はてなキーワード: 三世とは
祖母は祖父と結婚した際に夫婦別姓は…という祖母の実家の意見でドイツ人になった。
以降ドイツの土を踏むことなく沢山の子供をこさえて日本で死んだ。
当然曽祖父は1度もドイツに帰らなかったので、祖父も母も叔父も日本生まれ日本育ちのドイツ人である。
全員インターナショナルスクールに行ったので英語は喋れるが、ドイツ語は徴兵でドイツに行きドイツ系の会社に就職した叔父以外喋れない。
選挙権は誰も持っていないが、商売をしていた家なので税金は人より多く収めたし、祖父は米寿を迎えるちょっと前までその商売の職人として働いていた。(米寿を迎えた今もあまり病院の世話にもならず、元気にビール350ml毎日飲んでいる。)
国籍は違えど、わたしの家族は生まれ育った日本への誇りをもち、産まれてもいない自分たちのルーツ・ドイツへの誇りも持っています。
正直目に余る事もたくさんあるのは事実だけど、国籍や在日に関して無条件に差別・ヘイトするのであれば、うちのような家族も仲間に入れてくださいね。
うちの家族も無条件に差別・ヘイトするならほかの在日外国人への差別やヘイトも立派な主張になると思うんですが
全てを助けたいなんてアホみたいな事は思ってないんだけど
なんかモヤモヤするんですよね。
アップルのジーニアスって、あまりジーニアスだと感じた事がない。
スペシャリストという肩書きの人も、会話中の早い段階で諦めを感じてしまう。
こちらがわからない事はわからない、というのでは、時間の無駄で、
それならあなたのフィルターが邪魔になるので直接こちらから問い合わせした方がいい、と内心思う。
結局、海外のフォーラムに書き込みして訊いてみるのが一番早いのは、
アップルの場合は、なんていうか雰囲気とドヤ顔でごまかしているようにしか見えないんだよね。
わざわざ予約して時間作って行っても、ドヤ顔の客と店員の高い意識の雰囲気は私には暑苦しい。
でも、そんなアップルストアが好きな人も多いのも理解はしている。
ちなみに、マイクロソフトは、チャットでそのまま話を聞いてくれて解決も早かった。
PowerMacで漢字トークを使って、ResEditでリソースフォークをいじりつつ、
RealBasicでプログラムを書き、HyperCardスタックを作って遊ぶ。
暇つぶしにMKLinuxをインストールしたりしてた、過去のパワーユーザにとっては、
歴代で一番好きな好きなノートパソコンは、PowerbookG3。
ジョブズが戻ってきて、人気の出たスケルトンで5色のiMacは好きでなかった。
Palmを持って、iPod第三世代にLinuxをインストールしてお茶を濁したりしてた頃、
VAIOとクリエを持っていた回りの人間は現在は皆、iPhoneとMacBookAirを持っていて、
表面に変なシールを貼っている。
日蓮宗では、本迹一致を立てている。この本迹一致論は、
天台大師が『法華玄義』に説いた「本迹異なりと雖も不思議一なり」との解釈によるもので、
大聖人様の御教示ではないのです。
迹門という小さな川も、本門の大海に収まれば同じ海水となるという、
決して身延のような本迹二門を対等に見た上での「一致」を説くものではないのです。
大聖人様は『治病大小権実違目』に、
「本迹の相違は水火・天地の違目なり」と、
本門は事の即身成仏なり」と法華経の本迹の相違を明確に御教示されています。
法華経本迹二門は、
その説かれる法体においても勝劣があり、
しかし日蓮宗では、「実相一体」や「本迹未分」という勝手な解釈を加え、
「本迹一致」の邪義を主張していますが、
宗祖の正意に背く謗法の論となることは明らかです。
それを要約すれば、
二、釈迦一体仏
三、大曼荼羅
四、一尊四士
五、二尊四士があり、
このうち一、と三、を法本尊、
二、四、五、を仏本尊とし、
その中心は三、の大曼荼羅と、
四、の一尊四士であるが、
祖書の教示等に照らし、
『此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。
末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか』との御文を挙げ、
「仏像出現」の語句によって本尊は仏像が正意であるとしています。
末法の仏像に対する「出現」という表現を対比してみなければなりません。
後の「此の時地涌千界出現して」の御文と同じく、
あくまで現実に現れるということを示されたと拝すのが正しいでしょう。
「此の時地涌千界出現して、
「本門の釈尊を脇士と為す」を「本門の釈尊を脇士と為る」と誤読し、
一尊四士が正意であるとしている。
