はてなキーワード: まつたけとは
http://anond.hatelabo.jp/20140325193023
面白い釣り記事でした。追記された部分もブクマカーへの釣り針がたくさん。
でも、記事の拡散が済んだあとの追記だから、気付かれていないようです。
そこで、ここに引用して、もう一度ブクマカーを召喚してみましょう。
あとせっかくなので、ブックマーカーやブロガーへの僕の雑感も書きます。
(増田からのidコールは届かないみたいだし、うまく召喚できるかなー?)
もう目も当てられないつまらなさだ。
03/27 ブコメに返信
raf00
上手いことを言いたい欲だけでできているブコメは見てて気まずい。
meme-o
マーク・雑感バーグ
raf00と同じ。
cider_kondo
自分は店長のコンビニ話はそんなに面白いと思ってなかった。雑感や感想の方が面白かった。
こういう人がやっぱりいる。cider_kondoはあまり本を読まないだろ?
高名なプロが書いた小説でも、実体験ベースの文章って、それと分かることが多いよ。
ドヤ顔で浅いこと言ってんじゃねえぞ。
feita
”もちろん誰が何を書いてもいいんだよ”/なるほど、じゃあ「個人ブログに変な制約を求めるな」
コメント後乗せでお馴染みのfeita。
一番本質的なことだけを言えるように訓練したほうがいい。
B、上から目線での幼稚な主張
ブーメランは、文章単位でのツッコミを入れやすいので、良い釣り餌です。
上から目線で主張が幼稚、は特に「はてな」でのツッコミ獲得に向いた釣り餌です。
また、ファン・アンチが多いヒトへの未熟な認識を披露するのも、良い釣り餌。
ミクロに(個人的に)問題解決したいなら、
マクロに(抜本的に)問題解決したいなら、
アルゴリズムを批判し改善案を提出すれば良い。又はフィルタを自作して公開すれば良い。
言い換えると。
他人をすぐには変えらないから。でも自分とアルゴリズムはすぐに変えられる。
…というのが大人の考え方で、その逆をいくと釣り餌になります。
←文章力あるとの評価が高く、ファンが多かったヒト(後述)
②「id:raf00は上手いこと言いたい欲だけ」という断定。
←ポジコメ率が高いことや穏やかな語尾からも、上手いこと言いたい派でないことが明らか。
←後乗せイメージない。その日でもスラッシュあるコメは20%未満。
更に元増田へのブコメは、後乗せでなく引用部と順序入替の明確化が目的のスラッシュでは?
あと、神経質というより対人距離について繊細、と言う方が適切。大喜利職人は概して繊細。
④「id:cider_kondoは本読まないだろ?」という煽り。
⑤id:meme-oさんへの、「raf00と同じ」という断定。
←meme-oさんはコメ率が低く、タグのみの無言ブクマや引用のみが多いウォッチャー。
raf00さんと全く違う。
そして素直に言う分の言葉のアクをとるために、語尾で柔らかくしているバランス派。
一方のmeme-oさんは一拍置いたコメントするヒト。タグの顔文字「#|ω・)……」が象徴。
コメントも、「まぁ」「~かな」「…」が多い。皮肉コメを付けるのはよっぽどのとき。
⑤id:jt_noSkeさんへの、「あの駄洒落ブコメの奴はつまらなくて邪魔だな」という八つ当たり
←ノスケさんが喋った事件を参照。http://jtnoske.hateblo.jp/entry/2013/11/23/230829
『ノスケ師匠のブクマはダジャレ抜きにしてもそのチョイスそれ自体で非常に価値が高いって』
長文であること・身の回りの話もすること、くらいしか共通点ないです。
まずコンビニ店長さんは、オタク趣味ネタと教養人への憧憬が「はてなウケ」の源泉。
加えて、仕事や嫁への誠実さを表すエピソードや表現が人柄評価につながり、「一般ウケ」もある。(勿論はてなウケも上昇)
それらをバランス良く配合しながら複眼的な思考を順序よく見せる文体が、
このコンビニ店長に最も近いのはズイショさん。id:zuiji_zuisho
嫁エピソードによる人柄評価と、一文が長くなるかわりに両論を見せることでバランスを重視する、ってところは近似。
けど、ウケのメインウェポンは「比喩」と「反転」と「反復」。それで明確に笑いを狙ってるというのも大きな違い。
面白全開爆発。痔の話の記事。 http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/03/13/000000
リズム重視の文体実験の記事。 http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/09/07/214055
id:Rlee1984は、日常話にも棒グラフなどの図を入れ込もうとするところと、ネタの一切ないつまらない話が多いところがコンビニ店長と違う。
つまり、ウケの比率で言えば「ズイショーコンビニ店長ーコウモリ」の順。
あと、グラフ以外でも造語や専門用語による抽象概念を振り回すことが多いから、「日常」区分からは最も遠い。
日常話にもグラフを捻じ込む記事。http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/03/12/021134
専門用語をイジって振り回す記事。http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/22/224720
ごめんなさい、分かりません。(ブコメで誰かが説明してくれるのを期待)
なお、増田で「得体が知れない・感情がない」的な言及されることのあるid:topisyuさんは、
(これ前も言ったし浸透してきたと思うんだけど、まだまだ普及させたい!)
