はてなキーワード: 客先常駐とは
SESが努力不足、あんだけ炎上したのはこれもちょっとあると思う。
写真が若くて可愛い女の子ではなく、冴えない男の写真だったらあんなに燃えなかったと思う。
燃やしたやつら、どんな形でも可愛い子と接点が持ちたかったのか。
それともSESなんて底辺の環境に入ってきてくれた=自分たちにもワンチャンあるかも?とか一瞬でも思ってしまったけど、実は見下されてると知って攻撃的になっちゃったのか。
見下されるのも当然なんだけどな。
SESなんて待遇の悪い底辺職で、給料安いくせに客先常駐が大半だぞ。ほとんど派遣だ。
「まともな会社だってある」「コンサルだってSES契約だ」っていうSES経営者もTwitterにいるけど、まともなSES会社なんて体感で全体の2,3%あればいいほうだ。
コンサルだったらそもそも「SESです」なんて聞こえが悪いから名乗らないよ。
運悪くSESしか入れなくても、まともなやつは三十路前に抜けだして上位の会社に転職してる。
極々一部の「エンジニア」像に憧れ、手習いの独習や、情報系の大学を出てても所詮はアルバイトやインターンレベルでみんなほぼ未経験でこの業界に入ってきて、何の疑問も持たずにイカれた労働環境で社内に軟禁に等しいレベルの自社開発や、客先常駐に送られる奴らがいる悲しさ
そしてネットのごくごく一部の、エンジニアの内100人もいないような有名プログラマーだけを見て、技術力をつければ上に行けると勘違いして、激務と狂気に等しい仕事に耐えて残ったプライベートの時間さえも勉強に費してしまう悲しさ、しかもその勉強は方向性がわからないので8割無駄になる可能性さえある不安さ
業務外時間の勉強という労働者個人の良心に寄生してる業界だからまず日本で崩壊すると思うけど
逆にアメリカや中国でもすぐに崩壊するんじゃないかとさえ思えてくる
コンピュータを窓から投げ捨てろとなる時代もそのうちくるだろうし、現に日本では一部そうなってる、今の若者はパソコンさえ持たない
ここ十数年の狂ったIT業界の地獄を目の当たりにしたとなれば、そら親や子供たちは医者か公務員を目指すわけだわな
そもそも増田はエンジニア個人の努力をドラゴンボールやジャンプ漫画並みに称揚するけど、ほかに指摘する現実的にIT業界の在り方を認識してる増田もいるけど、彼らが言うように所詮は個人の独習でできる努力で身につく技術力が年収に与える要素なんて、大甘に見積もっても上下100万程度だろう
現在40代とか50代のオッサンが若いころなら、秋葉原ででじ子の看板あった時代くらいであれば、独習以外に方法がないし、その独習が先行者利益で金になったけど、今や軍事技術とかで中国やイスラエルなんて国と軍隊が総出を挙げて開発してる、増田のカスみたいな人生1万回分の開発投資資金と、理解するだけで10年はかかるようなハード・ソフトが入り混じった複雑な技術をね、そんな時代だと知ってるから努力をゲッターロボ並に信じるんだというくせに、努力のダンピングなんて単語が飛び出すんだろうね
まさにその状況だ
前職の客先常駐では資格とってもなあなあにされて、あとから入ってきた気が強い子が先にシフトされてくのがキツくて退職した
今のところは同じフロアに同じ会社の子いなければもっと我慢できたかもしれないけど、いるから視界に入ってきて、待遇の違いが辛すぎて辞めようと思った
今度は絶対客先常駐は嫌だと思って転職活動していたので迷ったが、アサイン予定だった案件がすごく自分の希望にあっていた為、承諾した。
ところが入社後、コロナウイルスの影響でその案件がなくなってしまった。
1ヶ月の夜勤込のシフトの短期案件を提案され、迷ったが興味のある仕事内容だったこと、手当がつくこと、短期であることから了承した。
その後、時期的な関係や自分の年齢、長期案件に入りたいという気持ちがあった事から他の案件に決まらず3ヶ月待機する事になった。
途中、良い案件を紹介されて向こうも好意的で私も乗り気だったが、入場時期が数カ月後だった為、並行で受けたり。
その間ペーパードライバーなのに2年ほど高速の運転をする案件に入れられそうになったりして、全力で拒否したりもした。
思えばそこで退職を考えていると捉えられてしまったのかもしれない。
そして現在、緊急で人が欲しかったらしい業務内容が不本意で、通勤時間片道2時間、365日24時間勤務の案件にアサインしている。
行きたかった案件には別の人が行き、同じく待機が長くなっていた人が通勤時間が短い場所や土日休、経験が積めそうな案件にアサインされているのを知ってしまい、現在の案件で1年以上働くと思うとすごく辛くなった。
続けたあとまた決まらないのではないか、続けてしまったという実績を作ってしまうと、また365日24時間勤務の案件にまた入るのではないかという点も不安に思っている。
待機のプレッシャーに負け、悪条件の案件でも折れてしまった私にも非はあるが、やはり辛い。
とりあえずもう客先常駐はやらない!
