はてなキーワード: 応仁の乱とは
優秀な日本史研究者に100万払って応仁の乱の説明をしてもらってもおそらく分かりやすくは説明できないしおまえが理解できるかも怪しい。
元増田です。ややこしい話なので追記ではなくこちらで応答します。
これ、正直、悩ましいところなんですよ。というのは、これを厳密に適用すると、一般書が死ぬからです。
講談社選書メチエとか筑摩選書とかああいう選書系は詳細な注をつけることもありますが、新書とかだと紙幅の関係上細かな典拠がつけられない場合があります。たとえば話題になっている中公新書の『応仁の乱』ですが、色んな史料を引用してきているし史料の名前も示しているのに、具体的にどの巻のどのページに書かれてるかまで書いてあるわけじゃないですよね。岩波新書の『多神教と一神教』だと、史料からの引用にそもそも典拠が書かれていません(参考文献リストに使った史料一覧が並んでるだけ)。でもそれをいちいち書いてたら新書サイズにならないわけです。
一人の研究者が、新書のような一般書と分厚い研究書の両方を書くことはよくあります。そして、後者において引用部分に典拠を記さないのは論外ですが、前者だと紙幅の都合上きちんと典拠を書けないことが起こり得るわけで、それは現状どうなのかと言われたら「良いことではないが、研究倫理に反する大問題というわけではない」と見做されているんじゃないかと思います。少なくとも、「ここは引用ですよ」というのがきちんとわかる(=自分の文章であるかのように装っていない)のなら、許されているんじゃないかな。引用元の文献リストがあって、地の文とちゃんと区別されている以上、この中のどれかから引用した、とわかるようになっているわけですし。
そしてもう1つネックになるのが、これが予稿だということです。「レジュメみたいなものだから、厳密な典拠表示はサボったけど、フルペーパーとして投稿するときにはきちんと典拠表示をつけるつもりでした」と言われたら、「そうか、まあでも本来、レジュメでも典拠をつけることが望ましいんだ。次からは気をつけてね?」と言うのが精一杯ではないでしょうか。これが剽窃みたいなケースなら研究室でこんこんとお説教して取り下げろと指導する必要がありますが、引用元の文献をきちんとリストアップしていて(著者名・URL・タイトルがきちんと書かれているのでまあ問題ないでしょう。逆にそういうきちんとしたリストだからこそ今回燃えてるというのが皮肉ですが)、どこからどこまでが引用か明示的に示されているのなら、そこまで大問題でもないような(この程度の不備でこっぴどく学生を叱りつけるとしたらそっちの方がハラスメントです)。
もちろん、それでも厳密に言えば著作権法違反にあたるわけだから、違法だ、告発すべきだ、という主張も可能です。何? 新書業界が死ぬ? 知ったことか、そんなムラの慣習が法に優先するわけないだろう、法は法だ、たとえ学生が書いて5,000人規模の学会の内部で報告する予定の正式な論文ではない予稿とはいえ、違法なんだから許されない――はい、これ、どうなるかおわかりですね。この論点で攻めるというなら私は止めません。が、その場合、例の朝日の記者さんが示唆したことをやられても文句は言えないんじゃないですかね……(刀剣乱舞は二次創作が許諾されてるといっても、じゃあハリー・○ッターや銀河英○伝説やデ○ズニーの二次創作はどうなの? ちょっとこれから著作権元に確認取って大丈夫? って話になっちゃうので……)
あと、twitterとかで、私が書いた増田から文章を長々と抜き出してそのあとに一言二言感想をつける方がそれなりにいらっしゃいます。賛成の立場や中立の立場でいらっしゃる方なら、きちんと読んでくれてありがとう、と思うのですが、「pixiv論文はけしからん!」とか主張してる人がそれやってるの見ると笑っちゃいます。お前のそれ、適正な引用の条件である文章の主従関係満たせてないから! 無断転載だから! っていう。なんで自分たちがネットでやることは許されてると思ってるんでしょうね。
これは私もうっかりしていました。機械分析にかけるのは適法な引用じゃない! と主張する人がいたのでこういう項目を立てたのですが、冷静に考えたら手作業で分析してたな、とあとになって気づきました。ただ、機械分析だから引用じゃない、と主張する人がいる以上、47条の7は提示しておく必要があるだろうと思います。
