はてなキーワード: 市長とは
熱だけについてはまあ軽症の場合が多いのもそうだが、
「激しい胸痛」→心臓絡みの病気の可能性がある。急がないと死ぬ。救急車。
「激しい頭痛」→脳絡みの病気の可能性がある。急がないと死ぬ。救急車。
「お父さん、ろれつが急に回らなくなって泡吹いたんだけど」→脳絡みの病気の可能性がある。急がないと死ぬ。救急車。
「突然倒れた」→脳も心臓もどちらもある。急がないと死ぬ。それどころか、即救命措置をしないと。もちろん救急車。
救急車を軽症に使うな!という問題が起きたが、こういう一見軽症に見えるが重大な病気まで救急車使わなくなることがおきてる。
だから、最近は「こういう症状なら即救急車」というポスターが出回るようになったね。
ああ、あと、人倒れてるのに女が土俵に上がるなとやじとばしてる他の客も重大だって気づかなかったから野次飛ばしたんだろ?
それとも、はじめから重大なのわかってて市長殺すつもりで野次を飛ばしたのか?
なので、まずはじめ診療所かかるハードルは低くしたほうがいい。はじめに判断できる人にかかりやすくするほうがいい。診療所の医師は判断する人という役目もある。
夫が同情していた。
私はどちらかというと女を土俵にあげるなアナウンスはあり得ないだろと思う方だったけれど、夫曰く
「このアナウンスした人、たぶんアスペもちか何かで、たまたま運悪く市長が突然倒れるというアクシデントに見舞われ、
頭がパニックになってどうしようと思ってる中、会場から女は土俵にあげるな!ていう罵声が飛び交っているのを聞いて、
咄嗟にルールにそった正しいことをしなければっていう意思が働いてしまって、自分なりにパニクりつつ正しい行動をしようとした結果、
最悪の結果として招いちゃったんじゃないかな…」
って話をしていて、アスペもちの人はそういうことがあるのかもしれないな、と少し思った。
何かのTV番組でこのアナウンスした人の問題だね…ってコメント出してた人がいたけれど、
おそらくそうなんだろうなあと。
アスペという病気を持ってて頭がパニくってる状態なら、正常な判断できなくなるし無理もないなあと思ったのであった。
勿論全部想像だけどね
緊急時には誰でも上がっていいと思う。
男の市長は上がれて、女の市長は上がれないのは角が立つから両方上がれなくすればいい。
それだけのこと。この落とし所じゃあかんのか?何故そこまで頑なに変えたがる。
別に新たに女人禁制・男子禁制ファンタジーを作ってもいいだろうが。つーか明治(?)からなら十分伝統と言えるじゃねぇか。そういう権威付けが行われたこと自体が歴史であり、文化の一部だ。
次は歌舞伎にでも火を付けるか。直接でも間接でも税金が流れてる伝統芸能全てに不道徳を見出して矯正してみるか。
土俵上でくも膜下出血をおこして倒れてしまった舞鶴市の多々見市長、そのまま救命作業を行われないまま死んでしまえばよかったと思う。
女性の医療関係者の人が土俵に上がって救命行為を行おうとして、行事から「女性は土俵に上がるな」と注意されて、その通りにした結果、市長は死んでしまうという最低最悪の展開。
もしそんな展開になってしまったとしたら、大相撲の長い歴史始まって以来の大不祥事になるよね。
大相撲の地方巡業に呼ばれた「来賓」である現職市長を、女人禁制の原理原則を優先させたために、死亡させてしまったという事案。
昔にあった時津風部屋の暴行死事件や野球賭博、八百長問題なんで消し飛ぶレベルの不祥事になる。
世間の日本相撲協会への不信感と怒りはピークに達して、相撲協会執行部の責任問題に発展し、組織の統治能力のない八角理事長以下執行部は全員更迭。
文科省は日本相撲協会の公益財団法人の指定取り消し、国会で八角理事長に対する証人喚問が行われるかもしれない。
今回の騒動。
素敵な看護師さんのおかげで助かったようですね。
これ、フラットに考えてみたらどうなんだろうか。
どこに問題があるのか。
例えば、女性が医療従事者でなかったら、応急処置が全くできない人だったら。
ただの野次馬だったら。非常事態でも「あれはないわ」と思われるかも。
軍事境界線を越えたらダメレベルで、土俵に上がるなと言われるかもしれない。
そこまで危ない、そこまで上がってほしくないなら。
今回、助けに入った方がどうこうではないが。
身分証明書でも見せてもらったの??