ブログでは真顔でジョーク言うヒトで、真顔でブチ切れするヒト。
でもリアルだと感情の動きも明確。エピソード記事を見るとハッキリ分かります。
・トピシュさんブチ切れ、の話。『こっちは完全にスイッチが入ってしまいました。』
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/08/23/190331
・トピシュさんの感謝と謝罪、の話。『いつもありがとうございます。見えてないことも多くてごめんなさい。』
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/09/03/132807
・トピシュさんの涙、あれがデネブアルタイルベガ。『惚気た上で、その動画を見て二人で涙したりもします』
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/10/31/014134
ヒトに対して、「このヒトどんなヒトかなー?」って判断するのは難しくて楽しい。
だから、ホテントリに上がった記事だけで他人を決めつけて無闇にdisるんじゃなくて、
元増田ですけど、
わたしの知る限り、まつたけ氏が最初に「ブクマスパムを引き連れてきた」と大勢から悪口を言われました。
本来であれば、ブクマスパム(と同じように振る舞う彼のフォロワー)への苛立ちは、まつたけ氏ではなく運営あるいはブクマしてる当人たちへ向けられるべきなのに。
結果として、先ほどの増田でリンクした氏のブログ記事とそのはてブページに見られる、1対多数の構図。
(追記) ここでも見られる→「 喧嘩を売るときは正々堂々とやろう - Hagex-day info」
いい年こいて、(過去何度も狂言自殺を繰り返したりする少なくとも「気持ちが安定しているようには思えない」人に対して)「矛盾したこと言っててこいつ腹立つ」とかいう下らない理由で、ニヤニヤしながら本人に聞こえるように「小物すぎて泣けるw」とか「ところでいつ自殺するの?」と言いながら同意見の人とスター付け合ってる人達と、
どっちが小物でどっちが大物かと言われれば、わたしは前者のほうが小物かと思います。
これ読んだ。
はてなブックマーク - クソみたいなはてなブロガーについて - まつたけのブログ
なんつーかブコメ見てひいた。
ここは大物が多いインターネットですね。
当事者ならともかく、関係ない人たちが嬉しそうにニヤニヤしながら、「小物」だの「つまらない」だの「負け犬」だのと、本人に聞こえるように罵声を浴びせて、お互いのコメントに嬉しそうにスターを付け合っている様はいじめとしか言いようがない。
過去、自殺すると言ってたのが嘘だったからといって、今後自殺する可能性がゼロだとでも思ってるんだろうか。思ってるんだろうな。
村のいい年こいたおっさんたちが、他所から引っ越してきた厄介者に嫌がらせをしてる図にしか見えない。醜い。
魚拓とろっと。
最悪のときに親族に提出する用と、今後いじめ問題とかポリティカルコレクトネス問題とかにドヤ顔でコメントしてる人がいた時のIDチェック用。
こういうこと増田で書くと、また「自分のブログで書きましょうね」「本人に聞こえるように言いましょうね」とか言われるのかもしれないけど、嫌です。わたしはおっさんたちの慰みものにはなりたくない。
(追記)
全然面白くないです。わたしはただ眺めていただけですが、第三者から見てブログ主は「他所から引っ越してきた厄介者」扱いされているように見えます。そして、これはいじめだなと。なにが透けてるのか知りませんがこれが本音です。良かったら、こちらもお読み下さい→http://anond.hatelabo.jp/20140310221642 (http://anond.hatelabo.jp/20140310213951への返答)
この文章を読み、売られたらしき喧嘩もきっちり買ったほうが整理されて良かったのかな?と少し思った。
ブログ主は、あなたには喧嘩を売ってないと思います。少なくとも冒頭にリンクした記事の中では。
(追記2)
別に正義面したくて書いたわけでもないし、思ったことを増田に書いただけです。
内容がなくてつまらない個人ブログや、ネガティブなこと(黒っぽいレトリック?)を書いている個人ブログを徹底して駆逐する活動、今後も大勢でネチネチと頑張ってください。
なんでまつたけのほうって思うんだw
俺はまつたけじゃねえ!w
ぐぐったら、「嫌われる覚悟のある人間は強い」ってタイトルで何か書いてて、ワロタ。たしかにブコメで嫌われていた。
なんかさ、問題ある人っていうか、はてなで悪い意味で話題になる人っているじゃん。その中でも嫌われレベルみたいなのってあるじゃん。
それって人によって違うよね?
