はてなキーワード: 詩人とは
あなたは何もわかってない。
http://anond.hatelabo.jp/20130720072435
先日読んだある山月記の評論では、「李徴が虎になったのは虫がよすぎる。人間であった時の所業を反省するなら、それこそ虫けらにでもなるべきだった」とか、「もし袁參ではなく妻子と出会っていても妻子のことより詩業のことを先に気にかけるだろうか」とか、「どうして虎としての最初の体験が兎を食うのでなく人間を食っていた方が衝撃度が大きくて面白いのに」とか無責任に書き放ってあった。
読んでいて面白い発想であるとは思ったが、かなりこいつは歪んでいる、こいつこそハイエナが何かになってしまえなどど思った。
これらの設定は、元にした『人虎伝』を踏襲しているので仕方がないことなのだ。
『人虎伝』にはなくて『山月記』に書き加えられているものである。
一つ目は、依頼の順番が詩の伝録の次に妻子のことという順に入れ換えられていること、二つ目は、李徴が詩人になろうとしていること、三つ目は、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の登場、四つ目は運命論である。
これら書き加えられた部分は、中島敦が『山月記』で書きたかったテーマと密接である。
そして、これらが「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」「李徴が虎になった理由」を考える糸口になる。
まず、「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」について考えよう。
妻子の事より自分の詩業を気にかけるような愛情不足や人間性の欠如という考え方がある。
本当に人の深い所から揺り動かすような作品は、作者が全てを犠牲にし命を削ってこそ始めて生まれるものである。
李徴の場合、なまじ妻子のことを気づかっているからこそ第一流の作品にならないのだと私は思う。
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」とか言っているが、結局は心理と態度の不一致、何やかんやと理由をつけて、詩業に専念しようとしない怠惰が「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」であると私は思う。
自尊心なら自尊心、羞恥心なら羞恥心を描ききれば、それはそれで第一流の作品になったのではないだろうか。
次に、「李徴が虎になった理由」について考えよう。
李徴は最後に妻子への愛情不足だと言っているが、妻子の為に詩業を諦めて再び役人になろうとしているのだから充分に愛情一本のチオビタお父さん振りを発揮している。
その前に、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と意味ありげな言葉を弄しているが、授業でも考えたようにこれを自分の詩業に当てはめて語っている部分は理路整然としているようで全く矛盾に満ちていた。
それに、「自尊心」と「羞恥心」、「心理」と「態度」など矛盾するものが同時に存在することこそ、人間が人間である証拠なのである。
それは、先週の『探偵ナイト・スクープ』の越前屋俵太の調査でも明らかである。
その矛盾が飼い太った結果虎になるというのは可笑しい。
李徴は色々考えようとするがどれ一つとして理由になっていない。
とすれば、残ったものは「理由もなく押しつけられ、理由もなく生きている生き物のさだめ」、つまり「運命」としか説明がつかない。
人間は主体的にありたい自分の意志に生きたいと思う気持ちが非常に強いので、「運命」などというものを認めようとせず、あれこれ屁理屈を考え出すのである。
項王のように全て天命のせいにし天命に逆らわずに生きる生き方をする以外、この内部矛盾から解放されることはないのである。
多くの人が気にしていた問題は、その後の李徴は人間に戻れたかという点であった。
この答えは、虎になった理由の延長線上にある。
最後に李徴が袁參に虎になった己の醜悪な姿を見せることによって、李徴は内部矛盾から解放されたありのままの自分になることができた。
もとの「臆病な自尊心」などが復活した時にこそ再び「人間」に身を落とすのである。
賢明な人はもう気がついただろう。
「虎」になることが不幸で「人間」になるのが幸福と考えるのは、思い上がったいかにも「人間」らしい発想なのだ。
「人間」とは矛盾に満ちた不条理な生き物であり、「虎」こそが純粋なありのままの自分でいられる生き物なのである。
また、最後の部分が「再びその姿を見なかった」であって「その姿を見せなかった」ではないことを指摘している人がいたが実にスルドイ。
「見せなかった」の主語は「李徴」であるが、「見なかった」の主語は袁參であり読者である。
そして、『人虎伝』にあったその後の様子を中島敦が書かなかったのも、中島敦にとって問題が解決していたからだろう。
女学校の教師を続けるか作家になるか、文学を取るのか妻子の生活を取るのか、自分の中にある「二つの私」をどう処理するのか、これら中島敦自身の問題が、一応解決した、あるいは再び深い絶望の淵に陥ったのか、いずれにせよもはやこれ以上書くことは必要なかったのだろう。
