はてなキーワード: パワハラとは
暇アノンにとってはそうだろうね
会社でパワハラされている女性もいないしセクハラされている介護士もいないしぶつかられている女性もいないからコラボなんて必要ないって思ってるんだろうね
働きアリの法則 (よく働くアリが2割、普通に働くアリが6割、働かないアリが2割に分かれる) はサラリーマンにも当てはまると思う。
どんな会社にも2割の「働かないアリ」がいる。が、環境がゆる過ぎると、働かないアリに働けと言えない場面が出てくる。
その分の仕事は「よく働くアリ」こと我々が処理することになる。「働かないアリ」は余計働かなくなる。
昨今の「反パワハラ」に代表される「弱者を守ろう」的な空気が強過ぎて「弱者性の武器化」が横行し始めている。
「昨晩よく眠れなくて...」
「頭がモヤモヤしちゃって...」
こんなしょーもない理由で当日に遅刻、中抜け、早退、休みなんてことは日常茶飯事。
昔なら「シャキッとしろ!」とか一喝して終わっていたんじゃないかと思うが、今はそんなこと言えるはずがない。
我々よく働くアリには想像もつかない特別な事情のために頭がモヤモヤしちゃっている可能性がある。
無理な指導は「パワハラ」になる可能性がある。そんなリスクを負うくらいなら自分で仕事を巻き取って処理した方が早い。
体調以外にも、介護、育児、その他色んな理由があり、あらゆる理由が「弱者性」となり得る。
実際介護中だろうが育児中だろうが「よく働くアリ」こと我々はちゃんと成果を出している。
更に、コアタイムもない。だからこそかなり柔軟な働き方が許されている。
社員が働いたフリをしながら実際は寝ていたりゲームをしていたりしたとしても気付けない。
こんな環境で社員を評価できるポイントはその社員が上げた成果しかないため、特に厳しく見ていく必要があるはずである。
もし成果が上がらない社員がいれば、普通なら指導をして成長してもらう必要がある。
特に日本は社員の首を切ることは愚か降級することさえかなり難しいため、成長してもらう他ない。
が、何らかの「弱者性」を持つ社員については、たとえ成果が上がっていなかったとしても、全く成長していなかったとしても、誰も何も言えない。
寧ろ成果が出ていない社員ほど「弱者性」を武器に「成果が出ていない理由」を説明してくる。
あんまり新自由主義も出羽守も好きじゃないんだけど、こればっかりは「働かないアリ」をどんどん切っていくぐらいの雇用の流動性を作っていかないと、ホワイトな環境と世界的な競争力との両立は厳しいんじゃないかなと思う。
これは「よく働くアリ」こと我々「強者」有利のルールになってしまうが... それでいいというか、そうするしかないんじゃないか...?
自分は学校でコンピューターサイエンスを修めてないし、新卒で就職もしてない野良犬みたいな経歴です。しょうもないアラサーです。
Fラン大学の文系を出て、理由もなく2年ニート、その後はバイトからはじめて、小さいソフトハウスに入るもパワハラで1年くらいで退職しました。
その後は夜中にサーバーを再起動するIT土方をしていました。月の手取りは15万で何もできなかった。
その時にコロナでの案件崩壊と自宅待機が来ました。暇で仕方なかったので、流行りのクラウドの資格をいくつか取り、しょうもないSIerに転職。
毎日やることは、しょうもないエクセル方眼紙にスクショを貼り付けたり、全力でセルを結合することなどです。
他には、技術がわからないプロジェクトマネージャに、画面共有で5000文字くらいある設計書を半日かけて説明して、得られたものは句読点をずらすことだけだった時は、耳鳴りとめまいがしました。
しかしながら、自分も技術はわかる方じゃなかったので、大流行のクラウドの資格や、国家資格とかも暇つぶしで取って、ちょっとわかるようにしました。
また、知識だけじゃどうしようもないので、慣れないGitHubを使ってOSSにコントリビュートとかもしてみました。ただのGood First Issueのバグ潰しでしたが。
こういうことをしても大して給料も上がらず、会議中にAPEXの音がするプロジェクトマネージャの方が評価が高かったのは虚無でした。
彼のAPEXの音をBGMに、転職サイトへとスムーズに登録し、外資系のコンサルに転職してみました。ここはいわゆるBIG4というところです。アーキテクトをすることになりました。
初め、貸与されたPCがMacだったので、外資はいいぞと思ったのですが、MacでやることはWindowsのVDIに繋いでパワーポイントのピクセルずらし、論点のない会議ばかりでした。
当たり前のようにコードは書けず、日々Office製品をいじり、顧客の社内政治に巻き込まれながら、毎日7時から0時まで働きました。管理職はいつ寝てるのかわからない。
外資なのに社内のワークフローは日系企業並みに複雑、裁量はあるが、そもそもの仕事量が多すぎるので実際ありませんでした。無駄にLGBTや環境への配慮の研修が多かったです。
結局ここも前職のSIerの仕事を煮詰めただけで、ストレスは上がるばかりだったので、すぐにやめました。給料は爆増したが、色々と失うものがありそうでした。
ここまでで、エンジニアリングにおいて邪魔なものが顧客だということがわかったので、次はB to Cの会社の事業部のエンジニアになりました。給料は前職据え置き。
今の所たくさんコードがかけて、割と幸せです。この会社に入ってからOffice製品は一切触ってません、あれが悪いわけではないのですが、物には適切な使い方というものがある気がします。
