はてなキーワード: ラブライブとは
わざわざラブライブファンの集まりに行って「ラブライブはクソ」とかは言わないよ
こちらもこういう所で「アイマスはいかに金を搾り取ることしか考えてない」とか「歌が癖強くてキモい」とか言われても「はーそうですか」と思うだけだ
俺はアイドルマスターの絵柄が好きで、ラブライブの絵柄が嫌いだ
アイマスは顔があっさりしてて可愛いし、衣装もそれぞれのキャラにあわせて凝ったものが多く見ごたえがある
曲もアイドルっぽいものからしっとり系コミックソング系、色々あって飽きない
ラブライブはまず絵柄が苦手だし、歌も悪くはないがどれもアイドルソングの枠を越えてはいない
衣装も一応それぞれ少しづつ帰られてはいるけど、リボンの色だけとかスカートかショーパンかだけとか、あんまり見ごたえがない
勿論ラブライバーの人からみれば、アイマスは顔が地味とか古臭いとか思われているのも理解できる
なんにせよ、同じアイドル物でもかなり別物だと思っている。
この事を友人に熱弁したら「一緒にしか見えん…」って言われて驚いた。
が、確かに俺も友人の好きなグラドルが全員一緒にしか見えない。
ほぼ同じような顔なのに片方は美人扱い、片方はブスキャラとか本気で意味がわからなかった。
で、スレタイ。
両親(40代後半)のうろ覚えタイトルを挙げるので、何のアニメか当ててください。
父は、自分(男子高校生)や妹(小学生)が観ているのを横から観るのがほとんどだけど、ロボットやヒーローものは好きで積極的に観ているようです。
母も、アニメは横から観ていることが多いですが、どちらかというとマンガの方が好きで子どもの頃から集めたマンガをたくさん持っています。今はスマートフォンで読んでいるようです。
難易度★ (すぐに分かった)
1. 『けも耳フレンド』(母)
2. 『自衛隊のやつ』(父)
3. 『前前前世』(母)
4. 『チェインバー』(父)
5. 『ゾンビのやつ』(父)
難易度★★ (内容を聴いて分かった)
1. 『戦艦のやつ』(父)
2. 『アドレナリン?』(母)
1. 『プリキュア』(父母)
2. 『死んだら過去に戻るやつ』(父)
3. 『ラブライブ』(母)
★
1.『けものフレンズ』
これは長いから仕方がないかなとは思います。国会答弁のシーンが好きで何度も見直していました。
3.『君の名は』
正解のほうが短くて覚えやすいと思うのだが間違えていました。今はもう正しく言えます。
4.『翠星のガルガンティア』
『鉄腕アトム』『機動戦士ガンダム』みたいに、メインのロボットがタイトルじゃないと気がすまないようです。
5.『がっこうぐらし』
当時ゾンビといえばこれしかなかったので分かったようなものです。
★★
1.『ハイスクールフリート』
とても気に入って毎週見ていたのに。名前だけ知っている『艦隊これくしょん』と区別がついていないようです。
2.『アルドノア・ゼロ』
父は大好きで毎週見ていました。正しく言えていました。
母は歌が好きで、よくスマホで聴いていました。
★★★
1. プリキュアシリーズ全て または その他。女子中高生グループが変身して戦うものは全部、プリキュアらしいです。
2. 『僕だけがいない街』または『Re:ゼロから始める異世界生活』のどちらか
『僕だけが~』は死ななくても戻る、と何度説明しても間違えます。
タイムリープものでは『シュタインズ・ゲート』は正しく言えます。
3. 『響け!ユーフォニアム』
高校生が音楽やっていれば、『ラブライブ』なのかもしれません。『ラブライブ』は観たことないはずです。
思い出したらまた書きます。
Aqoursがμ'sより売れないのはAqoursやサンシャインがμ's、無印より劣ってるからじゃない。
曲は確かに劣っているが売上ほどの差はないし無印時代も後半はとても素面で聞けるレベルの曲なんてなかった。
では何が劣っているのか。
盲信的に金を出し声優や作品をひたすらに礼賛するラブライバーが減ってしまった。
無印時代にその層だった何割かがμ's原理主義と化して減ってしまったのだ。それが原因だ。
ファンの根拠のない絶賛と無謀な投資がなければ全く評価の対象になることはないどうしようもなく見所のない作品だ。
ファンが頑張らなければダメだ。頑張れラブライバー。みんなで叶える物語は魔法の合い言葉だ。
運営や監督、脚本家、声優なんかのせいにしてはいけない。運営や監督、脚本家、声優がクソなのは無印時代だって同じだろ。
変わったのはクソを絶賛せず金を出さなくなったラブライバーだけだ。
