はてなキーワード: 受診とは
首都圏、郊外住まいの30代の女性です。多少の身バレ覚悟で書きます。見やすく書く元気もないのでご容赦ください。
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①インフルエンザの様な初期症状→病院でインフルエンザ陰性の診断後、帰宅、自宅療養
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② インフルエンザみたいな症状に加え、咳止まらず+37.5℃以上の熱が5日以上続いたので、その旨を先に病院へ伝えて再診→胸部X線で肺炎と診断され、薬の処方をされる。解熱剤、抗菌薬、咳き止め系の数種類。
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③さらに医師からは、新型コロナの可能性が否定できないから、専用窓口(保健所)へ電話相談をするように指示される。ウチは小さな診療所でこれ以上の対応は無理とのこと。
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保健所からは、新型コロナウイルスの検査は武漢渡航者との接触がある人と武漢渡航者優先でやっているので、とりあえずは
症状が悪化してきたら医療機関を紹介するので、薬を飲んで自宅療養を指示される
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⑤2日後、更に息苦しさ、解熱剤飲んでも熱が上がっていて軽快していないので再度保健所へ連絡。
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⑥二件ほど医療機関を紹介され、そこへ自分で連絡して受診する様にと指示される→医療機関へ電話するも対応できないと断られ再度相談窓口へ連絡してほしいと指示される
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⑦再度保健所へ連絡、自宅より遠方の医療機関を紹介される→いまここ
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※ 色々な理由で『対応出来ません』としてる病院もあると思うので、病院自体が悪いわけでない。
変に受診して入院して院内で広がったらそれこそパニックになるだろう。
※問題は保健所の手際の悪さ。そっちで医療機関と話しつけてからこちらへ電話してきてくれないと、無駄な時間と手間がかかる。
※ 自分ではもちろんマイコプラズマ肺炎なのかすら判らないし、
インフルエンザ検査がたまたま陰性になったあとのこじらせた肺炎なのか、
同様に、どこまでを悪化とするのかも実際には素人なので結構判断に迷っている。
処方薬が効いてないと感じている。息苦しい。咳もとまらない。解熱剤効いてない。加えて下痢などの症状も増えてるなかで、
もう少ししたら薬が徐々にきいてくる段階なのかもしれない?まだ我慢して薬飲んで待機すべきなのか?どこがリミットなのかなど。
そこら辺の診察くらいしてほしいものだけれど、、
※この中で確実なのは、
数日前にX線で肺炎と診断された病院からはこれ以上の検査は小さな町医者では難しいので
新型コロナの相談窓口に電話のうえ精密検査をするべきと言われ、
かつ、そこで処方された抗菌薬等が現在において効果を実感できていないということ。
息苦しさや下痢、解熱剤が効いてないなど、症状が増えたり悪化していること。
※勝手に対応不可能な病院に受診して仮に新型肺炎だったとしたら大変なことになるだろうと思い、
何も出来ないのでただただ自宅にいる。寝るのもしんどい。
夫は会社に経緯を丁寧に説明したが『新型コロナ確定』でないしまた休めないので出勤となった。
都内まで1時間かけて電車通勤しているが、自家用車での通勤を考えている。
こういうケースが一件でも存在していることを
国はどれだけ把握してるのだろうか?
看護師だけど、どう考えても紙の方が楽。
タブレット型のタッチパネルを毎日充電して、事務員が高齢者に渡して、高齢者に使い方を説明して、入力できているか確認して
・医療機関で最初に診療を受けるときには、医療先進国のアメリカでも必ず問診票を書かされる。
・検疫時に自己申告の呼びかけを行い、申告内容の厚生労働省への報告と受診勧奨
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000588456.pdf
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000588457.pdf
検疫感染症に指定。検疫法第2条第3号に定める検疫感染症として、対象者への検査が可能になる。
ただし、検査は患者・疑似症者のみが対象で、症状のない者については受診勧奨にとどまる。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020206.pdf
・検疫所において中国からの来航者に対し湖北省滞在歴の有無に応じ「赤い紙」「青い紙」を配布
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000589747.pdf
・出入国在留管理局において「赤い紙」「青い紙」をもとに、湖北省滞在者及び旅券保持者の入国拒否を判断
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000591619.pdf
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020201.pdf
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020212.pdf
検疫法第2条第3号の検疫感染症から第34条の検疫感染症に準じた感染症として再指定。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596291.pdf
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020213.pdf
検疫では特に何も行わず、自己申告のあった人について入国後の受診を勧奨する。
また、中国からの来航者に対し質問を行い、湖北省滞在者及び旅券保持者については「赤い紙」を交付。これを持っていると入国拒否。
...まあ、対応を比べたら中国のほうが安全だと感じるのはわからないでもないなーと思った。
日本は政府としてイベント自粛要請しない、ガード要請しま戦法をとってるけれど、
北京だと移動制限、マスク着用の義務化、コミュニティサービスの休止が行われているらしいからね。
