はてなキーワード: 軽率とは
インターネットも人が増え続けるからいろんなキチガイがいろんな主張を常にぶん投げるわけだけど、
皆さん知っていましたか? 人を殺すと殺人罪に問われて罰を課されてしまうんです😱こんなのおかしいですよね? 誰だって他人に煩わされず軽率に殺人をしたいのに… #法律に縛られない人生
これは例だけど、人口に比例して一定確率でこういう奴が出てくるよな。お前が感じている不快感はまさにその行動を阻害するために意図的に作られたものです、だから黙っててください、っていう。
トロッコ問題みたいに不快感と不快感の間でバランスを取らせようとすると一般人は発狂しがちで、それが発生する時ってどうすれば黙らせられるんだろうって思う。
Twitterで女オタクさんが「推しの顔が良すぎて死んじゃう」って呟いたら凍結された、みたいなまとめを読んで。
萌えの表現の為に軽率に「死ぬ」とか「殺してくれ」とか生死に関わる言葉を選択することに違和感があるのは少数なのだろうか。
もちろん比喩的表現なのは理解してる、死ぬ気も殺される気もないのも。それほどに対象にときめき、萌えて、いてもたってもいられない気持ちになって、それを表現したくなることもあるよね、わかるよわかる。そして最近のオタクで結構使われてるのも知ってる。
けど、そんなネガティブな表現じゃなくてよくないか?もっと適切な言葉はないのか?と思ってしまう。もっとポジティブで大きくなった気持ちを表現出来る言葉は沢山あると思うし、その方が萌元の物も嬉しいのではと思ってしまう。
あと、それで本当に万が一死んでしまったらどうするの…?とも思う。
自分自身が日常会話の中でそういう言葉を使わないようにしてるというのもあると思うけど、やっぱり違和感。
使っている人を叩くわけでも言葉を取り締まりたい訳でもないんだけど、同じように違和感ある人いるのだろうか?繊細オタクのお気持ち表明になってたらごめん。
→拭いきれぬ違和感
「死ぬほどかっこよかった」
(元がまとめサイト用にライトな文体で書いてたのもあるが、そうでなくとも適当に書きすぎたので雑文になってしまった。その内に推敲して書き直したい)
相変わらず紛糾してるようだが、しかしあんな無駄な脂肪の塊に何を言ってるのだろうかね……あんなもん相撲取りと変わらんと言うのに。
そういう風に誰もが思うよう、身体的な要素を大衆化し、氾濫させる事で性的な要素を減ずるのが本来的なフェミニズムの在り方ではなかったのだろうか。
別に人間、自分の意思で太ったり背が伸びる訳でもなし、身体的要素の表現自体は規制できないだろう。
聖書でアダムとイブは知恵の実を食べたが故に、体を隠すようになった……エロティシズムの本質とは隠匿や恥じらいといった禁断的表現である。
それを自ら恥じず隠さず表現するのは性的表現の反極地であると言えないだろうか?
そもそもbloomerもミニスカートも女性/自己解放運動の一種で発生した、言わばフェミニストの自主表現である。
それを自己規制しても自己解放しても文句を言うようでは本末転倒であろう。男性が描くのはアウトで女性が描くのはセーフなのか?女性が芸術作品で性的表現をしてるのには何も言わないのだろうか?
男女の有無が問題なら、作者の性別表記を義務化するのだろうか。そうなるとLGBTはどうなるのか?
