はてなキーワード: 同性結婚とは
国民に安楽死を与えても国に得がない…っていうんだったら過疎地のインフラとかは完全に捨ててもいいし、同性結婚への税的優遇は全くやらなくていいってことになる なんなら老人の医療費を出すのも損っぽい
死にたいと思ったら気楽に苦痛なく死ねる そういう社会だったらかなりいいと思うんだよなあ
実際特に条件とかなく死のうと思えば安楽死できるんだったら今よりフットワーク軽く頑張ってみようって人かなりいると思う 受験就活で失敗したって別にいいし、将来食っていけなくなる職業についてもいい いざとなれば死ねばいいんだから
とにかく今は自殺のハードルが高すぎる 俺も一回首吊ろうとしたけど不器用すぎて半端に苦しんだ結果死への気力が萎えてしまった(かといって生への気力も萎えたまま)
非同性愛者の多くは、普段同性愛差別をスルーしてるわけじゃん。同性結婚を認めない自民党を支持する人が大半で、それが選挙の争点になることもない。
そういう多数派がいざ同性愛を消費するとなったとき、その後ろめたさ、居心地の悪さをキレーに排除するのが「同性愛に偏見のない世界」なんだよね。おっさんずラブ、ユーリオンアイスなどはこの点から俺は嫌い。異性愛の腐女子がこれ等を偏見のない世界で進歩的〜21世紀を感じる〜とか言ってるの見るとムカムカしてくる。ふざけんなよ、と。
逆に、同性愛に偏見のあるおっさんやババアが普通にいて、そいつらが勧善懲悪的にご近所や職場から嫌われてたり、話の流れ的にコイツラ間違ってますねと表現されたら、こういうのを待ってたって思う。
「同性結婚とかは世の中に必要な制度だと思うからそこは声を上げて望む」って本文にも書いたよ。
正確にはLGBT以外なのだが、ここでは本題ではないのでざっくりバイ(両性愛者)に近い物として話を進めたい。
ある時Twitterでふと性的指向について呟いた事があった。
何年か前の話だから内容自体はもうぼんやりしてるんだけど、自分が当事者と言う事もあってわりかしカジュアルに呟いた。
そしたらFF外から失礼されたのね。どこから来たのか知らないけど。
「性的少数派に対する理解がない」で要約できるような内容を、無駄に論理をこねくり回して長文にしたリプライがツリーになって何件もついていた。
自信の属性を割と楽観的に受け止めてるが故に、雑というかカジュアルに呟いてしまった事がそう受け取られたのだろう。
自分は怖くなりつつも、相手が展開してきた論理について「自分はこういう意図で言ったんですけど」「でもこうは思いませんか?」という論調で議論を返した。
相手はそれはもうヒートアップしていて、だんだん口調の荒さが増してきていた。リプライの長文も増える。そしてそのうち最後にこう言った。
「本当に理解力が無く人の気持ちの分からない馬鹿なんですね。性的少数派の方に失礼だとは思わないんですか!?」
すると、それまで2分そこそこのスパンですっ飛んできた長文返信が止んだ。
20分ぐらいして、こんな返信が来る。
「この度は当事者の方とは思わず、御無礼大変申し訳御座いませんでした。私が間違っておりました。」
確かに自分はLGBT活動家ではないし、その手のコミュニティを築いている訳でもないので、自身のセクシャルについて特にプロフィールに記載していない。
隠している訳ではないから言及はするし長いフォロワーは知っているだろうけど、
その前提が必要でない時にまでわざわざ引っ張り出すほど、自分は自分のこの属性を特別視していない。
だから"普通の人"(敢えてこの表現を用いよう)だと思ったのだろう。
うーん。
結構な暴言を頂戴したけど、もし当事者じゃなかったら謝らなかったのだろうか?
