はてなキーワード: タブーとは
タブーであってもできないわけではないのよ。包丁で人を刺してはいけないのと同じ。だから将来はわからんよ。紳士協定でやらないことになっていても同人界隈はAI出力隆盛なんてこともあり得るし。
まあ姪っ子さんがどういうイラストレーターを目指してるかによる。
真面目な話ワンチャン、エロ方面の絵師になりたいって可能性はある。
(いや、聞くなよ? 一応念を押しとく)
機械学習が民主化されたとき、エロは封印されてたのを思い出してくれ。
計算機資源を提供するのが企業である以上、AIにとってエロはタブー化されていくと思う。
だから、萌えじゃない純粋なエロ絵は、人間のイラストレーターにとってのノアの方舟になるかもしれん。
エロの船に乗る気なら生き残れるかも。
女性社員に面と向かって「化粧しなよ」って言ってくる男。
彼らがいるせいで、社会人女性は化粧に金銭的時間的コストを強いられているらしい。
もちろんセルフケアの意味合いでメイクを楽しむ面もあるでしょう。
しかし女性にばかり美を要求する理不尽な圧力は確かに存在する。
と、そのように言われていた。だが妙だ。何かが引っかかる…
頭をひねっていたのだが、先ほどおかしさに気付いた。
テレビでもYoutubeでも、パッとしない容姿を下に見て嘲笑する芸は廃れて久しい。
そんな時代に、化粧しなよ、って言う男性がいるわけがないじゃないか。
だってそれって「キミにはメイクが必要だ」って言ってるのと同じだ。容姿いじりだよ、それは。
【追記】
「女性の価値は若さと出産で決まるの?」って言ってる人がいたから追記
そんなことは一言も書いてない
ただ結婚したいと思ってるなら早く行動しろ 悪いことは言わんから 難易度爆上がりするから ってだけ ただそれだけ
婚活というバトルをするんだったら顔とか育ってきた環境とか配られたカードは違うけど若さというカードは期間限定で平等に配られてるから使おうね、っていう
結婚も出産も個人の自由に決まってんだろ したくないやつはする必要一切ないし結婚できたからって絶対幸せになれるわけじゃないのは流石にわかるだろ
あとそりゃ表ではこんなこと言わねえよ 今は年齢のこと言うのもタブーになってるし
ただ時代の流れや周りの綺麗事にごまかされて自分が本当にしたいことが霞んで手遅れになっても知らんぞって話
年齢なんか関係ないよ☆いい人が現れた時が結婚のタイミングだよ☆って耳障りのいいこと言う奴は責任取らない
Twitterでありがちだけど、辛かったら仕事辞めてもいいんだよ!働かなくていいんだよ!って言う奴は責任取らないしその後お前が困るだけだぞっていうのと同じ
あと年齢上がると理想が上がるというよりは自分の中で価値観がガチガチに固まりすぎて人に合わせられなくなる/自分が変わりづらくなる=いい人が見つからない!という錯覚を起こすからキツいぞ
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結論から言うと結婚したいなら20代後半で婚活終わらせた方がいい 本当に結婚したいならな 魅力的な人間であることと結婚してるかしてないかは全く関係ないけどずっと結婚したいと思ってるのにできないなら何らかの問題がある
30歳超えても素敵な人と出会えました!だから女子は焦らないで!みたいな一部の成功者の公開オナニー戯言を聞いてそうだよね♪ってチンタラしてたら詰む
そりゃ40代だろうが50代だろうが結婚自体はできるが理想の結婚しようと思ったら凡人はまず無理
凡人ほど王道を歩むべき 自分は特別だ、他とは違うと思ってる時点で凡人だから(婚活においては 他は知らん)
若いー!ってなるけどこの若さで婚活?と警戒される若さでもあるからベストではない感じ
男性で25歳以下!イェーイ!って申し込んでくる人はちょっと難ありなので見る目が必要(同年代・20代後半男性は除く)
ベストな年齢。本人がよっぽどヤバいやつor自分のスペックに見合わない人を求めているというなら難航するだろうけど普通or普通よりちょっと理想高いくらいならスムーズに決まる。
同い年くらいで同じくらい年収の人か年上(といっても+5くらい)年収高めの人との幸せな結婚をすることが多い。