……とまあ、公開も隠匿も自由じゃないと意味が無いという結論になるだろう。
そうなる故に、何を主張したいのか意味不明だ。男性だって別に全員が性的表現が好きなわけじゃない。我々にも見ない自由、書かない自由が有る。
要するに、表現だけじゃ意図も文脈も分からない以上、それを単純禁止とかしても意味が無いという訳だ。
問題とされた例の作品も、主人公というかヒロインが自分の身体に自信が無いのに強調してる服になってるとかだったら批判するのも分かる、
しかし、そうではない。自分の意思で着た服を否定するようでは、それは女性自身による女性抑圧運動でしかない。
世の女性を抑圧し支配してるのが女性自身になっちゃ本末転倒だろう。何を考えて批判してるのか考えた方が良い。
ただ単に性的表現それ自体を抑圧したいなら、それは本来的なフェミの文脈じゃない。それが目的なら性別を問わずに性的表現全体を規制するべきだ。
子供の目に触れる所に性的な表現を持ち込ませたくないなら、それは今回のポスターには関係ない。献血で性的な事を考える輩は極少数派だし、文句を言うのは献血ポスターでなくて少年誌向けで良いとゾーンニングした小学館に言うべき問題だ。
多様化する価値観の中で何を主張したいか決めずに騒いでるなら、外から杜撰な理解をされても仕方ないと思うべきだ。
こう書くと下手すれば炎上するだろうが、この騒動を悪意的な見方をすれば「アレで騒ぐような人間はフェミじゃなくて、若い子に嫉妬する性欲魔人にしか見えない」……こういう誤解を受けても仕方ないと私は思う。そして、そういう軽率な人間は文脈も見ずに「」内を批判する。
Twitterみたいな短文ツールでは意図が伝わらないのは有ると思うが、少なくとも真に女性蔑視を避けるなら、女性自身が同胞の軽率な言動を諭さなければ何も始まらないだろう。
支配に対して支配で対抗するような女性は、名誉男性である。そういう合言葉を使っていくのが、今後のフェミニストのあるべき形ではないだろうか?
まあ……既に正当な女性を抑圧するのに、その言葉は使われてるかもしれないがね。それでも、最後まで諦めず言論を尽くして理解を求めるべきだと私は思う。
タイトルで界隈を離れた、とは言っているが、これはまあ誇張表現というか、過激派クラスタが原因でとあるカップリングが苦手になり、離れたという話だ。要するに二次創作の、しかもBLの話。
できるだけぼかしや一部嘘を織り混ぜて書いているけれど、もしどの界隈か分かってしまっても大々的に声には出さないでほしい。
まず前提として、これは今流行りの男性育成ゲームのキャラクターでのカップリングの話であり、攻めをA、受けをBとする。つまりABというカップリングだ。
ゲームが始まった当初からAB左右相手完全固定派がいたかは定かではない。
というのもこのCPはこのジャンル内でもスリートップに入るレベルの大手カプであり、AもBも他との組み合わせはほぼなかったからだ。
ゲーム内でどちらも他との関わりが少なかったのもある。
他との組み合わせは正確に言うと存在するにはしたけれど、どれも支部での検索結果は一桁、よくて20件前後のみ。
A推し、B推し共に、腐っているといえば大体「ああ、AB(またはBA)クラスタね」と言われるくらいだ。
この頃は、比較的怖くはない界隈だったと思う。
前述したとおりA、Bどちらのキャラクターでも大手だったから、界隈の結束力は凄かった。もちろん今も凄い結束力ではあるけれど(※後述)
このCというキャラは、攻めであるAと過去に関わりがあった。腐女子はそういう設定が大好きだと思う、私も好きだ。
まず最初に、まあまあライトなABクラスタがACも推しはじめた。
また新規でC推しになった人たちもACやCAを推しはじめ、あっという間に中堅カプになった。
AとCの2人は公式で過去の繋がりがあると明言されており(しかも家族のような関係だったとある)、公式もその2人の組み合わせを推すようになった。
ラジオ番組での声優さんの組み合わせも、AとCの中の人だった。
それが気に食わないのが、当初からABを推していたクラスタたちだった。
ここで一旦話を切り替え、私自身の話になる。
私はA最推しであり、もともとはB推しの友人に布教されてこのゲームを始めた。