ただ名前がラブライブ!からラブライブ!サンシャイン!!、μ'sからAqoursに名前がちょっと変わっただけだというのに。
オタクの多くは学校でいじめられる側だったはずなのに、なぜ学校アニメを批判しないのか。
学校で苦しんだ私は、たとえアニメや漫画の中でも学校を見たくないぐらいなのに……。
そしてオタクを傷つける不良生徒だけでなく、学校それ自体にも大きな問題がある。
数々の意味不明な校則によって生徒を締め付けたり、遅刻や忘れ物をしたぐらいで厳しく罰せられたり。
他人の失敗や他人が楽をすることを許さない不寛容社会は、学校によって育まれているのではないか。
大人の社会や専門分野を描くには相応の勉強や取材が必要だが、学校には誰もが通った経験があるので
何の準備もせず描くことができる。無教養で意識の低い作り手は、学校以外に描ける社会が無いので学校を描く。
二つ目の理由は、制服姿の女の子がエロいこと。世代を問わず日本男性は制服のJCJKが大好きなのだ。
学校に問題意識を持つことなく、ただ楽しく美しい青春時代としてしか描けない作り手。
これだけ学校アニメがあふれる現状にありながら、迷いなく学校アニメを出してしまう作り手。
そんな作り手がいくら自信や使命感を謳おうが、私は絶対に信用しない。
猜疑心が強すぎるのでは。そういう乱れた場もあるのかもしれないが、
おそらく実際としては、現役コスプレの子たちの言っているような健全な場の方がはるかに多いのだと思う。
往々にして、外部の風評というのは特別醜悪な部分だけ抜き出し、誇張され、時に捏造されたものなので、
それをベースに現役の子たちに聞くと、その聞き方によっては自分たちを愚弄していると捉えられ、頑なに反発されるのは当たり前のことだ。それを隠蔽と受け止めてしまったのでは。
というより、そのコスプレイヤーたちもあなたの友達だったくらいだから、概ねあなたと同じくらいの知性や倫理観の世界で生きてきた人だ。あなたの憂慮するような事に遭遇したなら辞めていたはず。
続けているということはそういう乱れた層の人間とは遭遇していないか、したとしても距離を置いて、真っ当にやっているのだろうと汲んであげ、配慮した上で訊いてほしかった。
このような、内側の人と外側の人との乖離を、私も別の件で感じたことがある。
私自身、ラブライブという作品のファンで、その作品性に、キャラクターたちの関係性に、演じる人たちの熱意に、心動かされ感動することしきりだった。今も作品を大切に思っているし、ファンも大半は悪い人ではないと思っている。
なにしろ内容が、多様性を尊び、拙さにも寛容で、思いやりにあふれた優しい世界観でありながらパワフルなベンチャー精神を鼓舞するような内容だからだ。
けれども、偏見の目でみられやすい美少女ものかつアイドルものでもある。大ヒットしファンを大量に抱える中で、やはり外部の人からは「気持ち悪い」と思われる部分が、ことあるごとに抜き出され続けてきた。
全身にキャラ缶バッチをつけた人や特攻服を来た人が徒党を組んで街を闊歩しているだとか、ファンが聖地の甘味処で騒いだだとか、あるいは殺人事件を犯した学生がファンだったとか。
そういう悪評に繋がりそうなことを、ネットの暇人たちは目ざとくみつけてきて、そのたびに作品のファンの呼称であった「ラブライバー」は、ネット上においては蔑称として認知されていった。
実際にそれ単体で迷惑を掛けているとは言い難い「痛ファッション」などについては、私自身はいい歳のおっさんでありグッズ収集欲も見せびらかし欲もないとはいえ、
あまりに叩かれるのが不憫で擁護していたりもした。もっと生暖かい目で見られるくらいでいいとは思うのだが、やはり外部の人は弾圧の対象にしたいくらい気持ち悪がるものだ。
ネットを見ていると、非ファンの人が触れる情報は、そういう「ラブライバー」を揶揄するものばかりだから、「あの作品はクズのキモオタ・ヤンキーの集まりなんだな」という印象になってしまっているだろう。
けれども、私が街や劇場などで目にし、触れてきたファンの若者たちは、平均的な若者たちと大差なく、基本的に礼儀正しく、親切で、真っ当なバランス感覚を持っている人が多かった(あとカップルが多すぎ)。
その乖離は、私が運良くファンの一員として内側に居たからこそ気づけたようなもの。
もし2013年のあの時、偶然スクフェスをDLせず、ネットに篭ってゆるいアニオタを続けていたら、ラブライバーにいい印象は持っていなかったと思う。
それほどまでに、「理解しがたい奴ら」への「嫌悪感」は容易に人の心へ侵入してくるものだと言うこと。