偉大なる先増田様
そろそろ時代的に地下鉄サリン事件を知らない世代が表に出てきてもおかしくない頃合だと思う。というか、かく言う自分がその辺りの人間である。
事件のあったときに生まれてなかったという訳ではないけれどあまりテレビとか見てなかったしそもそも住んでいた場所が事件のあった霞ヶ関辺りとは遠く遠く程遠い場所だったのであまり実感も何もなかったってのもあるしあまり詳しくは知らない。でもじゃあ今になって事件を詳しく調べてみようなんて気分には正直全くならない。寧ろ出来るだけ触れるべきではない話題なんだろうなあと何となく怖がっている節がある。世間的な大事件といえば酒鬼薔薇の件や宮崎の件、バスジャック云々ってのもあったしあと最近なんかだと加藤の件とかも、とにかくセンセーショナルな物といえば他にも色々とあったはずなんだけど、それでも口に出すのも憚られるってレベルじゃあない。一体どこら辺が差を生んでいるんだろうなあと思った結果「被害者が進行形で後遺症に悩まされている」とか「関係者がつい最近まで逃亡生活をしていたり何らなの形で事件がまだ続いている」みたいな印象があったりするせいなのかなー、とか。何かと聞くのも調べるのも気が乗らないし不謹慎みたいな感覚があるんだよなあ。ポア鳥とかネタ的な感じで使われてる奴とか見ても結構笑いづらくて勝手に困っちゃったりしてる。とはいえこちらが調べるつもりじゃなくてもある程度耳に入ってきちゃったりする話なんかを聞いていると事件当時ないし事件が起きるまでの間にどういう風な感じでオウムが扱われてきたのかとか色々と聞こえてくるしやっぱり興味がないわけではない。怖いけど。
事件が起きるまでは「ちょっと変な宗教とその教祖」程度の扱いで結構普通にメディア露出していたとか、反面映像作品に教祖の写真をサブリミナルでぶち込んで視聴者に刷り込もうとしたとか、選挙活動していたとか(歌、有名らしいけど)、今思うと結構引く様な風景だけど当時としては割と日常風景だったんだなあ……何か怖い。いや寧ろそれ位まで浸透してきた辺りで事件が起きてしまったからこそのセンセーショナルなんだろうか。どうなんですかね。
日本人の宗教嫌いはオウムのせい、なんて話も聞くけどそれはちょっと言いすぎだと思う。多分もっと昔から結構ひねくれてる人種だからオウムだけのせいとはいえないと思うけど、まあ宗教自体に対する偏見とかあからさまな忌避みたいなのはオウムが決定的にしちゃった部分はあるのかもしれない。まあやっぱ当時の事知らんからなんとも言えんけども。実際海外に行って無宗教なんて言うと酷く胡散臭がられるらしいなんて聞いたけど、その場でちゃんと「日本では新興宗教が化学兵器テロを起こした事があってそのせいで宗教に対する偏見が強くなったんだよぅ」とか理由付けをしっかり述べてあげれば先方も納得するとは思うけどね、っつーか寧ろショックで口半開きになるよきっと。何せそんな事件なんて世界広しっつってもこの国だけでしょうし。自爆テロなら今でもチョイチョイ見かけるには見かけますが、「新興宗教が」「化学兵器を自作して」「地下鉄にばら撒いて人を殺す」んですよ。色々な意味でツッコミ所が多すぎる内容ですよ。
……オウム。結局は得体が知れないから怖いって事なのかなあ。新興宗教ぶち上げて人殺して、結局何がしたかったんだろうか全く分からない。分かるわけはないですし実際に首謀者たるヒゲ教祖(昔から生理的に苦手な風貌ではあった)も今では鉄格子の向こうで気が触れてらっしゃると聞くし、真相は闇の中って奴なんだろうなあ。何かやだなあ。怖い。
常々思うんだけど、喫煙もそうだけど、詩も禁止するべきだよね。
詩は煙草みたいにそのものが直接害になるわけじゃないけど、名を遺せない人間が他人に迷惑をかけるということは多々ある。場合によっては深夜の発狂で急性獣化なんかで虎になることもある。喫煙ばかりが取りざたされるが、詩も厳しくとりしまって禁止にするべき。あんなもの嗜好品であって、なくても死ぬわけじゃないからね。長安風流人士の机の上なんかで隔離されてるって言っても、臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいで虎になったらその後山野や藪の中なんかに出てきて他人に迷惑をかける。迷惑をかけられる方はたまったもんじゃない。で、当の本人は「記憶がない」とか言って虎のせいにして責任逃れをしようとしたりする。人喰い虎で死亡事故なんて枚挙にいとまがないし、なんで詩そのものを禁止にしないのか不思議。虎は一時的に基地外を製造する魔法であり、詩人なんて虎化予備軍ばっかりじゃんね。
青空文庫もひどく腐敗しているとは知らなかった
青空文庫は本当に腐敗してるって言えるかなあ。
正直、リンク先やそのまたリンク先を見る限りでは、むしろ指摘している人たちが、重箱の隅を突いて青空文庫の粗探しをしている人にしか見えない。
「ケヶ」問題があるなら、それを修正した文書を自分で公開すればいいじゃん。
青空文庫に税金による補助金が使われてるとか、そういう事情があれば別だけど、そんなこともなく、あくまでボランティアでしょ?
