はてなキーワード: 感情労働とは
女性がブスでも「結婚出来る」のは、セックスの相手と家事などの労働力として買い上げられる、少なくとも労働力として売り込んで買われてるところがある。あと、承認欲求を満たしてくれる感情労働をしてくれるという前提で。
結婚で男性の金無し非モテが避けられるのは、一般的に男性は女性に居住空間とお互いの関係の快適さを保つ日々の作業を一方的に作業も責任も投げっぱなしにする傾向があるから、その代価として金の心配をさせないか、モテに繋がりがあるスペックかスキル(清潔さとか会話が楽しいとか相手を気に掛けるアクションをとれる、距離感があう)で不快にさせなかったり嬉しがらせてくれる男性でないと一緒にいることは辛いと考える。
1対1とはいえ、それって感情労働でしょ?アスペに出来るの?出来ないよね、だって正直すぎるんだから。臨床心理士やって患者を余計に鬱にさせたいの?
そうじゃなくてさ、マイペースに出来る仕事にしたら?ゆとりが持てる仕事。兄がADHDだけど、頭脳労働は辞めて派遣で単純作業してたけど…。単純作業こそ辛く逆に刺激が無いと駄目だった様で、今は税理士やってる。
まあ…アスペとADHDは違うとは思うけど。あと混合型だったらお互いの特徴が相殺されて、余計に適職を探すのは難しいだろうね。
という事で、増田が言った「残りの人生は消化試合」って表現は正しいと思うよ。厳しいこと言うようだけど。あきらめて専業主婦すれば?家事も難しければ代行頼むなりすればいいし。発達障害者の尻ぬぐいをさせて仕事を増やさないでほしいし。
ここ最近仕事の成績が著しく下がり、勤務態度も悪いと上司に言われた。
私語が増えたのが特に駄目らしい。
以前仕事中に同僚に雑談をふられ、今忙しいのでそれどころじゃないと返したら協調性がないと同僚をガチギレさせてしまった。
人付き合いの下手さを反省し積極的にコミュニケーションを図ろうとした結果だった。
不眠で相談した精神科医からアスペルガーの検査を薦められたレベルだけある頭の悪い対処だと思う。検査は受けた。結果はお察し。
話しかけるということは他人の時間を奪い自分に付き合わせる行為であり、同僚の生産性まで下げてしまう。
記憶力も落ちたのでよく思い出せないが、小さな辛いことが積み重なっている気がする。
そんな調子なので集中力も落ちたし、体も重く動作も緩慢になった。
食欲はあるしよく眠れているので鬱ではないと思う。
重いPMSのような気もするが、コミュニケーションに難がありすぎて婦人科で相談するもビタミン剤を握らされ追い返された。
とりあえず家でいると理由もなく涙が出てくる。
とにかくそんな調子なのでだらだらと仕事をし、交流のつもりの自己満足に忙しい同僚を付き合わせ、成績が下がり続けた。
書いていてクビにしちまえと思うが、実家は頼れないので給与収入がなければホームレスか犯罪者か電車のストッパーになるしかないから困る。
上司は優しいので、思考力が落ちているなら頭を使わなければと言った。
ゼロ秒思考がいい。1分間の時間制限内にA4の紙にアウトプットをする思考法でおすすめだと。
早速Kindleで購入し読んだ。
先程仕事帰りにコピー用紙と水性ボールペンを購入し、早速メモを書き始めた。
結果から言えば駄目だった。
余計に鬱々としてきた。
1枚目。
何がつらいのかというテーマで書いた。理由がないけどつらい。自殺を考えるほどではない。ひたすら自己嫌悪に陥る。
2枚目。
本当につらさには中身がないのか?というテーマだった。ふわっとした言葉しかでてこない。強いて言えばアスペルガー。普通の人間になりたい。普通の人間らしく思考したい。
3枚目。
じゃあどうすれば普通になれるのか。死んで生まれ変わるしかない。無理。でも好きなマンガやゲームが終わるまで死ねない。おわり。
