はてなキーワード: あの世とは
科学的に殺したと証明できないからとYoutubeで弁護士が語っていた。
例えば丑の刻参りで呪い殺しても、因果関係が証明できないから罪にならないと。
でもデスノートを押さえて「実験したところ、このノートに名前を書くと死にます。再現性は100%でした」でいいんじゃないの?
世の中原理はわからなくても実験で再現性が高かったら科学的事実と認定されるし。
現実世界ではデスノートは突拍子もないからなかなか認められないだろうけど、あの世界ではなにか不思議なパワーで大量に人が殺されてると世界中の人間に認識されてるから、裁判でも認められると思う。
いや、明確に誤りだよ。
例えば輪廻転生やあの世、天国、地獄のように「死後、肉体を離れた<魂>がどっかいく」ってことを前提にした死生観はすべて非科学的であり誤り。
なぜかという「物理的な肉体と対立する精神的な<何か>が存在する」って前提が現代物理学の根本原理と相いれないから。
この世のすべては物理法則に従って動いてるはずでしょ?(科学的に考えるならね)
でも仮に「精神的な<魂>が存在する」と考えるなら、「この世のすべては物理法則に従って動いてる、けどたまに精神的な<何か>が物理法則に作用することがある」という風に物理学の大前提を改めないといけない。
だって肉体と魂が全く無関係で全く互いに影響を及ぼさない存在だったら魂なんてものを考える必要ないからね。
まあこの「精神的な<何か>が物理法則に作用するかも」って考えってまんまスピ商法とか超能力とかに採用されてる考え方なわけだけど、科学を信じる常識的な人ならおかしいと思うよね普通。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
鬼滅の刃無限列車編見た感想。原作未読、アニメ1期視聴済み、映画は1回、アニメ無限列車編視聴済み。にわか。
流行のピーク過ぎた今だから言ってもいいかなと思ってちょっとこぼさせてもらうけど、煉獄さんの考え方に全然共感できなかった。むしろめちゃくちゃ怖いと思った。
炭治郎や一般人を守るため一人戦う姿はめちゃくちゃ格好良かったけど、強い者は弱い者を守らなければならないとか、価値観が合わなくて見ててモヤモヤした。
軍隊とかで戦うための洗脳みたいなものを感じた。イメージでしかないけど。知り合いの自●隊員も感動してた。きっと価値観が近いんだろうなと思っちゃったよ。ごめん、大変な仕事だよな、災害時とかいつもありがとう。
とにかく、生ぬるい環境で育った身からすれば、体育会系というか、軍隊的な怖さを感じた。
弱きを守って死ぬのは自由だけど、人に強制することではないよな。そうやって守ってくれる人がいるから我々のような弱い一般市民も安全に暮らせるわけだけど。だから感謝はする。けど、強くても普通に守られながら生きたっていいじゃんって思ったね。
煉獄さんが美しい死に様だったからこそ不安になった。これが正しい生き方だと言われているような気がして。
死ぬな、杏寿郎。
遊郭編4話?で宇髄天元が死んだら負けみたいなことを言っててこっちの方が共感できた。
死ぬまで戦う美学とかこえーよ。強いあなたの命も大事にして欲しい。価値観が終戦前みたいに感じる。実際物語の舞台が大正とか昔っぽいからそれで合ってるのかもしれないし、所詮ファンタジー、フィクションなわけで、鬼が跋扈するあの世界観ではそういう考え方も自然な気もするし、何を無粋なことをというね、水を差すなよって話なんだけど、あれが物凄い人気になって感動した人がたくさんいて、何度も見ましたみたいなことを聞くとそんなにかなと思っちゃったりするし、こういう昔っぽい価値観に共感したり感銘を受けたりしてるとしたら怖いなと思ったり。そんなんじゃないかもだけど。
まあ、そんなこと言っても自分も劇場で泣いたけど。めっちゃ感動したね。戦闘激熱で普通に面白かった。映像超綺麗だし。
価値観にモヤッたというだけの話。
普通に立志編、映画、アニメ版無限列車、遊郭編を特に深く考えずふつーーーに見てるだけのにわかの感想なので、なんか変なとことか記憶違いとかあるかもしれないけど、ちょっとゲロりたくなっただけだから許して。
あの世界は狂ってるよなぁ
消失の最後の方で、たしかキョンが長門の恋心?が理解できてるのかよく分からんが、
長門がいない世界になったとしても、ハルヒに長門を存在するように考えさせるみたいなことを言ってた気がするが、