当事者だったから、謝るのだろうか。もし自分が本当に"普通の人"であったなら、その暴言は許されたものだっただろうか。
差別されるのは御免だが、とはいえこの話題において態度を一変させて謝られるほど、別に性的少数派が偉いという訳でも無かろう。
そして驚くべき事はその人は性的少数派でもなければ、要はただのお気持ちヤクザというか言葉狩り警察だったという事だ。
我々性的少数派を気遣ってくれる事自体はまあ有難いし、ポジション上は味方に分類されるのかもしれないが、なんとなくモヤッとした感情が残った。
特に自分のような両方の性を愛せてかつ心の性別に差異の無い人間は、他の性的少数派に比べれば世間からの理解とか差別とかという観点において大分マシというものある。
異性が好きな側面だけを人前に晒して生きていれば、"普通の人"となんら変わりなく生活できる。
さっきから敢えて用いているこの"普通の人"っていうのも、敏感な人にとってはとんでもない地雷ワードだ。
だけど自分は「今現在の世の認識は実際こうだし、ヘテロが多数派なのも確かだし、自分が普通じゃないとしても別に自分は自分だしどうでもいいかなあ」みたいに結構ぼんやりしている。
件の暴言リプライの人が何故掌を返して謝ったのかというと、被害者を攻撃してしまった事に気付いたからだ。
性的少数派に理解の無い加害者を攻撃しているつもりだった。でも実際は被害者だった。だから謝ったのだろう。
こちらからしたら終始、突然FF外から暴力を吐く人間と吐かれた人間の構図にしか見えてなかったけど。
正義感が動いてるだけで、逆に潜在的な差別意識は結構強そうだなー。
同性結婚とかは世の中に必要な制度だと思うからそこは声を上げて望むとしても、「性的少数派は可哀想だから~」とかいらないし、後は自分らしく生きていればいいんだけど。
「同性同士でも好きあっている人がいるのに婚姻関係になれないのはおかしい!」っていう理論自体は間違ってないと思うんだけど
婚姻関係を結ぶ意味が子供を産み育てるのに体裁上両親という関係でいるため、としか正直思えない私には
子供を産むことができない同性カップルの「結婚したい」願望がわからん(批判というより単純に疑問)
おそらく、正式に家族という形になりたいんだろうけど(子供を望まない夫婦もそうだよね)、
このご時世、異性愛者のカップルでも結婚という道を選ばない人だって存在しているわけで、
2人が幸せで一生寄り添って行くって決めればそれでよくないか。それでもう夫婦のようなものではないか。
確かに現状、同性カップルを認めたくない人がいても、結婚できるようになれば認める認めないなしに夫婦(この場合どう言うんだ?)である事実ができるから、
同性結婚が社会的に認められることがLGBT差別撤廃の第一歩になるために動いてるんだろうとも思うけど、
本当に差別のない社会なら、婚姻関係が結べずとも、周囲は夫婦のように扱ってくれるし、むしろわざわざ婚姻関係を結ぶ意味はなくなる気がする。
日本で同性結婚が認められていない現状が違憲であるかどうか争った裁判はまだない。
ただし、憲法24条1項に「両性の合意」「夫婦」という文言があることから、憲法学者の君塚正臣は、同性結婚は憲法の想定されたものではなく憲法問題と認められずに棄却されると推測している[3]。
自身が同性愛者であることを公表している市民活動家の明智カイトは、司法関係者の間に「憲法を改正しなければ、同性婚は法的に成立しない」という意見があると述べている[4]。一般社団法人平和政策研究所によると、憲法は「結婚が男女間で行われることを前提」とし「同性婚を認めていない」とする解釈が「現在の憲法学界の主流派解釈」であるという[5]。過去には青森県で憲法24条の規定を理由に同性婚の届出が却下されたこともあった[6][7]。法学者の植野妙実子は憲法24条を根拠に同性婚違憲論を唱え[8]、憲法学者の八木秀次も憲法の規定は「同性婚を排除している」と主張し[9]、弁護士の藤本尚道も「明確に『両性の合意のみ』と規定されていますから、『同性婚』は想定されていないというのが素直な憲法解釈でしょう」と述べている[10]。法学者の辻村みよ子は憲法24条の規定が「『超現代家族』への展開にブレーキをかけうる」として同性婚合法化の障壁になっているとの見解を示している[11]。
一方で、憲法学者の木村草太は、憲法24条1項は「異性婚」が両性の合意のみに基づいて成立することを示しているにすぎず、同性婚を禁止した条文ではないと説明している[12]。弁護士の濵門俊也は、憲法24条で規定されている「婚姻」には同性婚が含まれず、憲法は同性婚について何も言及していないため、同性婚の法制化は憲法上禁じられていないと考察している[13]。また、憲法第14条を根拠に同性婚を認めるべきだという見解も存在する[14]。セクシュアル・マイノリティの問題に取り組む弁護士・行政書士・司法書士・税理士・社会保険労務士などで構成するLGBT支援法律家ネットワークは、2015年12月、「『憲法24条1項は同性婚を否定していない』というのが憲法の趣旨や制定過程を踏まえた正しい解釈です。したがって、日本で同性婚制度をもうけたとしても、憲法24条1項に違反することにはなりません。日本国憲法が同性婚制度を禁止するものではないということは、憲法学者、民法学者からも有力に唱えられているところです」とする意見書を公表した[15]。
3
3日目 午前
旅先では余り眠れない事が多い。
今日が今回の台湾旅行で最後の朝だけど、グッスリとはいかず、7時前に目が覚めた。
ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。
お客さんかな?ベッドメイクかな?