普通の人間のサンプルを無数に見ながら生きてきたのに、普通になれないということはもうそういう生き方しかできないということだ。一生ハンデを背負うしかない。
ここまで書いてプツンと何も浮かばなくなった。浮かぶには浮かぶがアウトプットしたそばから同じ内容が延々と湧き出てくる。
それは無理だなと思ったのでここに吐き出すことにした。
他人が躓かないようなことで悩む自分は、人間になろうとしていまいち溶け込めてない妖怪みたいだなあなんて思ってしまう。
早く人間になりたい。他人を助けて焼死するフラグがたったきもするがなりたい。
■■追記■■
反応があると思わなかったのでびっくりした。私の文章に時間をさいてくれてありがとう。
鬱だとすれば原因は上司ではないと言い切れる。
私のようなめんどくさい人間向けの対処もある程度知っているようで配慮してもらっているので感謝してる。
発言も実際はアドバイスと励ましと注意を綺麗に混ぜた感じだった。
仕事が感情労働なのと女性中心で空気の読み合いが半端じゃないのがストレス源のような気もする。
人生初の痴漢に遭ったり家族が病気になったりしたのも大きいストレスだと思うし、原因が分散しているような感じがする。
認知療法も簡単に読んでみたけどいい方法だと思う。詳しく読んでみる。
すぐマイナス思考になってしまうので一人で実践するのは厳しいかもしれない。歪みを探し出せてもプラスにするのは難しい。けど試す価値はあると思う。
吐き出したとりとめのない愚痴に優しい言葉をかけてもらえたことが本当に嬉しい。
本当にありがとう。
だって、そのおっさんも普通に、自己の選択・決断で、対価を貰ってその仕事に就いてるわけでしょ?
ありがとう~って言う人ってさ、要はキツくて底辺で安い給料の仕事をだれかに押しつけているんだ、という自覚があるわけだよね?
奴隷さんが底辺の仕事をしてくれているおかげで、優雅に暮らせてるわ~と認識してないと、ありがとうとか言わないよね。
配達員が大変だ~って言ったら、感情移入しまくりで再配達させないようにします!とか言い出したりするんでしょ笑
配達員と企業の契約の問題なのに、罪悪感が湧き出ちゃったんだろうね笑
え、お客様は神様ってアホなの?笑単純に対価として契約してる+一人の個人の選択として尊重してるだけなんだが?
ありがとう~って言う方こそ、
生活を人質に取られて底辺の仕事をイヤイヤせざるを得ない可哀想な奴隷さん俺の優雅な生活のためにありがとう~とみなしてる時点で、
炎上狙いとか言ってるやつは自分の偏見や差別にきちんと向き合えないクズなんだろうなぁ。
育ちの問題とか言ってるバカいるけどさ、むしろ底辺の方こそ底辺に同情することを強いるよね。
ちゃんと育ったら底辺は自己選択の結果であり自己責任だとわかるから、ありがとう~とか言ったりしないわ。
ありがとうという感情を対価として頑張れ頑張れと追い込むクズよりは、チップ制度をあげるのは妥当だわ。
○億ってあのくっそつまらないオリジナリティの欠片もないザコのくせにクリエイター気取ってるイタい青二才的な人でしょ?一緒にされてもね~。
底辺に同情するのは底辺というのはわかるw底辺に同情する偏差値65以上の大学出身者ってめったにいないでしょw
対等・上下関係に至っては個別の事案を抽象度高めて一般化して当てはまらない~とかわめいてるだけのアホだな~w
配達員は自己判断で対価をもらってやってる仕事なのに、無報酬の善意と比較しちゃうとか、
それこそ配達員は生活を人質に取られてこんな仕事を我慢してやってるんだ~とみなしてる証拠だよね。
とりあえずありがとうで頑張れる!頑張れた!という人たちは、やりがい労働・感情労働をおしつける社会に見事に飲み込まれてる。ブラック労働を強化する屑だという自覚を持とう。
ちょっと注目集めてて自分が気に食わないかつ反論できない文章は炎上狙いだと思考停止するのが流行りなんですかね~?笑