今思うと、自分はものづくりが好きなだけで、顧客の課題解決には全く興味がなかったと思います。昔は技術的なコンサルティングや技術営業などもやりましたが、作った後は金の切れ目が縁の切れ目で、作ったものがどう動いてるかは全くわからなかった。
また、前職と違い、事業部のエンジニアは基本的に技術力がある人しかいないので、頑張ってきたつもりの自分でも毎日不足を感じています。しかもみなさん若いので尚更焦る。
就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。
扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラで更迭されるタイプの上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。
そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。
とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署に転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。
そこでも管理職に就いたり、年単位のプロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。
けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。
なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。
命に別状のないものがほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。
そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。
退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。
専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社が自分たちを必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。
次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。
だから、会社や組織の心配はほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。
それから、通院や体調の関係で仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。
月1ほどで血圧や採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。
さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそものスケジュールにバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然、担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量の天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。
ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性のほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。
子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社が業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。
客観的に見て、自分は環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。
子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せな人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。
両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分に子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。
同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分が当事者になって初めて分かったことだった。
この記事は、かつての不理解な自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分の人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。
自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間が産休を取る場合もあるということを、かつての自分は無自覚に想像の外へ置いていたと思う。
だからこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。
人は自分から遠い立場の人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分が当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。
世間的に、産休や育休からの復帰をとりまく環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者がいるかもしれない。
彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せだから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。
そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。
転職先には引っ越し期間を含めて7月から勤務することにしてもらった
今はデータを洗い直して改竄された裏データを然るべきところに出す準備をしている
しかし心療内科でとある頓服薬をもらってから俺の心境に変化が起きた
その頓服を飲んでから数時間は、怒鳴られようが壁に何を投げつけられようが、なーーーんにも感じないのだ
以前はこわい!危ない!と思っていたのに、はぇ~すっごいくらいしか思わない
この薬があればデータ改竄した部分をあっちこっちにばら撒いて大々的に会社が吹っ飛ぶまでできるかもしれない
然るべきところに出しても多分ちょっとメッされて以降は厳しくなるくらい
どうしよっか
逆パワハラで潰せば良いじゃない
本当にまともな左派がいたら、それこそ行政の委託事業を受けた業者を立ててこんなにも偏った形で報道するのは許さないだろう
曖昧な会計と妨害の問題は切り分けられ、真相を的確に報じてたろうね
過剰な妨害はどんな問題でも起こってるネット社会における新たな社会問題なんだよな
https://news.yahoo.co.jp/byline/yoppy/20230524-00350545
そして本件についてはいまだSNS上であれこれ言われ続けており、犯罪予告はもとより、一部にはデマとしか言いようがないような内容で他者を攻撃するような人まで現れており、SNSの怖さみたいなものを浮き彫りにした事案でもあるな、と思っております。
この後でヨッピーが書いてる老婆心ながらの心得も全てColabo問題においても言える事。
・主語を大きくしない
今回の事例で言うと「田舎はこうなんですか?」など田舎全体を貶めるような書き方をするのは良くありません。
ほかにも「女ってこうだよね」とか「男ってこうだよね」とか、一部の事例を性別全体にあてはめて書いてしまった結果反感を買って炎上してしまうケースはたくさんあります。
例えば自分の夫がまったく家事育児をしないからと言って、「男ってほんと家事育児しないよねー!」という愚痴を呟いたとして、それが僕のタイムラインに流れてきたら割と家事育児を頑張ってるつもりの僕は「男が全部そうじゃないわ!」って腹が立ちますし。
だからそういう場合は「ウチの旦那が家事育児しなくて~」くらいに主語を縮めて呟くのが良いと思います。
移住者vs地元のコミュニティみたいな構図は今回以外にもよくニュースというか話題になりますが、全部が全部対立してるわけじゃなく、移住者と地元のコミュニティがうまく協力して盛り上がりつつある町だってたくさんありますしね。徳島の神山町とか。
Colaboやその信奉者、及び報道社はのっけから会計疑惑込みでこの問題をミソジニーの妨害で片付けようとしてる。
そもそも告発の中心者、暇空氏ですら最初から現地妨害はするなと言ってるにも関わらず、まとめて暇アノンと呼んで暇空氏と結びつけた蔑称で主語大きくしてるのはColabo側なんだよな。
そしてその言い分に全乗っかりな朝日や毎日等左派紙によるColabo報道も、公平性を欠くただの偏向報道になってる。
・とにかく証拠を
告発する時にモノを言うのが、誰が見てもそれとわかる証拠です。
パワハラ・セクハラに関わらず、相手の非を糾弾するならとにかく証拠を残しておきましょう。録音・録画などなんでも良いですが、客観的な証拠を抑えてない限り、告発しても不利になるケースはたくさんあります。
会計疑惑は整合性が取れてない証拠が揃ってたから住民監査請求が通ったし、監査で請求人を退けた最大の根拠、後出しの表3は住民訴訟で裁判にかけられて根拠に乏しいと否定されたね。
https://twitter.com/i/web/status/1656503599898443777
その他にも、貸借対照表や定款にも及ぶ黒塗りと、その黒塗りをColabo代表名義で申請していた事、黒塗りについて被保護者の個人情報の非開示は当たり前と言いつつ過剰な黒塗りには言及しない報道や共産党の意向や、議員会館を使ったスラップ記者会見も名乗りでない議員も、普段不正を許さないとしてきた左派が是としていて報道されていないのだから大きな問題点。
ジャニーズ問題での報道も反省してまーすがポーズでしかないなと判断できるのはこの辺り。
今回の事例で言えば漫画の中にある「市役所はNPOに恩があるので文句が言えない」「土佐市はそのNPO法人に頭が上がらなくなりました」なんかは憶測であって事実であると断定できるものではありません。それなのに事実であるかのように「頭が上がらなくなりました」などと断定的に書いてしまうと告発全体の信ぴょう性まで薄れてしまいます。
