はてなキーワード: 自由主義とは
リベラルとは自由主義だから基本的に反権威で権力の介入を否定するだろう
一方、左翼にも唯物論社会主義、キリスト教社会主義、アナーキズムなど多種あるが
左派がふだんから「政府はいっさい何もするな」と言っているのなら
べつに矛盾はない
今の「リベラル」と呼ばれている集団は事実上の「平等主義者」あるいは「優先主義」の集まり
「強者・弱者の対立」から始まり「権力勾配」、「非対称性」、「格差」、これらは全て「平等」の対義語になっている
つまりリベラル左翼たちは平等を何よりも追及している事が分かる
そして平等な社会を築く為には自由の制約が必要だと言う事が良く知られており、男性へのGPSの取り付けや資産税などへの賛同として現れている
自由主義は権力の縮小を目指すが、国家権力から警戒され規制されていたかつての左翼にとってこの自由主義は自分を守るために都合が良かった。
今の左翼は社会のエスタブリッシュメントに食い込んでいるので社会を自分の思い通りに操るためにも権力の縮小は好まない
その独裁支配の中で、自分たちの正しさで他人に私刑を下すことができると思ってるのだろう。
その表出の一つがツイフェミだったり、ゲーム規制を推進した四国新聞だったりする。
彼らにとって、正義とは議論の余地もないほど自明であり、改めて証明する必要性もなく、懐疑的な態度をとる人は断罪すべきとなる。
また、他人に責められると、その正義を拠り所に益々孤立化・先鋭化することになる。
それは大昔から異端派宗教のいくつかがたどってきた道であり、紅衛兵や日本赤軍などもその一端に属する。
いずれにしても、その姿勢は「リベラル」という語から想像されるような自由主義とは全く異なるものであることは明白。
彼らが反アベなのも、本来なら自分たちが行使するはずの権力を握っているのがアベだからという幼稚な感情が本質的な動機である。
この増田は以下の記事でオリンピック中止の恐れにかこつけて竹中平蔵氏(以下竹中氏)がいかに自説を述べているか分析したものです。
また、肩書を都合良く使い分ける竹中氏の記事を無批判に載せるプレジデント社を批判しています。
竹中氏はパソナグループ取締役会長であり、未来投資会議・国家戦略特別区域諮問会議の民間議員です。
『竹中平蔵「政府はコロナ対応を間違った。東京五輪も危うい」 | PRESIDENT Online』
https://president.jp/articles/-/33438
以下を読めば、専門家の主張か、パソナグループ会長のポジショントークか判別できないという問題が浮かび上がります。
まず1ページ目では中国のコロナ対策の評価し、日本の対応では、大学に遠隔授業を行うよう、医療体制では遠隔医療を行うように呼び掛けています。
『明治大学(和泉キャンパス) | 事例・動向 | パソナテックの法人向けソリューション』
https://www.pasonatech.co.jp/biz/casestudy/meiji_college/
同様に遠隔医療はパソナグループが連携している事業に含まれます。
『パソナと連携し情報医療が「健康経営」支援サービスに機械学習・深層学習を活用』
https://www.innervision.co.jp/sp/products/release/20170821
2ページ目ではシンガポールを引き合いに出し、遠隔医療に加えライドシェアの実現も語られ、抜本的な改革が必要であるとしています。
またそれ以降の段落ではオリンピック中止の判断がどうなされるかについて語っています。
オリンピック中止については保険金の話が言いたいように読めます。
パソナの人材を大学・病院に派遣する狙いがあるとみて良いのではないでしょうか。
自由主義的価値観を語りつつ、実際には国、教育・医療に入り込むというのが官民連携なのでしょう。
実際、竹中氏が民間議員として参加している内閣会議で竹中氏は「岩盤規制」の緩和を執拗に説いています。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/shimonkaigi.html
最後に、竹中氏が中国やシンガポールなどの海外国を出す際の発言の注意点を書いておきます。
それは自説に都合の良い部分のみを海外国から選別している点です。
例えばこの記事では中国での監視社会、シンガポールの出稼ぎ労働者への差別的待遇には一切言及していません。
仮に、労働組合が各国から都合のいい部分で自説を補強し述べた場合、激しい非難が飛ぶでしょう。
もちろんパソナグループが幅広い事業を行っているため、専門家としての意見と重なるという反論はできるでしょう。
しかし、竹中氏が好む自由主義的な価値観を適用すると、より民間議員に相応しい人物が日本にいるのではないでしょうか。
むしろ、なぜ元郵政民営化大臣という政治家であった人物が民間議員を未だに務めているのか、そこに批判的な報道がない現状こそ危惧すべきでしょう。
(実際この増田を書いた理由は竹中氏への批判報道がほぼ無いからです。)
そして、この記事にパソナグループ取締役会長という肩書を書かないプレジデント社は何を考えているのでしょうか?