ほぼニート、家事手伝いみたいな人はいくらこのくらいの年齢でもきつい 社会経験がない怠け者はかなり嫌われる
28歳、29歳…ベストな年齢からはちょっと上がるけど十分良い
若い!!という感じにはならないけど十分若い。というかこのあたりが一番綺麗だと思う人は多い。かわいい人よりよりしっかり働いてきた人が人気。
このあたりで婚活は終わらせておきたい
32歳…できればここで決めたい
ここからは年を重ねるごとに自分の価値が下がっていくことをひしひしと感じると思う。
33歳というのは1年夫婦で過ごしてそのあと子供作ったら35歳で高齢出産になるから男性側もうーん…となるし出産する本人である女性の焦りがピークに達しメンタルぶれぶれになり判断を誤る場合も
といってもこの年齢だと20代に負けない見た目の人も多いし相手を思いやることができる性格の人なら余裕
ただ美人で33歳で数年婚活してるのに結婚してない人はめちゃくちゃ高望みor他責思考or認知の歪みがはんぱないから厳しい
34歳、35歳…「結婚相手」としてのぎりぎりのラインと多くの男性が思う年齢
このくらいになるとほぼ40代の男性、いや40代後半〜からの申込みしかこない。30代男性は20代か32,33あたりに行くから。
自身も年収が高い、美人で謙虚じゃないと理想の相手を見つけるのは厳しい。
かなり厳しい戦いを強いられる。
番外編
40代後半〜
「子供が欲しい」「周りに羨ましがられたい」のような外向けの欲求が男性側も女性側も消えてくるので逆にいける。
むしろ世間体とか抜きにして自分が一番心地よいと思える相手を選ぶので満足度が高い
一番幸福度が高そうなのは20代後半同士のカップルだけど、50代同士のカップルも負けず劣らず自分のための結婚ができて幸せそう。お互い地味にハイスペ多めだし。
ついでに
25歳年収400万と35歳年収1000万なら20代女性は前者を選ぶ傾向にある
焦ったらよくない、も正しいけどのんびりしてたらもう求められない年齢になっている
・スペックスペック書いたけど婚活でそれより大切なのは相手を思いやる気持ちと受け身じゃないことだと個人的には思う
・家事できるとかは意外に関係ない できなくてもいいというわけではないけど
・あと愚痴吐き用の婚活アカウントとかやってる人は男女共にやめたほうがいいよ
写真や投稿で普通に身バレするし自分の幸せ基準がブレるしいいことない
・無欲の勝利めっちゃ多いんだよな 300万以上ならいいって言ってた人が1000万以上つかまえたり 顔どうでもいいって言ってた人がえっまじかって感じのイケメンつかまえたり
・男性バージョンも書こうと思ったけど、「若い人の方が人気、身の程知らずのおっさんは女性にとって道端の石ころくらいの価値しかない」しか書くことなかった
かわいいってもちろんぶりっ子じゃなくて落ち着いててよく話を聞いてニコニコしてるみたいな感じな 癒し系っていうのか
↑こう書くとわがままな女さんはこれだから(笑)みたいな奴が出てきそうだけど、おっさんもおっさんが嫌いなのに女性なんておっさんが嫌いなのがデフォに決まってるだろ せめて良い人であれ
年齢制限の代わりにNSFW(Not Safe For Workの頭文字)などの概念やその発展形の導入を考えるのがいいと思う
「あくまで職場や学校では見ちゃダメだけどプライベートでは見てもいいよ」みたいな基準や
他にも「人によっては苦手な人がいるから個人的に見る以上の事をするのは気をつけてね」みたいな基準を考えるとかどうだろう
時たま年齢制限は緩い代わりにNSFWによるゾーニングが強いサイトとか見るからね
他人に見せたりや公で見たりは配慮するけどプライベートで一人で見るのは全く問題がないって意識が芽生えた青少年が増え
自慰に罪悪感を持ちにくくなる傾向が進むのでは無いだろうか
それにこのプライベートで見なきゃダメ(プライベートで見るなら全く問題ない)って基準はエロにある種のタブー感が欲しい人達にも都合がいいだろう
ホロコーストなんて今どき、それ自体を話題にすることは少ないし、日本の歴史問題の何倍も関心度は低いだろうとは思う。近現代とは言え遥か昔の話だし、同じ枢軸国がやったと言っても日本にはほぼ無関係だ。それに、日本でホロコースト否定論が世間を多少賑わせたのは1995年、阪神淡路大震災やオウム真理教で大騒ぎだった年に、文芸春秋社の月刊誌だった『マルコポーロ』が廃刊になった記事の一件だけである。・・・あ、例のT院長の件もあったな。