しかし、元請上司のレビューでよく分からないリテイクを何度もされて、何をしてもリテイクされて、解放されたくて退職代行で辞めた。もう義を通す気力など残っていなかった。
次のうち、どちらが辛いだろうか?
①自分は役に立っているが、人間関係がうまくいかず、パワハラを受けながら仕事をしている。
②自分は役に立たず、人間関係は多少殺伐としているが、特別嫌がらせを受けているわけでもない。ただ、何をしてもうまくいかない場合。
辛いのは②だ。自分が役に立てないのは本当に辛い。仕事をしても何も成果物を提供できないのは辛いことだ。
辞める4ヶ月前に客先が変わった。
今までと言語も変わり、組み込み系に移動したこともあり、未経験と同レベルの戦力であった。
商流は
だった。
この元請は業界内ではSIerなどと呼ばれる存在だ。この元請の社員がチームリーダーなのが、この社員にメンタルをやられて、仕事を辞めた。
この元請社員は法律的には上司ではないが、実際は偽装請負でいろいろ指示をしてきていたので、ここでは元請上司と呼ぶことにする。
元請上司はチーム内の皆んなから嫌われていた。一貫しない発言、気分屋な言動、威圧的な態度。だから辞めたくなる時なんていくらでもあった。
だから、辞めるきっかけも些細なことだった。積み重なっていたものが溢れ出したのだろう。
きっかけは、作業の予定と実績をまとめる資料(以下、予実ファイルと呼ぶ)のレビューだった。
本来は予実ファイルは初期に作成すべき資料だったが、全体日程が遅れていることもあり、このファイルの作成も遅れていた。
予実ファイルは作業の洗い出しと、作業完了の予定日を記載するのが仕事だった。作業の洗い出しは完了した。
残りは予定日だが…既に作業は遅れている。予定日なのだし、元々の日程を書いてレビューに回した。
数日後、元請上司のレビューでそれを批判された。異常な剣幕で批判された。
既に遅れている予定日を書いてどうする、と。
自分で完了できると思える予定日を記載しろ、などという事を1時間余りの罵声と共に言われた気がする。
気がする、というのは、この元請上司の言い回しはなんとも要領を得ない、周りくどい言い回しをするので、何を言ってるのか要約するのも大変だからである。
自分で完了できると思える日程をかけ、と言われても、私はまだその作業をしたことがない。全体日程も把握してないのだからスタートがいつになるのかすら把握していない。完了予定日を考えるには情報が足りていない。そもそも日程を書けばいいだけのタスクなのだ。
なら、元請上司がレビュー時に、仮の日程を提案し、その日程で作成するのがベストなのではないのだろうか。
これまでの客先では、予定日は予め定まっており、私のような末端作業員はその予定に合わせて作業をしていた。
予定日までほぼ経験のない末端作業員に決めさせるのは、頭がおかしいと言わざるを得ない。
予実ファイルの作成で難しいのは作業の洗い出しであって、作業の完了予定日に頭を悩ませるなど、普通に考えてばかばかしいと思える。なぜなら、日付を決められた枠に記載するだけなのだから。
しかし、適当に書くわけにはいかない。日付を書くには根拠が必要だからだ。
元請上司に聞けば、となるが、彼に聞いてもきっと欲しい情報は手に入らないだろう。元請上司は読解能力が異常に低い。発言も要領を得ない。しかもグタグタどうでもいい事を話し、異常に怒り狂って嫌みたらしく説教を始める。
これは、私が特別嫌われているからなどではない。誰に対しても同じ態度なのだ。
ただ私が、客先に入ってばかりで組み込みをほぼ知らないために、それを乗り越えることができなかったということだ。
とにもかくにも予実ファイルのレビュー反映で、解決できない問題に陥ってしまった。
チーム内の人に聞いても解決できなかった。
そうこうしているときに21時を過ぎており、退勤することとなった。
この予実ファイルの作成が、退職代行で辞めることとなったきっかけである。
何で検索した時か忘れたが、グーグル検索の広告に退職代行のPRがあった。
(退職代行が流行る前だったので、退職代行を知ったのはこのときに見たのが初めてであった。)
この時の私はかなりメンタルをやられていた。上で挙げた予実ファイルの問題以外にも、いろんなことがあったからだ。たぶん1日に1回は元請上司とバカみたいな問答をしていたと思う。その度にメンタルをすり減らしていた。