bfms350 釣られるのも馬鹿馬鹿しい。こんなゴミみたいな記事にブコメするのやめようよ。http://b.hatena.ne.jp/entry/327571442/comment/bfms350
産んだら不幸になるからが水子芸とかいう謎論法。産んだら存在してしまうので水子じゃないんだが産まれた子供と産まれなかった子供が同一だというキチガイ理論を垂れ流すクソの子供ってキチガイになりそう。
産んでないんだから一休さんの虎とか言ってる阿呆もいるけど、存在しうる存在を現実には確実に出てこない虎にたとえるって相当頭悪いぞ。それを言うなら存在してない産まれなかった子の意志なる概念を持ち出してる方に言うべき。
トラバまとめ
http://anond.hatelabo.jp/20170305212416
http://anond.hatelabo.jp/20170305215044
はい?たとえば遺伝が確実な障害を持ってるのに産んだら、環境が悪いのに産んだら、不幸になる確率は健常者よりも高いよね?^^
これは社会学や生理学や遺伝学で証明された事実なので、きみらがわーわー喚いたところで、何の意味もないですよ?
健常者や現在勝ち組に入れた障害者等の側の人間が、努力や認識でぜったいにぜったいに幸福になれるもん!とか喚いてるのって、典型的な感動ポルノだよね笑
努力や認識で幸福になれる~という期待を勝手に子供におしつけて産むのは虐待と言っても過言ではない。
幸福にできる可能性が低いなら、産まないという選択は必然だよね。
☆脳ミソ腐ったクズトラバがまだ喚いてるのか笑http://anond.hatelabo.jp/20170308165310
最初にセリグマンを持ち出して低所得など外部環境では不幸かどうかは決まらない!遺伝子でほとんど決まるんだ!と熱弁していたクズが。
「不幸かどうかは幸福を感じやすい遺伝子という要素で50%決まる」という議論があるけど、この命題が正しければ一般人と発達障害者など不適応者のうつ病にかかる率は同じでないといけない。しかし、実際は後者の方がうつ病にかかりやすい。つまり「不適応者は幸福を感じやすい遺伝子が低い傾向にあるので不幸になりやすい」か「不適応者は幸福を感じやすい遺伝子を持っている場合があるが、それ以外の二次障害で不幸になりやすい」である証明がなされた、ということになる
こうやって論破された途端に、外部環境でも不幸は決まるかもしれない!とか言い出す議論にもならないゴミ笑
しかもさんざん可能性が上がるという話と高いという話は別だぞと言ってきたくせに、可能性が上がるから~とか言い出しててワロタ
☆以下の消えたトラバで「不幸かどうかは幸福を感じやすい遺伝子という要素で50%決まる」という議論があるけど、
この命題が正しければ一般人と発達障害者など不適応者のうつ病にかかる率は同じでないといけない。
つまり「不適応者は幸福を感じやすい遺伝子が低い傾向にあるので不幸になりやすい」か
「不適応者は幸福を感じやすい遺伝子を持っている場合があるが、それ以外の二次障害で不幸になりやすい」である証明がなされた、ということになる。
さらに50%以外の要素は、人間関係など、不適応者が苦手なものなので、より不幸になる確率は高いといえる。つまり、「他人が幸福になれるかどうかは、わからない。」、「 子供とはいえ他人の幸不幸を判断し得ると考えるのは愚かだ」という主張は間違いだといえる。また、トラバに対する反論をまとめておく。
・下層ですら適応できずに苦しむ可能性が高いなら産まなくていいってことですね~
次にサービス業が増えた現代では下層でも感情労働しなきゃいけないのでストレスたまりっぱなしで大変ですね~
体力仕事だと30代後半で詰みが見えるね~
特に発達障害者は身体性が低かったりストレス耐性が低かったりするから難しいですよね~
下層で適応できてるって、要は諦めで現在の快楽に逃避してるだけでしょ?