実を言うとTwitter垢を作ったのはCが実装されてからであり、その頃にはもうABクラスタとACクラスタの対立は始まっていた。
友人が過激派AB推しだったのもあり、当初は私もA推しとしてABが好きだった。
隙あらばどちらかがどちらかを構い、相手がいなくても話に出す。確かに大手カプだなという認識だった。
個人的には推しは受けにするタイプだったけれど、雰囲気にのまれてというか、ほぼ洗脳されてというか……そして、プロフにもAB推しと明言していた。
先に出たのがABだというのもあり、印象としてはABクラスタが勝手にACクラスタを敵対視し、先行ブロックや過激なツイートを繰り返していたように思う。
その辺りから実はACも好きな民としては怖くなっていたけれど、まだ耐えられるレベルだった。
けれど、さすがにそれも耐えられなくなることがあった。かなり最近のことだ。
そもそもAB左右相手完全固定と明言している人は、ほぼほぼB推しだと私は思っている。
A推しならCとの関わりや絡みを避けては通れないからだ。基本オタクは推しを受けにするという認識からでもある。
そのこととは、こういうことだ。
ついこの間、AとCがメインのイベントが決まった。
正直言ってしまうと私はAはメインではなく他のキャラクターが来ると思っていたので、最初の感想としては「運営やっちまったな」という感じだった。
ACが地雷という人はかなり多いし、そもそも「運営のペア推しが酷い」とよく言われていたからだ。
個人的には推しであるAの過去を知ることができるのはとても嬉しいし、その過去にCが関わってしまうのはしょうがないと思う。
それでもヘイトが溜まりがちな組み合わせを選んでしまった運営に、「やっちまったな」という感想を抱いた。
走るしかない、たとえ告知のリプ欄が罵詈雑言で溢れ返っていても、端からブロックして平和なリプ欄を作ってやると思っていた。
そのために、ACが地雷だと言っていた相互は全員ブロ解し、ミュートした。
A、C推しではなくても「今回の組み合わせはちょっと……」と言っていた人は片っ端からミュートした。
そして、私のTLはイベントを喜ぶ人だけになった。
今はそのイベント期間であり、TLはみんな頑張って走っていたり、特に文句もない他担がのんびりイベストの感想を呟いたりしている。
できるだけTLから出ないようにして、見たくない意見は目に入れないようにしていた。
しかし、まさに今朝「ログボでCが言っていたこと、昔AとBがメインのイベントがあったときのガチャの名前じゃない?」とふと気づき、検索をしてしまったのだ。
すると、出てくる出てくる、「ABを蔑ろにした」「結局AはABを踏み台にしただけ」などという検索除けをしない愚痴。
一番驚いたのは、上記のガチャの名前をそのまま出して、「(Cに対して)お前が○○なんて言うな。それはAとBだけのものだ」という内容だった。
こちらとしては、AとBがメインのイベントだったとしてもそれはABのイベントではないし、メインだっただけであって他のキャラクターも出てきていたのだ。
というかそもそも、このゲームはBLゲームではなく育成ゲームであり、ただそれだけで文句を言うのはどうかと思う。
さすがに堪えきれなくなり、私はそんな口調で文句を連ねるAB推しの人を片っ端からブロックした。
ABはもうミュートワードに設定して、最近は最推しのAと、BやCとはこれといって関係のないDというキャラとのADというCPを推している。
AB推しとの友人とも、このゲームの話をすることはあまりなくなって、このカップリングはほぼ地雷になった。Bというキャラクター自体、苦手になりつつある。
もともと激しい布教の結果好きだっただけであり、早いうちにABへの愛想は尽きていたのもあるとは思う。
けれど、それを "地雷" にまで変えたのは紛れもなく、ABクラスタだった。
ここまでが、私が界隈を離れた経緯だ。
これは、言いたいことはわかる。もともと推していたCPの攻めがぽっと出のキャラクターに奪われて、人気も奪われるのは辛い。
けれど、その勢いが怖かった。AとCは何もしていないし、悪くもないのだ。
ただ過去に関わりがあり、公式がその組み合わせをよく出すからといって、それを推している人たちを無条件に攻撃していいとは限らない。
しかし、完全にイベントを私物化し、それで敵対視するのは違うと思うのだ。