当たり前だが、あの世界はハルヒが神みたいな前提で成り立ってるわけだが、
キョンや長門だけでなく、すべての人、というか物質の存在はハルヒによって成り立っているといっても過言ではない
つまり、package.jsonだかgo.modだかcomposer.jsonだか使ってる言語にもよるわけだが、
つまり、すべてのソフトウェアが依存しているそのモジュールが改変されれば、
すべてのソフトウェアが影響するのと同じであり、
したがって、攻撃者は涼宮ハルヒに細工すれば、世界を思うがままに改変できるということである
なんらかの方法で自分の意のままに考えさせることができるようになれば、
攻撃者は世界を思うがままに改変できて、それはそれで楽しそうに思えるのだった
俺がキョンならそれを試みると思うのだ
はぁ…
現実逃避終わり…
あるオフィスの一室で、サイヤ人スーツを着た口髭の男は泥団子を作っていた。
椅子に座った男は目の前の作業机の上に、ツルツルに光っている泥団子を乗せ、コロコロと転がしている。
「FBI!」
警察手帳のようなものを握ったサングラスの男が、銃を片手にオフィスに押し入ってきた。
サイヤ人スーツの男はたちまち驚くと、光泥団子を床に落としてしまう。
ツルツルの光沢を放っていた光泥団子は無惨にも、地面に落ちた衝撃で割れてしまった。
「うえーんうえーん」
サイヤ人スーツの男はその現実を受け入れることができなかった。声をあげての大泣き。男泣きである。
「これは失敬!この十四万でどうにかなりませんか?」
FBIを名乗るサングラスの男は懐から十四枚の一万円札を取り出し、サイヤ人スーツの男に差し出す。
サイヤ人スーツの男はそれを受け取ると、噛み締めるように胸元にかき抱いた。
「あったけぇ金。あったけぇ金……」
やがて涙も止まり、冷静さを取り戻したサイヤ人スーツの男は、目の前にいるFBIを見てハッとする。
「おや?その顔は……貴方はもしや」
FBIの顔に見覚えがあったのだ。それは彼が、つい先程まで見ていたテレビの中でのことだった。
『緊急速報です!あの世界的有名なハリウッドスター、アーノルド・シュワルツェネッガー氏が来日しました!』
そう、彼はアメリカの超大物俳優アーノルド・シュワルツェネッガーだった。
「ええ、私はアーノルド・シュワルツェネッガーですよ」
「ええ、もちろん本物ですよ。ほらIDカードだって持っているでしょう?」
「本当に本物だ!なんでこんなところに?」
「いえね、日本のテレビ局の方々と、とある撮影をする予定だったのですが……。急遽それが中止になったものですから、暇になってしまいましてねぇ」
「そ、そうなんですか……。あ、それじゃあちょっと待ってください。俺、光泥団子の作り方知ってるんで教えてあげますよ」
「本当ですか?いやぁ助かります!」
こうして二人の仲は急速に縮まり、ついには友情すら芽生え始めるのであった。
「私達は友達ですね!」
「ええ、我々は友達ですとも!」
そして二人は固い握手を交わす。
「ああよかった!……ところでどうして私のことを知っていたんですか?」
「実は今朝方ニュースを見ておりましたら、たまたま貴方の名前が出てきて驚きました。まさか有名人と知り合いになれるとは思いませんでしたよ!」
「いやいやこちらこそ、映画以外で会うことができるなんて思ってもみなかったです!」
二人の会話は弾む。そしてそんな二人の元に、一人の警官が現れた。
「すみません。あなた方が話していた例の映像についてなのですが、あれはやはり合成映像ではなく、本当の出来事だったようです」
その言葉を聞いて、アーノルドとサイヤ人スーツの男の動きが止まる。
「……ということは、つまりどういうことですか?」
「はい。その映像に映っていた少年は実在します。そして現在行方不明となっております」
「なんということでしょう!それは大変じゃないですか!」
「はい。それで我々としては捜査のため、ぜひアーノルドさんのご協力をいただきたいと思っているのですが……」
「いえ、残念ながらそれはできません。なぜなら私は今仕事中だからです。この通り」
FBIの制服を着て、銃を手にした男が立っている光景こそが、まさに仕事中だったのだが、アーノルドはそれを気にも止めず断言した。
「いやでも……」
それでも食い下がろうとする警察官に、サイヤ人スーツの男は慌ててフォローに入る。