このへんも気を付けたいところです。
これも、何もかもミソジニーのせいにして、そこから、女性への攻撃だの女性支援してるから叩いてるだの、酷いものだね。
そんな奴もいるだろうけどどんだけだよ。
じゃあColabo側はミサンドリスト集団だっつってただの差別者同士の諍いなんてくだらないオチにしても文句ないよな。
まあ暇空氏自身もこの無駄な憶測の断言傾向があるのは否定しないけども。
ただColabo報道においては、この双方ある問題をColabo側に全乗っかりで報じてる朝日や毎日はやっぱり大問題だわ。
切り分けるべきよな。
・周囲の人に相談を
そして今回のように関係者が多数居て、どこまで話が広がるか見えないような場合は告発する前に、告発内容を事前に見せるなりしてとにかく周囲の人に相談する事です。出来れば弁護士などにも一度相談して、仮に裁判沙汰になった時に不利になってしまうような事は書かないでおくのがベターです。
相談ではなく双方トップが独裁的でただの徒党となってるのがキツいところ。
弁護士も含め双方問題点もあったしグダグダなので、その辺はもう当事者同士納得いくよう頑張ってくれ。
ただ公金事業の不正会計問題は不正会計問題で住民監査請求が通ってしまう時点でそれだけ証拠揃ってるんだから、社会の公器としてはそれを的確に報じないといけないよな。
暇空氏のパーソナリティ問題をColabo側はよく持ち出すけども、どこまで行っても暇空氏はただの一個人だし、不正会計疑惑を追う人々は彼の清濁込みで支持してるわけではないし、寧ろもう彼とは切り分けて追ってる人も多いだろう。対してColaboは公金事業者としての会計に不整合が生じてたから追求されて当然なんだよな。そしてこれまでそれをやってきた左派や共産党が、本件だけ真逆の立場で全力擁護に走るからこの問題は拗れ続けてるし、左派の株は地に落ちてる。
いわゆる子供部屋おじさんやってる、無職の30代半ばの男性です。
今は、実家でたまーに手伝いくらいする、ずーっとアニメやゲーム見てる弱者男性そのものです。
20代の頃は、そりゃ、人生終わるじゃんとか、色々思った。
なんなら、新卒就職も名前を聞けば誰でも知ってるところ行った。
エリートだったんだけど、
3回目は、院卒の新卒でエリート就職決めたんだけど、きつくて半年でやめた
4回目は、ベンチャーに行ってみたけど、違法取引に巻き込まれそうになって半年でやめた。
人生余裕だなって思ってきた。
そもそも、65歳以上で年金もらえるわけじゃん。子供部屋おじさんしとけば、生活費なんて3万円あれば済む。
親の脛かじってれば、65歳まで余裕で達成できる。
20代の頃は、エリートにならなきゃだめだとか、色々思っていたけど。
そんな金稼ぐ必要もない。
娯楽なんて、youtubeなりsteamなりkindleなりで無料で手に入る。
あとは、性欲が衰えたのがでかいのかも。
30代前半はまだ、結婚の焦りがあったが、今は全くない。
結婚しなきゃ、責任もないし、人生ちゃんとしなくてもいいんよなあ。
つまり、自分一人が親の脛かじって生きるだけなら、全く問題ないってことやね。
衣食住十分なわけ。
不動産もそうだけど、販売系はクソみたいな馬鹿でも働けてしまう業種だから、
大学院とかなら出会わないキチガイとの遭遇率高すぎなんだよな。
これは字が汚い人は100回頷くと思うのですが、字が汚い人はどれだけ練習しても上手く書けないんです。私自身絶望的に汚いのですが、ペン習字など何をやってもダメでした。何と言うか、思考のスピードに手が追い付かないのです。親の皆様、子供の字が下手でも怒らないで下さい。その位では死にません。— ちゃん社長 (@Malaysiachansan) May 27, 2023
だから何だ?
言い訳に聞こえてしまう。自分しか見ないメモはどうでもいいけど、読む相手がいる文章は相手が読める字で書くのが礼儀じゃない?
都合のいい言い訳ばかり言ってんじゃないよ。
思考の速度に対して手の動きが追い付かないと感じる時はあったけど、それを日常的に字が汚いのは思考スピードに手が追い付かないから!てされると、いやいやいやいやそれは字を綺麗に書く気がないからでは?になる
思考が速いのではなく、バッファが少ない(思考を一時保存できない)欠陥品なのだろう
あと職場の人間見てて思うけど、メモ書きはともかく伝言メモの類で人が読めない字を書く人の一部にパワハラ気質のある方がいる感触。なぜなら綺麗に書ける書けないではなく、結局は他人が読むことを想定しているかだと思う。自分しか読まないならどんなに汚くてもいいけど、他人も読むものでも読めないほど汚く書く人間は人間として信用してない。
有名な戦国武将や明治維新など歴史上活躍した頭の良い方々は筆字とてもきれいだ。鍛錬の有無なのでは?
字が汚いなんて別に現代では対してデメリットないんだから素直に認めればいいのに、字が汚いのは思考スピードに手が追いつかないみたいな謎の言い訳をするタイプの人は自分の非とか欠点を認めれないという別の問題がある気がするね一画一画をキレイに書こうとしてないから、に尽きる。
ま、まともな親は注意した方がいいと思う
見せるために書く行為は、「誰かに見せること」までも「思考」のうちに入れなければならないので、言い訳と言われても仕方ない。いい歳した大人が他人に「この程度なら何とか解読して貰える」とか期待してるなら甘え。思考のスピードに手が追いつかないはただの言い訳。
頭フル回転で速書きして雑に書いても字の形が綺麗な人はいる。