また、「金が稼げる組み合わせだからって、AC推しに媚びやがって」「思惑が丸見えで気持ち悪い」という意見。
確かに、AとCの組み合わせのレートは高い。
けれど確証がないならそれを公開垢で無責任に呟くのはおかしい。
もし本当に運営に対してやめてほしいと思っていて、変えたいなら(もう告知までしている時点でそんなことは不可能なのだけど)、運営にメールを送るべきだし、何かのツイートにぶら下げないで直接@リプを送るべきだ。
わざと喜んでいる人が見るリプ欄でそれをするのには、悪意しかないんだろう。
「やっぱり絵のクオリティも下がってるし、Aが可哀想」「公式絵師さんももうこの2人に愛想尽かしてるでしょw」という意見。
正直これには、B推しのお前に何がわかる?と発狂しそうになった。
前述のとおり、AB以外が地雷だと言っている人はB推しがほとんどだ。これを言っていたのもB推し。
しかし、結局のところBにはAやCと何ら関係はない。ただ、自分の推しが受けのカップリングの攻め、それだけだ。
私はクオリティが下がったとは思っていないし、推しの新規イラストがとても好きだった。
それだけに、検索除けしない意見でこれを目にして本当に悲しかった。
何度も言うが、AとCには全く非はない。ただ、過去に関わりがあっただけだ。
私が一番悲しいのは、今回のイベントのイラストを見て「可哀想」というツイートを思い出してしまうことだった。
個人的には過去のイラストを入れても一二を争うくらいに素敵なイラストだと思っていたし、この絵のグッズはたくさん集めたいと思っていた。
けれど、他の人にはそうは思ってはもらえないのかも、可哀想と思われているのかも……そう考えてしまうだけで、イラストが見れなくなった。
長々と書き連ねてしまったけれど、ここらで一旦終わりにする。
まとめとしては、
・他の人が見て悲しくなるようなツイートは鍵垢でやるか、控えるようにして欲しい。
・地雷な組み合わせだとしても、公式は運営であってどんなに文句を言っても変えられることはほぼない。むしろ、変えてしまったら私物化が横行するから。
・自分たちの軽率なツイートのせいで、他の人が界隈に来るのを制限していないか、少しだけ考えて欲しい。
・文句を言っている暇があったら推しカプを生産してお互いに見せ合えばいい。無駄な労力を、人を傷つけることに使わないで。
・もし本当に駄目なんだったら、それが好きな人もいるんだからと割り切って、距離を置くかジャンル変するべきだと思う。みんなの心の安泰のためにも。
ってところだろうか。
繰り返しになるけれど、私はこのジャンルを特定して欲しいわけでも叩いて欲しいわけでもない。
ただ、この文章がきっかけでみんなが楽しく幸せにオタ活ができるような雰囲気のジャンルが一つでも増えたなら、嬉しいというだけです。以上、お付き合いありがとうございました。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/592347/3147/
数は多くはなですが、ボランティアの方々を良くお見受けします。ありがとうございます。私も手伝いたいのですがご存知の通りとても動ける精神状態では無いのでご厚意に甘えさせてもらっています。
ボランティアの際に少しだけご注意いただけると嬉しいなという点がありますので、ボランティアの方々は現地の住民のためにご留意下さい。
力任せでスコップの大きな音を出される方が散見されます。ただでさえ清掃関連の車両の音で住民は迷惑しているため、出来るだけ静かに作業お願いします。
また力任せにすることで粉塵も舞ってしまいます。泥は下水ではないので健康上の被害などは無いのですが、見た目が良くないのでゆっくり丁寧に作業して下さい。
ボランティア募集の時点で写真撮影は禁止と明記しています。が、心ない一部の方は写真を撮っているようです。上から監視というか、良く様子を確認させていただいているのでコッソリやっているつもりでも全て見えています。
武蔵小杉は武蔵小杉市民のための場所なので、住民の方以外の撮影はご遠慮下さい。清掃後のキレイな状態を撮影頂くことは、それが本来の武蔵小杉の姿ですので構わないと考えています。
以上、ボランティアの方々にはとても感謝していますが、軽率な行動は控え、あくまでもルールとマナーを守った活動をお願い致します。