欧州では昨年か一昨年にスウェーデンがホロコースト否定禁止法を立法するかどうかの話があったくらい(その後どうなったかは知らないが)、ホロコースト否定論は今も珍しい話題でもない程度には問題にされることがある。現状確か、イスラエルを入れて20カ国弱の国で否定論を公然と主張することには法的な規制がある。ホロコーストの中心地でもあったポーランドでは、否定論ではないがホロコーストについて自国の関与を主張するような言論を禁止する法律が制定されたのも数年前。またアメリカでも、憲法修正第1条で言論の自由が広く認められているせいもあり、ホロコースト否定論の主張をしてもなんらお咎めを受けることはないが、FacebookやYouTube、ツイッターなどの主要なインターネットメディアでは厳しく規制されている(が、実際には消滅したわけでもない)。
いずれにしても、欧米と日本ではホロコースト否定論について、かなりの温度差があるのは事実である。日本では義務教育でホロコーストを習うことなどほとんどないのではないかと思われるが、欧米では必須としている国や教育機関は多いそうである。それでも、関心の大きさから、ホロコースト否定の主張に賛同するような人はもちろん欧米の方が圧倒的に多いだろう。翻って日本ではそもそも関心が薄いので、否定論が目立つことはほぼない。せいぜい、ナチスの軍服を着たとか、ハーケンクロイツの旗を公共の場で掲げたとかで、問題になる程度のことだ。その程度のことで神経質にビクビクしてタブー扱いするのもどうかとは個人的には思うけれど。
何故欧米で、ホロコースト否定が法的に禁止されたり、規制されたりするのか? 最も大きな理由はあんな悲劇を二度と繰り返さないためである。ホロコースト否定はデマであり、ナチの復興を許しかねず、そしてユダヤ人差別につながる。また犠牲者遺族たちの心を酷く傷つけるものでもある。だが、否定論に賛同する人たちはそんなことどうでもいいらしい、それは日本でも同じである。ホロコースト否定に賛同することが非常に危険な行為だなんて、多分考えたことすらないのだろう。
こんなツイートが私の網に引っかかった。
https://twitter.com/masami6666/status/1563353770092003328
ツイート内の画像で示される文書は、そこに書いてある通り「国家社会主義日本労働党(NSJAP) 山田一成」によるものである。ドイツのナチスとは日本語では正式名称を「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」と呼ぶ。従って、山田一成が日本のネオナチであることは否定しようもない事実である。ググればわかるが、ネット上の基地はこちらである。
また、Youtubeにある「密着24時!日本のネオナチ」というタイトルの動画で山田一成が紹介されているので興味のある方はご覧いただきたい。タイトルにそうあるくらいなのだから、山田自身がネオナチであることを否定してはいないということでもある。
ネオナチなのだから、ホロコーストを否定するのは当然である。ところが実は、傾向として、欧米の主流のホロコースト否定論者、いわゆるプロの歴史修正主義者たちは、ネオナチと結びつけられるのを嫌う。何故なら、思想的にネオナチと見られると、自分達が世間から信用されなくなることを知っているからである。欧米のプロの歴史修正主義者は、ほとんどの場合、ネオナチと関係があったとしてもそれを隠す。世間から信用を失くすと、修正主義者の目的である「否定論を世間的に認めてもらうこと」が困難になると思っているからに相違ない。『ヒトラーの戦争』という歴史書で欧米では超有名なデヴィッド・アーヴィングは、彼をホロコースト否定論者だと書いた歴史学者であるリップシュタット教授を訴えた裁判で見事に負けたが、裁判ではアーヴィングはネオナチの集会に出て聴衆を扇動していたことを暴かれた。しかしアーヴィングはその事実を誤魔化そうとしたくらいだったのである。