「まあまあ落ち着いてください!アーノルドさんの仕事が終わったら手伝うというのはどうでしょうか?」
「おお、なるほど。そういうことでしたら問題ありませんね」
そうして話がまとまりかけた時、また別の警官が現れ、耳打ちをした。
すると、今度はFBIの男は慌て始めた。
「申し訳ないアーノルドさん。急用ができてしまいました。また後日連絡させて頂きます」
それだけ言い残し、警官は部屋を出ていった。
「何かあったんですかね?」
「さあ、わかりませんね」
「そうだ!アーノルドさん!」
「何ですか?」
「あのですね!もしよろしかったら、俺と一緒に協力して、その少年を探してくれませんか!?」
「なんですって?」
「俺は光泥団子作りが得意なんですよ!」
こうしてサイヤ人スーツの男とアーノルド・シュワルツェネッガーによる、『ターザン捜索隊』が結成された。
彼らは早速情報交換を行うことにした。
まずはお互いの知っている情報を開示する。
「そうですか。そんなことがあったんですか……」
サイヤ人スーツの男の話を聞いたアーノルド・シュワルツェネッガーは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ええ、そうなんです」
「……その件ですが私には荷が重いです。どうか他をあたってくれませんか?」
「そう言わずにアーノルドさん!これは世界的な大事件ですよ!?」
アーノルド・シュワルツェネッガーは頑として首を縦に振らない。
そこへ、再び一人の警官が現れる。
「失礼します。例の映像について新たな情報が入って参りました」
「ほう?どんな内容ですか?」
「はい。実は先程、ある人物から情報提供がありまして……。なんでも、その少年の名はタダノ・ヨウスケというらしいです」
「ふむ、それは一体どこの情報ですか?」
「ど、どうしました?」
だがアーノルドはお構いなしに続ける。
「……詳しく話を聞かせてください」
それからしばらくの間、二人の間で激しい舌戦が繰り広げられた。
そして一時間後。
二人の話し合いが終わる頃には、すでに日が暮れていた……。
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時は少し遡り、アメリカ某所。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1807723
小説の一人称視点だとあまり感じませんが、客観的に見ると主人公は十分にチートキャラです。その自他の認識のギャップが、作品全体のストーリーの根幹になってます。アニメだと、小説では隠れていたそのギャップがはっきり見えるようになりますよね。
強さを教える赤ママ、賢さを教える青ママ、優しさを教える白ママとそろってますからねえ。メイドもいるし。
あれは、身内をエロの対象とすることを極端に忌避するトラウマとして、主人公の根底に残ってます。おかげでアイシャは思いっきり歪みました。あの世界では、異母兄妹は普通に結婚が可能です。本人も周りも望み、相手も好意を持ってくれているのに、絶対に異性としては見てくれない。頭の良い子で兄を尊敬もしているので、男女関係についての感情が完全におかしくなってます。
「蛇足」なんかじゃないです。あれはエピローグ集です。本編を最後まで読んだ人は、全員読むべき。
前世で「姪の盗撮写真をズリネタにしてた」という事実がかかれるだけで、そのシーンが出てくるわけではない(原作には)。アニメ版では、見る人が見れば判るように描写されてた・・・。
現実でも、親の立場や考えがわかるようになるのは自分にも子供ができてから、ということは多い。ルーデウスも、相手の気持ちが分かるのは、あとで自分が相手と同じ状況になってからです。彼はまだその段階に達していないだけです。伏線は原作由来やアニメオリジナルで大量にしいてあります。「親」は不在どころか、この物語の主題の一つです。
俺は波風立てるのを嫌い、他人に否定的な言葉を面と向かって言えないタイプだ。だから相槌ばかり打ってることが多い。
なので相手にハッキリとした意見や意思を求めるタイプからは嫌われやすいが、かたや対人関係に支障をきたす嫌われ者タイプから異様に好かれやすい。職場でも困ったちゃん係を押し付けられることが多くて、正直辛かったし、辛いとも言えないので消耗する日々が続いた。