私は今、とあるジャンルで細々と二次創作活動をしている。ここでは、どの界隈でもよく見る「繋がりたいタグ」というもので相互になった(私のいるジャンルでは)有名な人の話をしようと思う。
その人(便宜上Aさんとする)は、二次創作活動をする人が少ないこの界隈で、フォロワー1000人越えという有名人である。Aさんは主に絵描きをしており、構図、デザイン性に富んだ絵を投稿している。
もちろん私もAさんの絵を見たとき、純粋に「すごいな」という感情を抱いた。今でもAさんのセンスは尊敬できるものだと思っている。
そこから繋がりたいタグで相互になり、いろいろあってAさんと気軽に話せるくらい仲良くなった。(詳しく書くと分かる人は分かるだろうからかなり端折らせてもらう。)
仲良くなったことで、Aさんの性格もよく見えてきた。Aさんは、とても幼稚だった。
特にそれを痛感した一件を紹介しようと思う。私と昔から仲良くしていた2人(Aさんは含まれていない)の3人で、自費でグッズを作ろう!という話になった。身内だったので楽しく話も進んだ。とても楽しかったのだが、その後ちょっとした事件が起きた。
完成したグッズが3人に行き届いたあと、ツイッターで「身内3人でグッズ作りました!(意訳)」とグッズの画像付きで投稿した(今思えばこれも軽率な行動だったのかもしれない)。相互フォローの人からかわいいね!すごいね!なんて言葉をかけられる中、Aさんだけは違った。
Aさんは、「私もアクキー(私たちが作ったグッズがアクキー)作りたかったんだよな どして???(意訳)」とだけツイートしていた。
このツイートがタイムラインに表示された瞬間、ただただ疑問だった。私が一緒にグッズを作った2人は、前ジャンルから仲が良い友人で、Aさんもその事を知っているはずだった。なのにどうしてこんな嫌味みたいなこと言われないとなのかな、とその時は思った。
と、まあ、そんなことがありつつも普通にAさんとの交流を続けていたある日、とある相互フォローの人(Bさんとする)からDMがあった。
「ねえ、Aさんっているじゃん?実は私Aさんと裏垢繋がってるんだけど、これってあなたじゃない?」
と。
一緒に送られてきたスクリーンショットを見て、絶句した。Aさんの裏垢だと思われるアカウントには、私たち、いや、私への愚痴ととれるツイートがたくさんあった。主に、「どうして絵が下手なのに有名所と仲がいいのか(友人2人は結構有名だった)」「なぜ私じゃなくてあいつなのか」というニュアンスのツイートだった。ひたすらショックで、果てしない憤りを感じた。
まずはBさんに対して、どうして勝手に人の裏垢を他人に晒せるのか。どうしてこんなことを報告されないといけないのか。
そして、Aさんに対して、今まで仲良くしてくれていたのは何だったのか。いつから私のことをそんなふうに思っていたのか。
その後、Bさんには「人の裏垢を他人に晒すのは良くないよ」とだけメッセージを送り、こっそりブロ解した。別に未練はなかった。
でも、Aさんとの繋がりを切る事はなかった。今となってはすぐブロ解でもなんでもすれば良かったと思うが、ひどいことを言われているのだとしても、尊敬する人との関係を断ち切ることは当時の私には出来なかった。
その件から少し経ったある日、私は一緒にグッズを作った友人の1人に、この事について相談することにした。すると、その友人から意外な言葉が返ってきた。
「あー、Aさんね。実は、グッズ作ったよ~ってツイートしたあとすぐDM来たよ、『なんで誘ってくれないの!』って」
「そんで、『いや、今回は身内とやりたくて』って返したら、『アクキー作るなら絵上手い方良くない??』『私の方がいいじゃん!』『(私)がいたから誘ってくれなかったの?』って…」
友人は、気分悪くした?ごめん大丈夫?と声をかけてくれた。自分から聞いたことだったので咎めようとはしなかった。
心底戦慄した。
Aさんの幼稚さに、ただただ恐怖を感じた。
あの一件から結構経つ。今でも同じ界隈で二次創作をしているし、友人とは仲良くやっている。Aさんのことは最近ブロ解した。何回でも言うが、さっさとブロ解しておけば良かったと思う。