2ちゃんのファンが集う板でも、「前は『ラブライバーwww』って見下してたけど…」という人はよく見かける。
けれどもそうした人は、ラブライバーdisで溢れているメジャーなまとめブログのコメ欄などには行かなくなるし、可視化されない。
結果として、他人の醜態を嘲る卑小な感性の人々の持論ばかりが、ネットの総意になりやすい。
同じようなことは、もちろん他作品でもある。○国嫌悪だとか、著名な人、政治家・芸能人・経営者への態度でも起こりうる。
そういえば私はその前に、堀江貴文さんに関しても同じことを経験していた。
彼がなぜ罪に問われたのかについて興味をもって、ニートで暇はいくらでもあったので、日本の司法や経済についてWebコラムや本を読み漁った。
いろんな方面の有識者の彼に対する見方を総合した結果、彼は過剰に批判されていると私は判断した。
そして、むしろ彼の才能や考え方は尊敬に値するものが多いと感じてファンになった。もともと自分の思想傾向が彼同様リバタリアンに近かったせいもあるだろう。
もちろん世間の感覚とは真逆だ。いつまで経っても彼を「でも犯罪者でしょ」と思考停止して評する人が多いのは、息苦しいがどうしようもない。
ただ、彼が他と違うのは、今でも著名な大学に招かるなど、風評と切り離して是々非々で評価する人たちからは求められていること。
彼に限らず、歯に衣着せぬ物言いをする人は、どうしたって悪印象を持たれ、する事なす事マイナス補正が掛けられる。
それでもやってる事が保守的な職人キャラなら好かれることもあるが、破壊的急進的な行動様式の持ち主であれば、多くの日本人は嫌う。
私は「叩かれまくっている人から良さを汲み取れるオレカッコイイフェチ」になっているのかもしれない。
ほかにも、極論ばかりと叩かれる池田信夫だが、氏のブログは普通に勉強になることが多い。感化されて『資本主義と自由』や丸山真男を読むようになったり。
一種の中二病と笑わば笑え、それでも「安易に悪意に染まらない」心という得難いタレントを得たと自分では思っている。
話を戻すと、増田が難儀なのは、コスプレの世界に踏み込みそうなのが彼女だと言う所。
これが自分自身であれば、まだ傷つくのを恐れず飛び込んできちんと判断してやろう、という良い選択肢があるのだが、そうは行かない分、慎重になるのは分かる。
もし、増田があげた彼女のくだりが虚構で、コスプレへの嫌悪感を表明するための方便だったとしたら、この下衆がと罵倒してやりたい所だが、本当にそういう事なら、提案がある。
彼氏彼女の仲なのだから、二人そろってコスプレに参戦してみたらどうか。
彼女を守りつつ虫除けもできるし、彼女にとってもその方が嬉しいし楽しめるだろう。
コスプレの元ネタ作品を一緒に鑑賞する機会などもつくれるし、一石三鳥だ。
それをせずに、彼女にコスプレの醜悪な部分ばかり語って忌避するように仕向けるのも手としてはある。
それも彼女が保守的な性格ならいいが、そうでなければ「了見の狭い男」と取られる可能性もある。
まず俺が最初に反応したのは「最終話が重い」に対してであって、んなバッドエンドばっかりじゃねえだろというツッコミだった。
すると「最終話の数話」とかいう謎表現で、何故か中盤以降の展開の変化の話になってしまったので、その時点で議論としては成立してない。
その上で語ると、
「コメディの最終話直前でシリアス展開を入れる」というのはしばしば使われる手法ではある。
おそ松さんも元からブラックな話は多かったとはいえ最終話直前はラストにつながるシリアス展開だった。
けいおんも最後の方で番外編としてちょっと雰囲気の違う話をやっていたっけ。
伏線回収でもなんでもないけどな。
しかし、もちろんのこと、それは大多数ではない。
日本のアニメは「最初からシリアス」か「最後までコメディ」がほとんどだからだ。
その点だけでも「日本のアニメは」と言ってしまうのは確実に主語がでかい。
ラブライブは、無印の一期最終話手前でダウナー展開だったが、二期ではなかったし、サンシャインでもなかった。
けいおん以降の日常系アニメでも最終回にシリアスになる作品はそうなかったはずだ。
中盤で喧嘩したりする展開は記憶にあるが。デレマスアニメもそれだったな。
だから、あれを「型どおりの反抗、型どおりの和解、型どおりの成長」としか見れていない人は、
あれをそう捉えなかった人の目に映っていた高解像度の微細な捉え方をすべて無下にしている、そういう傲慢さがあるわけだよ。