http://pgproofreader.blog131.fc2.com/blog-entry-23.html
しかし作家や詩人たちは、一字一字の大きさからインキの染み、ページ全体の見えに至るまで細心の注意を払っている。それを考えたとき、わたしはとても「ケ」を「ヶ」に換えて平然とはしていられない。
これに至ってはもはやテキスト化の否定ですらある。
この人の要望を満たすには、原本を一ページごと画像としてスキャンし、保存しないといけなくなる。
まったく現実的じゃない。
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
うん、まぁ言いたいことは分かる。
ただねぇ、その魚研究の教授さんを擁護したいあまりファビョって工学、農学、医学、薬学あたりにまで矛先が向いちゃってるのよ。
具体的には
「文明というものは人間の純粋な好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物でしかない。」
「真理を追究していたら、偶然にも文明がいっしょにぽろっと現れて、それの恩恵を人が受けている、それだけである。」
「はっきり言って人の役に立つなんて事は、真理を明らかにするという事に比べたらあまりにも矮小」
この辺ね。
ここまであからさまな実学ディスも珍しいからどこの理学部出かと思ったんだけど、ド文系の詩人さんだっていうからビックリよ。
基礎科学の例として化学が挙げられてるけど、あれは"金儲け"を念頭に置いた錬金術を始祖とする学問だからね。
どうもステレオタイプなイメージだけで語られてる気がするなぁ。果たしてどこまで理系の研究事情に精通してるのやら。
"人の役には立たないが、張本人らが楽しいからやってるんだ"という共通項を持った基礎科学研究者に詩人であるご自身を投影して自己擁護しているようにしか見えないのですよ(ただし、一口に"役に立たない"とは言っても前者は長期的に見れば人類に多大な恩恵をもたらす可能性もありますわな、ご指摘通り)。
まぁそれはそれで結構ですが、その過程で自分らとは相容れない人々、つまりは実学をやっている人間をも蔑むのはどう考えても勇み足。
まともに実学やってる人間は基礎科学(研究者のうちのほんの一部が残した偉大な業績)から多大な恩恵を授かっていることを日々痛感していますから、わざわざ基礎科学マンセーの実学sageされたところでねぇ。
んで引用した文言にツッコミ入れていくと、まず一個目ね。「文明は糞でしかない」と。言いますなぁ。あなたがその文章を綴るにあたってカチャカチャやったキーボードとそれに繋がってるパソコンね、そいつらを開発するのに一体どれだけの人間が汗水流したのかと。そもそもだよ、文明が芽生えるにあたって必ずしも"知的好奇心による真理の発見→実生活への応用"というプロセスが成り立っているわけではないんだけど。例えば熱力学ね。どこぞの文系さんがよ~く飛びつく"エントロピー"っつー概念、これは熱機関(エンジンみたいなもの)の研究から生まれたものなんですわ(カルノーサイクルでggってね)。機関車やらなにやらを動かすための動力、つまり実学無しでは基礎科学の一端を担う熱力学は発展しなかったわけ。
んで二つ目、「偶然にもぽろっと」… 力学の基本法則を押さえたからといってテキトーに金属片ガチャガチャやってるだけでロボットが作れるかっての。
そして最後の「矮小」 これねぇ、本気で人の役に立とうと頑張ってる人間に対してフェイストゥーフェイスで同じこと言えるの?