さて、47条の7は、次のような条文です。強調は引用者によります。
第四十七条の七 著作物は、電子計算機による情報解析(多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の統計的な解析を行うことをいう。以下この条において同じ。)を行うことを目的とする場合には、必要と認められる限度において、記録媒体への記録又は翻案(これにより創作した二次的著作物の記録を含む。)を行うことができる。ただし、情報解析を行う者の用に供するために作成されたデータベースの著作物については、この限りでない。
今回の予稿は、電子計算機による解析の前段階として、手作業による分類を行っています。ということは、「目的とする場合」に該当するのでは? と思いますが、いかがでしょうか。最終的にはコンピュータで分析する予定だけど、その準備を手でやるよ、ってことですよね(もしこれが法律の解釈として問題があるのでしたら教えてください)。
ところで、この条文は、「著作物をまるまるコピーしてきて、それをコンピュータに読み込ませ、解析する場合」を想定したものです(違ったらごめんなさい)。しかし今回のように、もともとネット上に転がっていた文章を分析の素材にして、しかもそれが手作業である以上、
「pixivを見ながら手で数えました。コピー? 引用に必要な部分しかやってませんよ」
と言われたらそもそも著作権法上の問題はなんら発生しませんし(わたしたちがインターネットを見てるのと同じですからね)、大学の共用のパソコンとかなら別になるのかもしれませんが、自室でプライベートなパソコンを使ってコピーして、そのパソコンの中だけで分析を完結させていれば、30条で認められている「私的複製」にあたるので、やっぱり著作権法上の問題は存在しないのでは?(この辺、事実誤認等があったら教えていただきたいです)
長い長い、永遠とも感じる不況により、日本は超少子化・超高齢化からさらなる東京一極集中が進みそうだ。
このままの状況だと、日本は緩やかにアフリカ化していくかもしれないと思っている。
まぁ、多分そうはならないとも思うが。
アフリカ、と一緒くたに語ることはもちろんできないが、大雑把にアフリカ諸国の問題を見てみよう。問題は複雑極まるが。なるべく単純化して。
1.アフリカは近代以前にまともな国家がなかった。あるいは植民地化によって政治がリセットされた。これにより、国家の基本である、「国民の大多数を占める農民から税を取り、それを基本収入とする」という段階が存在しなかった。大雑把に言えば、「行政が全く行き届いていない状態」だった。
2.独立国家となった後の収入は、地下資源と他国からの援助である。これが、「行政を国民に行き届ける」必要性を失わせた。つまり、国に遍在する農業を生業とする国民たちを無視しても何ら問題ない状態のまま、「国家」が成立してしまった。
3.国民の大部分は、生きようが死のうがどうでもいい存在である。税が取れないから。取ろうとしなかったから。取らなくても別にいいから。取る苦労なんてゴメンだ。援助が降ってくるし、黙ってても地下資源が金を稼ぐ。
4.政府が国民(農業民)を守る意味が完全になくなった。むしろ、邪魔な存在となった。農業民から上がってくる税金や作物は極小。むしろ税や作物を取り立てるコストのほうが馬鹿でかい。
5.こうして、行政の行き届かない地域に軍閥が跋扈する。応仁の乱以降の戦国時代と同じ状態。地方の顔役、豪族、長老が行政の代わりに台頭してくる。そして、彼らはもちろん、鉱山などを制圧する。農業民は金を持ってないから。支配する意味がないから。
6.そして、虐殺が始まる。鉱山などを維持できるだけの人数がいれば、あとの人間は無駄に飯を食うだけの邪魔者となる。「儲けるために人手が必要」なのでなく、「儲けるためには人間を削減しなければならない」から。
7.こうして地方軍閥は肥大化し、政府にそれを止めるインセンティブはなく(軍閥から上がりを受け取ればいいだけ)、国民は死に続ける。
改善されてきている国や、最初からうまく行った国ももちろんある。しかし、多くのアフリカの国は、まさに今が戦国時代のどまんなかである。刀や弓でなく、AK47でやる戦国時代だ。
秀吉の刀狩りは、軍閥を解体しつつ農民の必要性を大幅に上げ、「農民が国家財政の柱である」と明確に打ち出したものすごく重要な政策なのだが、あんまりこういう評価はされてないな。