あなたがそう思ったことは勝手だし、ファンの人が受けた衝撃や感動の「種」になっていたさまざまなウンチクには永遠に辿り着かないし、そんな「種」の存在があることも想像すら及ばないだろう。
そういう人がいることはそれでいいけれども、だからと言って作品を矮小化するなと言いたい。
自分より心から楽しんでいる人がいて、ついでに世間的にもヒットしているのなら、「自分には合わなかった」と思うだけでよい。
「見たけど下らなかった」みたいな事をあえて言う下劣な感性の人が、ネットには多すぎるから辟易しているんだよ。
特に、アイドルものなんかはジャンル自体への偏見もある上に、一部のファンの気持ち悪さゆえイジメられやすい。
だからそういうキモオタなんかを揶揄したい人間が、作品にその矛先を向けることも多々あるように感じる。
まるで「自分はまともだぞ」「自分はもっといい趣味してるぞ」「自分はそんなチャチなものどうかと思う」と言って、
けれども、どんな作品のファンにも必ず、自分より優れた知性を備えた人がいる。いい歳のいい肩書もった人がファンだったりもする。
例えばあなたが海外ドラマを高く評価していて、アニメはヌルいと思っていたとしても、その両方にあなたより精通していて、そのどちらも高いレベルで楽しみ評価している人がいる。
あなたに無い着眼点でみる人、例えばまどマギを仏教の文脈で語る僧侶や、ラブライブをマネジメントの文法で語る人などもいる。
とてつもない熱量で、自分では気づきもしなかった考察をブログで重ねている人がいる。
鳥肌を立てながら、そこまで考えて作られていたんだと気づき敬意を表する、そんな純粋さが馬鹿にされてはいけない。
そういう人の存在を無視して、一括りにファンは自分より感性下劣であり、作品も見下してしまってもいいだろうというような傲慢な判断をする人は、
そういう視点でつけるケチは、結局いつも表面的な部分しか捉えていないことを銘記してほしい。
ロックバンドのオマージュをするのが陳腐だからと言って、別に作品としてはその部分でいかに新しい表現をするかを競っているわけではない。
あの回の迷走の仕方はなんでもよく、あれを通して何を伝えたかったのか、そこに注目してみてあげるのが作品に寄り添う普通の見方だろう。
ネットには、瑣末な描写や言動や辻褄に「あーハイハイ」「なんでやねん」となって気を取られてしまい、総体的な評価をフェアに出来なくなっている人が多く見受けられる。
妙な「事情通」ぶった自負があるせいか、へんなところに神経質になって気を取られ続けているため、素直にみていれば感動に繋がるはずの布石を取りこぼしている。
あるいは、元から上から目線で鑑賞していて素直に楽しむ気が元からないせいで、些末なツッコミに躍起になるのかもしれない。
ともあれ、物事が「いかに深いか」を十分に言語化して語ることはものすごく難しいんだよ。前提知識が多く多岐に渡るし途方もなく長文になる。
対照的に、物事が「いかに浅いか」を語って揶揄するのは簡単だし、そういうネガティブ情報は感染力も高い。
だから、自分が良いと思えなかったものにも、自分には捉えられなかった「深さ」があるのだろうなと斟酌して、静かに離れていく美徳を身に着けて欲しい。
それは結局、デフォルトで他人を尊敬するという良き人格に繋がっていく。
逆にそれができないで、何かをこき下ろすことに快感を感じる性質を卒業できないままだと、いずれ何にも感動できなくなって脳が凝り固まってしまうだろう。
間違っても、今後はそんな「『○○でござい』なんて言ってて本当にいいの?」みたいに他人を冷笑する考え方に陥らないでほしい。
あの作品がアイドル=カワイイを脱却できていると思う点は大きく二つある。
ひとつは、主軸として「(私達で)終わりにする」物語だというところ。
カワイイという他人に媚びた、というと言い方が悪いが、他人のウケに依存する状況を続けていると、
どうしても商業的になってきてその「カワイさ」を演じ続けることを強いられるようになっていく。
それは現実的に考えても辛いことだし、アニメとはいえ女性も人間、歳をとり成長し進学就職していくもの(=ずっと一緒には居られない)というリアルな思考が、暗黙的にキャラクターたちにも存在していた。
そこで彼女たちは、アイドルという青春を引き伸ばす道を選ばずに、作中にして若干1年、現実の声優ユニットとしても5年で「おしまいにした」。
それも、人気の絶頂の最中でその決断を、予め意図したとおりに断行した。
その振る舞いには、これまでのアイドル文化に対して投げかけるような強烈な思想を感じる人もいるだろう。
作中のライバルグループは、メジャーデビューして続けていくことを選んだが、