あなたが何をしたいと思おうか、何に力点を置こうが、自分は一向に気に留めませんが、その趣向を一般化しちゃいけんわなぁ。
ヒスを起こして無害な、というよりも有益極まりない人間に対してまで攻撃性を見せてしまう人間の方がよっぽど「暴力」的だと思う。
最初に言っておこう。
失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。
愛し合った分、憎み合うように。
すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。
父を亡くしたのは、14歳の時だ。
2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。
告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、
一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。
(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)
すぐに目に見えて容態は悪くなった。
皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。
だけど、そんなことは何も珍しいことではない。
どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。
何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。
甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。
今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。
もうすぐ死にゆく人の、その匂い。
そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。
たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、
意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、
そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。
「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。
廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。
癌病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。
不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。
癌病棟でもまた然りだ。
それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。
どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。
こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。
静かに、いつの間にか彼は死んでいた。
母親と弟が仮眠を取っている間に。
わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。
最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。
何のために、あの8か月は必要だったのか。
何でもないと、今ならば思う。
すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。
少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。
見たくないものを認めるために。
後悔をしないために。
誰のせいにも、しないために。
すべての物から得ることはある。
そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。
だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。
私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。
馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。
事故で良かったと。
それなら誰も憎まないですむ。
大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、
検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。
仕方のないことだ。警察は葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。
(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)
2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、
誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。
誰かのせいにすること、
誰かに責任を見つけること、
憎しみを将来に繰り延べることは、
死をポケットに入れて。
棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。
20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。
途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、
火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。
どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。
どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。
私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。
今でも、ふと思う。
自分の中の死を。
自分の周りの死者を。
どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。
昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。
何かを失ったと思っている人へ。
失った分、同じ大きさの何かを得ている。
何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。
あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。
まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。
大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。
だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、
わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。
死は、私の中にもセットされている。