出社すれば予実ファイルの、日付を書くだけという単純なのに解決できない問題をやらなければならない。
理解力が低く、しかもこちらを下に見て横柄な態度を繰り返す元請上司に、日付を書くための前提知識を引き出せる自信がなかった。
予実ファイルから抜け出したいという強い思いと、この客先にいてもいつかは自分が壊れて破滅が来るという思い、そして低賃金なのにプライドを持って仕事をする必要はないのではないか、という思いから、仕事からとにかく離れたかった。
この日は木曜であった。
1日行けば土日の連休があった。
予実ファイルをとにかく触りたくなかった私は、次の日、仮病で休んだ。
とても気持ちよかった。ゲームもした。この頃にゲーム内でよく聞いた音楽は、今でも聴くと泣きたくなってくる。
少し気分が落ち着いて、退職代行で辞めなくても、普通に自社に限界だと伝えて、普通に辞めてもいいのではないか?とも思った。
しかし、普通にしていれば、この客先とは離れられても、退職までには至れないと思った。無能のレッテルを貼られ、別の客先に入れられて、また低賃金で買われるだけだと思った。同じことの繰り返しになるだけだと思った。
自社への不信感も相当なものだったのは確かだ。偽装請負をするような中小IT企業に愛着など持てない。
ただ、この時の私は、楽さに身を任せたかっただけだと思う。退職代行なら楽に辞められる。その魅力に取り憑かれてしまったのだと思う。
普段の私なら流石にこんな不義理なことはしない。精神的に弱っていたのだと思う。
私は退職代行で辞めるという不義理なことをするのだから、せめて辞める理由は自社に伝えたかった。
理由などは伝えてくれないのですか?と聞くと、どうせ辞めれば接点がなくなるのですからそこまでしなくてもいいですよ。と言われた気がする。
①客先常駐であり、客先の鍵を常に持っている。
それでも退職は可能ということを聞き、月曜の朝一に最終的に退職代行で辞めるかどうかを決めることにした。
そして日曜日中にお金を指定口座に入金し、退職代行に実施の連絡をする。
月曜は自社には連絡しなくても良いとのことなので、何もせず温泉に向かう。
さすがにこの時は開放感でいっぱいであった。
自社関係の電話はすべて着信拒否にし、スマホの通知も全て消して、電源までオフにした。
朝早くに家を出たので近くのモーニングで食事をしてから温泉に向かう。
退職代行は朝9:00頃に動き出したらしい。電話をしたが担当者が不在だった。担当者に繋がって要件を話した。状況を確認して再度電話することとなった。などなど、逐一連絡をくれる。
なぜ電話?と思っていると、
本当は嫌だったが、損害賠償を逃れるためにGmailで捨て垢を作り、引き継ぎなどはそのメールアドレスで行うことにし、
引越し費用はどの規約を根拠にして請求してるのか、と尋ねることにした。
結局、損害賠償は請求されず、引越し費用もこれ以降話にのぼることはなかったが、かなり肝を冷やされた。生きた心地がしなかった。
その後、即日退職になったと伝えられて、会社からの貸与物は客先の鍵も含めて郵便で返却するように指示を受け、また退職届を書く様に指示を受けた。
この頃になるとかなり平常心を取り戻していた。次の日に悲劇が襲うとも思わずに…
貸与物をすべて郵便に詰め、退職届と一緒に書留で郵便に出してひと段落していると、一通のメールが届く…。
客先の鍵だけは郵便に入れない様に!直接取りに行きます。と書かれていた。
もう出しちゃったよ…。
今更指示を変更するなよ、とキレながら、でももう出しちゃったから直接手渡ししなくてもすむという安堵感とともに、退職代行経由で状況を伝えました。
昼ごろ…
…部長の声です…。
誰だろう?と思い取ると、住んでいるマンションの管理者でした。
マンションの管理者は言います。鍵を部長に渡してもいいですか?と。
私はやめてください、と言います。
マンションの管理者は、名義人は会社だから会社から言われれば鍵を渡さざるを得ない、と言います。
何も言えない私を、マンションの管理者は、せめて会話だけでもしてください。電話だけでもしてください、といいます。
部長は客先の鍵を受け取りに来たといいました。
