はてなキーワード: talkとは
Mili の Sleep Talk Metropolis って曲、そうそうこういう曲調が好きなんだよって感じなんだけど、
お貴族様ならびに自立心・自尊心バッキバキの何者病たちの世界には、
『ただ働くだけで今までの人生の最高値を記録する』って概念がねーからな
低所得だろうが高所得だろうがコレ人生の最高値で妥協でも非人間的な生活でもないんですね
幼少期のワイは人間未満だったのか?
でもまぁ極端に軽薄な人は極端に軽薄な人なりの人生を歩むと思います
そして、多くの場合、人を作るのは能力(Ability)ではなく、態度(Attitude)
軽薄な人の振る舞いをしていれば、周りの人はそのようにその人を認識するし、
長年にわたって積み重ねられた行動や習慣は、やがてその人の性質や性格と呼ばれるようになる
関わらないこった
https://anond.hatelabo.jp/20230123225612
あれから約8ヶ月、また新たな局面を迎えている為ここに記そうと思う。
このままでは「匿名掲示板による実況文化の消滅」が起きてしまう。
更に、匿名掲示板そのものの存続すら危なくなってきてしまったのだ。
この増田を投稿してから2ヶ月後、3ちゃんねるは閉鎖してしまった。
https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E3%81%95%E3%82%93G
3ちゃんねる管理人はまともである分、昼間は普通に仕事をしている為昼夜逆転の生活を送っている異常なスクリプトやDDoS攻撃による荒らしに対応が遅れ、ただでさえなんG民の避難殺到でアクセスが集中していただけに耐えられなくなってしまったのだ。
先に注記しておくが、私はサーバーインフラ関連の知識は全くないため、いち掲示板の利用者としての意見・感想を述べていく。
一方こういった事態でも移住先や避難先を探し続けていたなんG民たちは防弾掲示板に着目。
https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E9%98%B2%E5%BC%BE%E3%81%AA%E3%82%93G
ちなみに「防弾」の意味については詳しく知らないが、海外サーバーなのでちょっとやそっとの誹謗中傷や犯罪予告でも開示されないらしい。私はしたことがないので知らない。
さて、この防弾なんG・防弾なんU(一部定期スレの常駐)が避難先として定着すると春先からは徐々に野球実況もこちらで行われるようになった。
防弾なんGの最大の特徴(と私は認識している)のがスレを立てたイッチに限りスレタイがあとから変更できたり、実況モード(連投規制の緩和)や新規モード(レスをするための認証を緩和)にするなどコマンドが使えた。これは何らかの実況の後反省会スレに移行するなどなんG民の習性にあったものであり、コマンド機能は好評であった。
さてこの「レスをするための認証」だが、レスをするためには回線ごとに1日1回、簡単に言えば自動化スクリプトでは突破不能なreCAPTCHAなどを導入していた。(私はロボットではありませんみたいなやつ)
さっさと本家5ちゃんねるにも同等な機能を実装すればいいのだが・・・お気付きの通り5ちゃんねる運営は何もする気がないのでこの有様である。
ここからしばらく安定期が訪れ、防弾なんGに移住する者、5ちゃんなんGがスクリプトに荒らされた時だけ避難しに来る者、頑なに5ちゃんに残り続ける者などに分かれ、試合実況も分裂化し始めていた。
この頃はまだ試合実況が中途半端に成り立っており、実況スレにスクリプトが来たら次スレを立てるという文化になりかけたのだがいつしかそれすら追いつかなくなるほどの攻撃を受けだんだんと防弾なんGへの移住は進んだ。
そして転機は突然訪れる。
Talkという謎の掲示板が出現したことで5ちゃんねる全体が大混乱に陥った。この辺の経緯もwiki読んだ方が早い。
https://wikiwiki.jp/livejupiter/talk
簡単に説明すると、5ちゃんねる専用ブラウザ最大手であった「chmate」のみを置き去りにしてその他の専ブラが結託して「Talk」と呼ばれる自称5ちゃんねる後継を謳う掲示板に移行を図ったのだ。
一部では「もうスクリプトに悩まされなくていい」と好意的に捉えられた一方で、「あまりにも突然で何の説明もない」「chmateのみを除け者にした」「現状のTalkにはワッチョイがないどころか開発者を名乗る人物もワッチョイがなんなのか知らない」などの点から不信感・不満が噴出。
