はてなキーワード: 補導とは
1度逃げる癖をつけてしまった私は、もう二度と頑張れない。
表面上は上手くこなせているように見えるかもしれないし、傍から見たら努力しているなと思われるように偽装することはできるかもしれない。
でももう頑張れない。
今日みたいに雨が降る夜は、毎回思い出すことがある。
私がまだ学校を辞める前、中学生の頃に家出をしたことがあった。
あるだけのお小遣いと食べ物を集めてリュックに詰めて、電車で4時間かけて東京に向かった。1人での遠出は初めてだった。
当時はスマートフォンなんてものはないので、持っている電子機器なんてのはガラケーとゲーム機、ウォークマンだけ。
池袋駅前のマクドナルドで朝まで過ごすことにした私は、目を閉じてウォークマンで好きな音楽を聞いていた。
とてもワクワクしていた。自分の生活圏を出たことによる興奮、いつもなら外に出ない時間にファストフード店にいる興奮。
周りを見渡した時ホームレスっぽい人や少し怪しげな女の人なんかがいたりしたが、それらも自分を興奮させる材料以外の何物でもなかった。あぁ、私は今いけないことをしている。
そんな興奮も長くは続かなかった。
5時頃になるとマクドナルドの店員が閉店すると言う。それに従い店の外に出た。
それからはひたすらに地獄だった。私は一般的なお店が10時から開店であることすら知らなかった。だからそれまでの間、どこかで時間を潰していなければならなかった。
何時間もそんなことを続けていれば、思春期のハートなんてものは簡単に砕ける。私は泣き出していた。
帰ったら怒られるのは分かっている。どうして怒られるために帰らなくてはならないんだと、私は思っていた。
でも結局私は帰ってしまった。
私はなにもかも嫌になって東京に逃げた。
二十歳を過ぎた今の私は、未だに何事にも頑張れないまま逃げ続けている。
思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境は特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。
その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型の規則もない。しいて言えば、ちゃんと学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園で浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生が軌道に乗り始めた。
それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学の英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。
兄弟が4人もいたので、アルバイトも高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分の物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学生からはファミレスで1年、塾講師で3年。
多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。
ファミレスでは、厨房でドリンクやデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくウエイター/ウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。
厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣りに旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。
大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。
カート・ヴォネガットの短編小説やチャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クール・ミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学、自分やサークルで作った映画、鉄男や小沢健二やNumber Girlやマイケルジャクソン、クラブでかかっていたNirvanaやStrokes、軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。
1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。
その後、3年弱塾講師のアルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修。一言も発言できなかったことを思い出す。
自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分が無駄に介入してしまったことが悔やまれる。
そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋で終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。
文学部ながらも、BBSや簡単なアプリを作ることができたので、ソフトハウスに就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。
新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。
時々生意気な意見を言ったり、人のプログラムを勝手にリファクタリングしたこともあった。
記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。
少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性の会社で、よく飲んだ。
その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。
3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書のライターに転職する。
車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語(自分はPython)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。
その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。
いい加減引きこもりにも飽きて大会社に転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。
大会社は大会社だった。エリートはエリートで、二級以下の低級労働者の自分は、その程度の扱いしか受けない。大学のランキングを引きずる社内で、
自分はまず
・学歴劣る
・それまでの成果は劣る
・白髪ばっかり目立つ
・とにかくあいつは劣る
という状態になった。
新卒の指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分の無責任さにびっくりした。
あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。
なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。