その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。
どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。
釣合いなんて、とれていなくていいから、
たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。
5人働いてる。
1人病気で働けない人がいる。
1人ニート(働きたくなくて働かない)がいる。
2人は働く年齢になってない子ども。
1人はまだ生まれてない10年後とかに生まれる人。
将来の世代に負担増やすなら、それより何もしてないニートを働かそうとする方向になるのは人情的に(というか社会システム的に)自然だと思う。
でもニートも社会的弱者として無理に働かせないで保護していく、という考え方もあるので、どっちを選択するか、ということだと。
なぜかというとニートは、無理に働かせようとすると病気になったり自殺したりするから。
の2つがある。
あと働いてる人も単純に働きたくて働いてる5人というのじゃなくてもう少し分けると
働きたくて働いてる人2人
働きたくないけどしょうがなく働いてる人3人
それぞれニートは働けと思う言い分がある
前者の人は「働かないなんてもったいない。人生損してる」というアッパーな感覚
後者の人は「安月給でこんな毎日大変な仕事してるのに、おまえらも働けよ」という嫉妬
働きたくないけどしょうがなく働いてる人3人のうちの1人も
本当は働きたくなかったのでニートになると思う
働きたくないけどしょうがなく働いてる人として残った2人の負担は増える
働いてる人の自殺が増えたら、総幸福量で見たらどっちもどっちじゃないか
pha氏のように趣味や才能がある人なら良いけど
それを二十歳から人生60年間続けるというのもある意味仏教的な修行のような人生になってしまいそう。
同じニートでもpha氏のような詩人のようなタイプの人だとそんなスキルは要らないとは思うけど
社会的なスキルを少しずつでも蓄えておくと、あとあとだんだんと楽に仕事できるようになる、というのはあるので
いろいろ考えさせられたけど、
働けないニートを保護するのはいい、というかそうするしかないし、そうなってる(親が養ったり)
でもニートでも働ける人はできるだけ働いた方がいいと思う。
(pha氏はそのままでいいと思うが)
でも同時に人間なかなか死ねない、というのもある。平均寿命で考えれば30歳で死にたくなっても残り50年ある
もし途中でニートやめて働くことになったら、結局働くならふつうに働いてればよかったと思わないだろうか。
けっきょく50年ニートするか、途中で仕事戻っても自分のスキルがゼロ過ぎて若い時より辛かったり、人生いやになって自殺したりするんじゃない
ポルトガル出身の彼は、1888年に生まれて、1935年に死んだ。
欧米圏では比較的研究が進んでいる人物なんだけど(wikipediaの日本語版と英語版を比較してみれば歴然としている。facebookで調べてみても、欧米系の人々からの評価が高い)、日本人にとってはあまり親しみのある人物とは言えない。
しかし、日本において人口に膾炙していようがいまいが、彼の詩人としてのセンスには類まれなものがある
今回はその一部を紹介したい
人々の、やりたかったけれど、やらなかったこと
心の中に仕舞いこんで、誰にもいわなかったこと
それらすべてのために
あの切ない気持ちがつくられたのだ
人生を過ごし、それを振り返ってみた上で、目に飛び込んできたその道のりを、極めて繊細な感受性によってえがきだした文章である
このような言葉をこそ、本当の意味での名言と呼ぶべきなのだと、私は思う
また、twitterにおいて彼の発言をまとめたbotが存在しているようなので、紹介する
https://twitter.com/#!/fpessoa_b
――もうずいぶん前から、私は私ではない
生きるのが下手な拒食メンヘル女って、普通にある精神疾患でめずらしくないです。あなたに必要なのは、心配してくれる友達でも男の絶望でもなく、拒食患者の診断経験が豊富な精神科医です。
盲腸を自分で治そうとして治せる人が少ないのと同じで、自分でなんとかしようと頑張れば頑張るほど、大抵の人は失敗して他人に迷惑をかけて苦痛が長引くだけの結果になります。普通にプロの人のカウンセリングを受けた方が楽ですよ。
拒食で思い出したんですけれど、以前よく読んでいた詩人で、伊藤比呂美さんという方がいらっしゃいまして、彼女も思春期にすごい拒食生活をやっていた方で、そのことを詩やエッセイの中で書いておりました。
「あかるく拒食ゲンキに過食」とかエッセイは普通に読みやすいですが、「青梅」とか「テリトリー論」といった詩集は、どれもシャレにならない人生の断片を含んでて、読んでてとても怖かった。
ユーストに行くと比呂美さんの映像いっぱいころがってますね。たとえばココとか。
http://www.ustream.tv/user/bungakutai
彼女の場合、たぐいまれな表現能力があったおかげで自分でなんとかできたタイプの人ですが、あれは普通の拒食の人には真似できません。詩でも絵でも歌でも編み物でもなんでも、自分を表現する方法を獲得すると、拒食という表現は自然と消えてなくなりますが、それまでの間は、プロのアドバイスを受けた方が楽ですし早く楽になれます。
まあ、生きる実感の楽しみ方は人それぞれなので、いまのあなたの生き方はあえて否定はしません。好きなように生き、好きなように死になさい。ただし他人には絶対に迷惑をかけないように。
在日韓国人人権講座:「外国人に参政権を」 コラム連載・李さんら--富山 /福井
在日韓国人の人権について考える講座「どうなっている? 参政権・国籍条項」が23日、富山市内で開かれた。
連続講座「韓国併合100年@とやま」(「コリア・プロジェクト@とやま」主催)の第2期企画の初回で、韓国民団富山県本部長の宋勇(ソンヨン)さんと、福井市の詩人、李龍海(イヨンヘ)さんが現状と課題を語った。
日本では永住外国人に参政権を認めず、95年に参政権の付与を許容した最高裁判決後も立法化は進んでいない。宋さんは「地方参政権は住民としての権利。日本国籍取得は祖先につばするようなことで到底できない。真の国際化のためにも日本はこの問題を避けて通るべきではない」と主張した。
李さんは毎日新聞福井面でコラム「在日からの声」を連載。主に自治体の職員採用、任用における国籍条項問題に取り組んでいる。日本国籍を受験資格とする「国籍条項」は、法律ではなく53年の内閣法制局見解を根拠としていることを示し、現在は全自治体の3分の1が一般職のみ撤廃していると説明した。県内自治体では県とあわら市が撤廃しておらず、「職業選択の自由の観点からも撤廃すべきだ」と訴えた。
次回は6月25日午前9時半から、富山市湊入船町のサンフォルテ。ビデオ「そして僕は日本で生まれた-在日コリアンのルーツ探し」を上映。参加費1000円。問い合わせは堀江さん(090・5175・3756)。【青山郁子】
ほんとこいつら日本が大嫌いなんだな。
http://anond.hatelabo.jp/20110422235719
ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァをアニメの物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。
そして残念ながらid:kyo_ju、ネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz
てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。
俺がこんなコメントを普通のブログに投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。
何でだ?