ホットエントリなんかのブコメを見ていると、地方と東京の対立をよく目にする。まぁ以前からあったんだろうが。
お馴染みの野菜瞑想運動バカなんかは愚かにも「地方は切り捨てないとダメだ」なんて言ってるが、上記のアフリカの状況を見りゃ「地方を無意味にすることの恐ろしさ」はわかるよな?こないだの新潟知事選、自民党の広告がひどい、と話題になったが(政府とのパイプを維持します、みたいな)、あれは一定の真理はあるんだぞ。まぁ俺は自民をことさら支持するわけじゃないし、あの文言はダメだろと思うが。
日本の場合、地方に行政が行き届かなくなると、そこの領主が軍閥となる。昔で言えば国司や守護だな。現代はもちろん知事だ。まぁ現代日本では私兵は持てんから軍閥とは言わんだろうが。
「地方政治の腐り具合」というのはすなわち、「地方の軍閥度」だ。
行政が地方を切り捨てたら、軍閥は必ずできる。そしてそこにいる人々は軍閥に期待する。せざるを得ない。生きるために。
だから何としても政府は、地方へ行政を行き渡らせなければならない。これは国家の義務であり、存在意義であり、生き残るために必要なことだ。
まぁ結論としては、地方を切り捨てると内乱が起き、一度起きたらそうそう止まらないぞということだよ。
当たり障りのない結論になったが。
鎌倉時代初期、東国において政権を確立した源頼朝によって設けられた守護職は、軍事・警察的な権限を持つのみであり、地域統治の権限は依然として国司にあった。
後年、鎌倉幕府が滅び室町幕府が成立すると、室町幕府はその守護制度を踏襲する。
しかし守護は、次第に国司の権限をも包摂し、独自の領国支配を固めていくようになる。このようにして広域領主化した守護を「守護大名」といい、守護大名をトップとした地域支配体制を大名領国制と呼ぶ。
広域領主として実権を握った守護に対し、足利将軍家の影響力は薄れ、室町幕府は守護大名による連合政権の様相を呈していく。
さらに肥大化した守護大名たちは互いに自己の利益を追求して相争い、応仁の乱に代表されるような戦乱を巻き起こすようになった。
ちょっと前に「記事をスクショされてtwitterで拡散されると本記事にアクセスが入ってこない!やめて!」と叫んでいるブロガーがいた。
彼の主張は正しい。許可無く誰かの著作を切り貼りしてアクセスを吸い上げるのは隣家からパイプで電気や水道を盗んでいるようなもので、ことによると法にさえ抵触するかもしれない。
だが、その主張のやりかたが正しくない。もっといえば、主張という行為自体が正解といえない。
なぜならネット民は野蛮だ。倫理がない。そんな懇請記事などまず読まないし、読んだとしても「なるほど。では明日から行いを改めるか」とはならない。
彼らはカルフォルニアンイデオロギーを知らずしてその精神を体現している。ネットとは、そもそもがそのように設計されたものだから。
よって、彼らをシヴィライゼーションするにあたっては「お願い」などではなく、法律かシステムによって縛るしかない。
いうまでもなく法制化はハードルが高い。整備に時間がかかるし、ロビイ活動にも励まなくてはならない。あなたが孫正義か誰かならあるいはこれが一番の近道なのだろうが、ブロガーは孫正義になり得ないからブロガーなのであって、一個人に世の中を動かす力など無い。
というわけで、ユーザーを縛るシステムを構築するしかない。Webのいいところは、住居のオーナーだけでなく、借り主にも一定の装飾の自由が付託されている点である。
たとえば、現状でも一部歌詞サイトではコピペ不可能な仕様を取り入れている。
もちろん突破しようと思えばいくらでも手のある他愛のない防壁だが、闕乏した精神を持つ蛮人はそこに壁がそびえているだけでめんどくさがるものだ。
twitterで手慰みに他人の生産物を万引きしているような輩をくじけさせるには十二分以上だろう。
問題はスクショを撮影不可にする技術は現存しているのかということだが、あったとしても、すくなくとも現状ブロガー程度の知能を持つ生き物が弄することのできないのはたしかだろう。
彼らはtwitterの万引き犯と同程度に無能かつ怠惰だ。あらかじめブログにビルトインされた機能しか使えない。
そんな彼らに何かしらの新しいシステムを期待するなど無理な話だ。スクショ禁止にかぎらず。
ではもはやどうしようもないのだろうか?