肩書を意図的に隠すのが「ビジネスリーダーの指針となる」記事になり得るのでしょうか?
https://www.president.co.jp/information/company/
一方、1万件を超える“不正販売”を行ったかんぽ生命の役員にパソナグループの社員がいます。
こういう記事を出すのはパソナグループ会長であり、元郵政民営化大臣の竹中氏がかんぽ生命の“不正販売"事件の説明責任を果たしてからでしょう。
プレジデント社は「次世代のグローバルリーダーを養成」する竹中氏にかんぽ生命の“不正販売"事件はどの対応すべきか聞いてみたらいかがでしょうか?
きっとプレジデント社が認める「ビジネスリーダー」に相応しい言い訳をするに違いないでしょう。
https://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/company/abt_cmp_directors.html
http://www.wasedajuku.com/curriculum/jukuiku/sekaijuku/
基本方針は「休みにする」で、個別の問題があるのだろうからそれぞれ対応してね、ってのは独裁国家じゃないので正しいはずなんだけど、政府の伝え方が悪いのか、国民の対応力が悪いのか、政府が信用されてないからダメなのか、国民が過剰反応なのか。
政府方針を受けて、我が自治体は感染者も出てないし問題ないので休みにしませんとか、休みにします補償は考えますとか、それぞれすりゃあいいし、国に補償求めるならそれはそれですればいい。その起点の話と違うのか。
生死がかかる問題である以上、目標として休みを掲げるのは悪くないだろう。
最近の種々の社会問題についてもそうだけど、自由主義ですみたいな顔しといて、国家がなんとかしろって人多くない?
体感だけどさ。
その作戦はやや奇妙に思えた。
このウイルスは伝染力が非常に強い。しかも無症候のウイルスキャリアが多くいるらしい。感染予防策を徹底的に行っても、いずれはその網をかいくぐるウイルスが出てくることは自明であるように思われた。しかし、中国は経済活動を捨ててまで、まさに国力を挙げて感染対策を行っている。大都市の封鎖、大病院の緊急建造など前代未聞である。いくら全体主義国家といえどやりすぎではないだろうか。
感染対策には少なくないコストがかかる。感染対策自体にかかるコストが、感染をしなかった時に発生する治療費や社会的損失を上回る時に感染対策は有効となる。
感染症に対する戦略(この際は特に隔離予防策について)は簡単に言うとこうだ。
・致死率の非常に高いものは流行した時の影響が大きいので徹底的に隔離する(エボラなど)
・感染力の非常に高いものは抑え込む為のコストが大きい、またそもそも現実的に不可能であるため、隔離予防策の有用性は相対的に低くなる(麻疹、風疹、水痘など)
今回のコロナウイルスはどうだろうか。
・致死率については高い方ではあるが、高齢者でなければMERSやSARSと比較すると高くない。専門家もむしろパニックにならないように繰り返し伝えている。
・感染力については非常に高い。インフルエンザ以上との予測もある。
仮に中国国内で流行を止めることができても、そのうちウイルスが海外を経由して逆輸入される可能性が高い。西側諸国は中国のような徹底した策を講じるのは不可能だからだ。であれば、国内で必死に食い止めるために費やしたコストが無駄になってしまわないだろうか。極論を言えば全ての人がこのウイルスにかかれば流行は終わるのだから、なるべく犠牲を少なくコストを少なく抑えて全員にかからせるのが取るべき戦略のようにも見える。
たしかに、隔離予防策は完全に封じ込めできなかったとしても、データを集めて治療法を練るための時間稼ぎをする意味はある。が、それでもコストに見合ったベネフィットが得られるように思えない。臨床試験から薬を大量生産できるようにするまでの確かな見通しが見えない中、時間稼ぎのための感染対策コストをかけ続けるチキンレースはあまりいい賭けとは思えない。また、コロナウイルスはインフルエンザのように少しずつ形を変えて毎年大流行する事はない。一度かかって治れば免疫ができてしばらくかからないはずだ。世界規模の流行が起こるのはこれが最初で最後だろう。その意味でも治療法の開発に莫大なコストをかけるのは分のよくない賭けではないだろうか。なんだったら季節が変わって自然に収束する可能性もある。
しかし、中国は何も戦略がなくただ目の前の壁にがむしゃらにぶつかっていっているわけではない。
おそらく中国もこのウイルスを完全に封じ込められるとは思っていない。
中国の真の目的は、ウイルスと人類との戦いで中国が世界に貢献を示す事である。
中国自身がこれは戦争だと形容した。軍隊を動員して対策にあたらせているニュースを冷笑して見ていた人もいるかもしれない。だがこの時まさに、中国が先陣を切り、それぞれの国が国力を挙げて戦うべきものとして世界を戦場に引き入れたのだ。この戦場ではウイルスへの有効な対策を講じた者が勝者であり、ウイルスを蔓延させた者が敗者となる。また派手な施策を打てば戦果をアピールしやすい。
中国は初手を誤り、武漢での対策が後手に回り、世界から批判を受ける立場だった。しかし、感染力が高いこのウイルスであればいずれは世界に蔓延することが容易に想像できる。それを見越して、全世界を感染対策という名のコストをかけさせるチキンレースに参加させれば中国が圧倒的に有利となる。全体主義と自由主義の危機管理能力比べに持ち込んだとも言える。ある程度自国内を感染制御したところで我慢して、他の国でアウトブレイクが頻発すれば敗者は逃れられる。むしろ、最初にデータが集まることをアドバンテージとし、各国に有効な対策を広めることができれば世界的なプレゼンスを高めることまで期待できる。
クルーズ船COVID19の対処には何らかの計画が建てられていたのでしょう。で、その前提に経てば「クルーズ船の隔離は成功していて」「成功したスケジュールを元に行動しないとならない」というものだった。
だから、隔離が失敗したという前提にたつと困るし、計画通りに隔離が成功したと言いがたいがために感染症の専門家を入れたくなかったんだろう。
本来であれば隔離が失敗した上での次の対策をねらないとならない。もともとは計画を作る段階でセカンドプランを作っておく。
ちなみに共産主義ことマルクス主義は、その前の自由主義の失敗によって生まれた。
自由主義の前提だと時折過剰投資によりバブルが発生する。そして、1929年大恐慌が起きた。
ドイツはユダヤ人虐殺や拡大主義に走り、日本でも226事件が起き軍部が強引に物事を動かすのが良いという風土になった。
他にも対処する案が生まれた。一つはケインズ主義で需給調整をするものがあったが、もうひとつはマルクス主義で計画を作りバブルが発生しないようにするというものだった。
なお、新自由主義はバブルが起きても金融政策だけでなんとかできる。である。
だけど計画主義はイレギュラーな事態に対応できない。試行錯誤も許さない。ゆえにマルクス主義は失敗に終わった。
例のクルーズ船も「隔離がうまく行くし行かなかった場合の計画なんて考える必要がない」だったんだろうねぇ。で、計画立ててそのとおりに進みつつ有り、そして、パンデミックを起こすと。
民主主義のもとで管理すればいいんだから、「民主主義的な資本主義(なにそれ?)」と管理は、別に矛盾し合う関係じゃあないだろ。
民主主義ってのは、多人数がバラバラに動く状態のことじゃあない。民衆の意思の集合である一個の一般意志が、統治を行う仕組みのことだ。今はまだ人類がバカだからそれが出来てないだけ。
資本主義・消費社会ってのは、利益の増大のために動くんであって、管理したほうが利益大きかったら当然のように管理するわ。
たぶん自由主義と民主主義と資本主義をごっちゃにしていると思う。
うん。政府は指示待ち人間なんだ。行政には「申請主義の原則」というものがある。基本的に政府は、市民に言われないことはやらない。これは怠惰だからでも無能だからでもなくて、自由主義の現代社会の基本原則の一つだ。新しい政策も、基本的には、政治家への陳情や業界団体の政府への要望書の提出をきっかけにして作られる。消費税増税も経済界からの要望があった。(防衛とか外交はちょっと別)
指示待ちの反対を考えると、行政が市民社会のあるべき姿へ向けて自律的に動くという状況になる。そのためには行政が「市民社会のあるべき姿」をあらかじめ把握しておく必要がある。現実問題として、市民の多様なニーズを全部把握するのは不可能なので、行政があるべき姿を決めるということになる。行政が正しい市民社会を決めるというのは現代社会にそぐわない。
原則として、自由民主主義国家の政府は自らの意思を持って動く機関ではなく、市民の意向を体現し、市民の意思に従って動く機関だ。(安倍首相も特定の層の有権者の意向を体現している)だから、学費を下げるべきだと思うなら、何らかの形で政府に市民の要求を伝えなければならない。単にツイッターでつぶやくのではなく、デモを計画し、実際にデモの場所に出向いてデモ行進を行うことでは、行政の受け取り方が違う。政治家の反応も違う。サイレントマジョリティの意見は、政府や政治家にとっては、「別に声を出すほど困ってないんだな」と受け取るしかない。
オタクは1つの対象に何年ものめり込み続けるものだ。その間に生まれる新しいものや流行には安易に飛びつかない。
ネトウヨは大日本帝国を理想とし、日本をその時代まで戻すべき、自国のみが尊く外国人は共生できない敵だと考えている。
ミソジニーは古来より受け継がれてきた男性至上主義を無批判に支持し、男女平等という新しい概念を拒む。
だからオタク・ネトウヨ・ミソジニーは相性がよく三点セットになりがちだ。
この逆にフェミ・リベラル・出羽守も三点セットになっていることが多い。
フェミは女性の自由を目指すもので、男性が支配してきた長い人類の歴史では新しい思想である。
リベラルはその名の通り。
出羽守はグローバリズムで、内にこもって世界から置いてけぼりにされた閉鎖国家日本に外から自由をもたらすものである。
いや、古い経済のとおりに、自由主義ではバブル崩壊後の企業の資金余剰傾向は防げないってことだが。
今は新自由主義経済になってるのだから、新自由主義が間違ってるだけのことで、1980年代までのケインズ政策こそが正しかったということ。
双方の言い分を見ればベースにそれらがあることが分かる。
魔法が解けた話というタイトルの文章がネットにあったので、自分も年末年始の女性声優の結婚報告について書こうと思う
わたしの感想は、「その報告は何のためにあるんだ?」というものだった
わたしにとって結婚それ自体はどうだってよかった ただそれが報告されることの意味がわからなった
よくある意見の例「中の人とアイドルは分離して考えろ」はとても正しい意見だ だが次にくる典型的な文「なら素直に祝福しろ」はどうなんだ 結婚という社会制度が苦手な人は想像もされないのだろうか 「祝福しろ」というように強い命令形で誰かにある行為を強制してよいという自信はどこから来たんだ
わたしはただの底辺男性オタクだ 女性声優と仕事で一緒になるみたいなそんな特異な生活を実生活で送っていない すなわちわたしと女性声優の誰かが結婚する可能性はゼロだ わたしの生活にとって女性声優が結婚すること自体は何の影響も及ぼさない しかし「報告」という行為に媒介されるとわたしの生活に嫌でも影響を及ぼしてくる 報告というのは誰かの耳に入れるためにあるのだから
では結婚報告はなぜ行われるのだろう