しかし、宗祖が御在世中に一尊四士の仏像を自ら造立された事実はなく、
との御教示ではありません。
法本尊について御教示された御書に照らして見ればいっそう明らかです。
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり(草木成仏口決)」
「妙法蓮華経の御本尊供養候ひぬ。此の曼荼羅は文字は五字七字にて候へども、
三世諸仏の御師(中略)此の曼荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、
十方の諸仏は法華経より出生し給えり。故に全く能生を以て本尊とするなり(本尊文答抄)」
日蓮大聖人様の御真意は一尊四士などの仏像本尊にあるのではなく、
【補足】
(二、)釈迦一体仏
立候補資格満たせば誰でも出馬できて、誰が誰に投票したかもわからない小選挙区制で
権力者がその権力でもって後釜に自分の親族を指定するなんて状態は成立し得ない
大家族、拡大家族、三世帯同居が当たり前の時代から核家族の時代を経て、パラサイトシングルという集団が見いだされたわけだが…
大家族時代のような独身の子が同居している状態と、パラサイトシングルの線引きはどこになるんだろうなあ。
家にお金を入れているかどうかで言ったら、大家族時代の独身の子世代はお金入れてなかっただろう。
まあ、その頃は農家が多かっただろうから、家の田んぼを耕したりで家の労働力になるか、
作男として近所の田んぼをやるとか、女性なら女衆として、炊事洗濯とか
そんな時代に家に金を入れるというと、身売りや丁稚奉公とか、なんだかツライ方法しかないぞ。
協力して生活を運営することと、依存の境界線はどこにあるのだろうか…と考えた場合に、
やはり、自立心があるかどうかなのかなあ。
その上で、できることは自分でやる。
協力するところは協力する。
僕はこの犬から色んな事を学んだ。
ある日彼女の寝床に血痕を発見し、母にひょっとすると酷い怪我をしている可能性があると訴えたが、大丈夫だよとの根拠の無い回答にイラついたが、犬はなるほどそういう物なのかも知れないと諦め、世の中には自分の知らない事が結構有りそうだという予感がしたのだった。
我が家には雑草の生い茂る4坪ほどの空き地があった為、この四方を鉄柵で囲って彼女が自由に活動できるようにしていた。
小学三年の頃になると、餌をやりに鉄柵を開けると一目散に彼方へ逃げて行き、朝まで戻ってこないという事案が頻発するようになった。
帰ってきた彼女を父が叱責し、体中から悲しみのオーラを出し服従のポーズを取る彼女の姿が忘れられない。
しかし彼女は脱走をやめなかった。時には鉄柵の下に穴を掘って抜け出していた。
ある日母から、彼女が赤ちゃんを産むことになったと知らされた。なるほど犬はそういうものなのかも知れないと思ったが、家族の話を聞いてると、どうも夜な夜な脱走している事と関係があるらしい
とにかく子犬が早く産まれて欲しかったので、細かいことはどうでも良かった
冬の寒い時期に無事出産したが、5匹産まれて、1匹はすぐに死んでしまった。
目のまだ開かない彼らに小指を差し出すとちゅうちゅう吸ってきて可愛かった。
地方紙の通信・広告欄で里親を募集、4匹とも引き取られていった。
何やかんやを繰り返し、小学5年の頃に彼女は2回目の出産で4匹の玉のような愛らしい仔犬を産み3匹は引きとられ、1匹は貰い手がつかず、育てる事となった。
この二世は毛の模様が母親そっくりのメス犬で、2匹は楽しく暮らしたが、
体の大きさが同じくらいに成長した頃、母親は車に轢かれて死んでしまった。
中学2年のある朝も彼女は居らず、今日もどこぞの馬の骨に抱かれに行ったかと思いながら歩いて登校していると、道端からぴょこっと現れて、どこまでも付いて来たので、最悪な気分で家へ連れて帰ったということもあった
じきに生涯一度だけとなる出産を経験し、やはり4匹がこの世に生を受けた。
体格がよく、毛並みのいい3匹は里親に引き取られて行ったが、大人しいハイエナみたいな毛並みのメス犬が残った
三世として伝統を受け継ぐはずであったが、二世と一緒にハイキングに出かけ、翌朝二世だけが帰宅し、その後三世が戻ることは無かった。
市之倉さかづき美術館に行ってまいりましたわ。
市之倉は盃が特産品なのですわ。
多数展示されていますの。
重輔銘のアサガオを連想させる形と色合いの盃は注ぐ液体のpHで
色が変わりそうな気がしました。
有田焼のエビ柄の盃は、イカ娘さんにプレゼントしたいでゲソわ。
特別な区画で紹介されている加藤五輔さまの(本名:五助)の説明文に
わたくし言葉がありませんでしたわ。
江戸時代生まれの方ですし、たんなる表記のぶれではありませんの?