やはりネットとは常在応仁の乱、野盗と鼠賊が持ちたるノーマンズランドなのだろうか?
いや、もうひとつだけ手はある。
日本人が殺人を犯さないのは刑罰を受けるからではない、村八分にされる恐れがあるからだ、と去年まで近所の雑貨屋であやしい北欧アイテムを売っていたロブは言っていた。
空気さえ作れれば最強になれる。
ところが現代は同じ等質の空気をみなで吸うということが難しい社会だ。クラスタ化だ。大きな物語の消失だ。
そもそもブロガーの説く倫理が蛮族に通じないのは互いに違う空気の場所で生きているからだ。
いや、ある。
あるのだ。
アイドルになればいいのだ。
日本人はアイドルに弱い。アイドルの言うことならなんでも訊く。アイドルの発する言葉はデルファイの巫女の託宣に似ている。アイドルとは現代のブッダだ。ブドーカンの壇上にならぶ、数十のブッダ。(ウィリアム・ギブスン『あいどる』より引用)
アイドルのファンは慈悲深い。かつて、彼らを裏切ったある人気アイドルが公衆の面前で頭髪をすべて剃り落として許しを乞うたとき、その哀れな姿を見たファンたちは本来衆合地獄に相当する罪を犯した邪淫の女を涙ながらに寛恕したのである。慈悲、慈愛。これからのネットに必要な倫理とはつまりこれらである。
しかし、輸入することはできる。
アイドルになることで。
その輝きの向こう側へ至ったとき、あなたは三つの真理を悟ることだろう。
色即是空。
諸行無常。
一切衆生。
アーメン。
詰め込み教育ってなに?
無思考に必要あること無いこと詰め込んで量産型を作る教育でしょ??
本能寺の変が何年に起きたか何も見ないで言える無能な官僚が量産されるんでしょ?
そんなのが国を引っ張っていくっていうんだから当然、日本衰退しますわ(爆汗
いやーでもさ、応仁の乱、何年に起きたか何も見ずに言える人ってすごいよねー
1400年くらいだっけ??
誰が起こしたんだっけ??藤原道長(?)だっけ?
あ、あと詰め込み教育信者のどもの声、ここに「put」しておきますねー汗汗
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416063024
死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。
大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。
ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県の西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。
テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭な意志を21世紀でも保っている。
死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。
腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。
祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史大辞典』にかぶりついた。
その頃の近江は一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護の六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。
私は大学の研究室の院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室と国文学研究室に行って、室町時代の言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母のアドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてものは時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母は明治4年に死んだ男の死体を蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論で室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。
春休みに近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだ。オリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。
山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから。
ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的に死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代の言語や常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成の研究をしに理学部か農学部へ行きたかった。
洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚の近江出陣の際には公家も近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。
これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ。
精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体の教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。
「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉があなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ。国文学研究室の富田先輩ありがとう。
…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージが五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家の女性が見える。平安時代のオカメで十二単のイメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代の人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生の素体になってくれるよう語りかけよう。
