうつろなままぼーっとしているだけだ。

なんだかアクセルブレーキを同時に踏んでオーバーヒートしているようにしか見えない。

さらにある人は発達障害とわかって自分は救われたと言うが、何かにつけて印籠のように発達障害を持ち出して理解が足りないと勝手被害者意識膨らませてヒステリーを起こしている。

反対にマルチタスクにまるで対応できず、地位に甘えてパワハラモラハラを繰り返す管理職は威厳があると言われ、善悪区別がつかずやりたい放題暴走して叱られてもキョトンとしているだけの無能君は鋼のメンタルバイタリティがあると言われる。

正直、発達障害なんて概念が無い方が本人は幸せになれるのではなかろうか。

発達障害の名にこだわる、もしくは、名にすがる人達の方が本質善人のように思える。

そんな人達最後自爆していく様を見るのは理不尽を感じるのだ。

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