まつたけ-好きでも嫌いでもない。ブログは時々微笑には達するが、基本的に長いので最後まで読まない。
ショッカー-好きではないが、嫌いというほどでもないが、きもい。主に顔の印象。
わるこ-結構おもしろかった。引越ししたときは悲しかったぽよ。まあでも好きってほどでもねえな。
そんだけ執着するようなタマかなって思うの。
まつたけってなんでそんなに嫌われてるの?
「メンヘラは救えない」とか言う奴
きっと本当は寂しくてしかたがなくて、誰かの好意を餌食にしてやりたいとか、傷つけてやりたいとか、泣かせてやりたいとか、そんなドス黒いことばっかり欲しているくせに、誰かを傷つけたり泣かせたりできることで自分にも価値があることを確認したいくせに、「もうそういうのはやめたんだ」みたいな面をして生きていくことに腐心している。
すげー正直ー!と好感を持った。
男相手には母性を、女相手には父性を演出し、相手を子供に戻して主役にして話を聞いて理解者を気取り、相手が私で寂しさを埋めることに依存し始めたら飽きて、興味の対象は別のカモに移る。新しいカモ相手にまた理解者を気取りつつ、飽きられて傷ついている旧カモを遠目に観察して楽しむ。これを繰り返してきたので非常に共感した。ただ「私は人を傷つける能力がある!」ということを繰り返し確認したいだけだった。給与明細を見て「私はこれだけの収入を得るだけの職能がある!」という確認をするのと同じ。最後の方は「元々メンヘラではなかった人をどれだけメンヘラ化させ、どれだけ深く傷つけることができるか?」という能力ブラッシュアップの方向に突き進んでいた。一見健常な人にも"小さなメンヘラの芽"的な部分はあったりするので、それを見つけて育てた上で放りだす。
メンタルの不安定な人の弱さに浸けこんでセックスしたり、さんざんメンヘラの人を食い物にしておきながら後で関係がこじれて面倒になってから手のひら返したように「これだからメンヘラはこわい」とか言う男は死ねばいい。
これ、まつたけさん、やれるよね能力的には。「僕はやれるのにやらないであげているんだ!」っていう驕りがあるから腹が立つんじゃないの?