あるいはこれもその筋では有名な否定書、1970年台中盤から後半にかけて広まった『600万人は本当に死んだのか?』というホロコースト否定の古典的パンフレットがあるのだが、著者の名前はリチャード・ハーウッドとなっている。が、そのプロフィールに該当する人物は存在せず、本当の名前をリチャード・ベラルという。リチャード・ベラルはイギリスのナショナルフロント(国民戦線)という極右組織の出版物である「スペアヘッド」の編集長だった。何故、実名と実際のプロフィールを書かないのかは、当然、世間に信用されたいからであり、ネオナチが世間に信用されない存在であることを知っているからである。そのパンフレットは欧米の国会議員などに広くばら撒かれた。
かつて、雑誌マルコポーロ廃刊騒動の時に、問題の記事を書いた西岡昌紀とタッグを組んでいた木村愛二というジャーナリストがいたのだが、彼ですらもネオナチ呼ばわりされるのを嫌った。
なのに、上のツイートに賛同的意見を述べたツイートを発した人たちには、山田一成がネオナチであることなどどうでもいいらしい。山田が思想的に偏向しているのは誰の目にも明らかなはずなのに、そんなことを気にすることもなく、ホロコーストなかった説をあっさり賛同する。私たちは普通、ネオナチとか関係なくても、ネットで広められるだけのほんとかどうかわからない主張を、そのまま信用したりはしないと思うのだが、あまりにあっさり信用の方向に流れるのだから、呆れるというかなんというか。その賛同者の多くは、いわゆる陰謀論の方に傾倒するような人たちばかりであることは言うまでもない。
日本にも、ホロコースト否定論の方に賛同する人たちが意外に多い。多いと言っても私自身の感触だけであるが、Youtubeにあるホロコースト否定論の動画チャンネルには6000人強の登録者がいる。否定論動画としてはよくで出来ているので、否定論がどんなものか知りたければ『ホロコースト論争』で検索をかけて、同じタイトルの動画をニコニコ動画でご覧になるといい。Youtubeにアップされた同チャンネルの動画は何話分か削除されてしまっているからである。見ればわかると思うが、それ相当の知識かあるいは調査能力がないと、ホロコースト否定論には簡単には反論し難い。いうまでもなく、ネオナチの怪文書のようなものにあっさり釣られて賛同するような人たちに、その嘘・誤りが見抜けるようなものでは絶対にない。
まぁ世の中、そういうあっさり釣られる人もいる、だけの話なので、別にどうでもいいようなことなのかもしれないが、はてな・増田をご利用の賢い方々には、そんなことはないだろうと思いつつも、注意していただきたいものである。今回は、私のアンチホロコースト記事などはあえて紹介しない。たくさんあるので興味があれば参考にはしてほしいが、興味がなければ特に面白いものでもなく、時間の無駄になるだけだと思う。だが、一点だけ、怪文書に反論しておきたい。
見直し学派は、ホロコースト説は何年もの間に大幅に変わったことを指摘している。
とあるが、そう思えるのは単純な話で、戦後長らく、ホロコーストの実態がよくわからなかったからである。よくわからなかったと言っても、大勢のユダヤ人たち(や、精神疾患患者、同性愛者、ロマ人、その他)がナチスドイツによって死に至らしめられたこと自体は疑いようのない事実として判明はしていた。たとえば、ユダヤ人人口が600万人弱、戦前に比べて減っていることは1945年5月の終戦よりも前にわかっていたくらいだったのだ。何故わかっていたかというと、(これはある資料からの推測であるが)ユダヤ人はユダヤ人共同体の集会所となっていたシナゴーグで名簿管理されていたからであり、各地のシナゴーグの名簿を集計すればたちどころに判明するからである。また、ニュルンベルク裁判ではあのアドルフ・アイヒマンがユダヤ人の処分数はトータルで600万人だと語っていた、とアイヒマンの関係者が証言していたりする。それ以外にも多くの情報が戦時中からすでに世界中に漏れていた。ナチスドイツが極力、ユダヤ人絶滅などの非合法殺戮を極秘に行ったにも関わらず、である。そして、この600万人説は何度も研究調査され、現代までおおむねの数値として、主流の歴史学者からの異論はない。日本人研究者の柴健介氏も自著で「600万人以上」と推計している。