短文で済む用事があって俺が連絡を入れても全く返事をよこさなかったり半年後に連絡返してくる癖に、俺が仕事が急がくて雑談のような内容を3日ほど返事が返せないだけで自分のルーズさを棚に上げて発狂する女。
休みの日に何したか聞かれて友人と友人の子供と遊んでたと答えたら、「友達がいる人は妬いちゃうから我慢できないのでそういう話はやめて」とマジトーンで言われて半年ぐらい不機嫌になったトラブルメーカーの女。
新興宗教にハマってて実在界(あの世?のことらしい)について延々と説明してくる高齢女性。
おっちょこちょいな新人が犯したミスを新人がいない所でバカにし、いかに新人が落ち着きないバカかを熱弁し同意を求めてくる癖に新人くんと未だに同じミスをする物覚えの悪い男。
全て韓国が悪いと思い込んでいて、いかに韓国が悪いかを熱弁しだす、休みの日は右翼集会にも顔出す眼鏡をかけたガリガリの中年男。
他にも色々いるが、彼らの共通点は不条理なのだ。筋が通っていない主張しかしない。最初はすごい疲れたが、不条理ギャグとよばれるジャンルの「ボボボーボ・ボーボボ」を思い出した途端、すごい楽になった。何を言われても「こいつ、ボーボボの世界の住民だからな」と思えるようになり、今まで作り笑いを浮かべて相槌をうっていた俺が、目も合わさず半笑いで「あーwなるほどwははw(ボーボボの世界の住民じゃなくて)すみませんw」「あーwええwええw(ボーボボの世界では)そうなんですねーw」と気楽に構えられるようになった。
彼らボーボボの世界の住民の主張を真摯に受け止めようか適当に流そうが、彼らは変わらない。ただ、身の回りに人がいなくなった自分の不条理さに気づけない故に、話を聞いてくれる相手が、構ってくれる相手が、自分に対して否定的な言葉を使わない相手が、自己肯定感を満たしてくれる相手が、欲しいだけなのだ。
俺はボーボボの世界の住民ではないので、彼らにところてんマグナムは出来ない。ビュティのように突っ込むこともしない。ただ、一読者として、彼らと自分の問題は自分の中で完全に切り離し、彼らの不条理さを眺めることが彼らとうまく付き合う方法だと気づけた。
10年近くそうやってきた自民党を放置して「立憲民主党はなぜ負けたのか」とかドヤ顔でご高説垂れ流してた連中が
今まで通り自民党が身内に金ばら撒きだしたら無駄に喚きだすの面白いな。
自民党に税金食い潰せないようにする事よりイデオロギー優先した連中が今更何言ってんだと思う。
そうやって喚いても無駄なのはこの10年でずっと見続けてきたはずだろうに。
まぁ、最終責任者たる俺たち国民が税金を貪る自民党を放置することを選んだんだから
私利私欲のために税金を貪る自民党、ボロ負けだって周りに叩かれて日和って自滅に向かって走り出した立憲民主党、
安全マージンを削って見栄えのする施策に投じて自滅して「頑張ってますアピール」するマッチポンプ維新、
ボロ負けといわれる立民以下の国民民主党、連合に蛇蝎のごとく嫌われてる共産党、その他有象無象の政党、
全体を見まわしてみてもため息すら出ない。
つくづく凄い時代に生きているんだと実感できる。
なにしろ暴力というのは、人々が自分勝手に行使すれば、ときに人権を脅かし、社会秩序を乱し、それを収めるには軍隊や警察など、さらに強い武力が必要となってしまう。人間社会では、いかに人の持つ暴力性を抑え、あらゆる対立を非暴力的な手段によって理性的に解決する努力がなされてきた。
だから格闘技においても、暴力性をいかに否定し、大衆文化として認知されるかというのは、常に大きな課題なのである。朝倉やABEMA、スポーツ紙などに欠けているのはその認識で、格闘技に関わっていても、そもそも格闘技とは何で、どのような均衡の上に成り立っているのかという点を十分に考えていないように見える。
多くの格闘技はそれぞれルーツを辿れば血なまぐさい原点を持つ。プロボクシングもその原点は奴隷を死ぬまで戦わせる古代の見世物だった。原始的で野蛮なものが、社会が成熟する過程でスポーツとして整備されるのには、かなりの年月を要している。
歴史の古いボクシングは、かつて白人が黒人との対戦を拒否できる制度のために人種差別問題と無縁ではなかったり、プロモーターによる選手の独占的契約が「奴隷制度」と重なって、アメリカではこれを規制するモハメド・アリ法もある。五輪競技となるまでにも紆余曲折あり、良識派の人々から「暴力ショー」と見られることから、関係者たちは必死に自分たちの協議を守ってきた。