だから別にはじめからこっちのほうでなにも期待してないし望んでないし、むしろもっと言えば多分メンヘラの人たちのほうでそういう人たちにはわざわざよけいな口出しをしてきたり大きなお世話を焼かれたくないと望んでいる人って多いと思うから、変に「どれ、このしょうがないクズ共を俺様が救ってやろう」なんてクソ迷惑でしかない「善意」や「慈悲心」など起こされず、最初からおとなしく関わったりしなければもっと平和な人生が(お互いに)送れると思いますよ。
期待してるし望んでるくせに…。より上手く隠蔽する方向に進んでいる限り、カモにする・される関係から一生抜け出せないと思うよ。根治は不可能だと考えるのはそう思いたいだけ。カモにする感覚、優位に立つ感覚、「僕はやれるのにやらないであげているんだ!」の気持ちよさを手放したくないだけ。
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
これも有用なサードブロガー論考。こちらの方が私の文章より的を得ています。
ではhttp://anond.hatelabo.jp/20131209142219に引き続き
まず、前記事に付いたブックマークコメントの中に、これからの私の論の展開を予想した素晴らしいものが2つあります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131209142219
『この仮定の下で考えると、サードブロガー論だけじゃなくて「釣り診断」みたいな流れにも巻き込まれちゃったよーな印象がある。
以前より見る側が釣りかどうかを意識するようになってきた気がするのは私だけでしょうか』
http://b.hatena.ne.jp/murishinai/20131209#bookmark-172583242
『なんで中心にいちゃだめなの?(確信犯/天然)ってのが争点なんじゃないかなあ。』
そうです。私は次にブログの真偽判定問題について書くつもりで前半を締めくくったのです。
さて、はてなではトピシュ氏http://topisyu.hatenablog.com/や
hagex氏http://hagex.hatenadiary.jp/
がネットに投稿された様々な文章の真偽(作り話か・釣りなのか)をブログで判定・解説してるらしい(詳しくは知らない)。
正直に言うと、あまり私が近づく界隈ではないです。釣りに対する私の攻撃方法は、彼らのやり方とは少し違いますし
何をもって釣りだとするのかの基準も私とは違うようです。私が悪質な釣り師だと感じているのは
引きこもり女子いろいろえっち氏であり http://luvlife.hatenablog.com/
彼女のネット上での女体をチラつかせた立ち居振る舞い(サードブロガーとは逆に、自意識を絶対に出さない)をもって、
しかしそれでも、彼女に「これが私の素だよ?」と返されたら私はその言葉を信じるしかありません。
「釣り記事」じゃないのに「釣り記事」ってゆわれる(´・_・`)
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/12/09/193914
こんな記事を書かれたら、それを信じるしかないのです。大彗星ショッカーはPV数なんか狙ってないんだ。有名になりたいわけじゃない。
『ただ自分の思いを「ストレートに!!まっすぐに!!ぶちまけてみた!!」』だけ。で、たまたまPV数が爆発的に増えてると。そういう純粋なブログなのかもしれないのです。
「コメントが欲しいだけなら、ブログの記事は不完全な方がよい」
http://akamemukan.hatenablog.com/entry/2013/12/08/085228
そうです。この方がおっしゃられたような、『わざとスキを作っ』ているのではないかと思ってしまうほどの稚拙な文章や、
『誤解を招くようなタイトル』がサードブロガーには多過ぎるのです。
「なんでもっと考えて文章を書かないんだろう?」「なんでこんな極端なことを言うんだろう?」
という疑問も上の記事を読めばある程度は納得できます。
ショッカー氏の『僕はウソをつけない』という発言も、果たして本当のことを言っているのか、それともキャラ作りなのか、どちらなのか分からなくなります。
そういう邪推を起こさせられるサードブロガーに比べたら、やまもといちろうの記事タイトルのなんと大人しいこと、文章中の意図のなんと分かりやすいこと。
しかし私はそれでも、彼らが「キャラを作ってる」とは思えないのです。
キャラを作ってるというのはまさに「引きこもり女子いろいろえっち」のように、自意識を一切見せないのです。
「こいつ何考えてるかわからん」「得体が知れない」と感じる人間に、私は「キャラ作り」認定をします。
まつたけ氏の立ち居振る舞いに至ってはあれは自意識とかキャラ作りとかの次元を超えて彼の「悲鳴」のような気もしています。
サードブロガーはキャラを作ってません。では、私は彼らをどう解釈しているか。
私は、彼らは「自分の心や思考を文章に変換」することができない、またはそういう訓練を受けてないだけの人たちなのだと解釈しています。