中でも問題になったのが「浪人(5ちゃんねるの課金)のサイトが閉鎖されており、返金も効かない。年間契約で購入した人間はどうなるのか?」という金銭関係の問題であり、これには消費生活センターに相談しようとするものまで現れた。
(wikiにも書いてある通り、浪人を販売していたのがジェーン社であるため)
更に、Talk出現後一旦スクリプトが止まったことやTalk掲示板にはスクリプトが出現しないことから「なんGや嫌儲を荒らしていた正体はJane Style側なのでは?」という疑惑が出た。
このあまりの横暴さと辻褄が合うことからなんG民はTalkを絶対に受け入れることが出来ず、その遺恨は今でも残る。
5ちゃんねるは自分で言うのもなんだがインターネットの財産であり、過去ログの消失は専門板に数十万数百万と残る叡智の消失に繋がる。
結局この騒動は一旦は収束を見せ、chmateによる5ちゃんねるの閲覧・書き込みが復旧した後は徐々にまたいつもの感じを取り戻していた。スクリプトは相変わらず復活したが。
そしてこの頃から防弾なんGが頻繁に鯖落ちを繰り返すようになる。原因はDDoS攻撃とされ、スクリプトが出来ない分こうしたアタックでサーバーを機能不全に陥らせていたのだ。(この攻撃もジェーンの仕業だと疑うなんG民も少なくなかった。もちろん飛躍した論議であり確証は一切なく半分陰謀論めいているが、最早何が起こっているか誰にも分からないのだ)
結局防弾なんGが使い物にならなくなるなか、新勢力「なんでも実況エッジ」通称「なんE」が誕生する。スクリプト対策はもちろんDDoS攻撃対策も施されたサーバー、クラウドフレアを使用していたらしい。私は先ほど申し上げた通りこの辺の知識がないのだが聞くところによれば攻撃自体は受けているものの一瞬重くなる程度で済んでいるとのこと。
このなんEが快適でちょっとサーバー落ちする程度ですぐ復旧していたため夏ごろからは専ら試合実況はこちらで行われていた。また、なんGでは避難誘導も行われ移住はますます進んだ。(なんEに避難してくださいとスレを立ててスクリプトが埋め立てれば勢いは上位に来るので目に留まりやすい。)
また先日、5ちゃんねるでは21時~0時まで課金しないと書き込めない謎の規制(結局21時半くらいに解除された日もあった)が始まったりすぐに終わったり、迷走が続いた。
またなんEではVTuber実況が大挙して移住してきてスレを乱立させ、歴史的経緯からバチャ豚を嫌うなんG民が多いため空気がピリピリしだした。
10月1日未明、またしても5ちゃんねる全板が重くなったりサーバー落ちしたり不安定な状態が続き、なんEが盛り上がっていた。
10月2日午前11時過ぎ、なんE管理人が突如「サービス終了について」というスレを立て、「このスレが埋まったら新規レスできなくします」と宣言。
あまりの突然の出来事に絶望、怒り、同情、感謝など反応はさまざまであったが一番異常だったのは、なんE管理人が提示した「1時間当たり400万件にのぼるDDoS攻撃」であった。
いくらDDoS攻撃に強いサーバーを使っているとはいえ、いち個人が提供し続けている個人の掲示板にこれだけの攻撃が来るのはどう考えても異常であり、犯罪行為である。
これ以上攻撃が拡大すれば迷惑がかかるだけでなく、管理人は「本格的に怖くなってしまった」と説明した。
決してサーバー費用面の問題ではなく、この異常な攻撃に個人ではもはや対処不能なのだ。
一方で翌日(本日未明)、防弾なんGが突如復活、管理人も降臨したものの忍法帖に登録している人間のIPアドレスとパスワードを流出させ死亡、一瞬のうちに閉鎖となった。
この3日間でエッジも防弾も失ってしまったなんG民に為す術はなく、また5ちゃんねるに帰らざるを得なくなったのだ。
一応今度はオフショアと呼ばれるエッジと似た仕組み?の避難所も出来たようだが、ここも個人運営な以上いつまで持つか分からない。
もっとも悲しいのは、ここ数年間の分裂、移住によりなんG人口そのものが減ったことである。
私みたいな匿名掲示板にこだわる一部の異常者を除き、まともな感性を持った人間は「またスクリプトに荒らされてるのか・・・」とうんざりして掲示板を辞めてTwitterやdiscordなどほかのツールで野球実況をするだろう。
スクリプトに荒らされていなくてもサーバーが重い状態が続き、エッジや防弾に分裂した実況スレにまで移住するのなんか少数派で、ここ最近の試合実況なんか1スレ完走するのがやっとなレベルだった。(※すでに両リーグ優勝決定後の消化試合であることには留意したい)
もう覚えてないが阪神優勝時の実況は確かエッジでやっていた気がする。
しかしまだドラフト、CS、日本シリーズ、オフシーズンのFAや現ドラが控えている。
そんな中でまともに実況や雑談が出来ない、我々はどうしたらいいのか?
