はてなキーワード: 大坂冬の陣とは
関ヶ原の合戦後、石田三成の血筋がどのような形で継承されていったかを説明すると、以下のようになる。
関ヶ原の合戦で敗れた石田三成は、徳川家康によって処刑されたが、その血脈は断絶していない。
三成には正室のほかに側室が二人おり、それぞれに一人ずつ男子が生まれていた。
為信は父と同じく豊臣政権の重臣として活躍し、関ヶ原の合戦では東軍に属して伏見城の守備を任された。
しかし、西軍が攻め寄せる前に城を逃れたため、戦後に改易されてしまった。
その後、京都で隠居生活を送り、慶長19年(1614年)に死去した。為信には嗣子がなく、その家系は断絶した。
一方、側室の子である為重と為勝は、関ヶ原の合戦の前に母方の親族である木下家に養子に出されていた。
木下家は豊臣秀吉の正室・高台院の実家であり、秀吉の甥である木下勝俊が当主だった。
勝俊は関ヶ原の合戦で東軍に属したが、伏見城を放棄したことで家康の怒りを買い、改易されてしまった。
しかし、勝俊には嗣子がなかったため、その跡目は為重が継いだ。
為重は木下利房と名乗り、大坂冬の陣では豊臣方として参戦したが、大坂夏の陣では徳川方に寝返った。
利房は寛永9年(1632年)に死去し、その跡目は弟の為勝が継いだ。
為勝は木下利高と名乗り、播磨姫路藩主・池田光政の娘を娶ってその与力となった。
利高は寛永17年(1640年)に死去し、その跡目は嫡男の利昌が継いだ。
以後、木下家は明治維新まで播磨国内で1万石を領し、譜代大名として存続した。
寄生獣の作者が描いた歴史漫画『雪の峠』。あれこそTHE歴史漫画だよなぁ、と思う。
『雪の峠』は関ヶ原の戦いの後の佐竹家で、新しい城はどこに建てるのが相応しいのか、若手チームとベテランチームがプレゼンテーション対決する漫画。
「戦国時代は終わった。貿易に有利な港の近くに城を建てるべき」と主張する主人公が属する若手チームに対し、「まだ戦国時代は終わってない。山の上に強固な城を建てるべき」と主張するベテランチームが立ち塞がる。この対立は結局のところ新旧の価値観のぶつかり合いで、どちらの認識がより正確に時流を捉えているのかで揉めている。
最初この漫画を読んだ時は、古い価値観を引きずるベテラン家老に立ち向かう主人公チームに共感してたんだけど、歳を重ねてから読むと、ベテランの家老たちの気持ちもちょっと分かるようになってきた。
この時代にいる人たちは、今が戦国時代のド真ん中なのか、終盤なのか、既に終わってるのか分からない。それは時代が完全に移り変わって後から振り返って初めて明らかになる。
この漫画は「戦は終わった」と主張する主人公チームが「わしらは武士。商人にはなれぬ」と古い生き方にしがみつき価値観をアップデートできないベテランチームに引導を渡して結末を迎えるのだけど、漫画の外にもう一つオチがある。
Wikipediaでこの漫画の主人公について調べてみると、この漫画のエピソードの約10年後に大坂冬の陣で主人公は戦死している。戦はまだ終わってなかったのだ。
年 | 戦国時代 | 実際の出来事 | |
---|---|---|---|
1867 | 応仁の乱開戦 | ||
1868 | 明治元年 | ||
1877 | 応仁の乱終戦 | ||
1897 | 毛利元就が生まれる | ||
1912 | 大正元年 | ||
1921 | 武田信玄が生まれる | ||
1926 | 昭和元年 | ||
1930 | 上杉謙信が生まれる | ||
1934 | 織田信長が生まれる | ||
1937 | 豊臣秀吉が生まれる | ||
1941 | 太平洋戦争開戦 | ||
1943 | 徳川家康が生まれる | ||
1945 | 終戦 | ||
1954 | 高度経済成長開始 | ||
1960 | 桶狭間の戦い | ||
石田三成が生まれる | |||
1967 | 伊達政宗が生まれる | ||
真田幸村が生まれる | |||
1970 | 姉川の戦い | ||
1971 | 毛利元就死去 | ||
1973 | 武田信玄死去 | 高度経済成長終了 | |
1975 | 長篠の戦い | ||
1975 | 上杉謙信死去 | ||
1982 | 本能寺の変 | ||
1983 | 賤ヶ岳の戦い | ||
1984 | 小牧・長久手の戦い | ||
1986 | バブル開始 | ||
1989 | 平成元年 | ||
1990 | 小田原征伐 | ||
1991 | バブル終了 | ||
1992 | 朝鮮出兵(文禄の役) | ||
1997 | 朝鮮出兵(慶長の役) | ||
1998 | 豊臣秀吉死去 | ||
2000 | 関ヶ原の戦い | ||
2014 | 大坂冬の陣 | ||
2015 | 大坂夏の陣 | ||
2016 | 徳川家康死去 |