私はまつたけ氏やショッカー氏の書いたものをブログの文章とは認められません。
ブログを書くことも、ブックマークコメントをすることも、2ちゃんねるに書き込むのも、発言小町に書き込むのも、義務教育を受けた日本人なら誰でもできます。
そして、皆きちんと文章を書いています。お喋りするように書き込んでいるわけではないのです。2ちゃんねるですら、「文章」が飛び交っています。お喋りをしているわけではないのです。
しかしどうもサードブロガーを見ていると、その文章はLINEのやり取りとか、中高生のツイッターでの営みなどの、「お喋り文」なのです。
一言二言の羅列、文脈が見えない、第三者が読んでもよく理解できない。ありのままの感情をそのまま放出している。
もしそういう、サードブロガーやLINEの文章がこれからの日本語文章の主流になってしまうのなら、私はそれに断固反抗します。
お喋りのコミュニケーションと文章のコミュニケーションは違うはずであり、それぞれにそれぞれの良さがあるはずです。それを統合してしまうのは
私はなぜここまでサードブロガーを批判したくなるのかと自問してみると、やはり「彼らの文章や文章に対する姿勢が気に食わない」ということに尽きるのだと思います。
だから、「彼らは悪意など持っておらず、ただ文章や表現に対する姿勢が甘いだけなのだ」というのが私の意見です。
では次に、私以外の大多数に圧倒的に支持されている、「サードブロガーはただの釣り師である」「PV稼ぎである」「キャラ作りである」
という意見をまとめ、釣り・PV稼ぎ・キャラ作りの何がいけないのかを語ってみたいと思います。また彼らの「打たれ弱さ」についても考えてみたいと思います。
続き→http://anond.hatelabo.jp/20131211124543
(文・masudamaster)
もともと体調わる子氏は、私がここで語っているように http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131209#bookmark-172528838
『身近な個人的体験を、みなが分かる普遍的な問題へと文章で昇華できる人』だと思っていた。
しかし11月になってから雲行きは怪しくなる。扇動的なインパクト重視の見出しが増え、
記事の内容も「で、結局なにが言いたい?」と首をかしげざるをえないようなものが増えた。
自身の偏見や思い込みを「何か」に変換することなく、ありのまま、そのままだだ漏らしているのである。
そのあまりの稚拙さに「これは釣りだ」「PV稼ぎだ」なる批判が噴出したが、私はそうは思わなかった。
私は少なくとも彼女が表出させているものに「悪意」感じ取ることはなかった。彼女は天然であり素なのである。
彼女がなぜそう変わってしまったのか。私は、彼女はサードブロガーの悪しき流れに飲み込まれて自分を失ってしまったのだろうと
考える。次に、サードブロガーとは何かを語る。
このブログの主「池田仮名」が10月頃にわけのわからないブログカースト論とブログ論を語り始めた。
彼のように、「はてなでの自分の立ち位置」と「ブログとは何か」を語りだすサードブロガーなる集団が突如現れ、はてなの中心となった。
彼らの醸し出す違和感は強烈であり、はてなユーザーの間でもたちまち話題となる。
サードとかフォースとか言ってる人たち
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
持って行かざるをえない、「ほんとはブログを書く必要の無い人」たちだと思っている。
ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの、
自身の心のコップから溢れ出たものなら、その文章には価値がある。私はそういう生きたブログを読みたい。
サードだのなんだのと自分を規定してわけのわからない小手先の技術論、「これだけPV稼ぎました!」「ブログを書き続けるコツ」
そういうものを書くのは彼らの自由だが、間違ってもはてなの世界の中心に居てはいけない。
泡沫ブログ
サードブロガーの所業を見て、「ブログって、文章を書くって、そういうことだっけ?」とはてなユーザーたちも疑問を持ち始める。
自殺宣言をしたりはてなブログにふざけんじゃねぇとか言ったり、ブックマークコメントに全部返信したいとか、まぁ文章を読んでもわかるが
サードブロガーの中でも承認欲求が一番強いと思われる。とても人懐っこい。
この人はもしかしたらまつたけより酷いというか、「自分」を前面に押し出してる割には
ショッカーさん自身の「人間性」が全く見えてこず、そこらのまとめサイトとクオリティが全然変わらない。
彼らに共通するのは、
・「成り上がりたい」のが見え見えということ(自意識だだ漏れ)
・「文章を書けてない」ということ。
まつたけやショッカーの文章力は特に酷い。あれは文章ではなくお喋りである。匿名ダイアリーの方がきちんと文章を書けている。