加藤五輔(本名:五助)さまの経歴が、銅賞や三等ばかり取られていて、
書かれているのは最高でも二等であることも印象的でした。
切ないですわ。
イランの酒器が多いのは、イラン陶器の復元を研究されていた加藤卓男さまの縁でしょうね。
中国戦国時代の鳥尊という酒器の表面にはびっしり文様が描かれていて、
よくみると「雷文」も確認できました。紀元前三世紀にはすでに雷文があったのですわね。
あと「可盃」は、はてなのみなさんに顰蹙を買いそうですわ。
これは器に最初から穴があいていて、指で穴を押さえてお酒を注いでもらい、
そのままでは机に置けないので必ず飲み干さなければいけないという
代物ですの。
それはともかく、小さな焼き物ですからこそ、職人が技術の粋をこらした
姿に感心することができましたの。
横だけど、子持ち在外日本人って短期滞在の駐在族の方が多くない?
彼らが子供を日本人学校に通わせてても、それは単にどうせすぐ日本に帰るんだから日本の勉強遅らせたくないとかそういう理由で
逆に現地校や現地のインター通わせるとしても、英語覚えさせたいとか途上国なら現地校は教育面安全面考えたら通わせられないとかそういうのだし。
その国に根付いてもう二世三世とかになっていて第一言語が日本語な訳でもないし日本人としてのアイデンティティもほぼないけど
国籍は日本人、って人だけで日本人学校が成立する国はあるんだろうか。
芸能人が(日本で)インター通わせたがるのは、「芸能人の子」として注目される生活を送らせたくない、ってのもあるかと。
外人多けりゃそういうの薄まるだろうし。
大半は絶縁。
親族同士の経済的なつながり(金銭授受だけでなく、仕事上の問題など)もあるので、簡単に絶縁できない人も多い。
それ以外にも、経済的に自立できた人は隠し続けることの面倒さから公表に移る場合が多い。
あとになって知られるより、名前で知ってもらえたほうがコミュニティづくりには効率が良い側面もある。
ただしそれは経済的に自立できた人に限る。
そういう人は大体在日二世に多い。50~70才くらい。
ちょうどその中間である三世が板挟みで、二世の影響力が強いと本名生活を強いられたり、無言の圧力で帰化を牽制されたりする。
その結果、かくして通すという生き方を選んだ人が多いと思う。
ポケモンのデザイナーは公開されているポケモンもいるけど、公開されていないポケモンもいて、
さらにある時期までネットではあるポケモンのデザイナーとして定説となってる人がツイッターで自らデザインしたことを否定したりとか、
しょうじき、踏み込むと色々と面倒臭いし、そもそも元増田の感じた違和感がいまいちしっかり言語化されてないからよくわかんないから難しいね。
元増田のいう
これは、まだポケモンをやっている人でも主張している人がいて、
アローラの炎御三家のガオガエンが公開される前にニャヒートを見て「進化しても立つな!」みたいことを言っている人もいた。
この進化するにつれて、人っぽくなるのは、確かになんでなんだろうな。
ポッ拳やスマブラにゲスト出演するために、モーションキャプチャ等で表現しやすい人型にしてるのかな? とかも思ったけど、
ポッ拳には四足歩行のスイクンがいるし、スマブラにもダックハントがいるし、
そもそも最終進化じゃなくても、中間進化のピカチュウやプリンやテールナーが出たりもするから、どうとでも工夫できるもんなあ。
(突っ込まれそうだな、64スマブラの当時はピチューもププリンもいなかったから、ピカチュウとプリンは中間進化扱いじゃないね)
アニメの最終的な展開決まってなくて、どう転んでも良いように、映像的に映える人型に三びきともが進化できた方が良いとかかなあ?
DPのヒコザルみたいに話が結構進んでからゲットするケースもあるから、各世代の発足時に全ては予想できないわけだし。
まーたださあ、2016年の夏やったポケモン総選挙っていう人気投票では、
当時の最新御三家の最終進化系だった、ゲッコウガが一位なんだよ。
だから「今もポケモンが好き」な子たちにとって、ゲッコウガは格好いいんだよ。
(念のためいうが、俺も「今もポケモンが好き」だから、ゲッコウガは好きだ。スマブラでも使ってるし、本編対戦でも使ってる)
結局、デザインの好き嫌いなんて、第一印象が全てじゃないんだよ。
ゲーム本編となるX、Yに、三世代のルビーサファイヤリメイクのORASと、RPGが二本でて。
派生作品も、運営型で毎週イベントやアップデートがあるポケとるでは、なんと先週のアップデートで今更ながらサトシゲッコウガが強化されたし。
運営型だと、スマホで遊べるコマスターでは、ゲッコウガは一時期かなり強くて人気があった。
ルビーサファイヤの頃からの定番派生作品になってる超不思議のダンジョンでは主人公の選択肢として登場するし、本格的な格闘ゲームのポッ拳にはテールナーが出てたし、
カロスのポケモン大活躍! ではないけど、アクションゲームのポケモンスクランブル、パズルゲームのピクロス、ADVの名探偵ピカチュウ、パズルゲームのバトルトローゼ、なんていうのもある。
アニメも毎週三年間以上放送して、映画も三回上映して、そらもうゲッコウガはサトシのエースとして大活躍だったし、テールナーのポケスロンでのダンスはちょうかわいかった、ディアンシー映画ではマフォクシーやブリガロンもなかなか良い役だった。
カードはレギュラーパックだけでも11弾、不定期なイレギュラーのパックも6弾も出て、ここでもゲッコウガは2016の世界大会準優勝のデッキだったし。
しょこたんとかヒャダインがやってる実写のバラエティ番組なんてのもあって、もちろんそこでもカロスのポケモンは話題にあがる。
漫画ももう連載20年目になる、ポケスペが当然XY編をやって、そこではブリガロンが活躍してた。
まあ、他にもいろいろあってすぐには思い出せないけど(今パッと浮かんだのがスマホで遊べるミュウツーが踊るゲームの話は、さすがに本題から話がブレまくるからやめておこう)
増田のいうような不快感があるなら、きっとこんなにもカロス地方のポケモンが活躍しなかったんじゃないかな?