不幸になる確率が高い子供に感動ポルノを期待して不幸を味わわせるのってマジで可哀想
・幸福になりやすい脳があっても仕事や人間関係が人生の大半なのでそこに不適応を起こしやすい遺伝子の結果、ストレス値が高くなるので不幸につながる
他にも発達障害は特にフラッシュバックが起こりやすいなど不幸を感じやすいというデータがある
・某さんの依拠してるであろうセリグマンは人間関係の重要性について謳ってるしね。
人間関係不適応になる確率が高い人間は不幸という指摘をしている俺の主張を補強するものだ。
また、セリグマンは不適応なうつ病や統合失調症の遺伝率は幸せを感じる遺伝子の遺伝率よりも高いと本のグラフで提示していた。
・うつ病患者も不幸な子供を産む確率が高いという点においても俺の主張を裏付けるものだね。
・人生の大半は仕事や人間関係である以上、それに適応できなければ不幸になる確率が高いのは当然。
その場合に環境や遺伝が大きい影響があるというのは学術的根拠がある。
努力や認識論に持ち込むのは健常者や既に適応済の人間の感動ポルノにすぎない。
学術的に不幸になる可能性が高い親がいるという事実は否定できません。
相模原市の事件を受けて、様々な意見が出ていて、いろいろと考えさせられています。
とくに「重度の障害を持つ方に対するケアワーカーの陰性感情」についての議論には、様々な方向から風が吹き荒れているようにも感じました。
そこで私は、今回の事件を受けて「感情労働」とケアワーカーのメンタルヘルスについて、少し整理してみようと思いました。
(様々な論点があると思います。犯人の病理などについては僕には分かりかねる部分が多すぎるので言及は避けます)
感情労働(Emotional Labour)とは 1983 年アメリカの社会学者A.R.ホックシールドにより提唱された概念です。[1]
感情労働は――肉体労働や頭脳労働と同様にーーその「感情」が賃金と引き替えに売られるのです。
言い換えれば、感情労働を行う労働者は「上手にその感情を管理し、それを提供し、自らの感情と引き換えに雇用者から賃金を得ている」とも言えるでしょう。
この感情労働を行う労働者としてホックシールドは,客室乗務員、さらに教師や看護師なども例として取り上げていました。
さて、私自身も経験がありますが、重度の障害を持つ方に対し、長期間の日常生活ケアを行っていると「穴を掘っては埋める」作業を毎日しているような気持ちになることがあります。
そんなときに患者(あるいは利用者の場合もありますが、ここでは患者と統一して表記します)に対して陰性感情がムクムクと湧いてきます。
これは、患者自身が強烈なストレスや混乱の中にいて、言い様のない攻撃性を援助者に向けていることとも関連します。
患者が抱えるストレスや混乱と同じような感情を看護者は感じてしまうのです。
「なんで、言うことを聞かないんだ!」「どうして、噛みつくの!」「何度言ったらわかるの!」と心のなかで大きな声で叫んだことは数えきれないほどです。
ケアする人とされる人の間にはーーもちろん、その関係に限ったことではありませんがーー「感情の対称性」があります。
(逆に考えれば、「自分自身の感情から患者の感じていることを推察することができる」ともいえます。)
こうした無意識プロセスを理解をすることは自身の感情をコントロールするために役に立ちます。
