はてなキーワード: まつたけとは
id:fujiponさんの、『それでも、ブログには「観客」が必要なのだと思う。』というエントリーを読んで驚きました。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2013/12/03/130341
まつたけ(id:denpanohikari)さんの「ビッチは殺されて当然か」「自分は観客だと思っている人たち」という二つのエントリーを読んで、僕も映画「サマーウォーズ」を思い出したからです。
ただ、当たり前だけど思った内容は違います。
少しだけ僕についての話を書きます。
僕は、県庁所在地ではない地方都市で、小中高と公立校に通い大学で東京に出てきました。
通っていた中学は、校区に駅前の繁華街も含まれていたので、クラスには親が水商売をやってる人とかもいて、地方テレビ局の社長の息子とか障害者とかヤンキーとかガリ勉とかいてそれなりに荒れている、今思えばまあどこにでもあるような中学校でした。ただ、勉強が好きでいわゆるガリ勉だった当時の僕には、あまりいい思い出はない学校でした。
高校は県で二番目に難しいとされている進学校に入ったんですが、休み時間に自習してるクラスメートを誰も笑わないことに妙に感心したぐらいです。
アホみたいな話ですが、これが進学校かー、と軽く感動しました。高校ではそれなりに楽しく過ごして、大学には現役で受かりました。
大学時代の僕は、今だったら「意識高い系」と言われるような学生で、人権問題を扱うサークルに入って活動したり、選挙事務所のボランティアスタッフとして働いたりしていました。
僕がそういう活動をする中で、他の「意識高い系」の学生やスタッフとの感覚の違いにとまどうことがすごくありました。
「縁もゆかりもないはずの人に多くの人間がここまでおそろしい悪意を平気で抱けるんだなってこと、それも自分の内に隠すでもなく、まともな一意見みたいな顔してここまで露骨におそろしい悪意を剥き出しにして表明できるんだなってこと。自分もそういう人たちの中で生きていかなきゃいけないんだなってこと。すべてがつらすぎる。」という文章を読んで、この頃のことを思い出しました。
当時から僕は、悪意や嫉妬、偏見、レッテル張りといったものは、台風なんかと同様、嫌だけどどうしようもなく世の中に存在する前提条件だと思ってたんですが、そういったものを特殊な条件での出来事だとしか思ってない人の多さにとまどったんです。当時は「嫌韓流」という本が出たころだったんですが、この本にみんながかなりショックを受けていることに驚いたことを覚えています。
その時に痛感したのは、都会で私立の中高一貫校に通っていたような、思春期以降を「それなり以上に家が裕福」で「それなり以上に勉強ができる」人たちの中だけで過ごしてきた人の想定する「世間」と、地方の公立中に通ってた僕が想定する「世間」は違いすぎるよなあ、ということでした。
僕は「世間」という言葉を聞くと、中学のクラスを思い浮かべます。あの規模をものすごく大きくしたものが「世間」だと。
ネトウヨと言われるような、今だとYahooニュースのコメント欄とかにたくさん書かれてるような意見を読んでショックを受ける人って多いですが、ネットとは無縁の生活を送っている僕の両親も普通にそういうことを言うんですよね。子供のころ毎年お盆と正月に帰省していた母の実家は、当然サマーウォーズのような伝統も財力もない家でしたが、それなりにたくさんの親戚が集まっていました。
そういう集まりの中で声が大きい人や人望を集めてる人ってたいていネトウヨにも負けないぐらい差別的なことも平気で言うような人じゃないですか。
サマーウォーズのおばあちゃんが実在したら「そんなはしたない娘は殺されて当然じゃ」ぐらいのことは普通に言いますよ。
ただ、僕の両親や親戚の人たちが特殊なのかって言ったら全然そんなことなくて、世の中にはそんな悪意はありふれてるんですよね。
じゃあ偉そうなことを言ってるお前はそういう人を説得する言葉を持ってるのかと言われたら、持ってませんごめんなさい、としか言えないんですよね。すみません。
世間の悪意って自分にはどうしようもないことなので、うまい距離の取り方と身の守り方だけを考えるのが一番いいのかな、という毒にも薬にもならないことしか言えません。
最後に、偏見丸出しで書きますが、「どうして人はネットだとひどい生き物になってしまう(人が多い)のか」という問いへの答えは、「そういうひどい生き物にリアルで会わずに済むような環境で育って良かったね。」だと思います。
関西で生まれ育ったけれど、方言が苦手な人もいるようなので、人前で話す時はなるべく
自分でも、聞き苦しいかなと思うくらいに素のイントネーションは酷いのだ。
興奮したり面白がったりすると出てしまうので、仲良くなった人や、慣れた場所でだけ
(=私が方言まるだしでも嫌がらないと解った人の前だけ)方言で話すようにしていた。
しかし、今日うっかりと、関西出身の人と話してイントネーション丸出しにしてしまった。
職場の人に関西の人だったんだ!って軒並み言われてげっそりした。
原因になった人は、関西人は関西人同士で引き合うんですよねwって誇らしげにいってるし、
今まで以上に方言丸出しで話し始めた。しまいには、私にまで方言を話させようと、「飴のこと何て言う?まつたけってどう発音する?」とニコニコしながら言い出す始末。
方言を別に何とも思ってない大阪人もいるんです。どちらかというとコンプレックスみたいに思う大阪人もいるんです。確かに私にとって身近なものでもあるけど、素朴な感じで大切にしていければいいので
別に主張するほどのものでもないと思っているです。
まぁ昔、「関西人は方言を前面に出すからウザい」とか「面白くないやつほど方言で話す」とか
知り合いが陰口言ってたのを気にしてるってのもあるんですけどね。
なんか自分の言葉がすげー嫌になる。なんでこんな癖あるんだコレ。
明日からはまた東京の人の中にまぎれて生活しようと思う。