「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しましたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校の非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。
「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなたの時代の言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日はあなたにお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。
「あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなたの精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」
「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動を説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。
「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教が現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女は蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルールで現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。
「私は京都の六角富小路に邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江を根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから、武家奉公人の生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」
彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。
「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家の生活。今まで見知った知識や噂話全てから、ひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで。衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女に21世紀の平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ、彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと身勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。
好奇心とイマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽のマンションにやってきた。
年 | 戦国時代 | 実際の出来事 | |
---|---|---|---|
1867 | 応仁の乱開戦 | ||
1868 | 明治元年 | ||
1877 | 応仁の乱終戦 | ||
1897 | 毛利元就が生まれる | ||
1912 | 大正元年 | ||
1921 | 武田信玄が生まれる | ||
1926 | 昭和元年 | ||
1930 | 上杉謙信が生まれる | ||
1934 | 織田信長が生まれる | ||
1937 | 豊臣秀吉が生まれる | ||
1941 | 太平洋戦争開戦 | ||
1943 | 徳川家康が生まれる | ||
1945 | 終戦 | ||
1954 | 高度経済成長開始 | ||
1960 | 桶狭間の戦い | ||
石田三成が生まれる | |||
1967 | 伊達政宗が生まれる | ||
真田幸村が生まれる | |||
1970 | 姉川の戦い | ||
1971 | 毛利元就死去 | ||
1973 | 武田信玄死去 | 高度経済成長終了 | |
1975 | 長篠の戦い | ||
1975 | 上杉謙信死去 | ||
1982 | 本能寺の変 | ||
1983 | 賤ヶ岳の戦い | ||
1984 | 小牧・長久手の戦い | ||
1986 | バブル開始 | ||
1989 | 平成元年 | ||
1990 | 小田原征伐 | ||
1991 | バブル終了 | ||
1992 | 朝鮮出兵(文禄の役) | ||
1997 | 朝鮮出兵(慶長の役) | ||
1998 | 豊臣秀吉死去 | ||
2000 | 関ヶ原の戦い | ||
2014 | 大坂冬の陣 | ||
2015 | 大坂夏の陣 | ||
2016 | 徳川家康死去 |
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120416/k10014477821000.html
スーパーマーケット(食品スーパー)はこれから全国統一にむけた戦国時代に突入する。
主な君主は、北海道のアークス、新潟の原信ナルス、関東のヤオコー、エスコ、中部のユニー、岐阜のバロー、滋賀の平和堂、和歌山のオークワ、大阪のライフコーポレーション、イズミヤ、関西スーパーマーケット、兵庫の神戸物産、広島のイズミ、愛媛のフジ、九州北部のマルキョウ、鹿児島のタイヨー、沖縄のサンエーといったところか。
この中で、一歩先んじているのは、地の利を生かして成長してきたライフコーポレーション。東京と大阪に店舗を持ち売り上げ5000億目前。問題は、都市型スーパーであって、田舎でのノウハウがない。
次に大きいのは広島のイズミ。中国地方を地盤に、こちらも5000億目前。
これを追いかけているのが、北海道のアークス。合併に最も積極的で、青森のユニバース、岩手のジョイスを傘下におさめ、売上5000億をうかがう勢い。
あとは、3000億を超えるのが、平和堂、イズミヤ、バロー。3000億目前なのがフジとオークワ。