あと、日本は検査体制が整っていないのを運用でカバーしようと頑張ってるね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%86%8D%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%95%B0
COVID-19 1.4-6.6
インフルエンザ 2-3
致死率:0.1%
死者数:1万人
防疫失敗、無策な状態なのでインフルと同じ感染数1000万人とすると
COVID-19致死率:2-3%
故に死者数:20~30万人
受診する重症患者はもっと多いのでアウトブレイクしたらそんな数を捌けない。
医療崩壊が起こりうる。
するとオーバーフロー分は全て野垂れ死にになるので死者数が跳ね上がる。
数字は出しようが無いが40万とか50万とか行っても不思議じゃない。
防疫がちゃんとしていればそんなことにはならず実際武漢も感染8万弱死亡2300人に留まっているが本邦ではインフルと同様の「気をつけて」連呼だけなのでこういう数字。
あと、年寄りから死ぬと思われているが、重症の肺炎では免疫の暴走であるサイトカインストームが起こり得る。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022000115/?P=4
すると多臓器不全になって死ぬ。
https://blog.tinect.jp/?p=63824
https://blog.tinect.jp/?p=63872
自分に被るところがあり、少し思うところがあるので書いてみようと思いました。
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自分が「事務作業員」兼「プログラマー」として、20人ぐらいの部署に配属された時の話です。
全員にあえて聞こえる大声で間違いを指摘した後に
「これについて、何があったのか説明しろ」とプロセスの確認をして、
小さなミスを見つけながら、大体1時間以上ネチネチと怒り続ける。
本人曰く「負荷を乗り越えると人は成長するから、あえて厳しく接している」とのこと。
そんな感じなので、チームメンバーは自分に被害が来ないように最小限のことしか手を付けず、
巻き込まれたくないので誰とも会話しないような感じでした。
チームメンバーが自分の分からないところを埋めるために会話をコソコソしている感じでした。
上司の上司にも「あの説教は良くないと思う」旨の相談をしたのですが、
「あの上司がこの会社の事業の基盤を作ったから、自分も逆らうことはできない。我慢して欲しい」
という、軽く絶望を覚える返事が返ってきました。
とりあえず、部署を変えるには3年以上の在籍が必要とのことで、
そのため、休みの日には本屋で技術書を立ち読みし、いくつかは職場で読めるように購入もしました。
仕事で空いた時間に、こっそりと自分のツールを作ったりしていました。
そうしていると、上司が僕の作業スピードが他の人よりも速くて不審に思ったのか質問され、
結果、そのツールをチームで展開して、他のメンバーが担当する作業の機能も実装することとなりました。
このとき、他メンバーに「何の作業をしているのか?」と問い合わせるのですが、
ほとんどのメンバーは「これのときはこうする。何故するのか意図はわからない」といった返答で、
上司が怖いから仕方ないとは思うのですが、そこは改善ができないので、
僕は、UMLや業務分析を勉強して、なんとか数人のメンバーの要件定義をすることができ、
どうも喉の調子が良くなくて、2週間ごとに喉に激痛が走り微熱が出るようになってきたのです。
その通院の度に会社を休むため、
上司は「社会人としてどうかと思う」という説教をするようになってきました。
2年ほど過ぎた辺りでは、
身体はだるく、頭もボーっとし始めて、
殺害計画を立て、実行のための道具を購入しようとホームセンターまで来た時に、
結果としては「統合失調症」と診断されました。
いろいろと耐えてきた結果、脳内物質の「ドーパミン」が異常に出ているため、
精神に異常をきたし始めているとのことでした。
薬が効いている間は、嘘のようにスッキリして、
「ああ、この部署に来る前の、真人間の感覚ってこうだったな」と思い、
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僕が伝えたいことは、2点ほどあって。
統合失調症は、原因もわかってきて、現在は治る病気とのことです。
「ああヤバい」と思ったら、すぐに受診するのが良いと思います。
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_into.html
あと、我慢しても良いことは無く、先に身体がダメになることがあるので、
逃げられるなら、逃げるべきだということです。
僕も次は、逃げようと思います。
先日「4月まで本社はテレワーク勤務になります」という案内が来て
対応の早さに感心した。
その案内に加えて、期間中できない業務がいくつか提示されたけど
優先順位は比較的低くて、ちょっと工夫すれば在宅でもできない?という
内容ばかり。
オフィスワークはあまり経験がないけど、事務所に集まって仕事する
意義ってあるのかなー、とこの度うっすら思った。
そして私がそうだけど、在宅ワークを知ってしまうと、快適さから
最初は人恋しくなったけど、今は猫三匹&犬一匹&実家だし、テレビ電話で
しょっちゅうやりとりはしてるので、すぐに慣れた。
懸念すべきは、身嗜みに気を使わなくなることと、運動不足による体重増加。
これは、毎日近所のショッピングモールでいくつかウォーキングして
運動しているのでなんとかセーフ。
必然的におしゃれはするしね。
近所をただ歩くのは苦痛だけど、商品みながらだとつるっと5、6千歩は歩いてるものだから。
外で働いていた時は、ストレスで本当に毎日すり減っていて、精神科を受診したり
カウンセリングを受けたりしてた。
仕事ができない私が悪いんだとずっと思ってたけど、在宅に転職して、
同じような人はきっとたくさんいるはず。
接客業は難しいのはわかるけど、テレワークができる業種は積極的に取り組んで
いけば良いのに、と本気で思う。
私はオフィス系の仕事が無理で、ずっと接客業をしてて、心病みかけたけど、
在宅で事務職以外にも仕事があると知ってから、今の仕事について、天職だと
思ってる。
さすがにいい年になっても政治のこと何もわからないってのはマズいと思い始めた
だからといって勉強するのも面倒なので、(車移動の営業をしているので)車の運転してる間はラジオで国会中継を聞くようにしている
なのでこの文章は中学公民もまともに理解してない低学歴の人間が書いたものとして見てほしい