見た目だけで、あいつは女性だと判断することについてはどうだろうか。
また性同一性障害だったとしたら???
「戸籍上、女性の方は土俵から降りてください」と言うべきなのではないだろうか。
今回は、
・場内アナウンスがひどい
色々な条件が揃って、この女性の味方をしてくれた。
これが、一つでも崩れていたら、世の中はどうだっただろうか。
観覧にいらっしゃる時点で、何かしら判別できるようにしましょうか。
土俵周りの警備の穴
そんなに土俵に上がるな!!!というなら警備を強化してみてはどうでしょうか。
とにかく、「原則として」的な話や、「緊急時は」的な話も多かった。
そうやって考えると、「女性は土俵にあがるな」と言い、それを押し通すのが一番ラクチンで、一番公平だったりする。
その「女性」というわけかたも、戸籍上なのか、自認している性別なのか、それを決めたほうがいい。
【追記】
人命救助で「女性は土俵から降りて下さい」ってアナウンスした行司と同じだろ。
だから、人の命がかかっていても宗教にしがみつくし、味付けでしかないファンタジーをマジに捉えて辞めさせようとする。
あ、女性市長を呼んでおいて土俵に立たせないっていうのは失礼極まりないから擁護しないよ。
でもさ、「女人禁制」「男子禁制」のファンタジーを許さない人らは、歌舞伎・宝塚歌劇という存在も許せないのか?(今回まさに宝塚市長の話なんだから面白いわ)
女人禁制反対者たちによる大峰山への登山の試みとその背景思考 - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/860011
syokichisyokichi やらかした(あえてこう表現する)人達の主張も一応目を通してきたけど、彼等は「自分の主張を認めろ!」と言うだけで相手の信仰なんぞは屁とも思っていないな。こんな人達を支持すること、僕には出来ないよ。
hoshiyohoshiyo 多様性の容認をいちばん強く求めてきた人たちが、他の多様性には酷く不寛容である、という案件に見える。
この時はリベラルなはてなといえども女人禁制の伝統を守れが多数意見だったのに。
やっぱり最近イメージダウンしてる相撲というジャンルなのが大きそう。
それから男性である市長の命が危なかった、というのも大きいんだろうな。
ともあれ、これまでなら「伝統を理解せず特権を求めるクソフェミどもの戯言」として一蹴されていたであろう意見が次々バズっているのが興味深い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.reuters.com/article/idJPKBN1GV0PV
あのさあ、今更こんな騒ぐんだったら、なんであのエロ本騒動の時、お前らあんなに喝采しちゃったわけ?
「市長のお願いに強制力はないし、それにどう対応するかは私企業の自主的な判断」とか言っちゃったの?
金盾っていうのは、国家権力が自ら実施して、暗号化なんかも違法にしてるわけだけど、この件と何の関係もねえだろ。
あの時の論法に従えば、何の根拠もないお願いに従うも従わないも私企業たるプロバイダーの自主的な判断ってことで、
そりゃ無駄というのはあるよ。回避する方法なんかいくらでもあるだろうし。
でも、それも自分で調べられないような、お前らが普段バカにしてる田舎のヤンキーあたりが諦めてくれれば、
とりあえずは万々歳なんじゃねーの?
なんであの時みたいに勝利の雄叫び上げないの? どうしてチンコから歓喜の涙を流さねえのお前らは?