私はときおりコンビニ店長が恋しくなる。彼に対する好悪はともかくとして、彼はきちんと文章を書けていた。
また彼の「書かざるをえない」情熱も伝わってきたし(晩節はそうでもなかったけど)、コンビニから世界を眺めるあの視点は我々にとってとても楽しかった。
ああいう貴重なブログ読み体験を我々はできなくなってきている。
続き→http://anond.hatelabo.jp/20131210194845
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131225120055
id:fujiponさんの、『それでも、ブログには「観客」が必要なのだと思う。』というエントリーを読んで驚きました。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2013/12/03/130341
まつたけ(id:denpanohikari)さんの「ビッチは殺されて当然か」「自分は観客だと思っている人たち」という二つのエントリーを読んで、僕も映画「サマーウォーズ」を思い出したからです。
ただ、当たり前だけど思った内容は違います。
少しだけ僕についての話を書きます。
僕は、県庁所在地ではない地方都市で、小中高と公立校に通い大学で東京に出てきました。
通っていた中学は、校区に駅前の繁華街も含まれていたので、クラスには親が水商売をやってる人とかもいて、地方テレビ局の社長の息子とか障害者とかヤンキーとかガリ勉とかいてそれなりに荒れている、今思えばまあどこにでもあるような中学校でした。ただ、勉強が好きでいわゆるガリ勉だった当時の僕には、あまりいい思い出はない学校でした。
高校は県で二番目に難しいとされている進学校に入ったんですが、休み時間に自習してるクラスメートを誰も笑わないことに妙に感心したぐらいです。
アホみたいな話ですが、これが進学校かー、と軽く感動しました。高校ではそれなりに楽しく過ごして、大学には現役で受かりました。
大学時代の僕は、今だったら「意識高い系」と言われるような学生で、人権問題を扱うサークルに入って活動したり、選挙事務所のボランティアスタッフとして働いたりしていました。
僕がそういう活動をする中で、他の「意識高い系」の学生やスタッフとの感覚の違いにとまどうことがすごくありました。
「縁もゆかりもないはずの人に多くの人間がここまでおそろしい悪意を平気で抱けるんだなってこと、それも自分の内に隠すでもなく、まともな一意見みたいな顔してここまで露骨におそろしい悪意を剥き出しにして表明できるんだなってこと。自分もそういう人たちの中で生きていかなきゃいけないんだなってこと。すべてがつらすぎる。」という文章を読んで、この頃のことを思い出しました。
当時から僕は、悪意や嫉妬、偏見、レッテル張りといったものは、台風なんかと同様、嫌だけどどうしようもなく世の中に存在する前提条件だと思ってたんですが、そういったものを特殊な条件での出来事だとしか思ってない人の多さにとまどったんです。当時は「嫌韓流」という本が出たころだったんですが、この本にみんながかなりショックを受けていることに驚いたことを覚えています。
その時に痛感したのは、都会で私立の中高一貫校に通っていたような、思春期以降を「それなり以上に家が裕福」で「それなり以上に勉強ができる」人たちの中だけで過ごしてきた人の想定する「世間」と、地方の公立中に通ってた僕が想定する「世間」は違いすぎるよなあ、ということでした。
僕は「世間」という言葉を聞くと、中学のクラスを思い浮かべます。あの規模をものすごく大きくしたものが「世間」だと。
ネトウヨと言われるような、今だとYahooニュースのコメント欄とかにたくさん書かれてるような意見を読んでショックを受ける人って多いですが、ネットとは無縁の生活を送っている僕の両親も普通にそういうことを言うんですよね。子供のころ毎年お盆と正月に帰省していた母の実家は、当然サマーウォーズのような伝統も財力もない家でしたが、それなりにたくさんの親戚が集まっていました。
そういう集まりの中で声が大きい人や人望を集めてる人ってたいていネトウヨにも負けないぐらい差別的なことも平気で言うような人じゃないですか。
サマーウォーズのおばあちゃんが実在したら「そんなはしたない娘は殺されて当然じゃ」ぐらいのことは普通に言いますよ。
ただ、僕の両親や親戚の人たちが特殊なのかって言ったら全然そんなことなくて、世の中にはそんな悪意はありふれてるんですよね。
じゃあ偉そうなことを言ってるお前はそういう人を説得する言葉を持ってるのかと言われたら、持ってませんごめんなさい、としか言えないんですよね。すみません。
世間の悪意って自分にはどうしようもないことなので、うまい距離の取り方と身の守り方だけを考えるのが一番いいのかな、という毒にも薬にもならないことしか言えません。
最後に、偏見丸出しで書きますが、「どうして人はネットだとひどい生き物になってしまう(人が多い)のか」という問いへの答えは、「そういうひどい生き物にリアルで会わずに済むような環境で育って良かったね。」だと思います。