それにしても、楽しそうによく笑う。
朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳、japan walker、烏龍茶を買った。
昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。
昨日、台北車站の地下街を歩いているとき「中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。
烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。
あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香りが重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。
ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。
台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。
雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。
あと数時間でチェックアウトだ。
午前9:45分。
雨はとっくに止んでいる。
定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。
空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。
3日目 午前
世界に展開するグローバリズムの象徴、スターバックスはここ台北にもある。
わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカルの微妙な違いを見るもの楽しいものだ。
150元を支払い、アイスのカフェモカ、グランデサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。
コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。
入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーにバツ印が書いてある。
その下に「禁止打牌」。
ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。
ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバのドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。
少しがっかりして、70元を支払ってアイスの紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。
旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾版suica、悠遊卡についてだ。
エリーさん曰く、チャージした金額の有効期限は2年だし、デポジットの100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。
複雑な購入手続きで切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK。
多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。
帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄で台湾北部の景勝地、淡水に向かった。
3日目 午後
駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。
ふと見ると赤い看板。
「本河岸遊客衆多
為維護遊客安全
本路段禁止甩竿汉示」
さて、初日の寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。
「千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。
海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。
昼時で丁度いい、食おう。
「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。
こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。
台北についたのは午後14:00過ぎ。
今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。
やがて中山站を過ぎると、右手に地下街にそって長い本屋が見えて来た。
「中山地下書街」
やった、本屋だ。
「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」
台湾版Sex and cityか?はたまた中国のジェーン・スーか。
ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。
これならなんとか分かるかもしれない。
分からなくても、開いているだけで楽しそうだ。
買って帰る事にした。300元。
これは是非行かないといけない。
新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。
色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁の蓋碗がディスプレイされている。
日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかったから丁度いい。
560元は、多分日本より安い。
3日目 夕方
あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リストの最後の項目がまだだった。
台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。
最近、アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。
この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。
どれにしようか?
ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。
席に着くと、鍋一杯のお粥。
さあ食うぞ。
しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。
もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。
これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。
最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。
恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。
無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後の地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路はしっとり濡れていた。
参ったな、あと一息で雨だ。
でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。
意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。
3日目 夜
ホテルのフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。
日本語だ。
そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。
自分は今夜、日本に帰るが、今日、日本から来たかもしれない人がいる。
ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。
しばらく待っていると、また日本からの家族連れがフロントにやって来た。
お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロントの男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。
話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。
一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。
この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。
嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。
「英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。
チャンさんは人当たりが良く、風貌もイケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。
空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。
台湾の男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代で伊達メガネのブームがあった事。
台湾で男同志の性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。
ドトールのトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。
ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。
やっぱりちょっとチャラかった。
チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。
台湾で出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。
もう直ぐ台湾を去る。
台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。
「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」
でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。
「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後のメモを見せた。
「太棒了、台湾」
今はなかなか難しい部分もありますが養子もそのうち認められるようになるでしょう
しかしそのままで子供が生まれない関係を認める以上、今ある控除とかは削りまくって
愛し合う2人が社会的に認められますよ? 病院の付き添いも行けますよ? で、これで本当に満足ですか?
(追記)
現状の結婚制度は「カップルの支援」と「子育て/人口再生産の支援」がごっちゃになっていて、
故に異性愛、かつお役所に届けを出したものだけを保護するシステムになっています。
つまり、対立軸は「異性愛vs同性愛」ではなく、「再生産に貢献するvsしない」というのが正確です。
別に異性愛でもただの恋愛が保護されているわけではありません。
もちろん子なしの家庭はありますが、それはあくまで例外という扱いでしょう。
お役所に子作り申請書だの、子なし許可願だの出すわけにもいきません。
よって、今のシステムに文句をつけるとすれば、「異性愛だけ贔屓するな!」ではなく、
「そもそも再生産とセットにする必要が本当にあるのか?」でしょう。
ここで同性結婚を認めてしまうと、再生産を暗黙の了解としたシステムの中に、
同性愛だけが無理矢理ねじ込まれるという、やや歪なことになってしまうのではないかと思います。
確かに日本を含む東アジアでは、結婚しないと子供が生まれにくいのは事実です。
しかし、「カップルの支援」だけであれば、異性間のそれに限る必要はないのではないでしょうか?