けど、増田が不快感を感じない、カントーとジョウトまでのポケモンしか登場しないポケモンGOもあるし、
3DSのVCで赤緑青ピカチュウが配信されてて、それを使用した「赤緑青ピカチュウ版の対戦をするオフ会」も開かれてたり、
カントーとジョウトのポケモンしかいないポケカの旧裏と呼ばれてる頃を使ったオフ会もあったりするし、
別に「今のポケモン」が好きになれなくても「今もポケモンが好き」であることは、両立できると思うんだ。
だから不快感をネットに書くな、とか、楽しんでる奴らにケチつけるな、とは思わなくて、
増田の問いである「今のポケモンのデザインって変じゃない?」に対しては、単純に
「変じゃないよ? ゲッコウガが特に格好いいと思うし、ガオガエンも好きだから今年の映画に出るの楽しみだし、御三家以外だとネクロズマとミミッキュが好きだよ」
って良かったところを教えたいな。
雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。
静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。
世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜のライトアップをしている。
知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。
ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。
寝椅子に近い座椅子に腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。
感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。
お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇の香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。
素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼
その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラのシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。
じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。
ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い。
照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。
延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。
RainyMoodみたい、眠い。
寝た。
羽織ったままだった外套が背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい。
先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。
見た。立った。帰る。
夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、
ほんとに見てないのだろう。
今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。
帰りは一段と寒さが増していた。
新日第三世代くらいまではよく言われているけど、それ以降の世代分けが分からなかったのでまとめた。
表記は「名前(生年/デビュー年)」で、デビュー年順に並べている。
力道山(1924/1954)
ジャイアント馬場(1938/1960)・アントニオ猪木(1943/1960)・坂口征二(1942/1967)
藤波辰爾(1953/1971)・ジャンボ鶴田(1951/1973)・長州力(1951/1974)・天龍源一郎(1950/1976)・佐山聡(1957/1976)・前田日明(1959/1977)
三沢光晴(1962/1981)・川田利明(1963/1982)・武藤敬司(1962/1984)・蝶野正洋(1963/1984)・橋本真也(1965/1984)・佐々木健介(1966/1986)・田上明(1961/1988)・小橋健太(1967/1988)
小島聡(1970/1991)・天山広吉(1971/1991)・中西学(1967/1992)・永田裕志(1968/1992)・秋山準(1969/1992)
真壁刀義(1972/1997)・丸藤正道(1979/1998)・棚橋弘至(1976/1999)・柴田勝頼(1979/1999)・中邑真輔(1980/2002)・諏訪魔(1976/2004)・潮崎豪(1982/2004)
中嶋勝彦(1988/2003)・オカダカズチカ(1987/2004)・宮原健斗(1989/2008)
中邑・諏訪魔・潮崎の扱いが難しく、デビュー年基準だとデビューが早かった中嶋・オカダと同時期になってしまうが、年齢的には前世代という印象が強い。どうだろうか。
親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。
うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的、他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者を体現したような存在だった。独善的で独裁的で他者に反論を許さない祖母が私は大嫌いだった。
娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者に布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。
私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。
思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。
近所で信者に挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。
この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。
母は数十年、うつ病に苦しんできた。
うつで寝込んでいる母を、祖母は信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。
祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。
私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。
母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。
私が母を不幸にしているのかもしれない。
「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。
私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。
宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。
私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。
私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対に脱会できなかった。
玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。
宗教を捨てることは、母を捨てることだった。
幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。
両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供の自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。
親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。
殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。
私は母の幸福を諦めることにした。
結局、私は母を捨てたのかもしれない。