この問題点について3つあげたい。
① 5ちゃんねる運営が公式的な声明を出す場がなく、また状況説明や対策等の措置が取られないこと
② DDoS攻撃・スクリプトによる埋め立て行為に対して現代の日本のサイバー警察などの技術では立件等が困難なこと
①だが、5ちゃんねるの運営はそもそも本当にいるのか?というところから私は考えたいと思う。
そして5ちゃんねるというのは「運用情報板」「規制議論板」など運営直下の板が複数あるため煩雑であり、どこで管理人とコンタクトを取り、説明し、管理人はどこで全掲示板の利用者に平等にアナウンスをするのかが一切形式化されていない。
そんな胡散臭い連中が運営している掲示板を何故使っているのかと言われればそれまでではあるが・・・。
②だが、スクリプトの特定はとても困難でIPアドレスも無数の回線に切り替えて爆撃しているため刑事ドラマでよく聞く「複数のサーバーを経由して・・・」みたいなのと同じ状況であると推察される。
これでは日本の警察どころか誰も追跡・特定出来ないのではないかと思う。そして、個人で400万件/hの被害を受けたエッジの管理人も法的措置に関しては何も言わなかった。無意味なことが分かっているからだ。
仮にネットに強い弁護士に相談したところで、「いかがでしたか?よく分かりませんでした!」というオチになるのが目に見えている。こういったサイバー攻撃に対してあまりにも無力であると痛感させられる。
③さが、匿名掲示板で雑談や実況するという文化そのものがこのままでは衰退してしまう。Twitterはいわば「強制コテハン」状態であり、いいねやフォロワーを気にしながら発言したりしなければならない。掲示板は匿名で全員が同じ立場である。インプレッション稼ぎもいないし、何かあればスレッドを立てて議論し、1000になれば解散し、日付を跨げば別人になる。もちろん5ちゃんねるに拘る必要は現時点で何もない。ないのだが、移住先はスクリプトやDDoS攻撃に潰される有様では何も出来ないのだ。
数十年と築いてきた掲示板がスクリプトに潰されるのはあまりにも無力で、情けないと思う。
スクリプトの正体は本当に不明で、もはや個人ではないのかもしれない。スクリプト自体も誰かが作ったものだろうし、DDoS攻撃を代行するサービスもあると聞いたので、本当の黒幕は1人なのかもしれないが、とにかく動機がわからないのだ。
少なくとも一瞬のうちに5ちゃんねるを機能不全に陥らせる能力があるのに、スクリプトを使って埋め立てて、阿鼻叫喚右往左往するなんG民たちを見てあざ笑っているようにしか見えない・・・
今年夏ごろからスクリプト攻撃が今まで以上に酷くなって、7月にはJaneStyleがクーデターを起こしtalk掲示板にサイレント移住をさせるという事件が起きたが、結果的にクーデターは失敗して5chの規制も前より緩まったのだが、スクリプト攻撃はその後もほぼ間断なく続き、9月に入ってからは更に巧妙化されたスクリプトに変化した。
今まではレス爆撃して、一瞬でスレを埋め立てる攻撃だったが、今回の巧妙化されたスクリプトは、AI生成の会話レスやグロ画像を普通のペースで自動投稿し続けている。指定レス番は適当だし、見ればスクリプトだとひと目で分かるのだが、人間ユーザーのレスの間に大量に挟まれて非常にうざい。
この攻撃に対して、嫌儲板では名前欄に名前を入力して投稿するようにユーザーに呼びかけることで防衛しようとしている。人間のユーザー全員がそれぞれ名前を入力して投稿すれば、専用ブラウザのNGネーム機能を使って嫌儲板のデフォルトネームである「番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です」を非表示設定にすることで、スクリプトのレスを全て消すことができるからだ。そこで多くの嫌儲板住民は「安倍晋三」を名前に使いだして、現在の嫌儲板は「安倍晋三」さんだらけになっている。
今後、嫌儲板に書き込みを行う機会がある場合には、名前欄を空白のまま投稿すると多くのユーザーからNG扱いを受けて、自分のレスが読まれることなく無視されることになることに注意してほしい。現状、「安倍晋三」以外の名前を使っている人も多いので「ああああ」でも「いいいい」でも適当な名前をつければ問題はない。しかし今後スクリプトが名前欄設定もし始めると、「安倍晋三」以外の名前は全部NG扱いされることになるかもしれない(スクリプト攻撃者は「安倍晋三」を名前欄に使うことに抵抗があると言われている)。
URLを多く投稿すると投稿が登録出来ないので、リンクが無いのは悪しからず。
アニ豚の居座り、アフィブロガーによるスレ立てや対立煽りを受け、幾度も移住計画が立てられたものの、おまC移住失敗・ピンJ移住失敗・戦場実況移住失敗とそれらはいずれも失敗していた。
しかし、なんJ長期サーバーダウンを期になんGへの移住がついに実現する。
なんG移住運動後は、VTuber実況や年齢層若めの雑談スレが中心となり、猛虎弁で会話するVIPというような雰囲気となった。
ここ1年ほどは粘着荒らしによる大量スレ立て・大量書き込み荒らし攻撃を受けており、時間帯によっては全く機能しない。
移住運動発足当時は、なんJと異なり1時間でスレが落ちる決まりであり移住先として賛否両論があった。現在は度重なる仕様の変更の末、使い勝手はなんJとほぼ同様である。
当初こそアニ豚・アフィブロガーをなんJに置き去りにした移住が実現していたが、現在では追って移住している。
なんJ同様常に荒らし攻撃を受けており、時間帯によっては全く機能しない。
スレ保持数が多いことが特徴。
その特徴から、ソーシャルゲームや趣味の話題などまったり語りたいテーマトークが中心の掲示板。
『なんJ〇〇部』を冠するスレが多く、なんJの部室棟とも呼ばれているが、なんJ民もなんG民も利用している。
なんJやなんGが荒らされた際はついでのようになんUも荒らされるため、避難所しての機能は無い。
おーぷん2ちゃんねるはアフィブログへの転載を自由としたスタンスの掲示板である。
そのため住民がアフィブログにまとめられそうなスレを立てレスをするのが特徴ではあるが、アフィブロガーにおってはおんJ民の書き込みはあまり人気が無い。
荒らし対策が機能しており、また多くのユニークな機能を持つが、その一方ユーザーは年齢層が低く馴れ合いを好むため、なんJ民の避難先とはならなかった。
5chのクローンサイト。すべての書き込みをほぼリアルタイムでコピーしている。
転載禁止を表明している5ch.netの書き込みを転載するために作られたサイト。
「風吹けば名無し@転載禁止」などのデフォルト名無しを「風吹けば名無し\(^o^)/」に改変してコピーを行っている。
