はてなキーワード: 芸能人とは
<追記>
斎藤氏再選の一番の功労者?戦犯?はやっぱりマスコミだと思う。マスコミよりSNSを信じる人が増えた、のではなく、マスコミの雑な仕事っぷりに困った有権者が仕方なくSNSで調べた、ってとこじゃないかな。
アンケートの4割がクロだからパワハラ、って言われても、人伝で聞いたの含めての数字となると、過半数はパワハラ見聞きしたこともないのにクロって決めつけられるのはなあ、って思うよ。4割の中身をもう少し分析して、知事と直接接触のある部署だと8割越えてた、みたいな数字出せば良かったのに。
元県民局長の自殺の件も、「不倫はデマ」「不倫とパワハラは関係ない」と言われても、パワハラ野郎を告発したのがセクハラ野郎ならそれで話は変わってくるし、プライベートなファイルの中身が出せないんなら、周辺に取材して「不倫なんかする人じゃありません」てコメント取ってくれば良かったんだよ。芸能人相手なら平気でそんなことするでしょ?
で、パワハラ以外の公約についてきちんと比較したような記事もない。そうなるとマスコミ以外の情報に頼らざるを得ないじゃない?
まあ兵庫県知事選なんて東京からみりゃ只の地方選で、そんなに取材にも手間掛けられないんだろうからわからいでもないが、「俺らがこう言ってんだからそれを信じろ」ってのはやっぱり今後は通用しないのでは?
<追記終わり>
兵庫県民です。
・立花氏の選挙戦術がそれほど功を奏した印象はない。立花氏については胡散臭いと思ってる人が多い感じ。自分の地元には立花氏の選挙カーも来なかったし、そこまで盛り上がってる感はなかった。
・パワハラについては、役人に言うこと聞かすにはキツく当たらんと仕方ない、と思ってる人が多い印象。パワハラって自分がされるのは嫌だが、自分に横柄な対応した連中がされるのはざまあ見ろって感覚。
・で、パワハラ問題抜きにして、各候補の公約見ると、やっぱり現職だけあって斎藤氏が一番具体的。というか、他の候補者は現状の県政の問題点が何なの?って分析もきちんと出来ていない感じ。
これ見たら普通に考えてスキャンダル云々より現職の実績が好評だった
と考えるのが筋だろう
それなのにお前らはずーっとスキャンダルの話ばっかりしている
スキャンダルがあったか、なかったか、どれだけ悪いか、それだけ
つまり騒いでるのは野次馬根性で、何かあれば「降ろせ」という奴らってことだろう
見ず知らずの犯人の裁判を見てる時とかこういう論調になりがちだよね
トランプ戦にも似てるし、なんなら芸能人のスキャンダル(松本とか)にも似てる
おんなじ論調なんだよ
そればっか
あまつさえ「兵庫県民はバカだからスキャンダルが嘘だったというフェイク情報を信じている」だって?
ひでえ話だな
ガチならともかく、ゲームでもへっぽこプレイ許されてるし。歌唱する芸能人とかでもガチでネガティブな批評するのはおかしいじゃん。マッチョドラゴンにしたって
本人が打牌批判要らんつってんだから、のっとふぉーゆーってことで、追い出すしかないんじゃないか
>でも嫌な人は一人も来てほしくない
売れたらクローズドで好き勝手快適になるが、そこまでの間の我慢は必要っていうのなら、まあまだ今の世の中だとそれはそう
麻雀界隈に性格おかしい人多いから余計にややこしいって説が増えて来たなぁ。叩きやすいんだろうな。
とつられてみた
今週の「チャンスの時間」は千鳥ノブの好きな物を当てるクイズ回だったのだが、その問題の中で「千鳥ノブが好きなロケ弁当は?」という問題があり、ブチギレ。しらねぇっつーの。芸能人が昼に食べる弁当のブランドとか知らねぇから何出てもおもんない。でも出演してる芸人たちとテレビスタッフ側は大盛り上がり。分かりやすく言うと内輪ノリですよ。
なんかここ5年くらいお笑い芸人の人気が高まりすぎたせいか、恥ずかしげもなく漫才論とか「どこどこのルミネの楽屋が~」とかクソほども興味ないうちうちの話を平気でする芸人とスタッフが多い。俺は常にコミュニケーションを取るときには相手と自分が持っている情報を把握して、事前情報が必要な話題なら丁寧に足元から説明するかその話題は控えるかの2択だと考えている。だからこんな傲慢で一方的なコミュニケーションを、しかも番組の序盤で平気でやってくるその態度にブチギレてしまう。
もう少しでM-1ということもあり、芸人たちが己の内側に秘めておくべきことを続々と開陳し始める時期だ。ファンともどもくれぐれも自制していただきたい。芸人は面白い事だけをやり続ければいいのだ。