このブログで何を伝えたかったか、自分でも正直にわからない。どうしてこんな長文を書こうかと思ったのかと言えば、最近話題の「絵師さんが~」のブログを読んだからだ。あの文章を書いた本人を糾弾するつもりはさらさらないのだが、私は彼女のことを幼稚だと思った。自分の書いた文章から全て読み取ってもらいたい、という身勝手さ。他の人への激しい嫉妬心。文章を評価してもらいたい、という承認欲求の高さ。これらの特徴が、どうしてもAさんと一致してしまった。
こんな風に被害者面して文章を書いている私も、きっと彼女やAさんと同じような幼稚さを持っていると思う。二次創作なんて狭い世界にいれば、この幼稚さは一生付きまとうであろう。だからこそ、自戒として文章に残そうと筆をとったまでである。
ウイグルのノートとか、虐待死のアレとかについての意見を読み漁っていて
同情や共感というワンクッションを挟まずに、誰が悪いせいでそうなったか話し始めるから○性は怖いと思った
とはいえ、同情や共感が具体的な解決策になることは殆どなくて、「解決」という一点にのみおいてはクソの役にも立たないので
つべこべ言わずに再発防止策について話し始めるのはとても大事なことで
可哀想だねー、大変だねー、辛かったねよしよし、の一連の動作からのタピオカ一服で悲しい事は全忘れ、とかは全く解決には繋がらない
しかし、実際に被害者の立場に立つと、まず求めるのは「誰が真犯人か」という議論よりも「手を取り共感してくれる相手」だろう
犯人がわかったところで、取り返しのつかないことが戻る事はないが、先の人生自分の味方が少なからずいるという事実は大きな助けになる
結局どちらも重要なことで、どちらがより大事かなどという議論こそ、パンティーの役にも立たないのであるし、
それを取り沙汰して異性叩きに使うことになんの生産性もない(と思ったので伏せ字にしてみた)
男性に「共感」が薄く、女性に「解決」が薄い傾向を、どちらが冷酷でどちらが劣っているというような話に繋げてしまうのは軽率で残念な行為だ。
そんなことよりも、どちらかしか持っていなくとも、我々はそれを補いあえるという素晴らしい事実に注目できると良い。
そうして考えてみると、男性が解決し、女性がケアをするという補い合いの構図はよくみられるものだと気づく。男性医師が病を治し、看護婦が看病する。警察の取り調べでは、男性は事実を聞き出す事、女性は相手の心情に寄り添う事、に長けていると考えられている。「女性弁護士が丁寧にお聞きします」のような広告も根底にこの考えを持つだろう。
女性の社会進出によって、解決脳で作られた世界に「共感」という慰めが増えている。被害者にはカウンセリングと自助会を、という動きはこれだ。一方で男性は今まで通りに頼もしく物事を解決に導いてくれている。
このようなジェンダーロールの再評価こそ、フェミニスト、アンチフェミニスト、ミソジニスト、ミサンドリストに必要な慰めであるのだと思う。
のだが
「共感脳男性」「解決脳女性」も世の中には沢山いるし、ステレオタイプな解決型男性や共感型女性にとってもジェンダーロールの押し付けが負担になる。
傾向としては確かに、どちらがどちらに長けているかという事実はある。それを認め合えればマジョリティにとっては幸せなことだ。
だが、現代では「男性はこれが得意でいいよね」「女性はそれが上手で素敵だね」という認め合いが、「男性なら得意でしょ」「女性のくせにそんなこともできないのか」という殴り合いになる。
難しい。
ジェンダーロールは我々の祖先が長い歴史のうちに身につけた生存戦略である。巣作り、狩り、出産、子育て、という一連の生存を分担しあって生きてきた。ジェンダーロールはこうすれば大体上手くいくという生活の知恵だった。
しかし、「大体」上手くいって「大体」のひとが幸せになれればいい社会は終わってしまった。マイノリティの幸せのために、ジェンダーロールはじきに差別として捨て去られるだろう。その良否はともかく、時代の流れとしてはそうなっている。
これからは男性女性ではなく、個人として補い合わなくてはいけない。
難しい。
でもその内適応できるだろう。今はその過渡期に差し掛かっているのだ。旧来のものを捨て、新しいあり方を模索しなくてはいけない。変化は苦しい。けれど「その場所にとどまるためには、 絶えず全力で走り続けなければならない」