客先の鍵は郵便ですでに自社に返したというと、激昂して「郵便はダメだと言ったでしょう!!」と言われました。
「辞めるのは仕方がないけども、退職代行とかいう変なものを使って辞めるのはあかん。前代未聞や。」
と言い、電話を切り、帰って行きました。
部長に合わずに済んだとはいえ、部長の訪問にひどく狼狽えた私は、退職代行に電話しました。
この電話はなにかを退職代行に依頼するものではなく、ただただ自分の狼狽を人に伝えて落ち着くためのものでした。
退職代行は黙って私の話を聞いてくれました。
退職代行の元々の話では、一切会社と個人でやりとりをすることなく、仕事を辞められるということでしたが、
今回の様に会いに来ちゃってしまえばそれをとがめることはできないとのことです。
うちの会社は、本社と私のいる支社とが仲が悪く、本社にだけ話を通しても、支社には話がいかないのでした。
PCのパスワードやローカルで保存していたファイルの置き場所などを記憶を頼りに伝えました。
Gmailに来た質問を単調に答えるだけでしたが、意外にもGmailには罵詈雑言はなく、質問だけが送られてきていました。
ここまで来るとほぼ事務員との(退職代行を挟んだ)やり取りとなります。
この事務員とはぼちぼち仲が良かったのですが、さすがに退職代行で辞めた後はすごく態度が悪かったです。
退職時に守秘義務などを徹底するために誓約書などを書く必要があり、それらが郵送で届いたり、などいくつか手紙でのやりとりもあったのですが、敬称が抜けていたりしました。
手紙の冒頭の
○○様
が呼び捨ての
○○
になっているなど。
他にも社宅だったので引っ越しが必要で引っ越し先を聞かれたのですが、教えたくなかったのとまだ決まっていなかったので、転送設定にしておきます、というと、烈火の如く怒り出し、
などと言っていました。
まあ離職票、結局忘れてたらしくて催促して、退職してから1ヶ月後くらいにやっときましたけどね。
正直、使うべきではなかったのでしょう。
不義理なんてものではないですし、残された人たちに迷惑をとてつもなくかけてしまいます。
会社の名誉を傷つけ、事務員は退職を処理するために残業が増え、同じチーム内のメンバーや管理職は穴埋めや謝罪に追われたでしょう。
自身も罪悪感に襲われ、退職して1週間ほど経って冷静になってからは快眠できなかったです。
よく巷で、「退職を志願したのに管理職に握り潰され、退職できない様な人に退職代行は便利」と言われています。
たしかにこの様な、最善の努力をしたのに退職できない場合は便利でしょう。
しかし、私の様に、退職のために自分から動かず、すべて退職代行任せで辞める人もいるのです。
弁明しますと、私の場合は退職のために動く気力も体力もなかったのです。元請上司の意味不明な仕事の数々で気力を失っていたのです。
退職代行はほんとになるべく使わない方がいいです。
ただし、自分が壊れる前には使った方がいいです。
何年も何年も前の話だが、その大企業の基幹システム導入のために、体育館みたいに広い謎の部屋に並べられた長テーブルに隣の人と肩をぶつけながら働いた。
保守フェーズになると、すごく人が減ったが元請けに近いところにいたので、保守フェーズでも縁が切れなかった。いわゆる客先常駐ってやつだ
中にはエンドユーザー大企業に気に入られてその情シスとして引き抜かれた人もいた。
すごく嬉しそうだった。
その大企業で全国の拠点を結ぶ重大なシステムを保守するというのは楽しいしね
でも、現在は急速に其の規模を縮小している。
害虫から引き抜き転職した人や、同業他社から社内SEになりたくて其の会社の情シスに転職したプロパーの人たちはいまどうしているんだろう…
いい人たちだったのに。
無事に脱出されていることを願っている
自分は今32歳だ。東京タラレバ娘の漫画の初刊だけ読んで、東京オリンピック開催時に32歳?うっそ信じられない、わかるわその怖さ、的な反応を確か2014年くらいにした記憶を今唐突に思い出したけど、その32歳になってしまった。けれども、三十路から眺める人生地図 - みんからきりまで を読んでいて、「完熟してしまったプラットフォームへの興味関心を失うこと」、「加齢によるパフォーマンスの衰え」、わかるわーめっちゃわかるわーってうなづきながら読んでしまった。違うといえば、30歳という具体的な峠を過ぎて全力で下り坂を転がっていることくらい。でもこれから失いつつあるであろうものへの恐れが依然として残ってるので、もうなんだろうねとしみったれた心でやりきれない毎日を過ごしている。