彼女らはそれを否定するでもなく、「私達がどうありたいか」という思考を大切にした。
その思考について、本編だけでなく劇場版の過半をそれに割いてまで、伝え続けた。
そういうところが非常に現代的だと思うし、観る者に旧来のアイドル観からのアップデートを促すようにも感じられる。
ふたつ目は、作中における「カワイさ」の表現について、あくまでも彼女ら自身の「カワイイ」観・美意識に基いているところ。
パフォーマンスを自分たちの手で、裁量で、決定し作り上げているというところから、現代的な感覚に寄り添う配慮がみられる。
そもそもアイドル活動を部活という設定にしたところからそうだけれど。
もちろん美少女もののメディアを原点にした作品だから、彼女らが自発的に表現した「カワイさ」自体が男性ウケに寄せてあることは否定しない。
けれども内発的に行動している設定にすることで、「やりたくないけどウケの為にやらされる」ような見る側も心苦しい媚び方を見せなくてよくなった(少なくともアニメ上では)。
それどころか、彼女らの美意識に従えば、それの転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかもしれない。
実際に作中で迷走してロックバンドKISSのコスプレをしだす一幕があったほど。
ともかく、そうした主体的に行動するウーマンパワー的な土壌を作っておくことで、女性視聴者も作品を受け入れやすくなった。
結果として「一見男性向け作品なのに女性ファンも非常に多い」コンテンツとなった。これも今時のヒットコンテンツではよくある現象だ。
ちなみに、この「自分たちがカワイイと思うことはやるけど、そう思わない(嫌な)ことはやらない」という、
女性アイドルら自身の尊厳を守るというかパフォーマーとしての意志を尊重する動きは、大手に属さずにアイドル的な活動をする現実の若者にも広がっており、
もはや今の若者はそういうグループしか応援しない、と言うと大げさだが、そういう審美眼はちゃんと持っている人が多い。
他のアイドルアニメ作品でもそういう思想は共通していて、例えばアイドルマスターシンデレラガールズも、
アイマス作品は土壌としてファンを大切にする文化があるにもかかわらず、アニメでは「ファンの期待に応える」ような描写はほとんどなかった。
描かれたとしても「ファンはいつも支えてくれている」というような、受容の存在として描かれていて、ファンの期待や要望の圧力に従うような描かれ方はしなかった。
その一方で何が描かれたかというと、一貫して、アイドルたち自身の内面の成長が描かれた。
ただ、外面からの圧力がなかったわけではなく、それはプロダクションやTV局側の方針との衝突いった形であらわれており、
それと折り合いをつけながら、けれども自分の守りたい個性や魅せ方も守っていくあり方を、
周囲の支援のなかで「彼女ら自身が」見いだしていく、という大筋になっている。
やはりラブライブと同様に、いい意味で「内輪で閉じている」のだ。そしてそれを良しとしている。
まるで、この世界のプロデューサーの仕事は、個性的な人たちの自己実現を助けることが主で、
その過程で生まれるキラキラをパフォーマンスという副産物に変えて売っているかのよう。
そして、「それは創作上だからこそできる綺麗言だよ」とはもはや言い切れない時代だと感じる。
自分たちがやりたいようにやるから、共感してくれる人はついてきて。
そういう思想をベースに、角が立たないように上手にやっていく。
もちろんそういう風潮にもマイナス面は当然ある。
商売に長けたプロデューサーに主体性を奪われないために、アイドルら自身にセルフプロデュース力が求められる。
成功するグループとしないグループの差はより残酷に可視化される。
けれども私たちは、往年のアイドル文化を作ってきた人たちが、丸坊主にしたり惨めな謝罪会見をさせられたりと、もっとむごたらしいものを見てきた。
だからアイドルが主体性を取り戻した「パフォーマー」に変化していくのは時代の流れだし、そういう価値観を含む創作がヒットするのも必然のことだと思う。
かつてのオタク文化の評論などで有名になって文化人を気取っている40、50の方々は、やはり頭がカタくなっておられて、
あまり最近のアニメ、とくにアイドルアニメなんかについて好意的な評をしない、どころか言及すら嫌がるレベルで卑しめがちな感じがする。
つうかこういう人らってアイドルものに限らずオタク向け美少女いっぱいアニメが男ファンしかいない、と未だに思ってるのが謎なんだよな。