養子を育てるから今の結婚制度に入れてくれ、という意見もありますが、これはよくない気がします。
なぜかというと、養子を育てる選択肢も、育てずに2人で暮らす選択肢も排除するべきではなく、
同性結婚を巡る議論で、異性愛は認めているのに、なぜ同性愛は認めないのか、という意見があるが、
適齢期の男女が交際して、お互いの親に挨拶して、婚姻届を出して、初めて法律婚として優遇される。
そして、全ての異性愛が優遇されるとは限らない。ポリガミーというのがあるらしいが、
また、今でも妾を囲ってる人間というのもいるんだろうが、やはり扱いは原則としてアウトローである。
全ての愛が愛というだけで優遇されているわけではない。まずこの前提が忘れられているように思う。
今の結婚制度は人口の再生産に軸足が置かれているから、そこに寄与しないものは排除されている。
同性愛が悪いんじゃない。同性愛だろうが異性愛だろうが平等に価値がないのだ。
だから、そこをすっ飛ばして、とりあえず同性結婚だけ優遇の対象に入れろというのはダメだ。
同性愛以外の愛のカタチも、同時に全部認めてやらなきゃ筋が通らない。
まあ、結婚やそれに類するパートナーシップを認めるとこまではいい。差別も減るだろう。
けど諸々のお手当てまでよこせやっていうとこまで行くと、さすがにちょっと図々しいんじゃないか。
結婚式は金落とすんなら好きにすりゃいい。部屋が借りられる方がいいし、病室にも入れる方がいい。
私企業がアピール目的で祝い金だの何だの出すのも、どうぞおやんなさいと思う。
お前らが死んでも何年も生き続けます
人が寂しさに犬を買ったり、会話の鎹にしたい程度の理由ではないんですよね?
同性愛がキモいというのは、本当に申し訳ないが、感情としてはある。
ただ、キモいから排斥してよいとなると自分に返ってくるから、それは言いたくない。
以下、ちょっと頭の中を整理させてほしい。
これはおそらく正しい。少なくとも、偽装結婚して子供までもうけるケースもあったみたいだから、
その分は間違いなく減ってしまうだろう。
そして、それの何が悪いんだと思う。
今の少子化は様々な要素があって起きたことだが、世間体の強制力が弱まったことが一因として挙げられる。
その強制力を復活させるべきという論も時々見かけるが、今更無理だろう。
今や皇族も恋愛結婚されている(少なくとも、建前上そういうことになっている)のだ。もうどうしようもない。
個人的には、世間体というのは総じてクソだと思うので、それに縛られた結婚は不幸の始まりと考えている。
故に、なくなるならそれに越したことはないし、そのせいで少子化になろうが知ったこっちゃねえのである。
世間体の排除を異性愛には認めて、同性愛には認めないというのは理屈が通らない。
だからこの点に関しては堂々とすればいいと思う。
おっしゃる通り、ペドの場合は片方に責任能力がないから、そこにつけ込むのは問題外だ。
けど、例えば近親婚。これもLGBTの人らが一緒にすんなってうるさそうだけどさ。
現代の感覚だとやはりキモいと思われるが、制度上禁止されているのはそれだけじゃなくて、
生まれてくる子供に障害が出やすいという実際的な問題があるからだろう。
だから関係を結ぶこと自体は法的に禁じられてないけど、公のサポートは基本的に得られない。
民間の経済活動だと、同性カップルだろうが金を落としてくれればそれでいいから、
テーマパークでやるのは、周りの目もあることだから、もう少しハードルが上がってしまうが。
あと、病院に入院した時に困るというのがあったが、これはむしろ認めない方がデメリットが大きいだろう。
ただ、それらを認めるのと、公の承認やサポートを与えるのは別だと考えたい。
現在、老若男女様々な愛のカタチがある中で、成年の異性愛(それも全ての異性愛ではなく限られた)
子供の有無に関わらず優遇しているのは、それでも高い蓋然性でもって子供が生まれてくるからだ。
同性愛には今のところそれがない。
何の責任も負わず、ただただアヘアヘしてるだけの輩に、優遇策まで与えたくねえというのが本音だ。
そういうのにありつけてないからひがみで言ってるのは認める。
そして、子持ちの家庭は異性愛と同性愛、実子養子の区別なく優遇し、代わりに今ある優遇策は
結婚しているだけでは得られないようにする、というのが落としどころとしては妥当だと思う。
たぶん将来的にはそういう方向に進んでいくんじゃないだろうか。
コーラル・シー諸島のゲイ・アンド・レズビアン王国 - Wikipedia
2004年にオーストラリア政府の示した同性結婚の承認拒否に対してゲイの抗議グループが6月に建国を宣言した。グループは「ゲイフラワー号」と名付けられた船舶をチャーターしコーラル・シー諸島を目的地に船出をし、ケート島を拠点と定めた。抗議グループのリーダーであったデール・アンダーソンは皇帝就任を宣言し、デール・アンダーソン一世を名乗った。抗議グループ以外に住人はなく、王国はオーストラリア政府をはじめとする他の国家には認められていない[3][4]。
デール・アンダーソンもなかなかすごい。本名だろうか。