しかしながら、このことに一人で気がつくことは、かなり困難であると私は考えます。
感情労働の概念や、感情の対称性について、ストレスマネジメントについての十分な教育や、あるいはスーパーバイザーを交えたデブリーフィングセッションを行っていく必要があると思うのです。でも、現実には、そうしたことはケアワーカーの間では殆ど行われていません。
積み重ねられた陰性感情は、罪悪感や攻撃性、無力感に変化していきます。学習された無力感は自尊感情の低下や自己効力感の低下も引き起こします。
そして、それらはある日、まるで波が引くようにものすごい力で『反転』することがあるのです。
また、前述までと矛盾するようですが、近年の研究では「感情労働は一概にメンタルヘルスに対して悪影響となるものではなく、顧客やスタッフとの相互関係から職場にとって良い影響も与えうる」ともいわれるようになってきています。その肯定的な側面として達成感の向上や患者とのつながり感覚を強めること、職務満足感を高めることなどが述べられているのです。
「よくコントロールされること」「よいものとして認知されるようにすること」が大切なのだと私は思うのです。
介護労働者の待遇改善などの労働衛生管理については各所で述べられている通りだと私も思います。
しかし、ケアワーカーのメンタルヘルスに関しては金銭面だけでは解決できないものもあると私は考えているのです。
私は、今回の事件そのものや犯人に対して、ある種の憎らしさや強烈な嫌悪感を感じています。
当然、許されることではありません。
ただ、私は同時に、どうして今回のような凶行に至ったのかにとても興味があるのです。
自分自身が、同僚が、家族が、被害者・加害者にならないようにするために。
社会としてどうしていくべきか。
ケアワーカーのメンタルヘルスに関してはどう捉えたらよいのか。
わたしたちがコントロールできることとコントロール出来ないことはなにか。
リエゾンなどに携わる専門職が率先し、十分な議論を行い、実施可能な具体策を挙げていけるといいなあと僕は思ったり考えたりしています。
武井麻子先生は『感情と看護』[2]の中で、Winnicottを引用しています。(P.263)
「ウィニコットは、無慈悲にも自分を怒らせる赤ん坊をケアする母親について、このようなことをいっています。
母親は赤ん坊を憎むことを、それをどうこうすることなく容認できなければならない。母親は赤ん坊に対して憎しみを表現することはできない。[中略]母親に関して最も注目すべきことは、自分の赤ん坊によって大いに傷つけられながら、子どもに報復しないで大いに憎むことができる能力、そして後日にあるかもしれない報酬を待つ彼女の能力である。
同じようなことが看護師にもいえるのではないでしょうか。自分を傷つける者(それは患者であるかもしれませんし、そうでないかもしれません)を憎むことを看護師は容認しなければならないのです。」
<参考文献>
[1] A. R. Hochschild, 室伏亜希と石川准, 管理される心―感情が商品になるとき. 2000.
[2] 武井麻子, 感情と看護―人とのかかわりを職業とすることの意味 (シリーズ ケアをひらく). 2001.
[3] パム・スミス, 武井麻子と前田泰樹, 感情労働としての看護. 2000.