で、昨日の国会はなんだったんだ
俺は昨日の国会は「新型肺炎対策のために開かれたもの」だと認識してるんだが
ずっとホテルの話してるのな
いや、最初の方はよかったよ
受診の明確な基準を示すべきとか、うんうんそうだよなって思いながら聞いてた
それ今話すことなのか?
総理も総理でずっと同じこと繰り返して、質問者怒って出てっちゃうし
なんなんだこれは
誰も「今日は新型肺炎について話し合う場でしょ」って諌める人いないのか
本気でわからない
総理が何か悪いことしているのを無視していいってわけじゃないが、それって「悪いこと」なら裁判でやっちゃだめなのか?
仮に国会でやるにしてもそれってコロナ対策より時間割くべきものなのか?
裁判に持ち込むことはできないし、領収書の問題を解決しないとコロナ対策について話し合えない構造上の制約があるのか?
これ漫画なら、普段は敵対してる連中が、強大な敵の出現にとりあえず過去のいざこざや、考えの違いは置いといて協力する場面じゃないの?
安倍総理がごめんねって言えばすぐ済むのにって意見はその通りなのかもしれないけど
無能な社長がいかに無能で不誠実かを証明しても納期が延びることはないわけで
母親が狂った。
いや、正確に言うと「狂ったらしい」。ただ、私はそれを目の当たりにしてもいないし、明らかな被害にも遭っていない。
今の所、その狂ったらしいと思われる情報を、彼女の周囲から聞いているだけだ。
何かに追われている
盗撮されている
誰かが死んだ
何かが襲ってくるから早く逃げて
そんなようなことを言っては、近所の人の門を叩いたり電話をかけたりしているらしい。
還暦を過ぎた女の独居。寂しいことも不安なことも多いだろうことは予想できるが、彼女に何が見え、何が聞こえているかはわからない。
その事実らしき話だけを聞かされて今、ただただひたすらに参っている。
それから、その彼女の周りが気やすく言ってくる『あなたは家族なんだから』という言葉が、ただただひたすらに鬱陶しい。
私はきっとはたからすれば、普通に育って親の元から巣立ち結婚した娘だ。
だけど周囲は何も知らない。私が、母を含めた彼女の家の呪縛から逃れたくて、一人になり、結婚したことを。
もちろん、やらねばならないことはわかる。
かけるべき電話はいろいろかけ、精神科のある病院等も見繕った。が、病院はどこに連絡しても、すぐに予約が取れそうなところがない。
救急で対応が可能か救急相談もした。しかし予想通り、その症状が出ている最中でもない限り、出動はしてもらえないとのことだった。当然だ。
行政への協力依頼として、保健師への相談も行った。やはり病院受診が先だろうと言われたが、相談実績を作りたかっただけだから、これはいい。
病院に連れて行くにしても、「あなたは頭がおかしいから病院に行こう」などと言えるわけもない。そういう部分のケアも考える必要がある。
それでもどうしても自身の生活の片手間になるから、スピードは遅い。
そこへまた追い打ちをかけるように、『家族だから』と告げてくる人間がいる。
集積されてどろどろになった情報を、その人らの視点から私に突きつけてくるのだ。
離れたくて離れたのに、またそういうものに絡め取られようとしている。他人からの親切丁寧な忠告によって、『あなたのお母さんが大変なのよ』と。
私だって、彼女とは血縁かもしれないが、他人なのに。繋がるなにかを、全部絶っておけばよかったのだろうかと、うっすらと思ってしまう自分がいる。
救急車を呼んでくれていい。
妙に現実的な逃避と、自身の中にある拒絶とかろうじてある義務感がごちゃまぜで、湧き上がる気持ち悪さに吐き気がしてくる。
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愛知県庁
東京都内で16日、新型コロナウイルスの感染者が新たに5人確認されたことが関係者への取材でわかった。このうち2人は、1月18日に屋形船の新年会に出席し、感染が明らかになっている都内在住の70代のタクシー運転手男性と濃厚接触していたという。
70代のタクシー運転手男性の濃厚接触者をめぐっては、14日に男女2人、15日に7人の感染が確認されている。都によると、このうち70代の屋形船従業員男性は1月15日か16日、中国・武漢市からの旅行者を接客したと話していた。運転手男性の濃厚接触者は約190人に上り、ウイルス検査を進めていた。
愛知県は16日、尾張地方在住の60代男性が新型コロナウイルスに感染したと発表した。米ハワイから帰国後に新型コロナウイルス感染が確認された名古屋市の60代女性の友人で、帰国後に接触した。発熱などの症状が出たが軽症という。県内での感染確認は5例目。
県によると、男性は15日に38度の発熱があり、県の保健所に相談した上で、県内の病院を受診。16日に県衛生研究所の遺伝子検査で陽性と判明し、入院した。軽症だという。男性は徒歩で病院へ行き、マスクを着用した上で、ほかの患者との接触を避けて受診したという。
“重症化した場合のCOVIDは発症7日程度で呼吸状態の増悪があると中国からの報告があり、日本の重症例もそういう事例が多いようです。初期は軽症なので受診動機が小さい。よって「発症から受診までの時間が長くなりやすい」傾向をこのウイルスはもっている”
1.風邪をひいたり体調を崩したら家で休む。社会もそれを許容する。
2.しんどくなったらマスクを付けて速やかに病院を受診する。しんどくなければ必須ではない。しんどさの基準は個人差があるので個々の判断で。
3.自宅に家族がいれば、病気の人はマスクを付けて、神経質に何かに触るたびに手指消毒をする。何度でも。
4.仕事や学業を効率化する。人が集まらねばならない会議は最小化してメールでできること(特に連絡事項)はすべてメールやチャットなどでやる。自宅でできる仕事も自宅でやる。
5.医療リソースと公衆衛生リソース(役所含む)を大切にする。モノと人。マスクを無駄遣いしない。人も無駄遣いしない。すぐに病院に駆け込まない。「何かあったらすぐ病院に」と勧めない。夜中の記者会見など無駄なことはしない。というか、記者会見もチャットでやるといい、昼間に。
夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。
8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分はメガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるときの姿勢が悪かったのが原因かもしれない
ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。
しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまったこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。
そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネが割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。
ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。
そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格がさらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。
それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代の写真はほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラスで友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分の長所が勉強しかないのが嫌だった。
だから高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力で視力は回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。
そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色がもっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスはさらに肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査も検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものだからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。
大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト。大学1年の秋には学内で自然と孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日を一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである。
今度はさらに孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種のパニック症状である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神を不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間の思い込みというのも一つの病だと思う。
そして2019年の5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科を受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力は回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。
オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである。
オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療法である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである。
中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼で道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単に解決したのである。
8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。
目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さらに家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである。
8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重は半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。
学生時代のほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日は家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。
カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかしテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。
ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実に脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり、就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはいい人生を歩みたい。
家族にお金もらわないといけないなら旅行でもなんでもいいから口実で
本当に病気となったら自治体から受診分のお金を戻してもらえるようになる
肩こり、体が重い、眠れないのに、朝は起きれない
興味や意欲がわかないし突然自殺を考え出したり、ここのところずっと悲しい気持ちが続いてる
こうして列挙してみるとうつ病の症状なのかな、受診したほうがいいのかな、楽になれるのかなって思うけど、
「本当に精神疾患の人は自分で気づけ無いものだ」って言われてしまうんじゃないかって
この辛さも全部自分が逃げたいから辛いと錯覚しているだけで、単に怠けたいだけなのでは?と自分でも迷っている
こんなに神経の太い人間はうつになんてならないんじゃないか、とも思う
でも精神的な面では特に一昨年~去年からは考えられないほどに急に落ち込むことが増えた
もっと重症になってからならこの状況を理解してもらえるだろうか
ぐるぐる考えてまた一日が終わってしまう