行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶と仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。
ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者の気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。
兵庫県警がブラクラを貼っただけの女子中学生を補導したことが話題になっている。
【悲報】兵庫県警さん、ブラクラURLをコピペしただけの女子中学生を補導してしまう
https://blogos.com/article/363067/
兵庫県警がこのようなふざけた捜査をしてしまった原因は、サイバー課にITの知識が無かったためだ。
以前から兵庫県警は専門知識の欠如による致命的な捜査ミスを繰り返している。それも現在進行形でだ。
2012年に兵庫で猫の死体が連続で見つかるという事件があった。
https://matome.naver.jp/odai/2133957959315497001
13日午前7時半ごろ、加古川市加古川町寺家町の駐車場で、猫が刃物で腹を切られて死んでいるのが見つかりました。
切り傷はおよそ3センチで、周囲に目立った血の痕は残っていないということで、警察は何者かが別の場所で殺したあと、放置した疑いが強いとみて動物愛護法違反の疑いで調べています。
加古川市と高砂市では、先月10日から27日にかけて、猫やハトが首や脚を切られるなどして死んでいるのが6件見つかっていて、いずれも半径2キロの範囲に集中しています。
一時期捜査班まで構成した本格的な捜査すら行われたこの事件だが、真相は「アライグマが猫の死体を食った跡」というもので事件性が無いものだった。
https://yo-mu-wa-inko.com/hyougokenn-nekorennzoku-hennsi-14496
これだけならただの笑い話で終わるが、実は終わっていない。兵庫県警はこの後も毎年のように同じような捜査を繰り返している。
https://www.sankei.com/west/news/150718/wst1507180070-n1.html
18日午後2時40分ごろ、神戸市西区森友の公園で、頭部と胴体が切り離されたネコの死骸を近くの男児が発見し、兵庫県警神戸西署に通報した。首をちぎられたとみられ、同署が動物愛護法違反容疑で調べている。
https://www.sankei.com/west/news/180323/wst1803230025-n1.html
22日午前7時半ごろ、兵庫県姫路市白浜町の集合住宅の駐車場で、上半身のない猫の死骸があるのを散歩中の近所の女性(55)が発見し、飾磨署に通報した。同署は何者かが切断した死骸を現場に放置した疑いもあるとみて、動物愛護法違反容疑などで調べている。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12184-45245/
2018年12月から今年1月にかけ、兵庫県姫路市で動物の死骸が相次いで発見される事件が発生。付近住民の不安が広がるとともに、動物愛好家から怒りの声が上がっている。
もう一度2012年の事件の話に戻るが、この時犯人がアライグマだと特定したのは警察ではない。外部の専門家による鑑定で判明したのだ。
つまり、兵庫県警は検死すら行わずに人為的な虐待と断定して捜査を行っていたことになる。
なぜ兵庫県警はこのようなことを繰り返しているのか?それは兵庫県警に日本唯一の「アニマルポリス・ホットライン」があるためだと私は考えている。
ここの担当部署がアニマルポリスとしての実績欲しさに猫の死体で通報を受けるたびに捜査を行っているのだろう。
しかし、動物の知識が無いにも関わらず動物虐待の捜査を行っているため、事故や共食いで死んだりした猫の死体も虐待扱いして捜査してしまう。もちろんその捜査費用は税金で賄われている。
サイバー課も同じだ。実績が欲しいが知識が無いため本物のサイバー犯罪に手出しできず、ブラクラを貼っただけの人間のIPアドレスを開示するのが限界なのだ。
女子学生が補導されたのは警察も一枚岩ではない、ということです。
再三言ってもきっとわからないんでしょうけど。
運営が破綻しようが、一度保留されて、破綻したからさぁ逮捕しようなどとはなりません。
仮に私の意見でも、そのようなことはどこにも書いてません。
横田です。増田の意見が難解だったので、意訳しました。下記スタイルで対訳しています。
原文
訳文
運用に問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う
警察が罪であると判断したことに対して、"倫理性の面" (後述) から、罪にはならないって主張しているのがよく分からない。
ラクガキを器物損壊として万引きを窃盗いじめを暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察の対応の妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるからで元増田の論理には同じような感じを受けた
例えば、落書きなら器物損壊、万引きなら窃盗、いじめなら暴行として警察は対応するよね?
このとき、補導された子の親が「子供の将来がー」とか「ただのイタズラなのにー」って感じで "倫理性の面" から非難するのって、違和感がすごくない?
上記の行為が罪には当たらないって主張したいんなら、子供への影響を持ち出して "倫理性の面" に訴えるんじゃなくて、罪には当たらないと考えるその根拠を言ってほしいわけよ。
元増田の論理も、この親の論理と同じようにズレてる気がするんだよね。
それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機は所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力の行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味はちょっとわかんないなって思う
「ノルマのためにー」とか「上司への点数稼ぎのためにー」とかっていう動機が警察側にあったとしても、それはただの付随事項でしかないんだよ。
動機が何であれ警察が権力を行使したのは、それが罪であると定義されているから。
なので警察を批判したいんなら「ホントにそれが罪であると定義されているの? 」って部分を問うべきなんじゃない?
そこをひっくり返さずに、罪には当たらないという前提で、警察のコメントとかその影響について論じるのってちょっと分からない。
その権力の行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害でしかないってやるにはわからない
「罪にはなるだろうが、運用に問題があるだろ」っていう主張なら分かるんだけど、「罪ではないから人権侵害」って主張してるのが謎。
本来そこやるなら運用への認識の問題とその理解や意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念と警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機の適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う
「運用に問題があるだろ」ってことを主張するにしても、触れるべきポイントがちとズレてないかい?