別格はユニー。1兆円目前だが、スーパーと言うよりもGMSが主。とはいえ、覇者の一つになることは間違いないだろう。
目指すは、王者イオン。こちらはすでに全国統一が終わり、さらなる勢力拡大を目指しているところ。マックスバリュとダイエー、さらに昨年、マルナカと山陽マルナカを傘下におさめ、王者の位置を不動のものとしている。上記の君主たちも、いくつかはイオンに吸収されるだろう。
では、誰が覇者となるのか。
上場企業は、増収増益が至上命題。合併は避けて通れないだろう。
合併に際してキーワードとなるのがボランタリーチェーンという同盟。資本統合はしていないが、共通で仕入れ、商品開発を行う、緩やかなチェーン=同盟だ。
有名な所ではCGC同盟やニチリウ同盟がある。アークス、原信ナルスはCGC同盟の雄。イズミ、エスコ、オークワ、ライフコーポレーションはニチリウ同盟を結んでいる。
ニチリウ同盟は、規模の大きな企業が多く、合併すればすぐにでも統一できるのだが、その意欲に乏しい。老舗が多く、生活協同組合もふたつ。これは合併が事実上不可能。できればこのまま独立を保ちたい、というのが本音であろう。たとえて言うなら応仁の乱前の守護大名といった雰囲気。競争に耐えられジす、ジリ貧の運命で最後は草刈り場となるだろう。泥船の予感。
これに対するCGCグループは、合併圧力が強い。アークスも原信ナルスも、対等合併によって大きくなった。特に、アークスは対等合併のノウハウが蓄積されているといえるだろう。問題は、CGCグループは多くが小さなスーパーチェーンだという点。CGCグループだけで全国を制覇するには時間がかかるであろう。ただ、アークスと原信ナルスが合併すれば一気に流れる可能性も否定できない。
ユニーのスタイルワンに参加しているのはイズミヤとフジ。合併を前提としたお付き合いの雰囲気。ユニーはお公家さんの雰囲気が強いが、ここでも我が道を行く。アークスを吸収合併というウルトラCもあるかもしれないなと思う。まるでホーマックを吸収したカーマのようだが・・・今後の展開ではあり得ない話ではないだろう。
ボランタリーに加盟していないところでは、バローが大きい。バローはホームセンター、ドラッグストアも自前でやっており、岐阜で独立王国をつくっている。合併意欲は強いようだが、いずれも小規模の合併。神戸物産、ヤオコーといった独立系と早急に対等に近い合併をしなければ、買われる立場にならざるを得ないだろう。だが、名古屋・滋賀周辺でのくだらない戦に夢中のようだ。王者の風格はない。
そして、その間にイオンがどの程度まで拡大するのか、西友がどこかで暴れるのか、気になるところだ。
ということで、大枠を示すことができたと思う。
覇者となりえるのは現時点では、ライフコーポレーション、イズミ、アークス、ユニー。
そして、西友が本気を出して買い始めればまた違う展開になるかもしれない。
皆様に一つ、共通の認識を持って貰いたいと考えています。
私達は危機に瀕しています。
その日の糧、その日の宿、その日を生きることすら困難な人達が居るのです。
隣国は核の力を行使し、また私達の領土は脅かされ続けています。
他国と比べれば幸せだと言う人も居るでしょう。
しかし、まさに今、私達が私達の家族友人仲間が苦しみ困り死んでいっているのです。
私達は今、心に決めなくてはなりません。
私達と言う国に無関心であり、不満に感じることを諦め、ただ見ている、それらをやめることをです。
私達は長い歴史を持つ国です。
長い経験を積んできた国です。
これまでにも幾多の危機を迎え、それを乗り越えてきました。
しかし、そのいずれも、自らが立ち上がり立ち向かい未来を手にしてきたのです。
人々は私達子供のために苗を植え育て蓄えてきました。
人々は私達子供のために額に汗し科学を発展させ町を作りました。
人々は私達子供のために命をかけて私達を守ってきました。
人々は、父達は、自分の命よりも大事なものを知っていたのです。
家族恋人友人知人、大切な人が生きる私達の国を、自らの命をなげうって守ってきたのです。
それは今でも変わりません。
命をかけて仕事をする自衛官の皆様、消防士の皆様、そして人を救うために死んだ勇気ある人々。
今も変わらずその心は生き続けているのです。
悪を働く者を憤り、不正を許せず、見知らぬ人でも死んだことを悲しむ。
皆様の心にもあるでしょう。
私達は、変わらず私達なのです。
応仁の乱の時、アメリカに敗北したとき、私達は一つの危機に瀕していました。
多くの絶望を抱えていました。
食うこともできず、自ら命を絶つ人が居ました。
しかし、思い出してください。
私達は乗り越えてきたのです。
今、国の政治は混迷を極めています。
しかし、地方の政治は活気を強めつつあります。
国をとりまとめる力にかげりが見えたとき、私達はまず身近な場所から行動を起こしたのです。
私達が何かに不満があるのならば。
私達が何かを変えなくては問題があると考えているのならば。
他でもない私達がやらなくてはならないのです。
多くの人は、不可能だと考えているのかも知れません。
国という大きな舞台でなくても良い。
今、都道府県が大きな変革の動きを見せているのです。
市でも、町でも、村でも良いのです。
ただいたずらに他人に期待し求めるだけの今をやめるのです。
国というものは他人ではありません。
私達が作り、私達を守り、私達が守り、私達と共に生きてきた、私達自身なのです。
私達のことは私達が変え守らなくてはなりません。
私達は出来ます、私達はやってきたのですから。
共に変えていくのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080708184613
とても面白い企画だと思ったので、便乗させてください。
ご覧の通り趣味に走って暗めですがそのあたりはお許しを。
さんとの作品の重複は避けたつもりです。
太宰治「燈籠」
福田英子「妾の半生涯」
福澤諭吉「旧藩情」
ガールシン「四日間」
萩原朔太郎「月に吠える」
原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」
樋口一葉「うつせみ」
穂積陳重「法窓夜話」
石川啄木「時代閉塞の現状」
泉鏡花「術三則」
カフカ「道理の前で」
北原白秋「邪宗門」
小林多喜二「党生活者」
幸徳秋水「筆のしづく」
桑原隲藏「蒲寿庚の事蹟」
ルブラン「奇巌城」
中島敦「狼疾記」
折口信夫「翁の発生」
ポー「アッシャー家の崩壊」
スウィフト「アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」
タゴール「ギタンジャリ」
寺田寅彦「流言蜚語」
徳冨蘆花「謀叛論(草稿)」
内村鑑三「後世への最大遺物」
イエイツ「春の心臓」
与謝野晶子「女子の独立自営」