人間も社会のあり方も変わるが、それは必要な変化であり必要な痛みであるように思う。ジェンダーロールを捨てることが人類にとって吉と出るか凶と出るか、今の我々にはわからない(少なくとも少子高齢化という凶は出したが)。ただもう変化は始まってしまっているのだ。
以下の拙文は、【世界初?!】男性バーチャルYouTuber ばあちゃるのチャンネルにて8月30日に配信された内容に対する失望である。
感情的であり冷静でないこの行いは彼らの言うところのモンスターペアレンツ的行為に該当するかもしれないが、自分の濁った感情を整理するために匿名の場を借りてまとまった言葉をしたためたいと思う。
ツイッターを主とした各種どっとライブコミュニティに決して小さくない波乱を呼んだにも関わらず、ばあちゃるやどっとライブ公式アカウントからの言及は未だ何もない。
それはつまり、配信内で語られた内容は過不足ない公式としての意向であると捉えた上で話を進める。
今回の一件において、ばあちゃる(ひいてはどっとライブ運営)が犯した過ちと言うべき問題はいくつかの点に分けられると個人的に考えており、混同することは望ましくないとも思っている。
それらを指摘する前に、まずばあちゃるが語った主張全体を否定するわけではないということはあらかじめ断っておきたい。
自分の好きな人や物のためと称し、自身の身勝手で粗野な要求を公共なSNSで強制することは、同じラベルを持ちまっとうに活動する善良な他のファンの品位までも下げる愚行に他ならない。
抑えきれない批判・非難はしかるべき場所で、という当然の注意について認めた上で、ばあちゃるの配信における問題点を以下に示す。
① 個々の事例が本質的に異なる不満によって引き起こされたものだと理解していない
8月24日に行われた電脳少女シロ生誕祭では、出演者の一人にそれまで電脳少女シロと関わりの薄かった本間ひまわりが起用されたことにより一部ファンの間で小競り合いが起こった。
一方で、10月13日に開催されるよみうりランドのホールイベント第3部に追加出演者が決まったことが8月30日19時に発表された。
いずれの出演者も関わりが薄く、どっとライブウィークと称するに反して更にどっとライブ色を薄めるキャスティングだった。
しかしそれよりも、過去に自らの放送内でアイドル部の名前を出し、そのファンたちを明確に嘲った経歴を持つ神楽めあが含まれていたことに争点の多くは集約された。
これらの事例において「決して安くない金銭のやりとりが発生するにも関わらず、重要な情報が後出しされた」ことは不満の共通する要素として捉えられるが、
それ以外の本質的な部分、つまり本間ひまわりと神楽めあに対しファンの一部から難色が示された理由は異なるものであると私は主張したい。
(下記はあくまで私自身が抱いた感情と、それが引き起こしかねない行動の予測である)
前者、電脳少女シロの生誕祭はその名の通り電脳少女シロのためのイベントであり、彼女が主役の構成となっている。
ゆえに出演者は彼女のソロか、あるいは彼女に親しい者が起用されるものと当然のように考えていた。
無論それは勝手な思い込みであり保証などどこにもないことは事実だが、想像と現実とのギャップによる当惑が過激化したことで拒絶に繋がったと予想している。
だが後者、神楽めあに関しては明確にアイドル部のファンを攻撃したという事実が存在する。
わざわざ金銭を支払ってまで、自身を攻撃した者が登壇しているステージを見たくないという気持ちが発生することは当然だと思っている。
かような状況に陥ったファンが取るべき手段はそのステージの視聴を諦めるという自衛の一択に尽きるが、その忌避反応が外敵に向けられてしまうことは想像に難くない。
このように、拒絶に繋がるまでのプロセスが個々により異なるにも関わらず、問題がさも同一であるかのように決めつけるばあちゃるに私は違和感を覚えた。
様々なファンが様々な思いを持つ中で、諭す言葉を安直に選んだことは失敗であった。
② 運営側のばあちゃるが明確な蔑称でもってファンの一部を非難した
今回ばあちゃるが発した「モンペ(モンスターペアレンツ)」という言葉は、既に一部ファンの間で使われている「P面」「ピーマン」「ファンチ」などの単語で代替できる。
これらの言葉が強い効力を持たずあくまでファン間の注意の一環として留まっていたのは、それらの言葉の扱いがどっとライブ運営にとってどのようなものであるかということが明確に示されず、