ここに住みつき書き込みを行う住民はほとんど存在せず、まさになんJのスレをまとめるためだけのサイトである。
その成り立ちもあって管理人の評判はかなり悪い。
現在は移住騒動に巻き込まれたと思われる住民がポツポツと書き込みを行っている。
なんGの避難先として3ちゃんねるが立ち上がり、三男掲示板は3ちゃんねるのさらなる避難所としての役割を担っていた。
3ちゃんねるは避難所としてその役割を果たしていたが、3ちゃんねるの閉鎖に伴い三男掲示板がメインの避難所に格上げする形となった。
防弾ホスティングサーバーを用いていることが特徴であり、管理が機能しているため荒らしには規制が行われる。
古くから避難所として認知されているが、サーバーはあまり強くない。
なんJが実況の勢いで落ちた場合にしたらば避難所に押し掛けると、こちらも一緒に落ちてしまうことが往々にして起こる。
なんJ・なんGで「シャワーズちゃんのぷにぷにおま〇こ」というスレッドを不定期に立てて有名だったユーザーが設立した掲示板。
主な書き込みはポケモンのケモノイラスト関係であり、普段はなんG民にとった縁遠い存在。
ただしなんGが落ちた際には避難所スレが立ち、そこで情報の交換が行われる。
ぜろちゃんねるプラス再開発プロジェクト掲示板サービスを利用した避難所。
テディ・ペンダーグラスの Do Me → ドリフのヒゲダンス
マリオの地下BGMの元ネタってやっぱり friendship の lets not talk about it なんかね
行ってきたのは5ch(なんG~なんJ),ここ,ふたば(img~may),爆サイです.感想を書きます.
・5ch(なんG~なんJ)
こっから流行った悪口がツイッター(X)とかに流れていく・妹が「女さんが~」とか言ってて泣いちゃった
グロ画像貼りながら意味の分からないことわめき散らかすスクリプトがいるのに移住しないのやべえだろ
スクリプトのせいで5だか3だかGだかJだか防弾だかなんだかに分散してる
なんでもかんでもタイトルに【】が付いてる
スマホから5ch見ようとブラウザ入れた新規がtalkとかいう胡散臭いアプリに飛ばされるのアホらしい
・ふたば(img)
5chまとめっつってここの内容まとめられてるのは少し好き
方言とか独自の文化が強いせいでROM期間は必須・でもROMっても分からない文化があるのはどうなん(2時4分くらいのアレ怖い)
・ここ
お気持ちとか愚痴書きにここにくるのはいいけどここに常駐してるやつは中々にやばそう
さりげなく高学歴とか良い嫁アピールができるか,が結構重要?・読解力が鍛えられる
・爆サイ
地元の方言で煽りあってるの見れるのは新鮮・本当の意味でインターネット老人会している❕
近場のスレッドをぜひ見てほしい・夜散歩で通る公園がホモの逢引に使われていることは知りたくなかった
こんな感じです.オチはない
という動画が(再度)バズっているけど、これは概要欄に Supersize vs Superskinny と堂々と(?)記してある通り、下記の人気動画シリーズを日本語で編集したもの。
この日本語版をアップした「にんげんTalk」チャンネルは、海外のバズった動画をたくさん日本語で編集公開してるんだけど、少なくとも正式に著作権利者の承諾を得ている様子はまったくうかがえないよ。明確な例はこちら。
零下70度の環境での生活はどんな体験なのだろうか?ここにはなんと学校があり、体育では狩猟を学ぶ (1.9万回再生)
https://www.youtube.com/watch?v=5Ao_8WDAH58
COLDEST PLACE on Earth (-71°C, -96°F) Why people live here? | Oymyakon, Russia (300万回再生)
https://www.youtube.com/watch?v=sFWtQ5AV0vg
本編のオリジナル:
One Day in the Coldest Village on Earth | Yakutia (4100万回再生)
表に見えていないだけで実はちゃんと著作権者に承諾を得ている可能性はなくもないけど、だったら堂々とその旨まで含めて掲示してほしいよね。
(もっとも、後者の例では、キャッチーなサムネだけを使わせてくれという品のない申し出を、気骨あるロシア人YouTuberのEliが快く受け入れるとは思いがたい)
◆
以下蛇足:
「にんげんTalk」に限らず怪しい海外動画風チャンネルは他にもたくさんあるけど、日本語に翻訳して字幕を添えて部分的に編集までして日本の視聴者に届ける労力は、本来は正当に評価されるべき立派な貢献だと思う。ちゃんと交渉して正式に承諾を得てビジネスとして成り立たせることは十分に可能なんじゃないかな。
1996/08 [あやしいわーるど開始]
1997/08 [あめぞう開始]
1999/05 2ch開始
2000/03 [したらば開始]
2000/08 オカ板の洒落怖【追加】
2002/05 47氏、ダウンロード板でwinny公開【追加】
2002/07 湘南ゴミ拾いオフ開催(背景に日韓ワールドカップ)【追加】
2004/01 オカ板のきさらぎ駅
2008/06 秋葉原通り魔事件
2013/08 ●個人情報流出事件(+自作自演の発覚、削除人騒動)【追加】
2014/02 2ch分裂騒動(ジム・ワトキンス対ひろゆき)
2014/04 ひろゆきがミラーサイト(?)の2ch.sc開始
2017/10 ワトキンス側が商標問題から2chを5chに改名
2021/08 なんJ一時封鎖・なんG開設
2022/04 専ブラBB2C使えなくなる
こんなもんだったっけ?
1996/08 あやしいわーるど開始
1997/08 あめぞう開始
1999/05 2ch開始
(2000/03 したらば開始)
2001/08 閉鎖騒動。
2004/01 オカ板のきさらぎ駅。
2004/06 ニュー速VIP開設。
2007/12 ニュー速(嫌儲)開設。まとめサイトへの転載回避目的。
2008/06 秋葉原通り魔事件
2014/02 2ch分裂騒動(ジム・ワトキンス対ひろゆき)
2014/04 ひろゆきがミラーサイト(?)の2ch.sc開始。
2017/10 ワトキンス側が商標問題から2chを5chに改名。
2021/08 なんJ一時封鎖・なんG開設。
2022/04 専ブラBB2C使えなくなる。
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