本来なら、問題のある運用によって引き起こされた事象、同じことが起こる懸念、責任の所在、という流れで論じるべきだと思う。
それなのに、補導した動機の適当性、対象の選び方(中学生を選んだ)ってのを問題視するのはちょっと理解できない。
いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う
もしこれが殺害予告とか爆破予告のイタズラだったら補導もしゃあなしでしょ。
中学生だからとか警察側の動機がとかじゃなく、このイタズラが罪に当たるかどうかをまず考えるよね。
そこを考えずに、モラル向上の晒し者にするという理由だけで補導されたから人権侵害、っていう論理は成立しないと思う。
警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為をモラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめの晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う
と言っても警察側は、モラル向上の意図で補導したのであって、晒し者にするという理由だけで補導したのではない。
結果としてそうなったのは当人が法を犯したからである、というスタンスだし、実際に罪になるのであれば自業自得な面があると思う。
そこの運用がおかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う
この運用がおかしいと主張するのならば、どうおかしいのかの説明が必要で、それがないと万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事は変わらなくなる。
子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない
子供のイタズラなのに補導なんて、取り調べまでするの、学校でいじめられたらどうするの、受験に影響したらどうするの、って言ってるのと大差ない。
罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察の解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象
単に「罪は罪でしょ」と言いたいわけじゃない。
罪に当たるとする警察の解釈のどの部分がおかしいのかの根拠を示さずに論理を展開する感じが、バカ親と元増田って同じだよね、と言いたいのだ。
警察側の動機への批判は、警察という組織の問題点を指摘しているだけで、罪か罪じゃないかとはまた別の話だし。
その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導や家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする
警察側の動機によって罪でないものが罪にされたのだと言うのなら、どの辺りが罪でないのかの説明が、余計に必要になる気がする。
それに、補導や家宅捜査についても、警察側の言い分のどの辺りがおかしいのかの説明も必要な気がする。
だからこそ、僧衣を着たまま車を運転して交通違反を切られた坊さん達は、罪には当たらないことを示すために、僧衣が動き辛いとする定義への反証として動きまくったわけだし。
中学生を補導した警察が正しい、と言いたいわけじゃなくて、論理展開の仕方が意味分かんないというかブッ飛んでんなって思った。
勝手に意訳してゴメンね。間違って解釈してるところもあると思う。
できれば次投稿するときは、もう少しだけ、おれら側に歩み寄ってくれると嬉しいです。
(javascriptって難読化できるんだけど、増田も何か意図があってそうしたのかしら)
こんなこと書いてる時点で自分じゃなく警察の意見、はあまりに無理筋
つか、文章が全体的に自分の意見って程で書いてあって、警察の意見とはどこにも書いてないしね
警察が頭悪いのは自明だけど、自分の頭の悪さまで警察になすりつけようとするなよ
ついでに言うと、大体の広告は購入しないやつの方が多いし、宣伝うったもののほとんどユーザー獲得できず爆死してサービス終了、なんて事例いくらでもあるわ
警察は頭悪いなってことなら同意します。いたずらした女子学生まで補導してしまったので。
購入した人は広告が表示されたことを遡及して認めたことになります。
購入していない人もいずれ購入して遡及して認めればいいのでそうなるまで保留ということです。
先日ループスクリプトのURLを貼ったいたずらをしたとして逮捕された女子学生がいましたね。
それとコインハイブの件を同列に扱おうとする人がいますが、明確に違うものです。
例えばダウンロード違法化の件もそうですが、日本の法律はどういった目的でそうしたかによって扱いが変わります。
女子学生が擁護されるのは、いたずらを目的として些細な害を及ぼすものを設置したからです。
コインハイブもCPUとメモリを勝手に使った程度で害としては大きくありません、しかし目的は金儲けです。
金儲けのために他人の資産を勝手に使う事は明確に違法ですし、あってはならないことです。
広告が違法にならないのは、見せるだけでは金にならないからです。
運用に問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う
ラクガキを器物損壊として万引きを窃盗いじめを暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察の対応の妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるからで元増田の論理には同じような感じを受けた
それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機は所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力の行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味はちょっとわかんないなって思う
その権力の行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害でしかないってやるにはわからない
本来そこやるなら運用への認識の問題とその理解や意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念と警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機の適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う
いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う
警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為をモラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめの晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う
そこの運用がおかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う
子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない
罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察の解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象
そこでの警察側への動機の批判は警察組織における問題点への指摘でしかないわけで罪か罪じゃないかとはまた別の話だし
その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導や家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする