はてなキーワード: 京都とは
京都市の角川市長が今度の選挙に出馬しないってニュースが流れてた。
テレビじゃ、頑張ってくれてありがとうございます!もっと続けてほしかったです!ってインタビューばっかり流れてたけど、京都市民でそう思ってる
・60歳くらい?未満の
人なんてほとんどいないだろ!!!観光客と高齢者優先政策で、市内中心部の経済ボロボロ。せっかくコロナ明けたのに、街中じゃ人手不足(学生さんが減った&バイト通うのに交通費と手間が増えた)で潰れる店続出。
次の市長さんには
・四条通の4車線復活
・中心部に無料駐輪場を作る(鴨川河川敷か御池通なら十分土地あるから!)
を強く望みます。
もうゆうにさんじゅうねん()は前になるが、なんだか体育会系ノリの文系クラブに属していたとき、なにか上回生の目にかなうことをやりとげたら「ピートムで肉、喰わしたるわ!」という不文律があった京都の大学生時代、幸運にも何度か嵐山の東の手前にあった『ピーピングトム』というステーキハウスに連れていって奢ってもらったことがあった。
卒業して数年してから、京都駅の南側にも系列店があったのを発見したり(ネットなんか影も形も無かった頃)したが、安月給の身には縁のないジャンルだなぁとそのまま通り過ぎただけであった。
…月日は流れ、ふと思い出して検索したところ、北山店というところしかもう残っていないのがわかった。「行ってみるか」地下鉄ふくむ鉄道の最寄駅よりもわりと外れた立地にあるので市バス停留所から降りて赴く(Google検索でいちばん徒歩距離が少ない候補を採用した、暑いから…)。
建物の二階部分にある店舗の扉を開けると、奥まで続く長いカウンターと、そのカウンターに沿ってなおかつそれよりも見えないくらい奥まで続く調理スペースが広がる。
150gから500gまでの範囲で注文できるが、カウンターに立ててある見本写真なども参考にしつつ、300gをオーダーすることにした。あと、サラダ類やライスさえも別注文なので、ミニサラダと中ライス、それから瓶のヱビスビールも頼む。それから感覚的に10分から15分くらい待ったかな?といったところですべての品が揃った。
…美味い。しみじみ美味い。小鉢にポン酢醤油と大根おろしと小口切りネギを張ったものが添えられているので時々それに浸しながら、ライスとビールと交互に噛み締める。ポン酢は例の完全味付けを標榜する旭ポン酢系統の出汁とかの旨味がなくでも香料ではなく柑橘類の酸味で勝負するタイプであったが、そんなものに浸さなくても、肉だけ齧って十二分に美味い。見た目はサイコロ状に切り分けられて表面ガリガリに焦がされ粗挽き胡椒が認められ中央が紅くて肉汁が侵出している状態なのだが、ソースもとくにかかってないようなのに、本当にそれだけで美味い。メシマズアレンジャー入門クラス生ゆえ、ついつい卓上の塩やミルに入った胡椒を振ってみたりもしたが、?という感想しか出なかったくらい、どういう理屈かマジでわからないが味わい深かった…。全部たいらげたあと、好奇心と「これも絶対うまい」との確信をもってステーキ皿に遺ったワインレッドな肉汁も啜ってしまったが、汁だけなのに肉の旨味と甘味が確かに感じられた!
先に居た客が退店して独りだけになった気安さもあり、ほとんど同世代だろうとおもわれる顔立ちのやや疲れ気味な店員(ワンオペだった)に味を褒めたら『来られたのは初めてですか』と訪ねてきたので、嵐山に行ったことはあった、調べたら失くなっていたのでここに来た、と伝えると『マスターが亡くなったので閉店した』『ここ(北山店)が先にできて、2年してから嵐山がオープンした』『サラダのドレッシングはここのが少し酸味が強いかもしれない、肉の焼き方やスタイルは同じ』と話をしてもらった。
ネットでいろいろ調べて自宅でも買ってきた肉を焼くことはあるけど、最初の一回以外、どうも満足したことがない。やはりクラシックなステーキというのは美味いものだなぁ、と知った日であった。
北陸新幹線が敦賀まで開通するが、未だに敦賀以西の着工の目処は立たない。
過疎化が進む小浜から京都までトンネルぶち抜くことに湯水のように2兆円もの金を使ってこの国はなにがしたいのか。
小浜から京都までトンネルをぶちぬく小浜京都ルートは建設費推定額が約2兆1000億円。
敦賀から米原までの米原ルートは建設費推定額が約6000億円。
米原ルートでは過密ダイヤの東海道新幹線に直通できないから乗り換えが必要と言われているが、敦賀での乗り換えが続くより良い上に、リニア中央新幹線が開通すれば過密ダイヤは解消される。
リニア中央新幹線の名古屋〜新大阪間の開通予定時期と北陸新幹線の敦賀以西延伸予定時期を比べれば小学生でもわかる。
小浜京都ルートと米原ルートの差額の1兆5000億円を使って、
このように米原ルートの問題をすべて解決してもリニア建設を加速させたうえで4000億円のお釣りが来る。
JTC時代に、新入社員として、Bさんのような社員のサポートにつけられたことがある。
と自己紹介したBさんはホラン千秋に似た、いかにも海外営業といった容姿の独身女性であった。
「私も異動してきたばかりで何も分からないの」
と困ったように微笑むばかりであった。
どんなにつまらない社内向けの書類でも、OSのアップデートでも、Bさんは胸にメモを押し頂くようにして、別の社員に教えを請いにいった。
わたしは能力は人並み以下だが、危機察知能力の高さには自信がある。
初日、Bさんから一日半かかると聞いたパソコンのセットアップが1時間弱で完了した時、
(この人の言うことは本当に信用できるのか?)
という疑問が生まれた。
「開催はだいぶ先だから今することはないの。
何もすることがないのはつらいかもしれないけど、緩急のある仕事だから仕方ないわ」
ともっともらしい話を聞いていた。
しかし、念のため、わたし自身の予習を兼ねて過去のメールを読み返すことにした。
すると、Bさんが回答する必要があるメールが何通も月単位で放置されていることに気付いた。
JTC風にいうと、「ボールはこっちにある」というやつである。
プロジェクトはとっくに動き出していたのだが、Bさんが返信を怠ったせいで数か月ストップしてしまっていた。
相手方から数度にわたって催促のメールが届いているメールさえあった。
なぜ返信しないのか聞くと
と会話を打ち切られてしまった。
わたしは数日目にして、まずい状況に身を置いていることに気付いた。
そこでチームに「状況の」やばさをアピールしつつ、彼女の顔を立てながら、プロジェクトの遅れを取り戻そうと必死になった。
Bさんはとくに焦るでもなく、
「増田さんは配属されて一か月なのに、もう何年も働いているみたいね」
とまんざらでもなさそうだった。
わたしはBさんに仕事を教わっているという体であったので、成果物はすべて彼女の個人フォルダに保存することになっていた。
自動で保存される更新履歴を見るかぎり、彼女はもう自身のフォルダを開いていなかった。
おもな作業者はわたしを筆頭としたBさん「以外」の社員であり、作業の進捗を管理し、遅れや不足に気付くのもわたしたちだった。
Bさんは仕事に優先順位をつけることができないという点で、会社員として絶望的だった。
期日等は考えずに自分がこなせる単純な仕事だけ片付け、それ以外は放置して忘れてしまう癖があった。
わたしは彼女のタスクに気付くと、その背景と彼女がとるべきアクションを説明して、例えばメールならわたしが背後で文章を読み上げてタイプしてもらった。
わたしの時間がとれなくなると、メールの本文を代筆して送り、名前だけBさんのものに変えてもらった。
簡単なタスクを与えずに放っておくと、気まぐれに取引先のメールに
などと返信してしまうことがあった。
それに気づくたびに
「Bの部下の増田です。その日程は別件の立ち合いのため厳しいです。
×日、または△日でいかがでしょうか」
取引先の担当者たちは察しがよく、Bさんのメールに返信することをやめ、わたしと直接やりとりするようになった。
Bさんは「契約書」や「議事録」といった基本的なビジネス用語、また「アダプタ」や「URL」といったPC関連の固有名詞をまったく知らなかった。
「クラウド」や「AI」といった近年の技術をすべて「システム」と呼び、
「学校で習わなかった」
と不満そうにしていた。
と言うのでその通りにすると感謝されるが、知識やノウハウよりも、自身の向学心を表現することに満足してしまうようで、マニュアルは一度も開かれないままだった。
実際、目の前にあることに対する好奇心は強いかただったと思う。
会議などに出席する機会があると
などとうれしそうにしていた。
なお、わたしはその時、彼女の代わりに翌日提出予定の議事録や報告書を起草していた。
ある昼下がり、顧客との打ち合わせに向かう前に急ぎの仕事を片付けていると、彼女が言いにくそうに話しかけてきた。
「あのね、増田さん、気付いてるかもしれないけど、わたし、実は…」
(またわたしの知らない熟成案件が?まさか今から会う会社関連のなのか?)
「わたし、実はキティちゃんが好きなの!このポーチもキティちゃんだし、定期入れもキティちゃんなの!」
(え?今、その話するの?私、あと15分で打ち合わせに入るんだけど?というか、Bさんもですよね?)
彼女は放心状態のわたしに対して、キティちゃんとの出会いから、ご当地キティちゃんを追いかけて京都や沖縄を旅したことについて語ってくれた。
彼女のお気に入りの旅行先は南国で、「何もしないでぼうっとするのが好き」とのことであった。
わたしは何の医学的知識もないのに、彼女の口内炎の経過を毎日30分近く聞かされることになった。
口内炎が完治する頃には、チームの全員が彼女の口内炎について直接聞いて知っていた。
数分後に経営会議を控えた幹部を呼び止めてブリーフィングすることすらあった。
季節は真夏となり、わたしは名実ともにBさんの業務を代行していた。
その頃にはBさんは社内外で完全に孤立しており、話の長いBさんに話しかける人はいなくなっていた。
「みんなオトコだから若い女性が好きなのね。だからわたしに冷たいんだ」
「この会社は古いから、新しい仕事のやり方が受け入れられないんだ」
彼女とて社内外の担当者が彼女をスルーしていることに気付いていたはずで、無理やりでも責任転嫁することで自分のプライドを守っていたのだと思う。
同時期に私は驚くような事実を知った。
口癖のように「わたしも配属されたばかり」と言っていたBさんは、実は私に1年前に異動してきていた。
しかも、だいぶ若々しく見えるが、新卒入社して勤続30年近い管理職世代の社員だったのである。
当時、わたしがBさんに感じていたのは、自分が理解できない存在に対する本能的な恐怖であった。
私が英日ネイティブだという話をすると
「私の年も氷河期で一番入りたい企業に入れなかった友人がいたわ」
(わたしがBさんの英語能力を目にする機会はなかったし、彼女の同期(管理職)によれば彼女はバブル世代である。
しかし、わたしたちの間に横たわっていたのは、世代や学力の差といったレベルでは片付けられない、まったくの断絶であった。
彼女は瀟洒なスーツを着て滑らかな日本語を話す、かぎりなく会社員に近く、(わたしの考える)会社員ではないものだった。
わたしは早朝のランニングをやめて、仕事の整理をする時間を作った。
毎朝「今日自分がすること」と「今日Bさんにさせること」の二つのリストを作って、スマホでスキャンし、会社のメールアドレスに送信した。
趣味を楽しむ心の余裕はなくなっていた。
書店に行って本を選ぼうとしたが、何を選んだらよいのか分からなかった。
学生時代は図書館で借りるしかなかった学芸文庫だって買えるのに、何を手にとってもときめかなかった。
本を選ぶことができず、例のメモ用のフリクションペンを買った時、自分が変質してしまったように感じた。
会社の最寄り駅に近づくと、吐き気やめまいに悩まされるようになった。
「自分が同期の中でも期待されていないから、Bさんのお守りを押し付けられたのかもしれない」
という疑念を振り払うことができなかった。
わたしは同級生から海外の労働事情について聞いていたので、日本の終身雇用制について好意的にとらえていた。
しかし、何かの予算で1000万円という金額を見た時に、Bさんが
と不満げに漏らしたことがあった。
それを聞いた瞬間、数々の疑問が湧いてきた。
年功序列とはいえど、新卒一括採用という一発勝負で、何もできない社員に1000万円が現実的に思える額の給与を与えるのはどうなの?
子供のような年の社員にお世話係をさせてまで引き止める必要があるの?
それ宝くじとどう違うの?わたしのオポチュニティはどうなるの?
仕事が極端にできない社員には引導を渡して、パソコンも契約もない、指示が一行で完結するような仕事に就かせた方が本人も周囲も楽なんじゃないの?