総合格闘技の変化
一方、朝倉がやっている総合格闘技についても、いま世界的な人気イベントとなったUFCでさえ発足当初はルールが整備されておらず、1993年の第1回大会は目潰し、噛み付きなど最小限の反則以外は自由で、無制限ラウンド、体重の階級制も判定決着もなかった。
そこで暴力ショーとの批判が各地で巻き起こり、アメリカ国内でも開催が許されたのは一部の州だけだった。実際、ケガ人も続出。日本でも初期UFCの影響下で行なわれた1995年の「バーリ・トゥード・ジャパン」では、中井祐樹が相手の反則で右目を失明した。
背景には、ポルトガル語で「何でもあり」を意味する大会名のために、大会がノールールの喧嘩マッチのようなイメージとなっていたことがある。いまほど格闘技が「スポーツ化」されていない時代には、ルールを守る意識の薄い格闘家がいたのだ。
結局、エンターテインメントの発展がうまいアメリカでは、UFCは、2000年に州のアスレチック・コミッションが指導した統一ルールに従って、28回目の大会から一気に「競技化」が進んだ。ルールが整備されると参加者が増え、喧嘩屋レベルの者が淘汰され、いまやプロボクシングに並ぶ人気イベントになった。
アメリカのコミッションは、日本のボクシング・コミッション(JBC)のような一財団法人ではなく、知事が責任者を選ぶなど行政下の組織で、強い権限を持つ。格闘技イベントの聖地、ラスベガスのあるネバダ州コミッションの責任者、ボブ・ベネット氏は元FBI捜査官で、力の差が大きいと判断したマッチメイクは、主催者が大手の組織でも遠慮なく却下した。
ベネット氏は「とても危険な職業なので、できるだけ安全にするのが我々の義務」と語っていた。アメリカであれば、朝倉と素人の喧嘩ショーは、コミッションが開催許可をしなかったはずだ。
色々思ったので書く
この映画じゃなくて世間に言え。話は変わるが「シオンの本質は物理的な「ヒューマノイド」ではなく、ネットワーク内に漂っているプログラムだった、という最後の結末を考えると意図的なのかもしれない」は面白い観点。
・「サトミ母は転職できるだろ」
年頃の娘抱えてころころ転職できるかよ。AIのこと考える暇あったら人間のことをもっとよく知りなさい。
同意。攻殻機動隊は20年以上前なのでいい加減ここらへんはもっといいアイデアを使ってほしい。もっともそれはこの映画に対してだけではないが。
・その他サトミ母と星間経営陣について
サトミ母にいれるべき第一のツッコミは、「第一線AI研究者なら人間とほぼ違和感なく生活できるまで自己(!)拡張したAIを見たならば大発見のあまり驚愕しなければならない」だろ。正直自分の実験のことも星間のこともどうでもよくなるべき。あの世界であってもAIの自己拡張なんてありふれている描写はなかった。しかも、ようやく自分らの研究グループが人間に近いアンドロイドの実験をしようとしてる段階なので人間とほぼ同じレベルのAIなんてない世界だぞ?それを考えれば、史上空前のAIへの強力な手がかりである「サトミ」の母を会社に残す判断をした星間の判断は妥当。絶対に逃がしてはいけない。
感性はこの映画を良かったと判断しているので悪くない。むしろ発展の余地はほかのところにある。まずは考えが浅い部分があることを気にしなさい。
・「総じてよかった」
完全に同意。あと、偉そうなこと書いてすまんかった。
個人的にはAIの映画なのに「ディープ」だとか「ニューラル」だとかがでてこず「アトラクター」とかいう複雑系用語がでてきたことが大変良かった。
同じ監督が手がけた「イブの時間」でもSF考証はかなりいい加減だぞ
その世界のアンドロイドは外見は人間そっくりだけどまだまだ反応が機械的で感情表現もほぼ皆無、また頭上に天使の輪のようなホログラムが必ず表示されているんだけど、実はその気になればもっと人間的な言動が可能だしホログラムもその気になればいつでも消せるけど、アンドロイド達は人間達に配慮して自主的に機械っぽく振る舞っているという設定で、あの世界のアンドロイドの安全基準どうなっとんねんとひたすらツッコミ入れながら見た記憶がある
しかも見た目人間そっくりなタイプが主流なのに、そんなアンドロイドを人間のように扱う行為を揶揄する空気があって、それがあたかも社会問題であるかのように扱われているのも変だろと