ファンの暗黙の了解の中で悪影響を及ぼす存在であるとしか認知されていなかったからではないかと考えている。
その反面、「モンペ」という言葉は今回の配信の中で明らかにばあちゃるが非難の意味で使い、つまりどっとライブにおける排他すべき存在であることが示された。
「モンペ」が指すファンの範囲はかなり限定的であるということは、配信全体を聞いた人であれば察せられるものと思う。
しかし、言葉を使う人々すべてが配信を視聴し正しい認識を持つ保証などない上に、言葉の意味というものは人から人へ伝え聞くにつれ変容してしまう脆さがある。
今や「モンペ」という言葉はどっとライブが認めた仇なす存在であるという意味で一人歩きし、互いに互いをモンペ認定し合う地獄になっている。
コミュニティの崩壊にも至りかねないレッテルを軽率に発言したことはあまりに考え足らずと言う他ない。
個人的に、今回の件を通じて運営への失望に繋がった最も大きな原因となる点である。
②に挙げたレッテル貼りもそうだが、その他にもばあちゃるの配信では配慮のない言い回しや態度が多く見受けられた。
そもそも、前半に自らがプロデューサーとして受け持つ担当に関わる告知をしたにも関わらず、後半にファンの一部を非難するような構成の配信にしたことがおかしい。
案の定前半に告知されたイベントのインパクトはかき消され、配信直後はどこを見てもモンペの話題で持ちきりになった。
また、その後に続く担当のリレー配信や同じどっとライブ所属メンバーの登録者数にも悪影響を及ぼした。
これらの悪影響が便乗の悪意によって引き起こされた可能性はもちろん十分にあるが、きっかけがばあちゃるの配信であることは誰の目から見ても明らかだ。
このように起こってしまったことに対して、今回の配信内に限らず彼はこれまでに繰り返し自分が責任を取ると発言していたが、具体的にどのような行為でもって責任を果たすのか。
それが示されたことは私の知る限り一度もなく、これがプロデューサー業を受け持った者のすることかと落胆させられた。
また、1200程度しか低評価が付かなかったという言及も耳を疑うものだった。
配信を通じ少なからずセンシティブになっているファンがいる状況の中で、自らの注意が波風を立てることだと理解しておきながら、火に油を注ぐような発言を行う意図は一体なんなのか。
ファンを落ち着けたかったのか、あるいは煽動したかったのかすら、未だ定かではない。
総じて、今回のばあちゃるの配信では自らの役職を度外視し、私的な感情を先行させる行為が目についた。
立場を省みず、他メンバーに迷惑をかけることも厭わずに勝手な発言をしたいならば、今すぐ重要な役目を降りた方が良い。
少なくとも私から見れば、今のばあちゃるはプロデューサー失格であるように思われる。
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ばあちゃるは配信の中で、あなた方は大人なのだから理性的な振る舞いをするように、といった趣旨の発言をしていた。
しかし男性Vtuberと称しピーマンを出す一部ファンへの暗黙な煽り、また2018年秋に一部メンバーのアーカイブを取り下げ、配信が不自然に空いた期間の釈明にすらなっていない言い訳、そして今回の件と、どっとライブの運営はファンに対し不遜なまま全く成長していない。
例えば、
「かしこまりました。当店ではオレンジはジュースとシャーベットの2種類をご用意しておりまして、どちらになさいますか?」と言ってみる。
多少回りくどくてもこれなら無用な攻撃は避けられたかもしれない。
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この段階ではお客さんはオレンジジュース以外にオレンジのメニューがあることに気づいてなくてキレたのだろう。軽率なお客さんではある。
「いえ、あの、うちの店にはオレンジアイスもオレンジシャーベットも有りまして……確認のためですので…。」
「客に対する聞き方じゃねーだろ!」とか言い出して。もう意味分かんないです。
増田の「宜しかったですか」「いえ」とかの微妙な言葉遣いに対して余計にキレたか、あるいは振り上げたこぶしを下ろす口実にしたのかもしれない。