とくに出来がいいわけでもないのに、そんなことを考えてしまう自分を嫌悪した。
結局、わたしは冬頃には会社に対する信頼を失っており、1年を待たずに外資系企業に転職した。
会社の育成計画的にはわたしも失敗作なので、その点に関して言い訳をする気はない。
しかし、Bさんは給与について文句を言いつつも、おそらく転職機会がないという消極的な理由から、今も会社に居残っている。
災厄のような社員を解雇できず、中途半端な高給を与えて飼い殺すシステムは疑問だし、そのつけを他の人に払わせるのはもっと疑問。
”元外務省外局・終戦連絡委員会、横浜事務局の北林余志子作成の、米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リスト
(1)T子 R子A子(何れも11歳・武蔵野市小学五年生)は、米兵の餌食に。
キャンプ・トコロザワ近くでスケッチ中に、次々と強姦される。スカートは切られ、気絶し、泣き叫ぶと顔を蹴り、ジープで去る。
(2)1946年4月、中村病院(後に廃業、跡地は後は道路に)は、
3台のトラックに分譲した米兵2~300人に1時間近く、病院中を荒らされる。
・婦人患者のうち重症者を除く40数人と看護婦17人、ほか付添婦・雑役婦20数名
などが陵辱された。
・彼らは大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちの布団を剥ぎ取り、その上にのし
かかった。
・2日前に生まれたばかりの赤ちゃんは、1人の兵隊に床に蹴落とされて死んだ。
・M子などは続けざまに7人の兵隊に犯され、気絶した。
・そして、裸で転がっている間を通って、進入してきた時と同様、彼らは表玄関と裏口か
ら引き上げていった。”
北林透馬(WIKIPEDIA)によると 北林余志子氏が元外務省外局・終戦連絡委員会、横浜事務局に所属していたことは確かなようである。
終戦連絡中央事務局は、終戦事務連絡委員会の後継的機関で(1945年8月26日~)横浜事務局は全国に14か所設けられた(京都、横浜、横須賀、札幌、仙台、佐世保、大阪、呉、鹿屋、福岡、松山、名古屋、館山、和歌山)地方事務局のうちの一つ。
にじさんじ、ホロライブ、ななしいんく、どっとライブをメインに見てる圧倒的弱者男性の俺が
なぜか動画が上がってると必ずチェックしている実写系Youtuber
元は違ったはずなのだが、いつの間にか京都にある旧車専門店の斎藤商会の斎藤さんが
長年の技術を駆使して旧車を修理したり修理したり修理したりするチャンネル。
ザ・職人って感じの喋り方、手つきはなんかよくわからんけどカッケーんすよ。
圧倒的弱者男性の俺は当然免許も持ってないし車にも全く興味がないがつい見ちゃう。
・おじおじジャパン
手先が器用なデブなおっさんが謎製品を分解したり、ジャンク品を修理したりするチャンネル。
声がいいんだが喋り方はキモい。中国の謎製品の闇を暴く動画が人気だが、
ジャンクPCを基盤から修理したりするのはなんかよくわからんけどすげーなって見てる。
歌舞伎町のホストクラブ、ユグドラシルグループの会長、社美緒のYoutubeチャンネル。
地方産まれアニメ育ちの俺には歌舞伎町すら異界の地なうえにホスト業界なんか一生関わることはないが
こんなバカクソ稼いでるイケメンでもいろんな悩みや挫折があるんだなぁと感慨深く見てる。
元ボクシング日本チャンピオンの赤穂亮のボクシング解説チャンネル。
正直格闘技とか全然興味ないので出てくる名前とかマジでまったくわからんけどなんか見てる。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000050814.html
[ASFIJ代表理事 畑中 由利江(はたなか ゆりえ)について]
2015年、「人生を愉しむことが人道支援につながる」ファンドレイジングによる人道支援活動を日本に広げるためにモナコ公国に本部があり、
国家元首アルベール大公が名誉顧問総裁を務めるアミチエ・ソン・フロンティエール・インターナショナル(国境なき友好団)日本支部を設立。代表理事に就任する。
PRTIMESによると、畑中さんが日本支部を設立したらしい。
ASFIJの名誉顧問でもあるデビィ・スカルノ夫人が、派手なパーティに登場したのは2019年
https://kyodonewsprwire.jp/release/201902263565
https://vimeo.com/736236505/55764f91e3?fs=e&s=cl