[4]Huynh, T., Alderson, M., Thompson, M. (2008)Emotional labour underlying caring: An evolutionary concept analysis. Journal of Advanced Nursing, 64(2), pp.195-208
自分で、考えやすいように、アウトプットを行い、更にそれを要約して、整理する。
『考えること』は、人間の言動のシステムのうちの一部分であって、単独では、状況を改善するためには、力を発揮しない。
この場合の英語的には、respectリスペクトだろう。敬意を払うというのか。
相手へ気を遣ってとか、不快な思いをさせないような表現を避けて下さい、という意味だろう
また、結婚をすると、奥さんから旦那さんへ向けて(あるいは、愛人から不倫相手の男性へ向けて)
『私たちの将来のこと考えてくれてるの?』などと、言われる。
このケースも、頭脳労働というよりは、感情労働的な側面と決意表明を求めているのであり、
「私の気持ちを気遣って(将来の生活の安定性を見通せる経済的な保証を下さいな)」
ということなのであろう。
人間関係を始めとして、何が正解か分からないような問題であると、
などと、言われる。
人間関係や将来のことなど、やってみなければ、分からないことも、人生には、多い。
仮説を立てることは大切だが、検証をしていない仮説は、ただの絵空事(空想)である。
そんな仮説に縛られては、いけない。ABテストでもするつもりで、バンバン動いた方が良いのだろう。
思い出さなくても良いネガティブな経験を整理する(捨てる・忘れる)のが、良いのだろう。
確かに、一時的に充分な休息を取って考えないことが、一番の薬だったりする。
落ちついた頭で、考えた方が、良い結果を生み出す。
怒られるのが、怖いので、行動や思考の幅が狭まっている自分の状態に気がつくためには、考えるよりも、休むである。
(第二次世界大戦中の日本軍のような状態で幾ら考えても、被害が大きくなり、真の意味で「お国のため」にならないことを選択していたという結果を導いていたりする。他人のことだと冷静に見れるが、自分のことだと、致命的なダメージを受けてからでないと、気がつかないということがある)
トコトンまで、やってダメなときは諦めるか、別の手段というか、問題設定を誤っていないか、前提条件自体をもう一度、洗い流してみる。
長くなったので、今日は、この辺りに。
コミュニケーションを取る相手に好かれようとしていないこと
その根底には、相手を全く信頼せずどうでもいいと思っている自分
それはつまり傷つくのを恐れ、相手をマウンティングし、身を固くしている状態だ
そうなんだよなあ、だから店員とか医者には恐ろしく雄弁でスムーズでいられる
相手を役割や契約でしか見ていないから、信頼できるし心を預けられるから
契約関係でも感情労働のともなう仕事場の人はやはり心を固く閉ざしてしまう
そりゃマウンティングしてくる心を閉ざしたやつとなんかまともなコミュニケーションはとれないよな
この人たちに好かれたいと思った趣味のグループでは社交的でいい奴でいられるしきっとそうだ
好きはどこにでもあるっていうけど、たとえば最低賃金でパン工場であんぱんに延々ごまをふりつづける仕事があるとするじゃないですか?死ぬほど退屈だと思ってたけど、あんぱんは好きだからあんぱんに関わる仕事をしてる自分って幸せだなあって考え方できるようになったとする。
それって自己暗示をかけて好きを妥協していることを粉飾しているだけなんじゃないですかね。
どちらかといえば好きってなものは世の中にいくらでもあるんでしょうけど、そうやって好きを拡大していった結果、やりがいの搾取問題といっしょで、きみたちは好きな仕事に関われて精神的に充足してるから給料安くてもいいよねって押し付けたがる黒い経営者に非常に都合の良い考えに自分を洗脳していくことになりゃしませんかね。
感情労働って言い方ありますよね。感情的に嫌なことを表に出さずに我慢して働くからその分の対価が発生する類の労働。嫌なことを嫌なまま関わって生きてもべつにいいんじゃないですかね。その代わりに嫌なことを我慢している分の見返りは要求すると。好きなもの探しをして好きなこと以外に目をそむけて生きるよう自己洗脳してしまうと、自分が社会から不当な扱いを受けても気づけなくなっちゃいますよ。きっと。