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1651 | 男性の立場で育児を本気でやったのでマニュアル化した(新生児期) - ひまじんの日記 | takumif.hatenablog.com |
1272 | 【テンプレ付】chatgptを使ってツールの要件定義をしたら工数が40時間→4時間になった - みんなのシステム企画 | ripurun.com |
1234 | SF小説好き1480名に聞いた「絶対に読んどけ」っていうSF小説ランキング - 俺だってヒーローになりてえよ | www.orehero.net |
876 | なぜ雑談が重要か - stmn tech blog | tech.stmn.co.jp |
849 | 半年くらい子育てしてみた感想 | kinoppyd.dev |
844 | コラム53:迷惑はかけてもいい|運営委員・相談員のコラム|学習相談室|東京大学大学院法学政治学研究科・法学部 | www.j.u-tokyo.ac.jp |
755 | 家族が亡くなった直後に避けたい5つの行動 | www.ht-tax.or.jp |
693 | 『日中韓共通語彙集』pdf | tcvd-asia.com |
681 | アスパルテームの安全性 畝山智香子さんに聞く | foocom.net |
653 | あだち充『タッチ』を精読する。浅倉南はほんとうは何を考えていたのか。 | somethingorange.jp |
638 | 山下達郎氏が松尾潔との契約の解除に同意した件について│おとましぐらの音楽ブログ | mujintoudisk.com |
619 | コンピュータ基礎講座 第1回 | jp.fujitsu.com |
619 | 熱中症予防に「前腕冷却」「手のひら冷却」が効果的 アスリートも実践 | weathernews.jp |
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538 | 徐々に高度になるリングバッファの話 - Software Transactional Memo | kumagi.hatenablog.com |
527 | クビになった青い鳥のイラスト | www.irasutoya.com |
515 | なぜ、ただのアニメやゲームが人を救うのか、宗教的に説明するよ。 - Something Orange | somethingorange.jp |
495 | 文章校正支援ツール | 無限ツールズ | mugen-tools.com |
492 | 5ch.net のサポート終了と Talk 対応に関するお知らせ | 株式会社ジェーン | janesoft.net |
481 | 30~40代男女の7割が、Vtuberが配信している動画を全く見ないと回答。ほぼ毎日見ているのは14%【Vtuberに関するアンケート】 | sheepdog.co.jp |
478 | 朝日新聞社内でジャニーズ報道を仕切る「ジャニ担」の影響力|SlowNews | スローニュース | slownews.com |
477 | コンピュータ講座 応用編 第1回 | jp.fujitsu.com |
472 | きれいなコードを書けという話について - Software Transactional Memo | kumagi.hatenablog.com |
470 | ツクツクボウシの鳴き声がパートごとに異なる意味を持つことを初実証 | 研究成果 | 九州大学(KYUSHU UNIVERSITY) | www.kyushu-u.ac.jp |
457 | フリーランス・個人事業主は知っておきたい新たな選択肢「マイクロ法人」とは? | www.ht-tax.or.jp |
456 | Dockerのポートマッピングのデフォルト設定は危ない - JUNのブログ | jun-networks.hatenablog.com |
451 | 【格ゲー】『俺を獲れ』ウメハラがデータ収集のGeminiさんに厳しい対応をしていた理由が判明!「オレ自身が自分のプレイをデータ収集に近い感じでSF4から見てた」「だからこそ言いたい。メチャレベル低いすよって」 | まじっく ざ げーまー - ゲームのレビュー、攻略、情報サイト | mtg60.com |
448 | TBS金曜ドラマ『トリリオンゲーム』のハッキングシーン舞台裏 - 株式会社リチェルカセキュリティ | ricsec.co.jp |
426 | 「20 年の IT の遅れを取り戻せる手応えを感じる」 文部科学省の Slack 導入 | slack.com |
397 | ついに山下達郎の晩節が汚れたw(松尾潔のジャニーズ批判) - まいかのあーだこーだ:楽天ブログ | plaza.rakuten.co.jp |
In a discussion about the case, someone raised an objection to "someone who was not a party to the incident, who was not from Nagasaki, and who was not from Hiroshima, complaining about it. Seeing that opinion made me aware of my position, so I will say what I must say.
I was born in Nagasaki and am a third-generation A-bomb survivor.
I say this because I grew up hearing the stories of the A-bomb damage directly from those who suffered from the atomic bombings.
I feel that it is unacceptable for someone like me to speak about the A-bomb damage.
However, there are few A-bomb survivors left, so I will speak up.
In Nagasaki, children grow up hearing stories about the atomic bombing. We were made to sit in the gymnasium of an elementary school in the middle of summer, where there was not even an air conditioner or a fan, and for nearly an hour we were made to listen to stories about the atomic bombing. It was hard for me anyway.