自分なりに考えてみたんだが、エヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、
エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。
まずアニメという枠に傾倒する道。
アニメは当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。
自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌えは視聴者が勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。
SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。
Fだけでいいから人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。
※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。
「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。
あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。
自分は娯楽なしで生きられるような人間ではない。おそらくは他の人もそうだと思う。
大人になって仕事や家事に忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか。
人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。
自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。
小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。
そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。
「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。
今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。
それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラはツンデレだから萌え」と言っても自分が「ツインテールだから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。
こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果、自分はアニメの物差しはエヴァとジブリと千年女優だけになったorz
敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…
だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?
けどその1割弱を探すためだけにアニメの世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!
アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りしたり宮崎駿の後継者気取りしてばっかじゃん!
そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲスな気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田
特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!
「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!
00年代はまだブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…
例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女を釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。
「Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。
ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。
酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www
まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスはバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。
けどミュージカルが子供やミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。
彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。
かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。
だから彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。
例えば古典の悲劇の恋愛をベースに、彼らの身近にあるダンスや風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。
そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。
アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。
けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。
筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。
これだけでも十分面白いモノが出きるのに。
「守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかないものが多い気がする。
「魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。
けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…
まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。
そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないままシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…
かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…
「処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、
なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫を処女厨の目の前に置いて、
「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…
【匠接頭辞表】【匠接尾語表】
111:1/25の 11*:【小要素表】の 1**:【小要素表】と【小要素表】の 22*:【空間要素表】の 23*:【住要素表】の 244:【小要素表】の心の 245:コントラストの 246:アップテンポの 255:断面構造の 256:バリアフリーの 266:吹き抜ける風の 333:京町家の 334:体感面積の 335:間仕切りの 336:多機能の 344:寛ぎの 345:機能美の 346:境界線の 355:潤いの 356:自然素材の 366:温もりの 444:廃材の/健康庭園の/花と木の 445:夢の館の 446:森の木の 455:【好きな形容詞】機能の 456:迷宮の 466:節約【初期獲得スキル】の 555:【1d6-1】次元の 556:【王国名の通称】建築に魅せられた 566:【王国の特産品(無ければ【相場表】)】使いの 666:【今現在現地時刻で午前0時台の好きな都市名/地域名】の
11:狭小 12:和/和み 13:家 14:モダン/モダニズム 15:人 16:ゆとり 22:笑顔 23:心 24:時 25:風 26:影 33:水 34:光 35:暮らし 36:空 44:収納 45:動線 46:明かり 55:安心 56:迷宮 66:やすらぎ/安らぎ
11:ゆとりの空間 12:機能空間 13:空間演出 14:狭小空間 15:居住空間 16:住空間 22:空間連鎖 23:空間構成 24:安住空間 25:立体空間 26:癒し空間 33:空間攻略 34:空間 35:時空間 36:空間方程式 44:四季彩空間 45:【好きな形容詞】空間 46:【小要素表】空間 55:【現在/過去/未来】空間 56:迷宮空間 66:【ランダムに選んだ王国内に設置済みの施設の名前/略称】空間
11:ゆとり住宅 12:元気住宅 13:懐古住宅 14:健康住宅 15:古き良き住まい 16:感動住宅 22:個性派住宅 23:住機能 24:住構造 25:住環境 26:住空間 33:生かす住まい 34:住まい 35:住風景 36:【小要素表】と住まい 44:【小要素表】住宅 45:【温暖/寒冷】住宅 46:【プレイヤーの足下の素材】住宅 55:【好きな形容詞】住まい 56:迷宮住宅 66:【感覚表】住宅
1:視覚 2:聴覚 3:触覚 4:味覚 5:嗅覚 6:五覚
111:親子/層造者 112:ストーリーテラー/語部 113:アルピニスト/フリークライマー 114:主治医/救命士/セラピスト 115:栄養士/整備士/療養士 116:若き志士/風雲児/野心家 122:未来予報士 123:アーティスト/芸術家 124:パティシエ/ソムリエ 125:奇才/天才 126:開拓者/開拓師 133:継承者 134:伝導師/説法師 135:時代考証人 136:造形師 144:融合者 145:仕事人 146:リベラリスト/自由主義者 155:保証人 156:伝承者 166:細工師 222:ヘルストレーナー 223:スペシャリスト 224:操縦士 225:発明家 226:旅人 233:詩人/俳人 234:魔術師/錬金術師 235:探求者/探検家/探訪者 236:印象派 244:ライフプランナー 245:エンターティナー/演出家 246:アテンダント/アナリスト/ナビゲーター 255:調律師/ハーモニスト 256:請負人/代弁者 266:調光師/調合師 333:赤ひげ先生 334:エコガイド/エコロジスト 335:アスリート 336:マエストロ 344:改革者/革命家 345:交渉人 346:仕掛け人 355:智将/戦略家 356:【(何も付けない)/動線/生活】【仕立屋/仕立人】 366:奏者 444:熱血講談師 445:粋人 446:解放者 455:渡し人 456:迷宮【匠接尾語表】 466:【好きなカタカナ語】アーティスト 555:スタイリスト/療法士/ソムリエ 556:空間【匠接尾語表】 566:カリスマ【クラス名】【ジョブ名/ジョブ名の英語表記をカタカナ化】 666:ランドメイカー
世界が中心に躓く。
世界が果てへと向かう。
挑戦が過激にでかくなっていく。
どうしようもなく、それは楽しく。
ひたすらに楽しく、ただ楽しく。
それはホラ吹きに毛の生えた
にわか詩人の淡い願い。
つくられていく。世界が幅を持って、
大きく動かされていく。
完璧さがどうしようもなくのびていくのを感じる。
これはすごい。素晴らしい。
とんでもない。
理解しがたい。
幸福が俺を襲う。
快感にあふれる。
だが俺はじっとしている。
さぁ、真実を見つけ出そう。
文章の中から、本物を見つけ出そう。
また新しい道が作られていく。
さぁ、見つけ出そう。飛び出そう。全てをコントロールしよう。
それが何かなんてどうだっていいんだ。
もとに戻した。
全てをもとに戻した。
全てを。全てを。全部、全部を。
何もかも、終わってしまった。
終了してしまった。
頑張っても防げない。
飲めば健康になる。
飲めば楽になる。
でっていうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そんなはずないって分かっているのに。
なんでこんなに楽しいんだ。生きてることが楽しすぎる。
どうしようもねぇ。くっだらねぇ。
触ってみたい。ふれてみたい。そっとふれるもの求めることに夢中で
抱き寄せるよ。静かに、そっと。
傾きかけるよ、誰かのニュアンスに。
さぁ、切りだそう。
さぁ、吐き出そう。
想いの丈。理想のでかさ。
元増田ですが。
「おー、初めてトラバもらった!」
と思って見たら何だよこれ。ただのまぜっ返しじゃん。
がっかり。
で、上の方で誰か書いてたけど、「件の黒光りくん」て何?
誰か特徴的な特定の書き手を想定してるなら、たぶんハズレ。
ちょこちょこ見かける名前(?)だけど、書いたものにトラックバックもらったのさえ初めてだから。
ま、知らない間にトラバしないで名づけられてたとしたら分からんので「たぶん」て付けておく。
それとも、たとえば「恥知らずな詩人気取りの文章を書くやつ」みたいに、共通の特徴を持つやつ全般を指す言葉なのか?
だったら仕方ねえけど。ついでだからどんなの指すのか誰か教えて下さい。
たぶん一年以上ここ見てるけど、明確な説明って見た記憶ないんだよね。
さすがに「すべて見ている!」とまでは言わないけれど。
もしかして、「黒光りくん」ってのは誰かたった一人の増田の妄想なんじゃねえのか、とか疑いたくなる。
それはさすがに怖いか。
「もしかして何か痛いところ突いてムカつかせちゃったかな?だったらごめんね」ってことだ。
特定の人に向けて書いているので、別に君のことをあれこれ言いたかったのではない。
何か一致する部分があったとしても、偶然以外の何者でもない。
そもそも君に興味は無い。