はてなキーワード: リスペクトとは
金取っていいぞ。
私は昔からのオタクだから二次創作で利益が出ることにいまだに抵抗があるタイプ。元の作品が好きで好きが高じて二次創作してるのに利益が出てしまうと元の作品へのリスペクトがなくなる感じがするから。
でもなんか流れが変わりつつある気がする。もちろん二次創作OKというコンテンツ元が増えてるのはあるんだろうけど最近は電子での同人誌販売が普通に行われてて不思議な気持ちになる。あくまで頒布する際に印刷代がかかっちゃうからその分本の代わりにいただきます。大手は刷れば刷るほど1冊あたりの印刷代は少なくなるけどそうなると弱小サークルが困るくらい一冊の本の平均の値段が下がるから大手はどうしても利益が出てしまう。その分ノベルティで補佐しようかな、みたいなそういう理由付けがされてた感じが好きだった。二次創作OKなコンテンツ元もこのコンテンツを使って利益を出していいよとかじゃなくて二次創作も活発になってもらってこの作品が活気づいてほしい、グレーゾーンだ云々での争いをなくしてほしいってだけだと思うんだよね。
流行りの二次創作をすれば手っ取り早く作品を見てもらえるし手にもとってもらえる。でもどうしてもそこに愛はあるんか?って気持ちになってしまうよ。二次創作でどうしても利益出したい?ネットに大公開はそんなにいや?頑張って描いたんだからお金が欲しいってその作品好きって気持ちで頑張ったんじゃないんか〜〜〜〜いって私は思うよ?!利益出したいならオリジナル作品描いたらどうかな?!
書いてる連中は現実逃避だろうけど、
自分自身の何かを別の形に変換して客観的にとらえ直すのは、物語の基本的な機能だ。
そうすることで冷静になれたり見えなかった側面が見えてきたり、感じ方が変わったりする。
創作腐女子の場合は信頼できる仲間からのフィードバックも期待できるだろう。
目の前の現実への対処に真剣だからこそ、多角的で柔軟な付き合い方ができるんだよ。バカ正直に正面からぶつかるしかできないのは、言うなれば、現実迎合。
「原作へのリスペクトとか、書いた内容とか、それ以前の段階でコケてると思う」
十把一からげで語るのは解像度が低いと思う。実際には十分なリスペクトを持ってやってる人もいる。
一部では「若い頃の過ち。彼女は謝罪した」と言われているが、果たして本当だろうか?
白人のアーティスト/メディア関係者と一緒に撮った写真では満面の笑顔である。ミュージックビデオやアーティスト写真のイメージとは異なり、実はビリー・アイリッシュは普通に笑う。
村上隆(黄色人種)と一緒に撮った写真もある。こちらも笑顔である。ただし、村上隆はコラボビジネスの協力者であり、金づるに成ると判断すれば、ビリー・アイリッシュも愛想の一つや二つを使うことが出来ると良く判る。
そして、BABY METAL(黄色人種)のメンバーと一緒に撮った写真である。仏頂面のお手本のように無愛想である。そもそも、ビリー・アイリッシュが黄色人種と一緒に撮った映像や写真は、極端に数が少ない。
複数の黒人及び白人のエキストラ女性たちと一緒に撮影されているが、黄色人種の出演者は0人である。この事実は大きい。
黒人に対する差別用語の差別性は知っているけれど、黄色人種に対する差別用語の差別性を知らなかった。それは何故かというと、ビリー・アイリッシュには、黄色人種に対するリスペクトを学ぼうという意志が無いから。ミュージックビデオを観れば判るように、それは今も変わっていない。
【結論】13・14歳の時に仕出かした一過性の過ちではなく、ビリー・アイリッシュは現役バリバリの差別主義者。ここでビリー・アイリッシュを簡単に許したら、欧米社会における黄色人種に対する差別は解消されない。女性差別発言をした男性社員がアップルから即刻解雇されたのと同じように、ビリー・アイリッシュに対しても厳しい態度で臨むべき。
ううむ… 気の毒だと思うけど、読む限り弟さんがはっきりクレームをつけられたことはないように思える。各々の状況でなにが悪かったのかが彼に説明されてない。カゴで殴っても理由が判らなければ学びはない。お姉ちゃんの嫌悪が伝わらなかったら、弟にとってはいきなり拒絶されたように思えるだろう。弟の言葉は耳を傾ける価値もないものとして無視されて、振る舞いから小賢しい・無知を装っているなどと断ぜられている。コミュニケーションが無い理由は、きょうだい間に信頼関係もリスペクトも欠けてるからに見える。
もちろんお姉ちゃんも子どもだったので責めることは出来ない。状況報告だって上手く出来ないのは当然だ。責任は親や学校、まわりの社会環境にある。
いま増田が十分に大人なのかは判らないが、善悪を判断する理性がついたのなら、弟や親に何が辛かったのかを説明するという選択肢もある。実は、名入れのハンカチは完全に善意で渡されたプレゼントかもしれない。プレゼントをないがしろにしたり説明なしで拒絶したりするのは逆方向のネグレクトだと思う。弟さんの理性も成長していたのなら、謝罪や和解もありうる。
——以上は書かれた文章から想像した状況への感想だ。少ない情報からでは正確には判断できないので、的はずれかもしれない。ハンカチを使ってるかは向こうはあんまり気にしてないかもしれない。増田の心の傷は思うより深いのかもしれない。家族と距離を置きそれ以外の人間関係を充実させる生き方も今ではメジャーだ。家族仲良くだけが答えじゃない。未来がどうなるにせよ、あなたが幸福であることを望みます。