I think it was even more painful for the elderly people who told the stories. But I don't think an elementary school kid could have imagined that. I, too, have forgotten most of the stories I was told. I can only remember one or two at most.
Another thing is that at this time of year, pictures of the victims of the atomic bombing are pasted up in the hallways.
In other parts of the country, these are grotesque images that would cause a fuss from the parents who are always nagging about them.
Recently, even the A-bomb museum has become more gentle in its exhibits, and most of the radical and horrifying exhibits that would have traumatized visitors have been removed.
I don't know how elementary schools now teach about the A-bomb damage. But when I was in elementary school, there were photos on display.
There was one photo that I just couldn't face as an elementary school student. It was a picture of Taniguchi Sumiteru(谷口稜曄). If you search for it, you can find it. It is a shocking picture, but I would still like you to see it.
I couldn't pass through the hallway where the photo was displayed, so I always took the long way around to another floor to avoid seeing the photo.
My grandfather was under the bomb and went to the burnt ruins of the bomb to look for his sister. I can understand now that he couldn't turn away or go another way.
There would have been a mountain of people still alive and moaning in the ruins of the burnt ruins. There would have been many more who would have died out in agony.
My grandfather walked for miles and miles, towing a rear wheelchair, through the narrow streets of rubble-strewn Nagasaki in search of his sister.
My grandfather was not a child then. But of course there were elementary school children who did the same thing he did. I am not speculating that there were. There were. I heard the story from him, and I still remember it.
A young brother and sister found their father's corpse in the ruins of the fire and burned it themselves. They didn't have enough wood to burn him alive, and when they saw his brain spilling out, they ran away, and that was the last time they ever saw him again.
I can never forget that story I heard when I was a kid, and even now it's painful and painful, my hands are shaking and I'm crying.
I keep wondering how that old man who ran away from his father's brain was able to expose to the public the unimaginably horrible trauma, the scar that will never heal, even after all these years.
Now I think I understand a little.
Why I can't help but talk about my grandfather and the old man now, even as I remember my own trauma.
Because this level of suffering is nothing compared to their words being forgotten.