1月生まれの自分にとっては、4月はじまりではなく1月はじまりで一年を振り返る癖が社会人になってから自然と身についた。つまり自分の中では32歳の半年がすでに過ぎたわけだけれどもコロナで一人暮らし歴14年の子供部屋おじさん的には心の未熟さを痛感する次第だった。長引くリモート生活で、昼夜が完全に逆転して、朝11時からあった部会を完全に寝過ごしてお水エンジニアってあだ名を営業の人にいただいたり。それでさすがにやばいと思って完封したはずの個人輸入禁止前に大量に買い占めたデパス錠...正確にはゾピクロン錠か、を取り出して完全に依存症と化したり。薬の副作用でちょっとしたことで切れやすくなる自分をあ、今きれているのは明らかにおかしいと自覚しながらキレて、その後正気に戻っては眠れなくなることを繰り返してたった三か月前しか経ってない今はまだちょっと当時を振り返りたくない。ぶっちゃけ今でも週末の金曜など薬の影響が平日に及ぼさない日にいまだに飲んでるし、抜けられていない。
あ、そうだ、身体変化か。全て薬のせいなら良かったのだろうけど、薬抜いても何も変わらないね。集中力すぐに切れるね。30分が維持できないね。アスペの傾向だったのでむしろシングルタスクなら処理速度指標は高い自負があったのだけど、ここ数年は完全にアドバンテージを失ってしまった。いや、考えてみれば普通に第一志望大学を落ちたあの日以来、なにか本腰いれられたことってあったのかな。リングアウトアドベンチャーは高い抽選倍率をくぐり抜けて変えた反動で四天王が闇落ちするぐらいまでは毎日やったけど、ぷっつり飽きたぜ。
完熟されたプラットフォームといえば、自分も転職前はAndroidのアプリケーションもLinuxKernelもちょっとやっていたから成長中の楽しさはすごくわかる。kotlinはぶっちゃけほとんど覚えれなかったへぼいプログラマーの戯言だけど、Dagger2の登場でまるっきりプロジェクト構成が変わってしまったアプリケーションの構成はおおおおおおおおすげーーーーー!!jUnitってこうやって使うんやーーー!!t_wadaさんのセリフがやっとわかったぜー!!!って感動があったものだ。PFレベルで言えば、AndroidOS4.3から6.0くらいがめっさ楽しかった気がする。昔話しかできなくてごめんなさい。でも、AndroidOS4.3のBLE対応で知ったIoTの世界、AndroidOS4.4のKならkuzumochiやろと勝手に思ってたらkitkatって名前に決まって失望しちゃったけどOSとしては意外と悪くなかったこと、AndroidOS5.0のバージョンごと抹消されるレベルの混乱、5.1は覚えてないけど、AndroidOS6.0でWiFiのSSIDがbackendで取れなくなって代わりの手段を探すことになったりセキュリティ基準の変更に色々戸惑ったこと、バージョン更新ごとにいろんな出会いがあり、お祭りがあった。客先常駐だけど、品川とか武蔵小杉とか日本でAndroidの開発拠点があった場所にいさせてもらって色々楽しかった。まー、自分は増田ほど人ができてないから当時知り合った人たちで今も交流がある人はそういえばまったくいないけど。人脈とか友情とかそっち方面の資産はまったくできなかったな。変わっていくプラットフォームは楽しかった。
去年出会ったKubernetes=k8sもそう。一時期RSS等でKubernetesの情報がないか人力クロールを何度も繰り返すレベルだったけど、かといってrepositoryにPR送れたこともdoc系ぐらい?かかわりも薄いまま、いつのまにか今のバージョンからサポート期間が一年に延びたというではないか。Sidecar周りの整理だとかまだ課題はいくつか残っているけど、SIGによっては今後の機能拡張ネタは明確に決まってないところもあるし、あーもう成熟しつつあるんだなって当時の熱情を失いつつある。rustが来ると聞いて、k8sつながりでrust-vmmとか追ってみたけど、mailinglistのData量的に明らかに去年がピークだった。