我々は皆わいせつ行為の結果わいせつ物から生まれてきました。わいせつだと思う人の心が一番わいせつです。 - id:nori__3
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そろそろオナホとかバイブをジョークグッズって分類で売るの辞めてほしさある。こちとらジョークでオナニーなんかしたことねえんだよ。 - id:tecepe
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「さすがに精子の話は旦那の沽券に関わるかな~と思って」実際関わってるのは股間なのにな。ガハハ! / ところどころで旦那をリスペクトしてて本当に好きなんだなと思いました(闇属性スマイル) - ブコメ削除
人はいつから漏らさないと慢心してしまうのだろう。幼い頃は誰もが漏らしていたというのに、年単位で漏らしていないだけで、なぜ自分は漏らさない側の人間だと思ってしまうのだろう。 - ブコメ削除
ダサいけど仕方ない気もする。放置するわけにも行かないし。おもらし膀胱に戻らず - id:buhoho
ブコメページ - note、Internet Archiveで保存できなくなる、古いドメインはブロック | スラド セキュリティ
子供を作ることは親のエゴでこの世に新たな不幸を当の本人に無断で生成することであり個人の尊厳とは相容れないので法律で禁止するべき - id:narwhal
反出生主義も納得の人生。頼んでもいないのにこの世に生まれて、その上親から虐待され殺される訳だ。子供は親を選んで生まれてくるって言ってる人間に聞いてみたいもんだ - id:suikax
自分のコンプレックスからの脱却を子どもに託す親って確かに存在する。僕はそれを呪いっていってるけど。 - id:ryosuke134
ブコメページ - 「子供を持てばわかる」で話を終わらせるのヤメて。 - Everything you've ever Dreamed
日本のリベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸のリベラリズム。
これが一体どういうものか?と日本のリベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。
ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。
これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。
だから恥ずべきことは何もないのだ。
しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身の政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。
このエントリではそんな北米西海岸の一般人が理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。
米国西海岸のリベラリストは総じて3つの決まりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考える傾向がある。その決まりごととは以下の通りだ。
日本のリベラリストにも理解しやすいお題目だ。
読んで字のごとく個人個人の選択を尊重し、その選択を極力妨害しないようにしようというもの。
米国西海岸のリベラリストの1派としてカテゴライズされがちな米国西海岸のフェミニズムへも強く影響しており、日本のフェミニズムも同様に強く影響し、これを失えばリベラルと名乗れ無くなるほど重要なものだ。
最も日本人が理解しにくい部分、それが米国西海岸というよりかは米国全体が共有する自己研鑽の奨励という文化だ。
自己研鑽については右も左も関係がなく、何なら米国内の共産主義者だろうがカルト宗教信者だろうが陰謀論者だろうが自己研鑽の奨励については絶賛する。
日本は「恥の文化」などと称されるが、それに並び立て比較できるほど米国は「自己研鑽の文化」なのである。
この「自己研鑽の奨励」という文化を理解しなければ米国発の文化的思想は何1つ理解できないと言って良いレベルのものと言って過言ではない。
最近の日本では「努力教」などと言って不合理な努力をしたり、努力を社会的圧力により強制されたりすることを嘲笑する向きがあるだろう。
意味がなく不合理な努力を続けるなんて非生産的であるし、私もまた同じ様に感じる。
しかし、米国は自己研鑽の努力をすることへ対して歩みを止めてはならない文化なのだ。
つまり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力をしろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。
例えば日本の労働者の一部には「KPI」という言葉へアレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽、努力教の臭いを感じないだろうか?