It's nothing compared to the tremendous suffering that once existed that will be forgotten, like my hands shaking, my heart palpitating, my nose running with vertigo, and so on.
My grandfather, who went through an unimaginable hell, lived to see his grandchildren born, and met his sister's death in the ruins of the fire.
In other words, my grandfather was one of the happiest people in the ruins of the fire.
My grandfather and that old man were, after all, just people wading in the depths of hell.
I think that the suffering that even people who had experienced unimaginable pain could not imagine was lying like pebbles on the ground in Nagasaki 78 years ago, and no one paid any attention to it.
Their suffering, which I can't even imagine, is nothing compared to the countless, unimaginable suffering they witnessed, which they pretend never happened.
Memories fade inexorably with each passing human mouth. The memories that those people could never allow to be forgotten are almost forgotten.
The tremendous suffering of 78 years ago is mostly gone, never to be recounted.
Those who suffered the most from the atomic bombing died rotting in the ruins of the fire without being able to tell anyone about it.
Many of those who saw it with their own eyes kept their mouths shut and took it with them to their graves. Most of those who spoke a few words are still in their graves.
Compared to the words of the old men, my own words are so light. I would rather keep my mouth shut than speak in such light words.
But still, someone has to take over. I realize that even my words, which are so light, are only the top of the voices that are left in this world to carry on the story of the atomic bombing.
I know how it feels to think that I am the only one. Still, I hope that you will not shut your mouth. I know that I have closed my mouth because I thought I shouldn't talk about it, and that is the result.
Sometimes I almost choose to stop imagining the unimaginable suffering and live my life consuming other people's suffering for fun.
I am writing this while I still have some imagination of the suffering of the old people whose voices, faces, and even words I can no longer recall.
すまん。勝手に翻訳した。拡散はどうするかな。redditとかに投稿するのがいいのか?
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I have seen some posts asking if they should talk about "the case" even though they were not involved in it and were not born in Nagasaki or Hiroshima, and I am a bit aware of it, so I have to say what I have to say. I say this because I was born in Nagasaki, am a third generation atomic bomb survivor, and grew up hearing the stories of those who experienced the atomic bombing firsthand. I know it's a little bit too much for me, but I'm going to say this because there are very few survivors left.
In Nagasaki, children grow up hearing stories about the atomic bombing. They were stuffed into sushi for nearly an hour in the gymnasium of an elementary school in the middle of summer, with no air conditioner or fan, and told stories about the atomic bombing. That was a hard time for me. I think it must have been even harder for the old people who told the stories, but there was no way an elementary school kid could imagine such a thing, and I had forgotten most of the stories I had been told for a long time. I have forgotten most of the stories I was told. I can only remember one or two at most. There is one more hard thing. Every year around this time, a row of grotesque images that would drive the PTA crazy in other areas are prominently displayed in the hallways. These days, I hear that the atomic bomb museum has been bleached out and many of the radical and horrifying exhibits that traumatized visitors have been taken down. I don't know if they are still there, but they were there when I was in elementary school.
There was one photo that I just couldn't face when I was in elementary school. It is a picture of Sumiteru Taniguchi. If you search for it, you can find it. It is a shocking picture, but I would like you to take a look at it. I couldn't pass through the hallway where the photo was posted, so I always took the long way around to another floor of the school building to avoid seeing the photo.
Now I'm thinking that my grandfather, who headed into the burnt ruins to look for his sister, couldn't have turned away or taken a different path. There would have been a mountain of people still alive and moaning, not just pictures, and a mountain more who would have given up at the end of their suffering. He walked for miles and miles, towing his handcart through the narrow streets of rubble-strewn Nagasaki in search of his sister. My grandfather was not a child at the time, but of course there were children who did similar things. Not that there wouldn't have been. There were. I heard the story from him, and I still remember it. A young brother and sister found their father's body in the ruins of a fire and they burned it. They didn't have enough wood to burn his body, and when they saw the raw brain that spilled out, they ran away and that was the last time they ever saw him anymore.
I can never forget the story I heard when I was a kid, and even now it is painful and painful, my hands are shaking and I am crying. I keep wondering how the old man who escaped from that father's brain could have been able to unravel the most horrible trauma imaginable and expose it to the public with scars that will never heal.
Now I think I can understand a little.
The reason I can't help but talk about my grandfather and that old man, even if I have to rehash my own trauma, is that this level of suffering is nothing compared to the fact that their words will be forgotten. My hands shaking, my heart palpitating and dizzy, my nose running with tears, it's nothing compared to the tremendous suffering that was once there and will be forgotten.
My grandfather, who went through an unimaginable hell, lived to see his grandchildren born, and met his sister's death in the ruins of the fire. In other words, my grandfather was one of the happiest people in the ruins of the fire. My grandfather and that old man were, after all, just people wading in the depths of hell. I think that the suffering that even people who had experienced unimaginable pain could not imagine was lying like pebbles in Nagasaki 78 years ago, and no one paid any attention to it. Their suffering, which I can't even imagine, is nothing compared to the countless, tremendous suffering they witnessed, which they pretend never happened.