ーーーーーー以下NHKサイトーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いまお酒を飲まない「ノンアル生活」を送る人が急増している。首都圏ではノンアル飲料を中心に提供するバーや飲食店が登場。「ノンアルコール飲み会」まで開催されるように。健康、時間、飲み会などへの価値観が変わる中で、変化するお酒とのつきあい方。その状況に危機感を持つ大手ビールメーカーの模索や、欧米でも広がるノンアルのトレンドも紹介。私たちとお酒の関係はどこに向うのか考える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここまでNHKサイトからの引用ーーーーーーーーーーーーーーー
という番組をやっていた。
背景には小生にはセクハラやパワハラが酒を飲むとOKのような昭和的な価値観がまだ残っていることもあると思っている。
企業などで、酒を理由にいろいろなことをやる人間への対応にはまいっているのではないだろうか。
それがOKと思っているのは官の世界や芸能界マスコミくらいではないか。
しかし、そんな背景もはるはずの番組なのにゲストで出ていた某タレントが残りの二人に”飲みに行きましょう”などと少なくても2回はいっていたことがすごく気になった。
特に今芸能人は松本某やそれを擁護するひとたちの影響で、”気楽に飲みになど行けない人たち”と思われているということが全く分かってないのだと思う。
松本某の問題に決着がつかないことは、芸能界全体で自浄作用はない、というか、そういう線で考えているんだね、ということで、世間に公表しているようなものなのに。
「職業偏見ではないか」共産・大門氏、党派超えて苦言 自民・今井氏の政務官起用批判に
https://www.sankei.com/article/20241115-IWYPAEJ6X5CMXEDCJED773YWDY/
そもそも今井や生稲に対して、芸能人「だから」駄目と決め付けている人を見た事ねーよ
いるなら屏風から出して言ってください
この人達がもし私の顔だったら、絶対に選挙で当選なんてしていない
ハロー効果は怖い
今日のサッカー日本代表戦見たか??? 日本対インドネシア戦。地上波では放映なしで放映権独占してるDAZNが無料配信開くっていうからサッカーファンは見に行ったわけよ。それで無料配信の画面3分の1が芸能人のワイプが強制表示になっていて、音声も消せないわけ。サッカーを見にきているのに、どうでもいい芸人のトーク聞かされるわけ。肝心の試合画面はテレビ画面の半分くらいにしか映らん。有料会員は全画面試合を映せるらしい。
ばっっかじゃないの。担当者マジで頭おかしいんじゃないのか。どんな会議したらこんな放映なるんだよ。「強制的にワイプ切れないように中継画面移せば有料会員も増えますかね???」本当に死ね死ね死ね。あーイライラする。Jリーグが税リーグだか、サッカー日本代表は人気なくなったとか言われてるなかで、ますます人気失くすような背信
してどうすんだよ。フジテレビが野球日本シリーズの裏番組にドジャース放送して野球機構から取材パス取り上げられてたけど、ぶっちゃけ同レベル。担当者の倫理とか知的レベルを疑う。こんなんだからフランス人にも受け入れられないし、大量に違法視聴されるんだよな。料金もそうだけど、DAZN自体がサービスと呼べる代物に達してない。
JリーグはDAZNと12年の放映権契約結んでいて、JリーグはDAZNと心中する気だと言われていたけど本当にその通りだな。別に一緒に死んでくれて構わない。海外サッカーの方が面白いし。くたばれDAZN。
熱心にアニメ見てたのは深夜アニメの存在を知った中学2,3年の2年間だけで、高校生になったら毎期2,3本(それも何かの続編だけ)くらいしか見なくなってて、大学生になったら話題になったアニメしか見てないんだよな。
たまに漫画とかラノベ買って読んでたり、相変わらず二次元の美少女好きだし、SNSで情報回ってきてネットミームや流行りに詳しいから、どこか自分のことをオタクと勘違いしてたかもしれんわ。
そう考えたら、石鹸枠のアニメ面白くないって感じたのも、めっちゃ流行ってるなろう系が死ぬほど嫌いなのも、最初から俺はオタクじゃなかったのが悪いんだな、と納得がいった。そりゃ、刺さるわけないじゃんね。まあ、だからと言って、青空文庫にある文豪の小説や村上春樹の本が面白いとも思わんが。
でも、オタクを自称するのはそのまま続けようと思う。それしかコミュニケーションの取り方分かんねーし、今更、俺オタクじゃなかったわなんて言えないし、周りが楽しそうに喋ってるのは見てても嫌じゃないしな。しょーもない芸能人のゴシップ話、他人の悪口聞いてるよか楽しいわ。
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
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[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……
本人はとても良い人にみえる。
まぁ、そういう訓練を受けてるからだけどね!