ステレオタイプな米国人のイメージにあるマッチョイズムも結局はこの自己研鑽の奨励という米国文化が元になっているのだ。
つまり米国には右派のマッチョイズムや左派のマッチョイズム、共産主義者のマッチョイズム、カルト宗教信者のマッチョイズム、陰謀論者のマッチョイズム、様々な思想に合わせたマッチョイズムがあって自己研鑽をしないという選択肢がない。
もし米国内で自己研鑽を辞めてしまった場合どうなるか?
それはつまり米国社会からドロップアウトしたものとして理解されてしまう。
日本国内で恥を捨てた者が問答無用に迷惑がられるように、米国国内では自己研鑽を捨てた者は迷惑で厄介な存在と問答無用に評価される。
様々な方面から米国西海岸のホームレスについての情報へ触れることがあるだろう。
そして決まってこのような表現が出現する。
これは事実だ。ただし付け加えるのであれば金持ちがではなくホームレスではない下層民を含めた米国西海岸住民のほぼ全てがホームレスを無視していると言って良い。
ここまで説明を読めば、この言葉だけで納得してもらえるはずだ。
ホームレスが自己研鑽を辞めた者だからと言っても、ホームレスにだって子供は居るだろうし将来を担う子供を親の事情に巻き込むなんて米国だけでなく人間社会としておかしいだろう!
こういう指摘へ対し米国西海岸のリベラリズムでは「環境により自己研鑽という行為が不可能な者には自己研鑽可能な環境を用意する」という方法を解決手段として選択している。
例えば「米国では入学試験の点数が良いアジア人よりも白人黒人を優遇して白人黒人を合格にしている」と聞いたことはないだろうか?