Memories fade inexorably every time people talk about them. The memories that those people could not allow to be forgotten are now largely forgotten; the tremendous suffering of 78 years ago is mostly gone, never to be recounted again. Those who suffered the most from the atomic bombing died rotting in the ruins of the fire, unable to tell anyone about it. Many of those who saw it with their own eyes kept their mouths shut and took it with them to their graves. Most of those who spoke a few words are now under the grave.
Compared to the words of the old men, my own words are so light. I would rather keep my mouth shut than speak in such light words. But still, someone has to take over. I realize that even my words, which are so light, are only the top of the voices that are left in this world to carry on the story of the atomic bombing. I know how it feels to wonder if someone like myself is allowed to speak about this. Still, I hope that you will not shut your mouth. This is the result of our silence.
Sometimes I almost choose to stop imagining the unimaginable suffering and live my life consuming other people's suffering for the fun of it. I am writing this while I still have some imagination of the suffering of the old people whose voices, faces, and even words I can no longer recall.
Translator's note: The original post in Japanese is a response to a post by a Japanese contributor who wondered if he was qualified to speak out on the subject of the A-bomb when he was not from Hiroshima and Nagasaki, but still spoke out about Barbie and the A-bomb. I translated it here because I think it deserves to be read by the world.
I must talk about various things regarding the Barbie incident.
I saw a post about it from someone who is neither directly involved nor from Nagasaki or Hiroshima, and it made me realize that there are things I must say.
I was born in Nagasaki and grew up listening to stories from the survivors, being a third-generation survivor myself. Most survivors are no longer with us, so I feel compelled to speak up.
In Nagasaki, kids grow up hearing about the atomic bomb. We were packed like sushi in a gymnasium without air conditioning or even fans during the scorching summer, and we listened to stories about the bomb. It was incredibly tough for me.
I imagine it was even harder for the elderly who spoke about their experiences. As a child, I couldn't fully comprehend their pain, and now, I can hardly remember most of the stories I heard. I can only recall one or two.
Every year during this time, gruesome images that would make PTA elsewhere go crazy were displayed in the hallways. I heard that many of the horrifying exhibits that used to traumatize visitors at the Atomic Bomb Museum have been removed, and the museum has been considerably sanitized. I'm not sure about the current situation, but that's how it was when I was there.
There was one photograph that I could never bear to look at as a child – a picture of Tadashi Taniguchi. You can find it if you search, but it's a shocking image with a viewer discretion warning. Still, I want people to see it.
I couldn't walk down the hallway where that photo was displayed, and I always took a different route, avoiding it so I wouldn't have to see it.
Now, I think of my grandpa who went to the ruins to search for my sister. He couldn't look away or take a different path. The pain must have been unimaginable.
Besides photographs, there were many living people moaning in pain back then, and there must have been even more who succumbed to suffering.
My grandpa walked for miles, pulling a handcart through the debris-laden streets of Nagasaki, searching for my sister.
Even though my grandpa was not a child, I'm sure there were elementary school kids who did similar things. I don't just think they might have been there; they were there. I heard the stories from the people themselves, and I still remember them.
I can't forget the stories I heard as a child, such as the young siblings finding their father's burnt corpse in the ruins and cremating him. They didn't have enough firewood, and their father ended up half-burnt. They ran away after seeing the brain tissue oozing out, and that became their final farewell.
I can never forget those stories I heard as a child, and even now, they still bring pain and suffering, making my hands tremble and tears flow.
I wonder how my grandpa, who ran away from that father's brain tissue, could expose his unimaginable trauma and everlasting scars to the world.
Now, I feel like I understand a little.
Even someone like me, who experienced such unimaginable trauma, has gone through pain that I can't even imagine being compared to being discarded, forgotten, and ignored. Compared to what those people experienced, my suffering means nothing.
My trembling hands and the palpitations and dizziness I experienced are nothing compared to the tremendous pain that many others went through.
Memories fade irreversibly every time they pass through people's lips. The memories that I couldn't bear to be forgotten are almost forgotten now.
The unimaginable pain that existed 78 years ago has mostly disappeared, and we can no longer pass it on.
The people who suffered the most from the atomic bomb perished in the ruins, rotting away without being able to convey it to anyone.
Even those who saw it with their own eyes mostly took the memories with them to their graves. Most of them are now under the tombstones.
Compared to the words of the elderly, my words seem so light. I think that speaking with such light words would be better than keeping silent, as silence has led to this result.
I feel like I might occasionally choose to stop imagining the unimaginable pain and consume the suffering of others in an amusing way to live on.
Before I forget the pain and suffering of those elderly people, whose faces and voices I can no longer recall, I will leave this here.