思考のスピードに字が追いつかないのは、みんなそう。その折り合いを付けられない人だと思う。待てるか待てないかだよ。
いやほんとさ、まだ第三者が言うなら理解できるんだが、自分で言うやつは向上心なくて嫌い。どうしたら上手くできるかを放棄している。頭の回転早いんだから仕方ないじゃん、許して、みたいな驕りを感じる。世の中の字が綺麗な人たち、おのれらよりみんな頭の回転遅いと思っとんか?努力と意識じゃボケ。
机が汚い人の言い訳と同じで嘘なんだよな。
人によっては、そもそも頭の回転もそれほど速くないぞ
書けないと開き直るならミスの予防のためにももうメールとかしろ
何でも苦手だからと放り出す前に、書を習うのも手だと思う。
元ツイみたいなのは、頭がいいので字は汚くても良いという開き直りを感じる。
字が汚いことは、字が汚いという事実以外の何者でもない。
昔職場に本当に字が汚い人がいて、こういう感じになりたくないと思い、なぜこの人の字が汚いか考えて、空間(平面?)把握能力がないと気がついて、そこから美術館とかに通うようになった
文字とは自分と他人の知識や思考を共有するためのコミュニケーションツールなので他人が読めない文字(あるいは読みにくい文字)はその時点で文字の意味をなさない。読めない文字は文字じゃないんですよ。
自己流でゴルフの練習するようなもんで、汚い字を100回書いても上手くはならんでしょうね。
知り合いの東大生でそういうのは一人いたけど、障害か病気かな?というくらい人格があかんやつだったな。
普段はともかく、字を綺麗に書かないといけない場面で綺麗に書けないやつは「物事を自己流でやっちゃってお手本通りにできない、色々と勘違いしてる低脳マン」と思われても仕方ない(一般的に)
Twitterで日々病みツイをする様子を見ていたから、素直に良かった、と思った。同時に、ずるい、羨ましいとも思ったけど。
現代は弱者に優しくなったと思う。パワハラセクハラ、鬱病ADHD、LGBTQ。平等の名のもとに、マイノリティーは保護される。みんな尊重すべき個性だから。
そういう“弱者”になってしまえたら、どんなに気持ちが楽だろうと思う。こんなこと言うと「当事者は苦しんでる」って言われるだろうけど、私だって苦しんでる。多分みんな苦しんでる。増税に次ぐ増税と、少子高齢化と、どこを見てもゴミなメディアと、変革の進む現実が辛い。
労働基準法を誤魔化しながら最低賃金で働いて、娯楽の溢れかえった令和の世でネットサーフィンして睡眠時間を溶かす。友人と会って、交友関係をキープ、重たすぎない愚痴を吐く。たまに実家に帰る。なにかするには体力が足りない。私は意識高くはなれない。
ここがド田舎だからそう思うのだろうか。田舎から出なかったのは私の意思だし、“普通”でありたいってのも私の意思だ。
だって、都会は物価がクソ高い。私は長女で下に兄弟が2人いる。あいつら、田舎のアホ私立高校に行ってアホ私立大学に行った。2人にかかってる金額と、自分の奨学金とか考えたら都会に出てやって行ける気がしなかった。それに、都会は青天井すぎる。田舎なら、国公立大学卒はまあまあそこそこだ。ここの人達は日東駒専とMARCHと関関同立と早慶の違いが分からない。私が都会に出たところで、結局ここと同じような生活をするなら、自分より成功したものが目に入らない方がいい。ここなら、私を過剰評価してくれるし。
その分、田舎ではやはり“普通”な方がいい。元気がいい方がいい。挨拶ができて、天気の話ができて、髪色は落ち着いていて、精神疾患がない方がいい。どこでもそうか。けど、田舎の方がそうだ。
言っとくけど現代の配慮は平等に入り込んできてるから、田舎だからといって価値観が昭和な訳じゃない。変な人がいるのはどこでも同じだ。けど、“普通”じゃないと体面が悪い。都会は個で生きていけるけど、田舎は仲がいい。近所だとか、子どもが同学年だったとか、パートアルバイトだとか、親戚だとか。その繋がりがずっと続くから、だから田舎は噂が広まるんだよ。そして、本人の知らないところで、デリカシーのない人が相談事の形で噂を広める。みんな、可哀想だねってそれだけだけど。
下の兄弟は2人とも不登校で、弟はアスペルガーだ。母親は2人の子育てに関して鬱の傾向が確実にあったし、父親はほとんど関与しなかった。私が中学の時にはもうそうなってた。自分がヤングケアラーだとは思わなかったし、今でも思ってない。けど、学校から帰って家事をした。高校も大学も公立に行って、扶養ギリギリでバイトして、自動車学校は学生ローンを組んだ。良い娘であろうとした。
その反面、弟はゲームの課金で何十万も使ったし(さすがに怒られていた)、妹は実家で暮らしてるのに母親とすら会話しないらしい。
時々、真っ当に生きるのが苦しくなる。でも、私が真っ当に、“普通”に生きないと母親の子育ては全部失敗だ。ダイバーシティだっけ、多様性が大事だから2人は失敗じゃないのかな?けど、2人とも自立して生きて行けてないからダメでしょ。
普通のレールに乗るのは大変だけど、世間は普通じゃない方を支援してる。“平等”になるように。
私の言ってることって、「女は泣けばいいよな」みたいな僻みと同レベルだって分かってる。けど、本当に辛い人となんちゃってみたいな人が混じっているのが許せない。私も明日から7歳を自認して、ピーマン食べるだけで褒められたい。
こんなに悩むなら、田舎には不必要な好奇心も、働くのに邪魔な豊かな感受性も要らなかった。まあ、いつか綺麗に削れて削ぎ落とせるんだろうけど。
自分語りだったけど、多分みんなもそうだよね。