が、細かい話はよくわからなかったのである。たとえばあのアウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の実数は当初は全然わからなかった。何故ならば、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の大半は、囚人登録もされておらず、ガス処刑死体は焼却処分されて、残った骨などは砕かれて近くのヴィスワ川やソラ川などに捨てられてしまったのだ。アウシュヴィッツを解放したソ連は、絶滅された総計を400万人とした報告書を提出したが、死刑に処せられたアウシュヴィッツ司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスはそれを否定して最終的には120万人くらいだと自己推計した(記録を取ることを許されなかったので、ヘスでさえ推計するしかなかったようである)。このヘスの値が現在判明している犠牲者数(110万人)に非常に近いことが判明するのは1980年代後半まで待たなければならない。ソ連の400万人説は、それっぽく推計したようには書いてあるが、どう考えても囚人の生存者の証言を元にしているとしか考えられない。何人もの囚人が400万人くらいだと語っているからである。が、それらは皆、生存者自身が推計値、あるいは収容所内の噂だと語っているに過ぎないもので、囚人に正確な数字が分かったはずはない。
あるいはナチスドイツが最初に作った強制収容所であるダッハウ収容所のガス室についてであるが、ダッハウ収容所は米軍が解放した時に、何千体もの死体があったのだ。これらの死体の大半は割とすぐに餓死や疫病の死体だと判明したようであるが、ダッハウにはガス室もあった。そのガス室にはダミーシャワーがあり、毒ガスの元を投入するような仕掛けまであった。そのガス室のすぐ隣には火葬炉もあった。もちろんその建築物のそばにはたくさんの死体が山積みになっていた。こんな状況で、「ガス室で大量殺戮をおこなっていた動かぬ証拠だ!」と誤解するなという方が無理である。米軍には当然、マスコミの記者たちも従軍していたので、そうしたガス室殺戮の話はすぐに広まったのである。
ところが、よくよく調べてみると、ダッハウのガス室でのガス殺処刑の証拠は、ほぼないに等しい状態だったのである。確かに、ガス処刑については、裁判での証言者はいたが、たったの一人なのである。それ以外には一通の文書証拠と、イギリス人諜報員の捕虜が語ったとされる伝聞証言程度のもので、他には何もなかった。一方でアウシュヴィッツのガス室については、証言だけでも大量に存在するし、なにより加害者側証言もかなり存在し、その最大のものとしては司令官だったルドルフ・ヘスが事細かに証言し、自叙伝にまで書いているのだ。ガス室・ガス処刑があったことを裏付ける証言以外の証拠も豊富である。(もちろん修正主義者は証言は全て嘘であると主張し、アウシュビッツのガス室を裏付ける証拠など絶対に認めない)
これらの内容は、具体的に歴史家などが調べなければわからないものばかりなのである。ダッハウのガス処刑証言が一人しかいない件だって、裁判記録を調べなければ判明しない。したがって、ダッハウなどの収容所現地にたくさんの死体があったことが原因で、誤った説が戦後長らく広まっただけの話なのだ。そうした事実を、あたかも、ディープステートのような闇の陰謀者が、初期のホロコースト説が杜撰なので、それをもっともらしい説に変えていった、かのようにネオナチは主張しているのである。つまりは、ネオナチ・修正主義者は論点先取、最初から話を陰謀論・ホロコーストは捏造と決めつけていることがわかる。
ダッハウのガス室が捏造だと主張するのであれば、何故証言者がたった一人しかおらず(陰謀実行者は偽証証言者を何故たくさん用意しなかったのか?)、文書記録やあるいは物証としての死体解剖してもガス処刑された死体としか判別できない死体がなかったのか(陰謀実行者なのだからそれらを用意して当然だと思うのだが?)、説明がつかない。その実際にいた証言者(フランツ・ブラーハ)とて、たかが数名の処刑のその後の死体を見た、と言っているだけである。ダッハウのガス室が連合国による捏造なら、そんなあやふやな頼りない、犠牲者も少ししかいない証言がたった一つだなんて、あまりにも変である。