芸能人アイドルは「人に好きになってもらう仕事」っていうじゃん。
政治家もたぶんそれ。
俺には無理。
女性声優が結婚するたびに相手が特に有名でなければ"お相手は一般の方で~"という台詞が使われる。
この"一般の方"というのは普通のリーマンとかではなく、エンタメ企業勤めだとかテレビ局だとかその関連会社や出版社といったマスコミ関係がほとんどである。
では、普通のリーマンや学生で芸能界とは無縁な人が芸能人の結婚相手の"一般の方"になるにはどうすればよいか?
かなり時間はかかることになる。
クラスの一人ぐらいは必ず声優になる…かと言われるとそうでもない。
演技の意識が高い人が行くことが多い。短期間が多いため、接触を伴う演技ワークショップや主催が人脈形成を助けてくれるならば相手が異性でもすぐに親しくなれるだろう。
東京の山手線の西側から武蔵野線の内側までの範囲には、エンタメ企業やアニメ制作会社や特撮スタジオといった会社が多く存在する。高円寺や阿佐ヶ谷の飲み屋では政治活動家やバンドマンに混じってアニメ会社の社員が飲んでいたりする。
飲み屋の存在は大事である。杉並区の飲み屋や新宿ゴールデン街といった場所だと、バーテンや他のお客さんが「制作会社の人や芸能人と親しくなれそうな所を教えてくれる」といったこともあるからである。
エンタメ企業に入ればたしかに芸能人との接点は増える。芸能人や業界人に会って紹介してもらうのも手である。
なおエンタメ企業の常識は世間の非常識なので長時間労働は当たり前である。たまにホワイトなところもあるが大人気ゆえ入れないものと思ってよい。
あと「どのエンタメ企業に入るか」が重要である。本業がエンタメ以外の企業(書泉、ソフマップとか、あとは新聞社など)に入ると、エンタメ部署に行けなかったときに間違いなく後悔する。
なおエンタメ企業にいて芸能人や業界人と知り合いになっても"一般の方"になれる保証はない。
一番間近で見守る存在になれば頼られて付き合って…といったこともある。
なお女性芸能人がAV女優の場合はマネージャーと女優の恋愛はご法度であるのでAV事務所のマネージャーは受けないこと。
身も蓋もない話をしよう。
グラドルの撮影会といえば書泉やソフマップを思い浮かべると思う。例の壁紙なんかは有名である。
では、書泉やソフマップみたいなところで仕事すればグラドルとか芸能人と知り合いになれるのか?
答えはNoである。なぜならそれぞれ本業は書店とリユース業でありグラドルの撮影会は本業のおまけなのである。この2社の従業員の大半はグラドルみたいな華やかな世界とは無縁である。ちなみに色々な方から話を聞いた限りでは本当である。
模写するほど絵柄に惚れ込んでいた。
とあるイラストに目立たないレベルで「AI学習禁止」というウォーターマークがあったのを見かけた。
イラストの色味的に拡大してやっと分かるレベルのウォーターマークで拡大するまで気づけなかった。
気づきたくなかった。
でもLoRAなどで個人に学習されないようにと警告する意味で付けたんだろうと思い込むには整合性が取れなくてモヤモヤしている。
なんで目立たないようにつけた?
どのような葛藤を抱えていたのだろう。
ある日突然イラストに「AI学習禁止」のウォーターマークをつけ始めた。
もしかして反AIの言うことをまんま信じてしまって、全く意味のない対策をし始めた?
ウォーターマークはなんのためにつけるべきで、アカウント名などのサインを入れる意味を理解した上で、あえて目立たないようにしている?
AIに学習されたくないならもっと目立たせていいんじゃないの。
ウォーターマークって目立たせてなんぼじゃないの?
むしろ素材サイトのSAMPLEレベルで全画面に埋め尽くすべきだと思う、ウォーターマークってそのためにあるはずで。
そのくらいした方が学習妨害になれるだろうくらい目立たせれば理解はできた。
目立たないようにウォーターマークをつけて何をしたいの?
形だけでも対策して自分は学習されないだろうと安心したいだけ?