2022年7月31日、アミチエジャポン畑中由利江代表理事、ひぐちまり副代表理事、そして理事5名の全員が会員への事前通知なく、辞任・退会致しました。
https://web.archive.org/web/20220903145734/https://amitie.jp.net/
2022年9月頃、急遽デヴィ夫人を代表理事にしてええんか?投票が行われている。
「¢アミチエ\ソン フロンティエール\インターナショナル ジャポン∞Amitie\Sans Frontieres Internationale Japon」
中国が日本の海産物を全面的な禁輸措置を取った結果、これまで中国市場で設けていた日本の海産業者は大打撃を受けることになるだろう。
この構図について、今から4年前にも同じようなものを見た気がする。
2019年12月に中国でコロナウイルスが蔓延し始めて、中国人観光客による訪日が完全にストップした。
中国人のインバウンドに依存していた日本のホテルや観光地、繁華街などは大打撃を受けた。
日本人の一人として、ホタテやマグロやウニやイクラは大好きである。
なぜ今まで日本人に売らずに、中国市場に海産物を流してしまったのか未だに理解できていない。
いや、日本人の所得が減ってデフレ傾向が30年以上続いていて、その結果金を出さなくなったというのは判るよ。
100円ショップやユニクロが今の日本の成長産業である、というのが不健全であることもその通りだと思う。
日本国内ではもう成長が見込めないからといって、安易に中国に救いを求めるのもどうなんだろう。
今回の海産物にしろ、4年前のインバウンド産業にしろ、どちらも「中国に依存し過ぎると痛い目に遭う」というのが一つの教訓ではないか。
経済成長し切ってしまった日本と比べて、中国は人口も多く内陸部は未だ未開発で潜在的な経済成長が見込めるので、日本人であれば魅力的な場所に見える。
オレオレFCが首位横浜F・マリノスに4ー1で快勝。前半10分に先制点を奪われたが、同41分にセットプレーからこの日復帰後初スタメンの村山が頭で合わせ、追いつくと、後半11分にFW森永のゴールで勝ち越し。23分、ロスタイムと追加点を挙げた。チームは村山に加え、大村、森下も復帰。0ー3で敗れた前節・京都戦のショックを引きずることなく、首位から大きな勝ち点3を積み上げた。
【写真】後半11分、勝ち越しゴールを決め、サポーターに向かってガッツポーズを見せる森永
首位相手にこれ以上ない快勝を収めた。先制されながらも、攻撃的サッカーを標榜する横浜FMのお株を奪う破壊力で4得点と圧勝。野河田彰信監督は「誰も予想しなかったんじゃないですかね?まあ我々としても点差は予想はしてなかったんですけど、ある程度、狙い通りに、あまりにも上手くいったというかね。まあ先制されても選手達は下向かなかったんでね。そこが前節とは違いますし、そういう姿勢が勝因やと思いますね」と興奮気味に振り返った。
1点を追う前半41分、セットプレーから体調不良から、この日復帰したDF村山がヘディングシュートを決めて同点とし、前半を折り返した。1―1の後半7分にFW森永が鈴木潤のパスを受けると、冷静に左隅に決めて勝ち越した。同17分には相手のパスをカットし、カウンターで最後は鈴木亮が決めると、ロスタイムには途中出場のFW浅田が鈴木潤のパスを冷静に決めた。
横浜市出身で”凱旋ゴール“となった森永は試合後「失点は想定内。今日は”打ち合いで負けるわけにはいかないぞ”とみんなで声を掛け合ったし、下を向かずに前を向けたと思います。前節、不甲斐ない負け方をして、真価が問われる試合で、首位相手に上手く行き過ぎた部分もありましたけど、勝てて良かったです」と首位を圧倒し、胸を張った。
暑い夏場の試合で、走力もさることながら「時間帯によってやり方を変えた」(野河田監督)戦略も勝利の原動力となった。ボールを支配されても、守備時は4ー1ー4ー1でブロックを固めるコンパクトな陣形を形成。時にはハイプレスとエリアプレスを交互しながら、相手の攻撃を封じた。後半途中からは5ー2ー2ー1にシフトし、守備ブロックを完全に固めながらの、カウンター攻撃が随所で効いた。
前節・京都戦で敗れ、この試合も負ければ、今季初の連敗となり優勝争いが厳しくなる中で首位相手に快勝し、踏みとどまった。更に体調不良で離脱していたMF森下、DF大村も復帰し、戦力は整いつつある。残りは9試合。30日の天皇杯・神戸戦を挟み、次節は2日にアウェイでアルビレックス新潟と対戦する。2アシストを決めたMF鈴木潤主将は「この試合を自信にしながらも、過信せずに戦いたい」と連勝を目指す。