いやわかるよ。わかるわかる。どうせお前ら、そこまで考えてなかったんだもんね。
「何か言ってる女はとりあえず庇う」「その過程で男が立ちふさがったらそいつを殴る」
みたいに、まず属性見てつく方決めて、理屈は後付けでひねり出してるだけだもんな。
「漫画村は叩く」「でも国家によるネット規制らしきものにはとりあえず『おいおい金盾かよ』と言って勝ち誇る」
じゃあ具体的にどういう働きかけがOKで、どういうのがNGなのか。どんな理由で、あれはいいけどこれはダメなのか。
土俵の上で真剣勝負する力士たちが、女性には土俵に上がって欲しくない、と言ってるんだよ。たとえ迷信でもね。
4月5日の兵庫県宝塚市の大相撲巡業のニュースが話題になっているけど。
市長さん、あなたの市域には宝塚劇場という男性差別劇場があるんですけど。
アナウンスだけでなく、相撲協会員も口頭で直接女性に下りなさいと指示してたらしいけど、目の前にクモ膜下出血で倒れてる市長と必死の救命をしている看護師が居るのによくそんな事を言えたな。
あの突っ立ってた役立たず親父達の中の誰かだろうけど市長が死んだり障害残っても守りたい伝統って何。
しかもアナウンスした若者と観客に責任転嫁して知らん顔かい、人間として終わってる。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00000541-san-soci
最初からその宗教に賛同する者以外は一切土俵に上げなければいい
別の宗教でも部外者立ち入り禁止エリア設けてる所は多いわけでそれでいいだろ
客の中にも道開けた奴と、こうやってやじってたやつがいたんだろうね。
で、やじってた通りに女性が救命作業辞めて降りてたら、市長は死んでたわけだ。
お前があの場にいて、お前の望み通りになってたら、間接的に市長殺すことになってたのだな。
4月4日、京都・舞鶴で行われた大相撲の地方巡業の際、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市長に、周囲の女性たちが救命活動のために土俵上に上がった問題について、メディアを通じて大きな問題になっている。
医療関係者と報道されている女性が救急救命中、行事が「女性は土俵から降りてください」と繰り返しアナウンスし続けたことが大きくクローズアップされている。
歴史ある大相撲の伝統として、土俵には女性は上がることはできない「女人禁制」の原理原則からすれば当然の話である。
しかし、世間はそうは受け取らなかったようである。この土俵問題を報じているヤフーニュースのコメント欄をザッと読んでみても、女人禁制の制度自体に対する批判が多かった。
ちなみに、私自身も個人的には大相撲・土俵の女人禁制には批判的だし、もっと言えば皇室の男子継承についても改革するべきだと考えている。
ヤフーニュースやテレビの報道番組の中で言われていた批判の中で印象に残ったのは「女人禁制の原則を守った結果、救急救命行為が行われずに、市長が死んでしまったらどうするのか」という論理である。21世紀の現代社会なのに、女人禁制のしきたりは時代遅れではないのか、と。
しかし私から言わせてもらえば、「女人禁制」というしきたりは、しきたりという古めかしい言葉で表現される以上の意味を持つ、「思想信条」に等しいのではないか。
私たち一般人から見れば女人禁制なんて、頭のおかしい考え方そのものに思えるが、大相撲関係者の人たちから見ればそれは教義と同じことなのだ。
大相撲関係者の胸の内を想像してみると、死人が出たとしても女人禁制の原理原則は守るべきことなのだと!
ここで思いついたことがある。中東・イスラエルとパレスチナの中東戦争のことだ。
ご存じの通り、中東戦争の火元であるエルサレムにはユダヤ教とイスラム教、キリスト教の聖地となっている。
ユダヤ教徒によって神聖な存在である嘆きの壁、ムハンマドがここで昇天したと信じるイスラム教徒にとっての岩のドーム、そしてキリスト教徒にとっての聖墳墓記念聖堂の3つである。
この3つの宗教をめぐって、あの地域の人たちは50年以上も戦争を続けている。
私たち日本人から見れば、中東の砂漠の中の地面を巡って殺し合いをするなんて、あの土人どもは頭がおかしいだろうとしか思えないことであるが。
しかし彼ら(ユダヤ・パレスチナ・周辺諸国の人たち)からすれば、「教義のためなら死をも厭わない」と本気で考えている人たちが多いということだろう。
そして21世紀の現在でも、彼らは殺し合っている。