反論はそんなところ。こんな馬鹿げた幼稚な説でも、賛同する人がいるのはしょうがないかなーとは思うけど、何が事実で真実かを知りたいのなら、もうちょっと知恵を絞って考えてみるという気は起きないの? と思ったりはする。
世間では安倍元総理の銃撃事件が、いつの間にか旧統一教会と自民党議員のつながりの話になってしまった。自民党は(共産党や公明党のような組織政党と違って)楽天市場みたいな一国一城の議員の集合体みたいな組織だから、党と統一教会が繋がっているというより、それぞれの議員がそれぞれの濃淡をもって関わっているのが真相だろう。
さて私の話。某駅頭で世界日報を配っているおっちゃんがいる。雨の日も風の日も毎日駅頭に立っているダイハードなおっちゃんだ。おっちゃんは小柄で髪がすこし薄くて、歳のせいか背中がわずかに曲がってるけど、手をしっかり伸ばして駅に入っていく人たちに新聞を差し出している。だけど受け取る人はほとんどいない。最寄り駅なので新聞配っているおっちゃんがいることは私も知っていた。新聞は受け取ったり受け取らなかったり。ある時、私を応援してくれている方から「駅で新聞配ってるオジサンは〇〇さんって名前で、××に住んでて、あなたのこと言っておくから今度話してみて」と紹介された。それ以降は朝駅頭でたまに立ち話をしたり、その方が主宰している地域の勉強会(十数人規模)に招かれて地域の政治について話したことがある(ボランティアだったから金銭の授受はない)。おっちゃんは世界日報を配っているくらいだから当然統一教会の信者さんだろうし、あるいは系列組織の職員かもしれないんだけど、よくわからない。こちらも聞かないし、むこうも言わない。だからおっちゃんが100%統一教会の人かどうかは確証はないし、勉強会も統一教会の公式イベントではないんだけど、これって報道でいう「統一教会との繋がり」なんだよな、と厳粛に受け止めている。同時に、あぁ、これからはあのおっちゃんとの付き合いを絶たないとダメなんだなって。
統一教会関連のニュースを見るとおっちゃんを思い出す。あのおっちゃん、そんなに悪い奴だったんか……? あのおっちゃんの後ろには泣いてる人がたくさんいるんか? お祭りの屋台で焼きそばを少しおまけに盛ってくれた兄ちゃんが、「あの人、実はヤクザなんよ」って聞いたとき。そんな感じ。
しかし議員になると統一教会に限らず、宗教とは多くの接点ができる。例えば、支援してくれている人が「〇教の人、知ってるから紹介してやるよ」と繋いでくれたり(そうするとその人の顔もあるからムゲにはできない)、逆に宗教サイドが票をちらつかせながらコンタクトをしてくることもある。はたまた支援者自身が信者だったりして「今度こういうイベントがあるから来たら?」なんて誘われると、断るには多少のハードルがある。しかも大体「△△さん(同じ選挙区の競合議員)は毎回きてるから!」という言葉がワンセットなんだよね。この言葉には「ライバルのあいつは来てるけど、お前はこないの?」というニュアンスのほかに、純粋な善意で、△△議員に負けないで、あなたのことをみんなにも知ってほしい! という応援の意味が含まれているから余計に。ビジネスでいうなら、営業会社の営業マンが既存顧客に紹介されたお客さんを訪問せずに断れるかって感覚に近いと思う。
「カルト(=反社)と付き合うな」というのは正論で、言うのは簡単だけど、佼成会、幸福の科学、生長の家、真光、いづのめ、朝起き会…… そして創価学会。無数にある新興宗教でいったいどれがカルトなんだろう。さらにいえば統一教会はカルトだとコメンテーターや野党議員は言うけど、他の新興宗教でカルトと名指しで報道された宗教が(オウムのほかに)ないのはなぜだろう。結局、現時点でどれがカルトかどうかなんて誰にもわからない、あるいは言えないのでは。もし答えがあるなら教えてほしい。
私が末端の政治家として一番恐れているのが、一連の報道で「政治や政治家とかかわるのはヤバいヤツだ」とますます政治をタブーにする空気が生まれてしまうことだ。こうなると悪循環で、我々の近くに「普通の人」がいなくなって、声のデカいプレッシャーグループの影響力が相対的に大きくなる。逆に、特定グループの影響力を薄めたかったら、応援したい政治家をみつけて気軽に応援してほしい。投票もまたしかり。組織政党の一番イヤなことは投票率が上がることだから。