話が難しすぎてよくわからんです。おれはそんなに考えて書いてないです。
文章をよんで感じたことを、話題から若干脱線しながらも気にせずに書いただけです。
あと、言い方が悪かった。「空気」と言う表現には肯定的な意味と否定的な意味の全く逆の2つがあるね。
ぼくは否定的な意味で使いました。あってもなくても変わりがない無関心なもの。
アイドルブームのせいで一般人が美を強く意識しすぎているがために、※ただしイケメンに限る。とかブサメンは歩くだけで犯罪通報とか、電車でバカ女が言いがかりつけるといった空気が作られているのだ。
という因果関係の主張、ということか。 なるほどその視点はなかったです。たしかにそうなのかも。
ドコモショップの店員みたいな労働を「感情労働」とカテゴライズすることがあるけど、その文脈で行くとアイドルは「人格労働」である。という話も聞くね。そりゃあ精神も崩壊するわな。そんなモンを売り物にするような生き方をおいそれと尊敬することなんでできない。
今月、3年未満務めてる建設の現場監督(営業)Aさんが辞めることになった。
いきなり出勤しなくなって、家にも帰ってなくて奥さんから連絡が来たらしい。
一日経って家に帰ってきたらしいのだが、あてどもなく彷徨って車の中で一晩明かしたようだ。
そして、それ以後出社しなくなった。
有給と代休を使って今月途中まで休んでいるが、今月半ばに退職となる。
3ヶ月近く夜間作業をずっとやっていた時から気になってた。
その前から、3年近く経つのに彼の上司のつかいっぱしりで過剰に仕事を押し付けられていたのは知ってた。(3ヶ月近くの夜間作業も上司の売り上げ)
つかいっぱしりだから、Aさんの給与に全然影響しないのに、彼の上司の給与は破格なのを知ってた。
つかいっぱしりだから、コンビニやらでお菓子買ってこさせられて、全部Aさんが自腹で払ってた。
Aさんの上司はムラっ気タイプで、機嫌が悪いときなんか私でも近づかないようにしていた。
そもそも、
体育会系で、酒の席では吐くまで飲まされ。
社長がパワハラ気味で、気に入らないことがあったら給与査定に響く。
社長のお気に入りというか、声の大きい人が有利で、誰も文句を言えない。
休日出勤してるのに、代休が基本取れない。取ったら批判される。建前上誕生日休暇やなにやらあるが、営業みんな一度も使ったことのない制度だ。
Aさんの上司はこれで通算3人部下が辞めていっている。
ここ数年人が居つかない為、定年以上の人が3人居るので今年から来年にかけて人が1/3も減る。
この会社に骨を埋めるつもりでいますと面接で言ったという人だったから、
上司についていきます!と飲み会でも言っていたのは聞いてたから、うまいことストレスを受け流しているのだと思ってたのだ。
鬱になるまで追い込まれるようなサインに気づいていたのに、安易に楽観視してた。
数日で鬱はもう治ったが、働くことはないと言われて退職になったと聞かされたが、
鬱はそんなに簡単に治るもんじゃない。
いまだに鬱気味の社員いるじゃないか。時折電話出なくなって、社外の人に困惑の電話がかかってくるじゃないか。
鬱が建前であってほしい。
痛切に思う。
私の先輩から、Aさんが辞めたいと悩んでるのを出勤しなくなってから聞いた。
社長が悩み事があるなら、言ってくれと言ってたようだ。
彼への対応は形としてはしていたようだが、悩んでいることを話しても、
結局お前ががんばれになる社風だから、見切りをつけられたのだと思う。(私も実体験済)
社内の空気が、”辞めてく人間の責任”となすりつける雰囲気と、共感まじりの諦めに染まっているのに触れるたびに、
私はすごく気持ちが悪いと思う。
今のブラック企業によくあることなんだろうけど、やりきれなさでいっぱいだ。
困った利用者は掃いて捨てるほどいるんだが、その相手がおっさん及びじいさんだとなぜか精神的なダメージが軽微なんだよね。
不思議なもんで、わめくわゴネるわ時として暴力あるうえに絶対数が圧倒的だから実害は甚大なはずなのに。
まあクソジジイだしな、とおもって速効忘れる。
(対照的に困った女性利用者対応の消耗具合は異常。果てしなく疲労する。あたまのおかしい女性というのは冗談抜きにホラーとしかおもえない)
中高年男性全般に対する心理的な距離の遠さ、諦観と割り切りっぷりは、自分だけのものではないとおもう。
よく言えば敬して遠ざけるということなのだが、なんだろうね、日本は酒乱に寛容な酔っぱらい天国だというはなしと通じるものがある。