多分勢いを失いつつあると思う。これfirecracker以外に来るのか?rust/wasmはYewがあるし、Envoyのpluginもあるし、フロントエンド、バックエンドサービスとしては今後に期待だけれども、kernelに対しての適用、driver周りから浸透する未来はちょい疑義的。とりあえず、Kubernetesという超巨大プロジェクトを突き詰められた感じもしないまま、多分EKSしか触れない今、オンプレ系の構築、運用技術はKubernetes the hard wayの第四章のオレオレ証明書取得処理がコマンド打つだけなのに辛かったという記憶を残して風化するんだろうな、あと一年ぐらいで。そんな予感がある。
改めて人との縁が残っているこの人がうらやましい。ヒューマンスキルが元から皆無な自分にはわからないけど、漏れ聞こえた話だと新人とまじ会話繋がらなかったという話もあるし、10歳差を超えた会話はスキルじゃなくてもう才能でしょレベルなので結局同時間、同時代を一緒に生きた同年代の人たちをかかわりをどれだけ残すかなんだと思う。新しい縁ができなくてもそれは衰えじゃなくて自然なのだろう。過去十年を振り返るなら、自分はその維持をまったくしてこなかった。だからこれからはお金で買おうと思う。多分後十年くらいして月1~2万円所得を上げられたら、バーチャル嬢に昇給した所得を全部突っ込んで、桜蘭高校ホスト部の環x鏡夜編がいかに良かったかもうずっとその話ばかりする予定だ。それだけを生きがいに生きていく予定だ。カビが生えたレベルのjavaスタックとk8sとrust、その辺でエンジニアとしてうだつの上がらない生活を送りながら。
恐れていた事態が起き始めている、コロナに感染してしまったエンジニアがユーザーへの謝罪と派遣先に始末書を提出することになった。
感染経路は不明だが、感染したことによって客が客先常駐エンジニアの健康管理を問題視し派遣先に対する苦情へと発展したためだ。
「自分たちが罹らないように気を付けているのに常駐エンジニアが感染するとは何事か」と言う事らしい。
当のエンジニアは少なくとも上記の他に2週間の強制休暇と、客に報告する用の朝と昼と夜の体温報告書と体調報告書を毎日メールで朝と昼と夜に派遣先に行う
加えて完治したことを証明するための治癒証明書のコピーを派遣先と客に提出する。そして感染するまでの行動と感染した後の行動を報告書として
派遣先に提出し、派遣先から電話での詳細確認(事情聴取)が行われる事になった。そこで満員電車に乗っていた事が問題視され始末書の提出となった。
客から「満員電車を避けるための行動を取らなかった」と刺され始末書提出と言う流れである、今はコロナに感染すると感染者を出した会社が悪い意味で注目を浴び
イメージの低下に繋がるのと感染者が出た場合のコストが余計にかるため神経質になるユーザーが増えた・・・本人の努力でどうにかなるものではないのに怒りの矛先が
派遣社員やエンジニアに向かいやすくなっている。仕事中もプライベートも外に出歩いていなかった事を説明しても不満を緩和する事が出来ない事も多い。
自社の正社員に対しては、そんな事はしないのに派遣社員やエンジニアに対しては謝罪と対策を要求してくる。
本当に理不尽だと思う、でも新しい生活様式の中でも立場の弱いものが一番痛い目に合う事は変わらないらしい。
ちなみに感染経路は実際は不明だ、満員電車で~と言うのは客の思い込みであり正式ではない事を気を付けて欲しい。
独立系SIerに勤めて10年ほど。収入は入社時から殆ど変わらず手取り18万。
特別に節約らしいことをしていないせいもあって、収支は常に微赤字。
不足分はカードローンに頼っていたが、積もり積もってそれも遂にパンク。
結局は両親に借金を肩代わりしてもらい、このままではまた借金膨らむだけなので、
東京で転職活動もしてみたものの、ずっと客先常駐で社内調整ばかりしていた為、
面接までいけても、せいぜい今と変わらない待遇のところばかり。
実家は一番近い食品スーパーまで車で20分といった具合のど田舎。
しばらくは両親の貯金と年金を食いつぶしながら暮らすことになるが、再起は難しそうだな。
一生「東京から逃げ帰った」という劣等感を抱きながら働くことになりそう。
辛いな。