独身のおっさんで、腹を割って話せる人とか周りから減っていて、
浅い付き合いの人との会話で、掲題の件はタブーな感じなので、
僕らが安穏と暮らしている間に、とうに忘れてしまった、サムライスピリッツ的な
ものを感じざるを得ない。
「メメントモリ(死を忘ることなかれ)」という言葉がよく思い浮かぶ。
いつも「独身おじさんでも、そんな覚悟ないし、そんな覚悟できている人周りにそうそういないし」と
自戒するのだが、それができている人なんだなと。
最強の人?という言葉で浮かぶのは、一般人や弱い人をターゲットにした無差別殺人事件とか、
銃乱射事件とか、もしくは誰かの言いなりで駒として動かされたテロとかだけど、
今回のは違うなと。自分の信念で動いてるし、被害?を最小限にとどめているし。
芋づる式に連日問題が発覚しているし。。
前に書いた通り、法的には単なる犯罪者なわけだけど、
>戦後の日本では、信教の自由や新興宗教を潰すこと自体がタブーな社会になってしまった。その結果、50人の死者と6000人の重軽傷者を出したオウムを破防法で潰すことは出来なかった。
👦「これがガバガバかぁ」
治安維持法は共産党を潰すために作られたとよく言われているが、同時に神道以外の宗教を潰すことにも発揮されてきた。
そのこと自体の是非には触れないが、その後に日本が戦争に負けて戦前・戦時中に行われたことすべてが「悪」という価値観になった。
戦後の日本では、信教の自由や新興宗教を潰すこと自体がタブーな社会になってしまった。
その結果、50人の死者と6000人の重軽傷者を出したオウムを破防法で潰すことは出来なかった。
旧統一教会問題に手をつけられなかったのも、戦前の宗教弾圧の反動とタブーなんだろうね。
生理についてオープンに、という風潮がある。昨今まで一種のタブーとして扱われていた生理を、社会が及び個人がポジティブに受け入れていこうという試みである。
ところで、夢精について男がオープンに語るのはアリなんだろうか。ある種の制御不能な生理現象でありかつ、液体を含む物質を体内から排出する現象って意味では、生理と夢精には共通点があるからね。そういう共通点はあるものの、夢精について語ることはセクハラになるんだろうか。
というわけで、夢精をオープンに語り得るか否かを判断するために、これら二つの違いについて比較を行っていきたいと思う。
夢精は定期的ではない
夢精は自分の意志で始めたり止めたりできない、けど時々止められる。時々。
・生理は痛みを伴う(ことが多い)
夢精は痛みを伴わない
・生理は月に一回程度発生する
夢精は月に一回程度発生する(自分で処理しない限りで)、普通に処理していれば季節に一回とか半年に一回くらい
ぱっと思いついたのはこんなところである。他にもあるとは思うけど。
といっても実際に未成年キャラのエロに厳しいのは別にデマではないのもわかってるから
あくまでタブーであって、規制までは発展してないから個々がこっそり描いたり、見たりする分にはセーフなのだろうか?
あるいはいわゆる原作の事をよくわかってないから、設定ガン無視で絵柄が好みってだけで、成人のつもりで描いたり、見たりしてるんだろうか
でも萌え絵って年齢に関わらず絵柄そのものが未成年認定されるのは海外にまで宇崎ちゃんの炎上が燃え広がった時に判明してるしな
女だけど職場で生理の話とか一ミリもしたくない タブーのままでいい
一切話したくはないけど知っててはほしい
不機嫌そうなのは仕事の事なのか生理現象なのか見ただけじゃ分からないよね
特に男に「そうなんだ大変だね」とか言われたら虫酸が走る
赤丸ついてたら黙ってココア持って来て
北欧に10年来の女友達いるけど生理の話なんか話題になったことない
あと出勤しといて生理がどうとか業務中に言い出すやつ、甘えるなら帰れ、体調悪いなら帰れ、というか出勤してこないで
国が「弱いから守ってあげる」の種をまいてる
というか格差がどんどん開くだろう
「今日は生理だからかな?」って心でリピートしながら退職するまで働きな
生理でも文句一つ言わず仕事してきた先輩がいたから今の日本があるのに
弱いとこ見せるのは彼氏だけでいいの