これが自己研鑽のための環境を用意する米国西海岸のリベラリズムの影響を受けた公正的な入学試験システムなのだ。
私自身も少々理解に窮するが白人黒人はアジア人よりも試験の点数を獲得できる環境に恵まれなかったという判定らしい。
意味不明だ、良い点数を獲得したアジア人の自己研鑽の評価は何処へ行った?と完全に理解できない日本人も多いだろうが、米国では上記のような解釈になっているので文句を言っても仕方がない。
ホームレスの子供へも同様に米国西海岸のリベラリズムは自己研鑽するための環境、例えば学費の無償化やフードチケット(食料配給券)の配布などが貧困家庭の子供の権利として提唱されている(保障されているかどうかは州法・州制度による)。
貧困家庭の子供はこれらの制度を利用して生活に自己研鑽するための時間を獲得することが望まれているのだ。
ちなみに一応言っておくが、自己研鑽できない者が自己研鑽をしないという選択肢は米国西海岸のリベラリズムには用意されていない。
個人の選択の尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人の選択として自己研鑽しないような者に与えられるものは米国西海岸のリベラリズムには何もない。
米国西海岸の社会保障政策は総じて自己研鑽するための環境を用意するという価値観で行われていることが多い。
例えばベーシックインカムなんかもこの部類の政策と解釈されていて、プライベート時間が増えることで自己研鑽するための時間が増えて収入も上がり生活が向上すると米国人はマジで考えている。
根底にあるのが自己研鑽なので、もし自己研鑽しないものが居ればそれは制度へのフリーライドだと非難を浴びる結果となるだろう。
欧米のリスペクトでベーシックインカムを望んでいる人は米国西海岸方式だとプライベートの時間も走り続けることが前提にあることを認識した方が良い。
これまでの説明を前提にすると犯罪者の釈放や$950以下は微罪扱い、死刑廃止なども理解できてくるだろう。
そして日本人の感覚では自己研鑽のための環境構築という政策のチキンレースが始まってしまっていることも理解できるのではないか。
はじめてやけど、ちょっと思い返した雑感をまずは......。
先日、23歳にしてはじめて小説一本書き上げた。
とにかく書き上げることで精いっぱいで、完成させるのが目的みたいなもんだった。
出してから二か月ほどたって、書いたものと距離をおけるようになった。数人の友人にも送ったけど、みんな途中で読むのやめちゃったみたい。みんなが最後まで読み通せるものを書けなかったのは悔しいね。
まあ、下読みの段階で落とされてるんだろうな。
ま、そんなんは今となってはどうでもいいわ。
実際に小説書いて形だけでも完成させてみて、得たものもいっぱいあってさ、
まず当たり前けど小説を書くむずかしさってのは身に染みてわかった。想像してたのとは違った。それに敷衍して、小説以外にも、曲とか絵とか完成させてどんな形であれ世に出してる人へのリスペクトがめっちゃ深まった。
どんなものであれ、とにかく作品ひとつ完成させるのにはすごい労力かかってて、それ自体がすごく尊いことだなって思えるようになった。
そんなこと考えてた時に、twitterでとある下読みの方が投稿されてきた小説に対してながながとツリーぶらさげてアドバイス(というか苦言)書いてるのを目にした。いっぱいRTされててトレンドになってた。
その内容自体は教本に書いてあるようなことで正論。下読みしてきてあったらしい悪例挙げて、「そんな書き方だとプロにはなれないよ」って批評してる感じ。まあ、その通りだと思った。
けど、なんか違うんじゃないかなって思った。なんか下読みっていう立場を利用してマウントとられてるような気がして、やな感じだった。
少なくとも、素人ながらも時間かけてなんとか作品を完成させた人へのリスペクトはみじんも感じられなかった。いや、そんなリスペクトしてくれってわけではないんやけどさ。
でも、下読みの人にマウント取られるような世界でものは書きたくないなって思った。
小説の公募新人賞の投稿作品のほとんどは箸にも棒にも掛からないような駄作、またはそれ以前の問題なんだろう。
けれど、そのごみ小説ひとつ書き上げることへの労力はかなりのものであることは確か。でも出来たものはごみ。けれど時間かかってるから、書いた当人には思い入れがある。気に入ってるところとかもある。このアイデアは独創的なんじゃないかって思って書いた場所もある。
ふと、京アニのあいつのことを考える。あいつも京アニの公募に時間かけてひいひい言いながら書いた作品送ったのかな。これはいける。このアイデアはいけるって思いながら書き上げたんかな。
そんで、公募投稿者の例に漏れず、賞とらねえかなとか期待しながら発表を待ったのかな。そして、選外。そんときは落胆したのかな。
どんな精神状態で待ってたんだろう。落選したあとは何考えてたのかな。不安だったかもしれない。
実際に小説を出してみて、あいつの気持ちが少しわかった気がする。
自分の書いたものが、どんな風に読まれて、どんな風に落とされたのかもわからない公募新人賞のシステムは、合理的だけどやっぱり多くの人にとっては不親切だ。そんで、今なんてTwitterで下読みにマウント取られさえする。別にそのシステムが悪いとかいいたいわけじゃない。才能を持った人はそのなかで当然のように選ばれるんだから、このシステムは正しいんだと思う。
ただ、もし自分が精神的に不調で被害妄想気味になってて、自分の作品に対して距離をとれずに、落とされた意味が理解できずにいたとしたら、
そのあとに、自分が書いたものと似たような作品が自分の送った公募の運営会社から出たら、彼のようにならないとはいえないなあ。
私はこれからも小説を書こうと思うけど、10年後、20年後、自分がどうなっているかはわからない。
人知れず消えていく、多大な労力を掛けられた渾身の駄作たちは、それ自体が意味を持っていると思う。
個人的には「マンガは面白ければいいんだ」派なので面白いならあんまり気にならない(犯罪レベルになると別だけど)
例えば日常とかちょっとした(本筋とはそんなに関係ない)シーンでパロディを使うのはいいのよ
けど呪術廻戦って戦闘シーンとか決めゴマとかでも平気でどっかで見たことある構図とか使うじゃん
そうなると呪術廻戦というストーリーに入り込んでるのに「これハンタじゃん」「これブリーチじゃん」って一気に現実世界に戻されるわけ
夏油が技使って「夏油かっけー!!!」じゃなくて「これどっかで見たことあるな・・・、伊藤潤二?!」みたいな
こっちはせっかくフィクションの世界にのめり込んでるのに横から「それただの漫画だよw」って冷水ぶっかけられてる気分
やっぱり漫画って読者をどれだけ自分の作品に没入させるかが大事だと思ってて
ワンピースとかも最初は「ルフィが海賊王になるの楽しみだわ!!ルフィ頑張れ!!」って読者がワンピースの世界に入り込んでたわけよ
けど今じゃ読者がついていけないストーリーとか大量の覚えきれないキャラとか度重なる場面転換でつまらないって声が増えてる
当のパロディゲームはそれらを新規に作っているので法律上の問題はなにもない。
「二次創作は原作ありきのお目こぼしブラック所業なのに。普通に著作権侵害で訴えられるだろうけど、この作者さんが望むのはそんな制裁じゃないんだろうな」
→二次創作ではない。著作権侵害でもない。本家の作者も法律上の問題がないことを知ってるから「お気持ち」という言葉を選んでるんだろう。
「二次創作を嗜まない身からすると、全部アウトにすればええやん?と思うけどな。二次創作ダメ、ゼッタイ!にすれば問題は起こらんでしょ(雑」
→そもそも二次創作ではないし著作権を侵害してない物にNG出す権利ない。
「見てないけど、読む限りだと二次創作じゃなくてただのパクリゲーだろ、訴えてええわ」
→二次創作ではないのは正解だけど著作権を侵害してないので訴えても無駄。
「二次創作を作者の許諾なく収益化してリスペクトもなければ怒って当然」
「二次創作ゲーを作って収益化で配信したホロのライバーは事前に許可を取ってなかったのか」
→二次創作ではない。法律上の問題がないように動いてるので許可不要と考えた流れだろう。
「企業が許可無しで二次創作で(間接的なスパチャとはいえ)金貰ったら真っ黒のアウトだろ」
→二次創作ではない。セーフ。
「原作より良い!」は二次創作者側も怒るワードだと思うんだけど…怒らなきゃダメというか
はてな民はさ。ゲーム制作者へのリスペクトが必要みたいな、あいまいな規範を嫌ってなかったっけ?
法律のような明文化されたルールが必要とかいう雰囲気があった気がするけど。
な〜〜〜〜んで「いや、無料でコンテンツが提供されると思ってるのはおかしい。嫌儲乙」みたいな「推しに貢げ」レベルの発言しか出てこないんだ。
お前ら女子中学生か?