結婚は、生活を共にするパートナーを見つけ今後もそれを継続していくことをお互いに確認し合うするためになされる 出産や子育てが視野に入っている 生物学的には、結婚によって互いに相手が他の相手と交尾しないことが保証され、男性にとっては相手が妊娠したときそれが自分の子であると確信できるため安心して子育てができ、女性にとっては、男性が他の相手を妊娠させその子に資源を投じるようになり自分との子に資源を投じてくれなくなる、というようなリスクを回避できる
その報告を他者に向けてする意味は何か 自分にはすでに相手がいるから他の人は近づいてくるな、という宣言である 自分には誰かからの求愛はもう必要ない、というメッセージである 社会的には、自分は結婚を軸とする社会のメンバーの一員です、社会の外側にいるのではありません、という宣言である
それを祝福するのはどんな意味があるか 結婚によって家族を形成しそのユニット内部で子育てをする、という社会習慣に賛同し自分も共有するということ、結婚という社会制度のDNA保存における価値を自分も認める、という意思を表明する意味がある
結婚が生の価値とか幸福と結び付いて語られるのはどうしてか 自分のDNAが保存されることが高い確率で保証されることを意味するからだ
結婚した人が結婚しない人に結婚をすすめるのはどうしてか 結婚した人達のコミュニティにとって未婚の人は自分達の交配相手を奪う可能性のある脅威だからだ
結婚周りのことをだらだら生臭い言葉で書いてきた 結婚報告は配偶目当てで自分によってくるなということと、自分は結婚という社会制度に賛成しそれを軸とする社会のメンバーの一員です、というメッセージを発するため(結婚に価値を認め実行しその価値を共有することで社会のメンバーの一員となる)行われるということを見た 結婚はDNA保存至上主義に支えられている社会制度だということを見た
でも本当は現代の社会はどうだろう 自由主義が謳われ人生の意味や価値や何をするかは個人で決めるもので他人が判断するものではないというようなものではないのか 結婚を報告する必要はこの社会の中に埋まっているのか するかしないかは人それぞれ、親戚のおじさんおばさんに結婚のことを聞かれたり祖父母に孫の顔を見せろと言われるのはまっぴらだ かく結婚の価値は絶対的でなく相対的になっていても、誰かのご報告には喜びいさんでおめでとうして、しなかった人には敵意を向けて罵倒するのはなぜだろう 結婚こそ至高の価値であるという、生殖だけが価値だった時代の言説を再生産している自覚はないのか 理性による自由主義社会の理念より生殖本能の叫びを重視しているのだろうか
ましてオタクの世界の中ではどうなのだ オタクの世界は現実を構成する要素、配偶者の有無や年収の大小で人間の価値を判断されることのない、個人がコンテンツをどれだけ味わうことができているかだけが問題となる世界ではないのだろうか この世界でまで生殖を代表とするような現実世界の価値を認めることを強要するようなご報告を聞かされ、真っ先にそれを祝福した者から、お前も結婚こそが人生の価値だ、現実を視ろと諭されるのはなんなんだ
結婚は個人の行為である やるなら自由に役所に届ければいい だがそれを見せつけるかのように、オタク世界でご報告する意味はなんなんだ オタクに現実以外の理想世界を作って見せる女性声優が、自分は現実の価値を最も重視する人間だからみんなもそれを祝福してねとばかりに見せつけてくるのは何故なんだ 個人でやって黙っているわけにはいかなかったのか ご報告を経なければ個人の幸せは得られないのだろうか ツイッターでP同士結婚しましただのどや顔で謂っている人々にも同じことをいいたい オタクであり続けることは、生殖本能とその社会的な承認の欲求に負けてしまうのか
加えると、未婚の女性声優をいじる下品なオタクどもの存在は本当に恥ずべきものである 人間の価値は結婚したかどうかで決まるものではないから、結婚したかどうかで人間を測る目線はただの女性蔑視だ 声優さん自身も自分が結婚していないことをネタであるかのように扱うことはやめてほしい 結婚しようがしまいがあなたの素晴らしさは変わらないのだから