そうだとしたら反AIに踊らされているだけに見えて滑稽だ。
ウォーターマークをつける行為そのものが憧れの先生が嘲笑の対象にされるかもしれないという恐怖心を植え付けるには十分だった。
反AIになった漫画家やイラストレーターを見て他人事のように眺めていれたのは心から尊敬していたり、惚れ込んでいた人がたまたまいなかっただけなんだと痛感した。
というよりこれ以上争うのを見たくなかった。
これ以上疑って自分も傷つくのが嫌だった。
そんなことしなくてもSNSから離ればええやんってのはそうなんだよな、今は見てないんだけど…。
反AIは反ワクだったり陰謀論と同じ思考停止の一種だから触れないようにしてた。
これが海賊版とかで注意喚起していたら自分も手を出さないようにとか気をつけてたと思う、何故なら違法であることを知ってしまったから。
しかし学習すること自体は法律的に違法ではないのであれば自分には関係ないからどうでもいい。
やけに騙される漫画家やイラストレーターが多いな、クリエイターってそんなもんかくらいに思っていた。
そうやって自分には関係ないことだしどうでもいいやとスルーしていたのはよくないことだと今回思い知られた。
クリエイターはそういうものだと甘やかしてきたツケが今一気に回ってきただけだった。
無知な漫画家が嘲笑の対象にされて一番嫌な思いをするのは本人だけじゃない、ファンもなんだ。
そのことに気づいた時にはもう手遅れだった。
反AIのやっていることは無知な漫画家やイラストレーターを炙り出して嘲笑の対象にしているだけなんだ。
新しい技術を嫌うだけで法律や技術に歩み寄ることなど一切しない。
きちんと歩み寄ってくれるなら赤松先生の話も聞いていただろう。
漫画家もイラストレーターもSNSの相手が誰かもわからんポストを見て盲信できるのか分からない。
ファンが指摘しても全て「気に入らないからブロックする」と言い出す。
社会に適合出来ないからとか、理解力や読解力がないことを免罪符にしていい問題じゃない。
金をもらって仕事している以上そんな甘ったれた狭い常識は通用しない。
でも自分はあなたのしたことをいつまでも忘れることができない。
某漫画家の脱税問題だってそう、あの先生の関連作品を見るたびに嫌でも出てくる。
そうやって先生の身勝手な行動で呪いをかけられて一生背負わなければいけない。
自分はその覚悟を持って先生をこれからも好きでいれるか自信がなくなった。
先生のやることなすこと全てに盲目でいれるファンになることはできなかった。
自分もリプライや引用みたいに「素晴らしい、好きです」と言えたらどれだけよかっただろう。
そうであるなら自分は先生のファンになる資格なんてなかったのかもしれない。
数日後、何ヶ月後、何年後か分からないいつか、この気持ちに整理がついて先生の作品を心の底から楽しんで読める日が来るのだろうか。
某漫画家でさえ最初は反AI仕草だったのに今や反AIに向かって「馬鹿なことしてんじゃない!」と怒るほどに色んな知識をつけてきた。
自分の好きだった漫画家やイラストレーターが反AIになった時自分はどうするのが正解なんだろう。
かわいそうに、学習されたくないよねと寄り添うだけじゃ甘やかされるだけなのと変わらない。
先生を恨むことも、反AIを恨むことも、作品ごとを恨むことも間違っている。
恨んだところで憧れだった先生はきちんと勉強しようってならないから。
でも自分のような有象無象が先生に「やっていることは間違ってますよ」と指摘しにいくのも難しい。
実際そうして先生は考えを改めてくれるのだろうか?
そうしてくれるならこんな馬鹿げたことに騙されることはないはずで。
どうすればよかったんだろう。
自分にできることは先生がかけた呪いを自力でどうにか割り切るしかない。
何のために法律があるのか、モラルを求めるのか、ルールが作られるのか自分はずっと考えていかなければいけない。
今もまだ混乱していて気持ちの整理がついてない。
たかがAI学習禁止のウォーターマークをイラストに載せただけで?と笑う人がいるかもしれない。
小さなきっかけでその信頼が一瞬で崩れるんだってことを知ってほしかった。
作品に罪などない、先生の絵柄だから買った、作品ごと惚れ込んだファンだからこそこの気持ちをどう受け止めればいいかわからない。
こんなスラムみたいなところで投稿しても笑われるか見向きもされないだろう。
このやりきれない気持ちを言語化しなければ先生を恨むかもしれない。
嫌いになるのも嫌だ、先生を好きなままでいさせてほしい、ずっとずっと憧れの先生でいたかった。
実際書く前はとても苦しかった。
書いてみて先生のことがどれだけ好きだったか、何故こんなにつらいのか少しだけわかってきた。
学習されたくない気持ちはわかったよ、ウォーターマークをつけることは気にしないよ。
あなたの綺麗なイラストがその意味のないウォーターマークのせいで心の底から楽しめなかった。
それがとても悔しくてすごく悲しかったんだ。
きっと自分のように同じ呪いをかけられたファンはたくさんいると思う。
どうやって割り切ったんだろう。
嫌いになったり、恨んだり、作品を見るのをやめることで割り切れた?
それとも自分だけがそうなだけでみんなはそこまで気にならない?
この苦しみもつらさも共有することすら許されない?