「リスカ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: リスカとは

2022-04-09

精神的ショックがデカ

アマプラ無料体験を同世帯で被るってなに?

俺の頭蓋骨を全力で2発殴った リスカはしないけど

2022-03-25

一人の女性人生をめちゃくちゃにしたかもしれない話

大学生ときホストバイトをしてた。理由留学資金が欲しかたから。大学上京させてもらったが、留学資金までは頼れない。長期留学奨学金は高倍率だし採用されるかどうかわからない。というわけで大学にも慣れ、実験演習などのハード講義が終わり、成人したタイミングホストを始めた。未知の世界だったが、先輩たちはとにかく優しかった。よく漫画とかドキュメンタリーで見る新人ホストがしばかれるのはヴィジュアル全盛期だった昔の頃の話。今は人材確保のためにどこのホストお客様よりプレイヤーを何より大事にする。

お店は歌舞伎町スーツスジ盛りではなくマッシュヘアに私服みたいな感じでチームに別れて接客する。最初は同じチームのリーダーや先輩のヘルプについて仕事を覚えるのだが、すぐに慣れた。先輩やお客様の話に相槌を打ちながらお酒をつくり、水滴のついたグラスを三角おしぼりでふき、先輩に振られた話題で話をしてお酒を飲む。酒は弱かったがうちの店では内勤に「もう無理」と伝えるとそれが共有されてそれ以上飲ませないというふうになっていたため続けられた。さすがに睡眠時間の確保と授業との両立はずっと課題だった。

初回の女の子バンバン入ってくる店だったため、その子から指名を貰えるように交代でついて盛り上げる。外でのキャッチナンパの代わりにマッチングアプリを使ってた。あとインスタにファッション自撮り投稿して、DMをくれた子と仲良くなる。その中で出会ったのがタイトルの子。目が大きい大人しい子だった。地方女子校から女子大に入り一人暮らしをしていた。親と高校が厳しく高校時代彼氏もいなかったそう。すぐに仲良くなって付き合い始めた。自分ホストをしていることは話していた。理由は「家が貧乏仕送りしながら学費も払っている」と盛っていた。リーダーに教えられた通り彼女の家に歯ブラシ、充電器、整髪料と徐々に自分私物を増やしていった。最初普通にデートしていたが、会うのは休日だけ→仕事前にコメダで話すだけ→仕事前に御苑散歩だけ、と段々会う時間や頻度を減らした。彼女文句を言った時には「仕方ねえだろ!うるせえな!」とキレた。良心が傷んだ。

結局彼女は俺に会うため店に来てくれるようになった。そして仕事帰りに一緒に帰るためにたくさんシャンパンをいれ、他のお客様と俺がアフターに行かないようにしてくれた。仕送りはかなり貰っていたが、一番安いシャンパンで5万円からなので当然すぐに足りなくなる。ガールズバーピンサロデリヘル避妊なしのソープ大学中退となるのは一瞬だった。彼女風俗に来る客と外で会って裏引きもしていた。一年半で彼女が使ってくれたのは総額2000万円くらい。正直うちの店ではたいした金額じゃない。先輩には一回で700万を超すブランデーをいれるお客様もいたし、俺にももっと使ってくれるエース別にいた。元アイドルのその女の子はたくさんのパパを囲っており、ファンからは「この子は何をしているんだろう」と心配されているのだが、彼女イベントでも躊躇う金額をその子は「ええよ~」と掛けなしで払った。

大学卒業が決まったタイミングホストを辞めたが、このタイミングで振られた。彼女には別の店にも担当ホストがおり「ホストじゃなくなった俺に魅力ない」とのことだった。ホスト生活友達ほとんどおらず留学準備もせず、卒業までの期間をぼーっと過ごして卒業した。その後コロナ禍となり、準備すらしていなかったが留学はなくなった。俺は歌舞伎町喧騒から静かな生活というギャップ半年くらい実家で抜け殻のように過ごし、再び上京して今の会社就職した。仕事は充実しているし、同僚たちとも仲良くやれている。

なぜこれを書こうと思ったかというと、ついこの間歌舞伎町彼女と久々に会ったから。風林会館の前で脱ぎやすい安物ワンピースに不釣り合いなブランドバッグという風俗スタイルで泣きながら電話して歩いていた。電話相手は多分ホストスカウト無視しようと思ったが、バレた。彼女から「久しぶり」と言われた。適当に返事を返し話していたが、スマホを持つ彼女の腕にえぐったようなリスカ跡を見つけてしまい、気分が悪くなって無理やり解散した。その後昔の先輩がホストを辞めて開いたバーで飲んだ。コロナで売上は悪いらしい。先輩にそのことを話すと「お前が最初ホストだったからそれくらいで済んだんだよ。他のホストに捕まってたら死んでるか捕まってるよ。まあそう思って気にするな」と言われた。今更できることはないので、そう思うよりほかない。

2022-03-21

リスカしてみたい

今まではリスカなんてメンヘラかまってちゃんの注目集めだろと思って嘲笑っていたんだが、

リスカについて調べてみると

リスカをすると気分が落ち着く」「ドラッグをキメたときのような高揚感がある」

といった証言が多数見つかって俄然リスカに興味が湧いてきた

しかしいい歳したおっさんが手首に傷をつけててもかっこ悪いんだよな

どうすっかな

2022-03-13

anond:20220313011924

そう?

これ手の混んだリスカだと思ってたんだけど

2022-02-28

久々にリスカっちまった

No1推しVtuber体調不良引退した。

苦しすぎる。

こんな気持ちになるなら石や鉄に生まれたかった。

2022-02-22

警察自殺と断定、または事件性が無いと判断したもの

2022-02-20

自分大事にしないタイプ心理

ずっとわからなかった。

リスカ、ヤケ酒、誰とでも寝る女。

そんな行為に走る気持ちが、今はわかる。

痛みを感じて、「痛い、まだ生きたい」って感じたかったんだね。

こんな辛いときは、匿名日記に逃げ込みたいよ。

そうでもしないと、衝動的に車で海に飛び込みそうになる。。

2022-02-19

anond:20220219090901

女性リスカ好きは異常・・・

あれってやっぱり、毎月、血を垂れ流しているからなのかな。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-14

anond:20220214083911

サイゼが美味いっていってるんだから、『美味しい=口に合う物(好み)』で一緒でいいだろ

一般的に美味しいとされる食べ物のみに美味しいを限定するなら

サイゼが美味いって言う時点で舌バカじゃなくて

『おつむがヤベーやつ』じゃん

 

リスカ駄菓子が好きなワイくんもリスカ駄菓子チョコうめぇーとは思うけど

美味しいお菓子として通常誰かに紹介たりはしない

菓子として紹介・贈答するなら、フツーに有名パティスリーや老舗和菓子紹介するよね

通常は素材と技術評価してお金を払うから

低価格限定するならショートケーキ缶とか話題性のある物紹介するよね

それがTPOってヤツですよね

それが理解出来ないって知的問題を抱えているか発達障害かのどちらかですよね 見本 → anond:20220214110029

 

日常ご飯の話してんだーに限定してもそもそも1食1000円以上は掛けてるので選択肢に無いです

コロナかいろいろあって外食出来ない・Uberに飽きるとかはあったけど

食べたくないものをなんとなく食べるだけは無いです

カロリー摂取のためにただ腹に入れるってマジで意味がわからなすぎる

サイゼメニューについて語って欲しい

サイゼうまいだろ。

高級店のごちそう以外を美味いって言ったらバカ認定してバカにしたいのか?

(anond:20220213212114)

サイゼメニューがどう美味いと思ってるのか語って欲しいところ

ワイくんもおいしかった・すごくおいしかったしか基本的感想が無い人なの簡単でいいよ

 

チェーン店には行かないので名前は出したく無いけど高級店には別に行かないよ

Uberで2品で5千円くらいのお手頃な価格感のお店にしか行かないよ

 

丸鷄のディアボラチキン(悪魔焼きチキン)とか丸鷄のローズマリーローストチキンとか

ポロ・アロスト(鷄の丸焼き)やポルケッタ(豚の丸焼き)などのグリル系が美味しい店が好きだよ

グリルも低温調理(基本はオーブンでじっくり火を通すのだけどお手頃なお店へ行ってるので低温調理ローストポーク出すところもある)も

クッッッソ面倒いのでもうこの時点で大好きだよ。一応、家にはスパイス各種あるけどする気がしないよ

香ばしくて脂が甘くて肉はしっとりしてるのが好きだよ

 

ボッタルガとかトリッパとかは好きじゃ無いよ

ラザーニャとかは好きだし美味しいなって思うけど特に感動したことは無いよ。ただ自分で作るよりは美味いよ(当たり前)

自分でラザーニャ作って食べる時はコマ肉叩いて作るよ。トマトソース自分で作るけどホワイトソースは面倒いから買うよ

ラザーニャのパスタ自分で作る時と買う時半々だよ。もちろん既製品のが美味いよ

 

ピザナポリピッツァをメインにしている店で食べるよ(そうじゃ無い店でついでに食べることもあるけど)

専用窯がある店で最低限水牛チーズを使っている店を利用するよ。でも別にカンパーニャ産じゃ無いとイヤとか無いよ

ただ窯とオーブンピザは誰が食べても違うよ

ワイくんは、宅配ピザナポリの窯ゴルゴサルサとかフツーに美味しく食べれる人だけど(ピザーラは嫌いだよ。アメリカン日本ピザじゃなくてフツーにブルックリンピザなら食べるよ)

それでも選べる時は薪窯オーナーバックグラウンド(○○の店で働いてた、各種団体認定を受けている、規模の大小はともかく海外で賞を獲ってる、現地で修行した等)がわかる店を選ぶよ

繰り返すけど誰が食べても違うからだよ

 

とにかく低価格限定で美味しいと思うものについて書くならイタリアン離れちゃうけど

リスカ 徳用チョコ 30本』が好きだよ。ほぼ、うまい棒がチョコ掛けされてるヤツだよ

コーンの軽さとチョコの軽さと砂糖脱脂粉乳の甘みが好きだよ

 

というわけでサイゼメニューがどう好きなのかよろしくお願いしま

anond:20220214081325 anond:20220214081949 anond:20220214100751 anond:20220215095305 anond:20220215095450

2022-01-17

顔が良い若い女イージーモードだって聞いてたんだが??????

精神障害者の顔のいい女だけど、まともな男精神障害者結婚しようとしない件

どこに理解のある旦那くんが存在するんだ!?

よく揶揄されるエッセイ健康だったり社会と関わってる時期に出会った男性と結ばれてるので

10からずっと精神障害だとまともな男出会うチャンスがない

顔のレベル大手芸能事務所所属はできるくらい(仕事はろくにできずに辞めた)

かに恋愛に関しては全くなかったとは言わないが、破れ鍋に…という感じの同じレベル男性であって、全てを包み込み養ってくれる理解ある彼くんなんていなかったよ

結婚相談所とか中卒の精神障害者でも20代の顔がいい女なら受け入れてくれる?

識者求!

追記

メンタルの具合は、障害者手帳持ってて、訪問介護などサポート受けてるレベルです!

基本寝てることが多いかな!重くなると風呂食事が一人ではできない感じ!

他害もないし、自殺未遂は何度もあるけど、リスカしたこといから見た目ではわかんないと思う!

2021-12-27

anond:20211225022746

ボロクソに非難されそうなのに追記するとか、本当に天然なのか、リスカする構ってちゃんと同じなのか、それとも両方なのか判断しかねるな…。

2021-12-23

リスカ辞めたいならリスカ見るな

リスカをやめて2年半が経つ。辞められた経緯についてちょっと考察してみる。

病気治療が進んだ

これ書いても元も子もないか

お金がない

とにかくお金がなくて、キズパもカミソリも買う余裕がない

時間がない

時間がないのは社会に復帰したからで、これも病気治療が進まないと難しくはあるね

リスカ画像を見るのをやめた

正直これはすごく大きい!自分リスカ写真を撮るのをやめた。見返すのもやめたし、他人のも見ないようにした。意識的にこれをやったら自然と切りたい!って瞬間が減った。

・コーピング実践

切りたくなったら腕を殴ったり、つねったりしてた。氷を握るとか腕に赤いペンで描きなぐるとかも有効らしい。

おわりに

リスカが「はじまってしまう」のと「やめられない」のは全く別の問題で(もちろんどちらもつらい)、後者にはある程度汎用性のあるアプローチが効くと感じている。

リスカしなくても生きてていい」って頭で分かっても、いまいち納得できてない人は多いかもしれない。自分との和解人生をかけた作業だと思う。

親にもらった体って言葉見ると吹いちゃう

あん理解できないけど自分で言うのはまだいいよ?

整形するやつリスカするやつに言うのよくわからん

体は持ってる本人のものしか思えない

部活中に水飲むな!って古い教師見たらふっるwって笑えてきちゃうのに似てる

整形とリスカもやる気持ちはわからないの一緒だけどな

整形は失敗したら一点物の肉体の換えがきかないか病院選びに気をつけてほしいし、リスカは痛いかストレス発散方法としては逆効果じゃない?と思う

やっぱ親にもらった体!って言葉アホっぽいからかな

2021-12-20

anond:20211220224339

それ女というかメンヘラやろ

首にリスカあといっぱいついてそうな人生などやめときなさい

2021-12-07

anond:20211207195659

「首を吊る」とか「リスカする」とかの自殺自傷をほのめかすツイート他人迷惑かけずに凍結されるのでおすすめ

相手冗談として理解してくれるなら「殺すぞ」とかもおすすめ

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