そもそもの問題点としてこのbotがウケたのが「女子中学生が言いそうなことをエミュレート」するあるあるbotだから、というのを見落としている人が多い気がする。
オタクたちの過去の振る舞い(現在進行形の人もいるが)を少し成長してから見直すことで、もしくはクラスにいた知り合いの様子を思い出させることで、当人の気恥しさとか悪いオタクたちの嘲笑とかを引き出すことがウケてるわけだ。
エミュレート自体はかなり見事で幅広い人間に刺さってバズったが、あのIDのアカウントというか人格そのものがウケてる訳では無い。
そんな中でTシャツ販売なんかしたら反感を持つ人がいるのは当然な気がする。Tシャツの購入はアカウントの応援につながるが、そもそも応援したいコンテンツとお金を払う相手が異なるのだからそこに違和感を覚えてもおかしくない。
文脈あってのお笑いに対して途中で出てきた人間が「これ買ってね!」はちょっと閉口してしまう。リスペクト(オタク中学生に対してリスペクトもクソもないが)というか、おいしいとこ持っていった感がある。ただこの感情は単に嫌儲かもしれない。
最近よく言われるbotが人格を出すな、という理論も同様で、当人は「botとしてツイートする自分」と「普通の発言をする自分」を区別できない、もしくは意図的にしないが、受け取る側は明確に区別する。
ウケてるのは趣旨であり、そのアカウントは趣旨に沿ったツイートを繰り返すだけのものとして認識される。趣旨に沿わないツイートに対しては文句を垂れられてもおかしくない。そりゃそうだ、そう取られるのが嫌ならbotの看板を下げろ。
運営主は自らを明かしており、マネタイズに対して嫌儲が生じることを嘆いているが、それは論点のズレと言わざるを得ない。仮に運営主がウケた自分のツイートをTシャツにしても、恐らく取り沙汰されることはないと思う。良くて「見苦しいな」と苦言を呈されるくらいである。
あくまで問題はコンテンツと応援対象の不一致である。本人も「あるあるを楽しむものです」とか言っちゃってるからどうしようもない。あるあるがウケるのはその下地があるからである。
いきなり「レジ袋を持った幼稚園児bot」が出てきても何も面白くないだろう。
100ワニの話を持ち出している人もいるが、近からず遠からずな気がする。あれは電通というネット社会での嫌われ者が絡んでたのがネタバラシされたのが不味かったように思う。「商業的な意図が見えて不快だ!」という反応を示す人がいるのは同じだが…
「Tシャツの販売自体がエミュレートである」という意見は面白いと思った。確かにオタクはビレバンの文字入りTシャツを着る。身内ノリでTシャツを作ることもあるだろう。
だが、それを不特定多数に向けて公開することはないんじゃないかな〜と思う。そういう方面の擁護も可能な気はするが、身内ノリのTシャツってモチベーションとしては自己満足の同人紙に近いものだから、利益が発生する部分に噛みつかれるのは有り得る話ではないだろうか。
あと、suzuriという法外なマージンを取るサービスのせいでTシャツ自体の値段がクソ高いのも噛みつかれポイントではある。
以上長くなったが、要するに「文脈ありきのコンテンツでのウケを自分のウケだと思っている」ように取られたのが叩かれの原因ではないかと考えている。文脈って言葉、これ擁護してる人達好きでしょ。
文化盗用
「これを取り入れた」と、リスペクトを示したものは盗用にあたらない。
なんとなく、こんな感じに考えていたんだけど、ちがうみたい。
よく分からないな。
文化盗用の、もともとの語句は Cultural appropriation で、ある文化圏の要素を他の文化圏の者が流用する行為、とのこと。
appropriation は、専有、流用、私用、盗用か。
appropriation という単語の、流用と盗用の違いが、ちょい分からない。
でも、他の文化の要素を取り入れること自体が問題視されるのは、理屈では理解できそう。
日本だと、他の文化圏の要素を、自分が使いやすいように取り入れる文化を持っている(むしろ 「外国の文化の発展形」 以外の形でもつ日本文化が少ない)から、あまりピンと来ないけど。
文化の盗用というと日本人にはなじまない感覚になるから、文化の流用と言えばいいのに。
盗用 Plagiarism なのか 流用 Diversion なのか曖昧で、どうにでも捉えられそう。